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2016年更新版は以下のリンクをクリックして御覧下さい!

神奈川県内の凄い神社仏閣まとめて紹介…初詣に向けて。【2016年更新途中版】リンク

去年紹介間に合わず書けなかった神社仏閣追記紹介してあります!
以下は2015年版です。
2015年も終わりに近づきましたので年越しの御参りと2016年の初詣向けに、今年も神奈川県内の凄い歴史が有り、実際に関わった歴史偉人達に御利益が有った神社仏閣をまとめて紹介する記事を更新したいと思います!
もしかしたら、皆さんの御住まいの町の神社や御寺を紹介するかも知れません!

初詣には皆さん行く御予定はお有りですか?
神社や御寺は大きければ御利益があるとか、金ピカで綺麗な建物だから良いものでは有りません。
大切な事は2つ有ると思います。

1つ目は…
御寺や神社を作る事を開基(かいき)、最初の御住職や宮司様を開山(かいざん)と言いますが…
その人が誰でどれだけ業績を残し偉い人物だったかが、大切です。

2つ目…
自分の願い事の内容により、初詣する際にどの神様や仏様を選ぶか、事前に調べましょう。
どの仏様や神様を祀(まつ)っている神社や御寺かで、御利益が変わります。
例えば商売繁盛のエビス様に恋愛成就をお願いしても神様的には「がんばれ!」としか言いようが無いでしょう?

出来たら3つ目
自分の御先祖がどの神様の氏子だったか、何の仏様の御寺の檀家かで初詣の行き先の優先順位は変わります。
別に規模が小さい近所のお稲荷様の祠(ほこら)でも、自分の家系が代々御参りした神様ならソコが一番神様に仲良くして貰える場所なんです。
建物の大小やハデさは御利益に関係ありませんから…。

さて、以上の事を踏まえて神奈川県内でも"御利益の強い"神社仏閣を以下に紹介します。
●神仏の神威や加護の種類と開基様開山様の歴史事実を踏まえて御利益を説明します。
●神社仏閣ともに開く事を表す用語を「開基」で統一します。
※「創建」は本来の中国由来の文字の意味では「社会や団体に用いる言葉」ですので後に日本で勉強(本来は無理をするという意味)と同じ様に誤用された言葉ですから開基とします。
●神様が直接住んでいた神社は開基を神様とします。
●紹介する順番は、関係する開かれた歴史もしくは直接関係する偉人の事績の古い順です。

初詣の参考にして頂けると幸いです。


比々多神社
御利益:酒造/防火/子宝/安産/農業/地鎮/縁結び(恋愛)/陸海交通安全

場所:伊勢原市三ノ宮(旧大住郡) 
開基:神武天皇
中興:崇神天皇
        垂仁天皇
        持統天皇
        孝徳天皇
        聖武天皇
        淳和天皇
        相模国司      布施色布知公
        初代宮司      紀    益麿   公          
        相模国司      橘    峯嗣   公                      
        征夷大将軍   源   頼朝   公
        相模守護       三浦道寸  公
        征夷大将軍   徳川家康   公
歴史:比々田神社の縁起にある歴代天皇から信奉された逸話を証明するかの様に、神社の周辺のみならず旧本殿の在った場所や境内からも縄文〜奈良時代の遺跡や古墳が大量に発掘されている周辺地域を含めて文化的歴史的にも重要な神社。
古代より天皇家や将軍家から信奉され、背後に控える大山と大山阿夫利神社を信仰対象とした古代人の聖地を引き継いでいる神社。
また管轄する神社に関東で子宝安産の神様として有名な子易神社の本家本元を抱えている。
由緒有り歴史的価値に富む神社。
※御参りした際は、是非裏山のミカン畑の中の古代社殿跡に祀られる祠も御参りされてみて下さい。
※併設されている郷土資料館では、古墳群から出土した宝剣等を見学出来ます。


大山阿夫利神社と大山寺 
御利益:天候/海上交通/縁結び(恋愛) /地鎮

場所:伊勢原市大山(旧大住郡) 
開基:大雷神(おおいかずちのかみ)
中興:征夷大将軍   源    頼朝   公
中興:征夷大将軍   徳川 家光   公     
歴史:本殿に大山祇神(おおやまずみのかみ)を祀る西暦3世紀頃から在る古い神社で、富士山の神様の木花咲耶姫のお父さんの神様。
源頼朝公をはじめ、名軍師太田道灌公や徳川家康公等、多くの成功者が大山阿夫利神社を度々訪れ信仰した。 
参道に温泉街を抱える。
神話を証明する様に、大山阿夫利の御神体である大山の頂上一帯からは縄文時代からの祭祀場の遺跡が出土している。江戸時代以降は江ノ島参りや富士山登山、御伊勢参りと並び、江戸市民の憧れの観光地として栄えた。
天候の神様であり、古来、相模湾からの位置を知るランドマークが大山だったので築地市場関係者等、漁業と商船や商社の関連業界から信仰が厚い。又、日本の歴代統治者が信仰を集めた歴史から、多くの講が組まれ現在も大山詣は企業単位でも盛ん。
※参道の温泉宿坊は、どこも大山名物の豆腐料理と猪鍋、神代から続く酒造り文化の清酒を提供していますので日帰り湯や豆腐料理を堪能して見て下さい。
※大山阿夫利神社は下社で、御神体は大山の山頂に存在します。
※周辺には樹齢千年を超す大山桜があり、秋には紅葉でも有名な観光地です。


走水神社
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奥宮(須賀神社/神明神社/諏訪神社)
御利益:縁結び(恋愛)/夫婦円満/勝負運/陸海交通安全/料理上達/漁業守護
場所:横須賀市走水(旧御浦郡)
開基: 日本武尊(やまとたけるのみこと)※軍神(勝負)/縁結び/陸海交通の神様
     弟橘媛(おとたちばなひめ)日本武尊の妻※縁結び/夫婦和合/陸海交通の神様
     大伴黒主(おおとものくろぬし)※料理と釣りの神様
中興:明治の元勲以下7名…東郷平八郎/乃木希典/伊東祐亨/上村彦之丞/高崎正風/藤井茂太/ 井上良馨
歴史:日本武尊と弟橘媛様の御一行が数日間滞在した場所に建てらた神社で神聖な場所。
日本武尊達が房総半島へ渡る際に、こちらの走水神社の前の海の左側にある御所ヶ崎に数日間滞在していました。その事から同地は御所ヶ崎と呼ばれています。
現代でも、この走水神社の前で神話の通り国道16号も東京湾をつっきって千葉県で国道16号が突然復活します。
大伴黒主様は日本武尊達を歓待した地元の豪族で漁民で料理人。日本武尊に請われて後に古代大和朝廷の料理長に成ったそうです。
※社殿を御参りするだけでなく、背後の鎮守の山に在る奥宮を御参りして下さい。そちらが日本武尊の時代の社殿跡と伝わり、日本武尊所縁の三柱の神様の祠(ほこら)が存在しています。
※近くには走水海岸や観音崎といった海水浴場、観音崎灯台もあり綺麗な風景を楽しめる観光地が多くあります。
※走水には「やまに」と言う旅館や「かねよ食堂」といった地魚料理の有名な料理店もあり、観音崎にも料理が評判の京急観音崎ホテルが在ります。初詣に合わせて宿泊し、周辺や横須賀見物をするのも良いです。


