横浜市金沢区長濱には長浜ホールと言うコンサートホールと長濱野口記念公園が在ります。
そこには❝旧長濱検疫所の細菌検査室❞が保護維持され無料開放されています。
長濱野口記念公園内 旧細菌検査室
野口英世記念公園内に保存される明治時代の建築遺産にして医療文化史跡。野口英世先生が検疫所職員時代に日本初❝ペスト❞の患者を臨港検疫で発見し日本へのペスト流入を食い止めた当時正に働いていた場所なんです。
野口英世先生がここでペストを食い止めていなかったら現在の日本人の多くは祖先が死んでいて生まれていなかったかも知れない、そんな医療の聖地でもある訳です。
そこには❝旧長濱検疫所の細菌検査室❞が保護維持され無料開放されています。
長濱野口記念公園内 旧細菌検査室
実はここ・・・
野口英世記念公園内に保存される明治時代の建築遺産にして医療文化史跡。野口英世先生が検疫所職員時代に日本初❝ペスト❞の患者を臨港検疫で発見し日本へのペスト流入を食い止めた当時正に働いていた場所なんです。
野口英世先生がここでペストを食い止めていなかったら現在の日本人の多くは祖先が死んでいて生まれていなかったかも知れない、そんな医療の聖地でもある訳です。
明治三十九年(1899年)明治政府に因って❝海港検疫法❞が公布されました、すると旧長濱検疫所は横濱海港検疫所として再スタートし、当時は北里研究所の北里柴三郎先生の開いた伝染病研究所で研究助手をしていた野口英世先生に白羽の矢が立って❝海港検疫医官補❞として入所赴任されたそうです。
この頃、野口英世先生は22歳。若い!
すると横浜港に入港しようとし横濱海港検疫所に停泊していた❝亜米利加(アメリカ)丸❞の清国(中国)人乗船員がペストに感染しているのを野口英世先生が発見、ペストの日本侵入と蔓延を事前に食い止めた。
その時に活躍の場と成ったのが正に、この❝旧細菌検査室❞であり、当時の横濱海港検疫所として機能し現在はコンサートホールとして改装され再利用されている長濱ホールだった。 これらの建物はバブル時代に老朽化で破壊されそうに成ったのですが、野口英世先生の出身地の福島県民と横浜市民と北里大学の関係有志が義挙し保存活動に発展、実に18年間に及ぶ保存維持闘争を経た頃に、横浜市長が高秀秀信市長に成ったのが幸運でした・・・
高秀市長は建築族であると同時に歴史知識と教養の深い人物で、この活動に賛同され保護に踏み切り現在では横浜市民に無料で開放され誰でも医聖:野口英世先生の日本防衛の医療聖地を見学する事が出来る様にして下さいました。
※現在外装工事中の長浜ホール ・・・余談ですが高秀市長は他にも横浜市中区元町~山手地区の明治~大正~昭和初期の洋館群を横浜市で買い取り保護し、素敵な街づくりと近代西洋文化保護を行い、更には都筑区センター南駅までの茅ヶ崎城址保護整備により茅ヶ崎城址公園を開き日本の戦国時代の文化史跡保護にも活躍されました。
又、茅ヶ崎城から直ぐ近くの大塚歳勝土遺跡を保護し緑地公園と史跡公園として発掘調査させ整備し横浜市立歴史博物館を設立され高秀市長によって保護公園化された大塚歳勝土遺跡は❝国指定史跡❞と成り、素晴らしい商業街造成と史跡文化保護の両立を実現された名市長でもあります。 ●茅ヶ崎城址公園…横浜市内3本指に入る保存状態の城。←クリックすると記事を読めます。
検疫所の前には澤を利用した水堀が在り、これで検査室と事務所の結界としていた様ですね。
