前回の休日雑記と同じ展開・・・

土曜日早朝、寝ていたら先週に引き続き又も姪っ子に奇襲された。
ガチャガチャガチャ!ガラガラっ!
「お~じチャ~ン!」

今回は何の事前情報も約束も無く母の手引きに因(よ)る姪の奇襲だった。
攻城戦において力攻めをする場合、門の守将を寝返らせて兵を城内に誘引させるのが常套手段なのだが、そもそも小生の家族は何故か皆小生の部屋の鍵を開ける事が出来る。
根(寝)城としても最早機能してると言えるのか解らない幼児が容易に大手門から攻め込める小生の家(笑)。

姪は土曜日午前中は英会話で午後はいつも書道があるのだが午後の書道が休みだそうで、勝手に義妹(弟妻君)と母と姪の3人が小生が土曜日休みなのを良い事に小生に事前相談も無く姪をランチ外食に連れて行かせようと決めていたらしい。
・・・裸で寝ず又、服着て寝てて良かった(笑)。

成人の日の妹と言い、義妹と言い、母と言い、姪も含めて我家の女性陣は小生の予定を無視すると言う迷惑甚だしい技を去年後半から使う様に成ってしまった。
まぁ~、懐(なつ)いてくれる姪が可愛く思うので良いかな(´▽`*)?

でも次に彼女出来たら引っ越して絶対に鍵はやらんからな!

さて、土曜日、当初の予定では前日に天候不順で行けなかった曽我梅林~小田原城天主閣✖センゴク権兵衛のコラボ企画見物~豊臣家の石垣山一夜城再訪~湯河原梅林の夜間ライトアップと見て廻る予定だったのだが、姪の奇襲により脆(もろ)くも、その野望は打ち砕かれる事に成った。
午前中は姪っ子の英会話送り迎えで拘束される事に成ってしまったからだ。しかも姪が英会話やってる10時位~12時迄は小生は“放ったらかし”にされる理不尽!
仕方ないので市内で1~2時間で廻れる観梅の名所に行く事にした。
弟の所の姪は本牧半島の何処かにある英会話教室に通っているので、素早く戻ってこれる範囲となると中区~南区~磯子区~港南区の狭い範囲に限定されてしまう。もうそうすると行ける場所は数少なくて根岸森林公園の梅林、三渓園の梅林、岡村梅林の3箇所しか行ける場所が無い。
実は三渓園は、この前日の03月01日に大船フラワーセンターと合わせて行っていたので後の選択肢は森林公園と岡村公園しかない。三渓園と大船フラワーセンターの梅園は日を前後するが又別に休日雑記に書こうと思う。
そして森林公園1箇所だと流石(さすが)に2時間も時間を潰(つぶ)せないので、今回は久しぶりに“ゆず”の町の岡村町散歩も含めて岡村梅林を見物に行く事にした。
“ゆずの町”散歩をするならJR磯子駅か京急と市営地下鉄の上大岡駅から徒歩20~30分位歩いて来るかバス、もしくは車での移動が選択肢なのだが、小生は車なので先ず岡村公園の駐車場に車を停めた。
岡村公園
岡村公園
ここの広大な公園敷地は元々は鎌倉時代の名将の三浦一族の平子有長公が開いた岡村天満宮と、戦国時代の名将の北条綱成公の開いた龍珠院と言う御寺の境内地だったが第二次世界大戦後に米軍基地として接収されて、その後、何故か神社と御寺ではなく横浜市に土地が返還されてしまい公園として整備されたので駐車場は十分広く駐車料金も安い。
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なので野球場も有ったりする。
この野球場の横の坂道を下って行くと、ここが岡村天満宮の旧参道だった名残が今も有って石の大鳥居が公園の坂道の入口に成っている。
この坂を下り始めると“ゆずファンの聖地”が沢山有って、歌の歌詞にも登場した場所だらけ。
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先ずこの坂道を含めた岡村天満宮~岡村公園の丘が“岡村ブギウギ”の歌詞に成っている場所。
その坂の下の大鳥居の裏側を観察して見る。
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昭和十二年十月建之とあり戦前に建てられているので岡村天満宮の旧境内地がここまで来ていた事が良く解る。
寄贈者の姓が気に成る。次の記事で書く戦国時代の北条家の重臣の一人で横浜~川崎に所領を持つ殿様でもある中田加賀守と同じ中田姓だ。1560年頃までは中田加賀守は港北区日吉に矢上城~川崎市高津区井田に井田城等の城を構え他にも保土ヶ谷区の川島町の地名の残る一帯を支配していた。戸塚区に中田の地名が残るので室町時代中頃か安土桃山時代に中田氏は川崎市西部~横浜市北部~鎌倉市東部の代官を務めた可能性が高いと言うのが小生や菩提寺の御住職や慶應大学で論文を書いている盛本先生等実際に地元を廻っている人間の共通意見だったりするが詳しい文物が既に失われていて状況証拠しかない。
しかし岡村町の岡村天満宮に中田姓の人物が石鳥居を奉納しているのは何ら不思議では無い。
実は岡村町の隣接地区の蒔田町は、室町時代に征夷大将軍の関東に於(お)ける代理を務める鎌倉公方の更に代理を務めた吉良頼康公の居城の蒔田城が存在した。
江戸時代に東京大学の前身と成った昌平坂学問所の地誌編纂部門で出世して頭取と成った間宮士信(ことのぶ)と言う学者が「中田加賀守は蒔田吉良家与力だった」と言う主旨の事を書いていたりするので、1560年代の前か後かは解らないが中田一族が岡村町近郷に所領を得て土着し昭和初期に単独で石の大鳥居を寄贈できる経済力を維持したまま一般人として生活していたと考えると経済力的にも全く不思議では無いし歴史的な状況から整合性も高い訳だ。
室町時代初期に岡村町は吉良家の領地だったのだが、北条綱成公の与力武将の行方(なめかた)家が岡村町を吉良家から買い取っている。恐らく、その後の安土桃山時代に更に中田加賀守の所属した小机衆が再編され中田家は江戸衆となり蒔田吉良家与力に再編され蒔田城付近に所領を与えられたが北条家が滅亡して戦国時代が終焉を迎え江戸幕府が開かると岡村近郷に土着した一族もいたのかも知れない。
詳しい住所は言わないが中田家の本家は今は川島町辺りに住んでいる。
中田加賀守の事は今晩、また菩提寺の紹介記事を書くので其処で紹介したい。
小机城と井田城紹介の過去記事でも触れているので、もし御城や戦国武将に御興味有る方は以下の記事タイトルをクリックして当該記事を読んで頂きたい。