橘樹神社
御利益:縁結び(恋愛)/夫婦円満/陸海交通安全/漁業守護

場所:川崎市高津区子母口(旧橘郡)
開基:弟橘媛(おとたちばなひめ)
      ※神社背後の住宅街は弟橘媛の古墳跡
      ※弟橘媛の古墳は最高部が一部現存
歴史:日本武尊の軍隊が走水神社の在(あ)る場所から東京湾の海を越えて千葉に渡る際に、海が荒れて航行不能な事態に陥り、その危機を治めるべく弟橘媛様は自ら東京湾に入水する事で人柱になり海を鎮(しず)めた。
その際に遺品の冠が流れ着いたのが古代海に面していた、この橘樹神社で背後の円い丘の住宅街は弟橘媛様の大規模な円墳の跡。
因みに弟橘媛様の衣類が流れ着いたのが千葉県袖ヶ浦市や富津市(元は布津と書いた)で、日本武尊が弟橘媛様を思い出し嘆いた場所が君津市(君はもう帰らないんだねと悲しんだ港)。
※背後の宅地に弟橘姫様の古墳の最高部の一部が公園として保存されて現存する。神社は、その古墳の最高部に向かって築かれている。恐らく、古代は背後の古墳そのものが御神体で、神社は遥拝所だったのだろう。


高部屋神社
御利益
:漁業守護/農業守護/陸海交通安全/勝負運
2016-01-03-12-42-57
場所:伊勢原市下糟屋(旧大住郡)
開基:鎌倉御家人 糟屋 有季 公
  ※現在地に平安時代に末期に社殿を遷宮した。本宮は渋田川上流の聖域渋田山に祠(ほこら)が現存する。
中興:関東管領上杉家 扇谷上杉 定正 公
    扇谷上杉家執事 太田 道灌 公
    後北条家歴代当主
    後北条家家臣   渡辺岩見守
    征夷大将軍    徳川 家康公
歴史:延喜式式内社。本来の社殿は関東総鎮護の聖地大山山系の一つ、渋田山に紀元前より存在したと伝承する。古来渋田山は奥津城と呼ばれた霊域だったので、古代人の関与が深い土地でもあった。
平安時代末期に成ると現在の社殿のある丘陵に要塞を築いて糟屋庄を領有した糟屋有季公が所領の総鎮守として渋田山から現在の高部屋神社の所在地に社殿を移転させた。本来の渋田山の本宮跡には社殿は無いものの御神霊を祭る祠(ほこら)が今も鎮座している。
戦国時代に渡辺岩見守により社殿が再建し、江戸時代に成ると徳川家康公より社領安堵の御朱印を賜り江戸幕府より保護された。
この高部屋神社は式内社で有る事から古来より有名で、江戸時代に江戸の町人や武士に流行した「大山参り」のコースに組み込まれており、神社の鳥居前の道も旧大山街道だった事や下糟谷の宿場町だった事で、御利益に肖(あやか)りに来る非常に多くの参拝客で賑わった。
御祭神は三筒男命(みつつおのみこと=住吉大神)、神倭伊波禮彦命(かむやまといわれひこのみこと=神武天皇)古代、息長長足媛命(おきながのたらしひめのみこと=神功皇后=卑弥呼?)、誉田別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)、大鷦鷯尊(おおささぎのみこと=仁徳天皇)、磐媛之命(いわひめのみこと)と、いずれも海上交通や土地開発や海外渡航と戦争に関係の有る天皇や神様な上に、本宮の在った渋田山が「奥津城」地名で古墳時代前後まで周辺が海だった事からも、水神様と土地開発と先勝祈願の神様としての性格が有る。
明治時代まで「汐汲み神事」が行われており、海岸線が後退し内陸16kmに神社が取り残されても歴代の宮司が海まで海水を採取しに行く神事が続いていた。
現在も海神を祀る神社らしく、社殿に注連縄(しめなわ)に海藻の「神馬藻(ホンダワラ)」を飾る。
又、いずれも天皇も「天皇」の呼称が始まる前の古代の正式な名のまま祀られている事も、紀元前から存続する由緒有る神社である事を物語っている。
※高部屋神社の丘一帯は軍事拠点としても重要な場所だったので、鎌倉時代~戦国時代の歴代の領主によって城塞として使用され、各時代ごとに改修された事が解る城址公園として、近年国道建設で分断された丘陵の一方は丸山城址公園が整備されて見学出来ます。
※海に関係する神社だけあり、屋根の唐破風部分には浦島太郎伝説にまつわる彫刻が有ります。
※2017年に国の登録有形文化財に指定されます。



江ノ島弁財天(江ノ島神社) 
※日本三大弁財天の一つ
御利益:勝負運/財運向上/立身出世 /縁結び

場所:藤沢市江の島(旧鎌倉郡) 
開基:欽明天皇 
中興:征夷大将軍   源   頼朝   公
    徳川幕府 歴代将軍 
歴史:欽明天皇が西暦552年に江ノ島東側の岩屋(いわや=洞窟)に勅願所を開いたのが始まり。 
そこに源頼朝公が弁財天を勧進し戦勝祈願をするや連戦連勝で鎌倉幕府が成立したので、歴代執権や御家人達から信仰され鎌倉幕府から保護された。
参道に在(あ)る旅館岩本楼は創業400年近い老舗旅館(宿坊)ですが、元々は明治時代まで江ノ島神社の別当職を務めた別当寺だった。
頼朝公が御参りした当時は社殿は有りませんでした。当時は江の島神社裏手に現存する洞窟に辯財天様が御祭りされていて、頼朝公も、そちらに籠って戦勝祈願をされました。後に社殿が建設寄進されました。
戦国時代、日本三大奇襲戦の一つに挙げられる「河越合戦」では、ここで戦勝祈願をした北条氏康公はたった8千の手勢で敵勢8万の大軍相手に勝利を治めた。
明治時代には、この江の島に逗留され軍事作戦を練られた児玉源太郎陸軍大将がロシア帝国のアジア植民地化の野望を撃退し日本を守る戦功を挙げられた事も有名。後に児玉大将が台湾総督を務められた際の善政から、児玉大将を祀る児玉神社を台湾人の皆さんが江ノ島神社の境内に開基された逸話も残る。
江戸時代に成ると大山参りと並び江戸市民の憧れの観光地として栄え、参拝客で賑わった。
現在は縁結びの神様としても有名で、若い恋人達が、江の島の展望台と併せて観光に来るデートスポットとしても栄えている。
弁天様はカップルに嫉妬する伝承が多い中、この江ノ島ではカップルを見守る優しい神様としても崇拝されていますが、東京の石神井公園の弁天様がカップルに嫉妬するのは、石神井公園が昔、石神井城と言う御城で戦争に巻き込まれた歴史が有るからかもしれませんね。
本来、弁天様はインド神話の神様でサラスヴァディーと呼ばれ、シヴァ神(伊舎那天/他化自在天)の後妻であり夫婦神なので、縁結びの御利益が期待出来るのは当たり前ですね。
※江の島神社を御参りした後に、裏から海岸に降りて源頼朝公が先勝祈願をした洞窟の中でも御参りすると更に御利益が有るかも知れません。
※頼朝公が崇拝した辨天様像も見学する事が出来ます。

※江の島に行ったら名物のシラスとサザエと蛸せんべいも味わってみては如何でしょうか?


