歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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神奈川や訪問先の郷土史や歴史偉人、美味しい郷土料理、美しい風景をなんとな~く紹介するブログです。
皆さんが御自分の地域の郷土史や自然に興味を持ってくれたら嬉しいな~♪
…と、思って書いています。

写真・本文・構成・無断転用禁止!
関係先と小生の個人的な信頼関係で了解をとって記事にしているので、転載したい場合は当方へ確認願います。

3週間前にギックリ腰に成っちゃって、一時治りかけたんですが又やってしまいました。
椅子にも座れないので、ちゃんとPCでblogかけません。
今週はお休みします。
今はスマホでこれ書いてます。

今回は風呂場で普通に椅子に座った拍子に腰を痛めましたが、多分その直前にジムのアブドミナルと言う腹筋の器材でいつもより重い60kgでやった時に足を踏ん張る力が強すぎて股関節を痛めたみたい。
股関節~骨盤の筋肉痛めて全部腰椎をギュッ!と引っ張ってしまってるみたいです。
治りかけで又ジムに行ってプールで歩いたり泳いでみて問題なさそうだったので、翌日にランニングしたら足腰又立たなく成りました。

ベッド自作で畳しいた物なんですが、敷き布団の下にマットレスも買い足して、週末ずっと寝たまま股関節ほぐすためブラブラ足を動かしたり、両膝を左右に倒して骨盤と股関節の位置調整してたら大分と楽に成りました。

以前、空の段ボール箱を取ろうと前屈みに成っただけでギックリ腰に成った事もありますから。

姿勢次第で発生するみたい。
座ってる様な姿勢、やや前傾で股関節を踏ん張り過ぎるとギックリ腰成りやすいのかな?

皆さんも、ギックリ腰には本当に気を付けてください。
では!

Twitterで朝日寺サンと言う志田峠に在る御寺の方に武田家vs北条家の大合戦、三増峠合戦の経過を時系列で話す機会が有ったので、そのツイートを画像に切り取って転載しときます。
    武田軍       北条軍
武田菱vs 三つ鱗紋
兵力  20,000                  20,000

死傷    1,000                    3,000
武田信玄が北条家の息子達を翻弄し、北条家も局地戦で黄備え玉縄衆大将の地黄八幡北条綱成公が活躍した合戦なのに結構、歴史ファン入門くらいだと知らない人も多い名合戦なんだけど。
因みに話題に登場する主要人物紹介。
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ゲームの武田信玄⤴
肖像画の武田信玄⤵
武田信玄

北条氏康
ゲームの北条氏康公⤴
肖像画の北条氏康公⤵
北条氏康公
北条氏政
高嶋政伸サンの北条氏政公(笑)
丸に三ツ鱗紋玉縄北条家

隅立て四ツ目結び紋間宮家
蔦の葉紋臼居家


では以下Twitterからの転載です。
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今回は歴史じゃなくて御店の紹介です。
・・・と言うか歴史解説とか書くの今日は面倒臭くて(笑)。
代りに未だ紹介していなかった(紹介したくなかった)小生の行きつけの野毛の美味しい居酒屋サンを紹介したいと思います。
小生のブログを以前から読んで下さっている方は御存知の方も多いのですが“小生は御酒が嫌い”なのでもっぱら食べる派です。
ですから本当に料理が美味しい店にしか定着しません。そして横浜市立中央図書館に調べ物に来る度(たび)に野毛の飲食店を少しづつ開拓しているのですが、見つけてから海外からの友達と行ったりお気に入りに成った御店が今日紹介する“宮崎地鶏料理”の御店です。

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炭火焼げんこつ(宮崎地鶏料理店)
店構えは日本の比較的新しいオシャレな居酒屋風です。
アイドルタイムに行くと満席で入れない事が多いですから、少し早めに行った方が良いかと思います。
写真撮影当日は開店直後一番乗りの日だったので店内の撮影許可を頂けました。
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カウンターの左手にガラスの仕切りが有りますが、これは火で炙る際の火力が強いので御客サンに配慮しての事でしょう。
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日本酒と焼酎、御酒飲まないので良く解らないです(笑)。
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文字通り炭火焼で料理を提供して下さるのですが、焼肉屋みたいに自分で焼く訳ではありませんよ~。

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こんな感じで宮崎地鶏を一口大に切った物を直火で香ばしく炙って提供して下さいます。
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肉がブリブリして味も濃く本当に美味い♪
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タタキも最高に美味いですよ!
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串焼きや炙り系の料理以外に、このモツ煮も日本料理が苦手な外国の御客サンも美味しいと絶賛してましたね。
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日本人の小生が美味いと思うのですが、東アジア諸国の人達の口にも合う様です。
特にこの時には親しい中国の人と行ったのですが、田舎の味に似てるとまで言って喜んでいました。小生的には本当に美味しい“日本のモツ煮”なんですが(笑)。
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他にも鶏卵で鶏繋がりと言う事でチーズオムレツとか・・・
焼き鳥の類も充実してますよ!
あと写真のリザーブがないのですが、この御店のオススメに“レバテキ”が有ります。