クリックで記事にリンク⤵
川崎市の井田城は小田原北条家の吏僚中田加賀守の城?
 ・・・川崎市高津区蟹ヶ谷~中原区井田。

❝続日本百名城❞の1つ小机城
 城主北条幻庵公と城代笠原信為公が率いた北条家白備え隊後の小机衆の拠点。

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そして、この旧参道の石製の大鳥居を正面から見て左手に“ゆずの聖地”がもう一つ在る。
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モンマルト
モンマルトと言う洋菓子店で交通の便が悪い岡村町に在っても磯子区では元々美味しいスウィーツ店として名が通っていたのだが、“ゆず”の二人が通っていたり北川悠仁君(以下北川君と呼称)のお姉ちゃんが美人で良く買いに来ていたのが有名だったりするんだな。
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正面には恐らく昔は農家だった立派な家が在る。
モンマルトは遠方からも“ゆずファン”が来るのでオーナーパティシエの御店主はとても親切で店内の写真撮影も快(こころよ)く許可して下さった。
・・・何回か来てたのに未(いま)だに写真撮影して無かったからね。
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春らしい装飾が少しされていた。繰り返すが許可貰って写真バシャバシャ撮影してるからね~。
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ゆず来訪時の写真も幾つか有る。
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最近は岡村隆史も一緒に来たらしい。
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美人なお姉ちゃんのエピソードも話題に成ったらしい(笑)。CIMG8268
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ケーキはどれも美味しそうなんだけれど今更ながら御店主に「二人の好物って有るんでしょうか?」と聞いて見たら快く教えて下さった。
大将曰く・・・
「ゆうじん(北川君)はいつもクレープ食べるよ~、こうチャン(岩沢君)はソッチのモンブランが好きだよ~」
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岩沢厚治君(以下岩沢君)が好きなモンブラン。
いつもコレを食べるそうだ。てかモ“ソ”ブランに見える(笑)。
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北川君が好きなクレープ。丸めて有るから素手でも食べれるね~。
で、ゆずファンとしては❝両方食べる❞と言う選択肢一択しかない(笑)ので去年27kgダイエットしたのに現在8kgリバウンド中なのだが“ゆず愛(笑)”から両方購入した。
で御店主に「食べて行く?」と聞かれたので「え?店内で食べていいんですか?」と聞き返してしまった。この御店、テーブルが無くて店内にベンチだけあるのだけど、ゆずファンと言うキーワードを発すると御店主の脳内で❝ゆずファン=遠方からの来客❞と認識が有るようなので一応質問するそうだ。
・・・そう言えば今迄ゆずファンって言う機会無かったな。
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トレーに乗せて提供して下さった。
モンブランは齧(かじ)りついた断面が汚くて、とてもじゃないけど写真を御見せ出来ないけど大粒の栗のグラッセが丸々1つ入っていてケーキの底はクッキー生地に成っており、ファンが来ても手で持って食べれる形状に配慮されて作られていた。味も甘過ぎず大人向きでとても美味しい。
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クレープは変な表現だが苺大福の洋菓子バージョンと言った感じ。こちらも甘さ控えめで美味しい!そして持ち易い(笑)。
御店主に「御馳走様でした~美味しかったです~」と挨拶してトレーを返却したら何とプレゼントを下さった!
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20周年記念の絵ハガキ。

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2枚も下さった!2人分食べたからだろうか(笑)?
御店主ありがとうございました~♪思えばこれが朝御飯だったな。
モンマルトを後にして2年振りに岡村天満宮に移動した。

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大鳥居の坂道を登って行くと左手の途中に今の参道の入口が在る。
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とっても❝神社らしい雰囲気❞の有る赤が基調の神社で、北野天満宮の御分霊と言うより雰囲気は稲荷神社ぽい。
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御花がそこかしこに植えて有るのは多分、境内に保育園が有るからかな?
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料理業組合からも崇敬されている様だが経緯は聞いてないから知らない。
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参道の階段を登りきると天満宮らしい梅が見えて来るが、ここは現代の岡村梅林とは又別。
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この横浜市教育委員会の解説は考察が不親切で、もう少し詳しい事を言うと時期的に岡村天満宮を開いた武将は源頼朝公の随兵=近衛兵を務めた平子有長公だろう。曽我兄弟の敵討ちと言う、源頼朝公暗殺未遂事件で犯人の曽我兄弟と最初に抜刀して切り合い逮捕して源頼朝公を暗殺の危機から救った武勇に優れた武将だった。
そこら辺りは以前、岡村天満宮の紹介記事で書いているので、それを読んで貰うと良いかと思う。
ゆずの地元の岡村天満宮の殿様の平子有長公…源頼朝公の忠臣。
 …横浜市磯子区岡村町

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階段上って現在の境内の削平地に出る社殿が見えて来て何やら賑やかな音楽と女性の声が聞こえて来た。
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丁度、園児達が先生と境内でダンスの練習をしていたんだね。
神様に見守られ、春の日差しと梅の花の下で女性の先生達と子供達が踊りの練習をする姿は何ともホッコリして微笑ましかった。

