歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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神奈川や訪問先の郷土史や歴史偉人、美味しい郷土料理、美しい風景をなんとな~く紹介するブログです。
皆さんが御自分の地域の郷土史や自然に興味を持ってくれたら嬉しいな~♪
…と、思って書いています。

写真・本文・構成・無断転用禁止!
関係先と小生の個人的な信頼関係で了解をとって記事にしているので、転載したい場合は当方へ確認願います。

大雄山最乗寺の紅葉
天狗が縁を結ぶ山奥の聖地景観】★★★★
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 ●鎌倉駅~バス乗車8分~鎌倉宮降車
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震生湖畔の紅葉
震生湖と福寿弁財天
【景観】★★
 多くはないが湖畔の紅葉が綺麗♪
【電車】
 バス/徒歩ともに秦野駅~30分。
【  車  】★★★
 2ヵ所駐車場有り。
【休憩】
 自販機とトイレのみ。
☞オススメpoint( •͈ᴗ•͈ )       
希少な関東大震災で生まれた堰止湖◎
湖畔の鳥居や紅葉の景色が綺麗◎
釣り堀としても利用出来るよ◎
福寿弁財天は天河弁財天の御分社◎
車で近くに出雲大社相模分祀有り◎
車で近くに拉麺の名店なんつッ亭◎
車で近くに鶴巻温泉の弘法の湯◎
☞注意するpoint(•ω•)       
歩きやすい服装必須!
綺麗だけど紅葉だらけではないよ。
――以下 詳細( ゚∀゚)つ ダョ♪⤵――
【交通】

釣り客以外に余り観光客もいないので、車なら震生湖公園駐車場が満車に成る事は無い。
秦野駅~バスに乗+徒歩でも、秦野駅~徒歩でも30分かかるので出来たら車で訪問したい。
【見所】
快晴で気温が低い日、運がよければ紅葉が湖に写り込んだ写真を撮影出来る。
湖畔に鎮座する福寿弁財天は関東では珍しい奈良県の天河弁財天の御分霊を頂いて開かれた。
弁天様が見守る震生湖は関東大震災の時に山の湧水の沢が堰き止められて出来た‟堰き止め湖”にカテゴリーされる珍しい自然湖で、震生湖は流れ出る川が存在せず丹沢山系の地下水脈と繋がっているパワースポット。
車なら近くに縁結びで有名な出雲大社の分社である出雲大社相模分祀が有る。
市内の弘法山の紅葉や鶴巻温泉の日帰り入浴、南足柄市の大雄山最乗寺の紅葉と合わせても1日で廻れて良い観光が出来る。
紅葉シーズンでなくても散策に来ると気持ちの良い場所。
【名物】
秦野市は鶴巻温泉が有名。
煙草(たばこ)の生産地で有名だが、落花生(ピーナッツ)の生産も有名で鶴巻温泉等で販売している。
新しい名物としてニューウェーブ系の拉麺屋として一世風靡した‟なんつッ亭”が車で10分の距離に在る。
名物の黒マー油豚骨ラーメンは豚骨スープの旨味はそのまま、ローストされ臭みを消した香ばしさだけ残した黒ニンニクのペーストによって香りの良い豚骨拉麺に仕上がっていて女性にも大人気だったりする。
丹沢山系は名水で有名で秦野市や大山の有る伊勢原市は豆腐の名産地としても有名。
小生は偶然、鎌倉武士団の波多野氏と源実朝公の歴史散策から弘法山に富士山撮影に行く途中に見つけた秦野市の中では御土産用に少し良い豆腐を製造直売している‟丹沢大山五右衛門”の豆腐を強く推薦したい!刺身用の湯葉めちゃ美味い!
【歴史と偉人】
波多野義通公、源実朝公等。
波多野義通公は秦野市一帯を平安時代末期に収めた坂東武者で丹波国の大名波多野氏の祖先で源頼朝公の父君源義朝に仕えた名将。波多野義通公の姫が源義朝公の二男源朝長公を生んでいる。
秦野市の金剛寺は源義朝公の嫡孫である源実朝公が鶴岡八幡宮で暗殺された際に首を密かに供養したとされる金剛寺の管理する実朝公の御廟所等も有る。その金剛寺や実朝公御廟所一帯が鎌倉時代の波多野氏の居館跡。
——震生湖畔——
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——福寿弁財天周辺——
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紅葉名所一覧へ⤵
 


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大山国定公園の紅葉名所
大山寺と大山阿夫利神社下社
【関東三不動 雨降山大山寺】
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ブログネタ
紅葉の写真 に参加中!
さて今年も秋に入り、もう直ぐ紅葉の季節です。
過去に書いた記事をベースに新しい写真に差し替えて、何ヶ所か追記して紅葉の名所紹介をリニューアルします。

●各所紹介の下に個別の解説記事へのリンクが貼って有ります。
この記事の各所一覧と異(こと)なりリンクから各所個別の解説記事を御覧頂くと更に多くの写真と情報を追記して有ります
個別の解説記事では住所をクリックするとGoogleMapにリンクし場所が表示されます
GoogleMapをスマホで使うと電車乗換検索やカーナビとして機能しますので非常に便利です。

