歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

主に歴史旅、ときどきグルメ、けっこう富士山と季節の景色の写真大量のブログ。 中の人はオタク指向、でも2次元よりリアルが好き。   好きな曲はPharrell WilliamsのHAPPY♪

神奈川や訪問先の郷土史や歴史偉人、美味しい郷土料理、美しい風景をなんとな~く紹介するブログです。
皆さんが御自分の地域の郷土史や自然に興味を持ってくれたら嬉しいな~♪
写真と本文ともに無断転用禁止!転載したい場合は当方へ確認願います。

ブログを書くのが楽しかった投稿開始の2014年から約9年間も書き続けて来ましたが、ブログ書く時間が無く投稿頻度を月1回に減らしたいと思います。
最初の月は13件も記事を投稿していた様です。
よく続いたなと思います。

今年の1月から資格の学習と仕事とあれもこれも時間に追われ「やらなければいけない」に意識が変わってしまい、肝心の学習時間も足りない状態です。

この活動を始めて、主に御寺さんから評価される事が多かったので、御寺の婿養子に来ないかと言う話を3度も別々の御寺から頂いた事も有りましたが、小生は御金や地位にも興味が無く群れるのが大嫌いなのでブログ自体に広告も一切付けていませんでしたし、同じように御寺の婿の話しも全て断りました。
それと本を書かないか?と連絡を頂いたり、有名なネット媒体で記者の誘いも何度か有りましたが自己顕示や私利私欲の為にやってないので全て断ってきました。

趣味を金にした時点で趣味じゃなくなりますからね。
ただ知り合いの学芸員さん等が退職したら、消された史跡の記録のためにブログと別に学芸員の知人等に見てもらいながら何か自分で本は書いてみようとは思ってますけど。
しかも今じゃブログを書く時間も無く「義務」の様に感じてストレスに成ってしまっています。
そして勉強もモチベーションが上がらない、全てが中途半端な悪循環。

でもブログを始めて良い事としては面識のない色んな人と知り合い、色んな事を教えて頂けた事でしょうか。
また、資格の勉強が落ち着いて楽しく記事を書く時間と心の余裕が出来ると良いなと思います。

ストレス発散に「記事を書きたい」とPCに迎えたら嬉しいな。
そうこうしてる間に30分しかPCのキーボードたたいてないのに、もう夜中の1時13分です。
明日も仕事あるけど、とりあえず4時間寝て、仕事行く前に少し勉強します。

あ~。
疲れたな~
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最近、自分の取得しようとしている国家資格の学習もモチベーションが上がらず、歴史散策時間が無くなってエネルギーも充電出来ず、ブログ書くのに史料調べる時間も無く色々と悶々としてた。
今回書く記事で紹介する場所は各所いずれ独立記事にするつもりだけど、今回は訪問箇所が多いので歴史解説は大雑把に成ると思う。

んで先月末~のゴールデンウイークに歴史仲間の車懸(くるまがかり)が横浜から京都に転勤で帰ってしまって以来、2年ぶりくらいに遊びに来たので今回は小生の自宅に泊まって貰い以前の様に歴史バカ2人で鬼畜のスケジュールを4月29~5月1日に敢行して来ましたwww。
以前ブログに書いたIT含めて親友の部類は京都人が多い小生。
御先祖様のご縁だろうか?

因(ちな)みに車懸と小生は共通点は歴史オタと言う点以外に、実は二人とも南朝重臣の子孫と言う祖先の縁も有ったりする。
車懸は村上源氏でバキバキの南朝方の子孫なので、まぁ独立性の高かった小生の祖先よりもガチ勢だったりするのだが、そんな経緯も有って以前も一緒に鎌倉城と呼ばれる市街地を丸っと取り囲む鎌倉時代には要害化されていた山稜を1日でグルっと一緒に歩いたり、神社仏閣巡りを一緒によくしていた。
その時の事を少し書いた記事⤵

今回は半年位前から時期を決め1ヶ月前から計画の連絡を取り合い、車懸が行きたい場所もリサーチしていたので後は天候次第で廻る順番を入れ替えるだけに成っていた。
提案したのは未だ奴が行った事の無い場所ばかりにしたが、当初は初日に川崎大師連れて行こうかと迷ったが、彼は祖先の主君であり鎌倉で足利直義により暗殺された護良(もりなが)親王の御廟を御参りしたいと言う事だったので1日目のスケジュールは良く一緒に歴史散策してたけれど鎌倉市内の旅に決めた。

久しぶりに面会した初日の29日、小生が午前中は用事が有り午後から横浜で待ち合わせしてから鎌倉に行く予定だったので、車懸と落ち合ってから戸塚駅で途中下車し久々に二人で志那そばやへ昼食を食べに行った。
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待ち合わせ中買ったカルピス美味しかった(笑)。
戸塚を食事場所にした目的は、志那そばやの直ぐ隣の清源院と言う寺院が徳川家康公の側室の於満方(おまんのかた)が隠居寺として尼住職を務めた御寺だったり、戸塚の地名由来に成ってる鎌倉国造の一族である冨属彦の古墳の冨塚古墳を聖地御神体として開かれている冨塚八幡宮が近いので、時間次第(しだい)では鎌倉に行く前に歴史散策も出来るからだった。


そう言えば、この2ヶ所も随分前に訪問済みなのに未だ独立記事に書いていたいのでいつか紹介したいと思う。
で、戸塚に着いた時間は昼の13時位だったので、それらを参詣するかは時間次第と臨機応変に対応してあくまで鎌倉の妙法寺と安国論寺をメインに散策に時間を割く事にして志那そばやに入った。

小生の記事は住所か下のリンクをクリックすると⤵GoogleMapで場所を確認できます。

志那そばや

入店迄は15分待ち程度だったかな?
小生が注文したのは今回は・・・
塩ワンタン麺+味玉+叉焼と名古屋コーチンのTKG。
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車懸は京都市内でも御所の近くの育ちで美味しい京都料理食べて育ってるから舌も肥えてるのだけど、この「❝志那そばや❞はスープまで飲み干したい!」と最高の賛辞を述べながら食べていたwww
車懸とは横浜に居た時にも色々と歴史散策ついでにラーメン屋も訪れたので懐かしい。
ところで小生は日本で一番美味しい拉麺店は❝志那そばや❞、2番目はNewYork店のみになり日本から撤退してしまった中村屋だと思っている。

この2店の特長は透き通った醤油と塩のスープの香りの良さと細麺と言う共通点。
志那そばやの創業者の佐野実サンが1980年代に創業、中村屋の中村栄利社長が開業したのが2000年代初頭、二人には20年の差が有るけれど❝神奈川淡麗系❞と言うジャンルを確立した功労者であり拉麺界のレジェンドなんだな。
志那そばやの拉麺はスープだけでなく麺を含め各食材の香りを感じる事が出来る。
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美味しそうでしょ~(笑)?
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そして食材に拘りのある佐野さんが始めた拉麺店では珍しい名古屋コーチンの鶏卵のTKGの提供。
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本当に美味しいので是非、読者で未だ訪れた事の無い方は食して頂き感動を共有して欲しい(笑)。
で、車懸がスープも全部飲み干したところで店を出て相談。
この時点で入店待ち時間含めて01時間程度と拉麺店にしては長居をしてしまったので店を出た時には14時を回っていた。
戸塚から鎌倉駅迄は乗換含めて30分、そこから妙法寺迄はゆっくり徒歩で20分と言う所。
当然ながら最重要訪問地である妙法寺には15時位の到着予想・・・
・・・と成ると、他の戸塚の史跡を見て廻る時間は無いので清源院と冨塚八幡宮は又の機会と言う結論に達した。
で、鎌倉直行に予定を変更。
先ずは東海道線から横須賀線に乗り換えるのと京都から3泊予定で到着したまま歩いている車懸の大荷物を預ける為に豊富に備えられたコインロッカーにブチ込める大船駅に移動。
幸い、大船駅のコインロッカーは空きが沢山有ったので荷物を預けて鎌倉駅に移動。
鎌倉駅から大町を経由して妙法寺に向かう途中で歴史上室町幕府で最後の鎌倉公方と位置付けられている足利持氏公の菩提寺である別願寺を参詣し北条政子様による開基で躑躅の名所として有名な安養院を通り過ぎながら妙法寺に向かう。
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時間が有れば安養院も参拝したかったのだけれど、如何(いか)せん時間に猶予が無いので仕方なく外から写真だけ撮影して先を急いだ・・・

妙法寺の近くに行くと寺院の直ぐ近くの住宅街の駐車場に自分の好きな旧車が打ち捨てられていた。
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NISSAN DATSUN 280Z、名車中の名車。
子供の頃に再放送で見ていた西部警察で渡哲也サン演じる大門刑事部長が乗車していたスーパーZがこの車種だ。

