第4話の再放送には間に合わなかった第4話解説…
まぁ、明日の第5話には間に合うから良いか(笑)。

真田丸の第4回放送では、又々、ちゃんと作りこむべき合戦シーンが端折られてしまいましたね…
端折られたのは明智光秀が謀反を起こした「本能寺の変」です。
そして、何だか話の進み方が歴史的な経緯と比較すると尋常じゃない展開で進んでいる様な…

不満はさて置き、この第4回では真田家がいよいよ独立大名として歩みだす事を説明する物語と成っていました。
さて、その前に第3回~第4回の真田家の状況を理解する為に、まずは主要な城を各大名家の家紋で支配者を区別出来る当時の勢力図を見てみましょう…
真田丸勢力図 織田家全盛期2 久良岐のよし制作
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※織田家と徳川家はこの時点で協力関係にあるので家紋を同一色で表示しています。
※羽柴秀吉の顔は、以前の大河ドラマ❝秀吉❞で秀吉の役をした時の竹中直人サンの画像です。
※重要な城だけ載せています。

この勢力図を見ると判(わか)る通り、織田家は❝真言宗の聖地の奈良県南部山間部や高野山❞と❝雑賀衆❞と呼ばれる鉄砲武装した豪族達が支配する和歌山県を除いて近畿地方もほぼ手中に収めています。
織田信長 織田木瓜
この時点での織田家の総石高は約700万石、展開可能な総兵力は21万以上有していたそうです。
滝川一益
既に、その支配地域は東は現在の群馬県に当たる上野国に及び北条家を従属させる事を成功させ、関東管領(かんとうかんれい=関東知事)として滝川一益公が厩橋城(現在の前橋市市役所の所在地)に配置しています。
前回も解説しましたが、滝川一益公は織田信長公が名古屋周辺の家臣達から酷い裏切りを何回もされていた時期からずっと信長公を支え続け、得意な鉄砲戦術と知略で勝利に貢献した名将でした。
真田丸第4話では、織田家の関東方面司令官として上野国に入り、真田家を傘下に置き岩櫃城や沼田城を接収していました。
羽柴秀吉
西は山陰山陽方面軍の司令官として羽柴秀吉を姫路城に配置し岡山城の宇喜多家を傘下に入れて、岡山城の目と鼻の先の備中国高松城を巡(めぐ)って山陰山陽地方の覇者の毛利家と対峙していました。
この時期の❝羽柴秀吉は、既に信長公の御子息を養子にしており織田家の親族として軍団長を務めていた❞のですが、余りその事実は語られません。
縁故主義より実力で出世した事にした方がロマンが有るんでしょうかね~?実際は彼の功績では無くて、織田家親族としての羽柴軍団を支えた竹中半兵衛や蜂須賀小六といった優秀な与力武将達の功績による所が織田家としては正常な評価なのですが…
柴田勝家
北は今の福井市の基礎設計をして市街地を整備した内政力も非常に高い柴田勝家公を配置し、現在の福井城に当たる北ノ庄城を拠点に北陸地方を支配させ、信越方面の制圧に取り掛かっていました。
しかし柴田勝家公は並みの武将より統率力や合戦の采配に優れていたものの、羽柴軍団の様な多彩な戦術や思い切った作戦を用いて合戦を出来る司令官ではありませんでした。
その采配で上杉家の前線の魚津城を攻略するものの、本能寺の変が起きても冬の北陸から近畿方面へ侵攻する手段を見出さず羽柴軍団の織田家乗っ取りの後手を踏み、勢力を拡大出来ずに終わる事に成ります。
明智光秀
そして明智光秀は、羽柴軍団と同じく❝信長公の親族❞として最も信頼される軍団長だったので近畿方面軍の司令官として、近江坂本城(現在の滋賀県大津市坂本町)を拠点に近畿地方の織田軍団を統括していました。
秀吉と同じく実力で出世したと見る方が多い武将ですが、❝明智光秀の出世は信長公正妻の帰蝶(きちょう)の従兄(いとこ)だった為に織田家の親族として外交面で重用された❞事実が一番大きいと思います。
名門美濃源氏土岐家の分家明智家として朝廷や足利家と将軍家との交渉役を担える武将だった訳ですが、血筋がサラブレッドと言える家臣の少ない織田家において織田家親族として外交を代表出来る人物は彼をおいて他に存在しませんでしたからね。
合戦も秀吉や柴田勝家程の実績は有りませんが、一般的な真面目で守旧派的な彼のイメージと事実は異なります。
当初は比叡山の権威を信長公に語りながら実は後に比叡山焼き討ちと皆殺しを積極的に進言したり、残虐な作戦も冷徹に行い時として敵に自分の母親を人質として渡す等、自己中心的な性格を垣間見える事実が多く残る武将でも有ります。