現地写真と現地を訪問した小生の個人的感想で各項目毎に評価します。
最良を★★★★★5~最低を1で相対評価します。
(参考例)
【景観】
    ←本数ショボい、もしくは見る価値無い景色。
★★   ←まぁ、近所なら悪くはない。
★★★  ←紅葉は少ないが景色が綺麗。
      又は紅葉は綺麗だけど景色は普通。
★★★★ ←紅葉も景色も両方素晴らしい。
★★★★★←スペシャル!
※電車アクセスに関して
    ←2kmは歩くよ~。
★★   ←バス乗換え乗車30分超。
★★★  ←バス乗換え乗車30分内。
★★★★ ←駅を降りて徒歩圏内。
★★★★★←駅の目の前。

【紹介箇所】
東京都中央区  

浜離宮恩賜庭園(甲府松平家邸址)

東京都世田谷区 

大谿山豪徳寺(世田谷城址)~世田谷八幡宮

東京都世田谷区
九品山淨眞寺(奥沢城址)

横浜市中区   

国指定名勝:横浜三渓園(原財閥邸址)

横浜市戸塚区
舞岡公園


鎌倉市雪ノ下

鶴丘八幡宮~白幡神社(鶴岡八幡宮境内社)~鎌倉国宝館

鎌倉市浄明寺地区①

稲荷山浄妙寺(足利家菩提寺)

鎌倉市浄明寺地区②
功臣山報国寺(宅間上杉家菩提寺)~華頂宮邸(旧皇族邸宅)~釈迦堂切通し

鎌倉市二階堂
金屏山瑞泉寺~天園休憩所

伊勢原市大山

大山国定公園~雨降山大山寺(関東三不動)~大山阿夫利神社(延喜式内社)

秦野市曽屋     
←追記予定
弘法山公園~鶴巻温泉


秦野市今泉    

震生湖~福寿稲荷社

南足柄市大雄町

大雄山最乗寺

足柄下郡箱根町 
←リニューアル予定
公時神社~金時山周辺(伝:金太郎出生地の一つ)


浜離宮恩賜庭園
(旧甲府藩松平家邸址)
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厚木市~伊勢原市~秦野市の大山国定公園が紅葉のピークに突入しますので2020年11月17日時点での状況を御報告差し上げたいと思います。

先ずは紅葉状況の評価と17日時点の紅葉の写真の前に、交通情報や注意点を掲載しますので‟ちゃんと読んで”紅葉見物を楽しんでください。
読まないと大失敗するよ!

当日の交通情報等は小田急大山ケーブルカーや伊勢原市観光協会の情報を確認して下さい。
公式⤵
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夜間ライトUPとケーブルカーの夜間営業
平日  ・・・09:00~19:00
土日祝日・・・08:30~20:00
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大山ケーブルの大山阿夫利神社下社駅までの‟往復乗車券”を購入した‟神奈川県民”は身分証と往復乗車券を提示すると現地の飲食店や御土産物屋で使える1000円分(500円×2枚)のクーポン券を貰えます。
※小田急フリーパスでケーブルカーに乗車する人はクーポン配布の対象外です。

※注意点&漢字の読み方
椛(もみじ)、楓(かえで)
広葉樹(こうようじゅ)
山麓(さんろく)=山裾(やますそ)=山の下の方
山腹(さんぷく)=山の中腹=真ん中辺り
女坂(おんなざか)=登りやすい坂道
男坂(おとこざか)=結構な上り下りの険(けわ)しい道
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※椛と楓は学術的には同系統の植物で明確な区別が無いそうです。ハッキリしてほしいですね。
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※女坂と言っても結構な角度で都会人が山ナメて普段着で登ったら大変な目に遭う。
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※男坂に成るとこんな傾斜角当たり前。
大山阿夫利神社下社(中腹)の本殿横~山頂の石山権現(大山阿夫利神社山頂本社/奥社)の登山道は始終こんな道なのでGパンで登るとか以(も)っての外です・・・
因(ちな)みに小生は初めて大山を登った当時は未だ初春の肌寒い時で、体格も脂肪の無い体脂肪率09%の筋肉質でしたがGパンで汗グッチョリ、Gパンが重く最悪な状況に成りました。
ケーブルカーに乗らないで山歩きを満喫しながら紅葉見物したい方は登山に適した服装を推奨します。
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人の往来の比較的多い大山寺~大山阿夫利神社~二重滝の参道でも“鹿”が普通に出没する様(よう)な場所と言えば想像しやすいでしょうか?
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山頂の方に行くと熊も出没します。
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ガチで遭難者が出るので富士山の半分以下の標高1200mの山でもナメないでね。
毎年、滑落事故が起きています。
大山阿夫利神社下社に到着が15時の時点で、山頂本社奥社への登頂は諦めて下さい。
日没の1時間前の16時には山の中は暗く成ります。
仮に15時に下社から山頂目指して登ったら良くて待機して夜を明かし→低体温症、悪くて遭難、最悪な場合滑落大怪我か死亡事故や日が明けるのを待って待機中に熊に襲われます。

【交通の注意点】
大山渋滞情報
上の画像の通り、紅葉シーズンの夜間ライトアップが始まると大山ケーブル駅近くの公営駐車場~山裾の住宅街まで赤い線の5kmの距離が3~4時間かかる大渋滞に成ってしまいます。

