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2019年正月の14日、小生と妹夫婦の共通の来客が中国から有り、東京プリンスホテルの❝ポルト❞と言うビュッフェスタイルのレストランで一緒に食事をする事に成った。
来客と言うのは小生が中国に居た頃に大変お世話に成った人で家族同然に付き合っており「中国のお姉ちゃん」と小生が呼ぶ人で妹夫婦の病院に治療に来たり、日本で買物をするのが非常に好きで服飾関係を目当てにして半年に1回は遊びに来る親日家だ。
当初の予定では中国の姉さんは15日に横浜元町でショッピングをしたいとの事で二人で中華街で待ち合わせして食事をする予定だったが、妹がシャシャリ出て来て小生には何の相談も無く小生の仕事の都合も無視して勝手に日程を14日に変更した挙句、場所まで東京プリンスホテルに変更してしまった・・・
結婚して子供を産んでからの妹が独裁者化していて困惑する事が多い。
・・・兄ちゃんに事前に相談して!
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ホテルの駐車場に車を停めて「何だか人が多いな~」とか思ってたら14日は成人式だったんだな~。
綺麗な呉服で着飾った御嬢サン達、青年達が沢山集まっていたが港区の成人式は東京プリンスホテルでやるらしい。
リッチで横浜市とは大違いだな(笑)。港区だと横浜みたいにリーゼントに下品な紋付き袴を着こんだ様な輩(やから)も見当たらなかった(笑)。
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ポルト(東京プリンスホテル内)
ビュッフェスタイルのレストランだけどプリンスホテルの中だけあってとても綺麗な御店で、しかも高いのかと思いきや2800円と御手頃な値段だったので安心した。しかし、これの為に妹が小生の仕事を無視して勝手に予約してからここに来いと通知して来たのは心中複雑で、前日少し妹と喧嘩っぽく成った(笑)。まぁ、小生の一番の理解者なので小生の扱い方を心得ていて直ぐに建設的な話になるのだけど。
ここは今まで食べたビュッフェの中で1、2の美味しさだと思う。
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ローストビーフも切り分けてくれるのだが肉が柔らかくて美味しかった。
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蟹も手べ放題。
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すげ~食った。他にも肉料理や魚料理も沢山有って、他所のビュッフェが肉関連をランチタイムに出し渋るのとは違ってお得感が有ってとても良かった。
当然ながらスイーツ関連も沢山有り、子供のいる家族連れやカップルのデートや女子会でも使い勝手の良さそうなレストランだと思う。
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小生は甘いのは控えて・・・

代りに懐(なつ)いてくれている甥っ子と姪っ子を❝抱っこし放題(笑)❞ハグしまくって満足して来た(笑)。

・・・まぁ~確かに妹夫婦が中国の姉さんに会うなら病院祭日の成人の日しか無いし、子供連れて一緒に食事するとなるとビュッフェしかないし、❝小生の休暇申請を要する仕事事情無視❞は看過出来ないものの来客で失礼のない場所で御手頃な価格のランチと成ると結果的に妹の判断はベストだと思った。
ふむ、流石、独裁者に成っても我が妹は賢い。良き妹ぞ。
そして義弟君と夫婦に成り可愛い甥っ子と姪っ子を産んでくれて、その二人が❝オジちゃん❞て甘えてくれる至福を兄ちゃんにくれてありがとう~♪
食事が終わり、中国の姉さんは妹と銀座や新宿に買物に行くとの事で、ホテルの車寄せで皆を見送り解散した。
小生はその後で隣の芝増上寺として有名な徳川家の菩提寺、三縁山 広度院 増上寺に参拝に向かった。
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横断歩道を渡り歩道沿いに増上寺に向かって歩くと何やら日本庭園ぽい場所が在(あ)ったので何だろうな~?と思い其方(そちら)側に渡って行って見た。
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どうやら元々芝増上寺の山門の両脇の景色を良くする為に徳川幕府の命令で植林された松林がここに在ったらしい。第二次世界大戦で焼失したのを復元したんだな。流石、日本の国宝保有数最大の東京都、横浜市の史跡や自然破壊大好き現職市長とは大違い。
