前回の記事で横浜市中区の麒麟公園が日本におけるビール事業の発祥地である事を書きましたが…
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header_grouplogo_01キリンさんのロゴは、このローマ字書体の物の他に…


…もう一つ、ネットの借り物の画像ですが、この麒麟のロゴが有りますよね?

麒麟2
この麒麟は、昔の中国人がアフリカのキリンから連想した馬と龍が混じった架空の動物です。
なんでビール会社のロゴが伝説の麒麟なんでしょうね?
実は、この事は麒麟麦酒の広報が認めている事実として、ある歴史偉人との関係が有ります。

昔、別の記事で少し触れた事が有ったかも知れませんが、現在のKIRINの創業者は三菱財閥の創業者でもある岩崎弥太郎サンと、もう1人、幕末のグラバー商会の社長だったトーマス・ブレーク・グラバーさんです。
麒麟
前回の記事で紹介したコープランド先生が創業した、日本初のビール醸造場のジャパンブルワリーの事業を後に買収し引き継いだのが、現在のキリンホールディングスの前身と成った麒麟ブルワリーで、その出資者が岩崎弥太郎サンとグラバーさんだった訳です。
そして、この御二人の創業者と友人だった歴史偉人の偉業を顕彰する意味で、この麒麟のロゴが選定されたと言われているそうです。
では、岩崎弥太郎サンとグラバーさんの友人だった歴史偉人とは誰でしょうか?
その答えは既に、このロゴで表現されているんですが…
先程、麒麟は馬と龍が混ぜられた架空の動物と御説明さしあげました。
その馬と龍の字が名前に成っている坂本龍馬サン、その人こそが、実はこのロゴで顕彰されている人物です。
坂本龍馬
では、御二人は坂本龍馬先生と、どの様な関わりが有って、結果リスペクトしていたのでしょうか?
実は、明治時代初期、坂本龍馬さんの存在は大日本帝国(明治時代の日本)の一般国民には知られていませんでした。その坂本先生の存在と偉業を世間に公表した人物が、当時、既に三菱財閥のトップだった岩崎弥太郎サンだった訳です。
岩崎弥太郎
岩崎弥太郎サンと坂本先生の繋がりは、出身が同郷である事と共に商業により日本の近代化を推進した事に有ります。
御二人は今の高知県、土佐藩の出身で幕末当時、先に世間に功績を残し頭角を現したのは坂本先生の方でした。坂本先生は商社海運業者兼軍事会社である「海援隊」を設立し、薩摩藩と長州藩の同盟を成功させた外交活動や、軍艦・武器購入の代理店として、軍事物資補給で多大な事績を残されました。
そして、その協力者の海外武器商人こそがトーマス・ブレーク・グラバーさんだった訳です。
グラバー
グラバーさん、長崎に拠点を構えていたのですが、今もその邸宅はグラバー邸として長崎の観光地に成っています…
そして!そのグラバー邸、実は世界中で革命を起こし民主化を進める事を目的とした結社フリーメイソンのロッジとして機能していたと言われています。
事実、グラバーさんはフリーメイソンの構成員だったと言われているので、坂本龍馬先生もフリーメイソンの一員だった可能性は否めません。
つまり、ペリー提督の来航から既に、日本を民主化させる策謀が有ったのかも知れません。
ペリー提督の母国アメリカ合衆国の創始者であり初代大統領であるワシントン大統領もフリーメイソンの一員だったので、龍馬先生がフリーメイソンと何某か連携し活動した可能性は有ります。
ワシントン大統領
坂本龍馬と言う人物がフリーメイソンの一員であったとするならば、大政奉還の草案に議会制民主主義を想定していた事にも整合性が確かに有ります。
そして、それを知る可能性の有る人物は坂本龍馬本人、大久保利通先生や西郷隆盛先生も幕末や明治時代に悉く暗殺されたり、政争に因(よ)る内戦により戦死しています。
…ですので事実の確認は今では出来ません。
まぁ~、よくTVのCMに出演してる美容整形外科の経営者の高須さんはフリーメイソンの一員なので、あの方に真相を聞けば直ぐに解るんでしょうが、小者の小生に当然ながら、その様な人脈が有る筈がありません(笑)。

因(ちなみ)みに、麒麟公園の直ぐ近くの山手公園は日本最初の吹奏楽のコンサートが行われた史跡が有るのですが、その場所に日本最初のフリーメイソンのロッジが在った事は結構、有名な歴史事実でもあります。

さて、坂本先生、以下、親しみを込めて龍馬サンと呼ばせて頂きますが…
上記の方々の他に、龍馬サンと特に関わった歴史偉人が3人と龍馬さんと他人ではなかった人物が1人、神奈川県にも深い関わりが有ります。
1人は勝海舟先生…
勝海舟
坂本龍馬サンの海軍軍事技術と思想的な師匠に当たる人物ですが…
以前、戦後時代の城址、京浜急行神奈川駅近くの「青木城城址」に関する記事を書いた時に触れましたが、神奈川駅近くの金港町周辺、今の横浜中央卸売市場の辺りに幕末に「神奈川台場」と言う要塞を設計しています。
※青木城に関する記事は「ココ 」←クリック!