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階段上って左手の稲荷社に先ず御参り。
ここが周辺から商売の神様として御利益で有名だった稲荷社。だから料理業組合もここを崇敬していたのだと思うけど未確認。
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その手前に牛サン。皆に触られてツルっツルで気持ち良い♪
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境内は紅梅が凄く神社の雰囲気に合ってとても綺麗♪
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園児か先生が育ててるのかな?花壇も有る。
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う~ん、子供達と同じく元気に咲いてくれていて何だか見ていて嬉しくなる。
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本殿前で参拝して気が付いたんだけど・・・
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拝殿の扉のガラスが陽光で鏡みたいに成って踊りを一生懸命に練習する園児と女性の先生と梅が映り込んでいる。
本殿から見た神様の視点でこの風景が見えてるんだね~。岡村天満宮、菅原道真公と平子有長公の二人が温かく園児達が健やかに梅と一緒に育つのを見守ってくれている神社みたいに感じたので拝殿に移った境内の風景も写真に撮影して見た。
そう言えば何回か参拝に来たり歴史調べているのに、ここで御朱印頂いた事も無いし御守りも買ってなかったと思い社務所で御朱印と御守りを受領して来た。
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御朱印。それと・・・
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ゆずの町らしい“ゆずの幸せ守り”。ゆずの匂いがする匂い袋に成っているらしいのだけど花粉症で鼻詰まってる小生には何にも感じない(笑)。
まだ我が春は遠いのか?花粉症が治った頃に新しい彼女が出来たりして(笑)?
参道を降りて岡村梅林に移動しようとするとコレが目に入った。
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元々、ゆずの二人は伊勢佐木町に在った松坂屋の前で路上ライブをしてデビューの切っ掛けを掴んだのだが、その事から松坂屋が閉店するまで二人が活動していた証(あか)しとして松坂屋前に作られていた二人のライブ当時をモザイク画にした壁があった。しかし松坂屋が閉店したので、ゆず所縁(ゆかり)の岡村天満宮サンに引き取られて現在も保存展示されているんだな。
ゆずを満喫して、もう一箇所、岡村公園周辺でこの日のメインの岡村梅林に向け移動開始。
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途中、野球場の隣の歩道にこの石畳があるのだが、実は岡村公園のある❝久良岐の丘❞は富士山のビュースポットとしても有名なんだな。ここから空がガスって無ければ富士山が綺麗に見える。
生憎と昨日2019年03月02日は午前中迄雨だったせいで地面から蒸発する水蒸気が濃くて富士山が見えなかった。
この時点で午後に行く曽我梅林も富士山が綺麗な場所だが富士山が見えないだろう事が判った。
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岡村梅林は丁度、満開でとても綺麗だった。数百本なので大規模な梅林では無いが、平安時代の頃から貴族や武士は桜では無くて梅を見て春を感じたそうだ。今もその風流な文化を身近に感じられるのは岡村天満宮の氏子サンと横浜を代表するプラント企業の日揮が一度米軍に伐採されて消滅した岡村梅林を復興して下さったからだな。
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この入口は鎌倉街道側に在る。
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枝垂れも白梅も紅梅も有り、ちょっと散歩するには丁度良い。今の時期に❝ゆず巡り❞をするなら是非岡村梅林もファンの方には散歩して頂きたい。
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うん!梅の花はやはり可愛い♪
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この日は小規模だが茶会も開かれていたのだが、生憎と姪を迎えに行く前にもう1箇所岡村町内で見て置きたい場所が有り時間的な余裕が無かったので、運営者の紳士の方や女性に御誘いを受けたが又の機会に参加させて頂く事にした。
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和むとても良い時間を、岡村天満宮と岡村梅林とモンマルトで過ごす事が出来た。
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又、来年も散歩に来たいな。
そこから駐車場に戻り、車に乗り同じ岡村町内だけど少し離れた笹堀地区の久良岐能舞台に移動した。
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ここの辺りには昔の彼女が住んでいた(笑)ので良く来ていたのだが、昔尼寺が有ったり、水子供養の墓地が有ったらしいのだが風土記を読んでもそれらしい事が書いて無くて良く解らない。
そして小生のハンドルネームの❝久良岐のよし❞の由来と成った旧久良岐郡の地名が残る数少ない場所の一つでもある。
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ここは薪能(たきぎのう)等も行われて、知る人ぞ知る文化的な場所なんだな。なんせ交通の便が悪いので余り知っている人は多くないが、拝観だけなら無料で出来るし❝元御寺❞の境内なので日本庭園の名残も有り落ち着いた時間を過ごす事が出来る。
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久良岐能舞台
まぁ、ここがどうやら尼寺の跡らしい事を昨日まで知らなかったんだけどね。
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元は御寺の境内地で池も有ったり裏手の元本堂跡と思われる削平地には水琴窟も有ったりするが、それが果たして御寺時代の遺物か能楽堂として再スタートしてからの再整備かは職員の人も存じ上げないそうだ。
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まぁこの灯籠は昭和後期の物なので現代の物だけど、良い雰囲気を演出する役目を大いに果たしてくれている。
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実は御寺がここだったらしい事を昨日、訪問して職員さんに色々と質問をしてから周辺の歴史の雑談をしていたら教えて貰えた。
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境内には可愛いヤマアジサイが咲いていた。
