ブログネタ
「秋を感じるひとこま」教えてください に参加中!
秋を感じる一言…
風流かな?
文化芸術の秋だし。
風流さの追求が流行った安土桃山時代の建物が現代にも伝わっています。

聚楽第(じゅらくだい)
…と呼ばれた御城が京都市内に有った事は義務教育で習いますから皆さん御存知ですよね。

この御城の中で中心を為(な)した本丸御殿(ほんまるごてん)の建物が、実は反豊臣の江戸時代を乗り越え現代にも存在しています。

※200万画素の携帯で撮影した写真なので画質は勘弁して下さい!
 
飛雲閣と呼ばれた建物です。
現在では西本願寺に移築され大切に保存されています。

西本願寺と言えば、豊臣秀吉と友好関係に有った一向宗の本拠地ですね。
そして、昔の一向宗は顕如(けんにょ=本願寺光佐)様と言う方が率いていました。
彼を中心に戦国時代に、神道の神様の"建織田神(たけしおりたのかみ)"と10年間に及ぶ戦争をした軍閥化した仏教宗派でした。

建織田神て誰?
…と思いますよね?

建織田神…

絶対に皆さんも知ってますよ!


この方↓です(笑)!
 
明治天皇が、織田信長公が戦乱を収束(しゅうそく)させた功績と朝廷儀式復興させた事への功績を認め、京都市の鬼門の北の鎮護(ちんご=守り神)として建勲神社(たけいさおじんじゃ)の神様に任命したんですね。

因(ちな)みに建勲神社のある船岡山は、京都市が平安京と呼ばれた"其(そ)の時代から京の都(みやこ)の鬼門の鎮護の位置に在りました"。
何故(なぜ)そんな言い方をするかと言うと、今の京都は元の平安京と大分(だいぶん)と形や位置がズレているんです。
豊臣秀吉の仕業(しわざ)なんですがね。

"豊臣秀吉が"京の町を再編成した際に、メインストリートを平安京の中心の"千本通りから今の京都御所のある堀川沿いに移した"んですね。

そんな信長公と対立した一向宗ですが、多くの仏教寺院と同じ様に日本の文化財保護の役割を果たしていた訳です。
飛雲閣以外の建物の多くは、其の後、伏見城や別の御城に移築されました。
しかし、聚楽第の大体の位置は現在でも伝わっています。

ネットでの拾い物ですが…
聚楽第の縄張り図と現在の京都市の地図を重ねた物がコレ↓です。

その聚楽第ですが…
日本人に対するヘイトスピーチ大好きな某国寄りの学者様達は、何故かしきりに存在した事自体を否定したがります。
愚の骨頂です。

聚楽第の事は当時の天皇が行幸(みゆき=天皇が外出する事)された事が各大名や貴族の日記に記録がシッカリあり、飛雲閣等の文化財も現存しているので…
存在を疑う余地がない! 
…と言うか頭大丈夫ですか?
…と言うレベルの話しです。
もし、信長公が生きていたら聚楽第の存在を否定する学者を…
「戯(たわ)けが!」
「うつけ者め! 
…と、罵(ののし)り張り倒していた事でしょう。 
…神様に成ってるから祟(たた)りがあるのかな(笑)?
あ、でも秀吉は織田家を裏切った逆臣だから信長公は怒らないかな(笑)?

しかし…
 
飛雲閣、風流だな〜。
あ、飛雲閣は一般非公開です。
この写真は8年位前の特別公開の時に見学し撮影しました。

横浜三渓園に移築された紀州徳川家の紀ノ川沿いに有った別宅にも少し似ています。
それだけ秀吉の広めた茶の湯文化と茶室建築は後世に影響を与えたんですね。
「禿(は)げネズミ!」
…と信長公に呼ばれていた秀吉ですが、この功績は…
「でかした天晴れ!」
…と、あの世で褒めて貰えたかも知れませんね(笑)。