この区間に入ってすぐ、全く山を登り始めてない山裾の臨時駐車場に車を停めて下さい!
でなければ渋滞に巻き込まれて全く紅葉を見ない内にケーブルカーの営業時間が終了してしまいます。
この時期の伊勢原市の日没は16:40分頃ですが、大山~大山阿夫利神社は標高1600mの大山の南面の山裾に在るために現地の日没時間は実際、かなり早く薄暗く成ります。
渋滞と日没時間も考慮して以下の事を踏まえ徒歩での紅葉見物を推奨します。


夜間ライトアップ開催期間は山裾からケーブルカー駅近く‟こま参道”前の‟大山第二駐車場”の5kmの距離で3~4時間かかる渋滞が発生します!
車で行かれる方は現地の“宿坊”と言う平安時代から続く山伏の御子孫達が開いている旅館が沢山有りますので、宿坊に宿泊し御昼過ぎにはチェックインして、大山山頂まで往復のトレッキングを楽しむ1泊2日旅行前提で計画した方が良いと思います。
日帰りの場合、最初から麓の臨時駐車場か電車で伊勢原駅から徒歩を推奨します。

もしくは麓からケーブルカー駅まで徒歩で混みますがケーブルカーで往復した方が良いでしょう。

徒歩の所要時間を以下に纏めます。


ちょうど麓(ふもと)には大山阿夫利神社と同じ延喜式内社に分類される平安時代の醍醐天皇が保護対象に政令で指定した歴史が有る縄文時代の祭祀遺跡を守る比々多神社(ひびたじんじゃ)も存在していますす。
比々多神社の御参りから登山開始すると良いでしょう。
山裾の臨時駐車場~大山阿夫利神社下社までの登山は15時を過ぎた時点で夜間登山に近い状態に成ります。14時には登り始めて下さい。
間に合わない場合は大人しくケーブルカーに乗りましょう。

●大山ケーブル駅~大山寺~大山阿夫利神社に至る女坂参道は15時30分を過ぎた頃に暗くなり始めて登山が危険に成ります。

大山阿夫利神社下社からの徒歩での下山も同様に危険です。

●ケーブルカーを利用して紅葉観光をしたい場合、15:00前には山裾のバス停から登り始めて下さい。

ケーブルカーを利用せず伊勢原駅~徒歩登山で紅葉見物したい人は12:00頃には伊勢原駅を出発して下さい。



【紅葉見物の徒歩登山の所要時間】
伊勢原駅~三之宮比々多神社
・・・45分
三之宮比々多神社~こま参道(旅館街)~大山ケーブル駅~女坂~大山寺~大山阿夫利神社下社
・・・03時間10分
大山第2駐車場~こま参道(旅館街)~大山ケーブル駅~女坂~大山寺~大山阿夫利神社下社
・・・01時間30分


他にも日向薬師~見晴台~大山阿夫利神社~女坂~大山寺~女坂~大山ケーブルバス停の道も古来の登山道だったので良いかも知れません。

17日時点の状況を説明します。
その後に昨日の写真を大量に張り付けてビジュアルで紹介したいと思います。
【紅葉の状況の評価】
🍁  ・・・これから
🍁🍁 ・・・結構見頃
🍁🍁🍁・・・最盛期

【紅葉の状況】
山麓、参道の宿坊温泉街・・・🍁
大山阿夫利神社参集殿~良弁滝~大山ケーブル駅
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山麓の大山阿夫利神社参集殿や良弁滝の辺りはソレなりに色付き始めてる。

大山の山腹
大山寺・・・🍁🍁🍁
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大山参り参道の‟女坂(おんなざか)”から徒歩で登って来ると、関東三不動の一つで聖武天皇の勅願所だった大山寺の階段参道の紅葉が17日現在最盛期直前です。
第3週週末の連休中~第4週はバッチリ見頃でしょう。
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大山寺駅から歩く道は今が紅葉の最盛期です。
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大山寺の秋季期間限定御朱印。

大山阿夫利神社・・・🍁🍁🍁
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大山阿夫利神社下社の周辺は参道の階段の辺りも第3週週末~1週間は見頃でしょう。
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下社本殿周辺はすでに最盛期ですので、この週末連休中に見逃すと枯れ落ちてしまうかも知れません。
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下社の展望台から見た紅葉は第4週既に最盛期ですので21日~始まる夜間ライトアップの景色は期待出来ます。
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例年だとコンナ感じ⤴観光協会公式様から拝借した画像ですので間違い無い景色を保証します。
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大山阿夫利神社下社の期間限定御朱印。
色違いで黄色の台紙の御朱印も有ります。
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通常の御朱印はコンナ感じ⤴です。

では、17日時点の写真を山麓から下社まで経路順に張り付けまくって行きます。
冒頭でも言いましたが、写真の後に注意点を書きますので、失敗せずに紅葉見物した人は必ず読んで下さいね~♪
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大山夜間ライトアップ 公式拝借 久良岐のよし


紅葉の名所一覧に、大山の紅葉記事もリニューアルして再投稿したいと思っています。
下の記事から大山の紅葉の個別解説を御覧下さい。
渋滞対策等も書いて有ります。

では皆さん・・・
大山の紅葉見物、小生が指摘した注意点に留意して紅葉見物を楽しんで下さい~。



















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今回は鎌倉公方足利持氏公が信奉した常福寺と寶樹院言う2つの御寺を2回の記事に分けて書きたいと思います。
今回は歴史解説、次回は寶樹院の様子を写真解説したいと思います。

