歴史を通じて知り合った京都人の友人が東京に転勤に成って来て、彼が先輩と衣笠城を散歩すると言うので、実体験に基づき歩いて回れる周辺の由緒有る城址と神社仏閣も紹介してあげた。
コレ、横須賀歴史散歩に興味の有る人には御勧めのコースなので皆さんにも紹介したいと思います。
朝の9時に集合してミッチリ夕方日没寸前まで体力に任せて遊べる歴史散歩コースです。


【スタート】
1横須賀中央駅バス停→16分乗車→衣笠城址バス停降車→徒歩15分→衣笠城跡(大善寺)

2汐入駅→徒歩4分→汐留バス停→乗車20分→衣笠城址バス停→徒歩15分→衣笠城跡(大善寺)

①金峯山大善寺
 衣笠城内に在る旧三浦家学問所だった寺院。
元は真言宗寺院だったけど室町時代、曹洞宗信徒だった北条氏綱公の三浦半島統治開始頃に曹洞宗に改宗した。
平安時代真言宗時代からの伝統も三浦の殿様の伝統である護摩行を文化として守る為に行う寺院でもある。三浦家の家祖である三浦為継公の守護仏である不動明王を現在も祀る。

②衣笠城址
平安末期~鎌倉御家人三浦家の本家滅亡までの本城。
 遺構は横浜横須賀道路建設による分断等も経ているが平安時代末期の城なので自然地形を使用し、主要部分を削平して山裾を崖地にした程度の山城。一部風化した直線の土塁等も有る他、御稲荷様周辺からは供養の経筒等が出土している。
三浦氏の本城だった歴史と嘗(かつ)ての繁栄を物語る様に城下には三浦家所縁(ゆかり)の寺院や神社が徒歩圏内に何軒も集まっている。
石橋山の合戦で源頼朝公を大将に土肥実平公、岡崎義実公等が源氏再興の挙兵を行った際に、当時の三浦家当主の三浦義明公は88歳の高齢で源頼朝公援護の為に源氏側参戦を決定。ところが源頼朝公は大庭景親率いる平氏の大軍に敗戦してしまい湯河原町から海路房総半島に撤退する事に成った。更に畠山家率いる平家軍2万の大軍も三浦家討伐に鎌倉市側から侵攻し、住吉城で三浦義明公の子、三浦義澄公と孫の和田義盛公の軍勢が衝突し戦端が開かれると、葉山の鐙摺城も落城、三浦家は源頼朝公保護と三浦水軍温存を両立し房総半島へ撤退する為、平家軍を最低限の兵力で三浦半島に釘付けにする必要が有った。
その際に三浦義明公はわずかな兵力で平家軍を釘付けにする‟囮(おとり)”の役割を買って出て故意に三浦水軍の集結する怒田城の船倉から遠い本城の衣笠城に籠城し、矢尽きるまで戦い見事に源頼朝公と三浦軍の温存と房総半島への撤退を成功させた。

衣笠城址⇔満昌寺
徒歩17分。
 満昌寺~近殿神社~薬王寺旧跡~清雲寺は各徒歩5分

③義明山 満昌寺
源頼朝公開基の三浦義明公菩提寺。
三浦義明公による衣笠城籠城の囮作戦成功により、源頼朝公が存命し三浦軍が温存され後の房総半島接収と関東領有そして鎌倉幕府設立へと繋がった事を感謝し、源頼朝公が命の恩人である三浦義明公の菩提を弔(とむら)う為に開いた御寺。
源頼朝公の御手植えの躑躅が有る他、三浦義明公の御廟所の発掘調査で出土した遺品の鎖帷子(くさりかたびら)や刀が展示してあり事前に電話で問い合わせてタイミングが合うと遺品も見学させて頂く事が出来る。鎌倉武士らしい武勇と忠義を語り継ぐ御寺。

④近殿神社
主祭神が三浦義村公の神社
鎌倉時代の三浦家本家の最後の当主と成った三浦義村公を主祭神として祀(まつ)る神社。
吾妻鏡では悪役にされる三浦義村公だが、実は善政を行い個人的な武力に秀でた名将だった事から令和の現代に成っても三浦半島の人々に慕われている。
横須賀市域のみならず、墓所のある三浦海岸の金田漁港前の岩浦八坂神社でも今でも三浦義村公が地元の方々に大切に祀られている。

⑤薬王寺旧跡
寺院跡は宅地化で消滅したが三浦義澄公墳墓が残る。
石橋山での源氏軍救援作戦で三浦水軍を率いて小浜(葉山港)から出撃した武将、三浦義澄公の御墓が盗掘されてはいるが現存している。鎌倉幕府設立に一番の貢献を果たした武将でもある。