本当に美味しい店なので、野毛山動物園デートの帰りとか、みなと未来21地区デートの後の夕食にちょっと足を延ばして来てみるのも良いかと思います♪

では!又、次の記事で御会いしましょう~♪

お盆休み、まだ尊敬する北条綱成公の御墓参りを済ませていなかったので、菩提寺の龍寳寺に御佛前に供えて頂く御菓子を購入して伺った。
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龍寳寺は巨大な玉縄城址城塞郡の一角である鎌倉市植木に“現在の境内”がある。鎌倉市と謂(い)えども略、大船なので小生の自宅からも車で近い。
城跡だから寺の在る谷の山裾は全て裾切りされた城壁石垣より強力な防御壁となる断崖絶壁の切岸に囲まれている。
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元々は山上の栄光学園一帯が旧境内地だったのだが、儒学者で徳川家六代将軍の側用人だった新井白石が玉縄領主に成った際に龍寳寺を現在の谷間に移して今に至る。つまり昔は龍寳寺は山頂にあり非常時には砦の詰所の役割も担っていた訳だ。
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山門横を車で通り過ぎ、庫裏(くり)=現在の僧侶の居住区兼事務所前の駐車場に車を停めて、御本堂の御釈迦様に御参りしてから数年前に御本堂の横に移設された歴代玉縄北条家の御廟を御参りし綱成公達に御盆の御挨拶と近況報告を済ませた。
駐車場前の花園の黄花秋桜(キハナコスモス)がとっても美しかった。
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大将の北条綱成公と副将の間宮康俊公が統率した“玉縄衆”は、軍団の前身が“北条五色備え”の内の“黄備え隊”で、統一された隊旗が朽葉色=黄色地に“八幡大菩薩”の御神名を染め抜いた馬印(うまじるし=部隊識別シンボル)だった。
正にキハナコスモスの色がそれだな。
丸で綱成公や康成公を御盆休みに御迎え見送るのに合わせて咲いている様に感じた。
庫裏に御住職を訪ね御盆の御挨拶をし、御佛前に供えて頂く“葡萄餅”を御預けし少し雑談をしてから車に戻った。
柏尾川沿いの道を栄区方面と反対の江ノ島に向かい下って行った。
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実は今週半ばから酷いギックリ腰で昨日まで立ち上がるのも辛かったのだが、少しだけ足を引き摺(ず)り歩ける位に回復したのと気分が暗かったのも有り、殿様に近況報告してから海にリハビリを兼ねて散歩に行くつもりだった。午前中は背を伸ばして立つ事も困難だったので、まだ整骨院にも行ってない。
午後に調子が良くなり、龍寳寺参り&七里ヶ浜散歩を決めた次第だ。
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夏なので鎌倉の海岸沿いは渋滞激しく流れない。
なので、止まる度にゆっくり風景を見る事が出来た。
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スラムダンクの踏み切りは今日も観光客でいっぱい。
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程なくして七里ヶ浜に到着。
台風で砂浜が又、流出したと聞いて確認を兼ねて気分転換の散歩に来た。
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このMAINと言う御洒落(おしゃれ)なレストランは以前も紹介したが、ロケーション良く窓側の席だと秋冬には江ノ島と夕陽と七里ヶ浜と富士山を一編に眺めながら食事が出来る。
このレストランの横に公共駐車場があり、今日もそこに車を入れた。
関係ないけど、渋滞に巻き込まれ運転時間長引いてる間にギックリ腰が又悪化して、この写真撮影してる頃は既に痛くてマトモに歩けていない(笑)
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思ってたより“砂浜の後退”が激しかった。台風で砂浜が流出し遊歩道の橋脚が露出する事態が発生中。渡れない。
でも、これで小生は文字通り“自然だな”と感じた。
実は1990年代には砂浜は幅はもっともっと有り海水浴場も有ったぐらい。しかし2004年に海水浴場は閉鎖し更に昨日は御覧の通りだ・・・
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・・・遊歩道の橋脚は砂が流出し人が歩けない高さに取り残された状態成っており、砂浜は手前の鎌倉寄りで幅“10m”を残すのみ、奥の江ノ島寄りは“最早、砂浜が消滅”した状態だった。
小生は“これが自然”だと思う。
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稲村ヶ崎は新田義貞が鎌倉幕府攻撃の際に奇襲をしかける突破口に選んだ場所として歴史の授業でも習う。
超有名な観光地。
そこの砂浜が反日バンドと化したサザンオールスターズの“稲村ジェーン”の舞台にも成っていた。
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しかし、この間の台風でゴッソリ砂が持っていかれた訳だ。 
水は海水も地下水も川の流路も、いくら人間が“盛土”したり“掘削”した人工的に改変した地形をコンクリートで固定しようとしても、容赦なく周りの砂や土から抉(えぐ)り取り元に戻ろうとする力を発揮する。
2018年と2002年の衛星写真を比較すると解り易いかも。
下の衛星写真、上段が2018年1月、下段が2002年8月。
七里ヶ浜~稲村ヶ崎2018年
右手鎌倉市側の稲村ヶ崎と、左手江ノ島側の小動(こゆるぎ)の砂の流出が特に顕著だ。
これ比較すると小動側の防波堤の形状も工事で変化が在ったみたいだから、波の影響で破損が酷かったのだろうか?
繰り返すが小生に言わせりゃ・・・
「これで普通」
・・・なんだな。
気象予報士のお姉ちゃんが知ってる自然なんて考古学から見たら短い観測期間しかない。
今の温暖化は普通に元に戻りつつあるだけでしょ?
余り知られてないが室町時代は小氷河期。実は最近まで“地球が冷えてる時期”だったて事だね。
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だから農作物も凶作ばかりなので、料の乏しい冬に成ると上杉謙信や武田信玄は地元の農兵を引き連れて、神奈川県や東京に来ては略奪や婦女子を拉致し奴隷として地元や地方で販売したり鬼畜な事をして越冬していた歴史が有る。
まぁ、生き残るのに人の物を奪いとらなきゃいけない地方が有ったんだ。今の日本は恵まれているね、まだ良くならなきゃいけないけど。
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地球が縄文時代の気候に戻ろうと“二酸化炭素の影響ではなくて”温暖化して行く“自然の力”は凄いね。
もう、こんなに砂浜が減った。考古学的な話をすると、だいたい日本神話の時代と比較して現在の平らな地域の海岸線は少なくとも12km位は後退してるから逆に過去の地震による隆起を考慮してもかなり内陸まで海に戻ってもおかしくないのかな?
由比ヶ浜なんかは15年で50m砂浜が無くなってるから、対応しなければ今後10年で33m海岸線が陸を侵食する。
1000年後は少なくとも3.3km。
それがどれくらいかと言うと・・・
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・・・江ノ島からだと藤沢駅の手前の石上・本鵠沼・柳小路辺りまで海没する計算に成る。無論、微高地は残るだろうね。
小生が思うに七里ヶ浜の砂浜の減少は河川の護岸工事で砂の体積が阻害されてる影響も大きいのだと思う。江ノ島の境川とか、七里ヶ浜の極楽寺川とか音無川とかの上流が住宅街にされてしまい、風化した鎌倉石の地盤から砂が運ばれなく成ってしまったんだろう。
鎌倉も材木座~大町辺りは平安初期にはまだ入江だった。
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それでも約1km程度内陸だっただけ。
つまり15年で50m侵食は比較的早い。人工的な河川工事は海岸部の地形に影響を与えやすいって事かな。
いつまでも自然の摂理で風化した砂が体積するのを阻害する河川の土木工事のままでは内陸まで“元通りの海”に戻るスピードを早くするって事。

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この稲村ヶ崎は数百年後には又、一部だけ海から顔を出す半島か島に成ってるんだろうか。
1000年後には茅ヶ崎市平塚市は大部分が海の底に戻ってんじゃない?
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砂浜は無くとも夕陽と江ノ島と海には癒され、ギックリ腰等で落ちた気分も少し晴れた。
帰り、元来た道を村岡方面~大船に抜け円海山の麓(ふもと)の自宅に戻ろうかと思いながら駐車場に戻る途中目にしたこの光景。
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往路は空いていた江ノ島方面に向かう下り車線が凄まじい渋滞。
鎌倉市街地を抜けて帰る上りルートに変更。
帰路、無性に京都拉麺のチェーン店の魁力屋の“唐揚げ”が食べたくなり、朝比奈方面の上郷側にある魁力屋に遠回りして夕飯を食べた。
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旨いんだよ、この唐揚げ。

ふむ、身体はまだまだ、気持ちも暗かったが、少し殿様と海と夕陽の御影で癒され楽に成った。
ちなみに、この時点で無理して歩いたので、もう腰が痛く高齢のお爺ちゃんみたいにビッコ引いて歩いてる状態(笑)。

夕陽さん、海さん(笑)、御釈迦様、江ノ島の弁天様、綱成公と玉縄北条家御一族の皆様に感謝を感じた午後だったかな?

では、今日の休日雑記はここまで~♪

2019年8月12日、最初は富士山に行こうかと思っていたが生憎(あいにく)と天気が安定せず雨と曇りを繰り返す微妙な天気だった。
国道16号に抜けてから大黒ふ頭に向かう横浜ベイブリッジの下層一般道路で川崎方面に向けて車を走らせ、一緒に山登りしようと計画していた同行者を鶴見まで迎えに行った。
雨の中富士山に行っても楽しくなさそうなので富士山には行かず、まぁ~丁度“灯籠祭り”が大山で開催されているので、昔は‟富士講”の一環で富士山とセットで江戸市民から信仰の対象で観光地としても賑わっていた大山に行き先を切り替えた。つまり大山講に旅を切り替えた。
大山については以前も解説しているので御興味の有る方は以下の過去記事を読んで下さるとどんな場所か少し判ると思う。
これクリック⤵
大山阿夫利神社と灯籠祭りの夜景と参道温泉街
…伊勢原市。