横浜市金沢区には沢山の歴史が有る御寺が有る事を皆さん御存知でしょうか?
街の中の小さな神社や御寺や良く解らない御墓も実は凄い歴史偉人の関わった場所だったりしますが、そんな史跡の中でも鎌倉時代~室町時代の名将達が特に関わった場所が多いのが横浜市金沢区です。
そんな場所の一つが、金沢区六浦に在る高照寺と言う御寺です。
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高榮山 寶樹院 高照寺この御寺の高榮山 寶樹院 高照寺は現代の漢字にすると高栄山宝樹院高照寺と書きます。
宗派は古義真言宗です。
一般的には寶樹院の院号で呼ばれますが、小生は高照寺の寺号で呼ばせて頂きたいと思います。
高照寺の開基(かいき:御寺や神社を開業く事や開業した人)は恐らく宗派と周辺の状況から平安時代末期~鎌倉時代に遡れるはずです。
金沢区観光協会の方では慶安三年(1650)年と掲載していますが、この慶安三年開基は開基では無く再興された年を示しているので本来は‟再興開基”と書くべきなんですね~。
金沢区観光協会の解説は事実誤認生んでしまい良くない書き方です。教えた教育委員会が良くない。

では御寺の地形や施設より先に、歴史を解説したいと思います。
先ずは横浜市役所に‟再興開基と書くべき”とツッコミを入れたので御寺の旧境内地を見てみましょう~♪
高照寺の旧境内地は三艘(さんそう)と書いて三艘谷戸(さんぞうやと)と呼ばれている場所でした。
寶樹院旧境内地 久良岐のよし
今では住所として三艘の地名は消えてしまいましたが、現地の人は今でも旧字(あざ)の小名(こな)を伝えていて三艘町内会館が京浜急行六浦駅東側の線路沿いに残っています。
三艘谷戸(さんぞうやと)と言う地名から御寺を囲う様(よう)に山に囲まれた谷間に存在していた事が解ります。
正に画像で三艘町内会館の左奥(南西)が谷戸地形に成っていますねぇ~。
前を流れるのは侍従川(じじゅうがわ)ですが、この付近の川は現代に成って埋め立てられた海の名残りです。
昔、鎌倉時代~室町時代に御寺がここに有った時代は海に面した風景の綺麗な御寺だったようです。
ところで・・・
谷戸(やと)と言うのは馬蹄型のU字谷の谷底に寺院や城館を築いて谷の入口に門と塀を築いて塞ぎ、山を城壁代わりに使っていた事を示す地名です。
三艘谷戸 上 久良岐のよし
三艘谷戸は典型的なU字谷ですねぇ~。
横浜市や鎌倉市の鎌倉文化の影響を受けた地域の平安末期~室町時代に成立した寺院は凡(おおよ)そ、この地形に有ります。
現代人は勘違いしていますが、谷を谷戸と呼ぶわけでは有りません。山に囲まれたU字型の谷間を利用して御屋敷や神社仏閣や尾根に繋がる道を築く時に、U字谷の開口部を封鎖し門を築いていた場所を谷戸と呼びました。今では建物や古道が無く成り谷戸(やと)の地名だけ残った場所を現代人が谷=谷戸と勘違いしているんですねぇ~。
谷だけを示す場合は、例えば鎌倉だと・・・
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写真は犬懸谷(いぬかけがやつ)⤴の入口。
そして宅間谷(たくまがやつ)⤵
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旧相模国では‟谷”と書いて現代の書き方で~ヶ谷(がやつ)と読みます。
これは相模国の方言です。
谷の読み方は寶樹院の在る旧久良岐郡域に入ると方言で又変化します。
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写真は京急神奈川駅を青木城址の本覚寺から見下ろした写真です。青木城は戦国時代の北条氏康公の軍師だった多米元忠公が城主を務めた御城でした。
この写真の神奈川駅の裏に在る山が‟幸ヶ谷(こうがや)公園”です。
旧久良岐郡に入り武蔵国域南部に成ると方言で‟谷(~がや)”と呼び方が又変わるんですね。

青木城に興味が有る人はコレ⤴過去に書いた記事です。
ところで幸ヶ谷公園は青木城の前身と成った権現堂(権現山)城の跡です。
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今の横浜中央卸売市場の辺りに幕末に勝海舟サン達が神奈川台場を建設する際に権現堂城跡の権現山を削ってしまったので今では上の写真の様にちょっと段差が有る位になってしまってます。
この高さだと、丁度小生が夏に三浦半島で落ちて骨折した崖の高さ位(笑)。昔はもっと高い山と深い谷でした。
まぁ、幸ヶ谷の地形の話は置いておいて、そんな訳でU字谷と谷戸とは同じ地形でも別物です。
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上の写真は藤沢市の宗賢院です。曹洞宗でそれ以前の事は何にも古文書が残っていませんが、遺物の状況的には平安時代末期には前身寺院が存在し鎌倉武士の大庭家に保護されていた御寺の様です。
この写真の様にU字谷に御寺を築いて谷の開口部を土塀と門等で塞いだ場所を谷戸と言ったんですね。
U字谷でも只の谷は~谷(がやつ/がや)です。

