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梅干し好きですか?
小生は甘い蜂蜜漬けより、昔ながらの塩っぱくて酸っぱい本物の梅干しが好きです。
特に小田原の曽我十郎梅の梅干し。

神奈川県は梅の名産地であり、観賞できる梅林がいくつか有るのを皆様ご存知でしょうか?
現代、県内で1番有名なのは小田原市の曽我梅林です。
写真は曽我梅林。
先月28日に撮影しました。
枝垂れ梅の向こうに富士山を眺めれる素敵な場所です。

江戸時代、日本で最も有名だったのは、横浜市磯子区〜港南区の杉田梅林。
しかし…教育委員会が保護しなかった為に杉田梅林は姿を消しました。
写真は磯子区杉田の妙法寺にある杉田梅林の顕彰碑です。
江戸時代に観光地として栄えた杉田梅林を植林したのは、北条家重臣の間宮信繁公でした。
杉田梅は江戸時代に紀州南高梅より有名な梅だったんですよ!
ですから明治天皇も杉田梅林に観梅に御幸(みゆき=天皇陛下が外出なさる事)されています。
※杉田梅林関連記事は「ココ」←クリック!

現代横浜市磯子区岡村に、杉田梅林と同時期に造営された杉田梅林の飛び地、岡村梅林の一部が復興されています。
写真は岡村梅林の南側の入口です。
この岡村梅林は元々は岡村天満宮の敷地でした。
先週水曜日の時点では三分咲きでした。
今週末位からが見頃かな?
この直ぐ近所には玉縄北条氏繁公の開基(かいき=開いた)した龍珠院と言う御寺や、足利家一門(いちもん=親族)の蒔田吉良家の蒔田城も有りました。
※蒔田吉良家の記事は「ココ」←クリック!

田浦梅林は横須賀市田浦に在ります。
横浜横須賀高速道路からも見えますね。
田浦梅林は今上天皇の生誕記念に1934年に造営された、80年経った山全体が梅の木に覆われた広大な梅林です。
往時の杉田梅林を想像させる規模です。
昨年も行ったのですがデジタル写真が手元に無いので今週末撮影して来ます。

神奈川のお隣り、静岡県伊豆半島の梅林も超有名ですよね?
現代の東日本では、伊豆の方が有名かもしれません。
熱海梅園や修善寺梅林等が有ります。
熱海梅園は各種様々な梅花と河津櫻(かわづざくら)が観賞できます。
…もっとも歴史オタな小生からすれば伊豆半島は歴史的にも静岡県じゃなくて神奈川県に編入されるべき地域なんですが(笑)。

実はこれ等(ら)の梅林、なんで南関東の最南端沿岸部に集中しているかと言うと天災に関係が有ります。
そして戦国大名の北条家の政策に起因しています。

北条家の統治した南関東は水田開発に適さない土地が多く、為政者である北条家の各武将は食糧生産向上に苦慮していました。
その原因は多摩丘陵の丘だらけの地形と富士山です。
 
平安時代の富士山の噴火による火山灰堆積地層に由(よ)り、畑しか作れない地域が多いんです。
現代の降灰予想範囲を見て貰えば一目瞭然です。
降灰範囲が、正に畑文化地域なんです。
この範囲で富士山は戦国時代以前の平安時代には…
⚫︎延暦噴火800年〜802年。
⚫︎貞観噴火864年。
…以上の2回の噴火しています。
これにより生成された地層のせいの水田に不向きな土地なんですね。
余談ですが…
「かぐや姫」=「竹取物語」は成立年不明とされていますが、物語の最後に富士山名前の由来説明で火口が噴煙を上げている描写を記しているので、かぐや姫の物語は延暦〜貞観年間か、それ以後の成立と推測出来ます。

貞観噴火は貞観大地震と貞観大津波と関連が有り日本全土に重大被害をもたらした災害でした。
東日本大震災以降、地震や津波の発生メカニズムの研究対象として、地震研究者と考古学者が協力して研究している大地震です。
貞観地震と富士山貞観噴火の関係性から、東日本大震災以後、富士山噴火が警戒されている訳です。

延暦噴火では、古代、富士山北麓を抜け御殿場市を通過していた古東海道が使用不能に陥り、箱根経由の険しい現在の東海道を開拓しなければいけなくなった程の降灰がありました。