大山は縄文時代から聖地化していて山頂からは古代の祭祀遺跡も発掘されている。今では夏の灯籠祭りの期間の夜景と秋の紅葉が、ハイキングファンと神奈川県民に知られる場所だ。
お盆休みで商務車両が少ないせいか道路はスムーズに流れ、神奈川県伊勢原市の丹沢大山国定公園まで1時間40分程度で到着した。現地に到着すると最初に昼食を食べに行った。
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東学坊
小生のブログを以前から読んで下さっている方々は存じ上げてるが、大山の参道には江戸時代以前からの“先導師(せんどうし)”つまり伊勢神宮で言う所の御師(おし)に対応する神職僧侶兼ツアーコンダクターの様な仕事をやっていた方々の宿坊(神社寺院機能の有る旅館)が昔と比べて相当数軒数は減ったものの現在も営業しており、その何(いず)れも大山の天然水を利用した名産品の“大山豆腐”の豆腐懐石や猪肉料理を提供しており食事や日帰り入浴だけの客にも対応して下さる。
小生や東学坊と元滝と言う二軒を特に好んで利用するのだが、今回は日帰り湯にも入りたかったので東学坊で昼食をとる事にした。
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宿坊だから外観内装は完全に個人経営旅館。
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玄関に入ると池の奥に神棚の備え付けられた部屋が有る。これが普通の旅館では無くて修験道の聖地だった大山の名残り。昭和初期まで大山にはケーブルカーなんて無かった。江戸時代は小田急線伊勢原駅も当然無かったので、登山客は江戸方面からずっと歩いて来るので当然ながら大山の宿坊に1泊する訳だが、神職や僧侶でもある先導師を兼ねる旅館のこの様な部屋で登山の安全祈願をして貰ってから山に入る訳だ。
昼間、この東学坊は収容客数が50人位の広間がレストランとして営業している。
ここの料理は和食でも豆腐が中心になるので、だいたいの外国からの来客でも安心して食べられる料理が多い。
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とにかく、この豆腐がそこら辺の豆腐屋の豆腐とは全く文字通り格別!本当に美味しい!
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注文したのは“香の膳”と言う3680円位のコースで、そこに入浴料金も含まれているので御得。
一人では注文できないので、単独行動大好きな小生も普段からしょっちゅう食べてる訳じゃない(笑)。
ここで提供している超絶美味い豆腐は東学坊の御向かいの豆腐屋さんの商品なので購入する事も出来る。
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これね。
食事を終えてから東学坊の旦那さんに・・・
「今日は今から山に登るので帰りに御風呂入らせて頂いて宜しいでしょうか?」
・・・と一応事前に電話でも伝えていた御願いを再確認し許可を貰い、東学坊を後にした。
そこから徒歩で参道を歩いてケーブルカー駅まで移動。
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東学坊の前の不動明王様を拝んで直ぐ上の有名な御饅頭屋さんに移動。
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大山まん志"う本舗 良辨
この店の由来の良辨(ろうべん)と言うのは大山に深い関わりの有る高僧で、やはり大山一帯のみならず関東一円に影響を与えた行基大僧正の関わり深い東大寺の前身寺院出身の人物だ。
行基大僧正は神仏両方を大切にされ街道整備や修験道の神社や寺院を全国各地に整備し、東大寺大仏の造営を成功させた人物でもある。
この大山まん志"う本舗 良辨が何故に良辨和尚の名前を頂いているかと言うと、少し歩くと解かる。
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大山の緑と沢の御陰で散歩も涼しい。
昭和初期まで徒歩で大山を登って来た大山寺と阿夫利神社に向かう参拝客は宿坊で祈祷を受けてから、先ず、この近所にある良弁の滝で行水(ぎょうずい)つまり禊(みそぎ)をして体を清めてから山に入る。
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良弁滝
まぁ~ここまで歩いて来たら汗だくだし、草鞋(わらじ)なんてビーチサンダルみたいに歩けば足も汚れるしね。
今ではここで滝に打たれる人を見る機会は無いと思うが、皆も大山に登る前にはココに立ち寄って拝むか手を洗う位して昔の人の気分を味わうと良いと思う。
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旧道~ケーブルカー駅迄(まで)を歩き進めると昔の雰囲気を残す街並み。
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途中には土産物屋や宿坊や懐石料理屋が沢山あって旅館街の雰囲気を残す。
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大山観光電鉄株式会社 大山ケーブル駅
今回、大山に予定地を変更したのは“灯籠祭り”に合わせて、この大山ケーブルがPM:20:30まで夜間営業をしているから夜景を見るのも一つの目的な訳だ。もし大山の夜景を見たい人は今年は今月15日まで、後は秋季の夜間ライトアップまで暫くチャンスはなくなるので時間と期間を上の大山ケーブルのホームぺージリンクから確認してから訪れた方が良いと思う。
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ちなみに現在のケーブルカーの車両は2016年に新しく成った物で、風景が見やすい窓が大きくとられた設計に成っている。屋根の方まで見えるので、下りの時に伊勢原~平塚~相模湾の夜景が良く見える。
確か2016年の鉄道のベストデザインかなんかも受賞している。
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大山阿夫利神社下社
先ず到着して御朱印を頂いた。まだ令和元年の大山阿夫利神社の御朱印を頂いていなかったので。
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因みに、この大山阿夫利神社下社の場所は江戸時代までは御寺で、今は山の中腹に移動した大山寺の不動堂の大きな御堂が存在した。そして阿夫利神社は山頂本社の事を指し昔は石山権現大山阿夫利神社と呼ばれていたのが本来の名前だった。大山は湧水の有名な場所なので、古来水辺に祀られた不動明王が鎮座していた訳だ。現在の大山寺は来迎院と言う支院だった。
今回は先ず、大山阿夫利神社まで行き山頂まで登山しようと思っていたのだが、日没時間18時39分に対して、この時既に16時30分、少しゆっくり街並みを見過ぎて山頂まで往復登山すると下山出来ない時間帯に成ってしまった。
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なので先ずは予定変更し見晴台まで行く事にしてハイキングは縮小。
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何故見晴台方面に行ったかと言うと、そこに行く途中に滝が有るから。
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二重滝(ふたえのたき)
この二重の滝も良弁滝と同じく、昔は阿夫利神社の参拝客が禊の滝行を行う場所だった。
二重の滝と日向薬師位置関係 久良岐のよし
衛星写真で位置関係を見ると良く解るが、大山の北東には津久井方面へ抜ける古道が通り、戦国時代には街道を押さえる扇谷上杉家の七沢城が存在した。
ここの街道周辺の山中に洪水の影響を受けない山道の中継拠点として重要な聖地を整備して廻ったのが行基大僧正だった。だから大山も良弁サンが関わってる訳だ。その古代の聖地の大山と行基大僧正が開いた日向薬師を結ぶのが見晴台の山道であり、そこを経由して大山を参詣する人が禊をする場所が二重滝だった訳だ。
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現在二重滝の横には二重社と言う御社が有るが、本来、ここには徳川家光公が建てた同規模の別の名前の神社が存在した。
下は二年前の春に登山した時の写真だが二重社の場所に在った“龍神堂”。
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現在は明治時代に成立した国家神道から自然崇拝や神仏習合の弾圧の対象にされたので破壊を避けて大山寺(来迎院)に避難移築されている。まぁ、そんな歴史も有るが現代では又、神社と御寺がどこでも仲良く江戸時代までの様に平和に共存しているので、敢えて昔の事を書いて説明しておこうかな。
二重滝と二重社から歩いて暫くすると見晴台。
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二重社~見晴台に向かう途中・・・
「パキパキッ!」
・・・と大きい音が移動しながら近づいてくるので・・・
「熊だったら不味いな。同行者いるし。」
・・・と思って目を凝らして見たら鹿軍団の行軍だった(笑)。
鹿サン達と出会ってから数分で見晴台に到着。
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丹沢山系の向こうに旧高座郡の海老名市や大和の町が見えている・・・はず。
見晴台で休憩してから今度は大山阿夫利神社下社に戻り、休憩茶屋の“さくらや”の下の女坂参道を降りて真反対の大山寺まで登山道を降りた。
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途中で大山ケーブルカーとすれ違い。
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残念ながら時間的に御堂の中には入れなかったが、2年振りに参拝出来て良かった。完全な登山も出来なかったが女坂を歩いた事で同行者も大山の雰囲気を知る事が出来たと思う。
そこから大山ケーブルカーの大山寺駅に移動し、ケーブルカーで再び大山阿夫利神社に移動。
丁度、ライトアップが始まる時間帯に合わせて。
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石段を登る。
この両脇にも明治時代に神仏習合文化が弾圧されるまで、沢山の神社や御寺と宿坊が建ち並んでいた。
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日没時間が迫り灯籠が浮かび上がり始める。
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夕方の彩雲と一緒に月と街の灯も浮かび上がり始める。
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う~ん綺麗!
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月も出て良い具合。この夜景を是非とも皆さんにも見て頂きたい。
ブログを書いている本日は2019年08月14日、まだ明日15日までケーブルカー夜間営業と灯籠祭りの開催期間なので、東学坊はじめ参道の豆腐懐石料理店と合わせて行けば、家族連れにもデートにも最適♪
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夜に成り社殿の前の笠も可愛くライトアップされていた。
山を下りて御風呂に入って帰る為にケーブルカーに戻る。
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途中も参道に地元の小学生や中学生が手作りした灯籠が並べられていて綺麗だった。
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そして新ケーブルカーが本領を発揮する。
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上部天井まで切れ込んだガラス窓から望む伊勢原市の町の灯り、そして運転席からは線路沿いもライトアップされていてとても綺麗。
更に参道も綺麗なんだな。
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灯籠祭り期間は参道の道上と各宿坊と御土産物屋サンがそれぞれ絵灯籠を並べていて凄く日本的な風景を演出して下さっている。
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ね、綺麗でしょう?
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途中、御土産に豆腐と対を成す水を利用した名産品の蒟蒻を購入した。
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で、暫くまた参道の風景を楽しむ。
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ここは灯籠祭りの灯籠の展示会をやっているのだが、少し前まで宿坊として営業していたので旅館の風情ある感じが楽しめる。無料で中に入れるので、立ち寄ると良い時間を過ごせる。
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小生達は御風呂入る時間があったので、今回は入口からだけ見学させて頂いた。
東学坊に戻る。もう宿泊客の皆さんは入浴済みの時間帯だったので貸切状態で内風呂に入る事が出来た。
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小生だけだったので写真撮影させて頂いた。
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脱衣所はこんな感じ。
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まぁ、個人経営旅館なの御風呂の規模は大きくはないが、大山の水の沸かし湯でとっても肌に良い。
連れは御湯の質にとても満足してくれた様で良かった。
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連れが出て来るまでサイダー飲みながら玄関で茣蓙(ござ)に座って待つ。
この入口の衝立(ついたて)の裏に江戸期と現代の大山の絵図が掲示して有る。
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江戸期と比較すると明治政府の宗教改革時に大分弾圧されてしまった事が解かる。
源頼朝公が参詣して以来、歴代将軍が大切にして来た場所で江戸時代も徳川家康公や徳川家光公等に大切にされて来た場所なのだけど、明治政府の唯一の失敗である宗教改革で大山は神社も御寺も激減してしまった。
でも今でも宿坊や御土産物屋サンが建ち並び、空気も綺麗で山登り、秋には紅葉狩り散策しても楽しい。また秋に来ようかと話して、車に乗って連れを横浜市の端っこまで送り届けた。
そこから小生の住む円海山への帰路、横浜ベイブリッジと首都高速湾岸線の一部区間の下層部分に一般道路が存在している事を知らない人も多いと思い、Twitterで帰路ドライブの様子を撮影して見た。
栄区・金沢区・磯子区辺りから川崎方面に下道で行く時はこの道を通った方が早い。
川崎大師もこの道で行けば高速使わず行けるので便利。

