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龍華寺と言う立派な御寺が横浜市金沢区に在(あ)ります。
昔の大富豪や権力者は今と違い、文化貢献を大切に考えていたのですが…
この龍華寺、最初の寺名を浄願寺と言い後に龍華寺と改めました。
御寺を開いた人物は…
開基(かいき=造営した人物)が源頼朝公
開山(かいざん=最初の住職)真言宗の文覚上人
…と凄まじく由緒ある御寺です。
当初は金沢区六浦に在りましたが、戦火に遭い火災や略奪で衰退しました。
それを、菅原道真公の御子孫の菅原資方(すけかた)公が現在の場所に中興開基されたそうです。
小生もまかり間違って大金を手にしたら、先人の様に日本文化保護に貢献したいです。

この龍華寺、平安時代の更に後に関わった人物も超有名な歴史偉人ばかりなんですよ。
鎌倉時代には吉田兼好(けんこう/かねよし)も、こちらに住んでいたそうです。
…義務教育の国語の授業で習うから徒然草(つれづれぐさ)を書いた兼好法師と言った方が解りやすいかな?
因みに名前の兼好は俗名で、兼好(かねよし)が正しい読み方です。
音読みの兼好(けんこう)は愛称ですね。
本名は卜部宿禰(うらべのすくね)兼好です。

吉田兼好さんは古代豪族卜部氏の嫡流ですね。

卜部と言えば織田信長公のご先祖様の忌部(いみべ)氏と共に、神話の時代から祭祀(さいし)を司(つかさど)った家系です。
龍華寺を開いた源頼朝公の家系「源氏」よりも古い家系です。

何で吉田兼好と縁が有るかと言うと…
龍華寺の宗派の本山が京都の仁和寺だから容易に推測が成り立ちます。
恐らく鎌倉幕府に何ぞ用事が有り来訪したか、龍華寺に赴任した際に寄宿されていたのでしょう。
山門(さんもん=御寺の門or御寺そのもの)の前には石標が有ります。
塔頭(たっちゅう=本堂とは別の御堂)の持仏の説明が有ります。

そして参道には所蔵の文化財の説明看板が有ります。

参道に右手のこの門をくぐると…
一般に文化交流の場として開かれている塔頭の建物が在ります。
御住職の素晴らしい文化醸成の心意気を感じますね!
仏教は古来、この様(よう)に庶民が学問や文化に触れる機会を与える場としても機能してきていたので、現代においても存在意義を全うし文化貢献するのは素晴らしい事ですよ、本当。

山門は参道から関わった偉人達に相応しい立派な門構えですね…

山門をくぐると…
右手には不動明王像が鎮座しています。
実は、この龍華寺に不動明王が祀(まつ)られている理由も凄いんですよ。
戦国時代初期の関東を代表する名将太田道灌(おおたどうかん)公が龍華寺に不動明王を奉納したんです。

太田道灌公と言えば不敗の名軍師で江戸城や河越城を築き、今の豊島園遊園地に在った豊島城や石神井公園に在った石神井城を本拠地にしていた豊島家を横浜市港北区の小机城まで追い詰め討伐した名将でした。
※「小机城の記事」←クリックでリンク!
道灌公は不動明王を崇拝していたんですね〜。
龍華寺を参拝するまで恥ずかしながら知りませんでした。

この不動明王様の側や境内各所には梅の木が有り、訪問時まだ二月末でしたので可愛らしい梅が咲いていました。
どうやら牡丹園も有るようです…

さすが、華(はな)の寺ですね〜♪

不動明王様の少し前に進むと、立派な茅葺(かやぶき)屋根の鐘楼が有ります。
昨年の「本郷ふじやま公園」(←クリックでリンク!)の記事でも少し触れましたが、藁葺(わらぶき)屋根と異なり茅葺屋根は非常に高価で普通の家屋一棟分の屋根を茅葺で葺き替えるだけで、現代の金額で4千万円くらいかかるそうです。
寺院を色眼鏡で見るのは些(いささ)か罰当たりですが、この鐘楼の屋根もかなり高価な筈(はず)です。
しかし立派ですね…
流石(さすが)に重要文化財指定されているだけあります。
歴史が有る御寺ですからね。
既に存在が文化財♪

本堂は現代では銅葺(あかがねぶき)屋根です。
銅は新しいと金の様に山吹色に美しく光り、酸化しても綺麗な緑色に成る…
古くなったら成ったなりに美術的な美しさを出してくれる金属ですね〜。

因(ちな)みに、この龍華寺…
関わった偉人は源頼朝公と文覚上人、吉田兼好さんや太田道灌公に留まらず…

戦国時代には小田原北条家当主の滞在場所でもありました。
何故なら御寺の縁起に「北条左京大夫、永楽7貫文、并せ権現堂山柴村を寄付せらる」とあるからです。
この北条左京大夫の左京大夫は歴代北条家当主の官職名です。
つまり、北条家の殿様の誰かが滞在していた訳ですが、誰かは絞り込む事が出来ます。
この龍華寺の在る金沢区町屋や六浦は、嘗(かつ)て鎌倉府の外港として機能していた場所な上に金沢八景と呼ばれ8つの風光明媚な景勝地を有する土地でした。
ですから、鎌倉に用事の有る際に小田原から出張して来る北条家の殿様の別荘代わりに龍華寺が機能していた筈です。
鎌倉には今の大船駅近くに玉縄城と言う御城が在りますので、その玉縄城が築城される以前の話でしょう。
近くにお城が有るなら、殿様の警護の都合上、御寺より御城に宿泊しますからね…
そうなると、玉縄城の築城者は小田原北条家初代の北条早雲公ですので、この龍華寺に玉縄城築城以前に関わりが有った殿様は、時代的に北条早雲公と考えられます。
全国的にも超メジャーな名君主ですね。

更に江戸時代には徳川家康公も寝所として滞在されたそうです。
…凄い御寺ですよね?

因みに縁起に書かれている「権現堂山(ごんげんどうやま)柴村」と言うのは現在の金沢区小柴〜西柴辺りです。
前々回のブログ記事で紹介した「小柴の柴漁港」(←クリックでリンク!)の辺りですね〜。

横浜市は普通の住宅地の中にも、こんな風に凄く由緒ある御寺や神社が沢山有るんですよ〜。

皆さん、御近所の神社や御寺を散歩してみては如何でしょう?
思いがけず、トンデモナイ歴史偉人との関わりがお住いの近くには有るかもしれませんよ?
美味しい店との出会いもね(笑)♪

では、又、次のブログ記事でお会いしましょう!