九品山 唯在念佛院 淨眞寺
奥沢城址の紅葉名所
(吉良家重臣大平家居城)

【景観】★★★★★
 寺院建築&紅葉の美しさ堪らん!
【電車】 
 九品仏駅 ・・・徒歩03分
 自由が丘駅・・・徒歩10分
【  車  】★★
 駐車場40台前後。
 ※オンシーズン入庫待ち必至。
【休憩】★★
 境内には自動販売機程度。
 駅周辺にレストラン多数。
オススメpoint( •͈ᴗ•͈ )       
 戦国期の奥沢城を寺院化した庭園◎ 
 寺院建築+紅葉のコラボが素敵💛◎
 住宅街なのに境内広く紅葉が多い◎
 九品仏再建の特別御朱印有り◎
 自由が丘駅近くレストランが多い◎
注意するpoint(•ω•)       
 紅葉シーズン駐車場メチャ待つ。
 三脚立てて止まるなよ。
――以下 詳細( ゚∀゚)つ ダョ♪⤵――
淨眞寺(浄真寺)の広い境内庭園と寺院建築に紅葉する樹木の景色がとにかく美しい。
現在、九品仏再建に際して特別な金の台紙の御朱印を拝受する事も出来る。
駅から徒歩直ぐで交通面でも優れており、紅葉の名所として東京都民には昔から有名。
御寺としての歴史は江戸時代に始まった。
【偉人】
世田谷城主吉良成高公、吉良氏朝公、奥沢城主大平家歴代当主、徳川家綱公。
世田谷区の寺社や横浜市南区蒔田城下の勝國寺の檀家氏子と周辺には今でも喜多見(北見)、大場、佐々木、上保、並木、森、杉田の姓の旧吉良家臣団の御子孫が多く残る。
※歴史解説長いので写真の後ろに書きます。
【見所】
とにかく何処を切り取っても綺麗な寺院建築と豊富な紅葉の景色。
現在に注意して観察すると戦国時代の防御壁の土塁に取り囲まれていたり、淨眞寺北側が奥沢城の外郭の形のまま道路化していたりする。
【名物】
すんごく綺麗な九品仏再建の納経で拝受出来る金色の御朱印。
【交通】
自由が丘駅からも九品仏駅からも徒歩10分以内と非常に便が良い。
駐車場は40台前後しか停めれないのでオンシーズンは入庫待ち必至、公共交通機関の方が圧倒的に便が良い。
【周辺
自由が丘駅が近いので周辺に小洒落(こじゃれ)たレストランが多く、電車での来訪なら飲食店に寄る楽しみも有る。世田谷区のもう一つの紅葉の名所、豪徳寺も車なら20分と近いので合わせて見物しても良いかも知れない。
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——御朱印——
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【歴史】
延宝六年(1678年)、徳川家綱公の統治下で江戸幕府より奥沢の庄屋七左衛門が寺地として江戸時代以後廃城に成っていた戦国時代の城郭、奥沢城廃城を拝領し淨眞寺が開かれた。
淨眞寺として寺院化された奥沢城は戦国時代に江戸城を最初に近世城郭化した築城と野戦の名人で戦国時代の関東最強の無敗の軍師、太田道灌公の親友として記録に残る蒔田吉良成高(まいたきらしげたか)公の家老、大平家の居城だった。
蒔田吉良家は室町幕府将軍の足利一族で、今川家とも同族。
大平家の主君、吉良成高公の頃は淨眞寺と同じ紅葉の名所の豪徳寺=世田谷城を居城としていた。
太田道灌公が江戸城を空にした際に敵軍が来襲した際に吉良成高公が援軍に駆け付け道灌公に代わり防衛戦の指揮を執(と)り、撃退した事を万里集句と言う二人の共通の親友だった臨済宗の文化人高僧が日記に書いていたりする。
蒔田吉良家は戦国時代に吉良頼康公が横浜市南区蒔田城を本拠地にし、室町幕府足利家の鎌倉公方が空位の期間に公方代理を務めた事から当時の居城の名前をとり蒔田吉良家と呼ばれ、忠臣蔵で有名な同族の吉良上野介の三河吉良家とは呼び方を分けられている。
豊臣秀吉の小田原攻めの際に最後の蒔田吉良家当主に代わり軍勢を率いて伊豆下田城を守備する名将、清水康英公の援軍に駆け付ける等の記録が有り大平家の歴代当主は武勇に優れた家柄だった事が解る。
淨眞寺の前身となった奥沢城主大平家が下田城の援軍に駆け付けた当時、蒔田吉良家は同族の今川家から婿養子に入った吉良氏朝公の統治下で吉良家の本拠地を再度、家老の大平家はじめ家臣団の本拠に近い世田谷城に戻していた。
東京都無形文化財に指定されている‟ボロ市”は吉良家の庇護者である小田原城主北条氏政公から御隠居の吉良頼康公が許可を得て始めた‟楽市楽座”が始まりだったりする。
氏朝公の時代には天皇を軽視する将軍足利義昭が織田信長公の諫言を無視し戦を度々起こして京都から追放され足利幕府は滅び、吉良家の足利血族ブランドの優位性も無効に成り北条家の従属大名から北条直属の家臣化が進み、豊臣秀吉の小田原攻めの後、江戸時代に蒔田吉良家臣団は解体され大平家は等々力で庄屋に成り、蒔田吉良家は房総半島で小規模の旗本として辛うじて存続するのみに成った。
同じ家臣団の喜多見家は大名化に成功するが事件を起こして解易され、北海道の大名松前家家臣として存続し明治に北海道北見を開拓した。

紅葉を見ながら淨眞寺の歴史を辿(たど)ると江戸時代には帰農し庄屋に成っていた世田谷の室町時代の武士団が、そもそも鎌倉時代足利義兼公の時代からの武士団で格式の高い家柄だった事にも触れる事が出来る。
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