休日なので寝ずに桜の写真撮影に・・・
多分、今週末までが撮影のチャンスだけど今日が一番の見頃と予想し、かねての計画通り強行軍で色々回ってきた。
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朝七時に家を発ち、九時過ぎに伊勢原市の渋田川河畔に到着。
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芝桜と染井吉野の咲く遊歩道を散歩。
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地域の人が守る池田神社を御参り。

厚木市七沢地区小野の延喜式内社、小野神社目指し移動。

途中、高部屋神社により、今年2月16日に社殿が国指定重要文化財に成ったので御挨拶の御参りをした。
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隣接する丸山城址公園の桜も満開だった。
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再出発。
通り道の七沢地区も山々に桜が咲き綺麗だった。
途中、立派な御寺らしき建物が北条家の三つ鱗紋の幟(のぼり)を掲げているのが目に留まり寄り道。
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龍散寺と言う御寺だった。
何と、自分が趣味で調べている戦国時代の鶴岡八幡宮再建時に、神器を一時的に移し保護した寺院だった。
そして同寺は北条氏綱公の御実弟、神保輝廣公の開基である事も知った。
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偶然だけども、光栄な参拝が出来た。
三つ鱗紋を見て飛び込んで良かった。
小野神社に到着。
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御参りした。
宮司様は御不在だったが御家人とは連絡が取れた。
面白い事に気がついた。
宮司様は恐らく戦国大名の毛利元就公と同族だ。
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又、改めて御朱印は頂きに上がろうと思う。
厚木市飯山観音(飯山温泉)地区に向け移動。
飯山地区に着いて、真っ先に橋のたものとの龍蔵神社が目に入ったので御参りした。
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その後、桜並木の綺麗な曹洞宗金剛寺の参道を散歩した。
どうやら先に御参りした龍蔵神社は元は龍蔵院と言い、金剛寺の塔頭寺院だったのが明治時代の神仏分離令と廃仏毀釈で神社として独立したらしい。
檀家の御婆さんに曹洞宗なのに真言宗の体を成している事を質問した所、昔、弘法大師空海和尚が開かれた太子堂が始まりで後に源頼朝公と御家人足立(安達)藤九朗盛長公が支援していた寺院らしい。
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次代は下り小田原北条家の影響下で真言宗から曹洞宗に改宗したようだ。
御婆さんの話がクソ長くて、話を断ち切るのに1時間かかってタイムロスした。
長谷観音まで登りたかったが、やむなく断念。
次の目的地の伊勢原市上粕屋の太田道灌公菩提寺幡龍山洞昌院公所寺に向け出発。

