遅くなりましたが真田丸第五回の解説です。
 
第五回では、当初から真田家にとってウザかった西村雅彦サン演じる室賀正武の存在が、いよいよ排除したい位に邪魔に成って来ましたね…
室賀正武コイツ
この室賀正武、実在した人物で真田家と酷く対立していた人物です。
ウザさは、その内訪れる展開への伏線でしょうかね~?
本来ならそろそろ、この室賀正武の弟も登場させないといけない頃のはずなんですが…。
今後の展開が楽しみです。 

さて、第五回の要点は3つ有りました。
要点1,信長公の死によって、その偉大な統治力が失われ再び戦乱が拡大する予感。
織田信長 織田信忠
そして、跡継ぎの信忠公まで二条城で討ち死にしてしまい、織田家そのものが存亡の危機に陥った事。
合戦シーンは簡略化されたものの、ちゃんと描かれていましたね。
あれで信忠公が亡くなった事を視聴者に印象付けると同時に、信長公の死亡はちゃんと描写されず、現代に続く本能寺の変での信長公の生死を巡るミステリーを演出していました。
又、明智光秀の起こしたこの事件によって周辺大名や信濃の国衆が相争い始める予感みたいな描写も少し描かれていたでしょうか?
真田丸勢力図 本能寺直前 久良岐のよし制作
今回、真田昌幸公は越後と北信濃に影響力を持つ上杉景勝公を頼ろうとしました。
上杉景勝
その際に、真田家は織田家を離反するので、織田家から攻撃される事を恐れて、上杉家に織田家を攻撃する様に要請して「あっさり断られ」ていました。
真田昌幸
上杉家は先代上杉謙信以来、この様に「不義理はしない」と言う家訓が有ると言う事を直江兼続が発言していました。
直江兼続
この直江兼続と言う人物は上杉家の❝家宰(かさい)❞です。
家宰と言うのは先代で長尾家出身の上杉謙信の継いだ関東管領(かんとうかんれい=関東の総理大臣)山内上杉(やまのうちうえすぎ)家の頃から代々置かれた役職で、上杉家内の政務や軍務を主君に代わって取り仕切る社長代行の様な立場でした。
それを、長尾家が上杉家を継いだので、直江家が家宰と成っていた訳ですね。
ところで、直江兼続は「不義理はしない」と言う主旨の事を言っていましたが、実際の上杉家は関東に略奪に毎年の様に攻め込んできては、若い女性を連れ去り奴隷として売買する等、だいぶん鬼畜な家柄でした。
ちなみに上杉家のライバルの北条家では一切その様な事は有りませんでした。
彼の言う処の「不義理の❝義理❞」と言うのは別に❝正義❞では無く、❝礼儀❞と将軍に対する❝忠義❞をさしています。
しかし、この上杉家は頼って来た没落大名家は必ず助ける言う❝義侠心❞は有りました。
…解りやすく表現すればヤクザぽい家柄なのかな?
因(ちな) みに、上杉景勝公の生家の長尾家は、横浜市栄区出身の平安以来の坂東武者の家系で、その居城は栄区の長尾城でした。
ハマっ子と上杉家は、横浜繋がりの御縁が有ったりします。
※上杉謙信のルーツ横浜の長尾城の記事は「ココ」←クリック!

要点2,明智光秀の謀反により堺の町を見学中の徳川家康公が明智家勢力下に取り残され窮地に陥った末に❝伊賀越え❞をした事。又、その際に忍者色の強い演出をされている真田家臣団のライバルに成りそうな服部半蔵を登場させた事。
徳川家康
もう一度、本能寺の変直後の関西の状況を見てみましょう。