さて、第4話は、真田家が織田家に従属する所に多くの時間を費やしながら、恐ろしい速さで物語は展開し主人公真田信繁公の夢の中で急転直下、❝本能寺の変❞が起きて織田家が滅亡する所で終了しました。
…そのちょっと前に、諏訪の織田本陣に赴(おもむ)いた真田家の一行が、なんだかオカマっぽい明智光秀が織田信長公の折檻を受けて喜んでいる(?)ドMな場面に遭遇するシーンが有りましたが、あれは実際に起きた事件です。
実は織田家による武田家攻めは、その勝利はほぼ確定したものであり、織田家の御曹司(おんぞうし)である織田信忠公を2代目社長としての実績を積ませ箔付けするデモンストレーションでも有りました。
織田信忠
信忠公は優秀な2代目でしたが、傑出した将才が有ったかは現代でも疑問視され、御父上の信長公と比較されると微妙な立場でもあったので、❝強大な武田家を倒した功績を信忠公に積ませる❞事は織田家として内外に次代も盤石である事を示す目的が有りました。
ところが、明智光秀は自己中心的でKYな面が多々有ったのでやらかしてしまいます…
明智光秀←元祖KY
コイツ、信忠公の2代目襲名式みたいな甲州攻めの打ち上げの席で、あの❝折檻事件の原因に成った大失言をしている❞んですね…
コノKY野郎は、織田家に服属する武将や外様大名の使者達が参列する宴席でこんな事を言ってしまいました。
「いや~わざわざ私らが骨をおった甲斐が有りました~(笑)」
…もう、この一言で織田信忠公の事実上の2代目襲名披露儀式としての甲州征伐はオジャンですよね?
だって、「いや~わざわざ私らが骨をおった甲斐が有りました~(笑)」ってのは現在の会社の中のやりとりとして通訳しても…
「2代目だけじゃ力不足だから私らが頑張らなきゃいけなかった」
織田信忠←失言の被害者

…って事を言って、織田家に挨拶に来ている真田家の様な他家の大名の使者や部下達の前で信忠公を馬鹿にしているのと同じ事に成るんですよね。
コレは…調子に乗った光秀はバカ過ぎるし、すべてを台無しにする一言でした。
それで、あのシーンに繋がる訳です。
織田信長←怒っちゃった
せっかくの2代目の晴れ舞台の事業を台無しにする明智光秀の「俺らの御蔭じゃね?」的な発言にブチ切れた結果の一言が、あの明智光秀の頭を掴んで廊下の欄干(らんかん=手すり)に頭ゴチゴチ叩きつけた折檻(せっかん)に繋がる訳です。
光秀シバキながら言ってましたよね…
「お前が何をしたぁ~(怒)!」
「申してみよぉ~(怒)!」
…って。
信長公は、情が深く身分の上下を気にせず庶民ともフレンドリーに接して下さったり法治主義を徹底して下さる代わりに、かなり感情的にキレ易い面も有りましたからね~。
原因の一つとして言われている事に、❝高血圧だったんじゃないか❞と推測されています。
実は信長公の好物は塩辛くて味の濃ゆぅ~い赤味噌を焼いた❝焼き味噌❞でした。
この焼き味噌、お茶漬けの具にしたりすると非常に美味しいのですが、高血圧の原因では?と言われています。
因みに、信長公は戦国時代なのに牛乳を飲んだ事でも有名ですね。
余談ですが、信長公は明智光秀がハゲ頭だったので「金柑頭(きんかんあたま)」と馬鹿にして折檻したそうです。
自己中でプライド高い明智光秀には耐えられない事だったでしょうね。
本能寺の変は、明智家の家老斉藤家と縁戚関係に有った長曾我部(ちょうそかべ)家や足利将軍家と貴族の山科言継(やましなときつぐ)の陰謀、泉州日蓮宗として安土宗論の仕置きに恨みを持っていた堺商人と日蓮宗の僧侶達やキリスト教宣教師の陰謀など複数の説も有りますが、小生は全ての説が関与して起きたのが本能寺の変だと考えています。
さて、本能寺の変に話が繋がった所で、第4話の直後の勢力図を見てみましょう。
※クリックして拡大して見て下さい。
真田丸勢力図 本能寺直前 久良岐のよし制作
上は❝本能寺の変❞を明智光秀が起こした直後の勢力図です。
北陸では柴田勝家公は上杉家の魚津城を奪取した直後で、反逆される恐れが有り近畿方面へ反転する事が出来ませんでした(羽柴軍団の様な外交が出来る武将が柴田軍団にはいなかった)。
しかも、第3話の解説でも説明した無能で残虐なだけの森長可が、信長公の死亡を聞くや己の行った悪事で信州の豪族達から復讐(ふくしゅう)される事を恐れて自己中心的に職務放棄し信州から撤退し、更に又々鬼畜ブリを晒(さら)して信州の豪族の妻や子を人質にとって美濃国まで逃げてしまいました。
鬼畜な森が職務放棄して逃げてしまったせいで、滝川一益公は前線の群馬県の厩橋城に取り残されてしまいました。
滝川一益公には、この時の誠実な御人柄を表す逸話が現在も伝承しています。
滝川一益 丸に竪木瓜