妙香寺(吹奏楽・テニス・国家君が代の発祥地)
御利益:芸能上達/スポーツ上達/学問上達/工業技術上達
2015-07-29-12-29-33 2015-07-29-11-39-16
場所:横浜市中区本牧(旧久良岐郡)
開基:弘法大師 空海 和尚(開山)
中興:在地領主 佐藤家
歴史:元は弘法大師空海和尚により本牧山東海寺として開かれた真言宗の寺院だったが、西暦1264年に日蓮上人が当寺に御立寄りになられた際に、当時の本牧の領主で御寺の大旦那(おおだんな=オーナー)だった佐藤家と当時の住職が日蓮上人に感銘を受け、以後改宗し現在まで日蓮上人の法脈を受け継ぐ寺院。
鎌倉時代~昭和時代の後期まで「檀林(だんりん=仏教僧の学問所)」として栄えた寺院で多くの学僧が、この妙香寺に寄宿しながら学問を習得した。
この地は古代大和朝廷の軍馬の生産地で牧場が存在したので、古来より文明の醸成地だった。
最初に、この地に御堂を開いた空海和尚様は牛頭天王と日本武尊を崇拝していたようで、関東の日本武尊神話の残る聖跡を巡りながら日本武尊が信奉していた素戔嗚尊を祀る牛頭天王社を各地に勧進している。
妙香寺と御縁の深い日蓮上人も又、日本神話を大切にされた方で千葉神社を崇拝し御祭神の妙見大菩薩(妙見神=北斗星=天皇家崇拝)を守り神にされたり、鶴岡八幡宮の御祭神の八幡大菩薩(応神天皇)に請願を言上した事で生命の危機を乗り越えた事は有名。すなわち、この御寺は日本神話と仏教文化醸成地として、神仏習合の日本文化の象徴と言える場所に建つ。
近代、幕末に妙香寺境内を駐屯地とした英国大使と英国軍より薩摩藩に吹奏楽が教授され、教官のフェントン軍楽団長により「君が代」が作曲された後、ドイツ軍人エッケルト教師が現在の曲調の君が代に改めた。これが日本吹奏楽の始まりで国家の発祥と成った。更に、旧境内には英国人によりテニスコートが建設され、これも又、日本テニスの発祥地と成った。
更に、この御寺を信奉した渡辺忠右衛門(ちゅうえもん)翁は現在のIHIの元に成った石川島造船所の創業者であり日本近代造船の父とも呼ばれる事績を残された方で、大和朝廷の軍馬生産以来の国家防衛の旧久良岐郡の役割を継承しています。
蘇州夜曲を歌った昭和の著名な歌手の渡辺はま子女史は、第二次世界大戦終結時に在フィリピン日本人捕虜の解放に功績を残されましたが、現在この御寺に眠ってらっしゃいます。
※職員の和尚さん達にお願いすると渡辺忠右衛門サンや渡辺はま子サンの御話しも御教授頂けます。
※すぐ近所に旧境内に当たる山手公園があり、そちらがテニス発祥地でフリーメイソン日本最初のロッジの跡地で有ると同時に日本最初の吹奏楽コンサートの史跡でもあります。テニス発祥記念館では拝観料無料で幕末からのテニス競技の服装や道具の変化や歴史が解る展示物を見学出来ます。


妙法寺
御利益:陸海交通安全/勝負運/健康運/縁結び(恋愛)
場所:横浜市磯子区杉田(旧久良岐郡)
開基:弘法大師 空海 和尚(弘法大師が牛頭天王社勧進した事に始まる)
中興:在地領主 荒井家(日荷上人)
      杉田間宮家当主 間宮 信繁 公
歴史:走水神社や橘神社と同じく日本武尊の聖蹟でもある。日本武尊がこの地を訪れた伝承に従い、弘法大師空海和尚が日本武尊が信仰したとされる牛頭天王を祀る御社を勧進したのが始まり。
六浦の上行寺も開いた荒井家出身の日荷和尚が、後に本格的な寺院として開基したので、真言宗の空海和尚と日蓮宗の日荷和尚の歴史を有する。 
後に小田原北条家の重臣間宮家の分家杉田間宮家が妙法寺を菩提寺と定めたので、現在も境内に間宮家歴代の御廟所があり史跡でもある。間宮家では間宮康俊公が豊臣秀吉の小田原攻めの際に、秀吉と甥の秀次率いる8万の敵軍を伊豆山中城で迎撃し歴史に名を轟かせました。敗戦を悟り間宮康俊隊は寄親(よりおや=上官)北条氏勝公を撤退させた後わずか兵200弱を率いて、秀吉旗本の中村隊・堀尾隊・一柳隊等を相手に大損害を与え玉砕しましが、その功績から間宮家は徳川家康公の旗本に取り立てられました。
徳川家康公の鷹匠頭として活躍した間宮信繁公の植林した杉田梅林は有名な観光地でした。
※現在、御住職が梅林を境内の裏手丘の上に復活させようと計画中ですが、その丘からの東京湾を望む眺望は見事です。


永谷天満宮&貞昌院
※日本三躰天満宮の一つ
御利益:学業成就/文化芸事上達/実務力向上
場所:横浜市港南区上永谷(旧鎌倉郡)
開基:関東管領上杉家   宅間上杉  乗国  公
※御祭神の天神様=菅原道真公の五男菅原淳茂公が元々、貞昌院の場所にお住いだったので、ある意味、開基は菅原淳茂公で上杉乗国公は中興。
歴史:日本三躰天満宮の一つ。
御神体は菅原道真公が自ら彫られた彫像。
天皇の御親政を復古しようとする宇多天皇と醍醐天皇に重用され右大臣(総理大臣に相当)まで務めた菅原道真公が、天皇の親政復古に抵抗する藤原一族の謀略で左遷された後、五男菅原淳茂公は醍醐天皇に重用された。 しかし敦茂公など菅原道真公の御一門(いちもん=親族)は悉(ことごと)く藤原氏の謀略で左遷された。
後に藤原一族からの迫害を避ける為か、三男菅原景行公を始め菅原淳茂公も関東移住し平将門公や平良文公の坂東平氏と連携し定住した。その菅原淳茂公が住んだ場所が現在の永谷天満宮と伝承する。
永谷天満宮自体の開基の宅間上杉家は上杉家の筆頭4家の一つで、犬懸・山内・扇谷の各上杉家と交代で関東管領を務めた家で、室町幕府征夷大将軍足利尊氏公の従兄弟の家系。代々北野天満宮の別当を務(つと)めた勧修寺家の出身。尊氏公の鎌倉幕府倒幕の切っ掛けに成った後醍醐天皇の綸旨を全国に伝えたのが、宅間上杉家初代の宅間上杉重兼公。
江戸時代には徳川将軍家からも信仰深く、御神体は数回、神輿に乗せられて江戸城の将軍の元に運ばれ将軍から参拝された。
※永谷天満宮から見える永野小学校一帯が居城の近代に永野城と呼ばれた伊予殿根城塞の跡。
※背後の鎮守の山は初夏に紫陽花(あじさい)が咲き誇る名所です。


