横浜市南区には横浜橋商店街と言うTVも撮影に度々(たびたび)来る横浜市で最大級のアーケード商店街が有ります。
調べているうちに解ったのですが、その商店街は江戸時代に舞田湾を埋め立てて造成された“吉田新田”の中に有るのですが、横浜橋商店街は元々どうも立地的に近くに在る中村八幡宮の参道門前町として吉田新田側の橋の延長線上に発展して来た様です。
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中村八幡宮
新橋の芸子衆も御参りに来るほど昭和の横浜大空襲まで大規模な社殿を持って栄えていたそうで、その参道の商店街が今の横浜橋商店街の原型の様です。
ちょっとパンフレットの画像も見にくいのですが、たしかに台地に在る凄く立派な社殿が、随神門と壁に囲まれているんですよね。
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現在の中村八幡宮の宮司サンにも色々伺ったのですが、元々は舞岡八幡宮を本拠地に旧鎌倉郡と旧三浦郡を含め60余社の神社の宮司を務めた関家が元々の宮司様だった様です。
中村八幡宮の宮司だった関家は戸塚区の品濃白幡神社や港南区の永谷天満宮や永谷神明社、横須賀汐入の諏訪大神社等の宮司職も兼務されていたのですが、品濃白幡神社や関家についても以前、解説記事を書いていたので御興味有る方は以下の記事タイトルをクリックして御覧下さい。
旧宮司家の関家は社家としての格が高かった訳で、そんな関家でなければ宮司を任せられない程の規模を誇っていたのが、この中村八幡宮な訳です。
何でこの神社が第二次世界大戦の横浜大空襲とGHQによる戦後政策で境内地が縮小するまで大変繁栄していたかと言いますと昭和初期まで真金町や中村町には劇場や料亭が沢山有り、多くの御金持や芸妓(げいこ)衆で賑わっていたからなんですね。
今でも日本語だけでなく中国語も韓国語もタイ語も飛び交い異国情緒溢れ賑わう商店街は有りますが、それも比に成らない程の遊興地として栄え人と御金が集まっていたんですね。
ちょっと行けば幕末~明治~大正~昭和まで外国人居留地として始まり多くの外国の商社が集まった山手地区や日本大通りも有りましたからね~。
それは以前、映画“L💛DK”のロケ地解説で色んな洋館を紹介しています。
御興味有る方は是非、読んで横浜山手地区デートを彼氏彼女さんと楽しんでみて下さい♪
中村八幡宮からそんなに遠くない場所には凄い御寺も有ります。
真言宗の52ヵ寺の本山だった寶生寺さんですね。
他にも沢山の神社仏閣がある風流な京都の祇園とか清水坂みたいな場所が戦前の明治~昭和初期の中村町~真金町だったみたいです。京都の祇園も八坂神社の参道として栄え清水坂も清水寺の参道として栄えた門前町ですからね。
横浜橋は江戸に出来た新しい埋め立て地だから門前町の歴史が京都と違い浅いのですが、横浜の中村八幡宮は元々延喜年間から存在した事が地域にも宮司家にも伝承しており、恐らくそれは本当でしょう。
この地域を開拓したのは坂東平氏ですが、当時既に鎌倉の御霊神社に祀られる平良文公と、その甥で神田明神の御祭神の平将門公等によってこの地域は支配されていました。中村町辺りは平安時代末期には平良文公の御子孫に当たる三浦一族の久良木三郎通継公が支配していました。この武士団が信仰したのが海神で疫病治癒の神でもある素戔嗚尊と習合された牛頭天王を祀る牛頭信仰=八坂神社や祇園社や八王子社と、同じく治水の水神であり破魔の神様である大鞆別命=応神天皇に習合された八幡大菩薩信仰つまり八幡信仰でした。
中村八幡宮と本牧半島の反対側に当たる八幡橋八幡神社も更に古い欽明天皇の頃に開かれている事が伝承しています。なので平安時代から中村に八幡信仰が有るのは極々自然な訳です。
実は各時代の度重なる戦乱で史料が残らないこの地域ですが、古くから朝廷の軍馬生産地として久良岐屯倉(みやけ)が置かれ天皇家直轄地の郡だった歴史が有るんです。
ですから門前町は新しく、外国人文化の色濃い横浜元町に近い地域ですが文化歴史は京都にも負けない古代からの歴史の醸成地でもあるんですね。
つまり中村八幡宮のある中村町や真金町辺りは今でこそ庶民的で異国情緒溢れる町ですが、イメージ的には和風な街並みと大正ロマン溢れる服装の人が行き交う風景が戦前まで広がっていたみたいですね~。
現在の地図と明治初期の迅速測図と言う地図で町の様子を見比べてみましょう。
中村八幡宮周辺 迅速測図 久良岐のよし
※クリックして拡大して見て下さい。
これを見ると解かりますが、明治の最初頃はまだまだ八幡宮周辺の参道だった横浜橋商店街辺りは出来て歴史浅い埋め立て地なので未だ何も有りません。日本初の石鹸工場何かが有ったらしいです。
この迅速測図の書かれた明治時代の終わりから次第に人が増え大正時代には色町として発展した横浜らしい新しい街だと言う事が解ります。
そして遊郭が立ち並ぶ過程で中村八幡宮も繁栄し戦前の巨大な社殿が造営されていった訳ですが、遊郭の建築ラッシュや元々、真言宗の大寺院だった寶生寺や蔵徳院と言う大寺院が御近所に有ったからこそ宮大工が集まる文化素地が形成されていたのでしょうね~。
横浜市に限らず色町の文化と史跡研究に関しては小生よりも“知の冒険”と言うブログを運営してる丹治君の方が詳しいので、彼のブログを見ると真金町界隈の事を沢山書いて有ると思いますよ~。

彼はラジオにも呼ばれる人物なので、色町の文化研究のセミプロです。行動範囲も広く小田原の色町跡を探索に行ったり、関西や中部地方も良く取材に行ってます。
花街の文化に興味が有る方は彼の記事を読んで見て下さい。
まぁ~、そんな明治大正昭和初期のいなせな男女の風流さと悲哀と失敗と成り上がりが複雑に混じった素敵な雰囲気が漂う風流な和風の街並みが広がっていた中村町と真金町ですが、戦後昭和三十三年の風営法施行により遊郭が経営不能に成り閉鎖し、そこに根付いていた宮大工の方々の技術が幾つかの銭湯建設を通じて今も残っています。
それが中村八幡宮の近くの仲乃湯さんです。
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記事⤵️
仲乃湯 凄い宮大工が建てた銭湯でドラマやCMのロケ地
今では中村八幡宮の社殿は縮小はしていますが、仲乃湯に御風呂に入りに行くと立派な建物から往時の中村町の雰囲気を垣間見る事が出来ます。
神社好きの皆さんも、御朱印を拝受に参拝したり横浜橋商店街とかに買出しに行く事が有ったら是非!お風呂入りに行って見て下さい~!
きっと建物の凄さに感動しますよ!

さて皆さん、今日はここまです!

夏に入りますが新型肺炎も未だ終息していませんし、気温も上がり熱中症にも注意しないといけませんね~。
次の記事で御会いするまで健康に実り有る日々を御過ごしくだされや~♪
では又!