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皆さん、今年は良い年でしたか?

小生は今日、本年最後の御礼参りに室町時代の鎌倉公方の忠臣、宅間上杉家の殿様所縁(ゆかり)の鶴岡八幡宮、永谷天満宮、報国寺様に今年1年間御世話に成った御礼参りに上がりました。
※永谷天満宮の記事⤴

※報国寺の記事⤴


御存知(ごぞんじ)無い方も多いのですが…
鶴岡八幡宮、実は元々は現在の場所では無かったんです。

鎌倉鶴岡八幡宮は
鎌倉幕府を開いた源 頼朝 公…の五代前の祖先の、河内源氏初代鎮守府将軍:源頼義公が京都の石清水八幡宮から神様を勧進(かんじん)したのが始まりなんです。
その場所は材木座1丁目7番地で、今も付近のバス停の名前のまま、元鶴岡八幡宮が鎮座し鎌倉市民を守護しています。

昔の人の言う鎌倉とは、そもそも鎌倉郡の事です。
今の鎌倉市や藤沢市、それに横浜市港南区の半分と戸塚区栄区を加えた地域ですね。
その土地を開拓したのが坂東平氏の祖である鎮守府将軍の平 良文(たいらのよしふみ)公でした。
その事業を平良文公の御子孫の方々と供に、盟主として引き継いだのが…
鎮守府将軍を務めた源 頼義 公と、その嫡男(ちゃくなん=本家を相続する子)で軍神とも渾名(あだな)される源 八幡太郎 義家 公なんですね。
つまり関東の交通網の起点に成る鎌倉市街の更に基礎は源頼義公と源義家公や、盟友の坂東平氏が築いたとも言える訳です。
※河内源氏に纏(まつ)わる鎌倉市横浜市の記事は以下。
●源氏の邸宅跡の寿福寺の記事⤵
●本郷ふじ山公園の記事⤵

衛星写真でちょっと現在の鶴岡八幡宮の位置を見てみましょう。
今は御覧の通り鎌倉市街地の中心に鎮座まします鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府草創時に源頼朝公が、今の元八幡様の場所から遷宮されたんですね。
元はもっと南側の海に近い地域に鎮座してました。
その頃の武士達は平安時代に神奈川県や東京都や千葉や埼玉がこんなに発展すると思ってらっしゃったでしょうかね〜?

元鶴岡八幡宮は今では住宅街に囲まれた少し解(わか)り難(にく)い場所に在(あ)ります。
徒歩で訪問するのに目標にする良い場所としてJR横須賀線の踏切近くに辻薬師堂と言う仏教の御堂が在ります。
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辻薬師堂この辻薬師堂に祀られている薬師如来様は今の二階堂地区に源頼朝公の建てた大寺院永福寺の塔頭(たっちゅう=子会社みたいな役割)の御寺に祀られており、その塔頭寺院は藤原一族の二階堂行光によって造営された場所でした。
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永福寺跡
今回は永福寺跡も辻薬師堂も関係ないので解説しません。
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線路を渡り10mもしない所から由比若宮=元鶴岡八幡宮=鶴岡八幡宮元宮に入る参道に辿り着きます。
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ここは今では規模的には社殿は大きくはありませんが元々の鶴岡八幡宮の出発点であり、京都の石清水八幡宮から八幡様の御分霊を源頼義公が勧進して開いた本当に本当に由緒正しい八幡宮です。
地形の変化の歴史を紐解くと源頼義公の時代は鎌倉市街の材木座一帯は海や入江と干潟だったので、鶴岡八幡宮元宮は治水・海の神様として高潮除けに勧進されている事が地理から良く解ります。
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由比若宮=元鶴岡八幡宮ここが源頼朝公を輩出した河内源氏の征夷大将軍への道の第一歩としても過言では無い由緒正しい八幡様な訳です。
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手水社は普通。
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でも軍神の異名を持った源頼朝公の四代御先祖に当たる源❝八幡太郎❞義家公が旗を立てた場所でも有ったりする。
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何にせよ由緒正しい場所で、関東地方や東北を含めた東日本全体の八幡信仰の起点
実は鶴岡八幡宮、文芸にも御利益が有ります。
この元鶴岡八幡宮の境内に芥川龍之介サンが一時居宅を構えて住んでいたんですね~。
八幡様は八幡大菩薩として良く御寺や神社に神託を残した伝承があり、応神天皇と同一視される神様です。応神天皇は日本で最初に古代中国から文化や法律の導入を開始し、皇子の仁徳天皇と菟道稚郎子(うじのわきのいらつこ)の御二人に漢帝国皇族の御子孫である阿智使主(あちのおみ)から漢学(兵法・文学・法律等)の教育を受けさせた人物としても伝承しています。なので、八幡様はそもそも学問の御利益も有って当たり前なんですね。
もっとも明治時代以前の八幡様の神様としての役割は、もっぱら雨乞いや治水や海上交通の安全祈願等水に関わる事と、鎌倉武士団から崇拝された事や応神天皇が弓の名手で弓矢で妖怪を退治した伝承が有る事から武芸や勝負と地鎮の神様としての性格でも信仰されていました。
鎌倉武士団にとって大切な神様だからこそ、鎌倉市街の都市計画の中心に据(す)えられたんですね。
下の写真は現在の鶴岡八幡宮の御朱印所から、舞殿を見た風景です。
この舞台は源義経公の愛妾:静御前が源頼朝公や北条政子夫妻と鎌倉武士団の前で舞を踊った場所です。
北条政子さん、頼朝公の別の愛妾を襲撃したり嫉妬深い伝承が強調されますが、歴史偉人に対してちょっと失礼な表現かも知れませんが情が深くて旦那さん大好きな可愛い女の子だったんです。好きな頼朝さんに会う為に徒歩で山を越えて頼朝公の所に通ったり、パパの言う事より自分の彼氏を選んだりした人で情がとっても深く行動力の有る女の子だったんですね。
だから静御前が処刑されるかも知れない状況で、この舞殿で神楽を舞った際に敵である源義経の子を妊娠中の静御前の助命嘆願を必死に源頼朝公に行ったり、とっても人間味ある人だったんです。
横浜市南区井土ヶ谷の乗蓮寺サンには北条政子サンが自らを彫刻させた彫像が現存しています。
旦那さん頼朝公が無くなった後に承久の乱が起きた頃、昔、頼朝公とデートで御参りに来た弘明寺の裏山の一角に隠棲する別荘を建てて化粧水用の井戸を掘らせて住んでいた時代の彫像が残っています。
今の乗蓮寺の前身に成ったのが政子サンの別荘で、化粧水用の井戸が井土ヶ谷の地名に成っています。
北条政子様木像画像