まぁ、そんな感じで大山の夏を堪能できた。
では又、次の記事で!

2019年08月03日・・・
午前中ゆっくり色々と用事を済ませてから昼過ぎに夏らしい事をする為(ため)に車に乗り込み自宅を出発した。
本来は同行者がいるはずだったのだが、先月末に別の予定で急遽休みを調整して貰ったので3日は1人行動に成ってしまった。
目的地と言うのは、まぁ海だ。
神奈川県民でも余り知らない場所だが‟知ってる人は知っている”と言う位の知名度だが、とても綺麗な穴場の海水浴場だな。
今迄も過去記事で海水浴スポットをいくつか紹介して来たが小生がゆっくりしたくて泳ぎに行く場所を全部教えたくなかったので(笑)今まで紹介記事を書いてなかった。

そんな訳でとりあえず横浜横須賀道路に乗った。
先ずは何も食べていなかったので腹ごしらえに間食をしようと横須賀PAに立ち寄った。
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横須賀PA(下り)
※東急建設に因(よ)る瀬上沢西側と上郷深田遺跡の破壊開発計画に加担する様なGoogleMapの東急建設への協力ともとれる地図からの上郷深田遺跡や瀬上沢の蛍生息地の地点登録削除事件も有ったが、結局GoogleMapが一番優れているのでブログでは使って行きます。面目ない。
横須賀の銘菓と言えば“ふじみや”の‟梅どら”が真っ先に思い浮かぶのだが、残念ながら販路を拡大していない個人経営の菓子店なのでPAの様な場所では販売していないのだが、横須賀には“よこすか焼き”と言う美味しい“どら焼き”に似た物が有る。とりあえず、それとタコ煎餅を購入しエナジードリンクを飲みながら食べて腹を誤魔化した。
そして再出発。
この時既に14時位。三浦半島の御土産に直売所で西瓜を買うなら直行しないと遊んでからでは間に合わない時間帯だったので、先ずは小生お気に入りの農作物直売所の“ザ作兵衛”に向かう事にした。
ザ作兵衛は三浦縦貫道路を通ると三浦市に着いてから横浜方面に別の道を逆走しないといけないので、先ずは佐原インターで高速を降りてから野比を経由し津久井浜~三浦海岸と海沿いの下道を通らないと辿り着けない。なので佐原で降りてユックリ海岸沿いをドライブしながら三浦に向かった。
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ザ・作兵衛
ザ作兵衛に到着。
ここはもう10年近く通い続けてる石井農園さんの直売所。他にも高梨農園サンでも買う時も有るが、小生は海沿いの道が好きなので作兵衛に来る事が頻度的には多い。
マスコットの様な御祖母ちゃんが看板娘を勤めていたのだが数年前に骨折してから売り子は引退し、今はオカミさんと若奥さんが店番をしている。
小生の事を良く覚えて下さっていて、太ったり痩せたり物凄く体重変動が有るのに毎年色々と雑談したり余ってる野菜をサービスで少し付けて下さったり御世話になっている。
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で、三浦ブランドのシールが貼られている西瓜は御土産としても皆から喜ばれるので1000円の中玉を3つ購入したら今年も「いつもありがとうね~」と言いながら小生の拳よりもデッカイ巨大トマトを3つサービスで頂いてしまった。
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西瓜も丁度、若旦那が持って来た所だったので・・・
「美味しそうなの選んでください~」
・・・と小生が御願いしたら快く、念入りに厳選して選別して下さった。感謝。
後日談だがこの記事を書いている本日4日、姪っ子達と同行予定だった者に1個づつ御裾分けして自宅で1つ自分でも食べて見たが、今年食べた西瓜でやはり一番美味しかった!
石井さん、ありがとう!
そこから目的の“海水浴場”を目指して再出発。
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三浦の農道の風景はいつ見ても綺麗だね~♪飽きないよ。
小生が作家さんとかで場所を問わず仕事出来るなら三浦で生活したい。
農道と畑と森林の先には東京湾と房総半島か、もしくは相模湾と伊豆半島と箱根山系と富士山の風景を楽しむ事が出来る。
この時行く海水浴場は民宿も数軒ある昔ながらの大正昭和の雰囲気を留める良い海水浴場。
位置的には東京湾側なので、この写真の農道の先にも東京湾の海と房総半島の鋸山が見えている。
向かっている海水浴場の名前を明かすと“大浦海水浴場”と言う小さな湾だ。
バスも無い上に農道が入り組んでいて小生みたいに地図丸暗記してる人間でもないとカーナビが無い時代に行くのが難しくて、平成の最初の頃には少し寂れてしまったが最近、又少しづつ旅客が戻りつつ有る場所だ。
ザ作兵衛から暫く車を走らせ15分くらいだろうか?到着。
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駐車場の花壇越しに見る東京湾と鋸山の風景。
うん、夏だね♪
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駐車場から見下(お)ろすと漸く砂浜が現れる。
岸壁に隠れる様に存在する大浦海水浴場の風景はとても美しい。
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大浦海水浴場
・・・と先ずは大浦海水浴場で遊ぶコスト的な事を解説する。
駐車場は1日2000円、横浜中華街とかの駐車場より少し安い位。
駐車場を利用すると海の家の割引券が貰える。
駐車場利用者なら海の家は1人1000円。更衣室やシャワー料金も含まれる。海の家は2軒有るので便利だし、食事も出来る。
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小生は今回は北風丸サン。GoogleMapに登録無いのでリンク貼れないけど、多分、ネット検索すれば出ると思う。
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海の家だから法律の規制で常設不可能、なのでシーズンが終われば解体して保管できる構造に成っている。けど十分くつろげる。
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茣蓙(ござ)に“かき氷”の暖簾(のれん)、砂浜に海に山。なんとも日本の大正昭和の夏っぽい風景が嬉しい。小生は最近、由比ヶ浜や逗子に増えている様な音楽鳴らして騒いでチャラチャラした感じのクラブまがいの海の家を好ましく思わないので、家族連れでも安心してくつろげるような、こんな和な感じの海の家の方が好ましく感じる。無論、それは個人的な感想。
北風丸さんにカバンを預けて、スマホを持って先ずは海岸を散歩した。KIMG1529
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う~ん夏だね~♪

