野島稲荷神社
【御祭神】宇迦之御魂神=倉稲魂命(うかのみたまのかみ)・・・伏見稲荷大社の御分霊。
【御利益】経済的な繁栄(弥生~古墳時代に於いては食料の豊穣の神、更に古代には清涼な飲み水の神)
【開基】西暦1227年、鎌倉時代に長島頼勝による勧進。※泥亀新田開発者の永島祐伯の祖先か?
【中興】紀州徳川家
【住所】横浜市金沢区野島町23
【アクセス】シーサイドライン野島公園駅~徒歩10分。京浜急行金沢八景駅~徒歩20分。有料駐車場有り。
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野島と言う、昔は島だった場所に野島稲荷神社と言う規模の余り大きくは無く目立たない稲荷社が在ります。
その場所、実は紀州徳川家初代藩主の徳川頼宜公が崇敬した神社なんですが・・・
「何で紀州徳川家と横浜が関係有るの?」
・・・と思う人がきっと多いと思います。
そこで神社の説明の前に、先ずは野島の説明からしようと思います。

京浜急行電鉄に金沢八景と言う駅が有りますが、この駅名が昔、金沢区に在った八ヶ所の景勝地に由来する事を知っている人は現代では余りいないかも知れません。
その場所は・・・
●小泉夜雨(こいずみやう)=小泉弁才天(現:手子神社)の周辺の埋め立て前の風景。金沢文庫駅辺り。
●称名晩鐘(しょうみょうばんしょう)=称名寺の山を埋め立て前の海の公園辺りの海上から見た遠景。
●洲崎晴嵐(すざきせいらん)=現在の町屋町の龍華寺前に在る洲崎神社周辺の埋立前の景色。
●瀬戸秋月(せとしゅうげつ)=金沢八景駅前の瀬戸神社周辺の埋め立て前の景色。
●乙艫帰帆(おっともきはん)=現在の海の公園~洲崎辺りの埋め立て前の海から野島の乙艫町を見た風景。
●平潟落雁(ひらがたらくがん)=現在の野島周辺の宅地に在った湾の埋立前の風景。
●野島夕照(のじまゆうしょう)=野島の埋め立て前の風景。
●内川暮雪(うちかわぼせつ)=現在の内川橋周辺の埋立前の風景。
・・・歌川広重と言う江戸時代の著名な画家が、その景色を浮世絵にして販売した事で江戸市民にも大人気の旅行地と成りましたが、現在では昭和の埋め立て工事等で永遠に完全に消失してしまいました。
歌川広重 金沢八景:称名晩鐘
上の画像は今の八景島辺りが海だった時代、そこから見た金沢称名寺の山の風景です。
この風景はもう、現代人は永久に見る事が出来ません。
過去の風景を知るには、過去の人が残してくれた資料からしか様子を知る事が出来ないんですね。悲しいけれど。
金沢八景を知りたければ、3箇所、その風景画を見られる場所が有ります。
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1つは八景島シーパラダイスに架かる連絡橋。
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その欄干に歌川広重の金沢八景を金属板に起こした物が展示されています。
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この展示はカラーでは無いので今一つ解らないかも知れませんが、絵の由来が説明されていて理解しやすいかと思います。
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2ヵ所目の金沢八景を見られる場所は、上の称名寺と下の金沢文庫博物館を繋ぐトンネルです。
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このトンネルの壁に、金沢八景の画の複製がはめ込まれています。
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※称名寺の記事は「ココ」←クリック!
このトンネルで見なくても、金沢文庫博物館に原本も所蔵されているので閲覧申請をすれば見られるかも知れませんが小生は試した事は有りません。
そして、詳しい情報が解る場所がもう1ヶ所あります。
そこが野島公園内に在る、初代総理大臣、伊藤博文公の別宅です。
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江戸時代の紀州徳川家の別荘地だった野島は、明治時代に伊藤博文公の別荘地でもあった訳ですが、この別宅の中に金沢八景を詳しく紹介した展示物が有ります。
※伊藤博文公の金沢別邸の記事は「ココ」←クリック!
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こんな感じ。八景島の橋の欄干のカラー版と言った所でしょうか?
因(ちな)みに、鎌倉時代~戦国時代にも金沢八景は景勝地として有名だったので、八景の一つ、洲崎の地に建つ龍華寺は兼好法師の別名で有名な吉田兼好、北条早雲こと伊勢盛時公や徳川家康公の宿泊地でもありました。
※龍華寺の記事は「ココ」←クリック!
ここまで読んで頂ければ、野島が如何に風光明媚な土地だったかが解るかと思います。
そんな訳で景勝地の一つだった野島に、徳川頼宜公が別荘を建てて風景を楽しんでいた訳ですが、その鬼門鎮護として紀州徳川家の崇敬を受けたのが野島の御稲荷様だった訳です。