前線に取残され、退路の無くなった滝川一益公は、本能寺の変の直前まで部下だったり織田家に従属していた関東と信州の豪族や大名を集めてこう言う主旨の発言をされました…
「私は明智光秀を討伐し、信長公の遺子を守らなければいけません(しかし帰る道は閉ざされている)。」
「皆さんが私に協力して頂けるか離れて敵対するかは御任せするより無いので、敵対するなら私の首をとって手柄とするつもりで合戦をされても恨まない」
既に森長可が職務放棄してしまい織田本領と甲信越方面の兵站(へいたん=補給線)が寸断されてしまったせいで甲州では甲府を治める河尻秀隆が現地豪族の蜂起によって殺害されてしまっていました。
…森の愚行のせいで、一益公も河尻秀隆と同じ運命は避けられないと思っての御発言かもしれませんね。
出浦昌相
…しかし、この一益公の御発言に感動した後の真田家の家老と成る出浦対馬守は、滝川一益公が無事に信州から美濃国に辿りつける様に自軍を率いて護衛し見送られたそうです。
これに対して、徳川家康公や北条氏政公は森が職務放棄して空白地に成った織田家の甲信地方の遺領に侵攻し、支配地域の奪い合いを始めます。
徳川家康 北条氏政
二人とも不誠実の代表みたいな人ですね。
新府城址に行くと、この二人は今の山梨県北杜市に在った若神子城と韮崎市の焼け落ちた新府城跡に陣取って対立し、織田家遺領を巡って合戦を行った事が説明した看板が有ったりします。
真田家勢力図 本能寺直後関東 久良岐のよし制作
※拡大して見て下され。
森が逃亡したせいで甲斐国と信濃国には本能寺の変直後に徳川勢と北条勢が乱入している事や、滝川一益公が敵の真っただ中に取り残され、真田家より不利な状況に成っている事が解ると思います。
これが次回、第5回放送での真田家を取り巻く状況です。

本能寺の変はドラマでは端折られ合戦シーンは有りませんでしたので、せめて真田家も関わりの有る滝川一益公の神流川(かんながわ)の合戦くらいは、ちゃんと合戦をドラマで再現して欲しいなと個人的には思っています。
神流川の合戦 場所 久良岐のよし作成
この神流川の合戦は、関東で今の埼玉県川越市で起こった河越夜戦や、今の横浜市神奈川区神奈川駅一帯の本覚寺~幸ヶ谷公園周辺で起こった権現山合戦と並んで大規模な合戦でした。先述の2例が籠城戦なのに対して、この神流川の合戦は野戦としては特に大規模な例として有名です。
合戦は滝川家とそれに加勢する関東豪族勢vs北条家とそれに加勢する関東豪族勢によるものでした。
滝川一益 丸に竪木瓜
滝川勢…18,000前後
●滝川家…滝川一益公・滝川益重公・前田(慶二郎)利益(史実での在陣有無は不明)
●上野衆…真田昌幸公・北条高広公・小幡信貞公・倉賀野(くらがの)秀景公・安中久繁公・佐野宗綱公 等々。
北条氏政 三つ鱗紋
北条勢…50,000前後
●北条家…北条氏政公・北条氏直公・北条氏邦公・北条氏規(うじのり)公
●家臣団…石巻康保(やすもり)公・成田氏長公・大道寺政繁・松田憲秀 等々。