本当にカッコ良い!現代の車よりも昭和後期の車のデザインは本当にカッコよい。

てか今の車も旧車のデザインでボディだけ復興して車体は現代の技術で作って再販すればバカ売れするのにと本当に思う。
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ただ、この280Zは何年も放置されていた様(よう)でボンネットは鉄板が錆びて穴が空き、タイヤもゴムが劣化し空気が漏れて潰れていた。
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何だか景気の良かった時代の日本と、景気が悪くなってから社会人に成って給与も上がらなかった小生達との世代間のギャップと日本が弱まった歴史を感じて少し物悲しい気持ちに成りながら車には関心の無い車懸と改めて速足で歩き妙法寺に何とか15時半位に到着した。
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松葉谷 楞厳山 妙法寺 
まつばがやつ りょうごんさん みょうほうじ
日蓮聖人法難の草庵跡の寺院の1つにして護良親王菩提寺。
護良親王の子の日叡上人が住職を勤めた苔寺として有名な寺院。

妙法寺は旧参道が住宅街化してしまっており入口が少し分かり難いのが難点だが、この大町地区~浄明寺地区の寺院と景観は鎌倉市街西側の開発しつくされた地域と異なり趣が有って良い。
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入口で拝観券を購入して境内に入ると先ず本堂が正面に在る。
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この本堂の左手に庫裏(くり:僧侶の居住区)が有り、ソチラで御主題と御朱印を拝受出来る。
小生は以前既に拝受していたので車懸が御朱印帳を御住職にお預けして、先に護良親王の墓所と日叡上人の墓所を参拝する事にした。
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この建物は大覚堂。
護良親王の墓所に至るには本堂の前から大覚堂を通過して❝苔寺❞の異名の由来である仁王門の背後の参道階段を登り山頂に出る必要が有る。
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この日は小生達以外にも参拝客が数組いたのだが、若い高校生~大学生の女性の友人同士や年輩の御夫婦等とすれ違った。
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仁王門の後ろが良くカレンダー等の写真にも撮影されている場所。
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残念ながら安全の為に鉄の手摺(てすり)が付けられているのが景観には良くないけれど、本来は参拝が目的なので、まぁ~仕方ないのかなぁ~。
石段が磨滅してるのも、鎌倉石と言う現代では採掘禁止にされてしまった石材の交換が出来ないのでこう成ってしまった政治の責任と言うのも有るけれど、鎌倉石は鎌倉市~横須賀市~横浜市でしか採れない石材なので山を無尽蔵に切り崩す訳にも行かず、平成に入ってから古い鎌倉の寺院の石材は旧来の素材で補修が出来ないので、この様な対応を行うしかない。
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途中には矢倉と日蓮聖人の石仏が有る。
この石段を登りきると法華堂がある。
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御本堂より法華堂の方が古刹の寺院ぽいかな~。
法華堂から更に道なりに進むと日蓮聖人が居住したり説法をした草庵跡の平地が有る。
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そこを挟んで右側に階段を進むと護良親王の墓所、左手に進むと護良親王の奥方の❝南方(みなみのかた)❞と御二人の子の日叡上人の墓所が在る。
で、車懸が今回の関東訪問での1番の目的は護良親王の墓所参拝だったので先に右側に進む。
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二人で御互いの祖先の御主君の墓を参詣。
ここに恐らくは供養墓と思われる墓所が開かれたのは、当時は景観が良く鎌倉市街を見渡せたからだろうと思う。
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今でも墓所の前からは市街地が見渡せる。
ここから白旗明神の法華堂にいらっしゃる源頼朝公と共に護良親王は鎌倉市民と観光客を見守って下さっているんだな~。
さて、昔は山稜の尾根伝いに行けた南の方と日叡上人の御墓は現代では藪漕(やぶこぎ)して鎌倉時代に城塞化されていて傾斜を削って断崖にした尾根を参拝客が進み滑落しては困るので、下の小庵跡の道に戻り再度傾斜を登る様に成っている。
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・・・なので我々も道を戻り、南の方様と日叡上人に参拝。
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多分、歴代御住職の墓所であろう墓石もある。
他に背後に宝篋印塔も有った。
一応、最大の目的を完遂して妙法寺の庫裏に車懸の御朱印帳を受け取りに行き、妙法寺の直ぐ近くにあり同じく日蓮聖人が滞在し説法した小庵の1つが有ったと伝わる安国論寺へ移動。
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妙法華經山 安國論寺 
みょうほけきょうざん あんこくろんじ
日蓮宗日蓮聖人霊跡寺院の1つにして立正安国論起草の場所。
日蓮宗の高僧、日郎上人の菩提寺。

妙法寺を御参りしてコチラの安国論寺を御参りしないのは勿体無い!
更に時間が有り足が車か十分に時間が有るなら、先に妙本寺、そして妙法寺~安国論寺と参拝してから長勝寺~名越切通~法性寺をウォーキングしながら参拝して廻ると日蓮聖人の足取りを辿りながら、鎌倉時代~室町時代に活用された鎌倉城塞網を散策して巡る事も出来るので古い鎌倉の自然を感じる散策にはオススメのコースだったりする。
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安国論寺の方は妙法寺よりも建物の数が多く現存している。
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こちらが御本堂。
石畳も立派だが、安国論寺は江戸時代の尾張徳川家を始め有力者達から崇敬を集めたので大寺院として明治時代の廃仏毀釈迄、となりの妙法寺や鎌倉時代の比企家の邸宅跡の妙本寺ともども大いに栄えた。
妙法寺の方は薩摩島津家、妙本寺の方は前田家からそれぞれ崇敬され支援を受けていた。
本堂の右手に在る御小庵と呼ばれる御堂が安国論寺にも有る。
ただ、こちらは妙法寺とは少し異なり日蓮聖人が立正安国論を書いた洞穴(矢倉?)への参詣者を保護したり外側から参拝出来る様に拝殿として設けられた御堂が洞内へと続いている構造物。
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上の写真を良く見てもらうと分かる通り洞窟の中へと廊下が続いている。
この御小庵の右手の階段から山頂に上る事が出来るが、そこから天気が良いと富士山を見る事も出来る。
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ここは富士見台と地名も有るのだが生憎(あいにく)と車懸と参拝時は曇天だったので富士山は見えなかった。
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2021年の富士山の景勝地を探していた頃に小生1人で参拝した時も雲で富士山は見えなかったので、また何時(いつ)か海の水蒸気が少ない秋の天気の良い日に富士山を見に参拝したいと思う。
富士見台から境内の反対側へ尾根道から参道を進み、日郎上人の御廟所を参詣。
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一応、車懸が鎌倉でやりたかった事を完遂出来たので、時間も17時近く成っていたので鎌倉から横浜に戻る事にした。
夕食は中華街に行って食べる事に成っていたので一度大船駅へ戻ってから京浜東北線根岸線でJR関内駅に行く為、一先(ひとま)ず鎌倉駅へ来た道を戻るだけなのだが、車懸が昨年の歴史大河でも大活躍した和田義盛公と和田勢の将兵の被葬地である和田塚を拝みたいと言う事なので、其処迄また徒歩で移動する事にした。

和田塚へ向かう途中で又、別願寺の前を通過する際に別願寺の前の上行寺が何やら面白い事に成っているのに気が付いた。
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この御寺、普段は癌病治癒等の病気の治療に御利益が有ると地域の方々に愛される御寺なのだが、何やら❝物理的に参拝出来ない状態❞に成っていたwww。
丁度、御寺の方がいらっしゃったので聞いたら、地盤が少し沈下して基礎が傾いたので❝御堂ごとジャッキアップ❞して基礎を造り直すと言う荒業で修理するそうだ。
凄いね~、実際に建築物をジャッキで持ち上げてるの始めて見たよ。
車懸も珍しい物を見てビックリした様子だった。
やはり平安時代初期まで近くに海が迫り砂浜と湿地だった場所を鎌倉時代に埋め立てられたのが材木座地域~大町の西側なので、地盤が余り強くはないのかな?
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和田塚

この和田塚~六地蔵~鶴岡八幡宮一之鳥居~元鶴岡八幡宮こと由比若宮を繋ぐ曲線が平安時代末期の海岸線の砂浜から少し内陸に入った地域で、その辺りは更に前の時代には入江だったと言うのは小生のブログの古参の読者の方々は知る所だと思う。
鎌倉城防衛網
御家人の配置 久良岐のよし
この記事⤵でも少し触れたかな?

