今年もいよいよ残す所あと3日。
皆さんは歳末の買出しや大掃除、年賀状の準備は出来ただろうか?
小生は本日、当初の予定ではすべてを一日でこなすつもりだったが、結果的に3つだけ片付いた。

夜中に仕事を終えて帰宅し、そのまま寝ずにブログの下書きをして朝に成るのを待った。
先日、子宮癌の手術を無事終えて退院した母が最近漸く元気を取り戻し、市場に年末の買出しに行きたいとの事だったので早朝の6時半に車を出す予定が有ったからだ。
ところが座椅子に座りながら羽毛布団を腹に掛けてPCを叩いていたらいつの間にかウトウトしてしまい、起きた時には7時半だった。
とりあえず、母はこちらが徹夜で仕事をしていたのを把握しており特には怒りもしなく、声だけ掛けて来たので車に乗り込むとさっそく南部市場に向かった。
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今年は歳末売り出しを25日日曜日からスタートしたので、初日に大分売れてしまったと、場内市場の鮮魚棟の横浜水産の従業員の方がおっしゃっていたが、それでも小田原名物の蒲鉾や伊達巻を購入出来た。しかし到着が少し遅れたので生憎(あいにく)ほとんどの鮮魚は売り切れてしまっていた。
場内市場を見るならやはり6時位には着いていないとダメだな。
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こんな解体されてない鮪なんて買えないし(笑)。
母が買い物をする間、自分は場内市場の❝がってん食堂❞で日替わり丼と拉麺セット750円を食べた。
写真は撮り忘れたが、本日はネギトロ、漬け鮪、白魚の三種盛りだった。それに絶品醤油ラーメンが付く。
これで750円は驚愕の安さと満足感だ。
南部市場に行く人は是非、立ち寄って見て欲しい。
Google Mapでも検索できる店なので問題無く見つかるだろう。
朝食を終えて暫くすると母が戻って来て、今度は場外市場棟へ行きたいと。
車ごと再び移動、200m。
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小生は行きつけの浜光水産にて・・・
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写真の岩手県産の岩牡蠣を購入。写真では伝わらないかもしれないが150円で物凄い大きさ。
これは本日の昼、蒸してポン酢で食べて小生の昼食と成った。
昼、家から車で30分程の距離の衣類店でジーンズとチノパンを購入、裾上げを御願いしたのが午後3時頃だったろうか?
この季節に至って、まだ義祖母の墓参りを済ませておらず今日は元々午後に墓掃除に一人で行くつもりだったので、裾上げに1時間ただ待つのも時間が勿体無く思え、その衣料品店から又、30分程離れた義祖母の墓所の在る日野公園墓地へ移動した。
日野公園墓地は美空ひばりサンの御墓も在る所で、いつもファンの人が綺麗にしてらっしゃる。
義祖母の墓所も美空ひばりサンの御墓からそう離れていない場所に在る。
いつもの石材店で仏花と御線香を購入し、水桶を拝借して移動。
1時間くらいゆっくり掃除をしながら、義祖母の人生を思い返したり、小生の幼少の頃に実の孫の様に可愛がってくれた事を感謝したりしながら墓を掃除した。
義祖母の家は元々、裕福な家だった。義祖母の祖父や両親は富山出身の商人で、横浜でシルク商人として財を成した。しかし化学繊維の登場で横浜シルクの需要は減り、家の商売は上手く行かなくなったそうだ。
明治も末の生まれの義祖母は大正時代にフェリス女学院に通うモガだった。蒸気バスで通ったそうだ。
蒸気バスが横浜を走ってたと言うのは大人に成って調べてみたら日本でもかなり珍しい事だった様だ。流石、日本最初の女子大、御嬢様大学フェリスの前身の学校だ。
義祖母は商売の上手く行かなく成った両親の言うまま、結婚相手を決められて嫁いだ。しかし、この相手が相当問題の有った人物だったそうで、義祖母の両親が後から義祖母を取り返しにいって離婚したそうだ。
子も成したが水子だった。
根岸の義祖母の家には庭に、その水子の供養と思われる石が置いてあったのを記憶している。
その後、学歴もあってか祖母は横浜に在ったアメリカの関連機関で勤務したそうで、その時に良い人も出来たそうだが当時は国籍と人種の違いと言うのは色々と問題も有って結婚に至らなかったそうだ。
以降、義祖母は独身を貫き自らの両親の最期を看取った。
どんな思いで生きていたのだろう?
89歳で亡くなるまで寂しいとか悲しいとかも言わず、ただ笑顔でだけ接してくれた。
義祖母の癌を見つけて入院させたのは小生だった。
入院から1ヵ月で満開の桜の季節に亡くなった。
実の祖母達よりも距離の近い義祖母は小生にとって実の祖母と同じく大切な存在だった。
可愛がってくれた。
この年に成っても感謝している。
だから墓掃除くらいは当たり前だし、義祖母が御参りしていた神社にも今も小生が御参りに行く。
当たり前。
以前、尊敬する神奈川の歴史偉人の顕彰活動を始める前は用事が無くても、たまに義祖母の墓に行っていた。
休日にマクドナルドで昼食買って墓参りして、義祖母に色々と報告をして、車で食事を終えてから「又来るね」と言って帰る事が良く有った。
血縁よりも信頼関係が大切なんだと言う事を知れたのは義祖母の御蔭だ。
まぁ、血縁が無くても家族に成る完成形が「夫婦」なんだろう。
小生にはその経験が無いのが何とも言えない感情を覚える。
幸い、弟も妹も子を成したので両親も孫を見る事は出来た。
あとは小生が世間様の為に何をどれだけ残せるかだ。
義祖母への年末の挨拶と言うか墓参りと言うか会いに行ったと言うか、墓掃除も終えて線香を上げて、石材屋さんに水桶を返却し1年間の挨拶をしてから、裾上げが終わってるはずのジーンズを引き取りに衣料品店に向かった。
ズボンを2本引き取る。駐車場から見た空が、宇宙の青にまだ少し夕陽の橙色が滲んでいたので「円海山から富士山のシルエットが綺麗に見えるかも知れない」と思い、帰りに円海山に立ち寄った。
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ふむ、予想通り。小生はこの風景が好きだ。
横浜で一番高い長野山(円海山)から見る風景。
円海山は西側の戸塚や藤沢の街の灯り越しに見る富士山の夕景も綺麗だが・・・
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反対側、みなと未来地区を望む風景も捨てがたい。
林文子市長のせいで、今年からもう開催されないが横浜の花火大会がここからは綺麗に見えた。
この市長は蛍の生息地で有り奈良時代からの蹈鞴製鉄史跡や灌漑水田史跡、鎌倉武士の通った古道の残るこの円海山を宅地開発しようとしている。
本当に問題の有る市長だ。
この風景は我々は後世に残していかなければいけないと思う、町の灯りが綺麗に見えるのは、蛍が住める自然環境に明かりが一切ないからだ。

さて、今年の休日雑記は恐らくこれが最後、又、年が明けて、どっか行ったら書くだろうか。
先ずは30日までに神奈川県の神社仏閣一覧を更新せねば・・・