横浜市磯子区上中里に、地名を冠した上中里神社と言う神社があります。

近くには磯子高校や上中里団地があり、ベッドタウンとしてそれなりの人口の有る地域の神社なのですが…
目立たない参道の入口をずっと登ると、ひっそりとした鎮守の森の中に、ソコソコ大きい御社が有ります。
何にも知らずに行くと、参道からは祠くらいしか無さそうで予想外に立派でビックリすると思います。
昔はもっと社地も広かったんでしょうね…
御近所の磯子高校は昔の上中里神社の境内だったのかも知れません。
周辺が学校建設や宅地化で、表参道以外の道を失ったんでしょうかね?
神社の由来を見ても、少し昔まで地元民に熱心に崇拝されて人気も高かった様ですし…
この神社が寂れている問題点は行くと分かりますが、道が急斜面の参道一つしか無くて人の往来が無い事に尽きると思います。
近くに学校が有り、例えば、この神社の裏手が抜け道に成っていると学生が部活で参道の階段をトレーニングに使ったり出来ますね…
小生の中学生時代も御近所に御寺と神社が有り、柔道部時代に神社の階段を上り下りして体力作りに活用していました。
…神社の社殿裏手にでも、高校や住宅街からの間道を作れば良いのになと思いました。

さて、この神社、明治政府の愚策一村一社政策で潰された近隣の7つの神社を合祀し今に、その神様達と昔の村民達との絆を伝えていますが…
その内容は拝殿前の看板に書いてあります。
ただ、その神様が祀る御社が何で氷取沢町や上中里町に有ったかを説明する記載までは書かれていません。
以下は推測ですが、それはかなりの確率で戦国武将間宮家に関係が有るので少し解説します。
先ず、この上中里や氷取沢一帯を含む港南区磯子区を戦国時代に治めていたのは、小田原北条家の家臣の間宮家だったのを知らない人も多いと思います。
そして江戸時代にも間宮家分家の氷取沢間宮家がこの一帯を治めており、氷取沢間宮家初代の間宮綱信公は八王子城主の北条氏照公の家老として外交と内政で活躍し、織田信長公にも外交使者として面会しています。
近くには、その名残りで間宮寺と言う御寺がありました。
間宮寺は元は港南区笹下の真言宗東樹院の末寺でしたが檀家少なく、間宮家が支援し日蓮宗に改宗し杉田妙法寺の末寺として中興開基しました。
しかし江戸時代には廃寺に成ってしまいました。
その間宮寺の遺物が実は上中里神社に残っています。
参道階段の中腹左手にある石仏がそれです。
不動明王像ですね。
元々は間宮寺に有った物を廃寺に成った後に当時の村民の皆さんが、この上中里神社に移し守り続けたそうです。

さて、そんな訳で間宮家との関わりは解って頂けたでしょうか?
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さて、上中里神社に合祀されている神様達が何で間宮家と関わり有るかですが…
上の摂社に祀られている、それぞれの神様と間宮家の繋がりを個別に説明します。
判らない物は判らないと書きます。
⚫︎稲荷神社
…伏見稲荷神社の農耕の神様。
間宮家との関係は不明。
⚫︎明神社
…神明社と言えば天照大御神だが明神社なので何の明神様か不明。間宮家との関係も不明。
⚫︎駒形神社
…保食神(うけもちのかみ)。
飢饉回避の神様。間宮本家の笹下間宮家が江戸時代に転封され引っ越した先の下総国印旛郡の神様なので、江戸時代の間宮家と関わりが推測される。
⚫︎天神社
…菅原道真公。
氷取沢間宮家初代の間宮綱信公は奥さんが宅間上杉家の姫君。
宅間上杉家は今の港南区上永谷に永谷天満宮と曹洞宗の御寺天神山貞昌院を開いた武家で足利尊氏公の従兄弟に当たる方の御子孫の家系なので、宅間上杉家と関わりが深い氷取沢間宮家との関係が推測される。
⚫︎山王社
…恐らく蔵王権現。今の八王子市の御嶽神社。
間宮綱信公が与力・付家老として御仕えした北条氏照公は最初、八王子の滝山城を居城にしていました。滝山城には山王曲輪と言う防御施設が有り、そこは元々は源義家公が蔵王権現社を建てた場所で、氏照公は山王曲輪の場所から蔵王権現社を滝山城の外郭に遷座(せんざ=神社を移動する事)しました。
今でも滝山城外郭に蔵王権現が廃仏棄釈で御嶽神社に名を改め存在していて、氷取沢町に山王社があるのは滝山城に勤務した間宮綱信公との関係が推測される。

⚫︎八王子権現社
…牛頭天王と牛頭天王の8人の眷族(けんぞく)を祀る神社で、今の八王子市の八王子神社の昔の名前。
間宮綱信公が与力した北条氏照公は晩年、滝山城を廃城にし今の八王子神社の辺りに八王子城を築城し本拠地を移した。その関係で間宮綱信公も牛頭天王を崇拝し八王子権現社をの分霊を勧進(かんじん=神様の御霊を分けて貰い祀る事)した事が推測出来る。
※杉田間宮家菩提寺の杉田妙法寺も弘法大師空海様が勧進した牛頭天王を、祀る。
⚫︎山大明神社
祭神不明。
香川県屋島の蓑山大明神と関係有りか?
間宮寺は元々は真言宗だったので真言宗御室派大本山の屋島寺にある蓑山大明神を祀っていた可能性は有る。
又、間宮家は近江源氏佐々木家の鎌倉時代の名将佐々木高綱公を江戸時代中期まで先祖としていた(実際は高綱公の叔父の佐々木経方の系統)で、源平合戦の舞台屋島とも関係がない事は無い。

以上、多少なりとも上中里神社の摂社の神様の中には間宮家と関わりが有る神様が幾つか見受けられますね。

さて、上中里神社の本殿ですが、冒頭でも述べましたが結構立派でした。
拝殿はちゃんと一段高い場所にあります。
なんか神社と言うよりは御寺の本堂みたいな造りの本殿ですね。
せっかく、こんな立派な神社があるのですから、地域の方々にも御参りして欲しいな〜と思いました。
そして、夏祭りもここで開いて欲しいな〜。
その為には人の流れを作る事が大切です。冒頭でも述べましたが、裏に抜ける道を作り住宅街や磯子高校に繋げる道を作れば、この神社は活気が戻る様な気がしました…

本日はここまで!
では、又、次の記事で!