そして龍馬サンの没後、未亡人と成ってしまった「お龍サン」も、この勝海舟先生の紹介で神奈川台場の近く、江戸時代に東海道の神奈川宿で有名だった料亭の「田中家(たなかや)」で働いていました。
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この田中家は場所がら、東京から海軍の拠点であった横須賀鎮守府(現:横須賀市汐入一帯)に出張する政府の要人が利用する料亭だったので、きっと勝海舟さんのコネが有ったのでしょう。
現在も田中家サンは横浜市神奈川区、当時と同じ場所で営業していますが…
…ランチで1人予算1万円と少し敷居が高いので、まだ行った事が有りません(笑)。
機会が有ったら是非、行ってみたいと思います。

お龍サンのその後ですが…実は余り幸せではありませんでした。
実は、再婚して横須賀市に移住しています。
そこで亡くなったのですが、旦那サンは一般人の商人だったのですが余り大きい事業では無かったので龍馬サンと比べちゃうと可哀そうですね、しかし誠実な人物なら、お龍サンも幸せだったのかも知れませんが…
この再婚相手、とんでも無い事に、よりにもよって、お龍サンの妹と内縁関係に成った挙句、お龍サンを捨てて二人で出て行っちゃったんですね…。
…可哀想過ぎる。
しかし、この頃に成ると、先に説明した岩崎弥太郎サンの証言で坂本龍馬の存在が世間でも認知され、更に当時の美子皇后(昭憲皇后)が龍馬サンの霊夢を見た事で、お龍サンも世間に知られる様に成りました。
しかし、時既に遅く、その2年後に、お龍サンは危篤状態に陥って帰らぬ人と成ってしましました。

しかし救いは有りました。
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お龍サンが危篤に成った際、当時、海軍大将だった井上良馨が発起人と成り、お龍サンへの見舞金の義捐金を集め、幕末の海軍の父とも言える龍馬サンの後輩、ある意味弟子に当たる多くの海軍軍人達が此れに賛同し、寄付金が集まったそうです。
残念ながら、お龍サンは生前不幸な余生を過ごしましたが、対馬海戦で大活躍し日本をロシアの侵略から守った多くの海軍軍人は、龍馬サンと御龍サン夫婦が残して下さった子供達みたいな存在とも言えます。
当時の海軍の士官達には、その様な意識が有ったからこそ、多くの見舞金が御龍サンに集まったのかも知れませんね。
現在、御龍サンの御廟所は横須賀市大津町に在る宮谷山信楽寺に有ります。
そこの墓碑には「贈正四位坂本龍馬之室」と刻まれ、龍馬サンの正妻として明治政府にも没後再評価された様です。

そして、御龍サンが働いた田中家や勝先生の設計した神奈川台場の傍に新港埠頭建設を決め、日本鉄道輸送網の基礎を創建したのが井上良馨卿の親友で日本の初代総理大臣と成った伊藤博文公です。
伊藤博文
後の2011年3月11に我々の世代が経験した「東日本大震災」の発災時、津波により東北沿岸部の石油関連施設と鉄道網は壊滅しました。その影響でまだ真冬の寒さの真っただ中の被災地は燃料枯渇により暖房が使用不能に成り、人々は多くが凍死の危機に瀕していました。
その際に、東北への燃料輸送に活用されたのが、福島県から北陸へ抜ける日本海側からの鉄道輸送網でした。
この話も以前の記事で紹介した事が有ります。
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前回の記事でも今有る我々の生活は、昔の人の多くの苦労とちょっとの成功と幸せの経験の上に成り立ってると書きましたが、この様に、麒麟麦酒からも現代人を助けた鉄道輸送網や、その建設に関わった人や、その人と様々な人々の関わりは繋がりが有り、現代人を助けた組織や設備や人々にまでリンクしていたりするんです。

ですから、古代からの神話も、平安時代の伝承も、武士達の築いた歴史も、全てが大切で、その一人一人の先人達の悲哀と成功と喜びの経験が我々の生きるヒントでもあるんですね。

では!又、次の記事で御会いしましょう!