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この砂浜の奥に見えている岬の岩礁の方まで散策して来た。
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途中で木道が敷設(ふせつ)されていてもっと奥まで行けそうだったのだが・・・
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・・・北風丸にクロックスを置いて来て裸足でここまで来てたのでこれ以上先まで行くのは足元険しくなりそうなので引き返した。
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そして昼食をちゃんと食べていなかったので北風丸サンで“まぐろステーキ”を注文した。
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アレだな・・・
ステーキと書いて有るけど焼肉のタレ的な味。これはこれで御酒飲む人には良いツマミに成るだろう。
鮪の肉はとても美味しかったし、多分、三浦野菜のプチトマトがとても美味しかった。
この後、1時間くらい海水の中で泳いだり歩いたり半身浴したりユックリ時間を過ごしてから、この直ぐ近所なのに一回も行った事の無かった“近代要塞遺跡”に移動したのだが、そこに辿り着くのが少し大変だった。
訪問したのは遺跡だが、畑の中に突然現れる円形のコンクリートが砲台の遺構。
下の写真の“剱崎砲台跡”だ。
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剱崎砲台
ここね~、車で来る場所じゃないよ。
事前に地図見て舗装されてる道みたいだから凄くクネクネした農道みたいだけど「問題ないかな?」とか思ったら甘かった。三浦の地形良く知ってるのにナメてた。
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もうね~、そりゃ北条家が新井城に籠もる三浦勢を攻め落とすのに4年かかる地形なんだよね~。
城郭ファンにしか伝わらない表現だと思うけれど断崖と細い尾根と谷が連続する、天然の空堀と曲輪だらけ(笑)。
当然ながら農道も武者走り位細い。
・・・なので小生の車は横幅が狭いのだけど、砲台に辿り着くまで農道脇の枯れ枝でミラー擦るわドアー擦るわ悲惨な状態の上に、対抗からバイクや農業用のトラクターでも来たら完全に詰(つ)む状態だった。すれ違い何か出来ない。もうタイヤ2個分くらいで断崖にゴロゴロ車両もろとも転落して新聞記事に乗る(笑)。だからバイクの人しか来れないんだよな~。
そこに横着して車で入って来た小生は阿呆だな。
幸い、近くの第2砲台も見たら・・・
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・・・その近くに農作業車両の転回場所が有ったのでUターンして戻って来れた。
でも、この時既に日没も迫って薄暗くなり始めていたので戻り道は更に谷に落ちないか緊張感ハンパ無かった(笑)。
無事に?三浦氏の天然要塞(笑)を脱出して現代のアスファルト舗装の道路に復帰して、もう一つの目的地を目指した。1年振りの訪問かな?
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真直ぐ1.5km伸びる農道の先に夕陽が落ちる綺麗な場所。
以前にも紹介した黒崎だな。
以前の紹介記事
神奈川県内屈指の富士山遠望の景勝地・・・
黒崎の鼻は戦時中の要塞跡で米軍飛行場計画跡地

※タイトルクリックすると記事に飛びます。
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黒崎※三崎口駅前に真直ぐ延びる岬の農道
行って見たい人は京急で三崎口駅まで行って徒歩5分くらいで上の写真の道に辿り着くので電車が良いと思う。
黒崎
位置的にはコンナ感じ。
先に紹介した記事でを見て貰えると解るのだけど、ここは本来は冬に来た方が綺麗。
でも夏でも十分綺麗。
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この農道を真っすぐ進むと岬の先端、“黒崎の鼻”に辿(たど)り着くのだが、夏はもう秘密基地の様に藪に行く手を阻まれて入口が普通の人は躊躇してしまう状態。
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こんな感じに成ってる(笑)。
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もうプチ探検隊。
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臆せず進むと冬と違い富士山は見れないけど、夕日の綺麗な丘と相模湾を見る事が出来る。
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こんな感じね。
すっごい綺麗なのさ。この時は一人で来たので少し寂しい感じの夕陽に見えた(笑)。
そこで漢詩が思いついたので一首詠んで見た。
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題名:黒崎から太平洋を眺める

独来三浦俯大海
君不在此風潇潇
有花草香波鼓声
夕陽落岬萌似火
此刻依然午热同
遠望太平養生長

久良岐のよし作る♡
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まぁ2つの意味に成る様に仕込んでみてある。
遠望太平養生長は・・・
遠望太平=平和で有ります様にの願いと、遠く太平洋を望むの2つの意味。
同じ様に養生長には本来は“元気を出す”と言う意味なのだけど、そのまま“健康に長生き出来ます様に”の意味が有る。
冒頭は「一人で来て寂しいなぁ~」って意味だね。
読み下すと・・・

独来三浦俯大海
一人三浦に来たりて大海を俯す。
(一人で三浦半島(の黒崎)に来て海を見下ろしてる)

君不在此風潇潇
此(ここ)に君は在らず風瀟瀟
(一緒に遊ぶはずだった人がいなくて風がサワサワ吹いてるのが寂しく感じる)

有花草香波鼓声
草花の香りと波鼓する声有り
(夏の草いきれと波頭の岩礁に砕ける音が聞こえる)

夕陽落岬萌似火
夕陽岬に落ち火に似たり萌える
(落ちる夕陽に黒崎の岬が染められ燃えている様に鮮やかだな~)

此刻依然午热同
此の刻(とき)依然として午の熱に同じく
(夕方に成ってるのに真昼間みたいに熱いよ~)

遠望太平養生長
太平(洋)を遠く望み成長を養う。
(太平洋を眺めて元気を充電中ぅ~)

・・・みたいな?まぁ、小生別に漢文詳しい訳じゃないから間違ってるかもね(笑)。
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それから黒崎海岸を少し散歩して・・・

気分も落ち着いて「よ~し!」と成り。
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又、入口に戻った。
帰りに又、横浜横須賀道路のPAに立ち寄って夕食食べる事にした。
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横須賀PA(上り)
ここのPAは地味に三浦半島と鎌倉の特産品が揃ってて立ち寄る価値が有る。
この日は食べなかったが、横須賀海軍カレーパンなんか特に美味しい。
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食べたいのはサッパリした物だったので“三浦わかめ蕎麦”&“湘南ゴールドソフト”の神奈川縛りで夕食にした。
ワカメの香りがして美味しかったし、まぁ、そもそも立ち食い蕎麦も、ちゃんとした蕎麦も好きなので好物なのだが。湘南ゴールドソフトの方も果肉がシッカリ入ってて美味しかった。
外に出ると丁度、PAから花火大会の打ち上げ花火が見れた。
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結構大きく見えたのと方角的に横須賀港で花火大会が有ったのかな?
ついでに追加の御土産に鎌倉ハムのポークジャーキーを購入した。
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まぁ、何だかんだ、訪問先は少なかったし一人行動で寂しかったけど、良い息抜きに成ったかな?