この彫像の写真は乗蓮寺のホームページに掲載されている物ですが、直接御参りして北条政子様像を拝む機会を頂いた際に画像仕様も個人的に御住職に許可を頂いた物です。
もし画像転用したい方は御自分で乗蓮寺の御住職に許可を頂いて下さい。
小生は北条政子様の彫像を見て気の強い人と言う印象は無く、状況的には旦那さんも息子さんも自分の家族に殺されて一人寂しく生き残って不安で寂しげな顔をしている様に小生には見えます。

乗蓮寺に関しては解説記事を書いているので御覧ください。
北条政子サンや静御前の逸話が残る舞殿をはじめ鶴岡八幡宮の全ての建物は、勿論(もちろん)各時代毎に再建されて当時の建物ではありません。
 
何でこの御朱印所からの写真を撮ったのかと言いますと…
実は小生、神奈川の発展に寄与して下さった神様や偉人の歴史的偉業の顕彰活動で、どなたが開基された寺社仏閣か調べた上で参拝して回り、皆様の御厚意で少々特別な御朱印を頂いています。
もちろん御武運や加護も賜りたいと思っています。

神奈川県東部における歴史偉人の顕彰活動の本年〆に、本日、鶴岡八幡宮に御参りして来たので、今年最後のブログ内容に選んだ次第です。
 
さっきの衛星写真の右上の方が浄妙寺地区で有名な報国寺が有ります。
今日の報国寺の竹林の庭園には、まだ紅葉も見られ非常に安らぎました。
この報国寺は時代は異なりますが永谷天満宮と同じく関東管領宅間上杉家の殿様が開基した寺院なんですね。
正確には盟友の足利家時公と御一緒に開基された様です。
足利家時公は室町幕府の初代征夷大将軍足利尊氏公の御爺様に当たる方です。

平安時代の関東の発展は平家と源氏と菅原家が担い、古代は日本武尊と蘇我氏と橘家と紀家により基礎が築かれました。

古事記に頻繁に登場した後、平安時代に成ると再び関東は急速に発展します。
平 良文(たいらのよしふみ)公と源 融(みなもとのとおる)公が武蔵国で一騎打ちをし、互いを認め合い盟友として関東の開発に協力した時期に飛躍的に開拓地が増えました。
※平良文公に関する記事⤵

東京や神奈川は地方からの移民だらけで歴史を知らない人も多いですが、今の発展が突然起きた訳ではないんです。

神社や御寺で願い事をしたら、出来れば御世話に成った神社仏閣の神仏と開基された偉人の皆様に参拝し、そして宮司さん和尚様に年末に御礼参りもしたいですね!

小生は本日、永谷天満宮の神主様の御厚意で納天神祭と言う儀式に参列させて頂きました。
クリスマスに神社でサンタクロースならぬ菅原道真公に参拝してました(笑)。
今年の自分らしい名誉で光栄な〆に成りました。

来週は大掃除でブログ更新できないかも知れません(笑)。
出来たらします!

では…
皆さん、本年もありがとうございました!
来年もよろしく御願いします!