二傳寺(にでんじ) 
御利益:勝負運/縁結び(人脈)/立身出世/子孫繁栄
             
場所:藤沢市渡内(旧鎌倉郡) 
開基:後北条家  玉縄城主  北条  氏時  公 
歴史:鎮守府将軍平良文公の御廟所が二傳寺の境内裏山に有る名刹(めいさつ)。
平良文公は全国の平氏系武将の祖先で、子孫には鎌倉景政公・三浦義明公・和田義盛公・梶原景時公・千葉常胤公・畠山重忠公・相馬盛胤公・正木時茂公・蘆名盛氏公・朝比奈泰朝公・長尾景虎(上杉謙信)等がいる。
藤沢市内の標高最高所に位置し、第二次世界大戦中は近代化された陸軍も砲兵部隊を配置した要害の地。
二傳寺自体は小田原北条家の北条氏時公により寺院建築物が築かれた。戦国時代に玉縄城が築かれると、武田信玄や上杉謙信も攻め落とせ無かった玉縄城の外郭二傳寺砦として機能した武家と関わりの深い御寺。
玉縄城主は地黄八幡と呼ばれ畏怖された関東最強の戦国武将北条綱成公。
※裏山の平良文公以外にも、三浦家に繋がる御子孫の御廟所もあります。


金時神社
御利益:健康向上/勝負運/縁結び(人脈)/鬼退治(?)/交通安全2015-11-18-13-40-17
場所
:足柄下郡箱根町仙石原(旧足柄下郡)
開基:坂田金時(さかたのきんとき=金太郎)
歴史:幼少時代を歌った唱歌「金太郎」で有名な、坂田金時公所縁の神社。この金時神社の背後は金太郎の童話の舞台に成った金時山で、神社はその登山口に位置する。境内には童話を彷彿とさせる石で作られた斧のモニュメントも飾られている。
坂田金時公は下毛野金時と言う実名の記録が残っており、下野国の豪族である下毛野氏出身の武将。成人後に坂田金時となり、この箱根峠で成人後に源頼光(みなもとのよりみつ)公と出会い与力と成って活躍したとされる。大江山の鬼退治の伝承は余りにも有名。
この箱根峠で出会った伝承も、当時は富士山が噴火して本来は御殿場を抜ける古代の東海道が使用不能に成った時期でもあるので、関東の豪族下毛野氏である金太郎の一族が、源頼光公の御父君の鎮守府将軍源満仲公の命で現在の東海道の基礎に成る箱根ルートの開拓を担当していた可能性は少なからず有り、金太郎と坂田金時の伝承に整合性も有る。よって、余り取り上げられる事は無いが、この金太郎神社の御祭神坂田金時公は武勇や健康のみならず、上司に恵まれる御縁や交通安全の神様としても強力な御利益を期待出来る。
※近くにはガラスの森美術館が在り、冬季は夜間イルミネーションが見られます。当然温泉旅館も沢山近くに在るので宿泊と合わせての参拝も魅力的。


鎌倉御霊神社(権五郎神社) 
御利益:勝負運/縁結び(恋愛)/治傷/子孫繁栄
場所:鎌倉市坂の下(旧鎌倉郡) 
開基:平朝臣  権五郎  鎌倉  景政  公 
歴史:鎮守府将軍平良文公の御子孫の鎌倉景政公が御祭神。 
鎌倉景政公は従兄弟の三浦為継公と供に、前九年後三年の役に源八幡太郎義家公に与力し参戦して大活躍されました。
敵将に片目を射抜かれて尚、敵に弓を射返し討ち取った逸話は有名です。
関東では盟主の源義家公と共に軍神として武士達から信仰を集めています。
また目の治療の際に御自分の眼球の供養をした場所から草木が茂った事から、治傷健康の神様としても信仰されています。
※この周辺には平安時代から恋愛にまつわる和歌が詠まれた場所が多く、その所縁で縁結びの神様としても有名なので御霊神社オリジナルの縁結びの御守りが販売されています。
※周辺がドラマのロケ地で、スタッフが良く食べた名物和菓子屋「力餅家」が在る。
※由比ガ浜まで歩いて行けるので、参拝後の散歩しても良い場所。

※鎌倉江の島七福神の一つ。こちらで七福神専用の御朱印色紙も購入できます。


鶴岡八幡宮本宮と元鶴岡八幡宮
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鶴岡八幡宮内の旗上弁財天&若宮八幡神社
御利益:勝負運/立身出世/工業技術上達/財運向上/海外渡航安全

場所:鎌倉市雪ノ下(旧鎌倉郡)
開基:鎮守府将軍   源    頼義   公
遷宮:征夷大将軍   源    頼朝   公
中興:相模守          北条 氏綱   公
中興:征夷大将軍   徳川 家光   公
歴史:最初の場所は材木座の元鶴岡八幡宮、後から源頼朝公が現在地に遷宮し、元鶴岡八幡宮と上社下社として共に現存。
相模国の鎮守として源頼義公が嫡子源八幡太郎義家公と創建。源頼義公は鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)に補任(ほにん=任命される事)され前九年の役で大活躍し、以後、頼義公の家系の河内源氏は坂東(ばんどう=関東)の武家の盟主として繁栄する。
源頼朝公は源頼義公の5代子孫に当たる。
鎌倉文化と武士団の象徴でもある。
現在でも観光地としても有名で、毎年初詣の頃には約30万人の参拝客で賑わう。
※普段からいくつかの出店が常駐しているが、正月は非常に多くの屋台が出るので子供も楽しめる。
※鶴岡八幡宮の御朱印所の神職の方は非常に字が美しいので是非、頂いてみて下さい。
※鎌倉江の島七福神の一つ。こちらで七福神専用の御朱印色紙も購入できます。


荏柄天神社(日本三古天神社)
御利益:
立身出世/学問上達/芸術上達
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場所:
鎌倉市二階堂(旧鎌倉郡)
開基:天神様の神霊?一帯の村民
中興:征夷大将軍 源 頼朝 公
歴史:日本三古天神社とも呼ばれる、天満宮の中で格式の高い天神社。
伝承に由れば菅原道真公の肖像画が空から降ってきたので、地域の村民が肖像画を御神体として有り難くお祀りしたのが荏柄天神社の始まり。
この旧鎌倉郡には、現在の横浜市港南区に在る永谷天満宮の在所に菅原道真公の五男の菅原敦茂公が御住まいだったと言う伝承や、下総国に大生天満宮(元は別の場所に在ったが後に現在地に移転)を三男の菅原景行公が建てられた歴史が有り、関東が菅原氏との関係が深かった事を今に垣間見える古社。
源頼朝公により鎌倉幕府が開かれると、鎌倉市街地の鬼門の東北の方向に当たる荏柄天満宮が鎮護の神様として頼朝公より崇敬される事になり、頼朝公により新たに社殿が建造された歴史を持つ。
その後も二代将軍の源頼家公から崇敬を集める等、鎌倉武士団からの信仰が厚い天神様だった。
現在でも多くの文化人から愛され、特に漫画家との縁が深く清水昆氏や横山隆一氏から信仰され、その絵筆が奉納された筆塚が境内に在る。
※この荏柄天満宮の付近には桜の名所の鎌倉宮もある。
※太平記の歴史偉人達と所縁の深い土地でもある。
※近くには鎌倉漆器の漆アクセサリーの工房「月ノ聖」もある。



