千葉県に夫婦円満と縁結びの御利益とで有名な二つの古社が存在するのを皆さん御存知でしょうか?

その二つの神社の内の一方は延喜式神名帳に記載された式内社で名を玉前神社と言います。
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玉前神社(たまさきじんじゃ)
久しぶりの小生の歴史と地形解説合わせたブログ記事ですが、以前から読んで下さっていた方には繰り返しに成りますが、醍醐天皇の時代に旧律令制度では国家体制の維持が困難に成り、改革を行った制度が“延喜式”と言う物で、当時の改定版律令みたいな物です。
延喜五年(905年)から制定の取り組みが始められたので延喜式と言う名前の制度に成っています。
そして式内社(しきないしゃ)と呼ばれる神社は、その延喜式の中で国にとって重要な祭祀を行う神社として保護や管理の目的で記載された、西暦905年当時の平安時代の人から見ても歴史が“古くて由緒正しくて凄い場所”と認識された神社でした。
平安時代の人から見てとんでもなく古い歴史が有るので、当然ながら考古化学で状況証拠を集めて行くと式内社は大体が縄文~弥生時代の集落や祭祀場の遺跡が極近所に存在したり、或いは境内から遺跡が出土したりします。

今回紹介する玉前神社と縁結びの神社として対(つい)に成る、残りもう一方の神社も玉前神社との神事で関係が深く神話的にも同時期から存在していた事が裏付けられる古い神社です。
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鵜羽神社(うばじんじゃ)
この鵜羽神社の様に延喜式神名帳に記載されていない、神社化していなかった聖地や仏教的要素が取り入れられた修験道の聖地化した神話の舞台等が後に神社と成った場所を“式外社(しきげしゃ)”と呼びます。

この二つの神社の神様、関係性がややこしいのですが夫婦円満や縁結び、そして子供の健康祈願の御利益が望める事間違いなしの神様が御祭神であり、その神様の神話の舞台でもあるんです・・・

玉前神社が玉依姫(たまよりひめ)と言う女神様。
鵜羽神社が鵜茅葺不合(うがやぶきあえず)の神様。
※先に複線を貼って置きます
小生はこの鵜茅葺不合は当て字であり、尚且つ読み間違えられて神様の名前が伝わっていると推測しています。
小生の推測では鵜茅葺不合(うがやぶきあえず)ではなく、鵜茅葺不合(うがやぶきあわづ)と呼ぶのが正しいだろうと、地勢的な理由から推測しています。その話は後程。

・・・この神様はちょっとややこしいのですが、玉依姫が鵜茅葺不合神の血縁上の伯母さんで、玉依姫が鵜茅葺不合の神様が幼かった頃に面倒を見て、更に鵜茅葺不合の神様が大人に成ったら求婚されて結婚したそうです。
だから子育ての健康祈願も、縁結びも、夫婦円満も全て御利益が有る訳です(笑)。
年齢的には例えば鵜茅葺不合神の実母の豊玉姫と玉依姫が年の離れた姉妹で、豊玉姫25歳位の時に鵜茅葺不合神が5~10歳で、玉依姫が12~18歳位と仮定すると年齢的には叔母と甥でも伴侶に成れる年齢差ではあったりしますよね。封建時代は婚期が15~20歳位でしたから、古代もそんなものでしょう。

でもコレ、現代人の感覚では近親相姦で違和感を覚えるかも知れませんが、現代人の価値観は明治時代にイギリスのプロテスタントを模倣して新たに導入されたもので、神話時代に相当する縄文~弥生時代はおろか貴族と武士の時代に成っても血縁上の伯母が甥と同世代で甥と伯母が結婚するとか、従兄妹同士や姪と叔父等の政治的な背景も有って近親婚は無い事ではありませんでした。
今の感覚では考えられないですよね。
そもそも日本の神様の源である伊邪那岐(いざなぎ)命と伊邪那美(いざなみ)命からして兄妹であり夫婦神です。
天皇家でも天智天皇の皇女の山辺皇女の夫は天武天皇の皇子の大津皇子ですが、御二人は従弟同士でしかも親同士は対立関係だったりします。