今の横浜市長なんて北条綱成公や徳川家康公の参謀だった間宮家の松本城址の桜の大木の並木を悉(ことご)く伐採したり、開発反対署名12万人集まり市の有識者も過半数が開発反対している横浜市最大最後の蛍の大生息地円海山瀬上沢の東急不動産による宅地開発計画を容認する様な発言をして大バッシングを受けていたり。
東京都は偉いね。
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戦後復元した松原も大樹に育っている。うん!素晴らしい。
そこを過ぎると増上寺の巨大な山門と東京タワーがコラボした素敵な風景の交差点に行き着いた。
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この写真で見切れている右手に実は歴史的に重要な場所が有る。
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見た目は古い御屋敷、実はこれは元々は増上寺の塔頭(たっちゅう:支院)の一つである広度院で、増上寺山門前のこの前の道の両脇や増上寺周辺芝公園一帯には江戸時代迄沢山の塔頭が建ち並んでいた訳だ。
そして現在、増上寺の院号が広度院と成っているので明治時代の廃仏毀釈で多くの支院が廃寺に成った際に増上寺の運営を担ったのがここの広度院だった事が解かる。
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今では普通の古民家の様な佇まいだが文化的な意味は深い場所。
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だから国の登録有形文化財にも指定され保護されているんだな。
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そこから増上寺の方に少し戻る。
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増上寺前交差点、現在の増上寺の山門=大門。
東京メトロ❝大門駅❞は増上寺の大門の目の前だから、そのまま駅名に成っているのを知らずに地下鉄に乗ってる人もいるんじゃなかろうか?
増上寺周辺 久良岐のよし
実はこの辺、東京都屈指の観光地が集約されており、朝から夕方日没までゆっくり散歩しながらグルメと文化と夜景を満喫出来るんだな~。だからカップルでデートにも、田舎からの来客を観光案内するにも❝使い勝手の良い地域❞なんだな。
例えば・・・
1朝、新橋駅に集合。
2築地場外市場に移動して朝御飯
3浜離宮恩賜庭園を散歩して徳川将軍家の御鷹狩場で甲府徳川家下屋敷でもあった日本庭園を散歩し抹茶で一服
4芝離宮恩賜庭園、徳川幕府老中で我が神奈川県の小田原城主だった大久保忠朝公の上屋敷だった日本庭園を見物
5芝公園方面に移動し東京プリンスホテルで昼食
6増上寺を参詣、徳川家歴代将軍の御廟所や家康公の守り本尊である黒本尊阿弥陀如来様を参拝
7芝東照宮を参拝し芝丸山古墳を見物
8東京タワーを見物、東京の風景を楽しむ
9夕方に霞が関方面に移動、虎ノ門ヒルズを物色
10夜、虎ノ門ヒルズの展望台で東京タワーを含む夜景を堪能。
・・・地図を見ながら無駄なく順路を廻ればこんだけ1日で楽しむ事が出来る。
重要な事は❝小生には一緒に廻ってくれる人がいない❞ので一人でこれやるしか無いんだな(笑)。
実に寂しい。
小生は好きに成る人に悉く嫌われて、好きじゃない人から好かれてしまう行動しか出来ないらしい。
まぁ、秋は芝公園も浜離宮も芝離宮も紅葉が綺麗なので、秋か蚊のいない春に行くのが良いかも知れない。その頃に小生みたいな阿呆と付き合ってくれる奇特な人との御縁が・・・無い(笑)。
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さて、そんな事を大門の前で地図を見てパパっと思い浮かばせながら増上寺を初参拝するべく横断歩道を渡る。
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行くまで知らなかったが、どうやら正月は色々と増上寺で徳川家康公の守り御本尊だった黒本尊様の御開帳とか色々な催事が行われている様だ。
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山門をくぐると広大な境内の御庭と正面に御本堂が目に入った。
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う~ん現代と江戸時代のコラボ!悪くない。
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実は現在の境内でも相当広いのに江戸時代の三分の一以下に規模は縮小されている。
昔はプリンスホテルの辺りも北廟と言って徳川幕府二代征夷大将軍の徳川秀忠公と信長公の姪のお江様御夫妻の御廟所等が有ったんだな。
