胴網海岸&横堀海岸
古代の風待ち港小網代湾(こあじろわん)
知る人ぞ知る新井城址の2つの隠しビーチ

【胴網海岸】
 観潮荘に日帰り温泉有り。
 胴網海岸
 予約制の手ぶらBBQ施設有り。
 施設利用者トイレシャワー使用可。
 横堀海岸
 食事と飲酒出来る飲食店併設。
 施設利用者トイレシャワー使用可。
☞オススメpoint( •͈ᴗ•͈ )        
 両方とも知る人ぞ知る隠れビーチ◎
 小さいけれど砂浜と磯が有るよ◎
 胴網は予約制の手ぶらBBQ有り◎
 横堀は常設の飲食店あるよ◎
 両方とも城跡の一部で歴史が凄い◎
 胴網海岸は海からの城門地形だよ!
 横堀は御城の堀切状空堀跡だよ!
※3つの海岸が近くにあるから混雑
 しても空いてる場所を選べるよ◎

☞注意するpoint(•ω•)        
※コロナ禍中は三密対策に不向き。
 隠れビーチだけにキャパ少ない。
※城跡だけに超判り難い場所だよ。
 初訪問で行くのにGoogleMapの
 ナビ機能使うと迷わない。
―写真の後は👇( ՞ਊ ՞)👇解説だよぉ〜
——胴網海岸——
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——横掘海岸——
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――以下 詳細( ゚∀゚)つ ダョ♪⤵――
【交通】
車の場合胴網海岸、横堀海岸、荒井浜の3箇所は近在し、いずれも❝油壷駐車場❞かホテル観潮莊前の旧マリンパークの駐車場を利用する事に成るが、夏季は混んで入庫待ちに成る可能性も有るので到着は朝早い時間に成る様に出発したい所。

電車の場合も油壷駐車場の❝油壷温泉❞バス停に来る事に成るが、
小生の記憶が正しければ終バスが17時頃と絶望的に早かった筈なので、到着時に忘れず三崎口行のバスの時刻表を必ずチェックして欲しい。
【見所】
駐車場の近くには京急の運営する観潮荘と言う日帰り温泉施設も備えたホテルも有る。

帰路に就く前に海水浴の後で天然温泉に日帰り入浴する事が出来るのも魅力。
観潮荘の他にも周辺一帯に料理の美味しい民宿やペンションが多数有るので、滞在費用を抑えて数日間三浦で夏を満喫するのも良いかも知れない。

胴網海岸・横堀海岸は両方とも地元の三浦市民でも若い世代には知らない人も多い知る人ぞ知る穴場の文字通り隠れた場所に在(あ)る海岸。
両方とも砂浜と岩礁の磯が有り、二つの海遊びが出来る。
近くにヨットハーバーが有るのでヨットの⊿三角形のマストが海を走って行く優雅な景色を眺めながら飲食したり、物凄く夏らしい事が出来る。
又、胴網海岸には“油壷アウトドアセンター”と言う予約制の手ぶらBBQ施設が有り便利で利用客は建物内のシャワーと更衣室も利用させてもらえる。

横堀海岸にも常設の飲食店“みなと屋”が在り、海を眺めながら居酒屋の様にリラックス出来る。こちらも利用客は飲食店内のシャワー室を借りる事が出来る。

ただし穴場なだけに海岸としては小さく、行く前に混雑状況を上記の御店に確認した方が良い。
胴網、横堀に加えてすぐ近く徒歩圏内に荒井浜も在り3つの海岸が近在している。