寶生寺(ほうじょうじ)
御利益
:学問向上/立身出世
2015-06-27-16-39-33
場所:横浜市南区堀之内(旧久良岐郡)
開基:覚清上人(開山)
中興:鎌倉幕府執権 北条 貞時 公
   相模国守護代 太田 道灌(どうかん) 公
   相模守    北条 氏康 公
   本牧奉行   間宮 直元 公
   征夷大将軍    徳川 家康 公
歴史:平安時代末期、高倉天皇の頃、関東武士では源義朝公が活躍されていた時代の和尚様、覚清法印によって開かれた。その際に熊野権現社も勧進された。その草々の由来より歴代の御住職は、朝廷から法印号を拝命した格式の高い御寺であると同時に、真言宗の学問所としても非常に栄え、明治時代まで52寺に及ぶ末寺を束ねる本山格の大寺院だった。
鎌倉時代には関東の鎌倉文化を発展させた金沢北条実時や鎌倉幕府第9代執権の北条貞時公から保護された。戦国時代には戦で無敗の関東一の名軍師、太田道灌公や、後に関東の覇者と成った小田原城主の北条氏康公から保護された。
江戸時代に成ると、本牧奉行として横浜市南部の沿岸部を治めた間宮直元公の支援を受け、更には徳川家康公から寺領保護の御朱印状も賜った名古刹。
その歴史の古さと豊富な所蔵文書から横浜市の地名由来の「横浜」半島の記載の有る文書も寶生寺が有する。
明治時代に成るまで、本堂の他に、長屋門、総門、客殿、熊野社、弁天堂、鐘楼、経蔵、頂堂を有する巨大寺院を形成していた。
※江戸時代初期まで、この付近は海でした。その事を示す古文書も寶生寺には多く現存し、横浜の戦国時代の歴史語る際には必ずこの御寺の名前が出てくる名古刹です。近くには神奈川考古学財団も存在し、様々な展示がされています。


富岡八幡宮
御利益:勝負運/立身出世/工業技術向上/商売繁盛/地震津波除け/海上交通安全/漁業
場所:横浜市金沢区富岡(旧久良岐郡)
開基:征夷大将軍   源   頼朝   公 
歴史:有名な東京の富岡八幡宮はコチラから分霊された神社で本家本元はコチラ。
征夷大将軍源頼朝公が、今の兵庫県の西宮神社から勧進(かんじん)した後に軍神八幡神を合祀(ごうし)したのが始まり。
室町時代に大津波が発生した際、海を治める神威の有る蛭子神を祀る富岡八幡宮は、その鎮守の森と山で津波を跳ね返し富岡の村々を救ったそうです。
その逸話から江戸市民の信仰を集め東京に分霊されました。
※境内には所蔵の文物や無形文化財と成っている御祭りの説明看板が多数有り、郷土の民俗を知る事が出来ます
※ 横浜金沢七福神の一つ。専用の御朱印色紙も購入出来ます。


龍華寺
御利益:立身出世/勝負運/学問上達
場所:横浜市金沢区洲崎(旧久良岐郡)
開基:征夷大将軍     源   頼朝 公
中興:扇谷上杉家宰 太田道灌 公
        左京大夫        北条早雲 公
        征夷大将軍     徳川家康 公
歴史:源 頼朝 公が文覚上人と共に奇岩が有り海に面した霊所の六浦山中に浄願寺として開基した。
浄願寺時代の場所は上行寺東遺跡と呼ばれ今より更に大きい大寺院だった事で有名だったが、多くの学者や郷土史家や地元民からの保護要請を横浜市が無視した為に近年その遺跡はマンション建設で破壊されてしまい存在しない。鎌倉時代には兼好法師こと吉田兼好も在住した。
浄願寺時代に新田義貞による鎌倉攻めの戦火に巻き込まれ一時火災や略奪に遭い衰退する。その後、菅原資方公の中興開基により現在地に移転再興される。
扇谷上杉家宰の太田道灌公の信奉を受け不動明王が奉納されたり、小田原北条家当主より土地を寄進されるなど、有力大名から保護と信仰を受けた名古刹。
徳川家康公も滞在した。
再興開基以来、真言宗の一大学問所としても機能していた歴史が有る。
明治時代まで隣の洲崎神社の別当寺だった。この龍華寺一帯の町屋町~洲崎は金沢八景の一つに数えられた風光明媚な観光地でもあった。その関連で多くの名武将が此方に滞在し、御縁が結ばれた。
横浜市内に置いて京都の御寺の様な佇(たたず)まいの山門に続く参道を持つ外観も綺麗な御寺。
※現在の御住職が文化保護に熱心で、多くの花を植林したり句会を開いたりと文化活動地としても機能しています。
※お隣の洲崎神社と明治時代までは龍華寺の管理する神社だったので、そちらも一緒に御参りされると神様も喜んで下さり、より御利益が有るかも知れませんよ。


森浅間神社
御利益:
災難除け・縁結び(恋愛)・夫婦円満・海外渡航安全・勝負運向上
2015-06-10-09-06-19
場所:横浜市磯子区森/屛風ヶ浦(旧久良岐郡)
開基:征夷大将軍 源 頼朝 公
中興:後北条家臣 間宮家
歴史:元々は鎌倉の扇谷の亀ヶ山(現在の源氏山か?)に在った権現堂を祈願所に定めていた源頼朝公の請願により、権現堂の僧侶の幸蔵坊が当地に此花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の御分霊を富士山(富士山は此花咲耶姫命の権化として山岳信仰の対象だった)より勧進したのが始まり。
この森浅間神社の在る場所付近には、古代からの街道が通っていた。その場所が近くの清水坂~森~上大岡方面に抜ける古道で、更に森浅間神社の眼下には鎌倉の東京湾方面の湊(みなと)の一つとして機能していた屛風ヶ浦が在り、軍事的にも重要な土地だった為に、この神社の付近には鎌倉幕府の陣所が築かれていたと伝承する。
街道を抑える場所に鎮護の神社や仏閣を立て陣所を設けるのが頼朝公の領地運営政策の一環だったので、森浅間神社が頼朝公開基、更に鎌倉幕府陣所が一帯に在ったと言う伝承の整合性とも高い。
鎌倉幕府滅亡時に最後の将軍の守邦親王(もりくにしんのう)が新田義貞による鎌倉攻めの戦火から難を逃れて、この地に無事退避されたと伝承する事から災難除けの強い御利益も期待出来る。
素戔嗚尊は軍神であり水神様でもあるので海上交通安全や海外渡航の安全祈願でも強い御利益が期待出来る。
※屛風ヶ浦側からの参道は急で長い石段ですが、その途中には下社が在り、そちらに素戔嗚尊が祀られているので是非、階段を上る方の参道から御参りしてみて下さい。


