冠大明神 比々多神社(延喜式内社・相模国三之宮・古代遺跡に囲まれた聖地)
比々多神社元宮(戦国時代の戦火で焼失した元の神殿が在った場所)
埒免古墳(建設業者に破壊された古代豪族古墳で旧境内の聖地)

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  御祭神・御本尊等:豊斟渟尊(とよくむぬしのみこと:豊国主命)・天明玉命(あめのあかるたまのみこと)・稚日女尊(わけひるめのみこと)・日本武尊・大酒解神(おおさけとけのかみ:大山祇大神)と小酒解神(こさけとけのかみ:木花之佐久夜毘売)の父子神。  
  御利益:子宝・縁結び・子孫繁栄・地鎮・戦勝・酒造業繁栄・服飾業繁栄・交通安全(陸)・
  関係者:
  開基:神武天皇
  中興:崇神天皇
          垂仁天皇
          持統天皇
          孝徳天皇
          聖武天皇
          淳和天皇
          相模国司  布施 色布知 公
          初代宮司  紀     益麿 公          
          相模国司  橘     峯嗣 公                      
          征夷大将軍 源  頼朝 公
          相模守護  三浦 道寸 公
          征夷大将軍 徳川 家康 公
  旧郡名:大住郡
  所在地:伊勢原市三ノ宮1472番地周辺の高速道路~丘一体全て旧境内地
  ※所在地名をクリックするとGoogle mapの地図上で確認出来ます。
歴史概要】
比々多神社の縁起にある歴代天皇から信奉された逸話を証明するかの様に、神社の周辺のみならず旧本殿の在った場所や境内からも縄文〜奈良時代の遺跡や古墳が大量に発掘されている周辺地域を含めて文化的歴史的にも重要な神社。
古代より天皇家や将軍家から信奉され、背後に控える大山と大山阿夫利神社を信仰対象とした古代人の聖地を引き継いでいる神社。
また管轄する神社に関東で子宝安産の神様として有名な子易神社の本家本元を抱えている。
源頼朝公と北条政子様が御夫妻で子宝安産祈願をして成就した御利益が有る。そして関東の古豪名門武士団の三浦家からも崇敬された。由緒有り歴史的価値に富む神社。
裏山のミカン畑の中の古代社殿跡の元宮でだが、そこに至るまでの広大な範囲が旧境内地。
元宮に至るまでの広大な土地は前政府の宗教政策と太平洋戦争の敗戦時の宗教政策で土地が接収された。
元宮に祀られる祠も自由に御参り出来る。元宮に行く途中の恵泉女子短大園芸生活科伊勢原校舎は古代の比々多神社境内地で埒免(らちめん:埒=防護壁、免=面=削平地・・・壁で囲まれた聖域)の名で呼ばれた聖域だったが、神奈川県教育委員会がその重要性を無視したまま発掘調査を怠ったばかりか恵泉女子短大伊勢原校舎建設時にも事前調査を行わず、結果的に発掘中に古墳が破壊され土木作業者によって多くの出土物が略奪された。しかし一部は義挙した比々多神社宮司家と氏子衆によって作業者から買い戻され、比々多神社内に併設された郷土資料館に保管展示される事となった。
併設されている郷土資料館では、古墳群から出土した宝剣等を見学出来ます。