先週、衣笠城址を訪れた際に、近くの大矢部地区にある鎌倉幕府初代征夷大将軍の源頼朝公が開基(かいき=建立)した満昌寺と言う御寺にも行ってきました。
こちらの御寺には平安時代後期の名将:三浦"大介"義明公の御廟所があります。
頼朝公お手植えの躑躅(つつじ)も境内に残っています。
坂東八平氏の一家である三浦義明公の三浦家だけあり、同族の鎌倉景政公を祀る御霊神社と同じく三浦義明公の御廟所も御霊神社でした。
当時の武士は自害を余りしなかったので、もしかしたら義明公の外孫でもあり討ち取った張本人でもある畠山重忠公が首供養していた義明公の御首(みしるし)を、源頼朝公が感謝の意を込めて手厚く再度供養したんでしょう。

満昌寺さんには、その御霊神社の建て替えの際に伝承の首塚附近から出土した遺品や義明公の等身大木造等の遺品も多く収蔵されています。
事前に電話で連絡を差し上げ、御住職の都合が宜しければ見学さして頂けます。

写真撮影は不謹慎なので御廟所は撮影しませんでしたが、此方(こちら)の鳥居の上にある御霊神社の裏に墓石が有ります。
此方で義明公への衣笠城址登城の御挨拶と、仏教的な意味でのお参りもさせて頂きました。

満昌寺の御住職はとても声が通りハキハキとされた方でした。
お忙しい中、御好意で親切に接して頂き色々と御話しを聞かせて頂き御朱印を頂く事も出来ました。

春に成って桜の季節に成ったら衣笠城址の桜を見に行きたいな〜。
そして満昌寺の義明公に御挨拶に伺う事が出来れば嬉しいなと思います。

近くのセブンイレブンの裏の住宅地の中の旧薬王寺(廃寺)の敷地だった場所には三浦義明公の次男で、三浦の家名を継いだ三浦荒次郎"新介"義澄公の立派な御廟所も有ります。
しかし、此方は教育委員会が保護を怠り、墓石には破壊され盗掘されてしまった跡があります。
平安時代の骨壷を花器として盗掘し投機対象として転売する不届き者がいる様です。
…そう言う無文化で不敬な犯罪者がいる事は悲しいですね。
そんな奴はバチが当たれば良い。

※関連記事リンク
●衣笠城址の記事は「ココ」←クリック!
●義明公以前の三浦家の菩提寺青雲寺さんの記事は「ココ」←クリック!
●三浦家の祖先の鎮守府将軍平良文公の菩提寺二傳寺の記事は「ココ」←クリック!