前回の海禅寺編⤵️
コレ⤴️の続き…
 

海禅寺で御住職への取材と間宮家顕彰文での海禅寺の紹介文の記載の許可を頂いき、三田綱秀公の誠実に生きた生涯について御住職と色々と語り合い、次回の秋の参詣まで暫し御別れの挨拶をして御寺を後にした…
車に乗り込む頃には既に12時を回っており空腹感を強く感じていた。
実は、早朝にセブンイレブンの店員さんから紹介されたドラマ❝相棒のロケ地と成ったカフェ❞や興味の有るレストランが数件有ったのだが、午後13時から車で30分先の阿蘇神社にて熊本復興祈願と被災者生活再建祈願の祈祷をして頂く事に成っていたので 昼食をゆっくり食べる時間は既に無かった。
早朝に海禅寺へ向かって車を走らせている時に気に成った饅頭屋が有ったので、そこで饅頭を買って小腹を満たそうと思い立ち、海禅寺から出発して最初の目的地に 「へそ饅頭本舗」と言う店だ。CIMG3396
御店主に質問した所。この店舗自体は既に65年の歴史が有るそうだ。
青梅市の名物も余り印象が無いので、この御店を見つけた事はとても嬉しい発見だった。
CIMG3395
 この店は箱売りの御土産が店頭に展示してあるが、小売りを注文すると暖かい蒸したての物を提供して下さる。
CIMG3397
 ふわっふわでとても美味しかった!
へそ饅頭の名前の由来は、文字通り❝へそが饅頭に有るから❞みたいだ。
次回、海禅寺の御住職様に会いに行く時は御土産にこれを持参しよう。
車の中でへそ饅頭をパクつき自販機で購入した御茶を飲んで再出発!
隣接市の羽村市、武蔵阿蘇神社を目指した。 
 DSC_1116
武蔵阿蘇神社に着くと、平日の水曜日と言う事も有って人は混んでおらず静かな雰囲気だった。
昨年の訪問時はチューリップ祭り開催中の休日だった事、熊本地震で熊本の阿蘇神社の本社が倒壊したが地震での死亡者が極端に少なかった御利益で関東で唯一の羽村市の武蔵阿蘇神社が有名に成り、熊本復興祈願の御参りに来る人やパワースポットとして来る若い参拝客がそれなりに多くいた。
今年は静かで良い(笑)。
CIMG3401
本殿への到着時刻は約束の13時の1分前に到着。あぶねー(笑)。
訪問の目的は熊本で神話の時代から阿蘇神社の大宮司家である阿蘇家の戦国時代の居城、熊本県上益城郡山都(やまと=旧、矢部)町に有った岩尾城に掛かる建築文化財の石橋❝通潤橋❞の名を冠した❝通潤❞と言う御酒を神前に奉納し「阿蘇山の鎮化」「熊本県の復興」「被災者の生活再建」の祈祷をして頂く事だった。
禰宜の宮川さんは小説を読んで小生の到着を待っていて、小生に気が付くと直ぐに拝殿の中に通して下さった。
儀式を一頻(しき)り終えて、御正月に話せなかった禰宜さんから1年ぶりに色々と御話を聞けた。
昨年の熊本地震の後、武蔵阿蘇神社の氏子さんや有志と宮司様禰宜様が復興支援金と阿蘇神社本社の再建資金を熊本に送ったのだが、昨年、熊本の阿蘇神社本社の禰宜さんがわざわざ奥多摩の羽村市武蔵阿蘇神社まで来て下さったそうだ。そして再建の行程が具体化して着手された事や、様々な報告、実際の状況の動画等を見せて下さったそうだ。
羽村市の武蔵阿蘇神社は平安時代に関東で善政を敷いて万民から愛された名将の平将門公が、藤原貴族に讒訴(ざんそ=陰謀で貶められ組織に嘘を報告される事)されて攻め殺されたのだが今でも関東人と生粋の武士の子孫は平将門公を尊敬している。
そんな将門公が結んだ熊本(肥後)と埼玉東京横浜(武蔵国)の縁は今でも深く、こうして武蔵阿蘇神社から義援金が熊本に届けられたりしている訳だ。
DSC_1118
小生も宮川宮司様と禰宜様の義に賛同している者の一人だ。
そんな訳で正月にも参拝に来たのだが、熊本大地震から1年後、又、復興祈願の祈祷を行って頂く為に参上した訳だ。
熊本と多摩郡と小生の住む久良岐郡(横浜)は遠く離れていても、心の距離は平将門公と阿蘇大宮司家が結んで下さった御縁の御蔭で今でも近い。 