双方の兵士数だけ見ても凄まじい会戦だったのが理解出来ると思います。
そして、この合戦は真田昌幸公が人生で2番目に体験した大合戦であり敗戦でした。
もし!NHKと三谷幸喜サンが真田昌幸公が参戦した大戦(おおいくさ)の神流川合戦をドラマ真田丸の中で端折ったら、もう、ハッキリ言って大河ドラマとしてヤル気無いでしょうね。
この中で、前田慶次(利益)は作家隆慶一郎の小説❝一夢庵風流記❞の主人公であり、漫画化された事で歴史に興味が無い人にも有名な人物です。
真田丸で後に登場する直江兼続…
直江兼次
…彼とも親友だった武将なので、もしかしたら、その内登場するかも知れませんね。
あともう一人。
石巻康保(やすもり)公は、小生の住む横浜市と所縁の深い殿様で、北条家本家の重臣であり、横浜市港南区野庭に在った野庭関城の城代を務めた方でした。
もし、ドラマに登場したら個人的には嬉しいのですが、可能性は無いでしょうね。
この神流川の合戦や、若神子城や新府城での織田家遺領を巡る各大名の領地争いの事を❝天正壬午の乱❞と現代では呼んでいます。
おエライ学者様達は何でも名前付けたがりますね…
別に小生、一、歴史好事家としては、どっからどこまでとか線引きする必要なんか無いと思うんですがね。
もし天正壬午の乱で最大の合戦である神流川の合戦をNHKが真田丸で再現しなかったら…
マジくそ!
…以後、見なくて良いレベルですね。

さて、では、この本能寺の変と森の鬼畜バカのせいで発生した天正壬午の乱ですが、この乱後、織田家の遺領を巡った戦いから織田信長公の掌握していた権力を巡る織田家の内戦が勃発し、織田家臣団は分離独立して行く事に成ります。
その中で最大級の派閥が柴田勢と羽柴勢でした。
柴田勝家 二つ雁金
妻が信長公の妹の市姫。
織田家の生来の武士出身の派閥で最大の棟梁。
羽柴秀吉 太閤桐
尾張国愛知郡中村の村長の子で商人を経て、後に信長公の実質的な本妻の生駒お類(るい=別名:吉乃)様の実家に出入りする様になり、生駒家の鉄砲頭から織田家に仕官した。縁故主義だが稀代の出世頭。
太閤桐
この家紋↑太閤桐と呼ばれ、豊臣家の家紋です。
この時点では瓢箪(ひょうたん)や織田家から下賜された家紋を使っていましたが、真田丸では豊臣家は後に主人公真田信繁公の主家に成るので、この家紋に統一します。
勢力図を見てみましょう。
真田丸勢力図 織田家分裂後 久良岐のよし制作
上の勢力図で、東海地方の中で長島城だけが柴田勝家公の勢力下に置かれていますが、実は、関東から帰還した滝川一益公の本貫地(ほんがんち=所領)です。
柴田勝家公は織田信長公の側室の子供の❝織田信孝❞公を滝川一益公と共に支持し、織田家を乗っ取らんとする羽柴秀吉と対立します。
つまり、滝川一益公は亡き信長公への忠誠心から、関東退去時と同じく又も誠実な生き方を選んで織田家を乗っ取る羽柴秀吉と対立する道を選んだんですね。

この柴田vs羽柴の争いは、謀略と外交に巧みな羽柴勢に軍配が上がり、柴田勝家公は北ノ庄城で自害し、市姫様と娘達は小谷城での浅井家滅亡以来2度目の落城を経験しました…

さて、第4回の解説と、関連事項を紹介しましたが如何(いかが)でしたでしょうか?
NHKさんと三谷幸喜さんが真面目に合戦の壮大さと残酷さと、先人の悲しみと少しの幸せの上に現在の生活が成り立ってる事を演出して下さるのを、ただ願うばかりです。

もし神流川の合戦を端折ったら、真田丸はマジ糞ですね。

では…また次の解説で!