とは言え今の境内も物凄く広い。
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山門潜って直ぐ目に入った観音様。
何やらその後方にも立派な御堂が見切れている。凄く気に成ったので其方から先に回る事にした。
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観音様の周辺には色んな供養碑とかが有った。
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仏足石とかもね~。
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まぁ、レプリカだけど大きい御寺にたまに有る。
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観音様の反対側には立派な鐘楼も在った。
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火事で一度焼け落ちたけど江戸時代の内に再建されたらしい。徳川家綱公の奥方様の簪(かんざし)まで寄付して鐘の再鋳造と鐘楼再建の費用が捻出された様だ。東日本最大級だってさ!凄い。
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あと催事のポスターとかの掲示板。
どうやら小生が気に成った建物は慈雲閣と言うらしい。
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でもこの建物の垂れ幕を見て小生は不思議だった。普通浄土宗は徳川家に三つ葉葵の徳川家の家紋の使用を寺紋として使用を許されているので三つ葉葵の家紋が垂れ幕に染色してあるものだけれど、この立派な御堂には❝八楊に月星=九楊と月❞紋だった。九楊紋、八楊に月紋、月星紋はいずれも平安時代以来の武家の名門である千葉家一族の用いた家紋だ。
後で若い僧侶に聞いた所、この慈雲閣は増上寺を開いた開山の和尚様を祀る開山堂だそうだ。つまり開山様は千葉家所縁の人間と言う事なのだろうか?詳しい事は調べていないので解らないままの参拝でそんな事を考えていたら予想は的中していた。
増上寺は西暦800年代に今の千代田区麹町辺りに空海和尚の直弟子である宗叡和尚が前身寺院の光明寺を開いたそうだ。当然ながら真言宗寺院だった訳だ。その後、南北朝~室町時代の人で増上寺の中興開基つまり浄土宗に改宗して増上寺と名を改めて御寺をリニューアルオープンしたのが酉誉聖聰和尚で、この人を祀っているのが開山堂である慈雲閣だそうだ。この酉誉聖聰和尚が小生の家紋からの見立て通り房総半島の大名の千葉家出身の人物だそうで、父親は千葉氏胤公、母親は新田義貞の未亡人らしき人物だそうだ。意外な事に酉誉聖聰和尚の甥っ子である馬場重胤公がおり、恐らく武田信玄の家臣で名将の馬場信房が家名を継いだ馬場家の御先祖様に当たるだろう。武田家は房総半島~茨城一帯出身の大名なので実は飯富虎昌公始め房総半島所縁の氏姓を名乗る武将が多かったりする。つまり馬場家の御先祖は千葉家で、増上寺を浄土宗に改めて中興開基した酉誉聖聰和尚様とも親戚だった訳だ。
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犬の散歩禁止。
歴史が好きだと家紋一つで色んな家の御先祖様がアッチ行ったりコッチ行ったりした移住の歴史も辿れたり御寺に関わった人物の出自もこやって推測し当てる事が出来るから面白い!
アッチ行ったりコッチ行ったりした千葉一族の酉誉聖聰和尚を祀る御寺の前だけど犬連れてアッチ行ったりコッチ行ったりするのは禁止(笑)。
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そこから御本堂の方向を見ると東京タワー、御本堂、光摂殿と言う左側の建物を一度に写真に収める事が出来る。小生はこの時に知らずに御参りしなかったのだが、そうやら左側の光摂殿は立派な天井絵が公開されていて見る事が出来るらしい。う~ん、次の参拝の機会に行きたい。
で、御本堂に移動して御本尊様を拝もうと思ったらとんでもない人の行列だった。
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う~ん・・・
別に正面から拝む必要無いよな~と思った小生。横入りもしたくない。
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でも、これ並びたくない。
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なので遠巻きに参拝した(笑)。無論、御賽銭は別の御堂に多めに入れたので大丈夫!