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綺麗だね~。小さな提灯みたい。
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能舞台の入口に人懐っこい茶虎の猫チャンがいて沢山モフらせてくれた。
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腹丸出し無警戒ありがとう(笑)
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ちなみにこの温かい飲み物は缶ジュース(笑)だが、中には茶室もあり茶会も開催される。
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緑に囲まれた外で御日様を浴びながら御弁当持参して食べる事も出来る。
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日本家屋の構造体の説明も少しづつ有ったり。
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敷地には人の暮らした名残りの井戸も残っていたりする。
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この入口から入り、もし利用者がいなければ職員さんに御願いすると中の能舞台を見学させて貰える。出来れば事前に電話すると良いと思う。
以前は彼女の家に遊びに来る時に外からだけ見た事も有るのだけど、中を見学させて貰った事が無かったので改めて訪問して見た。
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まぁ由来とか書いて有るけど元々は宮越賢治さんと言う資産家の個人が土地や建物を取得して横浜市に寄贈したんだな。
横浜市の豪商は原三渓サンといい皆文化的な上に公共の利益と福祉に寄与する崇高な志を持つ人が昔は多かった。ぽっと出の成金とは大違い。
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来訪者が少なく利用者もたまたまいなかったので特別に小生一人の為に見物に当たり解説をして頂けた。
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中から見る風景も又良いね。山深い御寺の雰囲気が有る。
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この能舞台は東京芸大が練習用に使用していた物を新調する際にここへ寄贈して下さったそうだ。
そして知らなかったのだが、どこも能舞台の絵は松が定番らしい。
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松は神や仏が降臨する場所と言う考えが有るそうで、その為に能舞台は全て舞の奉納の場所の意味も有り松の絵が描かれるそうだ。
因みにこの松の絵は有名な日本画家の❝平福百穂(ひらふくひゃくすい)❞氏の作画だそうで、いつ文化財指定を受けても可笑しくない価値が有るらしい。
そして結界として舞台の周りは白洲で境目が作られる。例え屋内でも。
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知らなかったな~。
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屋外を想定された物なのでちゃんと屋根が有り、屋根事家屋の中に移築されている。
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檜皮葺で由緒正しい神社と同じ屋根に成っている。
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そして聖なる場所なので必ず白足袋を着用しないと舞台に上がる事は許されないそうだ。
色々と聞いて見ないと知らない事が多い。
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欄間はシンプルな造りだけど、これはこれで良い。
で、資料も見せて下さった。
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能舞台、実は足音が響く構造が地下に有るそうだ。
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昔の人も音響効果を考えていたそうで、能舞台と言うのはどこも音の反響を良くする為に地下に甕(かめ)が埋められているそうで、久良岐能舞台も同じ構造体が有るそうだ。
これも知らなかった。
何でも詳しい人に話をしてみるもんだね、こんなに詳しく色入りと解説して頂けると思わなかった。
これだから教養や何かの経験に優れた人と話すのは楽しい♪
能舞台を見学した後は茶室も案内して頂けた。
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う~ん、茶室狭いけど小生は別に生活空間茶室位綺麗なら四畳半でも嫌じゃないかも・・・
無論、一軒家やマンションに住んでて他にキッチンや風呂が有り自分の部屋の割り当てならの話しね。
・・・そんで奥さんや彼女が10畳の部屋とかに住んでたら、それはそれで不満を感じるのかな(笑)?
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裏庭も散歩したけど、こちらの方がより御寺の跡らしい地形が解かった。
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一段高い削平地。
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谷戸に成っており典型的な寺院跡の地形。
恐らくは禅宗寺院で鎌倉時代末期~室町時代開基の寺院だったんじゃないだろうか?
寺の名前も知らないけど。谷戸地形に寺院を作りたがるのは鎌倉文化圏の武士と禅宗の臨済宗と曹洞宗に多い特徴。
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裏庭の梅の大樹が立派だった。
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ここまでちゃんと見て廻った事無かったからな。
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水琴窟もこの裏庭の削平地に在る。
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見学すればパンフレットも貰えて簡単な説明も有るので、もし❝ゆず観光❞して時間が余るなら上大岡駅から電車に乗って帰る人は徒歩で久良岐能舞台見学してから上大岡駅まで行くのも良いかも知れない。
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丁度、見終わった時間から20分後位が姪っ子の英語の終わる時間なので、姪と母を迎えに行った。
姪と母をピックアップしてから曽我梅林迄、東名高速道路を利用したが事故渋滞で2時間ちょいかかってしまった。
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でも現地についたら丁度見頃!
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紅梅も・・・