公所寺に向かうに当たり、七沢リハビリテーションセンター脳神経外科経由で向かう。 この所在地が扇谷上杉家の重要な支城で、戦国時代初期当時、扇谷上杉家当主定正の実弟の七沢朝昌が城主を務めていた堅城だった。DSC_0741
敵対する山内上杉家に攻められた際は城兵200で防衛に成功した実績を有する。
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地勢的に津久井~甲斐や武蔵北部に通じる重要な街道を抑えている。
公所寺に到着。
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扇谷上杉定正の居城とされる大庭城の麓に、寺院の歴史は戦火で途絶えている公所寺と同じ曹洞宗の寺院の宗賢院と言う寺院が有り、公所寺と同じ寺紋”太田桔梗紋”な上に山号まで全く同じ”幡龍山”である事から、御住職に宗賢院さんとの関連性を質問する為に再訪した。
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枝垂れ桜が見事だった。
道灌公の御位牌と御廟所を御参りしてから、まだ訪れていなかった太田神社まで散歩した。
行く間、戦国時代に作られた疎水(そすい=用水道)を大山街道沿いに見る事が出来た。
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あと上粕屋神社も。
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太田神社についてがっかり。
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北条早雲公がリスペクトする太田道灌公の御霊を御祭神として造営した太田神社の社殿が、管理人の子孫かなんかに私物化され一般宅かしてしまったいた。
明らかに形状が拝殿と本殿の造りで鳥居と太田神社の石碑まで有るのに、個人の自宅にされている…
神奈川県神社庁、何とかしろよ。鎌倉に鶴岡八幡宮の観光用の鳥居なんて再整備してないで、偉人達が残した物をちゃんと保護する仕事にも力を入れて欲しい。
その後、当初の予定通り延喜式内社比々多神社へ御朱印を頂く為に移動。
比々多神社で御参りを済ませて御朱印を頂いた後、大山桜を見に大山阿夫利神社の社務所へ移動。
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大山阿夫利神社の御神体でもある大山=丹沢大山国定公園では山々に咲く桜が綺麗に見れた。
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社務所の裏山には樹齢400年前後の桜が数本ある。
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一昨年の夏に水不足で枯れていた愛宕の滝が復活していた。
うん、良い一年に成りそうだ!
残念な事も…
桜の季節で稼ぎ時なのにも関わらず、商店や旅館、懐石料理やが悉(ことごと)く開いていなかった。
かろうじて造り酒屋の遠州屋さんが開いていたので義叔父に御土産の日本酒を買い、昼食とってない自分の間食用に酒粕飴を買い移動。
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車の中で飴を舐めながら、本日の計画上、桜の撮影の最終目的地だった秦野市弘法山へ向け出発。
途中、空腹に耐えられなく成り刀削麺の店に入った。
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主菜に牛肉刀削麺、副菜に豆腐干と砂肝の前菜を頼んだ。
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店員全員中国人で、山西省大同市で食べた時と同じレベルで美味しかった。
近くの鶴巻温泉に入りたかったが、写真撮影優先しスルー。
改めて弘法山に向け移動開始。
弘法山からの眺望は素晴らしかった。
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桜の後ろに大きい富士山が見える。
ただ、頂上展望台への山道の傾斜は結構な角度でキツイ。
しかし登る価値は有ると思う。
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権現山展望台へ登山中、どうも山一帯の地形が腰曲輪らしき形状に見えてしかたなかったのだが…
頂上に行って案内板全て読んで廻ったら自分の推測は当たっていたらしく、権現山は南北朝期の詳細不明の城塞だったらしい。
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麓に古東海道に接続する矢倉沢往還が通っているので、その守りの為に山城化された時代もあったのだろう。
ひとしきり写真を撮影して伊勢原市の義叔父の家に向け出発。
義叔父の家に向かう途中、鶴巻温泉~秦野の東海大学の辺りを通り過ぎ、平塚市内を走行中、たまたま赤信号で止まった交差点の右側に気に成る地形が見えた。
カーナビを見た所”塚越古墳”と表示されていたので近くのスーパーに車を止めて、見学に立ち寄った。
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前方後円墳。
弥生時代までの関東の古墳は方形周溝墓。
古代大和政権の影響下に入った時代の古墳が前方後円墳な訳だから、この古墳の主は邪馬台国もしくは大和に関係が有ったのだろう。
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この古墳を見学していて、すぐ近くに真田城址である天徳寺が有るのを思い出し、又も寄り道の為に移動。
天徳寺を参拝。
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天徳寺の在る段丘が嘗(かつ)ての真田城の本丸に当たる曽我曲輪だったそうで、歴代住職の廟所と思しき場所は土塁と思われる地形の上に在った。
城としての遺構は不鮮明だが、近くのファミリーマート側から天徳寺の台地を見ると笹薮に囲われていた。
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城址は地形の保全の為に笹を植えるのは良く有る事なので、これが昔からの地形だとすると真田城址の遺構の可能性が高い。
もっとも、墓地の宅地開発されていない側には、昔の曲輪の境目が解る地形も一部残存していた。
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近くに真田神社もあったので、合わせて御参りして来た。
特に説明書きは無く御祭神も素戔嗚尊のようだったので三浦一族と関連が有るか不明だが、或いは佐奈田義忠公在城時からの鎮守の御社だったのかもしれない。
ようやく義叔父の家に到着。
御土産を渡してさっさと退散するつもりが、夕食に及ばれして出発したのが19時過ぎに成ってしまった。
夜は下道で1時間程度で着く距離だったが、さすがに24時間以上寝てなかったので睡魔に襲われ自宅まで残り1kmまで帰って来たところでコンビニの駐車場に車を止め仮眠。
僅かな距離でも眠く成ったら寝ないと自己の元。
なかなか眠くならないから耐えれるが、一回眠く成ったらもう駄目だね。
なんだかんだ…
色々回れたけれど、今日、特に感動したのは最初の渋田川の芝桜と、弘法山の桜と富士山の共演の景色だった。
まぁ~中の上の休日に成った。
写真も沢山撮れたし良かった。