さて、高照寺の旧境内地の場所と地形が解った所で移転先の現代の境内地の地形を見てみましょう。
寶樹院の地形 久良岐のよし
現在は山の上に御寺が有りますね~。冒頭で書いた通り慶安三年(1650)年に三艘谷戸から現在地に移転してきました。移転の理由は火災による旧境内の堂宇の消失です。
寶樹院の隣に何やら御寺が有ってもおかしくない怪しいU字谷が有るでしょう?
実はそのU字谷は谷戸の跡なんです。つまり御寺の跡です。
「え?こんな御寺の隣に御寺作るの?」
・・・と思いませんか?それには理由が有るんです。
実は今では何も無い住宅街のU字谷の真ん中に参道の様に真っ直ぐ道路が有るでしょう?
これが常福寺と言うとっても格式が高い御寺の跡です。
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写真の道が旧常福寺参道で、少し段差に成っている場所から旧境内。
この道を真っ直ぐ進むと、何やら雰囲気が変わってきます。
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遊歩道みたいに成ってますよね。この奥に常福寺の名残が今も有ります。
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歴代御住職や、恐らくここを支援した武将の御墓が今も残っていて高照寺の御住職によって守られています。
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字が磨滅してしまって読めない物ばかりですが、石塔の形状を見ると戦国時代~江戸時代にはちゃんと檀家さんがいた様です。
先程「常福寺歴代住職の菩提を寶樹院の御住職が守っている」と説明しましたよね?これが移転の理由でしょう。この理由の説明をするには常福寺の歴史を知る必要が有ります。
常福寺は江戸時代までは真言律宗で金沢文庫稱名寺の末寺でした。
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稱名寺は桜の名所として地元の人に親しまれている御寺で、真言律宗の別格本山です。
この称名寺の末寺だった事から、鎌倉時代の常福寺の支援者は六浦の支配者であり鎌倉幕府の重鎮であり稱名寺の大檀那(オーナー)だった金澤北条家だったはずです。それを示すのが江戸時代に編纂された‟新編武蔵風土記稿”の常福寺の項目に登場する室町時代の支援者の家格です。
実は常福寺は鎌倉幕府滅亡後、室町幕府足利家によって支援されていました。
記録に名前が残るのは関東を治めた鎌倉公方の足利持氏公です。
常福寺の項目にはこう書かれています。
境内年貢地、同所に在(あり)、眞言律宗金澤稱名寺末、大道山と號(ごう)す。
足利持氏の祈願所にて古(いにしえ)は寺分の地一圓(いちえん)に当寺領なりしと云(言う)。
金澤稱名寺に藏する應永廿九年の文書に、六浦庄の内常福寺云々とあれば古刹なる事は論なし。
又【北条役帳(小田原北条所領役帳)】に六浦大道分とあるは則(すなわち)當(当)寺の領せし所を云(言う)なるべし。後年次第に衰廢して寺領も皆失ひ、今は領主より阿弥陀免として~
~以下省略~
これを読むと解りますが、関東を統率する足利持氏公が祈願所に定める程の寺格を持っていた寺院だった事が解りますね。つまり足利家に匹敵する家格の武士が支援した事に結び付くので、鎌倉時代の金沢領主で常福寺の本寺だった稱名寺のオーナーの金澤北条家が支援していたと考えるのが極々自然な訳です。
更に何で現在は寶樹院高照寺が旧常福寺の境内を管理しているかも解る事が書いて有ります。
元々は今の住所で金沢区大道と呼ばれる地域は全部、常福寺の土地でした。
金沢区大道 久良岐のよし
赤い範囲が大道と呼ばれる地域。
地域名の大道の由来に成っている朝比奈峠~鎌倉に抜ける六浦道(むつらみち)をスッポリ持っていたので、道に関所を築いて通行税を徴収して栄えたりしていた様です。しかし‟後年次第に衰廢して寺領も皆失ひ、今は領主より阿弥陀免として~”と書いて有る通り何時の時代にか常福寺が所有していた大道の土地は全て失ってしまい、少なくとも戦国時代の小田原北条家が関東を統治した頃には別の御寺に土地を取られてしまった様です。
北条所領役帳の寺領の項目に大道分が一行だけ登場するので見てみましょう。
一 卅三貫文 六浦大道分 龍源軒
これしか大道分の地名は出てきません。歴史学者サンはこの‟龍源軒”を鎌倉の建長寺の塔頭、龍源軒だろうと推測しています。
小生は学者さんと違い、町屋の龍華寺の事じゃないかな?と思っています。
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六浦には源頼朝公と真言宗の文覚上人が開いた浄願寺と言う御寺が有りました。実はこの御寺を北条家が金沢一帯を支配する少し前に太田道灌公が龍源寺として同じ金沢区の町屋に復興しているんです。
恐らく龍源軒と言うのは江戸時代には名前が龍華寺に変わってしまっていた龍源寺を辿る事が出来なかったんじゃないでしょうか?
・・・とは言え臨済宗の建長寺にしろ、町屋の龍華寺にしろ、恐らく常福寺の土地を取り上げて勝手に他の御寺にあげてしまったのは関東管領上杉家や太田道灌公達でしょう。
太田道灌公
実は太田道灌公とその父上の太田道真公の家系は足利持氏公やその子の足利成氏公と対立した家柄でした。その対立が大規模合戦に発展したのが‟享徳の乱”と呼ばれる太田家&長尾家が仕えた上杉家連合軍vs鎌倉公方足利成氏公の軍勢の全面戦争でした。
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この抗争の結末は‟江ノ島合戦”で鎌倉公方の足利成氏公が関東東部の諸将に支持され勝利する等、最初は上杉家臣の太田家長尾家は敗北します。しかし上杉家の後援者が室町幕府征夷大将軍足利家本家だったので結局は政治的に足利成氏公は劣勢に成り、今の茨城県の古河市に在った古河城に移住する事に成ってしまいました・・・
すると当然ながら鎌倉公方家に支援されて戦勝祈願を行っていた常福寺は京都の将軍家や、その手先の関東管領上杉家や部下の相模守護代の太田家から目の敵(カタキ)にされる訳です。
・・・そして、そのタイミングで太田道灌公が当時六浦の廃寺になっていた龍源寺を町屋に復興したと成ると、眞言律宗の常福寺から取り上げた土地を真言宗御室派の龍源寺=龍華寺に寄進したと考えれば自然な事でしょう。
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でも学者サンの推測する建長寺塔頭龍源軒説も有りえる話です。なんせ太田道灌公は幼少期から思春期まで建長寺で修行して兵法や学問を身に付けた人物ですからね。
まぁ、正直な所は大道分の土地の持ち主が龍華寺の龍源寺の事か、建長寺の龍源軒の事かは今では解りません。
でも太田道灌公や上杉家によって懲罰的に常福寺の土地が取り上げられ、その数十年後に北条氏綱公がこの一帯を支配した頃には既に常福寺はヤバい状況だったのでしょう。
ちなみに龍華寺サンも北条氏綱公の頃に怒りを買って土地を取り上げられているようです。
この伝心寺⤴の記事で少しソレに触れています。
江戸時代の常福寺は横浜市域で唯一の大名だった六浦藩主米倉家(柳沢吉保の子孫)から支援されて細々と存続する位に衰退していた事も新編武蔵風土記稿の記録から解ります。
更に龍華寺も戦国時代末期には北条家の怒りを買ったらしく、土地を没収されていますので大道分は安土桃山時代位に北条家かその家臣団によって寶樹院高照寺に寄進されたのだろう事が江戸時代1650年には常福寺の真横に三艘谷戸の高照寺が火事で焼けて移転してきている‟土地の所有者”に成っている事から解る訳です。
寶樹院旧境内と現在地位置関係 久良岐のよし
実際、近いですしね。大道分の侍従川を挟んだ片側が高照寺の寺領に成ったみたいですね。
だから移転出来た。
そして幕末~明治時代に廃藩置県が行われ常福寺を支えていた米倉家が大名じゃなくなり常福寺の収入減が無く成り、更に明治政府の廃仏毀釈で維持困難に成り、その際に隣接する寶樹院高照寺サンに全てを託して廃寺手続きを行ったんでしょうね。
CIMG0499
でも今でもちゃんと、ここで寶樹院高照寺の御住職によって歴代住職の墓所が守られている訳です。
CIMG0494
ちゃんと高照寺の御堂の中には常福寺の歴代住職の御位牌が祀られていました。

