朝比奈峠等が鎌倉時代に整備される以前、平安時代の鎌倉武士達が鎌倉に集結する際に使っていたバイパスの古道が今も横浜市栄区~港南区~磯子区~金沢区~鎌倉市朝比奈~十二所にかけて幾筋も現存しているのを皆さん御存知でしょうか?
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この写真の尾根道も、谷筋に降りる道も、実は昔々、武士のみならず多くの人が往来した古道です。
そして円海山の富士山と夜景の絶景地でもあります。
今回は随分前に歩いた際の写真を用いて、そんな富士山の絶景地を古道のスタート地点として選び解説したいと思います。
先ずは少し尾根道の話をします。
円海山の尾根の農道は武士達が往来した脇道でした。川沿いの鎌倉街道が平和になった鎌倉時代に整備される以前に使われていた“鎌倉上道”、“鎌倉中道”、“鎌倉下道”の鎌倉古道が存在し、更に毛細血管の様(よう)に張り巡らされたショートカットの道は全て水害に強い尾根道でした。
ですから今でも、この道を伝って1時間半~2時間くらい歩くと鎌倉市街地⇔横浜市栄区港南区磯子区金沢区を往来する事が出来ます。
鎌倉武士早駆けの道尾根道 久良岐のよし
第三管区海上保安本部関東統制通信事務所
※画像クリックして拡大して下さい。
このスタート地点、実は海上保安庁の通信事務所で普段は無人なのですが、この円海山の山麓には飛鳥時代~平安時代の長きに渡り大和朝廷に金環太刀や鏃(やじり)や馬具や鎧の軍事物資の材料となる玉鋼(たまはがね)を生産する“東日本最大のタタラ製鉄遺跡”の上郷深田遺跡と上郷猿田遺跡が2020年03月現在ではまだ存在しています。この地域は古代には鎌倉郡に属していました。
また横浜市最大最後の蛍の大生息地である瀬上沢の西側蛍生息地域も“まだ”存在しています。
・・・まだ、と敢えて言うのは東急建設が4月に遺跡と蛍のいる瀬上沢西側を削り取り商業地と宅地と人工池にする計画を横浜市が承認してしまう可能性が有るからです。
そこら辺りの歴史は以前、記事にもしているので興味の有る方は下のリンクから御覧下さい。
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鎌倉にある天下一の名刀「正宗」の工房…正宗工芸美術製作所
クリックで記事にリンク⤴