高秀市長はこの様な素晴らしい遺跡や文化史跡や城址や自然を多く保護された上で横浜市の経済発展と両立された偉大な市長だったのですが、2018年現在の林文子市長は❝円海山瀬上池~瀬上沢❞の横浜市最大の❝蛍群生地❞の東急不動産による宅地開発を容認する発言をし高秀市長が自然公園化した現地を一部私有地払下げしたり借地権を放棄し封鎖させ、蛍は絶滅の危機に瀕しています。 同様に❝続日本100名城❞に選ばれた小机城址への横浜市史跡指定化を行わず、建築利権かさせ破壊してしまう可能性が有る。
ついでに関連記事のリンクも以下に貼って置きます。
●茅ヶ崎城址公園…横浜市内3本指に入る保存状態の城。
●円海山と瀬上池の沢…蛍が見れる横浜南部の最後の大森林。
●円海山の蛍が観察出来る季節です。・・・過去記事の転載も。
●❝続日本百名城❞の1つ小机城は城主北条幻庵公と城代笠原信為公が率いた北条家白備え隊後の小机衆の拠点。
旧細菌検査室は小さな博物館に成っていて、当時の検査機材や書類、歴史解説が無料展示されていて誰でも野口英世先生の足跡を学ぶ事が出来ます。
建物は高秀市長が保護した頃には放置され老朽化が激しかったのですが、有志の活動と高秀市長と当時の市長を支えた教養と志の有る一部職員によって修繕が段取りされ現在のの残されました。
部屋は多くは有りませんので、長浜ホールに事前に見学可能か問い合わせし合わせて行くと良いと思います。小生はこの日は旧長濱検疫所の検査室だけを見学しました。
このデカくて仰々しい物が当時の顕微鏡だそうです。今は大分小さく成りましたね。
医療の進歩は科学の進歩を一緒に進んでいく事を物語っていますね。
他にも検査器具は野口先生が手で触れたかも知れいない擂鉢やら天秤やらシャーレみたいな物とか?色々有りました。
これは医療関係者の人が見るべき場所なのだろうなぁと思います。
何か昔の出入り口は地下室と兼用の地下道のみだったそうで、疫病が万が一蔓延しない様に有事は埋めて封鎖する目的でも有ったのでしょうか?今では別に玄関が付けられています。
昔の検査風景。
今も再現され保存されています。
どうです?
小さいけれど医療関係者のみならず横浜市民も見学する価値は十分に有ると思います。
近くの長浜公園は昔海だった海岸線で干潟が保護されており野鳥の観察も出来て子連れでタコ上げしたりデートで散歩したり、ゆっくり遊べる場所でもあります。
そうそう、自販機まで野口先生仕様でした(笑)。
さて・・・
林市長が長浜野口記念公園や茅ヶ崎城址公園や山手のエリスマン邸等、多くの市の建築遺産と史跡と自然と宗教の聖地を高秀市長の様に保護され活用される事を期待し、この記事を書きます。
円海山と瀬上沢と小机城址が横浜市指定史跡や自然保護区に成り、東急不動産さんが自然破壊開発を放棄、それ等の場所の保護にスポンサーに成り“浄願寺跡の上行寺東遺跡を破壊した横浜市教育委員会の罪滅ぼし”も兼ねて林市長と横浜市教育委員会と東急グループは自分の会社は文化と自然を保護しながら既存の宅地を有効的に再開発していますと方針転換の宣伝を率先して行って下さるよう、期待します。
●【城郭ファンへ拡散】六浦山上行寺の解説と、間宮家臣荒井家の鎌倉武士時代の幻の城址❝荒尾城❞発見?の報告と協力要請。
よもや、横浜市はこの過ちを繰り返さないよな?
多くの横浜生まれ横浜育ち世代の横浜市民と自然保護活動家、カルトセクトではない正統派の神道と仏教宗派の関係者も情報共有しながら❝円海山を見守っている❞事ですし。 この提案は政治家にも企業イメージ改善にも+に成ると思います、高秀市長時代を模範にしては如何でしょうか?