例えば歴史人物でも令和二年二月十九日からNHKで放映開始される大河ドラマの主人公、明智光秀と跡継ぎの明智秀満は一般的に従兄弟(いとこ)同士と認識されていますが・・・
明智秀満
※馬と泳いで琵琶湖を渡って逃げる明智秀満
・・・明智秀満の妻女は明智光秀の長女だったりします。
この様に、昔は親族間でも戦争を回避する為だったり、古代では後継者としての地位を確実にする為に近親婚は珍しい事ではありませんでした。
ましてや、神話時代の始まり頃に相当する弥生時代の日本列島総人口は200万人未満と一般的に言われていますので有力者同士のみならず、集落の仲でも出会いは少なかったでしょうね(笑)。
縄文海進千葉県 ネットから拝借
※引用先⤵
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/arc/kantoplain/10m.jpg
そして、当時の房総半島は現在の平野部の大半がまだ海や、隆起した湿地帯や吹き上げられた砂の砂州で人が住める場所は現在の丘陵地帯の上だけでした。ですから弥生時代の終わり~古墳時代に次第に今の平野部が湿地帯だった頃に開墾が始まり稲作が普及し人が丘の上から平地に集落を移すまで、そもそも人間が住める場所が限定的な海に囲まれた丘の上だったので集落も拡大し難(にく)い上に、食糧確保手段となる産業も狩猟採集と保存食の加工くらいしか無いので安定して人間が繁栄する術(すべ)がまだまだ無かったんですね。