戦国時代以後も噴火しています。
江戸時代の宝永大噴火では小田原藩大久保家は藩経営不能な事態に陥り、徳川幕府が用意した代替領地に藩ごと一時期引っ越し、小田原藩約6万石は徳川幕府の元で再建されます。

今の富士山の南山麓の宝永山が宝永の大噴火当時の火口です。
まぁ、当時の江戸幕府は優秀でして…
無能な民主党が東日本大震災で始終狼狽して終わったのと異なり、江戸幕府は発災後、直ちに小田原藩領地を直轄地化し全国の大名から16万両の復興資金を集め復興政策を成功させ小田原藩に領地を返還しています。
当時の江戸市民が東京都内で体験した富士山噴火当日の様子を参考に紹介します。
この日の午時雷の声す、家を出るに及びて、雪のふり下るごとくなるをよく見るに、白灰の下れる也。西南の方を望むに、黒き雲起こりて、雷の光しきりにす。
…富士山が噴火すると東京都内も真っ暗に成り、大気中の火山灰同士が擦(こす)れ合い静電気で雷雲化してしまい、凄い落雷が続くみたいですね…
落雷要因の火災も頻発しそう。

さて、ここまで読んで頂くと水田耕作に関東平野南部が向いていなかった事情がなんとなく伝わったでしょうか?
そこ等辺りは、以前、平安〜鎌倉時代の武士三浦家の本拠地衣笠城の紹介記事でも書いたので御興味有れば読んで見て下さい。
衣笠城記事は「ココ」←クリック!

そこで北条家臣団による梅林の植樹が関係して来る訳です!
この殿様↑北条氏康公の時代に今の神奈川県と静岡県伊豆半島で梅林の植林が盛んに成ります。
※KOEIさんのゲーム画像だと↓コンナ感じ

関東では水稲が育てれない土地が多いので、富士山の火山灰の堆積地層の関東ローム層は古い層は赤土で酸化鉄が固まり硬く、又、新しい黒い層は畑地にしか向かない性質があります。
まぁ、長所も有り石垣を使わずとも削り込むと築城に向く地質でもある訳ですが…
そこで、北条家では梅林造営を奨励しました。
梅は関東ローム層でも植林可能です。果実が梅干しに食用加工出来るので、梅は戦時食料に成る上に、特産品として出荷も出来る訳です。

又、農業的、商業的な理由だけでの梅林造営ではなかった筈です。
北条家は元々の苗字が「伊勢」氏で、家祖の北条早雲公の家は室町幕府で申次衆(もうしつぎしゅう)と言う役職を務(つと)めたエリート官僚の家系でした。
ですから、北条家の殿様は学問を奨励した文化的素養に優れていた方ばかりで風流さも兼ね備えていた様です。
つまり現代人と同じ様に、梅林を見て観賞する意味でも植林を奨励したのだと思います。
だって綺麗だもんね?
上の写真は曽我梅林です。
北条家の家臣団は、梅林を見ながら和歌を詠(よ)んだりしたり、お酒を飲んだのかな〜?
なんか桜の花見より風流ですよね〜♪

恐らく、梅林には宗教的な意味も有ったと思います。
北条家より先に関東地方に土着し鎌倉文化の基礎を築いた平良文公の御子孫、坂東平氏の武士達は氏神様とは別に天神様=菅原道真公を崇拝していたので天神様と関係の深い梅を愛(め)でる文化が有ったのかも知れません。
※天神様と坂東平氏の関係記事は「ココ」←クリック!
鎌倉武士団は戦時食料にクエン酸と塩分を補給出来る梅干しを携行していましたし、梅林は平安時代後期の昔からいくらか有ったのかも知れませんね。

ここまで読んで頂いて、何で神奈川県や伊豆半島には広大な梅林が嘗(かつ)て沢山有り、今も曽我梅林や岡村梅林や杉田梅が残るか何となく御理解頂けましたか?

全ては北条家の大殿様と武将達の内政力を今に伝える文化遺産でもある訳です。

次回は梅花の写真を沢山載せた記事を書きますね〜!

では又、次のブログ記事でお会いしましょう♪