ドラマ“いつかティファニーで朝食を”を見ながらタイピング中…
森カンナさん、綺麗だな~♡
いつかティファニーで朝食を
結婚したかった昔の彼女にソックリだ。

…それはどうでも良いけれど、今日は凄い泣けた。
今日は三浦半島の漁村、小網代(油壷)に行って泣いて来た。
そして帰りの運転中も泣いた。
泣いた理由は…

1、油壷の新井城址の写真を撮りに行ったら、地元の普通の御婆ちゃんや農家さんが、未だに戦国時代の殿様に恩義を感じて殿様の事を慕い語り継いでいたから。
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2、三浦一門が最後の合戦で大将の三浦義意公が降伏せずに自ら敵兵300人を棍棒で撲殺しないといけない様な作戦とも言えない無理な戦いを挑んだ、その理由が何でかずっと考えていた…
普通は自決するか降伏する。
これは守るものが有ったから、簡単に死ぬ訳にはいかなかったんだろうな?と思っていた。
関連文書を読んで予想していた通り、御当地新井城址の油壷地区の御婆ちゃんから説明されたのは「一族の女子供や、責任の無い身分の低い家臣を逃がす為に、自ら殿軍に成り皆が小船に乗って房総半島に逃げるまで踏ん張ったから」だった。
…すんごい泣けた。
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3、戦国時代の三浦家の殿様が逃がした家臣や一門の幼子や婦女子の御子孫が未だに恩義を感じていて、日本全国、遠くは北海道からも殿様の御墓参りに来ると、衝撃の事実を御婆ちゃんから聞かされて、又、すんごい泣けてきた。
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今まで油壷を散歩した事は無かったけれど、今日は三浦一族の大名としての終焉の地「新井城城址」と「神奈川の景勝50選油壷湾」と「小網代湾」の周辺をゆっくり散策して来た。

現地に到着して直ぐ、駐車場で小さい売店を営む御婆ちゃんから先述の予想外の歴史談話を聞かされ、自分の予想通りだった事で当時の殿様の気持ちを思うと胸が張り裂けそうに成り泣けてきた。
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昭和初期はヨットハーバー併設した観光地として金持ちに人気の有った油壷だが、今では寂れてしまった御当地の、普通の優しい御婆ちゃんらしい御婆ちゃんの口から出るわ出るわ、三浦家の神奈川の拠点の名前。
そして殿様を慕って、今でも日本中から御墓に御参りに来る家臣や一門の御子孫達がいる事を聞かされ、散策が終わり三崎漁港に移動する車中、運転しながら又、泣けて来た。
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油壷湾の地名は新井城址の激戦で、戦死した武者達の遺骸で新井城址下の湾内が血油が満ちて、さながら油壺の様な景色に成ったからだそうだ。
昔はどんな名前で呼ばれた浦だったんだろう?
昭和後期、この油壷湾は❝神奈川の景勝50選❞に選ばれた。
現在は東大地震研究所のせいで雑木林が荒れ放題、景色も伸びきった樹木で見難(にく)い遊歩道だが、それでも木立の隙間から見える油壷湾はエメラルドグリーンで綺麗だった。
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新井城址は油壷マリンパークと東京大学地震研究所に成ってしまっていて、城跡としての遺構は略、消失してしまっている。
それでも、小生、三崎漁港にマグロを食べに行ったり石井農園にミカン狩りに行く度に、当時の広大な城域に引橋と言う地名や、それと思しき自然の堀切地形と人口の堀切地形の複合地形をいくつか確認していた。
今日の散歩中も東大地震研究所の敷地にも外から空堀跡と思しき地形も見て取れた。
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風景も綺麗だったし、眺望の良い素敵なレストランも又見つける事が出来た。DSC_0224
夏に成ったら、油壷のレストランに御飯を食べに行き、三浦道寸公と三浦義意公の御墓参りに行こう!
そして、又、御婆ちゃんに約束通り会いに行こう。
その時は横浜の御土産を持って行ってあげよう。

…とりあえず、まずは夏、7月11日まで元気に生きよう。
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帰る前、三崎の行きつけの御寿司屋さん「紀の代」で、今日は1980円の本日の握りと、鮪の胃袋の湯引きを食べてきた。
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相変わらず美味しかったし、約1年間くらい御無沙汰してたのに女将さん、小生の事をちゃんと覚えててくれた。

…覚えていてくれる人がいるって嬉しいよなぁ。

小生だけは、神様として祀られている古代人や、平安~江戸時代の殿様達が神奈川や日本の為に行った偉業と殿様の名前、忘れないで置こう。死ぬ迄。
さて!
とりあえず、明日の朝は地元の殿様所縁の御寺で座禅会だ!ちゃんと武士文化の礎と成った八幡様にも御参りしてこよう。