では、今日の休日雑記はここまで。
ブランク有ったのに小生のブログ記事を読んで下さっていた皆さん、ありがとう。

では又、少しづつ書いてくのでよろしくお願いします~!





ホタルの事とか色んな人に会いに行ったり1ヶ月半ブログ更新しませんでしたが、更新ペースは緩めにしながら来週から又、歴史散策の記事を書いてみたいと思います~。
皆さんみたいに夏休みや御盆は関係無いので纏まった休みはありませんが、何だか更新していない間も過去記事を読んで下さってる方々が絶えずにいて下さった事を御礼申し上げます~。
年末に又新しい資格の受験もするので、更新出来ない日が有れば御勘弁下さい~。

更新しない日は小生のブログより面白い“うめごーるど”さんの街道歴史解説“車載動画”見てみてね~
これ南関東の人は自分の地元や知ってる何気無い商店街やバス停なんかが歴史的に凄い人と関わり有ったりするのを全く歴史興味ない人も一目瞭然理解出来て面白いよ~
これ⤵️
【原付で日光街道を走ってみた】
【原付で奥州街道を走ってみた】
【原付で甲州街道を走ってみた】

では来週の日曜日夜中に次の記事でお会いしましょ~♪

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七月雨乍晴
举头望天地
阳光穿云中
彩云萌风清
美哉君故郷

作:久良岐のよし
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7月の雨は降ったり止んだりして
頭を上げて見ると
日の光が雲の合間から差し込み
萌えて彩雲となり風も爽やかだ
君のふるさとは綺麗だね~。
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中国の知人の故郷の写真を見て一句詠んでみた。
※現代日本人だし教養無い小生の適当に詠んだ古体漢詩だから色々変でも気にしないでね。

まさかのblog復帰第一弾が自作漢詩でした。しかも朝早いのに寝不足確定。
まぁ~、週末に妹と友達と一緒に遊ぶ予定の時間を妹と友達が好き勝手に時間希望を変えまくり・・・
「何だかなぁ~(´。•ㅅ•。`)
・・・と思ってたら目が冴えて眠れなく成ってしまいました。
知人の故郷の写真が綺麗だったので一句詠んで見た次第。




最初に蛍の飛ぶ綺麗な写真と今の現地の様子を見て下さい。

瀬上沢の蛍
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蛍の生息する栄区上郷の瀬上沢流域西側も、東日本最大の世界遺産登録すべき上郷深田遺跡も消滅の危機に瀕しています。

問題はこう⤵
●そもそも上郷~港南台の自然は昔を100として既に30%に縮小している事。
東急建設は20haの緑地を残すと言う開発すれば以前の20%に更に緑地が縮小する事。
●円海山の範囲は金沢区~磯子区~港南区~栄区に及ぶ。
  1960年代と比較すると残存森林面積30%に縮小どころか更に縮小している事。
●そもそもの目的が環状4号線の渋滞緩和なのに環状4号線が片側1車線で意味が無い事。
東日本最大級のタタラ製鉄遺跡の上郷深田遺跡が開発計画では切土(削り取られて)で消滅させる事。
●横浜市最大最後の蛍の大生息地の瀬上沢流域の西側も調整池の建設で自然の川を消滅させる事。
●開発計画支持者は「東急建設が緑地保全をしてくれるから東急に任せた方が良い」と主張していますが、東急建設自身が開発計画説明会で開発開始後は緑地や瀬上沢の保全は横浜市に任せ、東急は行わない」と丸投げを宣言している。つまり開発して掘ってコンクリで川と遺跡を潰した後の自然保全は一切しないと言う事を言ってるのを開発賛成派は理解出来ていない事。
●上郷深田遺跡の完全調査も保護も東急建設は行う気が無く「合法的に開発します」としか答えないが、未調査地域にも遺跡が広がってると普通に考えられ文化財保護法に抵触する可能性が高い事。
●開発自体が東急建設にとって不採算事業である事。
●横浜市民は代替地として横浜港と本牧の再開発を提案出来る事。そちらの方が東急グループにとって有利な事。横浜市と国の政策にも合致する事。

以下、東急建設が配布した開発説明資料と地図画像で解説します。

【現在の開発計画】
東急建設破壊範囲瀬上沢ホタルと上郷深田遺跡
御覧の様に現存する森林湿地帯と横浜市最大最後の蛍の生息地域の瀬上沢の西側が削られ調整池にされてしまいます。
現段階で発掘された場所だけでも東日本最大の蹈鞴(タタラ)遺跡の上郷深田遺跡&上郷猿田遺跡の製鉄炉が集中する上郷深田遺跡は削られて無く成ります。

以前の写真と現在の写真、更に開発計画予定地を比較して見ましょう。
1960年代の円海山
1960年代の航空写真。まだまだ円海山の西側の上郷も緑豊かです。
2019年現在の円海山
現在では開発計画地点周辺だけでも既に円海山の森林が宅地化され大減少している事が解かります。
東急建設破壊範囲瀬上沢ホタルと上郷深田遺跡
更にこれだけ開発されてしまうと、もう円海山西側の自然が蛍や遺跡を抜きにしても潰滅状態なのが御理解頂けるでしょうか?

では掘削と埋立地の計画を見て見ましょう。
これは東急の開発計画の説明会で配布された資料です。

2019年時点の切土盛土計画断面図
ここに上郷深田遺跡や瀬上沢西側の蛍生息地の地名は一切登場しません。
深田遺跡掘削範囲
しかも❝2019年5月時点の計画で変更される可能性もある❞と東急建設が明記しています。
つまり、現時点で緑地を残すと言っている東側も「いつでも開発予定地に組み込めますよ」と言っている訳です。加えて、そちら側は横浜市に買い取らせようとしてますがソレさえ上手く行っていません。

ではこの開発する場所が本当に遺跡や蛍の生息地とカブっているのか「東急建設の用意した遺跡と蛍の生息地が表示されていないワカリにくい断面図」ではなくて衛星写真に表示して解り易くして見てみましょう。
2019年時点の東急の開発範囲
写真をクリックして拡大して見て下さい。
赤い線―が開発範囲。この森と遺跡と川が削られ商業地と宅地と公園と調整池と公園にされてしまいます。
青い線―が東急が用意した断面図のラインです。これを見て見れば遺跡の位置と蛍の生息地に丸カブリなのが一目瞭然ですね。
ちなみに下の画像で左側の蛍の生息地で今年多くの人が衛星で位置確認をしながら蛍を鑑賞して下さっていますので、「この画像の蛍生息地がデタラメだ」等と東急建設の上郷開発事務所担当者や横浜市役所の役人が林市長や筆頭株主の東急電鉄に報告すれば虚偽の報告に成ります。
この青い線と遺跡の位置を見た上で、もう一度断面図を見て見ましょう。
2019年時点の切土盛土計画断面図
下の断面図の黄色い部分が削り取られる場所、上の衛星写真と比較すると本当に遺跡の溶鉱炉部分やら現段階で発掘された部分の主要部が丸々無くなる事が解かりますね。