では、ここで玉前神社と鵜羽神社の位置関係を見て見ましょう・・・
玉前神社と鵜羽神社の位置関係 久良岐のよし
※画像クリックして拡大して見て下さい。
延喜式内社と式外社に該当する両社は、そのセオリー通り古代の海岸線だった丘陵地帯の先端に存在します。この位置関係が味噌に成って来ます。
延喜式内社や式外社に相当する修験道や仏教の聖地化した神話の舞台は先程ご説明差し上げた通り、古代の遺跡を内包している所ばかりです。
そして共通点は何処も“湧水池が存在する”或いは、港湾の入口となる岬の先端や、湾の最深部に何処も神社が存在しています。
では神奈川県の例を見て見ましょう・・・
主な歴史千年以上の古社と古刹と古代の海岸線 久良岐のよし
・・・御覧の通り、神奈川県域で白い部分は古代の海岸線です。
古墳時代に開かれた伝承のある相模国四之宮の前鳥神社と相模国国府祭(こうのまち)神事の神話の舞台でも有る平塚八幡宮(旧名:鶴峯山八幡宮)を除いては全てが古代の海岸線の間際や河川の合流地点の三角州形状地や湧水地に存在しています。
もう1度、玉前神社と鵜羽神社の位置関係を見て見ましょう・・・
玉前神社と鵜羽神社の位置関係 久良岐のよし
・・・恐らくこの両社は古代の物流で重要だった港湾の入口の岬先端と、湾の最深部だったはずです。
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玉前神社の社名の由来を解説すると、玉前神社は今でこそ内陸ですが近くから茨城にかけて広がる長大な砂浜の九十九里浜は古くは“玉浦(たまのうら)”と呼ばれた事に由来すると地元で伝えられていますが、これは“当たり!”と言えば・・・“まぁ当たり”ですが当時の状況を見ると長い時間をかけて生まれた誤解が少し有る事が解かります。
そして玉前神社の名前の由来の伝承と古代の地形を見ると合致する事が衛星写真に古代の海岸線を重ね合わせて見ると良く解ります。
東京湾岸古社と海岸線の位置関係 久良岐のよし
まだ房総半島方面は面倒臭くて(笑)GoogleEarthに未登録の場所だらけで申し訳ないのですが、ざっと今回紹介している二社と、神奈川県域の古社を見て頂ければ小生の推論が正しい事が御理解頂けると思います。
御覧の通り、やはり玉前神社と鵜羽神社は古代の湾を見守る位置に存在しています。
もう少し近づいて見て見ましょう。
玉前神社と鵜羽神社と三之宮神社の位置関係 久良岐のよし
この通り!古代の玉浦(たまのうら)が本当に玉前神社を入口にして存在し、その玉浦最深部で船舶を接岸させるのに良さそうな港湾に成る場所に鵜羽神社が存在します。
何より玉前神社は社名の文字の意味と由来通りに“”浦の入口の岬の一番“”に有るので玉前神社と呼ばれる様に成った事が容易に推測出来ますね。
そして今回は未取材で詳しい事は解りませんが、上総国三之宮と伝わる現代ではヒッソリと佇(たたず)む三之宮神社も、玉前神社の玉浦対岸側の入口を守る位置に存在しているので、こちらも延喜式神名帳には掲載されていないものの社名の通り上総国三之宮であった事が地形から理解出来ます。
そして延喜式内社と式外社たる証拠と成る水源も現在でも、ちゃんと確認する事が出来ます。
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一之宮である玉前神社は半島の先端であるにも関わらず、日本武尊も関わった湧水が存在し、現在でもその御神水は御汲み取りさせて頂く事が出来ます。・・・飲む人が少ないのか水が暫く出されていなかったらしく、ちょっと金属臭かった(笑)。
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そして鵜羽神社の方にも古代の半島の中腹にも関わらず井戸がこんこんと水を湛えています。
今では頻繁に水の組みだしもされておらず、農業用水の水源として活用されている様で、恐らく鵜茅葺不合の神様が生活用水にされていた御神水であろう井戸水は濁っていましたが、ちゃんと丘の上なのに湧水を湛えています。
恐らく、この鵜羽神社の背後の山頂等は発掘すれば弥生~古墳時代の集落跡でも出土するかもしれませんね・・・
人が生活するのにも、日本武尊が軍勢を率いて来て駐屯するにも、全て水が必要なんです。
そして清涼な湧水の無い場所では集落は形成出来ないんです。
川の水何か飲んだら寄生虫で死にますからね、抗生物質の無い古代には。
一方の一之宮玉前神社も、直ぐ近くの戦国時代の一宮城址辺りに古代の集落が在ったのかも知れません。
そして三之宮神社ですが・・・
現在の上総国神社位置関係 久良岐のよし
こちらもやはり、同一丘陵上に勝見城が存在する事から、未取材でも水源が存在していたか現在も存在する事が容易に推測出来ます。
・・・何故なら、御城ってのはね給水地が存在しないと籠城できないから城は必ず水源の確保出来る堅固な丘陵に室町時代までは作られたんですよ。だから近くに勝見城が存在する事で、三之宮神社も水源が地下に有る事が確認出来るんです。
もう一度、この神社の位置関係を見て見ましょう。
玉前神社と鵜羽神社と三之宮神社の位置関係 久良岐のよし
古代には九十九里浜が存在せず、古代の外房の海岸は東北地方のリアス式海岸みたいな地形だった事が一目瞭然ですね。そして玉浦(たまのうら)の最深部の船舶が停泊し易く陸地も多い鵜羽神社の辺りに鵜茅葺不合の神様が地域を治めた宮殿が有り、後に玉依姫の住んだ玉前神社に通婚をする様に成ったのが、二つの神社を結ぶ十日祭(とおかまち)神事の由来なのかも知れません。
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現代では海面上昇や気温上昇を地球温暖化だ異常気象だ何だと騒いでる子供と二酸化炭素排出利権とリチウムイオン電池利権を貪(むさぼ)りたい奴等が過去の歴史を見ようともせずに騒いでいますが、別に小生から言わせれば・・・
「あ~・・・昔の気候に戻ってってるんだな」
・・・ってだけなんですよ。
勿論、自分を含めて人間にとって大規模台風や大雨は生命を脅かす危険な災害なのですが、でも古代もそうだったんでしょ?それを人間の我侭で異常気象扱いするのは謙虚じゃない気がするんですね。

