首都圏の人が金沢文庫と聞くと…
京浜急行の駅でしょ?
…と歴史を知らないと思ってしまうかも。

今回のタイトルも称名寺の金沢文庫じゃなくて金沢文庫にある称名寺でしょ?
…とか思う人もいるかも。
違いますよ〜!
約700年前の鎌倉幕府の重鎮、金沢北条家の北条実時さんが住んでいた大邸宅を後に寺院化した場所が称名寺なんです。
その邸宅の山挟んだ隣の敷地に金沢北条家の私設図書館があったんです。
その図書館が「金沢文庫」で、金沢区金沢文庫の地名に成ったんですね。

この金沢北条家からは鎌倉幕府の執権(首相)も排出しました。

北条家の拠点なので御寺の結界と外を分けていた赤門の家紋も北条家の三つ鱗紋です。

赤門をくぐるとすぐに、文庫茶屋(ふみくらちゃや)と言う築百年超の日本家屋の和食と甘味のお店が有ります。
こちらでは関東では有名なブランド化に成功した漁港、地元の小柴漁港のアナゴと季節が合えばシャコも食べれます。

称名寺は風景がとても綺麗なんです。
特に春。
今の季節は↓こんな感じ
今の季節の深緑の参道も素敵ですよね。

この参道、実は横浜三渓園に移築されて来た文化財を除いて、横浜市内で一番古い木造建築文化財があります。
称名寺の塔頭(支店みたいな)の光明院の表門です。
この門は戦国時代が終わって江戸時代が始まったばかりの1665年に建て直されたそうです。

そこを通り過ぎると横浜市とは思えない立派な仁王門が見えて来ます。
称名寺の仁王門。
ここの仁王様が小生の理想のプロポーション❤️

…こんな体型に成りたい!ゴリマッチョ。

さて、称名寺、ここまでの風景も綺麗ですが中は更に綺麗です。
今でも復元された木造の眼鏡橋と平たい橋が池にかかり、大変綺麗な風景ですが北条実時公の邸宅だった当時は更に綺麗で大規模な伽藍(がらん=仏教建築の形態)に囲まれていました。
1300年代に描かれた称名寺の地図です。
当時は宮殿さながらの規模と美しさだったようです。

今日撮影した称名寺の風景と、秋と春の写真を載せます。

今日

秋の称名寺

春の称名寺

薪能(たきぎのう)が開催される頃の期間限定ライトアップ


綺麗でしょ?
数年間にかけて撮りためた写真ですが、全部携帯電話で撮影した画素数が粗末な写真ですいません。

ちなみに称名寺の裏山は称名寺を取り囲んでいるのですが、山を人工的に垂直に削り取り切岸(きりぎし)と言う城壁化しています。
裏の金沢山や稲荷山を含めた周囲全山が「金沢城」として機能する詰めの城に成っていたんですね。
その裏の金沢城址の金沢山からの眺望は素晴らしいので、是非、登って見て下さい!
ただ、もう少し寒くならないとスズメバチ多くて危ないです。
※ブログUP時現在は9月。
お弁当持ってちょっとした遠足に来るのも良いかも。
本堂から金沢文庫博物館に抜ける隧道(トンネル)行く途中に市民の森入りの看板があります。
ここから裏の金沢山に登れます。
一周して称名寺の右手に降りて来れます。
ここ↓ね。

さて、地名の由来に成った金沢文庫は今でも「神奈川県立金沢文庫」として博物館に成って存続しています。
鎌倉時代から称名寺と金沢文庫を繋いでいたトンネルも現存しています。
教育委員会が通行禁止にしたせいで余計に風化が進んでいます。

そして現在金沢文庫と称名寺を繋いでいるトンネル。
この金沢文庫には北条実時公の収集した文物や秘宝が沢山収蔵されていましたが…
上杉謙信
前田利家
徳川家康など…
中部北陸の大名に侵略される度に金銭的に価値の有る宝物を沢山略奪されてしまいました。
今でも一部収蔵されています。

前田利家が自らの領地の首府を金沢と命名したり兼六園を造営したり、今の東京大学の場所に在った加賀藩邸の門を赤門にしたのは100%この金沢文庫称名寺のデザインから宝物だけでなくアイディアから何からパクッた結果ですね。
この前田利家は11歳の嫁を妊娠させたり、戦争で何千人も敵領地の市民を奴隷にして連れてかえったり、主君の織田家を裏切り恩人の柴田勝家を裏切り親友の豊臣家を裏切った人物でした。
当時でも低年齢で結婚した場合は、女の子が妊娠適齢期の15歳以上になるまで手を出さないのが常識でしたからね…
前田利家を表現するならば乱世の奸雄と言うのが相応しいかと思います。

さて、称名寺関連の話はここまでにして、付近の観光地を少し紹介します。
⭐︎小柴漁港
鉄腕ダッシュでもよく出る漁港ですが、小柴のアナゴとシャコは築地でも高級品として流通しています。
毎週土日10:30〜13:00だけ、漁港婦人部の方々が食堂でその日の朝に水揚げされた地魚の天丼を販売しており大人気です。
是非お試しあれ!

それと八景島シーパラダイスと海の公園もすぐに近くですよ〜!