三会寺 
御利益:勝負運・学問上達・縁結び(人脈)
2015-04-01-09-48-43
場所:横浜市港北区鳥山(旧橘樹郡)
開基:征夷大将軍 源  頼朝 公
    鎌倉御家人 佐々木 高綱 公 
中興:征夷大将軍 徳川 家康 公
    徳川家家臣 本多 正信 公
歴史:鎌倉の鬼門に当たる街道を抑える地域である鳥山地区に、源頼朝公の命で平安末期~鎌倉時代初期の名将、佐々木高綱公が開いた寺院。その後、真言宗の一大学問所として明治時代を迎えるまで機能した。頼朝公との関係から寺紋に源氏の家紋である笹竜胆紋の使用を許された武家にとって由緒有る寺院。
安土桃山時代には徳川家康公によって保護され、重臣で玉縄城主と成った本多正信公から信仰された関係で所縁の有る文物も残る。
現代ではタイ国王とタイ王室とも関係の深い寺院で、タイ王室から送られた巨大な御釈迦様像が御本堂に祀られている。戦国時代の小机城から近く、現在の御住職が文化と歴史の保護に熱心な方なので毎年春に行われる小机城址祭りでは開会の場にも成っていて、勇壮な戦国時代の武者行列を模したパレードを見る事が出来る寺院。
※こちらで、御近所に在る佐々木高綱公の愛馬生唼を祀る馬頭観音堂の御朱印も頂けます。
※ご近所には佐々木高綱公の居館跡に建つ鳥山八幡神社も在り、一緒に御参りすると更に御利益が有るかも知れません。

鳥山八幡神社&馬頭観音 
御利益:勝負運/工業技術向上/縁結び(人脈)/子孫繁栄
場所:横浜市港北区烏山(旧橘樹郡)
開基:鎌倉幕府御家人  佐々木  高綱  公 
歴史:征夷大将軍源頼朝公の鎌倉幕府の設立に貢献した佐々木高綱公の居館跡に建つ八幡神社で、徒歩5分の近所には高綱公が頼朝公より拝領(はいりょう=貰う)した名馬生接(いけづき)を祀る馬頭観音も在ります。
高綱公は源頼朝公に与力し、源義経公を大将とした木曽義仲討伐における瀬田の合戦で一番乗りの功名を建てるなど優れた武将でした。 
また大名としても分析力や経営力に優れていたようで、平安時代当時の一般的な城址は山城なのに対し、神奈川県内の佐々木家の城址はどこも重要な街道に面した場所が多いようです。 
神社背後の烏山地区の丘は、高綱公の神奈川での居城跡です。
佐々木氏の御一門は後に全国で大名になります。 
戦国時代の六角家・京極家・尼子家・黒田家・間宮家は全て佐々木家の後裔です。 
※徒歩5分程度の付近には、佐々木高綱公の愛馬「生唼(いけづき)」が葬られた場所に建つ馬頭観音堂や、頼朝公の命令で高綱公が鎌倉の鬼門鎮護として開基した真言宗の大道場として機能した「三会寺」も在ります。 一緒に御参りすると尚、御利益が有るかもしれないですね。


清雲寺
御利益:縁結び(恋愛&人脈)/子孫繁栄/海上交通安全
場所:横須賀市大矢部地区(旧御浦郡)
開基:円通寺  三浦介  平   太夫  為通  公
開基:清雲寺  平朝臣  佐原三浦  義連  公
歴史:円通寺は三浦家菩提寺だったが明治の廃仏棄釈の影響で廃寺に成り、子孫の佐原三浦氏の菩提寺清雲寺に合祀された。
円通寺を開基した三浦為通公と二代三浦為継公は、前九年後三年の役で鎮守府将軍源頼義公と八幡太郎義家公に与力し大活躍しました。
清雲寺開基の佐原義連公は源頼朝公に従い源平合戦で源義経の参謀として活躍し、今の神戸市に在った平家拠点福原攻めで有名な「鵯越の逆落とし奇襲」等を立案しました。
三浦本家が宝治合戦で勢力を失うと、三浦家の子孫の佐原家が相模国の三浦宗家を継ぎました。
※本殿の圓通閣の名の由来は、近くに在った平安~鎌倉時代初期の三浦総領家の菩提寺の圓通寺に由来しており、御本尊はその圓通寺から遷座された観音様です。

満昌寺
御利益:縁結び(恋愛&人脈)/学問上達/健康運向上
場所:横須賀市大矢部(旧御浦郡)
開基:征夷大将軍   源   頼朝   公
歴史:鎌倉幕府征夷大将軍源頼朝公が最大の盟友三浦義明公の忠孝恩義に報い菩提を祀る為に開基した御寺です。
頼朝公の旗揚げで石橋山合戦に援軍として三浦義明公は孫(長男の子)の和田義盛公に軍を率いて参戦させようとしますが、頼朝公が敗戦します。
その際に89歳の三浦義明公は居城衣笠城に一人手勢を引き連れ籠城し敵軍を引きつけ、頼朝公と三浦一族の退路を確保しました。
その義明公の判断力と功績により頼朝公は後に鎌倉幕府が成立する事が出来ました。
源家の興隆を支え功績を遺した三浦一族の代表格の武将が、この三浦義明公です。
※前もって連絡すれば、義明公に関する資料館を見学出来ます。
※境内には頼朝公御手植えの樹木も在り、頭を突っ込むと(痛いけど)御利益が有ると言われています。


浄妙寺
御利益:縁結び(人脈)・子孫繁栄・婦人病治癒
2015-12-07-15-37-18
場所:鎌倉市浄明寺(旧鎌倉郡)
開基:足利 義兼 公
中興:足利 貞氏 公(足利尊氏公の御父君)
歴史:鎌倉幕府時代足利家の菩提寺。最初、源頼朝公の忠臣足利義兼公により真言宗の寺院極楽寺として開かれ荒神・不動を祀っていたのを源頼朝公と足利義兼公の没後、三代将軍の源実朝公の代に境内に別に御堂を造り其方に荒神・不動様を移し御祀りし、御本尊に北条政子の白檀製の弥陀像と御釈迦様を御祀りした。その後、臨済宗建長寺の蘭渓道隆和尚の弟子の月峯了然和尚の代に臨済宗に改宗した。その後も足利家からの信仰厚く、室町幕府初代将軍の足利尊氏公の御父君の足利貞氏公により中興開基されると異母兄足利高義公や同母弟の足利直義公も境内に塔頭寺院を建設し、三代将軍足利義満公の頃には実に23もの塔頭寺院を抱える大寺院と成った。その後、永享の乱で三浦軍による放火で類焼し衰退したが、現在も広大な境内は紅葉の名所として有名。婦人病治癒の神様の淡島明神像も御祀りしている事から婦人病治癒祈願の寺社としても有名。
※紅葉の名所。
※境内には美しい日本庭園を抱える茶房「喜泉庵」では御抹茶と和菓子を頂けます。
※境内裏山に在る「石窯ガーデン」は石窯で焼いたパンや湘南の野菜や地魚の料理を頂けます。


常楽寺
 
御利益:立身出世/縁結び(人脈)/実務力向上/海外渡航安全
  
場所:鎌倉市大船(旧鎌倉郡)
開基:鎌倉幕府執権  北条 泰時 公 
開山:蘭渓道隆 和尚/退耕勇行 和尚 
歴史:征夷大将軍源頼朝公の外甥で鎌倉幕府執権の北条泰時公が開基しました。 
その際、中国から来た高僧蘭渓道隆和尚が初代住職を務めました。また宗派の便宜上、退耕勇行和尚を初代の住職とカウントしています。
北条泰時公は鎌倉幕府を法治主義化に成功した実務能力と学問に優れたばりでなく、承久の乱の際に軍を率いて武将としても大活躍しました。
蘭渓道隆和尚は今の中国が南宋時代、チンギスハンの侵略から逃れ鎌倉幕府に亡命して来られ、関東で学問の普及に勤められました。
※現代では瓦葺や銅葺きの屋根に吹き替える神社仏閣が多く、少なくなった貴重な茅葺き屋根の御堂と山門が見られます。


