皆さん、横浜の三塔ってご存知でしょうか~?
幕末~昭和初期の横浜市の旧中心街の日本大通りに、KingとQueenとJackと呼ばれる江戸幕府が終了し文明開化を迎えた頃に建てられた美しい近代西洋建築遺産があります。

本当は今回の記事で、公開中の映画「HERO」のロケ地にも成っている神奈川県庁旧庁舎に特化した記事を書くつもりだったのですが…
その前に、この地域の近代西洋建築と発展の歴史を写真と衛星写真で軽く解説させて頂く事にしました。
じゃないと、何で西洋建築をブログで取り扱うか意味も解らないと思うので。

冒頭で述べた「横浜三塔」と言うのは、実は横浜発展の歴史とも関係が有るんです。
では、まず、三塔の外観の写真を御覧下さい…

KING
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キングは神奈川県の旧庁舎の塔の事。

QUEEN
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クイーンは横浜税関の塔の事。
JACK
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ジャックは横浜開港記念館の事です。
横浜三塔
別角度でもGoogle Earthの3D地図で位置関係を見て見ましょう。
横浜山下地区:3塔位置関係
すべて幕末から文明開化を迎えて建設された近代西洋建築ですが、昔、海外から来日する国際航路の船舶の乗船者が船上から、この3塔を同時に見られたら幸運に成れると言われたそうです。
美しい建築遺産ですね。

実は、この3塔の前に今は山下公園や象の鼻パークが在りますが…
キングこと県庁旧庁舎の辺りは昔は今の横浜市の市名の由来に成った半島があり、その半島は海側から見ると本当に横に長い浜だったそうです。
ペリー提督
そこにアメリカのペリー提督が上陸し、その際、米国艦隊の海兵軍楽隊が演奏する吹奏楽を聞いたのが日本人が初めて西洋の音楽に触れた瞬間でした。
これを契機に日本と西洋諸国の間で通商条約が結ばれ、江戸幕府が国際船舶の貨物の荷揚げ積み下ろしの為に作った波止場が象の鼻パークでした。
ですので、現在も国際航路客船が停泊する「大桟橋」こと国際客船ターミナルが、象の鼻パークの前に建設された訳です。

では、三塔と象の鼻パーク周辺の位置関係を見て見ましょう。
横浜三塔と周辺位置関係
横浜市の都市設計は、今の林市長以前は海から来る外国の客船に綺麗に見える様に設計されていたと言うのは割かし有名な話で、明治時代から先代市長まで歴代市長が景観を大切に都市を創造されてこられました。
ので、大桟橋から見ると、正面に横浜スタジアムが見え… 横浜三塔と山下公園
右手には「赤レンガ倉庫」の立ち並ぶ旧新港埠頭やランドマークタワーとクイーンズスクエアが立ち並び夜景を彩るミナト未来地区…
横浜山下地区:大桟橋
左手には関東大震災以降に、市民の退避場と海浜公園の機能を兼ね備えて造られた「山下公園」や「みなとの見える丘公園」のあるオシャレな山手地区への海岸が在ります。

次回、HEROの公開中と言う事もあるので、HEROや華麗なる一族等のロケ地である、神奈川県庁内の写真を掲載したブログを書きますが、実は神奈川県庁、一般公開されています(ただし平日に限る)。
で、屋上のキングもすぐ目の前で見れますし、横浜市民も余り知らないのですが屋上からの横浜港の絶景を眺める事も出来ます。
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この県庁旧庁舎屋上からの写真、象の鼻(メリケン波止場史跡)の手前の方に左右に横切る陸橋の遊歩道が見えませんか?
実は、この遊歩道、昭和末期まで活用されていた鉄道輸送網の一部で、西郷さんや伊藤博文公が乗車した新橋~初代横浜駅(現:桜木町駅)を走ったSL(蒸気機関車)の路線を新港埠頭の赤レンガ倉庫へ延伸し、更に後に建設された新山下埠頭や本牧埠頭にも延伸されたその路線の線路の跡なんです。
ですので、小生が子供の頃この遊歩道にまだ線路が通っていて、開港記念日には記念にSLが走ったりしていました。

この地域、幕末に逸早く開かれた関内(かんない:関所の内側の外国人居留地)だったので、県庁の目の前には又じずれ別記事で詳しく書きますが、旧イギリス大使館の横浜開港資料館も在ったりします。
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この他にも沢山の近代西洋建築遺産があります。
いずれ順番に紹介しますね!沢山写真は撮り溜めてありますがか♫
なんで日本大通り周辺にこの様に近代西洋建築が密集しているかは、先程ちょっと触れましたが、横浜の地名の由来に成った半島が有ったので、その地盤がちゃんとした半島の上や山手地区から先に開発が進み、その後で埋め立て地である関内は旧吉田新田方面が発展していったんです。

実は地形を見ると、昔、この辺りが半島だった名残りが解ります。
それは横浜中華街に有る特徴で解るんです。
横浜の地名由来説明
横浜中華街だけ、他の道と違って斜めに町が設計されていますよね?
実は、この画像で赤い範囲で囲った辺りが、おおよそ横浜とも弁天半島とも呼ばれた半島だった場所なんです。
中華街が斜めに成ってしまったのは、最初に山手の丘の麓の、今の元町商店街がある海岸と半島の付け根に当たる部分から埋め立て始めたから、その様に斜めに道路が設置されてしまったんですね。
元々は町では無く、海を干拓し水田にする予定だったので、その畦道(あぜみち)の名残なんです。

さて、そんな訳で、この地区は日本の中でも兵庫県神戸市と並んで逸早く文明開化を迎えたので、沢山の西洋建築や文化の発祥地に成っている訳です。
数回前のブログ記事で紹介した「かをり」と言う老舗洋菓子店の話で少し触れましたが、この地域が西洋文化の日本発祥地に成った物は本当に多くて…
※「かをり」の記事はカテゴリー「スイーツ」から探してください!
●国家「君が代」
●鉄道
●電話事業
●西洋式ホテル事業
●吹奏楽
●テニス
●石鹸
●西洋野菜(現在一般的に売られているニンジンやキャベツやネギなどは西洋種で神奈川奉行が幕命で栽培)
●アイスクリーム
…他にも腐る程あるのですが、小生、不勉強なので余り知りません。又、機会が有ったら調べて見ます。

さて、次回からは、今回の記事を契機に、この地域の近代西洋建築遺産を順々に紹介しますね!
まずはHEROのロケ地のキングの内部の写真を次回の記事で沢山載せるので、また御覧頂ければ幸いです。