さて、そこから鎌倉駅に戻る途中、昨年までは車移動ばかりで余りじっくり町中を歩かなかったので今回面白い昭和感が満載の素敵な商店街を見つけた。
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丸七商店街

鎌倉駅側からの入口は中に楽しい空間が有るとは想像もつき難(にく)く分かり難い。
でもでも~中に入ってみると~・・・
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めっちゃ昭和レトロ感満載っ!
新横浜駅ラーメン博物館は作り物の昭和の商店街だけど、ここには完全に昭和の街並みが残ってる!
しかも駅から徒歩で直ぐだし立ち飲み屋も沢山有るので地元の人が沢山集まってるのが、より良い雰囲気を醸し出してるっ!
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で、車懸と中を歩いてたら何やら若い女性達が出入りしてる小洒落(こじゃれ)たスイーツ店を見つけたので覗いてみた。
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丸七商店 ちよのか

何と和菓子屋さんの様な造りながら洋菓子屋さんだった!
この地区の直ぐ駅の裏は御成町、比較的御金持ちが多く住んでいる地域なので御客さんの女の子も御洒落なのかな~?
とりあえずカヌレ二人分を購入して商店街を出て駅に向かう・・・
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歩きながら食べたけど、外側カリッカリで中はトロトロで美味しかった!
これ、鎌倉名物ではないけど御土産にオススメかも。
さて、そこから鎌倉駅に戻り、横須賀線に乗って大船駅で車懸の荷物を回収して京浜東北線に乗り換えて自分の住む円海山辺りの地域を通過して中華街に行く為にJR石川町駅へ移動。
食べる店も既に前もって車懸と話して決めていた。
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茂園 台湾美食

茂園は台湾人が経営する中華菓子と点心の生産直売店としてスタートして、伊勢佐木長者町にも御菓子のみの販売店舗も有る。
小生のブログでも伊勢佐木長者町の店舗はちょくちょく紹介してたので、知ってる人は知ってると思う。
この記事⤵とかね。

んで、この店は生粋の台湾人が台湾そのままの味を再現してくれてるとの前情報で、台湾人の友達も留学仲間に多く台湾に旅行経験も有る小生としては非常に楽しみにしていた。
店内の様子はコンナ感じ・・・
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・・・店綺麗で席数も比較的多い!
到着時は夕食としては未だ早い時間だったので他の客は一組だけでメチャ空いてた。
でも、コスパも良かった!
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このセットが凄い!
通常、中華街では青菜や空心菜や豆苗の炒めは1000円~1500円が相場。
このセットはメインの他に野菜の料理が2品+小籠包付いてくるメニューが有るし、チャーハンなどのメニューも有る。つまり、このセットを二人で頼むと普通に中華街の店でアラカルトを4品頼むのと同じ品数とボリュームの料理を2180円で食べる事が出来る訳だ。
これに1品、何か単品を注文すると1人3000円以下で完全にコース料理状態する事が出来るっ!
前菜も充実してるしピータンは600円と良心的だった。
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小生は魯肉飯(ルーローファン)、豆苗の炒め、青菜の炒め、小籠包のセット。
車懸は台湾牛肉麺のセットを注文。
それ+台湾料理で夜市料理の代表格ともいえる蛎オムレツを注文!
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いや~、どれも台湾の夜市やレストランで食べた料理のままと言うか日本人に媚びず台湾料理として台湾で食べたのより美味しかった(笑)!
蛎オムレツなんかチリソースでからめたオムレツの中に蛎が何個もゴロゴロ入ってて本当に美味しかったです。
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この後、良い年した男が二人で関帝廟を御参りしてから山下公園を散歩し(笑)、象の鼻パークに夜景を撮影に行き小生の自宅に帰りました。

さて、今回の記事は一先ずここまで、翌日は金沢区の歴史史跡や三浦半島の横須賀市の走水低砲台や千代ヶ崎砲台を見学して廻ったのを記事にしたいと思います。
今回書いた記事を元に又、改めて独立記事に書きたいと思いますが、毎回言ってるけれど未だに源義朝公の沼濱城館の解説も書いてないですし、書きたい物が多すぎて時間が無くて困ります。

では皆さん、又、続きの記事でお会いしましょう~。
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Cy Young Award winner Trevor Bauer has joined the Yokohama BayStars.On his YouTube channel, he shares his life in Yokohama and his dedication to baseball in the Central League.

サイヤング賞を受賞したトレバーバウアー選手が、なんと横浜ベイスターズに加入ました。彼は御自身のYouTubeチャンネルで横浜での暮らしとセリーグでの野球に真摯に取り組む姿を公開しています。


His attitude has been very favorably received by Japanese baseball fans, and a meem image by Twitter people who favored him was tweeted, and he himself found it and commented on it. communication is beginning ・・・lol

その姿勢が日本の野球ファンに非常に好意的に受け止められており、彼を好意的にイジッたTwitter民によるコラ画像がtweetされ、それを御本人が見つけてコメントを付けるなど日本人ファンとの交流が始まっていますwww。



I'm sure that more and more baseball fans will visit Yokohama Stadium to watch his games from Japan and abroad.
きっとこれから日本国内外から彼の試合を観戦に横浜スタジアムに訪れる野球ファンは増える事でしょう。

There are several famous ramen restaurants in Yokohama that are popular with Americans as well.
アメリカ人の皆さんも好きな拉麺の名店が横浜市にはいくつかあります。

Therefore, I would like to introduce some famous ramen shops around Yokohama Station for the passengers who come to see his game at Yokohama Stadium from Japan and abroad.
そこで日本国内外から横浜スタジアムに彼の試合を観戦に来る旅客の皆さんの為に、横浜駅周辺のラーメン有名店をいくつか紹介したいと思います。

拉麺店

There are several famous ramen restaurants around Yokohama Station, which is the nearest station to Mr,Trevor's residence.

トレバー選手の居住区の最寄り駅である横浜駅周辺には有名な拉麺店が数軒あります。


Yokohama Stadium, home of the Yokohama BayStars, to which he belongs, is located near Kannai Station, two stops from Yokohama Station.

彼の所属する横浜ベイスターズの本拠地である横浜スタジアムは、横浜駅から2駅目の関内駅近くにあります。


Kanagawa Prefecture has a famous specialty ramen category.  

神奈川県には有名な名物ラーメンのカテゴリーがあります。

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One is 家系(Iekei)ramen, which is medium-thick noodles in pork bone soy sauce soup.  Iekei Ramen is a favorite among foreigners.  

1つは外国人の方々にも人気の家系ラーメンで、これは豚骨醤油スープの中太麺です。

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Next one is the ramen category called 神奈川淡麗系(Kanagawa Tanreikei).  

The ramen called Kanagawa Tanrei kei style has a clear soup color and a good aroma, and thin noodles are generally used.

もう1つは神奈川淡麗系と呼ばれるカテゴリーのラーメンです。

神奈川淡麗系と呼ばれる拉麺は、スープの色が透き通っていて香がよく一般的に細麺が用いられます。


The most famous Iekei ramen shop is within walking distance from Yokohama station.

It is Yoshimuraya.

家系拉麺で最も有名な店が横浜駅から徒歩圏内に存在しています。

それは吉村家です。


Yoshimuraya,
the birthplace of Iekei-style ramen

家系総本山 吉村家

吉村家(Yoshimuraya) in front of 横浜駅(Yokohama Station),Yoshimuraya is the birthplace of Iekei Ramen.  

吉村家は家系ラーメンの発祥店で、横浜駅前に所在します。


It is a 5-minute walk from the station, so it is recommended for everyone who comes to Yokohama for sightseeing.

駅から徒歩5分と近いので、是非観光で横浜にいらっしゃる皆さんにオススメの店です。


Another famous store is at Yokohama Station.

This is a branch of a famous Kanagawa Tanrei kei style restaurant.

もう一つ有名な店が横浜駅に在ります。神奈川淡麗系の名店の系列店です。



The founder of Kanagawa Tan Reikei kei style is Mr.中村(Nakamura), the ramen chef of 中村屋(Nakamuraya) He now lives in New York.
神奈川淡麗系の創始者と呼ばれる人物は、中村屋(Nakamuraya)の店主である中村サンで、現在はニューヨーク在住です。


Nakamura
The origin of Kanagawa Tanrei kei style  Ramen restaurants 
麺処 中村屋神奈川淡麗系創始店 

Nakamuraya used to have its main store in Ebina City, Kanagawa Prefecture, but in 2022, the Ebina store was sadly closed and the business was integrated into the main store New York store.

中村屋は神奈川県海老名市に元の本店がありましたが、2022年に海老名店は惜しまれつつ閉店し本店のNew York店の営業に一本化されました。


I wrote about the closure of Nakamuraya in Japan last year on my blog.

日本の中村屋の閉店に関しては昨年ブログに書いて紹介しています。


阿夫利(Afuri) is an affiliated store of Nakamuraya, and there is a branch of Afuri in the underground shopping area of ​​the Takashimaya department store at Yokohama Station.

中村屋の系列店が阿夫利で、阿夫利の支店が横浜駅のデパート高島屋の地下街にも有ります。


Afuri Yokohama Joinus
阿夫利 横浜ジョイナス店 

阿夫利(Afuri) is famous for Kanagawa Tanrei style yuzu soy sauce ramen.

The president of Afuri is the brother of the president of Nakamuraya in NY.

神奈川淡麗系スタイルの柚子醤油ラーメンで有名なのが阿夫利です。

阿夫利の社長サンは中村屋創業者の中村栄利シェフの実兄に当たります。



The deceased president 佐野実(Minoru Sano), the founder of 支那そばや(Shinasobaya), which has its main store near Totsuka Station, was respected by Chef Nakamura and the brothers of Afuri's president.

