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神奈川県伊勢原市にそれはそれは凄い歴史を持つ神社が有ります。

比々多神社と言う神社です。
関東では安産祈願で有名な子易神社の本家本元も、此方(こちら)の管轄に成っている程の由緒ある神社です。

御祭神は…
●豊国主尊(とよくにぬしのみこと)
=土地開発の神様。
●大酒解神(おおさけとけのかみ)
  &小酒解神(こさけとけのかみ)
=酒造・防火・子宝・縁結びの神様。
●稚日女尊(わかひるめのみこと)
=紡績業服飾製造手芸の神様。
●天明玉命(あめのあかるたまのみこと)
=子宝の神様。
●日本武尊(やまとたけるのみこと)
=軍神・陸海交通・縁結びの神様。
…です。
何か若夫婦に人気の有りそうな神様が多いですね。

実はこの神社、もの凄い場所に在(あ)ります。
聖地?歴史遺跡の真ん中に在るんです。
周辺には縄文時代〜奈良時代の祭祀(さいし)場であるストーンサークルや、古墳等が沢山発掘されています。
そして近所には七沢城や岡崎城と言う重要拠点も戦国時代に有りました。


現在の社殿のすぐ裏にさえ、古墳が有ります。
発掘され復元されたストーンサークルも…
こんな風に縄文〜古墳〜平安〜戦国時代の遺跡が神社敷地内や周辺には沢山在(あ)り、神社に伝わる縁起(えんぎ=歴史)に登場する以下に記す歴史偉人との関係を証明してくれています。

開基(かいき=開いた人)
●神武天皇
中興(ちゅうこう=支援した人) 
●崇神天皇
●垂仁天皇
●持統天皇
●孝徳天皇
●聖武天皇
●淳和天皇
●相模国司       布施色布知公…持統帝時代 
●初代宮司       紀    益麿   公…聖武帝時代
●相模国司       橘    峯嗣   公…淳和帝時代    
●征夷大将軍   源    頼朝   公…鎌倉幕府
●相模守護       三浦道寸   公…室町幕府
●征夷大将軍   徳川家康   公…江戸幕府

凄まじく由緒正しいんですよ…

改めて社殿の写真を…
社殿の大きさは、普通の神社より少し大きめ位の規模ですが大山の麓(ふもと)に在るので、凛とした空気の清浄さを感じます。
大山は山自体が古代から信仰対象に成っている聖地です。
大山にも古い歴史を持ち、山伏達の修行場や温泉地として栄えた大山阿夫利神社と言う神社があります。
ココ↓ね。
※大山阿夫利神社の記事は「ココ」←クリック!
因(ちな)みに大山の神様の大山祇神(おおやまづみのかみ)は、富士山の神様の木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の父神様です。
ですから、伊勢原市からは箱根山越しに富士山が綺麗に見えます。

しかし本当、この比々多神社の周辺遺跡から出土した埋蔵文化財は量も凄まじい…。
比々多神社の社務所の隣には三ノ宮郷土博物館が有り、埋蔵文化財や関わりの深い平安〜戦国時代の大名三浦家所縁(ゆかり)の武具が展示されています。
ここは必見ですよ!

比々多神社は皇室と関わりが深いので、神社の家紋に五三桐紋の使用が許されています。
また、平安時代〜戦国時代の三浦家との関わりから三浦家の「三つ引き両紋」も譲られている様(よう)です。

三浦家との関わりについてですが…
比々多神社の近所に岡崎城と言う城跡が有りまして、そこの初代城主の岡崎義実(よしざね)公と言う方が実は鎌倉幕府御家人筆頭格の三浦家の分家で、それ以来の関わりだと思われます。
征夷大将軍源頼朝公の御父君に当たる源義朝公の時代から岡崎義実公は、比々多神社周辺の領主でした。
義実公は鎌倉武士団中、最も源氏に対して誠実だった様で、頼朝公の父君源義朝公が平家に敗戦し愛知県の長田と言う家臣に裏切られ謀殺された際には、自らの保身に走る事なく現在の鎌倉市寿福寺の場所に義朝公の御廟所を建て弔った方(かた)でした。
※三浦家と祖先の坂東平氏については以下のリンクをクリックして過去記事を御覧下さい。
ココ」「ココ」「ココココ」←クリック!

戦国時代に成ると三浦本家は佐原三浦家が継ぎ、比々多神社近くの岡崎城を本拠地にしました。
しかし、小田原北条家が台頭すると三浦家は敗北してしまい、最後は三浦半島の油壺に有った新井城で滅亡してしまいます。
実はその三浦家と北条家の合戦の際に、比々多神社は三浦家に味方したので戦火に巻き込まれてしまったんです。
その際に昔の社殿は消失しました。

今、社殿の在る場所は、古代の本殿の在った位置から500m位南に再建されたんですね。
しかし現在地も古代比々多神社の境内域内だと思いますよ…
多分広大な範囲が神社だったんだと思います。
なんせ、周りは遺跡だらけですから。

今の境内の裏の女子大や畑を通り抜けた裏山が昔の本殿の跡です。
この↓畑の裏山
そこを通り過ぎると「埒面(らちめん」と
言われる昔の本殿跡地。

元々の本殿の在った場所には今ではミカン畑に成っていますが、祠(ほこら)が祀(まつ)られています。
で…
この元々の本殿の在った「埒面(らちめん)」と言う地名なんですが…
"埒"と言うのは「壁や柵など」の防御施設の事なんですが、解決の手段が見つからない時に使う「埒が開かない」てのは、つまり城を攻める突破口が見出せないと言うのが語素なんですね。
そして「埒面」と言う地名から元々の本殿の在った場所は門や防御柵に囲われた有る意味山城みたいな造りだったのかも知れませんね。
ですから埒面には建物が沢山有った形跡ぽい削平地だらけでした。
そして昔の本殿跡だけ有って風景が綺麗でした。

この丘の近くまで神話の時代に当たる縄文〜奈良時代は海だったんですよ。
ほら↓この通り。
だから古代の遺跡はだいたい丘陵の上に有りまして、必然的に見晴らしも良い場所が多く成ります…
それにしても綺麗な風景でした。

ついでに素晴らしい歴史を持つ比々田神社の巫女さんも綺麗でした(笑)
ん?
神社の歴史と巫女さん達の可愛いさは関係無いか(笑)。

ところで皆さん…
もし安産祈願で比々多神社や子易神社に参拝する機会が有ったり、大山や伊勢原市方面へ何か行く用事が有れば是非、比々多神社の三ノ宮郷土博物館も拝観して見て下さい。
そして…
本殿で神様に自分の御願いを願掛けする時に、神様に歴代の開基中興偉人へ現代の発展の基礎を作って下さった皆さんへの感謝の伝言も御願いしてみては如何でしょうか?
私達現代人の生活は突然発達した訳じゃなく、古代からの先人達の御蔭でもありますから…

あ、伊勢原市からの帰り道、比々多神社の近所の"ふじみ野"と言う地域で、夕暮れの富士山の綺麗な山陰を拝めました!
流石、大山のお膝元…
大山阿夫利神社の神様は富士山の神様のお父さんですからね。
富士山が綺麗に拝めます。
富士山の手前には箱根山系や伊豆の山々が広がっています。

では、長くなりましたが…
今年1年が皆さんにとって良い年に成ります様に〜♫
これが今年の対外的な願いかな?

では皆さん、又、次のブログ記事でお会いしましょう!