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枝垂れ梅も。
母が鍵を用水路に落として紛失すると言うハプニング以外は概ね楽しく見物出来た。
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姪っ子も幼いなりに楽しんでくれたようだ。
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ちっちゃな可愛いワンちゃんとも触れ合えたしね~。
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ここ曽我梅林は❝神奈川の景勝50選❞に選ばれた場所の一つでもある。
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曽我梅林
なので本来は晴天だととっても眺望が良く、広大な梅林の向こうに富士山が見える。
こんな感じ・・・
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昼の梅林と富士山・・・
曽我梅林 久良岐のよし撮影
夕刻の梅林と富士山。
上の2枚の写真は過去の写真。今年はタイミング悪く前日と当日朝まで雨天だったので水蒸気で富士山が見えなかった。
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でも、まぁ午後は晴天にも恵まれて人手も多く賑わっていた。この時点で14:30位に成っていたが事故渋滞と母の鍵用水路で流す事件が発生したせいで、まだ昼食をとっていなかったので屋台と売店の食べ物を購入して昼食にした。
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全部粉物・・・帰宅したら午前中のケーキと水分と粉物で2kg体重が増えていた。
昨年79kgの体脂肪率15%の筋肉量60kgのバキバキ腹筋割れまで身体作ったのに、帰宅したら体重が87.5kgで体脂肪率も25%に成ってしまっていた(笑)。
・・・また、shape-up&Pump₋up始めます。2ヶ月で10㎏痩せる。
とりあえず今月中に5kgは脂肪だけ体重落したい。今日からジムで体組成測定再開して身体改造習慣報告記事を又書きたいと思う。