その時に活躍の場と成ったのが正に、この❝旧細菌検査室❞であり、当時の横濱海港検疫所として機能し現在はコンサートホールとして改装され再利用されている長濱ホールだった。 これらの建物はバブル時代に老朽化で破壊されそうに成ったのですが、野口英世先生の出身地の福島県民と横浜市民と北里大学の関係有志が義挙し保存活動に発展、実に18年間に及ぶ保存維持闘争を経た頃に、横浜市長が高秀秀信市長に成ったのが幸運でした・・・
高秀市長は建築族であると同時に歴史知識と教養の深い人物で、この活動に賛同され保護に踏み切り現在では横浜市民に無料で開放され誰でも医聖:野口英世先生の日本防衛の医療聖地を見学する事が出来る様にして下さいました。
※現在外装工事中の長浜ホール ・・・余談ですが高秀市長は他にも横浜市中区元町~山手地区の明治~大正~昭和初期の洋館群を横浜市で買い取り保護し、素敵な街づくりと近代西洋文化保護を行い、更には都筑区センター南駅までの茅ヶ崎城址保護整備により茅ヶ崎城址公園を開き日本の戦国時代の文化史跡保護にも活躍されました。
又、茅ヶ崎城から直ぐ近くの大塚歳勝土遺跡を保護し緑地公園と史跡公園として発掘調査させ整備し横浜市立歴史博物館を設立され高秀市長によって保護公園化された大塚歳勝土遺跡は❝国指定史跡❞と成り、素晴らしい商業街造成と史跡文化保護の両立を実現された名市長でもあります。 ●茅ヶ崎城址公園…横浜市内3本指に入る保存状態の城。←クリックすると記事を読めます。
検疫所の前には澤を利用した水堀が在り、これで検査室と事務所の結界としていた様ですね。
高秀市長はこの様な素晴らしい遺跡や文化史跡や城址や自然を多く保護された上で横浜市の経済発展と両立された偉大な市長だったのですが、2018年現在の林文子市長は❝円海山瀬上池~瀬上沢❞の横浜市最大の❝蛍群生地❞の東急不動産による宅地開発を容認する発言をし高秀市長が自然公園化した現地を一部私有地払下げしたり借地権を放棄し封鎖させ、蛍は絶滅の危機に瀕しています。 同様に❝続日本100名城❞に選ばれた小机城址への横浜市史跡指定化を行わず、建築利権かさせ破壊してしまう可能性が有る。
ついでに関連記事のリンクも以下に貼って置きます。
●茅ヶ崎城址公園…横浜市内3本指に入る保存状態の城。
●円海山と瀬上池の沢…蛍が見れる横浜南部の最後の大森林。
●円海山の蛍が観察出来る季節です。・・・過去記事の転載も。
●❝続日本百名城❞の1つ小机城は城主北条幻庵公と城代笠原信為公が率いた北条家白備え隊後の小机衆の拠点。
旧細菌検査室は小さな博物館に成っていて、当時の検査機材や書類、歴史解説が無料展示されていて誰でも野口英世先生の足跡を学ぶ事が出来ます。
建物は高秀市長が保護した頃には放置され老朽化が激しかったのですが、有志の活動と高秀市長と当時の市長を支えた教養と志の有る一部職員によって修繕が段取りされ現在のの残されました。
部屋は多くは有りませんので、長浜ホールに事前に見学可能か問い合わせし合わせて行くと良いと思います。小生はこの日は旧長濱検疫所の検査室だけを見学しました。
このデカくて仰々しい物が当時の顕微鏡だそうです。今は大分小さく成りましたね。
医療の進歩は科学の進歩を一緒に進んでいく事を物語っていますね。
他にも検査器具は野口先生が手で触れたかも知れいない擂鉢やら天秤やらシャーレみたいな物とか?色々有りました。
これは医療関係者の人が見るべき場所なのだろうなぁと思います。
何か昔の出入り口は地下室と兼用の地下道のみだったそうで、疫病が万が一蔓延しない様に有事は埋めて封鎖する目的でも有ったのでしょうか?今では別に玄関が付けられています。
昔の検査風景。
今も再現され保存されています。
どうです?
小さいけれど医療関係者のみならず横浜市民も見学する価値は十分に有ると思います。
近くの長浜公園は昔海だった海岸線で干潟が保護されており野鳥の観察も出来て子連れでタコ上げしたりデートで散歩したり、ゆっくり遊べる場所でもあります。
そうそう、自販機まで野口先生仕様でした(笑)。
さて・・・
林市長が長浜野口記念公園や茅ヶ崎城址公園や山手のエリスマン邸等、多くの市の建築遺産と史跡と自然と宗教の聖地を高秀市長の様に保護され活用される事を期待し、この記事を書きます。
円海山と瀬上沢と小机城址が横浜市指定史跡や自然保護区に成り、東急不動産さんが自然破壊開発を放棄、それ等の場所の保護にスポンサーに成り“浄願寺跡の上行寺東遺跡を破壊した横浜市教育委員会の罪滅ぼし”も兼ねて林市長と横浜市教育委員会と東急グループは自分の会社は文化と自然を保護しながら既存の宅地を有効的に再開発していますと方針転換の宣伝を率先して行って下さるよう、期待します。
●【城郭ファンへ拡散】六浦山上行寺の解説と、間宮家臣荒井家の鎌倉武士時代の幻の城址❝荒尾城❞発見?の報告と協力要請。
よもや、横浜市はこの過ちを繰り返さないよな?
多くの横浜生まれ横浜育ち世代の横浜市民と自然保護活動家、カルトセクトではない正統派の神道と仏教宗派の関係者も情報共有しながら❝円海山を見守っている❞事ですし。 この提案は政治家にも企業イメージ改善にも+に成ると思います、高秀市長時代を模範にしては如何でしょうか?
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