さて、上の写真の阿蘇神社の裏手の参道の横には羽根用水と言う灌漑水田への水量管理の機能を有した水路が有る。
DSC_1120
阿蘇神社での用事が終わって先ず見た場所はチューリップ祭りではなくてここだった。
実はこの❝羽根用水は室町時代から存在した用水路の建築遺産❞なのだが、それを知る人は東京都民にも少ない。
玉川上水よりも数百年前から存在している大切な場所だ。 
今年の正月に新年の御挨拶に阿蘇神社を参詣した際、この羽根用水が昨年2016年10月に大雨で多摩川が増水し羽根用水が決壊してしまい、チューリップ祭りが開催される根搦前水田(ねがらみまえすいでん)に供給する水が無くなっていたので非常に心配していたのだが、羽村市役所の方々が努力をされて見事に復旧した様で安心した。 
CIMG3400
 手前の羽根用水が奥多摩から流れ降りて来る多摩川上流の清涼な水を満々と讃えている。用水の向こう側が多摩川だ。
この用水路に沿って歩いていくとチューリップ祭りの会場に辿り着く。
CIMG3414
 このチューリップ祭りの会場は恐らく関東で屈指の広さを誇っている。
CIMG3409
とても綺麗な風景なのだが、実は、この場所も❝途轍(とてつ)もない歴史遺跡❞なのだが、これを知る人も又少ない。
ここは古代から多摩川の自然堤防の内側の湿地帯で、古代から稲作が行われていた場所なのだ。
早ければ❝縄文時代末期から稲作が行われていた可能性の有る場所❞なのだが、これが神奈川県の走水神社の伝承なんかとも合致する。
東京都の多摩地区の教育委員会は文化と歴史遺跡保護に非常に熱心で、文化財保護法の設置を最後まで拒んで多くの文化史跡と歴史史跡を建築利権の為に破壊した神奈川県と横浜市の連中とは大違いで、古い定説に拘らずガンガン発掘調査をするので最先端の意見を持ちガンガン史跡を見つける類の学者さんが多い。
走水神社の伝承では稲作に関わる稲荷神社が既に紀元前から存在しており、自然の湿地帯を利用した稲作が関東では普及していたんじゃないかと氏子さん達に伝承している。そして関東最古の大社格を有する埼玉県久喜市の鷲宮神社でも縄文~弥生時代の遺跡が低湿地に囲まれていた地域と湧水地付近で発掘されている。
神奈川県の博物館の学芸員だけが関東での縄文ないし弥生時代からの稲作の可能性すら否定しているのは「そういう雰囲気が出世と関係ある」のだろうと小生は推測している。
まぁ、そんな訳で、ここは古代の水神としての蛇神信仰から変化し古墳時代位から関東に根付いていた龍神信仰の舞台でもあり、やはり稲作と密接な関係が有ったりする。 
DSC_1084
 だから今も雨乞街道が残っている。根搦前水田の多摩川を挟んだ対岸に昔、丸山と呼ばれた尾根が今もあり、その下には近代の河川改修まで❝淵(ふち=水辺の深み)❞が有ったのだが、そこが龍神信仰と雨乞いの聖地として機能したそうだ。現代では残念ながら治水工事でこの丸山下の淵は消滅した。
延喜式神名帳に載る神奈川県伊勢原市の大山阿夫利神社と別当寺の大山寺の
御祭神も高 (たかおかみ)と言う龍神様が水神として二重の滝と神社の神様として祀(まつ)られている。
そして同じく神奈川県大和市の深見神社も名前からして雨乞いの神様であり、そして御祭神は稲作と関係深い宇迦神(うがじん)=倉稲魂神(うかのみたまのかみ)=御稲荷様だ。
以前ブログでこれらの事は話した事が有るのだが、高尾山も恐らく水神信仰若しくは雨乞いと関係が昔は有った筈だ。
さて、歴史の話はここまでにして、チューリップ祭りの風景に話を戻そう。
CIMG3408
 今年のチューリップ祭りは04月19日に訪問した訳だが、今年の気候のせいか昨年よりも発色が素晴らしかった!
CIMG3406
 どこを見ても何の品種を見ても素晴らしい!
CIMG3428
CIMG3429
CIMG3430
CIMG3424
本当に再訪して良かったと思う。
楽しみもチューリップだけでは無く、屋台が数軒出るので食事も楽しみにしての訪問だった。
CIMG3416
流石奥多摩!屋台に鮎(あゆ)や山女魚(やまめ)の塩焼きも有った。
CIMG3417
しかも鮎は500円、山女魚は600円と安い!もし横浜の懐石料理屋で注文したら1匹1000円以上は確実に取られるだろう。これを見て、川魚とお好み焼きを昼食にする事を即決した。