もし目的地の一つが混雑していても3箇所とも海水浴場の過去実績が有るので移動しても安心して遊べるので、各海岸に有る飲食店に当日や前日に混雑状況を聞く事で混雑回避して空いてる場所に移動も出来る。
油壺や小網代の混雑時には車での来訪なら30分以内で行ける距離に大浦、三戸浜、和田長浜の海水浴場も存在するので混雑していた場合の訪問先変更の選択肢が多いのも、この油壺や小網代地域の利点。
歴史的な解説をすると、この一帯全て城跡だったりする。
この胴網海岸と横堀海岸は名前から何となく解かる人もいると思うが、実は新井城と言う平安武士~戦国大名化した三浦氏の拠点で日本最長、4年弱の籠城期間を誇った名城の一部だった。
ここに拠点が置かれた理由は古代から三浦半島新井城址の小網代(こあじろ)湾、平塚市側の相模川河口の須賀港、伊豆半島熱海市の網代港の3港が船の係留に適した地形で風力と海流を利用して船足を高め長距離の海上輸送力を確保出来た地点だったので、平安時代から戦国時代にかけて海運拠点として栄え重視されていたので水軍基地としても発展した歴史が有る。
平安時代以前、縄文や弥生時代にも当然ながら海上交通の要所だったようで、この航路を利用し伊豆諸島から“黒曜石”が輸送され交易に使われていた。
この石⤵️

黒曜石はオニキスみたいに綺麗な石だけど強度がガラス位で加工しやすく金属器が無い時代に刃物に加工された。
戦国時代には伊豆大島の染物は特産品として重宝された事もあり新井城主の三浦家が北条氏綱公に伊豆大島を奪われるまで代官を置き支配し、小網代湾から須賀、網代、伊豆大島を船が行き交っていた。
江戸城を築いた太田道灌公も主家の居城、伊勢原市の大城郭糟屋館に赴く際この海路を利用していた事が菩提寺の伊勢原市胴昌院や三浦道寸公の本拠地平塚市の岡崎城址に在る無量寺にも伝わっている。
戦国時代の三浦家の最重要拠点だった新井城址の横堀海岸は文字通り城の主郭(しゅかく:本丸)へと続く道の地面を削って空堀にして侵入路を断ち切り、行軍可能な人数を制限する真横に半島を断ち切る堀切の空堀に由来する地名。
ー横堀海岸入口が“堀切”状空堀名残りー
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新井城の岬を分断する構造体なので、横堀海岸由来の空堀跡は道の反対側にも続きが現存する。
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つまり戦国時代には、横堀海岸入口~道の反対を空堀がブチ抜いて掘られていて、戦時に撤去出来る引橋がかけられるか土橋が削り残された城外から城内主要部に侵入する外側の最終関門だった事が解る。
ー胴網海岸の“食違い虎口”地形ー
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胴網海岸は小網代湾側の城に直接登城する船着き場だった様で、砂浜から居住区域だった丘の上に続く山裾が削り取られ城壁化された切岸に成っており、道が人工的に鋭角にL字型に九十九折(つづらおり)にされており、侵入する敵を常に正面と側面から弓矢や鉄砲で十字砲火攻撃し防衛する“食違虎口(くいちがいこぐち)”構造に成っていたりする。
ちなみに三浦義意公の時代にまだ鉄砲は武士に普及してないので、防衛の主力兵器は弓矢だった。
ー胴網海岸上の名将道寸公の御廟横の“竪堀”地形ー
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三浦道寸公の御廟の横の谷も人工の竪堀が残り、胴網の食い違い虎口から敵が山腹をよじ登り真っ直ぐ丘上の曲輪群に侵入出来ない様にしてある。
人工的に地形を切り出した戦う為の戦国時代の御城に興味ある人は・・・
コレ見て見てくだされや~⤵

これも初心者にわかりやすいサイト⤵ 

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https://www.pref.okayama.jp/site/kodai/628817.html
画像転載元URL⤴
こうして“城”として現地を見ると一見、古戦場で「怖そうだ」と歴史を知らない人は思いがちだが、実はここは最後の城主の三浦義意公と奥さんの真里谷(まりやつ)武田家の姫の御夫妻の縁結びで有名な地域なのでデートやBBQ合コンで来たら良縁に恵まれる事で、縁結び祈願の女性に周辺の神社仏閣と合わせて旧マリンパーク一帯の新井城址は有名だったりする。
——穴場海岸の紹介一覧へ⤵――