この中村シェフや阿夫利の社長の兄弟に尊敬されていたのが戸塚駅近くに本店を構える志那そばやの創業者で故人の佐野実社長でした。


支那そばや(Shinasobaya) is a famous restaurant that represents 神奈川淡麗系(Kanagawa Tan Reikei). 

志那そばやは神奈川淡麗系を代表する店として有名ですね。



Shina Sobaya
志那そばや 

支那そばや(Shinasobaya) is located near 戸塚駅(Totsuka Station), which is just a short ride from 横浜駅(Yokohama Station) on the JR東海道線(Tokaido Line). 

志那そばやは横浜駅から東海道線で直ぐの戸塚駅前に所在します。


In the 1980s, Minoru Sano's ramen had already completed a ramen style similar to what is now called Kanagawa Tanrei kei style.

He was one of the pioneers of the ramen world, along with 山岸一雄大将(President Kazuo Yamagishi), the owner of 大勝軒(Taishouken) and the founder of the つけ麺(Tsuke-men), and 吉村実社長(President Minoru Yoshimura), the founder of the Iekei.

佐野実サンのラーメンは現在では神奈川淡麗系と呼ばれるスタイルに近い拉麺を既に1980年代に完成させており、大勝軒の店主で家系創始者の山岸サンや家系創始者の吉村社長等と共に拉麺界のパイオニアの一人でした。

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Well, I introduced two refreshing ramen in a row, but Iekei ramen is a famous Yokohama specialty and very delicious ramen,there are other famous Iekei restaurants besides Yoshimuraya.

さて、あっさりしたラーメンを2軒続けて紹介しましたが、家系ラーメンも美味しい横浜名物です。


There is a famous Iekei Ramen restaurant called 杉田家(Sugita-ya).

Mr,Tsumura He is a owner of the 杉田家(Sugitaya) is a famous disciple of the founder of the Yoshimuraya, Ramen Chef Mr.Yoshimura.  

杉田家と言う家系の名店が有ります。

杉田家の店主の津村サンは、吉村屋の創業者であるラーメン職人吉村氏の有名な直弟子です。


Sugitaya
杉田家

家系総本山 吉村家 暖簾分け1号店

杉田家(Sugitaya) near JR新杉田駅(Shin-Sugita Station), which Mr. Bauer used in the video on his way to Yokosuka Stadium and on his way to work, is the second most famous Iekei ramen shop after Yoshimuraya.

動画でバウアー選手が横須賀球場へ向かう出勤途中に利用したJR新杉田駅の近くにある杉田屋は、家系ラーメン店の中でも吉村家の次に有名な店です。


The Sugita family recently wrote an introduction article, so if you are interested, please see Sochira.

If you do not understand Japanese, please use the translation function on your PC.

杉田家は最近紹介記事を書いたので、御興味有る方はソチラを御覧下さい。

日本語が分からない方はPCの翻訳機能を利用してください。


This time, I have only introduced places that are relatively easy to reach from Yokohama Station, but there are many other famous shops in Yokohama such as ❝Kuriyama❞, ❝Kujiraken❞, ❝G Men7❞, ❝Susurimasenka❞, and more. 

If you come to Yokohama, please enjoy the taste of Yokohama's famous ramen shops!

今回は横浜駅から比較的行きやすい場所だけ紹介しましたが、横浜市内には他にも❝くり山❞や❝くじら軒❞や❝G麺7❞や❝啜磨専科❞等々沢山名店が有ります。

さて皆さん、せっかく横浜に来るならば是非、横浜のラーメンの名店の味を楽しんで下さいね!

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JRと相鉄線に乗って2年ぶりに西区の平沼を散策してきました。
小生は働きながら週末に国家資格取得のために学校に通っているのですが、それと合わせて今回は角平でランチするのと平沼の水天宮を御参りするのが目的でした。
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角平と言うのは横浜市南部の市民の間には有名な日本蕎麦店です。
その角平でのランチに合わせて平沼の水天宮を御参りしたいと思ったのは、7年前に戦国時代の蒔田湾と幕末の横浜開港の頃の歴史を調べていた際に現在の開港資料館に江戸時代末期まで存在した水神様の御社が有ったのを知り、その過程で平沼の水天宮をGoogleMapにチェックしていていつか参拝しに行こうと思ったからでした。
昔は平沼は平沼新田と呼ばれ吉田新田と同じく江戸時代以前には海でした。
江戸時代に先に新田開発されたのが洲乾湊(すがみなと)と呼ばれた砂浜の半島より内側に広がっていた蒔田湾とか考古学では大岡湾と呼ばれた入江でした。
個人的には洲乾湾と呼ぶべきと思うのですが。
幕末に成ると、この洲乾湊の半島の浜辺ににアメリカから来たペリー提督が上陸し、更に後に幕府によって外国人居留地に定められました。
ペリー艦隊の上陸
上のペリーさん上陸の有名な絵の右側の樹が今も開港資料館の中に現存する玉楠の樹の3代前の樹だそうで同じ位置に存在し、そお樹の麓の神社は横浜の水神社として知られた御社です。
また横浜村の有った洲乾浜の半島、その先端には淡水の湧水池が有り弁天様が祀られていました。
それ等は源頼朝公により開かれたそうです。

開港後に外国人居留地に定められた地域は旧半島と埋立地の間に残された海の名残りの運河がそのまま境界線に活用されました。
吉田橋の上に関所が設けられて外国人居留地は関内と呼ばれた事が今のJR関内駅始め関内と広く呼ばれる地域の地名由来に成っています。
関内周辺 久良岐のよし
上の明治時代初期の測量図ではまだ画面左下の平沼が今程には埋め立てられておらず海だった事が解りますね。
この関内の外国人居留地建設で移転した水天宮と現在の横浜市役所新市庁舎の場所に存在した弁天様の両方が源頼朝公が開いた物だと言うのを知った時に水神様の移転先を調べて、南区の河野サンと言う個人の御宅に移転し祀られた後で太田杉山神社に合祀されたのを色んな宮司様達に聞いて廻り辿(たど)り着きました。
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横濱水天宮太田杉山神社
元横浜村の水天宮を合祀した杉山神社
この杉山神社については改めて、今日の記事で書く平沼神社こと平沼水天宮の記事共々独立した紹介記事を書きたいと思います。
さて、この南区の水天宮は元々は杉山神社(ややこしい)で、今の関内地区や山下公園前の横浜村発祥地の砂州(さす)の半島だった洲乾湊(すがみなと)に存在したのですが、それは以前の横浜の戦国武将で江戸時代の本牧奉行や佐渡代官、生野代官、摂津代官、蒲原(駿河)代官を務めた間宮家や鎌倉時代に関西を統治した金澤北条家が支援した真言宗の江戸時代迄大寺院だった南区堀之内の寶生寺や北条政子様の隠居地で間宮忠次公が支援した寺院だった井土ヶ谷の乗蓮寺を紹介した時に少し書いた事も有りますね。


上の過去記事で少し触れた横浜村(関内地区の元町~中華街~日本大通り一帯~弁天町)には頼朝公のゆかりの神社が2つ在り、その内の一つの水天宮が現在の太田杉山神社に合祀されている横濱水天宮な訳ですが、横濱水天宮は外国人居留地に関内地区が成った際に旧家河野家へ引き取られ遷座を余儀なくされ更に現在の杉山神社に合祀されたそうです。
これについては平沼の水天宮の宮司様にも以前、色々と御教授頂いていたのですが実は電話で御話を教えて頂いただけで水天宮平沼神社様には未だ参詣した事が無かったんですね~。
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近くの平沼商店街を道筋に含む横浜道は調べたり散歩したりしたんですが・・・。

この過去記事で紹介した戦争史跡の平沼廃駅の直ぐ隣に西区を代表する日本蕎麦の名店の角平と近代の❝横浜道❞が有り、更にその辺りから徒歩5分程度に平沼神社こと平沼水天宮が鎮座しています。
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水天宮平沼神社
平沼新田鎮守の水神様
この水天宮は天保十年(1839年)、つまり江戸末期に開かれた比較的歴史は浅い神社ですが、それはその通りですね。
なんせここは地名に成った平沼家が埋め立てるまで歌川広重が東海道五十三次の神奈川宿の絵に描いた海だったんですから。
その頃の地形については、神奈川駅近く台町の江戸時代の❝さくら家=明治の田中家❞で働いていた坂本龍馬サンの未亡人お龍サンの記事でも触れた事が有りました。


