世田谷区、東急世田谷線宮の坂駅から徒歩で5分位の場所に、勝光院と言う落ち着いた雰囲気の御寺が在ります…
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この勝光院、横浜市南区の蒔田城と、世田谷区豪徳寺に在った世田谷城を主要拠点にして武蔵国南部の交通の要衝を支配した「蒔田吉良家」の歴代殿様の菩提寺です。

足利一門の中でも非常に格式の高い存在だった蒔田吉良家だけあり、江戸時代に大名から旗本に規模縮小したにも関わらず、菩提寺勝光院の規模は小大名の菩提寺クラスの規模の境内を現代も維持しています。
この御寺を維持する為に、歴代の檀家さん達は非常に苦労されたと思います。

さて、この勝光院には当然、吉良家の殿様の御廟所が在る訳ですが、鎌倉の報国寺の様な「竹林寺」として昔は有名だったそうです。
ですから裏門側に行くと当時の名残で竹林が一部今も残っています。
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恐らく、太平洋戦争敗戦時にGHQにより、他の神社仏閣同様に宗教施設と言う事で建物周辺以外の所有地を没収されてしまったんでしょうね…
昔は周辺の宅地が素敵な竹林だったのかも知れませんが、生憎(あいにく)訪問時に古い檀家さんや年配の職員の方と話す機会が無かったので詳しい事は判りません。

しかし、参道からは何となく昔の雰囲気が伝わってきます。
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さて、勝光院さんは山門の手前、竹垣で囲まれたところが墓地に成っていて、そちらに歴代殿様達の御廟所が在ります。
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不敬に成るので今回も御廟所内の写真は撮りません。
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この勝光院は、今川家から蒔田御所吉良頼康公の養子に入り跡を継いだ蒔田吉良氏朝(うじとも)公が1573年に中興しました。
しかし吉良家を影響下に組み込んでいた小田原北条家が豊臣秀吉により滅ぼされる際、氏朝公は下総国(しもうさ=今の千葉県の北部と茨城県南部)に逃げたので、世田谷における吉良家の大名としての活動は終了し、以後は徳川家の旗本として下総国で存続する事に成りました。
しかし、吉良の殿様の御子孫は、下総国転封後も世田谷の事を大切に思い、その故地に建つ勝光院に御廟所を置き、氏朝公の御孫さんの代から歴代の殿様の御廟所が置かれる事に成りました。
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由緒正しい御殿様の菩提寺だけあり、各施設謂(いわ)れがあり、説明看板がちゃんと有ります。
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御本堂も幕府の歴代重鎮達の御寺と遜色無い規模を誇っています。
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素敵な御寺でしょう?
印刷した物ですが御朱印も頂ける御寺です。

世田谷住の方、この勝光院や近所の吉良頼康公が中興した世田谷八幡宮や豪徳寺を御散歩してみませんか?
豪徳寺は招き猫の発祥の御寺ですし、世田谷八幡宮は家康公に保護され江戸時代相撲興行で有名だった八幡社ですから、いずれも立派な歴史と規模が有り御散歩すれば良い休日を過ごせると思いますよ~!

では、又、対の記事で御会いしましょう!