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まぁハプニングも有ったが梅も見れたので、小田原牧場のアイスを買いに移動した。
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小田原牧場アイス工房
ここのアイスがとても美味しくて、特に梅酒のアイスが御薦め!
最近は有名に成り土日はアイスだけ目的の車が来てしまうせいで、この時期の観梅客用の駐車場に停めようとする阿呆が続発して観光の妨げに成っていたりもする。
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まぁ~何とも言えないけどアイスは美味しい。
そして、この小田原牧場アイス工房側の曽我梅林駐車場から見る景色が綺麗なんだな。
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本来ならここから富士山が良く見える。
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御土産に曽我の梅干しを購入した。
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昔ながらの酸っぱい梅干しで小生の好物。はちみつ漬けは日持ちしないので梅干し本来の役割を果たしていないし、梅干しの本来の調味料としての役割でも使う事が出来ない。だから小生はオーソドックスな酸っぱい梅干しが好き。
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姪は屋台の食事が口に合わなかったらしく余り食べなかったので帰路、中井PAに寄って姪っ子に好きな物を選ばせて、下の姪っ子に車中食べる物と義弟夫婦への御土産を購入した。
ここは新鮮な野菜の直販もやっているので良い。
姪が買った物の写真は撮り忘れたが、まぁ喜んでくれたので良かった。
しかしここから又帰路、事故渋滞に巻き込まれて姪を弟の自宅に送り届けるまで2時間半位かかってしまった。着いた時には名はグッタリしていた。
御疲れ様!午前中の勉強と午後の勉強頑張ったね。

又、叔父ちゃんと遊んでくれると嬉しい。
でもあと10年もすると彼氏出来て遊んでくれないだろうね~(笑)。

今回の休日雑記はここまで。
今晩、中田加賀守の開いた2つの御寺のどちらかの記事を書きます~。