今では地形と歴代住職の御廟しか常福寺の境内は残りませんが、ちゃんと高照寺の歴代御住職によって常福寺と足利持氏公の歴史は守られています。

続きの記事を書く際には高照寺と常福寺の歴史を地形と文献から解説しましたが、次回は高照寺の施設や様子を紹介したいと思います。

では、次の記事でお会いしましょう~♪
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紅葉の記事書こうと思ったんだけど、景色の記事ばっかり書いてたから最近レザークラフトした記事を箸休めに書く事にしました。
KIMG1530~2
今回、小生は御守りの銭亀を使って革のストラップを作ってみました。
オリジナルのストラップ、簡単に作れるので作り方を紹介したいと思います。

最近、牛革製の財布がビショビショに濡れて変形して壊れてしまいました。
たまたまベイサイドマリーナアウトレット行ったら丁度良く可愛い藍色(インディゴ)に染色した革製の小銭入れが売っていて・・・
「もうデッカイ長財布要らないなぁ~」
・・・とか思っていたし、色も柄も可愛いので購入しました。
どこで買ったか覚えていないんだけど御気に入りの銭亀の焼き物の御守りをずっと歴代の財布に入れて有りました。
KIMG1507~3
小生は毎回財布を変えると工具で穴開けてハトメ嵌(は)めてチェーンで結べる様にするのですが・・・
TAXIや電車の中でポッケに入れたままでも、チェーンでGパンにガッチガチに留めておけば財布落とさないで済むしスリ対策に成るしね~。
・・・で、ずっと使ってるチェーンに付いてた革のストラップがボロボロだったので、銭亀を革細工でチェーンのストラップに再加工してみました。

