笹下城本丸跡の切岸(きりぎし=石垣じゃない城の山を削って作る防御壁)と大空堀の名残が今だけ綺麗に露出してますよ!
石川島団地跡の再開発に伴い、今だけ見られます!
今見ておかないと下手したらコンクリートで跡形も造成され無く固められてしまいますよ!
既に成就院側の本丸大空堀は去年宅地開発で消えてしまいました!
笹下城本丸大空堀跡
横の坂道が恐らく昔IHI団地造成以前は坂では無く山で、写真の切岸が巨大な横堀状に成就院側まで繋がっていたと、本丸跡の切岸を見ると容易に推定出来ます。
コレ↑なんか特に、片側削られた今でも素人でさえ空堀の形状が一目瞭然だと思います。
野村不動産と三井不動産レジデンシャルに周囲の高低差の解る地形も破壊されていますし、宅地化され家が立ち並ぶと見えなくなりますね。
鎌倉市大船駅近くにあった玉縄城や新横浜駅裏にあった篠原城、横浜市緑区旧城寺に現存する榎下城の大空堀の作りに酷似しています。

笹下城については、笹下城の殿様で間宮林蔵や杉田玄白の御先祖の間宮信冬公と間宮康俊公の話を混ぜて、また改めて記事を週末に載せます!