ブログネタ
旬なニュース速報 に参加中!
横浜市磯子区岡村町にある岡村梅林と言う梅林が、次の日曜日位まで見頃です。
※2015年3月8日現在

この梅林は元々は、岡村天満宮の社領でしたが太平洋戦争後に米軍に接収され米軍基地にされたので、一度消失しています。
それを米軍から市に返還された際に、横浜市は何故か岡村天満宮に土地を返還せず公園化してしまったので有志で梅林を一部復活させたそうです。
広さは大きめの体育館くらい。
元々岡村天満宮の社領だったので、岡村天満宮と併せて御散歩するのに丁度良いくらいの敷地面積です。
岡村天満宮も鎌倉幕府御家人の平子家の殿様が開いた800年間の歴史の有る神社です。
恐らく、岡村天満宮が開基されたのは平子家の中の平子有長(ありなが)公の代の話しでしょう。
「曽我兄弟の敵討ち」の物語で頼朝公の忠臣として登場します。
箱根や小田原や鎌倉では有名な歴史事件で、狼藉に及んだ曽我兄弟を捕縛すべく最初に太刀を合わせた勇敢な武将でした。

曽我梅林のある小田原市曽我の領主曽我家と坂東平家の子孫の平子家が「梅で繋がる不思議な縁」を現代に伝えるタイムカプセルが岡村天満宮です。
岡村天満宮は次回の記事で詳しく書こうと思います。

現在8分咲き位かな?
別嬪(べっぴん)さんな梅さんばかり!
綺麗ですよね〜!
綺麗と言うよりは可愛らしく凜としていると言う印象でしょうか?

岡村梅林、実は数本、継木(つぎき)されている幹も有りまして…
この幹は下がピンクの梅、上は白梅ですね。
職人さんが見学者を楽しませようと趣向をこらして下さったんですかね〜?
この株は下が白梅、上は紅梅ですね!

岡村梅林は子供にも親しんで貰えるように子供向けの看板も設置されています。
良い取り組みですよね?

実はこの岡村梅林や岡村天満宮のある岡村町の丘陵は、戦国武将の北条氏繁が開基した龍珠院と言う御寺もあります。
岡村梅林や岡村天満宮から歩いて行けます。
※北条氏繁公の玉縄城と黄備えに関する記事は→「ココ」←クリック!
龍珠院の寺紋は、やはり北条家の「三つ鱗紋」ですね。
敷地内に下の石碑が有りまして、その内容を読むと氏繁公が開基された事が解ります。
龍珠院は谷戸構えの様(よう)です。
下の写真を見ると解りますが、掘削して城壁の様に垂直にした崖地に守られています。
恐らく、氏繁公は別荘代わりに此方を開基されたのだと思います。

何故なら、御近所に血筋的に足利将軍家の一族で高い位の吉良家の殿様が住む蒔田城も在(あ)りますから。
※蒔田城に関しては以前別記事でも書きました。
年賀の挨拶等、蒔田城の側に宿泊所が必要ですからね。
※蒔田城の記事は「ココ」←クリック!

だからこそ、この梅林も存在するのでしょう。
岡村梅林の最高部からは吉良家の蒔田城の丘も見えます。
以前書きましたが、近隣の三殿台遺跡からは吉良家の蒔田城、平子家の磯子城、太田道灌公の太田城が見えたから三殿台と呼ばれるのだと推測しています。
太田道灌公も又、吉良家の吉良成高公を上役として蒔田城に挨拶に来る立場だったので、別荘として京急南太田駅近くに太田城を築いていたのでしょう。
無題
因みに位置関係はこんな感じ・・・
どの城も三殿台から一望出来ます。

この岡村梅林が出来た時期も氏繁公の活躍した時期であり、恐らく杉田梅林を植林した間宮信繁公が同じく氏繁公の政策でこちらにも岡村梅林を開いたと思います。
江戸時代には広大な杉田梅林として岡村梅林、笹下城址梅林、峰の梅林も江戸からの観光客が船や陸路から観光に来ていたのでしょう。
全て戦国時代には間宮家の守護した地域ですからね。
※間宮家の記事は「ココ」←クリック!

岡村梅林は同時期に出来ているらしいので地域産業としての梅の果実生産としての植林であると同時に、吉良家の殿様を招いての春の連歌会を開いたりする場所だったのかも知れませんね…

以下岡村梅林の行き方です。

岡村梅林には入口は二つ有ります。
一つは鎌倉街道側

もう一つは旧岡村天満宮敷地の横浜市立岡村公園側です。

岡村公園の運動施設には安い有料駐車場も有るので車が有るなら此方(こちら)側の入口が便利かと思います。
 
写真上、「⚫︎6丁目」と表示されている場所が「岡村梅林」です。
写真左下の「緑の屋根が岡村天満宮」の現在の場所です。
この現在の岡村天満宮〜岡村公園〜岡村梅林の全てを含めた敷地が、戦前は岡村天満宮の敷地でした。

最寄バス停は…
京急バスの「岡村梅林入口」か
神奈中バス市営バスの「横浜岡村郵便局前」です。

最寄駅は…
京急と市営地下鉄の「上大岡駅」
か「市営地下鉄の弘明寺駅」
…ですが、いずれも駅かは徒歩20分〜30分かかると思うのでバスか車を御勧めします

では、又、次の記事でお会いしましょう!
次こそ岡村天満宮を書きたいな…
でも田浦梅林も書かないと梅の季節が…