つまり、お龍サンが神奈川宿に居た頃に漸く埋立地から人が住める状態に成りつつあった程度の人工の土地ですから、神社の歴史も比較的新しくて当たり前な訳です。
今回小生は初参拝だったのですが、開基(かいき:社寺を造営する事)から約200年間、地元の人にとても愛され続けて現在も参詣者が絶えない様で現代的に綺麗に石畳と新しい社殿で整備された、町の神社の境内としても綺麗な神社さんでした。
では神社の大まかな歴史の話はここまでにして、参詣して来た様子を紹介します。
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詳しい歴史については上の社頭掲示写真の内容を拡大して読んでみて下さい。
水天宮様は相鉄線の平沼橋駅から角平に行くために国道1号線に向かう途中に在ります。
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水天宮平沼神社
平沼新田鎮守の水神様
道路から見ても境内が綺麗に整備されている事が分かりますね。
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まぁ、石畳でガチガチに境内を固めるのは現代的な造りで古来の自然信仰とは異なるのですが、小生はこれはこれで綺麗で有りだと思います。

由緒正しい醍醐天皇の律令改正法である延喜式の延喜式神名帳に掲載されている御社(おやしろ)、相模国一之宮の寒川神社でも現代は同じように境内の拝殿周辺を石畳で境内を固めており雨天の参詣もし易くしてあったりするので、小生は自然なままの古来の神社も現代の石畳も両方良いと思います。
さて、平沼の水天宮様は鳥居をくぐって右手に神楽殿があります。
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御神輿の保管所も有りますね。
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神楽殿と名付けれられていますが、3階建てで立派な建物でした。
鳥居をくぐり正面に本殿。
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参拝した昨日土曜日は雨天だったのですが、小生が参詣した時は2組の和装の若夫婦が幼子を連れて御宮参りで祈祷を終えた直後だった様で微笑ましい光景を見る事が出来ました。
後からホームページを拝見したら平沼の水天宮様は子宝の御利益でも有名な様です。
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扁額は大正時代の物ですね。
この神社の社紋が変わっていて初めて見る家紋でした。
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平沼家の家紋なのでしょうか?宮司さんに聞けば良かったな。
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本殿の左手前には水天様、仏教やヒンドゥー教の元に成ったゾロアスター教や古代インド神話での龍神を束ねる神様でした。アスラ族=阿修羅様の部族の最高神として崇拝されていたそうです。
日本の宗教は古墳時代や飛鳥時代~明治初期迄は神仏習合で海外から渡来した神様も仏様や日本古来の神様と一緒に祀られていたので、同じくインド神話の女神様である弁才天=サラスヴァティー神と同じように近世日本では水天様として親しまれ特に武蔵国域では信仰されていた様です。
本殿に向かって右側に色々な境内社が祀られていたので江戸時代に周辺にあった小さな神社が遷宮されているのかも知れません。
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お稲荷様が2座あります。
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その内の1座の前には何か可愛い河童の石像。
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更に奥には小生が日頃崇拝する天神様こと菅原道真公=天満大自在天神様も御社も在りました。
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ふむ、こちらの平沼神社こと水天宮様は本来の治水と地鎮の御利益に加えて子宝と学業上達や就学と芸能上達の御利益が有る事が祀られている神様から解りますね~。
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これだけ御利益が集まっているのですから、そりゃ地域の人に大切にされる訳だ。

ちなみに、少し歩きますが近くには良い昭和の日本建築銭湯が3軒も現存していて、小生はソチラの銭湯も以前入浴に通い詰めて数ヵ所写真を撮影させて貰ってるので、それもいつか紹介記事を書きたいと思います。
その銭湯が有る側の地域にも古い戸部杉山神社が有るのですが頼朝公が開いた杉山神社が横浜市内に数ヵ所有ったので、その内の1つは西区の杉山神社だと思います。
その頼朝公が御分霊を勧進した大元の杉山神社本社は横浜市緑区西八朔に現存しており横浜市唯一の延喜式内社だったりします。

これも以前紹介記事を書いているので御興味が有る方は御覧下さい。
さて、平沼の水天宮平沼神社さんはとても綺麗で気持ちの良い神社でした。
ここから蕎麦を食べに角平に行く途中、平戸橋と言う橋の上から京急が帷子川の上を横切る鉄橋を走る景色を見付けたので撮影してみました。
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きっと鉄道写真撮影が趣味の方なら上手に撮影出来るんでしょうね~。
ここは丁度、水天宮様と角平の中間位の場所ですから、角平に御蕎麦を食べに行ってみたい方はついでに電車の写真を撮影に行っても良いかもしれません。
寒い時期の快晴の日で夕焼か朝焼けの時間帯なら、恐らく帷子川に綺麗に京急が写り込むんじゃないかな?と富士山撮影が趣味の一環の小生は予想します。
さて、そこから徒歩数分で角平に到着。
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この写真の平沼商店街の看板の道が横浜道なのですが、JRと相鉄線が線路を通してしまって踏切化していた横浜道を平成十四年(2002年)に踏切閉鎖してしまった事で、既に貴重な近代街道史跡だった横浜道は通れなくなってしまいました。当然ながら平沼商店街衰退の原因に成った事も先に紹介した平沼廃駅の記事で書いています。

相鉄とJRは横浜道である元平沼橋と平沼商店街をアンダーパスか歩道橋で再度繋いで街道を復旧する責任が有りますね。
さもなくば文化と歴史史跡の破壊者でしかない。
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角平 名代 元祖つけ天
文化人も愛するつけ天蕎麦の名店

この角平は有名人も来る御店でランチタイムは遠方から食べに来る御客さんとビジネスマンで常に満員なのですが、この日に小生が訪れた際には待ち時間もほとんどなく入る事が出来ました。
店内はこんな感じ。
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THEそば屋的な昭和の感じ。
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一応、有名人の来てる証拠写真。
まぁ、こんな感じで有名人も食べに来る御店なのです。
メニューは❝つけ天❞が有名。
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小生、かかり付けの病院の美人女医サン(笑)から「ヤックスを食べてみて!」と言われてたので今回はヤックスを注文。
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ヤックスってのは野菜天+海老天のつけ天ザル蕎麦。
メチャ美味っ!
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蕎麦は腰が有って香りも良い。小生、学生時代に蓼科のリゾートホテルに夏冬にバイトに行ったりしてたのですが、信州の蕎麦の有名店と比較しても美味しい。
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海老天も普通にプリプリで美味い。
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この他にミニ・ハイカラ丼を注文した。
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天かすに海苔とネギと天つゆを沢山かけた丼ぶり。
まぁ、これは別に注文しなくてよかった。
食べ過ぎ。
てか隣の人が食べてたカツ丼がメチャクチャ美味そうだったので次回は蕎麦ではなくカツ丼だけでもアリだな!と思いました。
つけ天を美味しく頂いた後、平沼商店街(横浜道)の国道1号を挟み反対側にある老舗和菓子屋に遠回りして立ちよりました。
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寿ゞ㐂家(すずきや)
横浜道を代表する和菓子の名店
すみません、何故かこの店に来る度に写真撮影する前に買ったお菓子食べてしまって写真有りません(笑)。
寿ゞ㐂家は明治三十三年(1900年)創業で2023年時点で既に123年の歴史を有しています。
オススメはドラ焼きと平沼の鈴と言う御菓子と、和菓子屋なのにシナモンドーナッツ(笑)。
もし時間が有って歴史散歩したい方は、このまま道を進んで野毛の伊勢山皇大神宮~成田山~野毛山動物園~野毛商店街へと歩いて飲んで帰っても良いかと思います。

さて、昨日の休日雑記はここまで。
では又、次の記事でお会いしましょう~♪
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今日はハマッ子として寺田社長と山中市長への御礼だけ。


日本最大級の規模と、飛鳥時代~平安時代の超長期の活動期間を有する鑪製鉄(たたらせいてつ)史跡の上郷深田遺跡と横浜市南部最大最後の自然森林とホタルの群生地瀬上沢の開発計画を東急建設さんが正式に断念して下さいました。
先ずは東急建設の寺田社長の英断に対して敬意を表します。


そして、これだけの英断を行って下さった東急建設及び母体の東急電鉄に不利益で終わらない様に切に願います。
東急建設と東急電鉄が日本人として日本の歴史文化自然の保護者活用者として正しい道を進む事で
旧佐賀牟国の開拓者達豪族の祖先神を祀る神社や彼等の子孫が崇拝した菩提寺の神仏の恩恵が与えられる様に祈願します。


米軍から返還される瑞穂埠頭や根岸居留地や新山下埠頭辺りの何れかが代替地として等価値交換と言う形で東急建設に提案されて、東急グループにとって不利益に成らない形で決着する様に個人的に願います。
代替地との等価値交換で、なとみらい線の本牧港湾部延伸を行い日本最初のアーク溶接鉄橋の高島線瑞穂埠頭鉄橋を産業遺産登録し引込線を遊歩道化等で活用する等の史跡保護と都市計画を融合した横浜らしい、旧新港埠頭(みなとみらい21地区)の再開発で活躍した頃の東急サンに様に、邪道ではない王道(君子の道理)で改めて活躍の場が多く切り開かれる事を神仏に祈願します。