用意した材料はこんな感じ・・・
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工作好きには御馴染み、東急ハンズやユザワヤのレザークラフトコーナーで売ってる牛革や豚革の端切れ。
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下敷きに使うゴム板。
この他に木のまな板も下敷きに使っています。
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越後の彫刻刀の名工、梅心才圀光の切り出し刀。
革の切断には彫刻刀や小刀や専門の革をカットする刃物を使って下さい。
カッターナイフでは刃が革に負けて折れて怪我をする場合が有ります。
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ハトメを打ち込む過程で仮留めに使う両面テープ。
後は革に塗り込む薬品とかハトメとビス。
・・・で、皆さんも余ってる小物とか加工したら楽しいと思うので、作り方紹介します。

先ず皮をストラップにしたい形に切り出します。
KIMG1507
小生の場合、亀さんを革に食い込ませる構造にしたいので、裏っ側、真ん中の食い込ませる層、表側の層の3つ折りにする形に切り出しました。

こんな感じ⤵に亀さんを固定する2層目の部分を亀さんで型取りして切り抜きました。
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丸い部分は表面に成る部分で2層目と3層目表面の間にPPのビニール挟んで亀さんを封じ込めます。
こんな感じ⤵で2層目にスッポリ嵌るので亀さんが上下左右にズレなく成ります。
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表面を折るとコンナ感じ⤵に成る。
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切り出し終わったので次は薬品を塗り革の切断面のササクレを抑えます。
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トコフィニッシュ!=床Finish
・・・とかに見えて卑猥に脳内翻訳されるのは小生が悶々としているからでしょう。
薬品塗ったらストラップにして行きます。
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チェーンをもう直接巻き込みます。
こうすればスリに引っ張られても切れる事無いですからね。
帯に留める根付みたいにベルトにくぐらせるだけで財布引っ張られても外れません。
両面テープは亀さんの仮留めの為。
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まだエロイ薬が乾いていません(笑)。
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亀さんを濡れた革の切れ間に押し込みます・・・深い意味は無いYo~♪
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亀さんが発射しないようにゴム・・・じゃなくPP(ポリプロピレン)の厚手のビニールシートで覆います。
ビニールの仮の固定に又両面テープを使っています。
このビニールは良く小さな製品を買った時に梱包に使われている厚手のビニール袋をハサミでカットした物です。
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閉じてハトメ用の穴あけパンチで革に穴を開けたらビスで留めまぁ~す。
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全体を留めたら完成!
縁起の良く8ヵ所、小生と御縁の深い九曜紋みたいな配置にしてみましたぁ~。
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財布にも穴を開けてハトメ付けて鎖結んで完成!
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簡単でしょう~?
誰でも出来るし、子供がいる家庭ならパパやママが作ってあげたら喜んでくれると思いますよ~?
写真やガラス細工とか海で拾った貝殻とか入れても綺麗かも知れませんね~!

これから空気が乾燥し低温に成り、インフルエンザと新型肺炎が1~4月みたいに再流行するかも知れません、もし又、政府が外出自粛要請する様な事が有れば革細工とか小生が良く作る組紐とか、銀細工とか家の中でも出来るし良い趣味に成りますよ~。
これとか⤵
 
 東急ハンズやユザワヤでいずれも道具をそろえる事は出来ます。是非、趣味に検討して見て下さい。
きっと良い趣味に成りますよ~♪

新型コロナのワクチンと治療薬と言う援軍の参戦まで皆で健康に経済回しながら冬を乗り越えて御正月を迎え、梅が咲く本来の旧正月の頃に世界中の皆でニコニコ笑える様にしましょ~!

ハロウィンの時に渋谷で暴れたバカ共、オマエ等のせいで絶対に今週、感染爆発始まるぞ。
今年1~4月の封じ込めの必要だった時期に利己主義の歌手グループや格闘技イベント運営が大規模イベント開催強行して感染拡大したみたいにな。
一部の利己主義者のせいで後々、台湾みたいに最小限の経済的犠牲で済む形で対応する事が出来無く成り大規模自粛要請が必要に成った事を忘れるな。
遊んでもいいから不特定多数の人間で過密する状況は作るなよ?

では明日の夜は紅葉の記事か、室町幕府の鎌倉将軍足利持氏公の祈願所だった金沢区の御寺か、戦国時代の北条家臣団の御寺の解説をブログに書きたいと思います~。
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最近数ヶ月間撮影した写真の中で1、2番目に好きな構図。CIMG0285 (2)
上は城ケ島灯台と富士山と夕陽
下は横須賀市長井の‟南谷(なんや)の浜”の奥、荒崎公園夕陽の丘の下の海岸。
KIMG1331
両方とも三浦半島。

三浦半島は綺麗なのは景色だけじゃなくて沢山宝石みたいな他の自治体に無い資源が有ります。
地元の人達は気が付いて無いけど。

最近、色んな場所に訪問する目的が主に人に会う事で、色々とリサーチしたり協力要請する事が多くて以前の様に1日に10ヵ所訪問するとかは出来てません。

三浦半島の経済状況が日本全国で夕張市の次に悪い事を知ってから、何とか三浦半島の役に立てないかな~と、ヤル気有りそうな色んな人に電話して会いに行ったりしてた。
三浦市の事で鎌倉市や横浜市や横須賀市の専門家の人にも色々と知恵を借りに行ってた。
当然、勝手にやってる。

三浦市の若い人達はヤル気あるのに、ある程度の立場の人が「現状維持で良い」とか思ってる・・・
経済破綻した夕張市の次に御金無いのに。
・・・リサーチすればする程、色々な問題点も解って来る。
税金滞納してる人も多いって事まで解って来た。

あと三浦市には未だに迷信を信じてる人が多いせいで、自然に植生している中華の高級食材に成る植物を縁起が悪いと毛嫌いしてる人も多く誰も資源化しようとしなかったり。
その割に何故かすでに他府県の地方自治体で特産品化されている植物を試験栽培した挙句、それを産業化するでもなく観光資源化するでもなく近所に配って終わりとか謎な時間と金の無駄遣いをしてる人達もいたり。

調べれば調べる程「何だかなぁ~」と「若い奴はパワー有る」のズレが凄いんじゃ!

