鶴岡八幡宮境内社の白旗神社
社殿前の池と紅葉の風流な景色

【景観】★★★
 紅葉は白旗神社周辺に限られるが、
 八幡様境内の壮麗な景色とマッチ。 
【電車】★★★★
 鎌倉駅     ~徒歩05分
 北鎌倉駅    ~徒歩20分
 金沢八景駅~バス乗車28分~
 ~鎌倉駅~徒歩5分 
        所要時間33分
【  車  】★★★★★
 周辺に有料駐車場多数。
 ※上限料金無しの場所有り注意!
【休憩】★★★★★
 境内は屋台が数軒。
 若宮大路、小町通に飲食店多数。
 離れた大町にオシャレな店有り。
オススメpoint( •͈ᴗ•͈ )       
 清浄な雰囲気と紅葉のコラボ◎
 境内林に可愛いリスが沢山◎で✖
 ※外来種で害獣。
 言うまでも無く荘厳な八幡様◎
 鎌倉国宝館の文化財必見◎
 当然、小町通り等の町ブラ楽しい◎
 鎌倉観光の起点なので周辺観光に◎
注意するpoint(•ω•)       
 駐車場の上限料金有無に要注意!
 他は注意必要ない(・ω・)人(・ω・)!
――以下 詳細( ゚∀゚)つ ダョ♪⤵――
【見所】
鶴岡八幡宮の境内地で本殿に繋がる参道そのものには紅葉は一切無い。大鳥居から入り八幡宮の社殿に正対して舞殿から右手奥にある白旗神社の池周辺の紅葉が素晴らしく綺麗。その辺りは紅葉シーズンに結婚式後の新婦が白無垢で写真撮影している事も多く、何とも日本らしい風情を感じる事が出来る。
又、境内の鎌倉国宝館には鎌倉市の文化財が多く展示されていて仏像女子は必見!
【偉人】
源頼義公(頼朝公五代前の祖先)、源頼朝公、源頼家公、北条義時公、北条氏綱公、神保輝廣公、蒔田吉良頼康公、大道寺盛昌公、笠原信為公、北条綱成公、間宮康俊公、上杉謙信公等
【交通】
鎌倉駅からユックリ歩いても徒歩10分。
有料駐車場周辺に多数有り。
 ※鶴岡八幡宮駐車場始め料金上限の無い場所が有るので要注意!
※事前にGoogleMapで駐車場調べ不明な場所は電話確認すべし!
【周辺】
メインストリートの若宮大路や小町通りでランチも出来る店多数。
他の神社仏閣や博物館、由比ヶ浜散歩等と合わせると良い。
鎌倉歴史文化交流館は展示が綺麗でオススメ!
紅葉の名所の浄明寺地区や二階堂地区まで徒歩20分。浄妙寺や報国寺や瑞泉寺も紅葉◎
北鎌倉の建長寺、円覚寺、浄智寺尼寺の東慶寺等と合わせても良い紅葉散策が出来る◎
【名物】
●正宗の日本刀/包丁
鎌倉時代に名を馳せ今も有名な日本刀の名工、正宗の御子孫が小町通りの脇道で現在も‟正宗工芸”と言う打ち刃物屋を経営しており、豊臣秀吉が‟天下一の刀”と絶賛した日本刀:正宗の技術で製造した包丁を一般人向けに販売している。
●鎌倉彫り
鎌倉時代からの特産品と言えば鎌倉彫の漆器。現代ではブローチ等にも加工された装飾品が外国人観光客に人気。
●和紙
小町通りに社頭と言う和紙の専門店が有り、観光客向けには裏地をシール加工した千代紙、御朱印帳や絵葉書等、様々な和紙を販売する。僧侶や神官達も半紙も仕入れる御店で正に観光客~プロまで対応している専門店。
●女夫饅頭(めおとまんじゅう)。
現代人は知る人が少なく成ったが、実は江戸時代からの名物と言えば女夫饅頭で、今も老舗の饅頭屋が鎌倉市内には数軒残っている。
●鳩サブレ―
言わずと知れた豊島屋の銘菓で、鎌倉駅と北鎌倉駅前に御店が在るので御土産としても重宝する。
●鎌倉カスター
鎌倉ニュージャーマンと言う御店の御菓子で、最近はデパートでも取り扱いがある新しい部類の銘菓。フワフワの生地の中に色んな季節の果実のクリームを閉じ込めた洋菓子。最近、御店が鎌倉駅前に移転したので御土産としても重宝する。