この様な横浜市の景勝地は特に昭和期に多くが乱開発で消え失せました。
杉田梅林や、金沢の八景が最たる例です。
横浜市は現在の林文子市長を含め歴代に市長の中に、日本歴史文化や日本の風景を大切にしない土建屋や港湾関連の組織票を票田にしている人物が少なくありませんでした。つまり低文化で知識に欠け景色と歴史の重要性を理解出来ない風流を理解できない人達が歴代市長に居る訳ですね。
横浜市教育委員会を含めた横浜市職員は、当然ながら地方公務員なので市長によって人事権を掌握されているので、市長が無文化だったり反日的な人物だったりすると市長の意を組んで歴史遺産や景勝地や自然を土建屋に開発=破壊させての土建屋と政治家の建築利権を確保させてしまいます。
現在の林文子市長も、横浜市内で最大最後の自然植生の大森林で自然公園の円海山瀬上池~瀬上沢周辺を、東急グループに宅地開発させようと策動しています。現に、開発を擁護する発言をしてバッシングを受けているのは栄区民、磯子区民、港南区民、多くの神社や御寺の氏子檀家さん達の知る所です。
仮に開発されれば林文子市長や、与党の候補者は市民感情逆なでしヤリ玉に挙げられた上で、史跡と自然の破壊者として過去帳等に記録され後世に悪名を残す事に成るでしょう。

さて、そんな過去の景勝地野島に紀州徳川家と関連も有った野島稲荷神社が有る訳ですが、現在では参拝客も減ってしまい、本殿裏から野島の頂上に通じた道も通行止めに成ってしまったりしています。
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でも小生は、とても雰囲気の有るこの神社が好きです。
伊藤博文公の金沢別邸に抹茶を飲みに行くと、たまに野島の御稲荷さんにも足を延ばして散歩します。
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何だか、御狐様が巫女さんに化けて境内を箒(ほうき)で掃除してそうな雰囲気の有る神社なんですよ!
この本殿の裏に、小生の子供の頃まで登れた崖を削って作った小さな石段が有ったのですが、現在は通行禁止に成ってしまいました。
こうやって少しづつ寂れて、将来廃社に成ってしまうかもと思うと小生は凄く危機感を感じてしまいます。
現代人は神社や御寺で自分勝手に願掛けはするのに、昔の人の様に神仏に対して願いが叶った際の御礼参りと御布施すらしませんからね・・・。
そして学校教育には左派で日本文化迫害を好む教職者も多くいるようです。ですから、学校で歴史の話を語る時に絶対に御寺や神社の伝承や関わった人物なんて教えてもらえません。そうすると、自分の地元の神社仏閣が凄い歴史偉人と関わりが有ったり強い御利益が有ったり、古代の史跡の上に建っている事を知らずに育ってしまうので、反日的な教育を受けた某隣国系のヤクザが多く入り込んでいる土建屋と左派政治家の好き放題に日本の自然と史跡と宗教施設の旧境内地が破壊されて日本の風景がどんどん劣化して無機質な町が増えてしまい風流さも伝統の欠片も無いコンクリートだけの町に成ってしまうんですよ。

ですから皆さん、御近所の山や御寺や神社を是非散歩して見て下さい!
町中に残る山は平安時代~戦国時代の史跡で有る事が多いですし、神社仏閣は小さくても、鎌倉時代や戦国時代の英雄や御姫様と関わりが有る場所が沢山有ります。

この野島稲荷神社が、その典型的な例なので紹介して見ました。
町の中の小さな神様の御社や御地蔵様を見かけたら、心の中で声をお掛けして、手を合わせて見て下さい。

無論、神社仏閣だけでなく我々の住む横浜には幕末に英国によって建てられた山手聖公会教会等も横浜市の歴史の一部に成って行き、我々異国文化にも寛容な日本人に史跡/文化財として大切にされて行く事でしょう。

皆さん、町の中の御寺や神社や自然の湧水池や森や山を散歩してみませんか?
きっと其処は、過去の神様に成った縄文~弥生時代の偉人達や鎌倉武士や戦国武将と我々を繋ぐタイムマシーンに成ってくれるはずですから・・・