ズレと言えば三浦市と関係無いのですが、小生は最近は夜9時とか10時に寝ちゃって毎朝3~4時位に目が覚める御爺ちゃん生活で、同世代とはカケ離れた生活に送ってます(笑)。
なので全く歴史解説記事も書いていませんでした。
なので2週間ぶりにブログ記事を朝早く起きて書きたいと思っています。
書きあがらなかったら又明後日(笑)。

いよいよ紅葉の季節が到来しますし、今月の27日前後に首都圏の気温が5度まで下がるそうですよ。
だから紅葉の記事を早く書き上げないと。
それに歴史解説記事を書いてない場所が何百ヶ所も写真を撮り溜めて有るし。

まだまだ未訪問で訪問したい場所も神奈川県や東京の多摩地方にも100ヶ所単位で地図に訪問予定で登録しっぱなしに成ってるし。

皆さん、寒くなって来ましたから風邪ひかない様に気を付けて下さいね~。
あといよいよ新型コロナが猛威を振るう乾燥した季節に成りました。
手の消毒、手洗い、ウガイ、マスク着用、しっかりやって経済を停めずに行きましょう~♪

年配の方や内臓疾患の持病を持った健康弱者を殺さない為にもちゃんとしましょう。
2~4月の失敗を繰り返しません様に~。
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新横浜の日産スタジアムの近く、JR小机駅の側に在(あ)る小机城址で今年も竹灯籠祭りが開かれるよ〜!
記事の中で沢山、以前の竹灯籠祭りの写真を紹介したいと思います。
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小机城址(続日本100名城の一つ)

延期や時間は運営する“日本の竹ファンクラブ”で確認してください!
これ公式ホームページ⤵️

昼から来るなら新横浜ラーメン博物館にも合わせて行けますし、近くには小机城代笠原家の菩提寺の雲松院や、源頼朝公の命令で佐々木高綱公が開いた三会寺と言う寺院と、佐々木高綱公の居館跡の鳥山八幡宮と言う神社も有ります。 


時間見ながら昼から周辺を散歩して良いレクリエーションに成ると思います。

ただし戦う為の土を削り出した山城の要塞なので「歩きやすい靴」と「汚れても良いズボン」で行くのがオススメです。
屋台も出ますよ!雨天は翌日に順延だそうです~。

ところで・・・
「小机城って横浜市に御城なんて有ったの?」
・・・と思う人がいると思いますが、横浜市内にもざっと城は数十、約3kmおきに築かれており、有名な所だけで榎下城、茅ヶ崎城、寺尾城、山田城、佐江戸城、篠原城、小机城、権現堂城、青木城、蒔田城、笹下城、野庭関城、長尾城とあり、中でも小机城は軍団長の城で、鎌倉公坊代理の吉良家の蒔田城に並び凄い格の高い御城だったんです。
以前、小机城の解説は記事を書いているので興味の有る方は御覧ください♪
先に軍団長の城と少し触れましたが実はこの小机城、戦国時代の北条家の5色に分けた主要軍団の一つ、白備え隊の本拠地だったんです。
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だから鉄道建設や高速道路建設で消失した側も昔は御城で、今の倍の城規模が有りました。
今でも現存部分には空堀や曲輪が状態良く保存されており、最近“続日本の100名城”の一つに選定された程なんです。

そんな古城の竹林の手入れも兼ねて開かれるのが“日本の竹ファンクラブ”が主催する“小机城址竹灯籠祭り”です。

竹灯籠祭りの綺麗さは、文字で説明されるより写真を見て頂いた方が早いでしょう!
下に沢山、以前の写真を貼り付けて置きますね!
⤵️以前のポスター

とっても綺麗だから彼氏彼女や家族と是非見に来てね!もし見たくなったら、公式ホームページから日時確認して訪れてみて下さい。
小机駅からも直ぐ近くなので交通の便も良いですよ♪

以前の⤵️写真♪
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綺麗↑でしょ?
本丸跡には屋台も沢山出ますよ〜♬CIMG7535
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ところで風魔忍者って知ってます?
今の箱根峠一帯を本拠地(ほんきょち)にしていた忍者集団で、リーダーは代々、風魔小太郎を名乗っていたんです。

歴史やゲーム好きな人は知ってるかな?
その風魔忍者の管理者が、この小机城主だった北条幻庵さんなんです。

そんな歴史も感じられる場所ですが…
竹灯籠祭りでは城址内全箇所が竹のランプで照らされ神秘的に成ります。
是非!楽しんで下さい!
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