●シラス
逗子と江ノ島の湘南シラスを提供する飲食店が小町通りに多数。
※【歴史】【関連記事】はボリューム多いので写真の末尾に移動します。
——鶴岡八幡宮正面——
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——境内社:白旗神社側——
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——鎌倉国宝館——
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【歴史】
本来の正式名称は‟鶴岡八幡宮寺”で神仏習合の‟寺社”で明治時代までは仏教建築の多宝塔や多数の僧房や寺院の御堂も存在した。これについては鶴岡文庫内に室町時代の様子の復元模型が有る。
鶴岡八幡宮は実は元々現在地ではなく、現在の材木座地域に源頼朝公の五代祖先の源頼義公によって開かれた。住所は材木座1-7、近年まで元鶴岡八幡宮と呼ばれ現在は由比若宮の名で存続している。
源頼朝公の統治が行き届き本格的に鎌倉の都市開発が始まると、京都を模した都市設計が計画され平安京時代の旧京都町割りで千本通りに有った天皇の内裏(御所)の位置に精神的支柱として鶴岡八幡宮を遷宮し壮大な社殿と寺院が建造された。
室町時代に成ると鎌倉一帯を領有した小田原城主北条氏綱公に敵対する房総半島の大名、里見家と正木家が海賊水軍を率いて海を越え三浦半島東岸や南方から攻め込み鎌倉市大船駅前の玉縄城を攻撃し❝鶴岡八幡宮合戦❞が勃発した。合戦の最中、里見義豊の軍勢による兵火で鶴岡八幡宮と鎌倉市街地は焼け落ち鎌倉は灰燼に帰した。しかし、この鶴岡八幡宮を焼いた事で里見家は関東諸大名から敵視されるに至り、里見家内で内紛が置き義豊は甥の里見義堯(よしたか)公により誅殺された。
その後、北条氏綱公による鶴岡八幡宮と鎌倉市街復興事業が始まり、氏綱公の実弟で今の伊勢原市に所領の有った神保輝廣公が経理や屋根に使う檜皮等の奉行を担当し鶴岡八幡宮の社宝を龍散寺で保護。
鶴岡八幡宮再建と鎌倉復興事業の総奉行を当初は大道寺盛昌公が担当した。しかし城代を務める埼玉県の河越城周辺で上杉家との戦闘が激化すると、再建総奉行は横浜市港北区の大曾根城主で小机城代の笠原信為公に引き継がれた。
材木の調達は後に玉縄城主と成る北条綱成(つなしげ)公が材木奉行を担当し、強い経済力と多摩川や呑川や目黒川の水軍を保有する横浜市南区蒔田御所(まいたごしょ)と世田谷区世田谷城主の蒔田吉良頼康公が大活躍しました。万単位の水夫を集め材木を筏に組み南関東から集積された材木を大河川の貯木場に集積すると、東京湾経由で当時は海だった中区関内辺りの旧:蒔田湾に海上移送、更に本牧半島を沖の海を越え材木奉行北条綱成公の付家老の間宮康俊公の軍港である磯子区杉田湊(みなと)に集積し鎌倉の復興の資材調達に成功する大活躍を成し遂げた。
いわゆる織田信長公の時代の本格的な戦国時代に成ると、未だ名前が長尾景虎(かげとら)だった時代の上杉謙信公が上杉家の養子入り上杉謙信と名を改め小田原城攻めの際に関東管領を継いだ参詣に訪れている。
江戸時代にも徳川家光公等によって境内の造営が行われ壮麗な社殿や大伽藍(がらん=宗教建築)を誇ったが明治時代の神仏分離令と仏教弾圧で寺院機能を持った僧房は解体され八幡宮の神社機能だけが存続し現在に至る。
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