CIMG3421
鮎も山女魚も皮がパリパリ、炭火でゆっくり焼かれていたので骨までバリバリ食べられた。
美味しかった!尻尾は塩っ辛かったけど(笑)。
お好み焼きは普通の屋台の奴。
でも美味しかった。
チューリップ祭りの行われる根搦前水田には素敵な茶屋も有る。
CIMG3413
今回は訪れなかったが来年また来たい。若しくは秋のあきる野市の秋川渓谷の紅葉と見学と合わせて来ても良いかな?
腹も満足し、チューリップ鑑賞に復帰!
CIMG3431
CIMG3432
CIMG3435
CIMG3437
いや~もう言う事無いでしょ!凄い綺麗!
CIMG3445
CIMG3444
来年も又、熊本復興祈願の御参りをチューリップ祭りと合わせて訪問したいなと思う。
CIMG3449
CIMG3454
チューリップ祭りの会場を後にして、河川敷の臨時駐車場へ向かう途中、もう一つの重要な史跡を見る事が出来るので写真に収めておいた。
CIMG3402
玉川上水の取水関だ。
実は江戸時代に江戸市民の生活を支えた井戸は全て玉川上水の水だった。
そして全ての水はここから汲み上げられて江戸へ用水路を通じて供給されていた。
この仕組みは戦国時代の関東の覇者だった小田原の北条家が城下町整備の際に作った❝小田原用水❞がモデルに成っていて石工達も小田原から徳川家に雇われて用水路建設に携わった棟梁は小田原の石工として現在もその家が現存している。そして小田原用水は日本史上最初の上水道と言われている。
そして、小生の推測では更に、大河川から用水路を引いて水の内地域へ供給する仕組みは羽村市の羽根用水がモデルに成っているのじゃないかとも推測している。
北条家が用水路を作ったのは北条氏綱公~北条氏康公の頃の話と推測されている。
丁度、その御二人の時期に多摩地方へも北条家が勢力を伸張しているので小生はその様に推測する訳だ。
DSC_0770
伊勢原市の扇谷上杉家の居城、粕屋館周辺にも千石堰用水と言うのが昔から存在するのだが、それは取水口と言う性質の物では無くて小川の流路を限定して流したい方向に水を流すと言った感じで小規模な物だ。
DSC_0771DSC_0772
まぁ、空堀に水を引き込んで湿地にするのが目的なので、大きな水源から水を供給する壮大な設備である必要が伊勢原市の方は無かった訳だ。
そんな訳で羽根用水が室町時代には存在していたのに立派な規模を誇る事は非常に❝凄い❞訳だ。
この歴史を多摩地区の人は玉川上水と一緒に大切にして頂けると後々の財産にも成ると思う。
CIMG3452
可愛い花々を見て、羽村市を後にした。
CIMG3455
あきる野市では先ず最初に「ルピア」と言う商業施設を訪問した。
地元の方から事前に❝ちっとん餅❞と言う御当地スウィーツを教えて貰っていたので、それを購入する為だった。
しかし水曜日は非営業日、あえなく撃沈して大人しく次の目的地へ向かった。
CIMG3464
中村酒造さん。
ここは歴史200年超を誇る酒蔵で、試飲も出来るのだが小生は飲酒の習慣が無く酒其(そ)の物には興味が無いのだが立派な建物や酒造りに興味が有って以前から気に成っていた。
なので、あきる野インターチェンジの近くと言う事も有って帰りに立ち寄った訳だ。

どんな場所かは紹介を別記事に纏めてみた。

コレ⤵️

興味有る方は参考にして貰うと良いと思う。CIMG3472

普段は酒を飲まない小生だが、梅酒だけはたまに飲む。最近は梅の特産地を訪問する度に梅酒を土産に買って帰るのだが中村酒造では変わった梅酒が有り、東京の名酒❝千代鶴❞の原酒に梅を漬け込んだ「梅酒(うめざけ)」なる物を販売していたので、これを母と自分の土産に1本、それと父に清酒千代鶴も購入して帰った。
帰ってから、04月12日に伊勢原市大山で購入した豆腐の味噌漬けと一緒に中村酒造の梅酒を楽しんだ。
CIMG3474
ふむ。
青梅~羽村~あきる野は平将門公や源頼朝公、北条家の武将達と深い関わりの有る土地で歴史散策も楽しく、風景も綺麗で有意義な休日と成った。
平将門公、三田綱秀公、北条氏照公、そして多摩の親切な人々、ありがとうございました!

次の休日雑記は04月22日の海老名市~綾瀬市~藤沢市訪問時の事を書きます。
では又!