山中市長、恐らく市長就任後に表ではなく組織内で様々な御尽力を行って下さったと思います。
ありがとうございました。

東急さん将来、本社横浜に移してくれないかな~?
東京の渋谷に居ては、自然や文化や史跡等の日本の良い面が全く見えて来ないし、各都市の個性を活かすと言う観点も生まれないと思います。
東急が東京ではなく神奈川の横浜市や鎌倉市に本社を移し歴史文化史跡自然との共存と完全保護を活用する第一人者として、他の日本文化の破壊者である某ゼネコンと一線を画すSDGs第一人者として、横浜発祥のワシントンの桜並木で活躍した横浜植木やプラント業の日揮や健康食品のファンケルや飛行機の修繕を行う日本飛行機や東急の旧横浜金沢プロパティーズ株式会社の方々等と共に世界に誇る横浜の企業連合体に成って下さったら良いなと個人的に願望を持っています。
横浜の企業ではありませんが海上自衛隊の艦船の建造補修を担うIHI等と一緒に、横浜市に拠点を置く企業同士の連携を活かし、世界の親日友好諸国で多文化共生と史跡文化自然保護と持続可能な社会の実現を担う世界有数の多業種連合体の様な活躍が未来に生まれて欲しいと個人的に妄想しています。

東京23区では作られた緑地しかなく住宅街も住む人々の階層や人種も区切られていて、自然林を見る事も否応なしに多文化の日常生活を経験する事も出来ないから日本文化や自然が何かも理解出来ないままでしょう?
東京は必要な時に必要な物や自分の見たい事を見るのには便利ですけどね~。ネット社会と同じで自分の求める事や物以外と多く触れる事が少ない町ですよね。
川崎や横浜や鎌倉や平塚に本拠を移せば我々下々の生活~高所得階層迄、様々な国籍の人のC文化もc文化も求めて無くても体感する事も関わる機会も多く有ります。


神奈川県の中部~東部に東急電鉄の本社移しませんか?
絶対にそっちの方が電鉄業としても不動産業者としても開発業者としても地政的に見える物が多いかと思うんだけどなぁ~・・・と。

明日の夜、また別に普通の記事を書きます。
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朝早く行けば水蒸気多い春でも富士山見えるかなっと思って、逗子市の披露山公園に土曜の早朝、富士山と桜をみに行って蜻蛉返りで帰宅しました。
土曜の久木、ハイランドの桜並木は満開でした。
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逗子市久木の桜並木

ちゃんと撮影してないから余り良い写真ではありませんが、これは山の上から下り坂の下の方を撮影してるのですが、ここは下から撮影して上り方面のバスを撮影すると桜並木がトンネル状に成っていて絵に成る場所なんです。
だから良く、今の時期は撮影に来ている人も見かけますね。普段は普通の住宅街なのですが。
今回は早朝、まだ相模湾の海水温が上がる前に披露山公園に行けば桜と一緒に富士山が鮮明に見えるかな?と思いチャレンジしてみました。
結論から言うと、やはり春だと三浦半島側から鮮明に富士山が見えるのは夕焼の時間帯だけですね~。
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こんな感じで結果的にボヤけてしまいました。
でも桜も散り際の最後の頃に見る事が出来たので、今年は春らしい事を何もせず仕事から帰宅すると休日含めて勉強とスーパーファミコン(笑)ばっかりしてるので、少し嬉しかったです。
肝心の土曜日に見てきた桜と富士山の披露山公園の景色です。
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披露山公園展望台

やっぱり霞んで良く見えなかった(笑)。
でも快晴に富士山と桜を一望出来たのは春らしく、早朝の涼しい風も心地よかったです。
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朝早かったからおサルさんは未だ寝てましたけれど。
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公園の駐車場には浪子不動に降りる林道が有り、そこからは逗子の海が見渡せます。
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その林道とは別に、駐車場の奥に倭建神話で古代大和朝廷軍が行軍したであろう古代の東海道が林道としてヒッソリと残っています。
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今回は歩きませんでしたが、昨年、逗子の郷土史を調べて回ってた時に歩いてみました。
郷土史家の先輩方に色々と御教授頂いて、その先輩方が子供の頃はこの道沿いや下の鎮守の稲荷社の壁面には古墳時代の横穴式墳墓が沢山現存していたそうです。
逗子は早くから金属器の製造が盛んだったので、のちに源氏の大将で源頼朝公の御父上の源義朝公が沼間に本拠地を置いたりする武士文化の素地が有ったんですね。


上の記事の続きを未だ書いていないので、いずれ改めて沼間の神武寺や沼濱城と源義朝公の話と解説記事を書きたいなと思っています。
今週の土曜日は科目テストで、日曜日は両親の結婚記念日の御祝いで出掛けるので詳しい歴史解説記事を書けるか分かりませんが、読者の皆様、長い目で見て待ってやって下されや(笑)。

中途半端な休日雑記ですが、一応、春を感じられたと言う記事でした。
これから躑躅の季節ですね。
箱根の山のホテルや三浦半島横須賀市の大多和つつじヶ丘や川崎市宮前区の等覚院や青梅市の塩船観音の躑躅を楽しんで晩春を満喫して下さい。

学生の皆さん、大学生活と青春の恋愛で神奈川県の景勝地デート楽しんでね~♪
四月、気分を新たに頑張りましょう~!

では皆さん、次の記事でまたお会いしましょう~!
・・・歴史解説書きたい。


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ブログの歴史観光解説記事更新3月末もお休みします〜。
ところで桜と相模湾と富士山をいっぺんに撮影出来る披露山公園に陽が昇る前の時間帯に行きたいなと思っていたけど、今年は桜のシーズンが雨天と重なり更に資格の学習で時間もなく、止む無く土日断念しました。
昨年は何回か通ったのですが春霞で綺麗に富士山が昼間に見えない日ばかりで、快晴の青空と桜と富士山撮影出来ませんでした。
去年の写真⤵
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納得行ってないんですよ、この写真じゃ。
快晴の日に披露山公園の桜と富士山を撮りたい!
でも今年は来月、資格の単位取得のテストの一つがあり、最後の週末なので来週晴れても写真撮影���行けないかも。
この記事⤵去年書いた奴。

皆さん、小生の代わりに披露山公園からの桜と富士山の写真撮影チャレンジしてみてね!
他にも花見名所有るから、参考にしてみて下さい⤵ね。

では皆さん、良いお花見を楽しんで下されや〜。

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資格の学習時間足りなくて、来月頭に科目試験有るので今週は歴史史跡紹介の記事はお休みしま〜す!
で横浜の桜の名所の一つの大岡川沿いの様子とか、最近見た景色を書いてみます。
大岡川沿いは早咲きの品種の桜は満開でした。
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南太田~黄金町駅辺りかな?
早咲きの品種は発色は綺麗なんですが大木に成らず枝ぶりも寂しいので、物足りない感じでした。
花見に耐える桜の大樹の染井吉野の開花を楽しみにしてます。
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染井吉野は未々(まだまだ)蕾でしたが大きく蕾が膨らんでいるので2023年は今週末に咲き始めて3月末~来月頭が見頃かも?
桜の名所として皆さんに以前紹介した中区の横浜三渓園、金沢区の金沢文庫駅近くの称名寺と神奈川県立金沢文庫、栄区と鎌倉市境の大船駅近くにある大船フラワーセンターを紹介した記事を共有しておきます!
これ⤵クリックすると記事を読めます。



さてさて、最近GoogleEarthを見ていて横浜市内の意外な場所で面白い富士山の景色を見つけました。
NIGHT~2
スマホだから画質は悪いですがデジカメで撮影したら綺麗だと思いますよ。
Google Earthで横浜市内に真っ直ぐ富士山を向いた道が無いか探していた時に、金沢区の埋立地に沢山ある事に気がついたんです。
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見つけた富士山に向かって一直の道を当たりをつけてGoogleMapに地点登録して訪れてみました。
皆さんも御自分で是非、GoogleEarth見ながら富士山との位置関係を調べて色んな富士山の景色の良い場所を探して見て下さいね!

前回紹介した❝らぁめん こもん❞で昼食を食べ行った日に、その後でベイサイドマリーナに行き福浦岸壁~八景島方面に夜景スポットを探しに行くついでに訪問したらドンピシャでした。
富士山見えないと思ってた埋立地の工場地帯の中にも、こんな景色有るんですね〜。
場所的には❝横浜市港湾局幸浦中継所❞と言う埋立地の施設に行く辺りです。
最寄り駅だとシーサイドライン並木北駅の前の高速道路と丁字に交わる一直線の道ですね。

もし路駐してるトラックがいなければ街灯が真っ直ぐ富士山に向かって続き綺麗な夕景の富士を撮影出来るとは思いますが、でも、金沢区の埋立地は皆さんが特別に写真を撮影しに行く程の場所ではないかも。
とにかくトラックが路駐しまくってて富士山の撮影スポットとしては邪魔でした。
もし写真を撮影に行くなら正月辺りが良いかもしれませんね~。
でも正月ならもっと綺麗な場所に行った方が良い。
まぁ人工的な景色では自然豊かな黒崎の鼻には負けるかな。
人工的な富士山の景色としても大黒大橋にも勝てないですね~。


もし自然の中からの富士山の景色を横浜市内で見たいなら個人的には円海山が一番のオススメですが、円海山は横浜市の夜景も見られるのがメリットで自然の富士山の景色としては足が車や小旅行で行くなら三浦半島西岸~鎌倉~湘南地域の方が相模湾も見えてよりロマンティックでしょう。

富士山の景勝地は少しづつ紹介記事を書き足しているので、御興味有る方は下のカテゴリー「富士山遠望の景勝地」の記事一覧から訪れてみたい場所を探して下さいね!