この伊賀越えで糞裏切り野郎の穴山梅雪がもれなく自業自得の死亡しました。
穴山梅雪
コイツは史実でも、徳川家康公と違うルートを一人で進み、落ち武者狩りに討ち取られた事に❝されて❞います。
小生は、実際の所は穴山信君が明智家に内通し、徳川家康公と家臣団の在所を知らせる懸念が有ったので徳川家臣団によって先手を打って殺害されたのが真相じゃないだろうか?と思っています。
無論、個人的な意見ですが、三谷幸喜さんも穴山梅雪がそのような事を考えていたかも知れない可能性を彼のセリフとして「明智に付くか」と言う主旨のセリフで演出していたと感じました。
家康公一行が出発時点で滞在していたのは現在の大阪府堺市です。
その時の同行した重臣の名前をてみましょう…
【徳川四天王】
酒井忠次・本多忠勝・井伊直政・榊原康政
【家老クラス】
石川数正・大久保忠佐・大久保忠隣・渡辺守綱・阿部正勝・牧野康成
それと…服部(半蔵)正成

…いずれも徳川家の重臣達ばかりです。
もし、落ち武者狩りに打ち取られたり明智軍に捕縛されてしまえば、確実に徳川家は壊滅していました。

では次に、この帰還が、どれだけ困難なルートだったかを見てみましょう…
本来は主要街道は全て京都を起点にしています。
明智光秀 桔梗
しかし明智光秀と、その部下によって京都付近は既に制圧されていて京都市街地を抜ける事は出来ず、またピンポイントで明智光秀の部下の城の間を避けて通らねば成らず、更には伊賀国は反織田派の在地豪族(忍者)だらけなので、親織田政権の徳川家一行が伊賀を通過するのは極めて困難でした。
伊賀越えルート2 久良岐のよし
※拡大して見て下さい。
赤い線が家康一行が通った山越えのルートです。
最初の段階で既に危機状態に在るのが解ると思います。
そして極め付けが反織田の伊賀国人衆です。
この家康公の伊賀越えで、最大の功労者はこのルートの通過を可能にした人物でした。
服部半蔵
それが伊賀国の豪族(忍者)衆を懐柔(かいじゅう=味方にする)する事に成功した服部半蔵です。
第三回の解説❞でも書きましたが、忍者と言うのは所謂(いわゆる)映画の様な忍者は存在しません。
ゲリラ戦術や情報収集に長けた在地豪族や傭兵、商人のスパイの事を指します。
服部半蔵も父の代から2代仕える伊賀出身の武士です。
つまり、彼は自分の父祖の代からの縁故を頼り、伊賀の豪族を説得して回った情報収集と説得工作に長けた人物だと言うのが実像の様です。
戦国時代は、彼の様に直接的に合戦で活躍しなくても情報収集が高く評価される時代でした。例えば織田家が今川家に大逆転勝利を収めてた桶狭間(おけはざま)合戦でも、功績の第一等は今川家の動向を探ったとされる梁田政綱と言う人物だったとされています。
この様に情報収集をする人物の評価を査定するのは、現在の企業の人材評価には欠損してしまった部分ですね。
この伊賀越えを徳川家が成功させた事で、現代の我々の生活は有る訳です。
我々も服部正成公感謝しないといけませんね。

では次の要点に移りましょう。

要点3,好人物の滝川一益公が織田家の政治観を語り、今後の真田家の同行を演出。
滝川一益
ドラマの中で一益公は信長公の死を知らず、真田昌幸公に織田信長公が戦を無くす為に日本史上初めて完全な日本統一を行おうとしている事、戦を無くす事が滝川一益公の夢でも有る事をセリフの中で演出していました。
この回は滝川一益公の性格の良さを演出し、昌幸公が嫡男のセリフで「織田家臣」と強調されていた事も伏線として演出し、この放送回以後の歴史上の事実で滝川一益公が東海地方に撤退するまで真田家は一益公に与力した事実に繋げようとしたのだと思います。
ですから、もしNHKと三谷幸喜さんにヤル気が有れば、前回の第4回の解説でも説明した滝川一益公と真田昌幸公が劣勢の中、北条家の大軍と戦った❝神流川の合戦❞を真面目に再現すると思います。
もし、今後の放送で神流川の合戦をちゃんと再現し合戦として演出しなければ、もはや大河ドラマ❝真田丸❞は最終回も期待できず見る価値の無い物と判断材料にして良いでしょう。
神流川の合戦は関東最大の野戦ですからね。
※神流川の合戦の解説をした第四回解説記事は「ココ」←クリック!

では、また、第6回放送の解説で御会いしましょう!

あ!
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