称名寺
御利益:学問上達/縁結び(人脈)/実務力向上
場所:横浜市金沢区金沢町(旧久良岐郡)
開基:鎌倉幕府 引付頭人 金澤 北条 実時 公
中興:関東管領 宅間上杉家
        関東管領 山内上杉 憲実 公
歴史:金澤北条家初代当主の実時公が邸宅を構え、阿弥陀堂を建てたのが始まり。 
隣接する金沢文庫博物館は鎌倉時代当時から有る金澤北条家が開いた日本最初の図書館金沢文庫が前身で、地名の由来。鎌倉幕府滅亡により支援者の金澤北条家も滅亡し金沢文庫を含む称名寺は一時期荒廃したが、鎌倉時代〜江戸時代を通じ大伽藍を持つ大寺院だった。
かつては今より膨大な文化財や蔵書を有したが、加賀金沢城主前田家による略奪で多く散逸した。その為、石川県金沢市を含め全国に「金沢文庫」の朱印が押された文化財が有る。しかし、未だ幾つかの重要文化財を保持しており神奈川はおろか関東地方にとっての文化醸成地の一つである寺院です。
永享の乱の終焉の舞台でもあります。
※素晴らしい庭園の名残を示す池にかかる二重橋と、その周辺を覆う桜が咲く春は特に綺麗です。
※隣接して金沢文庫が現代では博物館として営業しています。
※参道では小柴漁港名物のアナゴ料理や蕎麦を出す茶房が数軒在ります。
※背後の鎮守の山の稲荷山から見る金沢の海の眺望は絶景です。

報国寺 
御利益:立身出世/文化技能上達/縁結び(恋愛&人脈)
場所:鎌倉市浄明寺地区(旧鎌倉郡)
開基:足利家時公&宅間上杉重兼公 
※足利家時公は室町幕府征夷大将軍足利尊氏公の祖父。上杉重兼公は足利尊氏公の親戚。
歴史:鎌倉幕府が倒幕された翌年、足利尊氏公の祖父家時公と上杉重兼公が一緒に開基した後に歴代鎌倉公方と関東管領の菩提寺に成りました。 
この一帯には鎌倉時代には北条時政や青砥藤綱公が住み、室町時代には宅間上杉家だけでなく関東管領の犬懸上杉家の居館も在りました。近代にも多くの報国寺を愛した文化人芸術家や皇族華頂宮家が移住して来て、報国寺周辺は室町時代~近代を通じて一大文化醸成地の体を成していました。
明治に成ると多くの芸術家が報国寺周辺に住み文化芸術の醸成拠点と成りましたが、近年では美しい竹林の庭園と参道からミシェランガイドで三ツ星評価を受けています。
※竹林の中の東屋で御抹茶と御茶菓子を頂けます(2016年2月頃まで改修の為、茶房は休業中)


御利益:大雄山最乗寺(道了尊)
御利益:縁結び(恋愛)・夫婦円満・学問上達・健康向上
2015-11-18-08-21-50
場所:南足柄市大雄町(旧足柄上郡)
開基:了庵慧明禅師(開山)
中興::相模守  北条 氏康   公
歴史:相模国大隅郡糟谷庄(現在の伊勢原市上粕屋一帯)の地頭だった了庵慧明禅師が戦乱が続く世間を憂いて出家、鎌倉で修行後に能登の曹洞宗の大本山総持寺で更に修行を積み総持寺の住職を務めた後に故郷の相模国に帰国し、この地に禅と修験の道場となる大寺院の最乗寺を開基開山した。
更に道了尊の寺院の異名の由来に成った相模房道了尊者は京都聖護院の門跡(天皇の一族が住職を務める特別な仏閣の住職の役職名)の覚増坊親王の元で修行をした後、金峰山や熊野三山で修験を積み、この大雄山を開いた了庵禅師の元で寺院建設と修行に励んだ。道了尊者は75歳で「大雄山の山中に入り以後は大雄山を守り人々を救済する」旨を宣言すると再び修験に出られ、現在では天狗の御姿で守護される道了大薩埵に成られたとして室町時代より鎌倉府与力の大名小田原城主大森家歴代当主や、後の小田原城主で関東の覇者と成った北条氏康公より深い崇敬を受け塔堂を寄進(建設)された歴史を持つ。
※紅葉の名所としても非常に有名。
※境内に有る巨大な天狗様の高下駄は、縁結びの御利益が有るとして有名。


勝國寺
御利益
:商売繁盛/立身出世/事務力向上
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場所:横浜市南区蒔田(旧久良岐郡)
開基:左京太夫 吉良 政忠 公
中興:蒔田御所 吉良 成高 公
歴史:東京の世田谷城と、現在の勝國寺の背後の丘に在った蒔田城を居城とした蒔田吉良家と御縁の深い御寺。元々、霊応寺と言う寺院だったが吉良家の菩提寺として再興開基されてより勝國寺と寺名を改めた。
この蒔田と世田谷を居城とした吉良成高公は関東一の名軍師太田道灌公の盟友として活躍された名将で、当時、道灌の居城だった江戸城が道灌公の留守中に敵勢に攻撃された際に援軍として駆けつけ城兵の指揮を執り敵勢を撃退する事に成功した事が梅花無尽蔵と言う書物に記載されている。勝國寺を菩提寺とした蒔田吉良家は室町幕府足利将軍家の分家に当たり格式が高かった。その為、戦国時代には小田原城主北条家の関東制覇に際し当時の蒔田吉良家の当主吉良頼康公は鎌倉公方の代行者として一時、蒔田御所の異名で呼ばれその政務を代行した。
又、鶴岡八幡宮が房総の里見家によって戦火に巻き込まれ焼失した際は、河川の水運や海運を担う商人達と関係が密接で現在の東京沿岸部を支配した吉良頼康公とその家臣団が材木の海上輸送を担当した。
この鶴岡八幡宮は総勢5万人の人員を動員した大事業だったので、蒔田吉良家の豊富な経済力と主従の内政的な実務力の高さを示した事績とも言え、吉良家歴代殿様の武勇と実務力と商売の能力の御利益に預かれる御寺でもある。
※近くには縄文時代からの遺跡を公園化し展示している三殿台遺跡があり、この地が古代より重要だった事が解る展示がされています。小学生くらいの御子さんのいる御家族は勝國寺と併せて見学されると、御子さんに良い体験もさせてあげられると思います。
 