ついでにカテゴリー「春の景勝地色々」も貼り付けて置きます。

上の記事のカテゴリーからブログ全体のカテゴリー検索に戻りたい方は、ブログタイトルの字をクリックするとブログのホーム画面に戻れます。
この画面⤵に戻ります。
では皆さん、太陽暦では春の御彼岸を迎え本格的に春真っ盛り、お花の季節を楽しんでくだされや〜♪

来週は書けたら歴史史跡紹介記事を書きたいです。
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今回の記事は横浜ベイサイドマリーナや横浜市南部市場での買物を休日に楽しまれる人向けの記事です。
小生の記事はGoogleMapにリンクさせてあります。
住所
下の様な各所の紹介で、住所をクリックするとGoogleMapが起動して乗換案内やカーナビとしてそのまま利用する事が出来ますし、徒歩経路も調べる事が出来ます。

さて、横浜市民に限らず市内外の人は週末に横浜八景島シーパラダイスでのレジャー―やベイサイドマリーナで服飾品や横浜市南部市場での新鮮な鮮魚や青果の買い物を楽しむ方々も多いかと思います。
でも、何回も行ってると施設内の御店の御飯も食べつくして飽きちゃったな~と言う人も少なくないのでは?
そこで・・・
「もうフードコートの料理食べつくしたしな~」
 とか
「せっかく横浜に来たら美味しい本場の家系拉麺食べたいなぁ~」
 とか
「家系以外で美味しい拉麺も食べたいなぁ~」
・・・と言う人には今回の紹介する拉麺屋さんが参考に成ると思います。
また、歴史オタク視点での家系総本山吉村家と杉田家が繁盛した理由を解説もしたいと思います。

まず今回紹介する御店はベイサイドマリーナや南部市場近くの2店舗です、車かシーサイドラインで訪問される方には参考に成るかと思います。
1つは家系総本山吉村家直系の暖簾分け1号店、杉田家。
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ラーメン 杉田家
家系総本山吉村家直系1号店

シーサイドライン、京急、JR京浜東北線根岸線の利用客に便利な新杉田駅の直ぐ近くに存在しています。

2つ目はベイサイドマリーナの直ぐ近く、少し目立たない場所に有るけど美味しい拉麵を提供している❝らぁめん こもん❞です。
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らぁめん こもん
こちらは本当に目立たない場所でラーメン屋と認識できるのは木陰に隠れたラーメンの赤いのぼり旗だけ、決して大繁盛店ではなく知る人ぞ知る名店ですが金沢区や磯子区の地元民とベイサイドマリーナ勤務者には知られている御店です。

先(ま)ず2つの御店の位置関係を見てから御店の紹介、そして次に家系創業地や繁盛店共通店を歴史オタク視点で解説します。
では2つの拉麵店と周辺3つの観光拠点+α名所を地図で位置関係を見てみましょう。
※下の図をクリックして拡大して見て下さい。
位置関係
Googleの衛星画像の左手に❝杉田家❞、上部の右寄りに❝こもん❞が有りますね。
周辺に歴史史跡や商業施設も表示してあります。
さて、御覧の通りベイサイドマリーナや南部市場に非常にアクセスの良い立地に二つのラーメン店が有る位置関係は御理解いただけたかと思います。
次に各店舗を紹介します。
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ラーメン 杉田家
家系総本山吉村家直系1号店

【交通】
—電車&徒歩—
JR新杉田駅~徒歩03分。
京急杉田駅 ~徒歩11分。
— 車 —
専用駐車場無し。
周辺のコインパーキングを利用。
自己責任で路駐。
——店構え——
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——拉麺——
拉麺(並)+味玉
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——サイドメニュー——
御飯(まぶし)
御飯注文して「まぶし」と伝えると煮豚の端切れで牛丼風にしてくれます。
 +
チャンジャ(干鱈のキムチ)
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元々工場地帯の従業員に好まれて繁盛した吉村家創業地の地盤で客を引き受けている直系店らしく鶏油と醤油タレは調整出来る上に、豊富な鶏ガラと豚骨のスープはガツンと本当に美味い。
時間帯によってもガラの投入タイミングにより味が若干変わるので、好みを伝えて調整する域に成ると本当の通らしいですよ。
小生は深夜しか行かないので味は普通(少し濃い目かな?)で一貫してます。
歴史の解説に関しては後程行います。
こちらはシーサイドライン利用客なら八景島、ベイサイドマリーナ、南部市場全ての利用客に便利な立地ですし、車も車道に皆自己責任で路駐してますwww。

では次に、ベイサイドマリーナ近くにありベイサイドマリーナ職員や周辺工場のOLに人気だけどランチタイムしか営業しないから余り地元以外には知られていない❝こもん❞を紹介します。
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らぁめん こもん
※営業時間ランチタイムだけ。
【交通】
—電車&徒歩—
シーサイドライン鳥浜駅~徒歩03分。
— 車 —
駐車可能スペース若干有り。
直ぐ近くに横浜ベイサイドマリーナ
ベイサイドマリーナ~徒歩03分。
——店構え——
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——拉麺——
濱塩白湯 700円
 +
味玉 100円
 +
肉1枚 100円
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——サイドメニュー——
ランチごはん(ミニ肉めし) 100円
ランチごはんの食券を購入して「ミニネギめし」か「ミニ肉めし」かを伝えるとトッピングしてくれます。
ラーメンは麺は細縮(ちぢ)れ麵、スープはコクもあるけどクドくなく香りも良いので全部飲み干しても美味しい(笑)。
子供にも安心させて食べさせられる食べる人を選ばない美味しさのラーメン。
ベイサイドマリーナから徒歩圏内なのでフードコート飽きた人にはお勧め!
御店は一昔前の田舎のオシャレ崩れ食堂(笑)みたいな雰囲気だけど、御店主のオッチャンと店員のオバちゃん真面目な人で良き店。デート向きの雰囲気では無いけど店はいわゆる拉麺店よりくつろげる。

——こっから歴史や拉麺店繁盛理由の解説——

さて、御店の紹介はここまでにして、少しラーメン屋の立地を歴史オタク視点で解説します。
拉麺フリークは拉麺にしか興味が無い人が多いのですが、歴史オタクには地政学的に拉麺店の立地に興味が有ったり、歴史旅行の先でラーメンを食べる事を楽しみにしている人が多くいて、今回は杉田家=吉村家が繁盛した理由も少し解説したいと思います。
家系ラーメン発祥地と言えば横浜市磯子区新杉田駅前に嘗(かつ)て存在した家系総本山❝吉村家❞の最初の店舗なのを知る人は多いかと思います。

2023年03月、杉田からの移転先、横浜駅西口の鶴屋町交差点から2度目の移転をする事に成り話題に成ってましたねぇ~。
吉村社長は最早、横浜在来種の横浜拉麺を発展させた家系を作り上げ、拉麺業界の歴史人物と言っても過言では無いかと思います。

さて、その吉村家の最初の店舗の地盤は吉村社長の最も有名な直弟子の津村さんに引き継がれています。
正確に言うと、津村さんが開いた杉田家の前の道路を挟んで斜向かいの位置に元々は吉村家が存在していたのですが、横浜駅西口へ移転の際に現在の杉田家を吉村家直系最初の暖簾分けとして開く事を許されたのが杉田家でした。
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繁盛する店は勿論❝美味しくて当たり前❞、実は立地には戦国武将の城作りと同じ❝交通の要所❞や❝産業拠点❞である必要が有ります。
では杉田家に地盤を受け継がせた吉村家は何故繁盛したのでしょうか?
小生の理論が正しいか、少し一緒に見てみましょう。
もう一度、周辺地理画像を見て下さい。
位置関係
周辺に色んな史跡が表示してありますよね~?
では別角度で画像を見てみましょう。
杉田家周辺
実は杉田は徳川幕府で最初の鷹匠頭(奉行)を務めた2000石の大身旗本、杉田間宮家の陣屋(城館)が有りました。
その事は古参の読者さんは御存じですが以前紹介したことが有りますね~。
間宮家関連の記事は以下のカテゴリー「間宮家」の一覧から読みたい物を探して見て下さい。
もしかしたら皆さんの御近所にも紹介済みの場所が有るかも知れません。