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で、この日、特別公開を意味する御開帳の黒本尊様、つまり東照大権現徳川家康公が戦場にも携行し拝んでいた阿弥陀如来様の黒い仏像を拝むのが徳川家御廟所参詣と同じ主目的の一つだった。
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安國(国)殿と言う御堂。ここに黒本尊様が祀られている。
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丁度多分凄く偉い和尚様が説法をされていて、色々と聞く事が出来て良かった。
黒本尊様は家康公の勝運を頂ける阿弥陀様だそうだ。
確かに家康公は姉川の戦いで浅井朝倉連合軍の猛攻を受けて本隊の織田軍が混乱する中、反攻戦を展開し不利な戦況を覆し織田徳川連合軍を勝利に導き、諸大名による織田包囲網を打開させる糸口を作りだしたり、初陣での大高城兵糧入れ作戦でも500人の小勢を率いて見事に作戦遂行し、更には小牧長久手の戦いでも豊臣(羽柴)秀吉の大軍を痛撃して堀秀政、池田恒興、森可成等の歴戦の勇将率いる軍勢も潰滅させている野戦上手だった。
しかも勝つだけじゃなく武田信玄に負けたり、今川家臣時代の不遇の経験を活かし学習し、そこから成長する人間力も有った人なので今、小生は家康公から多くの事を学ばなければいけないので粘り強くも反省を活かす性格に成る人間力向上の御利益にも預かる必要が有る訳だ。

黒本尊様 増上寺公式様より拝借 久良岐のよし
※画像は増上寺様ホームページより拝借。
小生は反骨精神の強すぎる所に難が有り、理不尽な事を言われると我慢せずに論破してしまうし、冗談でも被害を被る事をやられたら冗談では済まさずましてや危害を加える心算で悪意ある事をされると半沢直樹みたいなスマートな「倍返しだ!」じゃなくて自分の大切な人達にも半端ない泥臭く自分も相手も傷つき確実にダメージを残す自爆テロみたいな事をやってしまう悪癖が有る。
これを浄土宗や日蓮宗や曹洞宗を大切にされつつ、身分問わず愛する人や町民を幸せにした信長公や家康公を今こそ歴史好きとして手本にして人を大切にする事を学び取り、現世でも今迄毛嫌いしていた人達からも色んな事を学んでいかなきゃいけない1年だと思う。
だから、実は下らない反骨精神で成人式すらしていない小生が成人の日に妹の気まぐれで東京プリンスホテルに勝手に集合場所を変えられて、奇しくも黒本尊様を拝めたのは家康公の御導きだと思えば、これも一つの小生が❝真実も見ながら人を幸せに出来る人間❞に生まれ変わる第一歩となる遅すぎる❝成人の日❞に成ったのかも知れない。
実は今年の小生の年齢は、母方の祖父が亡くなった年齢でもある。
小生の名前は母方祖父と、父方祖母から同じ字を一字頂いている。
祖父が死んだ年齢で小生が性格から改善し人として発展し人を幸せに出来る器量を持てる様に成るなら、やはり家康公の黒本尊様を拝めたのはターニングポイントだったのかも知れない。
黒本尊様を御参りして今度は徳川家歴代将軍の御廟所を御参りするべく移動開始。
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と、その入口の手前に観音様がいらっしゃった。
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西向観音菩薩様。
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石仏なんだね~。とても大切にされていて拝む小生も嬉しくなる。
さて、拝み終わり徳川家御廟所へ移動。
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立派な金属製の御廟所入り口の門。
鋳抜門(いぬきもん)と言うそうだ。元々は徳川幕府第六代将軍の徳川家宣公の御廟を守っていた門らしい。廃仏毀釈で仏教弾圧され増上寺の境内が縮小したり戦後の規模縮小での歴代将軍の合祀で移築されたそうだ。
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この門は平時は開かないので左手で拝観料を払って壁の横の入口から御廟所を参詣する。
普通小生は歴史偉人の御廟所を写真撮影しないのだが、徳川将軍家に限っては家康公からして東照大権現の神号を授かり、御廟所の日光東照宮が神社に成っているので小生の認識に於(お)いて徳川将軍家の御廟は御神孫と同等であり、その御廟一つ一つが神社と同じ役割とも考えているので今回は写真を撮影してブログに掲載させて頂く事にした。
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そもそも家康公の宗旨である浄土宗の大本山で、この御廟を管理している増上寺が絵葉書にしているのだから罰は当たらないし逆に御利益を授かれると思う。