そんなに気温上昇による異常気象が怖いなら、先ずは全ての都市で白人が持ち込んだ石材とコンクリート建材を用いた建築文化を放棄して破壊し木造建築に戻せばよい。その上でアスファルトを引っぺがし土の道に戻し全ての歩道に樹木を植えて道を緑の傘で覆い隠してみなされ・・・
それだけで都市部の熱帯夜は解消され、木陰の自然の冷房で夏は涼しく、冬は防風林の役割を果たしてくれるでしょうよ。
ついでに言えば・・・
樹木が無くなるから二酸化炭素が吸収されず増えて気温が上昇してる訳じゃないんだと思いますよ。
ただ単に、地表を覆う樹木が無くなりコンクリートとアスファルトと言う蓄熱力の高い建材で都市を拡大し続けるから、都市部がストーブの機能を持ってしまい夏の気温が凄まじい事になるんじゃないの?
そして西洋式に全ての宅地開発した山の沢と言う沢を護岸工事して暗渠化して用水路にしちゃうから、山の沢から砂も生成されず、海岸線がどんどん後退するんでしょ。
100年前と比べて世界中でどれだけコンクリートとアスファルトの町が増えたと思うのさ?
・・・って話し。横浜市だって1950年頃と比べたら森林なんて乱開発で半分以上も消えてしまってるのよ?
それと普通に地下の活動が活発に成ってるから海水温も上昇して台風が増えたり地震が頻発するんじゃないの?
・・・と神話を辿りながら思う今日この頃。

さて・・・

久しぶりの歴史と神社と地形の記事を書いて見ましたが如何だったでしょうか?
本当は香港デモの事を12月初旬に自分で直接見聞きして来た事の続きを書かないと行けないんですが、中国の問題も香港の問題も台湾の問題も全ての国の良い面と、物凄く批判しないといけない事も多くありました。
でも今は中国を中心に香港台湾でも日本でも伝染病の肺炎が蔓延していて、特に中国では多数の方が犠牲に成っている状況で中国政府を誇りに思う中国人の事を批判するのと同じ事は書くべきでは無いと思っています。
今は災害国の日本人として、中国・香港・台湾の人々と協力して湖北省の疫病被災民を応援し僅かでも支援をするべき時だと思っています。
日本には史話ではありませんが民話として上杉謙信が武田信玄に塩を送った逸話等も有りますが、一度災害が起きたら被災して困ってる人を助けてこその日本人だと思うんです。
まぁ・・・武田信玄の場合は裏切り常習犯の自業自得ですが。

そんな訳で、又ブログを書く時は、幸せになりたい人に良い神社や御寺や、凄い歴史の有る城跡や、凄く風景の綺麗な場所なんかを紹介したいなと思います。
でも香港の事は肺炎が収束したら中国と香港の悪い面を批判し、また素晴らしいと思った事を紀行文で書きたいと思います。

因(ちな)みに最近見て来た景色をいくつか・・・
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12月大晦日頃、東京湾アクアライン海ほたるPAの真直ぐ先に登る日の出。
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海ほたるPAから見える富士山の夕景。
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袖ヶ浦市の農道から見た夕焼けの富士山。
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真直ぐな夷隅市の農道。
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木更津市の農道から見た夕陽。
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勝浦の部原海岸。
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富津岬。
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富津岬から見た東京湾第一海堡。
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富津砲台跡。
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かつうら海中公園から冬見える日の出。
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勝浦城址から見た外房の勝浦の海岸線。

では皆さん・・・
久しぶりに読んで下さりありがとうございました。
では!又、次の記事で御会いしましょう~♪

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