では次に、本当にココに遺跡が存在しているのか知らない人の為に遺跡の過去の発掘調査資料の発掘結果の位置を表示して見ましょう。
まず遺跡の発掘調査状況です。
第1期
深田遺跡調査1期
第2期
深田遺跡調査2期
これを現地の衛星写真と等高線図に重ね合わせて見ましょう。
2019年時点の遺跡の発掘箇所分布図
御覧の通り、先に衛星写真で見た遺跡の表示地点が遺跡出土地点である事が解かりますね。
部分的な発掘しかされてない今現在で既に周りの建物と比較して巨大、東日本最大規模で世界遺産クラスのタタラ遺跡である事が一目瞭然となります。
しかも!まだまだ隣の丘にも未発掘の遺跡が広がっている可能性が高く有ります。
山手学院側にも存在しているはずですが、山手学院は遺跡の発掘調査要請や保存、瀬上沢や円海山の緑地保護の活動団体には非協力的だそうです。
県立栄高校の方が熱心とか笑えるwww事に成っているそう。
加えて・・・
2019年時点の東急の開発範囲
この通り山手学院の方まで森林が伸びていますが・・・
東急建設破壊範囲瀬上沢ホタルと上郷深田遺跡
現段階の❝東急建設側だけの開発計画❞には含まれていませんが、山手学院の宿舎棟も再開発計画に含まれているとの事で、実際に不動産屋が視察に来ているのも瀬上沢基金の方々が目撃しています。
まぁ、そちらは既に自然がないので良いのですが、何となく非協力的な理由も見え隠れしますね。
運営は有隣堂が関わっているとか・・・
成る程、横浜市の地区センタ―や図書館の運営にも有隣堂が関わっているとの事を聞いた事が有りますので、昔は県の歴史等を出版していた有隣堂も今では不動産部門が横浜市や東急建設と連携して瀬上沢の蛍生息地や上郷深田遺跡破壊を容認している可能性も連想させてしまうエピソードですね。
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こっちの栄高校と舞岡上郷線を挟んで反対の上郷深田遺跡側の森は埋め立てられて消滅します。
湿地帯なので地下水をどうするのか謎ですが、昔、舞岡上郷線の建設時に産業廃棄物を道路に埋めた事を地元民は認識しているのですが、その舞岡上郷線を擁壁にするのが現在の計画です。
更に西側の川は川ごと掘削される&埋立られ消滅します。
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これで自然保護してると言い張ってる訳です。
因みに、過去、東急建設の説明会では賛成派に総会屋みたいな奴が動員されて「反対派がこの世から消えるのが自然保護」と「瀬上沢開発の反対はは死ね」と遠回しにいってる脅迫の様な発言をした事もあります。

実は開発計画以外に・・・
もう一つ深刻な問題が発生しています。
今現在、上郷深田遺跡の位置を確認したり蛍を見たい人が現地に行けない様にされる嫌がらせが組織的な規模でしか行えない速さで展開されています。
GoogleMap瀬上沢地図登録抹消現状
しかもGoogle mapで検索できない様に「瀬上沢蛍生息地」や「上郷深田遺跡」が削除されてしまいました。有志が何度も復元を試みましたが、毎回復元した地図登録が数十人単位のチームでしか行えない速度で削除されてしまいます。
の登録で文字が表示されない場所が何者かの「悪意で削除された」上郷深田遺跡や蛍の生息地の地名削除された場所です。今年、GoogleMapのナビ機能で現地に蛍を見に行くのに「お気に入り登録」された方も地点だけが表示されている状態のまま名前が非表示になっている筈です。
深田遺跡周辺、瀬上沢流域を破壊して造る調整池
こんな嫌がらせをする必要が有るのは「開発したい人」しかいないでしょうね。
ん~東急建設よりは横浜市役所かな?いやいや東急・・・www

まぁ、登録しなくても地図の座標でナビ機能が利用出来ますから、今回のブログにもYahoo!MapとGoogleMapのナビ機能を使える位置表示のリンクを貼って置きますね!
蛍が見れる場所!栄高校直ぐ下の瀬上沢
2019年現在蛍の生息地
栄高校の坂を下り切った場所が蛍の見える場所です。
画像左側瀬上沢の西側の木のトンネルは蛍を触れる距離で見れます。
画像右側瀬上沢の東側の森の方は高い位置に飛ぶ蛍を見れます。
yahoo map
 https://map.yahoo.co.jp/maps?lat・・・
●Google map
https://goo.gl/maps/bMKnCMMvQzg4GBX49
もし又、瀬上沢を開発したい集団のイヤガラセで上のリンクから蛍の生息地が表示されない場合栄高校の周囲の道の坂道沿いに下まで来てください
下りきった目の前の沢が瀬上沢です。
※2019年は7月位まで蛍が見られそうですよ!
さて・・・

こんな感じで2019年時点での東急側が用意した建設計画資料を使って(笑)彼等の現段階の計画のままでは神奈川が誇る世界遺産級の遺跡と蛍の生息する西側の瀬上沢が破壊される事が皆さんにご理解頂けたかと思いますwww。

あと追加で気に成る事が発覚しました。
放射能汚染土
横浜市は林市長と彼女の支持者の藤木企業の藤木会長が放射能汚染物焼却灰の受け入れを推進する発言を311東日本大震災当時話していましたが、それと無関係では無さそうですね。
実際に港湾地域にガイガーカウンター持って行くと放射線が普通より高いと、今日も港湾関係の知人に話を聞いたら言ってました。
このタイミングで瀬上沢を開発し、深田遺跡の森を“盛土”で埋め立てる開発計画を強行したい理由と、この放射能汚染土の問題の関連性を普通の人なら連想する様な出来事だと思います。
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この谷を11m近くの高さまで埋め立てるってのはナカナカの事ですよね~。
そして丘は遺跡もろとも削り取ってしまう。
因みに同時期に廃墟マニアに有名だった横須賀市の“田浦廃村”の谷の再開発も再燃しています。
そして最近は三浦市の小網代の森の横の蛍の谷が埋め立てられました。
・・・誰かガイガーカウンターで測った方が良い様な~。
なんせ横浜市内の放射能汚染土の一時保管されていただけの保育園の園児が同時期に2人白血病が発症した訳です。偶然とは思いにくい。

以前も書いたのですが、東急建設サンにとってこの瀬上沢開発は不採算事業な上に、既に芸能人にも知ってる人が広がりつつある訳です。横浜市民では当該地の栄区の総人口と同じ11万に及ぶ反対署名が集まっています。
一昨年までは東急建設の親分の東急電鉄さんの株主総会では瀬上沢開発計画は緑地を保護する活動と印象操作した動画広告を堂々と行っていたそうですが、昨年に凄まじい件数の反対署名が提出されると東急建設はその宣伝動画を東急電鉄さんの株主総会で展示しなくなったんですね。

小生が直接確認した訳ではないので「どことは言わない」ですが、小生達、横浜市や東急建設の強引な開発計画と説明会の不誠実な対応と日本規模の遺跡なのに横浜市全体に周知しない不見識さに怒った歴史ファンや瀬上沢西側にも蛍をずっと残したい人の中にも、まぁどことは言いませんが先方の職員もいる訳ですよ。
まぁ~市民の反感買いながら中国共産党の情報統制みたいな言えない事やってると大変に成るよ。
その内。

今年、蛍を見に来てくれた人は多かったですね。
ありがとうございました。
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ホタル3
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上郷深田遺跡の溶鉱炉跡の発掘時の写真。
上郷深田遺跡
※横浜市歴史博物館のページより転載。
https://www.rekihaku.city.yokohama.jp/maibun/qa/detail.php?seq=50
質問に曖昧にしか答えてませんが、鈴木館長は保護活動に協力しないと立場を明言しています。
上郷深田遺跡側の森
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さて本題に入ります。
瀬上沢と円海山の水源と森と遺跡破壊する開発を止めて市民の支持を得てIR事業と、みなとみらい線の延伸と本牧駅開設&A突堤周辺の再開発しちゃいなyo~♪
そしたら親分の東急電鉄サンが儲かるでしょ?
市長san~(笑)
東急建設上郷開発事務所の松尾san~鈴木san達yo~♪
・・・て事www。

今年の蛍の見頃は6月以降かも知れません。

或(ある)いは今年は少ないままの可能性もあり得ます。
現地を今年も昨日25日の20時頃に訪問して来ましたが東急建設が開発の後で“蛍を人口育成して移設する計画”の為に捕獲してるとの事で、天然の蛍は捕獲されて減っているのではとの事です。