さて、こんな風に古代から製鉄拠点としての文化歴史と、更に横浜市最大最後の自然林を残す円海山の尾根だから鎌倉市街に通じる道が当時のまま風化しながら現存しています。
今回は以前歩いた時の写真を交えながら解説したいと思います。
因(ちな)みに昨年9月の台風で倒木が多発しましたが、横浜市側は素早く倒木を撤去し遊歩道を再整備しました。
しかし鎌倉市の松尾市長は特に文化財の保護に不熱心な方で、貴重な文化財の釈迦堂切通や北條時政邸城塞跡の衣張山~名越の遊歩道の復旧を怠っています。
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未(いま)だに原状回復整備を怠っているせいで今は名目的に通行止めでハイカー達が自己責任で登山を楽しまざるを得ない状態が続いています。途中には私有地も有るので鎌倉市には史跡保護と生活道路保全の意味からも至急復旧する義務が有るのですが・・・
もっとも、昔から円海山のハイキングを楽しんでた横浜市民も、鎌倉市側から六浦や港南台方面にハイキングを楽しんでいた鎌倉市民も今でも横浜まで歩いてくるので、海上保安庁の通信事務所のあたりで富士山を撮影していると挨拶を交わす機会が良く有ります。
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さて・・・
スタート地点の海上保安庁の通信事務所から南に進みます。
円海山~大丸山~関谷見晴台 久良岐のよし
※クリックして拡大して下さい。
最初の目標地点となるのは大丸山、その次が関谷奥見晴台です。
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この少し左手前の農道を降りて行った先の丘からは横浜港の夜景が一望出来ます。
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ではズンズン進みます・・・
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分岐点の所々にちゃんと道標(みちしるべ)が有るので迷う事は有りません。
寧(むし)ろ現地案内図よりGoogleMapなんかを見ていると山では迷ってしまいます。
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ちゃんと案内図有るから安心してください。
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もし変な場所は入っちゃったらさきに進まずに元来た道を戻って下さいね。
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たかだが横浜市内の海抜300mの山でも昔の廃道とかに入ったら迷いますよ、本当に。
昨年、小生が昔の廃道を散策して遭難しかけましたから(笑)。
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こんな感じで景勝地や植生の解説も随所に有ります。
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横浜市でも貴重な自然が残されているのですが・・・
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・・・昭和期~平成の乱開発で庄戸地区等が宅地化され森林が消えた事で麓の生態系も変わってしまいました。
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でも歩いていると自然豊かで清々しい風景が続きます。
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道は前日の天候によってとんでもなくヌカるんでいたりしますので、いくら整備されていても注意して歩いてくださいね!
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横浜市側は割とサクサク歩けます。
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さて、看板に大丸広場と出て来ましたね。
前振りして置きますと、この大丸山は恐らく記録に残らない要塞の跡です。
それはもう少し後で話しましょう。
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荒れて通れなくなってる場所も有るので気を付けてください。
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こんな分かれ道もちゃんと手前の看板を見てくださいね!
間違えて降りた先が全然違う場所で目的地に行けなかったとか悲し過ぎますから(笑)。
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猿の腰掛が沢山木に寄生していました。
中国に売れば漢方薬ですね~。
さて・・・
そろそろ大丸山に話を戻します。大丸山一帯は恐らく周辺の地名“関”の由来になった尾根道を封鎖する関所=砦の跡でしょう。
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この付近で各方面に道が分岐するので、未だ鎌倉幕府が未整備で奥州だけでなく北関東武士団が敵だった時代に、円海山~天園ハイキングコースの鎌倉武士の古道を一歩鎌倉側手前の尾根が1本に纏まる大丸山に関所兼要塞を築いて鎌倉防衛網の一ヶ所としていたのでしょう。
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実は大丸山周辺まで来ると、尾根側面に人工的に竪堀(たてぼり)を掘って尾根道の道路を制限したような地形が増えます。そしてこの大丸山や見晴台は敵の襲来を伝える烽火台(のろしだい)の役割も有ったと小生は推測しています。
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何故なら・・・
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神奈川の橋100選の一つ“昇龍橋”と白山社古址という場所が有りますが・・・
ここと大丸山を経由し金沢区の白山古道に抜ける道が、どうやら平安時代末期に頻繁に使われ鎌倉時代初期に朝比奈峠の開通で廃れていた旧金沢湾に抜けるショートカットの道だった様です。
後に室町時代中期に戦国時代の発端となった永享の乱~享徳の乱頃に室町幕府最後の鎌倉公方と成った足利成氏公もこの古道を再整備して利用したようで、十二所~釜利谷~金沢称名寺や富岡並木千軒に通じる道の途中に“禅林寺”を、氷取沢側に“宝勝寺”を開いていたりします。
この道が大丸山一帯が旧尾根道古道の要所だった事を説明する為に鎌倉時代の事件を以前書いたブログの紹介を交えながら、少し解説します・・・