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先ず御参りしたのが小生が江戸の町の基礎を築いた内政で尊敬する徳川秀忠公と、その妻ので信長公の姪で名将浅井長政公の姫の❝お江❞様御夫妻の御廟。元は別の場所にあり、東照宮みたいに立派な建物に囲まれていたが戦災で焼け落ちてしまった。
この秀忠公は小生の尊敬する北条家臣で名将の間宮康俊公の孫、今の横浜市長の前身にあたる本牧奉行や佐渡金山奉行や生野銀山奉行をしていた間宮直元公と非常に仲が良かった将軍様だ。
二人して御相撲サンを沢山部下に雇っていて、二人で相撲大会を開いて見物して遊んだりしたそうだ。
間宮直元公の伯母で間宮康俊公の姫の於久(おひさ)様が家康公の側室に成っていて駿府城で家康公の姫を産んでいたので間宮家も徳川家の血縁で、徳川秀忠公と間宮直元公は義理の従兄弟同士で同世代だから仲も良かったんだろうね~♪
間宮直元公は大坂城冬の陣で真田丸や大坂城総掘り埋め立て作戦を家康公に進言した名軍師でもあって、残念ながら後に横浜を開港させる井伊直弼公の祖先の井伊直孝公の軍団の与力として在陣したせいで井伊家が真田隊の経略に引っかかって真田丸に突撃して大損害を受けて潰滅した戦いで間宮家も間宮直元公や千葉県八千代市の分家高津間宮家の間宮正秀公を始め戦死者を出してしまってる。井伊直孝隊がアホみたいに真田信繁公の計略に引っかかって突撃せず、間宮直元公の大坂城総掘り埋め立て作戦の献策を徳川家康公が既に採用していたのだから、家康公と間宮家の作戦通り大坂城無力化させてから降伏勧告をしていれば良かっただけなんですがね。
まぁ、井伊家は先代の井伊直政公が名将だったので二代目はプレッシャーが大きく功を焦ったんでしょうね、結果的に徳川軍に大損害を招く失態を犯した訳ですが、まぁそれは今は必要の無い解説かな?
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これが徳川家宣公の御廟所。
本当に無駄な徳川綱吉の生類憐みの令を廃止して改革善政を行おうとした将軍様。
この家宣公の参謀が新井白石で、彼は鎌倉市玉縄の領主だった。間宮家が戦国時代に仕えた北条家の家臣時代は玉縄城主で関東最強の戦国武将だった北条綱成公の付家老(つけがろう:本社から赴任する支店長代理みたいな)が間宮直元公の御爺ちゃんの間宮康俊公だった。
何だかんだ、間宮家と因縁が有る新井白石。
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徳川家継公の御廟。
この人の跡を継いだのが暴れん坊将軍のイメージがTVでついてしまった徳川吉宗公。
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十四代将軍徳川家茂公。天皇の忠臣で、逆賊長州を征伐しようとして多分大阪城で毒盛られて暗殺された人。妻が有名な和宮内親王だった。
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で、奥さんの和宮内親王の御廟所。女性が参拝したら女子力上がりそう。
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第九代将軍の家重公。
物凄い美男子だったけど発達障害が有ってちゃんと言葉が話せなく、子供の頃から大奥に行って女性と淫らな事をしていたって余り良い伝承が残ってない人。
でも息子さんの徳川家治公がとても賢かった上に、父の吉宗公がサポートしたから何とか上手く次世代にバトンを繋げた将軍様。
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第十二代将軍の徳川家慶公。
この人の参謀が水野忠邦公で、有名な天保の改革が失敗しちゃった時の将軍様。
日本文化を守ろうとしたり緊縮財政で財政再建しようとしたんだけれど反発が強くて上手く行かなかった。
駆け込み女と駆け出し男
この時の時代背景を映画にしたのがに大泉洋サンと戸田恵梨香サン主演で2015年に公開された映画の❝駆け込み女と駆け出し男❞なんだな。
映画と舞台の東慶寺の解説を以前に記事に書いているので御興味の有る方は御覧下さい。
記事リンク⤵

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で、最後の御廟は増上寺境内地の縮小で合祀を余儀なくされた将軍様御身内の御廟所。
それでも立派だな~。
そうそう、先に一度出したけど、この御廟所を拝観すると記念品にポストカードが貰える。
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どうです?芝の増上寺、凄く立派で見応え有るし東京タワーやプリンスホテルのランチと合わせても魅力的でしょう?

もし御興味有れば周辺の観光地と合わせてデートに家族のレクリエーションにと訪問して見ては如何でしょうか?

では!又、次の解説記事か休日雑記で御会いしましょう~♪

※追伸
木曜日投稿予告してたのに色々と用事が立て込み土曜日に成っちゃいました(笑)!又、次の記事も土曜日の夜中に書くから読んで下さいね~♪