昨日05月25日の夜20時位には6匹しか確認出来ませんでした。
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対して一昨年の様子⤵️
YouTubeの平野タカアキさんの動画ですが、例年ですとこの様に蛍がまとまって飛んでいる様子を観察出来る所が数ヵ所あります。
栄高校から降りて来て右手側の瀬上沢沿いの林とか、瀬上池側に向かう民家周辺の用水路化してる部分、それと鉄塔付近、更にもう少し奥に行った辺りに良く蛍がいます。
今年は5月25日時点では1箇所で2匹見れたら良いと言うくらいに減っています。
先日大雨も有ったのですが今年の気候の問題かは謎です。

異常に“今年だけ”“今の時期に”個体数が現時点では少ないです。大雨の後でも雨上がりに蛍は良く飛ぶんですよね。
毎年もう20年くらい見に来ていると言う御高齢の御夫人のグループも「今年は少ない」とおっしゃってましたので、地元の方々のおっしゃる通り蛍の養殖の為の捕獲しか理由が見当たらないのが現状です。

まだ市から建設計画未承認なのですが開発ありきで天然の蛍の捕獲と成育を開始してるんでしょうか、説明会でも写真で捕獲した蛍を飼育してる様子を解説してました。
天候要因であれば例年どおり増えていくし、東急建設の捕獲人口育成計画が原因なら今年は少ないままでしょう。
後から東急建設サンが放流しましたと発表する様な事が有るなら、それはやはり瀬上沢破壊後に作る人口川に放流する人口蛍育成の為の捕獲が原因と言う事かも知れません。

それと自然環境保全しているとの事でしたが・・・
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・・・上郷深田遺跡側の森の遊歩道は荒れ放題でした。
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途中で立ち入り禁止のロープや金網でもバリケードも貼られていました。
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しかし、こちらに関しては東日本最大のタタラ遺跡の上郷深田遺跡ごと掘削したり深田遺跡の森の広がる谷ごと埋め立て跡形も残らない計画な為(ため)に、まだ未認可なから「保全しても意味がない」と切り捨てられているのかも知れません。
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計画ではこの写真の深田の谷の森が全て盛土で埋立られ丘は掘削されます。
左の方に今回の部分的な再調査で東日本最大と成った蹈鞴(タタラ)遺跡の上郷深田遺跡の尾根が有りますが、そこは蹈鞴製鉄の炉の遺跡ごと10m掘削され消滅するのが現段階での計画に成っています。
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この先が行き止まりにされてしまっており雑草が生い茂ってるので今ではハイキング客も少なくなってしまい、手入れはされていません。
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これより先は立ち入り禁止ですので皆さんも入らない様に気を付けて下さい。
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赤いタグが付いてる辺りが深田遺跡側の道の立ち入り禁止のロープで行き止まりの場所です。
不法投棄された車も放置されたままで人目につく瀬上沢手前側とは保全状況に随分差が有る様です。
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まだ未認可なので深田遺跡側も歩ける様に保全して頂いたり、不法投棄も主が解るなら通報しても良いかも知れませんが、まぁ東急建設さんに土地を売却した地権者が長年放置して来たので不法投棄車両の撤去等を迫るのは酷かも知れませんね。
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湧き清水が道路を跨いで流れていますが、深田遺跡側の谷底は元々湿地です。
こちら側では瀬上沢基金の方によると平家蛍が見られるそうです。瀬上沢の方は両方見れました。
東急建設の姿勢を評価出来る点も有りました。
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今回、横浜国大が保護していた江戸時代の農業用水トンネル史跡側の蛍生息地まで、東急建設の蛍の生息域の調査が拡大された様です。
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この白幡サンと言う方が御担当として実行されている様です。
強引に押し切らず慎重に評価されるのでしょうか?
しかし今年の蛍の確認出来る個体数の激減は地元の人達が話していた通りに説明会の❝蛍の採取❞の為だとしたら天然ホタルを減少させて人工繁殖させた蛍を増やしても意味が無いと思います。
大切なのは自然に蛍が生育する環境を残す事で、ここで開発事業を行うのは東急さんにとっても円海山の上郷一帯の森林を最大時の21%まで減少させる上に、東日本最大の蹈鞴遺跡の上郷深田遺跡と深田遺跡側の谷底の森林、そして瀬上沢一帯の森と水源の自然の川を部分的に調整池として掘削して無くし横に人口の川を作る計画は東急サンにも社会的な評価として旨くない話ですし、横浜市民のみならず日本人にとって損失だと思います。
深田遺跡1期2期発掘調査遺跡分布
御覧の通り30年前の遺跡発見地域から今回の部分的再調査だけで既に東日本最大の蹈鞴遺跡である事が発覚していますが、これも上郷深田遺跡を守る会の方が開発計画説明会の際にも指摘されていた所です。
深田遺跡再調査部分報告1
深田遺跡再調査部分報告2
舞岡上郷線の建設前の調査で上郷深田遺跡が発見されてから30年が経ち、周辺の住宅状況は空家だらけに成った上に自民党の政策でも史跡文化財保護強化と盛土による開発の抑制が推進されていますので、東急建設と横浜市民は政府から助成金を得て国の推進するIR事業の布石として東急グループがミナト未来21地区で実績のある寂(さび)れた港湾の商業地としての再開発経験を活かして新山下埠頭~本牧ふ頭の稼働率の低い突堤を代替地として、今回の開発計画地と等価値交換して頂くのが良いのではないでしょうか?
自然と史跡の保護の為なら支持は強いんじゃないでしょうか。

さて、諸先輩方に聞かされた過去の瀬上沢と深田遺跡の保護活動の話しから・・・
「瀬上沢の保護活動で❝外の人❞達のの力も借りないとダメかな~」
・・・と思い、色んな“外の人”達にも会いにいったり6月中旬まで休日も予定を埋めてあります。
私でも自分が取得しようとしてる資格の学習も秋まであるので並行して行っていたり、余りブログを更新できないと思います。
Twitterも休憩中に今迄の様に鬼のように返信しながらと言う訳にもいかなくなります。

6月中旬過ぎに一段落が片付くので、その頃には余裕が出てブログ更新します。
次は普通に歴史解説の記事を書きます。
暫くお待ちあれ~

次回の記事は質問を受けたので❝市内で北条政子サンに関係する場所❞の解説を書きたいなと思ってます。
それと、東急建設の現在の建設計画では上郷深田遺跡と瀬上沢西側の蛍生息地が削り取られたり埋められ消滅してしまう事や深田遺跡側の谷の森が埋め立てられる事が視覚的に解る地形図や配布された資料を用いた解説も書きたいと思います。

東急建設も損をしないように色々と市民から提案せる準備する事も大切だと思います。

6月にブログを少し更新したら又、07月10日前も少し忙しくなると思います。

また、これからも皆さんと歴史旅の情報を共有出来たら良いなと思います。

では!
東急建設さん、開発反対地権者も開発賛成地権者も、開発計画に関わられている政治家の方も、仲裁しようと過去に動かれた政治家の方も、開発反対の政治家の方も、開発反対の横浜市民と応援して下さる日本中の自然と蛍と刀剣文化のファンも、皆が幸せに成る為に国の力を借りて代替地案が成功して横浜市に日本中に自慢できる蹈鞴遺跡が史跡指定され、都会に残された蛍の広域生息地が自然保護公園化し、開発賛成派の方々も土地を東急様に売却して結果的に史跡と自然を守った奇特な方々として史跡博物館の運営者に加わる等何某かの利益が善玉として付与され、市役所も国も自然と史跡の保護と港湾再開発を両立させた功績が後々の余まで語り継がれて、上郷開発事務所の方々も真に世に誇れる業績を残され子々孫々まで語り継がれたら良いなと心から願います。
環状四号線の渋滞解決の為に高架化車線の建設なども推進して頂ければ、栄区の過疎化と高齢化の進む桂台や人口が伸び悩む本郷台方面の復活も目指せるので、鉄道高架化で実績のある東急サンには高架道路の建設で環状四号線渋滞問題と空家解消も上郷の自然保護の代替地案として最適の港湾再開発とセットで発注されれば間違い無いと思うのですが・・・

徐々に暑く成ってきましたが皆さん体調を崩されません様に。
皆で幸せになれます様に。

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