鎌倉幕府の成立数年後に鎌倉幕府執権北条家の陰謀で名将畠山重忠公が謀反の“冤罪”を着せられた事件が発生しました。
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※写真は旭区二俣川古戦場の畠山重忠公首塚。
御子息の畠山重保公は由比ヶ浜を北条家の手勢に襲撃されました。
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※引き潮の由比ヶ浜の風景
新編相模風土記稿では由比ヶ浜で交戦した伝承から重保公の討死の場所は恐らく由比ヶ浜の屋敷だろうと推測しています。しかし、それでは横浜市金沢区に畠山重保公が切腹した伝承地に供養の為の御廟所が昔から大切に地元民によって守られており由比ヶ浜での討死にでは整合性が無くなってしますます。
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※金沢区釜利谷の畠山重保公の御廟所
そこで小生が史跡と事件のパズルを組み合わせると、実は簡単に横浜市旭区と金沢区と鎌倉市の伝承の全てに整合性が有る事を開設する事が出来ます。
この伝承に、もう1つ、事件当日の伝承に登場していない場所を登場さてみましょう・・・
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実は鶴岡八幡宮の東側門前には畠山重忠公の館が存在しました。
恐らく鎌倉幕府執権北条家の与力武将達は、真っ先に鎌倉での畠山家武士団を無力化させる為に、留守居役であり指揮官の畠山重保公を討取るべく、鎌倉市での伝承通り由比ヶ浜の重保邸を急襲した事でしょう。所が当日もしくは翌日には畠山重忠公が鎌倉に入る予定だったので、重保公は恐らく自分の邸宅ではなく重忠公の屋敷で父上の到着に備えて色々と準備をしていたのだとしたら・・・?
由比ヶ浜の屋敷で畠山家臣団が襲撃され、北条家と交戦中に畠山配下の武士が鶴岡八幡宮横の畠山本宅に北条家急襲による危急を伝えたはずですね。
古東海道 国土交通省から画像拝借 久良岐のよし
※国土交通省関東地方道路整備局横浜国道事務所より拝借画像
上の画像は鎌倉街道が未整備だった平安時代初期くらいまでの主要街道です。
畠山重忠公は旭区の二俣川で八王子街道を下って来た愛甲季隆公や糟屋有季公の軍勢と衝突し討死にしていることから、埼玉県の秩父地方を出発して旧奥州街道から(町田の)店屋で鎌倉街道下道に迂回ないし、一度横浜市域のかなり鎌倉付近まで来てから知らせを聞いて秩父に戻る途中で交戦した事が判ります。
・・・すると由比の自邸が襲撃された事を知った重保公が逃げつつ父上に陰謀を知らせる為に進む道はおのずと大丸山に通じる“天園ハイキングコース”~“円海山”の平安時代の古道に限定されます。
大丸山地形 久良岐のよし
大丸山は今でも空堀地形が現存しています。そしてここを通過しないと鎌倉十二所方面から北側に抜ける事が出来ません。
畠山家史跡位置関係 久良岐のよし
※画像クリックして拡大し位置関係を確認して下さい。
新しく開削され通行しやすかった朝比奈峠は北条家の本拠地の衣張山直下の細い街道と歌の橋を越えなければ行けないので敵兵が待ち構えている事は間違いないでしょう。
更に円海山大丸山の要塞に北条家の兵士が既に配置されて居る事を想定すると、鶴岡八幡宮の横から畠山重保公が逃げ延びる道は鶴岡八幡宮から北東側の二階堂方面~十二所山中~円海山~白山古道1択しか残っていなかったはずです。
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今では畠山重保公が逃げた鎌倉武士の古道には横浜自然観察の森が有り、中にある上郷森の家には宿泊する事も出来ます。
白山古道周辺 久良岐のよし
この自然観察の森一帯が、北条家の陰謀で鎌倉に召還されて八王子街道~鎌倉街道下道を下って来ている最中の父上に北条家による罠だと言う緊急事態を伝える為に鎌倉を脱出した畠山重保公の逃走経路で、恐らく釜利谷西や関東学院大学金沢文庫キャンパス建設で消えた部分の白山古道でしょう。
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それよりも南に逃げてしまうと、浄願寺跡の上行寺東遺跡が存在する山が実は要塞でした・・・
六浦の港を守っていた権現山御伊勢山の荒尾城が存在し幕府の軍勢に捕まってしまいます。なので結局白山古道に入り、恐らく武士の屋敷か名も忘れられた寺院が有った様な谷戸地形の畠山重保公御廟所の場所に有った建物で束の間の休息をして、御父上に合流するのを諦めて自決したのかも知れませんね。
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大丸山の直ぐ近くには見晴台と言う広場があり、横浜港を遠望する事が出来ます。ですから、この一帯は烽火台にも適している訳です。
昔々、港南台や洋光台方面が開発される前は、ここの風景が東京湾を見る有名な場所だったのかも知れません。
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この見晴台の先に進むと鎌倉市との境目にたどり着きます。
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ここから先に進むには鎌倉市側の天園ハイキングコースに進まなければいけません。
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この先に進むと・・・
第一横浜霊園と鎌倉霊園の間を通過する鎌倉防衛網、鎌倉城の外郭にぶつかり、いよいよ鎌倉旧市街に入ります。
鎌倉市と横浜市の境、朝比奈トンネル 久良岐のよし
まぁ、実は自己責任で歩いてる人も多いしそんなに危ない訳でも無いので自分で行くか行かないかは判断してください。
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行く先には鎌倉武士が朝比奈峠開削以前に岩場を切り開いた切通も存在します。
さて・・・
長くなりそうなので鎌倉市域の天園ハイキングコースは、又、続きの記事を分けて書きたいと思います。次の記事、天園ハイキングコースで可愛い御婆ちゃんの休憩所を紹介するので楽しみにして下さい。

最後に今回解説した部分と関係の有る記事のリンクを以下に纏めて置きます。

興味の有る方は御覧下さい。
鎌倉にある天下一の名刀「正宗」の工房…正宗工芸美術製作所
蛍(ホタル)の季節到来!円海山瀬上沢で5月中旬から。
  東急建設の破壊計画で最後のチャンスかも?

神奈川の橋100選の一つ“昇龍橋”と白山社古址。横浜市栄区長倉町
畠山重忠公の最期の時、畠山重忠公と愛甲季隆公の二人の名将が死力を尽くし戦いあった古戦場
  ・・・横浜市旭区役所周辺一帯。

畠山重保公の御廟所、横浜にも御縁が有る鎌倉武士の名門畠山家御曹司の供養塔
  ・・・横浜市金沢区。

【城郭ファンへ拡散】六浦山上行寺の解説と、間宮家臣荒井家の鎌倉武士時代の幻の城址❝荒尾城❞発見?の報告と協力要請。

では、皆さん、また次の記事でお会いしましょう~♪