※スマホで見た方が読みたい記事を一覧で表示出来るので探しやすいかも知れません。
笹下城や間宮家本家に関しては下の記事を読んで下さい。

杉田間宮家の菩提寺の妙法寺も以前紹介してますが、一帯は倭建神話の舞台でもあり、小生の見立てでは妙法寺の裏山の舌状丘陵は戦国時代には間宮家の詰城として要害化されていたと推測しています。
近代にも軍事的に重要視されて戦時中は高射砲の砲台が設置されていました。
実は陸軍や海軍は明治時代から戦国時代の城塞跡を調べさせて近代戦争に転用出来る地形を必死に探していました。
敗戦直前にも日本帝国軍に横須賀飛行場や横浜飛行場の防空/海防の防衛拠点の一つとして整備されて居た訳ですね~。
何故ここが重要視されていたかと言うと、それは優れた港湾だったからです。
戦国時代に武蔵国~相模国三浦半島一帯は房総半島の里見水軍により海賊行為で度々略奪放火されており、今の磯子区洋光台1丁目~港南区笹下~港南区港南の広大な範囲に及ぶ通称:笹下(ささげ)城の城塞群が築かれると里見海賊の東京湾久良岐郡側への略奪放火は治まりました、それが凡(おおよ)そ西暦1530年代の話ですね~。
里見家により鎌倉市街地が略奪放火され鶴岡八幡宮までも戦火で灰燼に帰した際も、横浜市南区の蒔田城主で北条家従属大名だった吉良家の吉良頼康公が鎌倉公方代理の権威で材木を集めさせ水軍で海運で運搬しました。
蒔田吉良家の事は下の記事を参考にして見てください。

それ等の材木は間宮家の属した黄備え隊の寄親(方面軍団長)で鎌倉復興の材木奉行を務めた北条綱成(つなしげ)公の代理として、間宮家が材木を集積させ鎌倉に輸送する貯木場に使われたのが、間宮家が支配した杉田湊(みなと)でした。

戦国時代の人物関係ついでに城と江戸時代の館跡が杉田家の近くには存在していた事を紹介してみた訳ですが、更にここは間宮家だけが重視していた訳ではなく、鎌倉時代にも杉田の中原地区の熊野神社は源義朝公が元々鎌倉時代に鎌倉の山崎に存在した泉蔵院と言う修験道の大寺院の支院の熊野社として開き、後に戦乱によって鎌倉の山崎に在った泉蔵院が本院としての機能を磯子区杉田駅近くの熊野神社に移転して来た場所でした。

水田が少なく耕作に向かない本来は農業生産力の低い杉田が重要拠点だったのは杉田が良港であり鶴岡八幡宮の直轄地=社領だった時代も有るし、北条家相模十四騎筆頭と呼ばれた間宮家の支配地として水軍の軍港だった歴史に裏付けでされた海陸交通上の立地の良さが現代にも受け継がれているからと言う戦略上の重要度が解って頂けたでしょうか?
ですから周辺には優れた水源地の有る港湾機能を利用して昭和の戦前戦中には軍事拠点、戦後には多くの大規模造船工場や家電製品や自動車工場が作られていたんですね。

さて、この段階でラーメン繁盛店が有る場所は略(ほぼ)、中世の御城の近所と言う話しに到ります。
つまり御城の有る場所は現代でも交通の要所だったり産業の拠点に成る訳です、すると多くの工場従業員やトラックドライバーやタクシードライバーをリピーターとして獲得出来るチャンスが大きく有る訳です。

吉村家も産業道路沿いの為、ネットの無かった時代に多くのトラックドライバーに口コミで全国へと噂を広げて貰え、尚且つIHIや日本飛行機や東芝の従業員がJR新杉田駅や京急杉田駅への通勤前、帰路寄って貰えて繁盛する足場を確保出来た訳ですね。
無論、肝心のラーメンが不味いと繁盛はしませんから家系創始者吉村社長のラーメンは今や直弟子数百人を数える程の従業員を育てて来れただけ美味しかった訳ですね。
因(ちな)みに港の話に少し戻ると、杉田家の近くの金沢区長浜地区は明治時代には未だ海で、東京湾に入港する貿易船の検疫を行う港が有りました。

そこに勤務していたのが野口英世さんで、世界で初めてペストを検疫で中国人船員から検出して日本へのペスト流入を防いだんですね。
まぁ、林文子前市長と厚生労働省はダイヤモンドプリンセスでの対応失敗して2020年にワクチン接種前の日本人をコロナ拡散の危機に晒した訳ですけど。

まぁ、そんな訳で実はラーメン店は交通の要所や産業の生産拠点の近くに有る方が繁盛しやすいんですよ。
さてさて、そんな訳で産業拠点の杉田駅や商業拠点の南部市場やベイサイドマリーナの近くにある拉麺店は、それ等の施設の利用客に便利な立地なので今回紹介してみました。

花粉症酷い季節、皆さん季節の変わり目ですから体調に気をつけて下されやぁ~。

では又、次のブログ記事でお会いしましょう~♪
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皆さんお疲れさま。
小生、とある資格の取得目指して週末は学校に行ってるのですが、学習時間足りずに冷や冷やしてましたが85点でとりあえず一つ目の科目合格してました~。
でも学習時間足りなくて、完璧に準備できた前半部分からの出題は全問正解でしたが・・・
科目の後半の半分つまり4分の1は正答率が70%くらい?
更に最後の4分の1は半分くらいしか正解してませんでした。
危なかった。
・・・で、毎日仕事しながら睡眠時間削り学習した自分を甘やかして良いだろう!と思い、数年ぶりにたい焼きを買って食べました。

今日(日曜日)は神奈川県立金沢文庫の企画展を見に京急で金沢文庫に行って来たのですが、あいにくと今日は雨でした。
旅する、大蔵経
小生は円海山の麓に住んでいるので金沢文庫に行くとなると、自転車なら30分くらいですが、面倒くさい事にJR港南台駅かJR洋光台駅までバスで一度行ってから、更にバス乗り換えて京浜急行上大岡駅に行き京浜急行に乗り換える必要が有ります。
・・・正直、電車より自転車の方が早い。
通勤で藤沢駅の近くに行くのも朝なら49分くらいでしたが、家からバス~根岸線~東海道線~徒歩よりも自転車の方が早いんですよねwww。
当然、家から金沢文庫行くのも自転車の方が早いのですが今日は雨なので20km以内くらいの近距離だと移動時間浪費するし人間の密集した空間が余り好きじゃない小生は電車とバスも好きではないのに今日は乗らざるを得ず、しかたなく好きじゃないバス&電車を楽しむためにポケモンGOを久しぶりにやりながら行ってきました。
金沢文庫に到着したら、駅前の❝すきや❞で鬼滅の刃フェアやってるの見つけて、御飯食べて無かったので特典欲しさに思わず入店してしまいました。

4月9日から刀鍛冶の里編が始まるので楽しみですね。
以前、鬼滅の刃の世界観を無理やり歴史事実で舞台特定や吾妻善逸の髪の毛の色が現実に有り得るのかを検証した事が有りましたが・・・


あ・・・そう言えば・・・他のキャラクターとか昭和以降に捏造された忍者のイメージは職業としては実在せず嘘だと言う史実の歴史公証もするとか言ったまま丸々1年間放置してた(笑)。
また書きたいと思います。
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ところで、すきやで苺ミルクのセットを頼むとステッカー貰えるって書いてあったので食べたのですが・・・
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正直、個人的には期待していたような物ではありませんが、小生より鬼滅の刃好きな人は嬉しいと思いますよ。
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小生は正直コレいらない(笑)。
姪も甥も鬼滅の刃には興味ないので、なんか勉強道具に張り付けておきます(笑)。
で、金沢文庫の展示の見学も済ませてまた面倒臭い上大岡駅まで戻って、久しぶりにデパ地下行って❝くりこ庵❞で鯛焼きを買ってみました。
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すんごい久しぶり、別に港南台にもあるんですけどね(笑)。
弘明寺の❝梅鉢流まみぃ❞で今川焼は良く買ってるんですが、鯛焼きは何故か数年間買ってなかった。
【くりこ庵 上大岡店】
暫く来なかったら、鯛焼きの餡も時代に合わせて色々と増えてるんですね~。
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何かカマンベールチーズとか、リンゴとか・・・
全部美味しそうでしたが、小生は、苺のあまおうのクリームと、シャキシャキりんごクリームを選びました。
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小生はシャキシャキ林檎クリームが本当に林檎がシャキシャキしていた個人的に好みでした。
くりこ庵は横浜市の御店で、市域南部の色んな所に有るので皆さんも是非試してみては如何でしょうか?

皆さん御察しだと思いますが、テストだったせいで週末はテスト後に同級生と居酒屋行って飲んで、今日は今日でお出掛け久しぶりにして電車バスで時間を浪費してブログちゃんと書く時間確保してませんでしたので、くりこ庵で胡麻化しましたwww。
来週は何か富士山の景勝地か歴史偉人の関与した余り有名ではない神社か御寺をを真面目に紹介したいと思います。

では皆さん、また明日から仕事も学校も頑張りましょう~!
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