2016年秋の横浜市中区の三渓園は今が今週(12月第1週~7日位までか?)が紅葉の見頃です。
過去にも解説記事を書いていますので、下に表示される“タグ”の中から“三渓園”をクリックして頂くと昔の記事を見て頂けます。

今回は2016年11月30日に撮影して来た三渓園の写真だけ列挙して置きます。
皆さん、是非、御散歩に出かけてみては如何でしょうか?
【はじめに】
横浜三渓園は、幕末~明治時代に活躍した横浜商人、原家(原財閥の当主)の私邸でした。
原財閥は現在の世界遺産である富岡製糸場、横浜銀行、ニューグランドホテル等の有名企業を運営し、生糸の輸出等を手掛けていた財閥です。
明治時代当時は明治政府唯一の失政、神仏分離令や一村一社政策と廃城令によって日本全国の神社仏閣が荒廃したり廃社や廃寺や御城の建築遺産がが風呂屋に買い取られ薪(まき)にされ、風呂釜の竃(かまど)の中で燃やされ世の中から消えてい行きました。
原財閥の当主達は、その広大な私邸、三渓園に当時、明治政府の宗教政策の失敗によって荒廃した神社仏閣を多く買取り邸内に移築させ保護しました。
近代において文化財保護の概念を理解していた稀有な一族だった訳です。
原三渓の代には住居でありながら市民に公園として自宅庭園を公開した事が三渓園の由来です。
原財閥は関東大震災で横浜市が壊滅した際に、私財を投じて市の復興を成し遂げた(横浜市の復興は国では無く原財閥の献身的自己犠牲による処が大きかった)義商の財閥でした。現代において、その様な商人は日本には皆無と言って良く、現代人にとっても手本とすべき人間像、企業像、商魂と言えます。
これは商人文化の先進地域、近江商人の理念や、日本の海運を支えていた淡路商人の高田谷嘉兵衛さんにも通づるところが有ります。

【以下建物と風景の紹介】
●大池と、旧燈明寺三重塔
燈明寺三重塔は室町時代後期1457年の建築。京都府木津川市の廃寺灯明寺から、大正時代に原財閥によって保護され1914年に三渓園に移築。
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●大池横の椿
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●旧西方寺の御門(山門)の横道の紅葉
西方寺山門は江戸時代中期1708年頃の建築。
西方寺は京都市東山区の寺院。廃仏棄釈で荒廃した際に原家が山門を引き取り移築、保護した。この道の右手に西方寺の山門と、その奥に白雲邸が在る。
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2016年11月30日現在はまだ紅葉は5分色付きと言う所、12月中旬頃まで楽しめそうだ。
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●臨春閣と紅葉
臨春閣は江戸時代初期1649年の建築。
元は紀州徳川家が和歌山県の紀ノ川の河畔に建設した別邸だった。廃藩置県による紀州藩解体による荒廃の危機から原家が買い取り三渓園に移築保護した。元は紀州徳川家の殿様が紀ノ川沿い春の景色を楽しむ場所だったが、三渓園では秋の紅葉の映(は)える場所に成っている。
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●旧天瑞寺寿塔の覆殿(おおいでん)の横の紅葉と臨春閣
天瑞寺寿塔の覆殿は安土桃山時代1591年建築。
天瑞寺は京都市北区に在る臨済宗の大寺院、大徳寺の塔頭寺院。寿塔と覆殿は豊臣秀吉が母の長寿祈願に建設奉納した建物。
明治時代1905年に移築保護。
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下は臨春閣の前から見た天瑞寺寿塔覆殿と横の紅葉。
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●月華殿の下、臨春閣横の橋と紅葉。
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●旧伏見城内御殿、月華殿の前の紅葉。
安土桃山時代後期~江戸時代の変遷期1603年に伏見城内に建築された御殿。
月華殿は徳川期の伏見城内に建築されていた建物で、将軍(徳川家康公や徳川秀忠公)が京都に滞在する際に諸大名に謁見する座敷だった。
大正時代1918年に移築保護。
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月華殿周辺の紅葉以外の広葉樹は枯れてしまったが、紅葉はこれからが見頃。
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●旧廃寺、心平寺 天授院(地蔵堂)
臨済宗南禅寺別格本山鎌倉五山の第一位、北鎌倉建長寺の塔頭寺院、旧心平寺廃寺の地蔵堂で江戸時代初期1651年の建築。
鎌倉五山の寺院は、鎌倉幕府以来、歴代住職の任命権は征夷大将軍のみだった格式を持つ。
現在では心平寺は遺址としてだけ名が残る。
大正時代1616年に移築保護。
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まだまだ、ここの紅葉は楽しめそう。
●旧二条城 聴秋閣
京都市中央区に在る、二条城の御殿の一部だった建築遺産で江戸時代初期1623年の建築。
二条城は徳川将軍家が京都での天皇家への拝謁や将軍宣下等、公式行事の際に滞在する場所として造営された城郭。現在も保存状態が良いものの、徳川幕府解体時に荒廃の危機に在った建築遺産群の内、聴秋閣を原財閥が引き取り保護した。
大正時代1922年の移築保護。
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名の通り秋に映える建物で、この時期だけ背後の丘の林道が通行可能に成る。
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●聴秋閣側の紅葉越しに見た亭榭(ていしゃ)の橋と、旧灯明寺三重塔。
亭榭の建築年代は不詳ながらも、建築様式を見るに安土桃山時代後期~江戸時代初期と思われる。
亭榭の榭(しゃ)は訓読みで榭(ウテナ)と読み、見晴らしの為の台や橋の上に建てられた東屋(あずまや)を指す。
2階建て以上の物を望楼や楼閣と中国語では呼称した。
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●蓮華院横の大銀杏(いちょう)と紅葉。
蓮華院は原三渓設計した茶室で大正時代1917の建築。
この日は幼い子と新米ママさんがイチョウの葉で戯れており、微笑ましい風景写真と成った。
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●大池横の鯖猫ちゃん。
三渓園は猫さんが沢山いて、皆人慣れしていてモフらせてくれるサービス精神旺盛な子達が多い。
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三渓園にはこの他にも沢山の建築遺産が保護されています。
小生の御勧めの場所は白川郷から移築された旧豪農の茅葺屋根の家です。
秋の写真じゃないですが、一応掲載しておきます。
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ここは中に入る事が出来て、当時の豪農達が一族で集団生活をしていた様子が解ります。
午後15時までに行くと、囲炉裏(いろり)に火が入っていて、現代では焚火をする機会の無い子供達にも、煙の良い香りを嗅がせてあげる事も出来たりします。
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この他に鎌倉の尼寺で縁切寺としても有名だった松岡山東慶寺の旧仏殿も在ります。
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東慶寺は昨年2015年公開された映画❝駆け込み女と駆け出し男❞の舞台にも成った場所ですね。
駆け込み女と駆け出し男

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以前映画と東慶寺の紹介で書いた記事です。御興味ある方は御覧下さい。