龍寶寺(りゅうほうじ)
御利益:勝負運/縁結び(人脈)/夫婦円満/土木技術向上
2014-09-04-12-54-06
場所:鎌倉市植木(旧鎌倉郡)
開基:後北条家臣 黄備隊大将 玉縄城主 地黄八幡 北条 綱成 公
中興:儒学者 新井 白石
歴史:開基様の北条綱成公は後北条家の家臣で、第三代当主北条氏康公の妹を妻にしており義兄弟同士で関東最強の主従として周辺諸国に武名を轟かせた。
特に西暦1547年に河越合戦で河越城代として兵3千を指揮し、関東管領上杉家と古河公方連合軍8万を迎撃し半年間も防衛に成功した上、主君で義兄の氏康公の援軍8千と協力し夜襲で関東管領連合軍を壊滅させ大逆転勝利をおさめた。
更に龍寶寺の寺域を含めた一帯にあった居城玉縄城で上杉謙信と武田信玄を迎撃し撤退させた。
北条家と武田家の同盟成立後は武田信玄vs上杉謙信の川中島合戦でも武田家の上田城に援軍として派遣され上杉謙信を撤退させた。
北条家武田家の同盟破綻後、北条家と上杉家が同盟するや武田家が北条領伊豆深沢城を攻めた。
その際、綱成公が深沢城代を務めていたが、寡兵(かへい=劣勢)でよく守り善戦した。敗戦濃色となり撤退した情報が上杉謙信に伝わると過去綱成公に何回も苦戦させられた彼は「地黄八幡が信玄に城を明け渡した」と大変悔しがった程でした。
勝った武田信玄も深沢城に残された「地黄八幡」の旗を部下の真田信伊(のぶただ=真田幸村の叔父)に与えて「北条綱成にあやかれ」と言わしめる程の名将でした。
江戸時代、龍寶寺は海外の外交使節の応接施設としても使われました。
綱成公の御子孫筋に当たる方に、名奉行大岡越前や江戸時代初期の名将松平信綱がいます。
副将は伊豆山中城合戦で活躍した笹下城主間宮康俊公です。 
※境内、山門の直ぐ横には玉縄郷土資料館が在り、戦国時代の玉縄城の様子を伺える資料が展示されています。
※付近一帯は玉縄城址で、近所には一般非公開だが城址の蹴鞠場や花畑や空堀等の史跡も僅かに残る。鎌倉市に問い合わせれば見学も可能。 


横浜中華街関帝廟

御利益:商売繁盛・財運向上・勝負運向上・縁結び(人脈)
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※色んな人が写り込んでいるので、顔が見える人だけ画像差し替えてます(ふざけてません(笑))。
場所:横浜市中区山下町(旧久良岐郡)
開基:幕末の華僑の皆さん
歴史:ペリー提督の来航により横浜が開港されると、1859年、蒔田湾(大岡湾)を埋め立てて作られた吉田新田の一角、横浜の地名の由来の半島と山手地区に接する埋め立て部分に中国清朝時代の領事館が設置され、次第に華僑商人達が貿易の為に集まる様に成り今の横浜中華街の礎が形成された。その頃既に、関帝廟も建立されていたが現代の様に立派な建築では無く比較的簡素なものだった。
現在の関帝廟に成ったのは、戦後の事。関帝廟からほど近い公園は、元々は幕末の中国清朝の領事館の所在地だった。
明治時代初期には台湾の国父で明治政府の盟友、孫文先生が横浜中華街に亡命し、その後、中国大陸の民主化と中華民国の建国に成功している。
御祭神の関聖天君は生前の名を関羽雲長と言い三国志に登場する有名な名将。三国志演義では指揮官としてよりも武芸に優れた武将として描かれているが実際の関聖天君は指揮官として優れ「万人之敵(万の軍を打ち破る名指揮官)」として記録上は評価されている。
後に農村の村民から皇帝に出世する劉備と出会い、武将としての才能を開花させていく。
武将としての人生を歩む前は塩の行商を行っていた商人だったので財神(ざいしん=金運と商売の神様)として崇敬を集めた。又、当時の商隊は武装した私設軍隊でもあった。
関聖天君の活躍した三国時代は日本の卑弥呼の時代に相当するが、当時の中国で塩の行商は個人レベルで行う事業では無く商隊を組んで行う大規模な事業だった事や、塩自体が貨幣の代替品としても利用された事から、商売繁盛の神格も有している。その為、世界各国の華僑の崇敬を集めている。
※入口で御線香を購入し御参りすると、日本で言う所の御朱印みたいな柄がプリントされた御守りを頂けます。
※中華街はランチタイムに行くとお得で、500円~1500円位でメインとライス・スープ・デザート付きのランチ定食やランチコースを楽しめる店が沢山有ります!肉まん食べて御腹いっぱにするのは「損」ですよ~。



思金神社
御利益
:立身出世/商売繁盛/学問上達/工業技術向上/実務力向上 2016-01-01-11-36-10
場所:横浜市栄区上郷町(旧鎌倉郡)
開基:不明。近代、幾つかの御社が統合された。元は白山神社の社殿。
歴史:裏の鎮守の森は円海山瀬上市民の森と呼ばれる自然公園で、この神社のすぐ近くからは奈良時代の蹈鞴製鉄場の遺跡が出土している。古代鎌倉郡域の中でも特に早くに開かれた地域である。その為、山の裾野の丘陵には沢山の古墳群がかつて存在し現在も一部が現存する。
山中の林道は鎌倉武士達が利用した古道の史跡でもあり、円海山全体が文化醸成地の体を成している。
その山の多くの沢の水を集めた瀬上池から流れる瀬上沢は、古代人達から受け継いだ稲作文化を現在に伝える水田に配水する為の灌漑水田の史跡でもある。
その灌漑用水として機能していた円海山の瀬上沢流域は「横浜市内では絶滅寸前の貴重な天然のホタルが自生している場所」で、6月にも成ると、夜間、瀬上沢のせせらぎの樹木の枝で光る天然の蛍を見る事が出来る。
更には、この神社の建つ丘陵一帯は、貴重な淡水生の大型の貝の化石が出土する保護すべき地層でもある。
太古の生物の化石が出土する保護すべき重要な土地であり、蹈鞴製鉄を行った古代人の文明と自然信仰の文化、鎌倉武士団の踏みしめた幾筋の古道を受け継ぐ文化醸成地の象徴的な存在が、この思金神社に成っている。
御祭神も今では余り見かけなく成った神様の「思金神」だが、古代神話時代の首相格を務めた神様で、実務的な事や神様の担当業務等を割り振る役割を担った神様だった。菅原道真公を御祀りする天神様の登場まで、知恵や仕事の御加護の有る神様と言えばこの思金神だった。
思金神を御祀りする神社は今では日本中に余り無いので、ここ栄区上郷町の思金神社と円海山の自然は横浜市内有数のパワースポットでありながら古代人の崇拝した古い神様の御利益に預かれる数少ない貴重な神社とも言える。
※所在地が古代人が山岳信仰の御社を建てた神社だけあり、境内の展望台からは美しい富士山が見られます。
※思金神社から徒歩5分くらい、近くを流れる瀬上川の少し上流、円海山瀬上池近くでは初夏にホタルが見られます。


ここでは、特に開基様が有名で偉大な業績を残さした神社仏閣を紹介しました。
他にも素晴らしい神社仏閣もあります。
もし御興味有る方は、以下カテゴリーから御覧下さい。
●神社→「ココ」←クリック!
●御寺→「ココ」→クリック!
●城址→「ココ」←クリック!
●無形文化財/伝承→「ココ」←クリック!

では!
皆さん、本年中は御愛読頂きまして誠にありがとうございました!

ブログで関わった皆さんと日本国民と日本の友好国民の新年が良い年に成ります様に!