6年前の3月11日
高速総てストップ。
首都機能麻痺。
東北諸県被災地のインフラ崩壊。
まだ雪降る現地。
補給が滞り石油灯油が枯渇寸前で死線が近づく
生き残った人々。
そんな中、本牧半島、横浜市中区根岸の石油コンビナートのエネオス社員達が無能な当時の政権を見捨て、民間の力で被災地へ命を繋ぐ油を届けようと行動し出す。

発災2日目、エネオス社員とJR貨物社員が明治の元勲、伊藤博文公が整備した横浜を起点とした無電線区間の貨物列車網と言う偉大な遺産の活用に気が付く。
この路線は日本海側に繋がっている、つまり遠回りだが新潟県~山形県~秋田県経由で被災地へ、文字通り命の灯火と成る油を一気に大量輸送出来るのだ。
壊滅した太平洋側の軌道を使わずに済む。
根岸のエネオスとJR貨物と臨港鉄道の社員達は神がかった連携を見せる。
この区間は無電線、電車が走れない上に明治~昭和初期の近代に建造された"煉瓦製の橋脚"の橋を超重量の貨物編成で渡り、磐梯山を越える急勾配を通過しなければいけなかった。
発災3日目、エネオスの油の準備万端、いつでも貨物列車に充填出来る体制が整う。
JR貨物職員も何と1日で通過予定区域の煉瓦製橋脚の橋の耐久確認し、更には日本全国から時代遅れで退役予定の"ディーゼル機関車"をかき集め無電線区間の通過を可能にした。

かくして当時の無能な民主党政権が右往左往する間に、民間の社員達が会社の垣根を越え、更に時代を越えて伊藤博文公をはじめとした近代の政治家達と連携し、大地震と大津波発生から1週間も経たずに被災地へ横浜市中区本牧半島のJR根岸駅を出発した第1便の貨物列車により灯油と石油が届けらた。

色々と忘れちゃいけない事も有る。
そして、一見価値の無くなった様に錯覚する物にも必ず残さなきゃいけない物も有る。
それを忘れちゃいけないし、これからも油断しちゃいけないんだと思う。