⑥清雲寺
戦国大名と成った佐原三浦家の菩提寺。
佐原三浦家の戦国時代の本拠地は伊勢原市平塚市に股がる巨大城郭の岡崎城→三浦市油壺マリンパークの新井城。
鎌倉時代に成ると鎌倉幕府設立の元勲と成った三浦本家と執権の北条家の間で激しい対立から宝治合戦と呼ばれる内戦が鎌倉市街で起こり、三浦家本家は敗退し滅亡する。すると分家の佐原城主の佐原氏が三浦家を継ぎ存続し、鎌倉幕府滅亡後は足利家臣と成って鎌倉公方を支え室町時代の中期に成ると三浦半島~平塚市伊勢原市を支配する戦国大名化に成功した。
その佐原三浦家の鎌倉時代からの菩提寺が、この清雲寺。

清雲寺⇔佐原城徒歩24分。バスより歩いた方が早い。

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⑦佐原城
佐原三浦家家祖父、佐原義連公居城。
石碑のみ。遺構は私有地の山中で入る事が出来ない。
佐原義連公は多田行綱公と鵯越の逆落としを源義経に対し献策した知勇兼備の名将。
石碑のある山一帯、ゴルフ場や野球場を取り囲む山々が佐原城。
史跡としては見学出来る場所が乏しいので、ここを飛ばして怒田(沼田)城跡に先回りしても良い。

●清雲寺⇔怒田(ぬまた)城
●佐原城⇔怒田城
上記各2パターンの経路


⑧怒田(沼田)城跡
県指定史跡吉井貝塚を内包する和田義盛公築城の名城
真福寺~吉井貝塚にかけて自然地形を裾切りした大空堀り、曲輪や横堀跡が良く残る。
山上は曲輪郡の地形は良く分かるが発掘された空堀が縄文時代の貝塚地層の為に保護の為に埋め戻されており、空堀の幅が解る様に杭が打ってあり史跡として整備されている。しかし史跡の部分よりも農地部分にふんだんに城址の地形が広がり、未発掘部分も広大な城域だった事や縄張り的に室町時代にも活用されていた事が窺(うかが)い知れる。

⑨眞福寺
怒田城址に在る江戸時代の浦賀の廻船問屋江戸家が再整備した‟マリア観音”様を祀る浄土宗寺院。

目前の森が徳川家御用林で、怒田城の堀切跡と思われる御用林の道が旧鎌倉街道で西浦賀まで歩いて行ける。この旧鎌倉街道を利用して江戸時代に浦賀⇔鎌倉に物資を供給していた江戸屋と言う廻船商人の家によって寺院化が進んだ。江戸時代に浦賀港が国際港だった歴史を辿(たど)れる。

眞福寺~浦賀港の西叶神社は徳川家御用林を歩いて徒歩25分。

⑩叶神社(西叶神社)
源頼朝公と文覚上人が開いた神社。
主祭神は倭建命(ヤマトタケルのミコト)。
元寺院の神社で東叶神社と合わせて御参りすると縁結びの御利益で有名な神社。勾玉と袋を双方の神社で買いSetにすると良縁成就の御守りが完成する。
社殿の彫刻が立派で横須賀市市民文化財に指定されていたりする。明治時代には明治天皇が御幸された場所でもある。

⑪浦賀の渡し(西渡船場)
行き先(東渡船場:東叶神社近く)
平安時代から重要視された浦賀港の渡船場で、今も安価で船に乗って西叶神社⇔東叶神社を往来する事が出来る。ブザーを押すと船が迎えに来てくれて便利。

⑫叶神社 (東叶神社)
源頼朝公と文覚上人が開いた神社で西叶神社と合わせて参拝すると縁結びの御利益が有る事で有名。
背後の山は戦国時代の浦賀城。
主祭神は八幡大菩薩=応神天皇。元寺院の神社で縁結びで有名な神社。
勾玉と袋を双方の神社で買いSetにすると良縁成就の御守りが完成する。
背後の山は室町時代に三浦一族の横須賀氏の居城だった浦賀城。戦国時代に成ると北条家の城として活用された正に三浦半島の歴史を伝える神社。
勝海舟も咸臨丸でアメリカに行く前にここに滞在していた。

⑬浦賀城
鎌倉武士三浦家と戦国大名北条家に受け継がれた水軍基地の城。
東叶神社の境内から登る事が出来る城で、頂上の展望が良く浦賀港を見渡す事が出来る。
鎌倉時代に栄えた三浦家から戦国大名の北条家に受け継がれた三浦水軍の重要基地。
城に登る中腹にはサロン・アカンサスと言うオシャレな英国式喫茶店が有る。

浦賀駅
東叶神社⇔浦賀駅:徒歩15分
ゴール!

これ早朝から動きたくない人は①~⑥、⑦~⑬の2回に分けて訪問しても良いと思う。
小生は2回に分けて地元の人捕まえて取材に時間を割いていました。
歴史だけでなく森の緑が気持ちい散策に成るので是非、興味ある人は歩いてみて下さい。

もし車での移動で元気モリモリなら余力を駆って更に巡りたい付近の観光地も下に纏めて置きます。