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玉縄桜と言う平成に成ってから種苗登録された新しい早咲きの桜を皆さん御存知ですか?
写真が玉縄桜です。
2021年02月28日に訪問した際に9部咲き~満開を迎えていましたので今週末までが最盛期だと思います。
この桜が今、日比谷花壇が支援している元:神奈川県立大船フラワーセンターで見頃を迎えています。
ここの良い所は同時期に沢山の品種の梅が50m程度の梅の並木道として整備されていて、玉縄桜と各種の梅が同時に満開に成る様子を楽しめる事です。
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大船駅から徒歩で15分くらい、車も駐車場が完備されていて首都圏から行きやすい場所です。
大船フラワーセンターだけでは物足りない人は、直ぐ近所に良い御寺も有りますので推薦したいと思います。
日比谷花壇 大船フラワーガーデン
上記公式ホームページて季節ごとの展示や催事を確認できます。
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入口のゲートをくぐると上の写真の一株だけ玉縄桜が有りますが当然これだけではなく、時計回りで園内を見学すると外周沿いにずっと玉縄桜が見れて最後に温室で熱帯植物を見学し、ゲートの売店の前に辿り着き鉢植えの花を購入する事が出来ます。
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他にも花桃の花等も見頃でした。
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おかめ桜もとても綺麗で近所の鎌倉女子大の生徒やデートに来たカップルの若者が非常に喜びながら写真を撮影していました。
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綺麗でしょう?
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梅は梅林と言うほどには植樹されていませんが、様々な種類を一度に観賞出来るように並木道が整備されています。
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温室の展示もとても綺麗ですよ!
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とにかく一見の価値が有るので、大船駅で昭和のスター達に愛された大船軒の鯵の押寿司を購入してお弁当持参して来たりしても良いピクニックに成るかと思います。
でも・・・
「お花だけじゃ物足りないよ~!」
・・・と言う人や小生のブログの読者には歴史ファンも多いかと思います。
御安心下さい。
「あるよ、近くに歴史史跡」
みたいな?
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曹洞宗 陽谷山 龍寶寺
龍寶寺(りゅうほうじ)と言う戦国時代の関東最強の武将だった北条綱成公や江戸時代の徳川家宣公~家継公を支えた側用人の新井白石が支援した御寺があり、玉縄北条家の墓所もあり、旧御廟のあった尾根道も散策する事が出来ます。
更に境内の民俗資料館には上杉謙信公も攻略を断念し包囲を解かざるを得なかった玉縄城の縄張図(なわばりず:設計図)や地形の復元模型、そして鎌倉市の特産品で北条家の武将が愛用した雪ノ下胴と兜の具足一式や出土品も展示されています。
他にも近所に見所が有りますよ~。
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日蓮宗 光圓山 久成寺
この御寺は永正十七(1520年)に足利義澄公の家臣、梅田家によって開基されており鎌倉市内では比較的歴史は新しいとは言うものの既に500年余り地域に根付いた御寺です。
この足利義澄公は小田原城主北条氏綱公の父上で関東の英雄となる北条早雲(伊勢宗瑞)公に大名化の機会を与えた将軍です。義澄公は伊豆の堀越公方足利茶々丸の異母兄弟で、足利茶々丸に実弟の潤童子と御母堂の円満院を殺害されてしまいました
名前が茶々丸とか可愛いくせに全然可愛くないクソです。
これが元々永享の乱が発端となり関東から始まった戦国時代が東海や近畿より一足早く本格的に独立大名同士の領地争いに発展する契機になる事件でした。
伊勢盛時入道宗瑞(北条早雲)公

この時に足利義澄公に堀越公方討伐を命令されたのが今川家で家老に成っていた伊勢宗瑞公です。
つまり状況的には久成寺を開いた梅田サンの祖先は伊勢宗瑞公に与力し一緒に関東に来た元は足利義澄公家臣の同僚で後の北条家臣だった事が解りますね。北条氏綱公
伊勢宗瑞公が伊豆韮山城主として隠居し二代目北条氏綱公の時代にかけて鎌倉の防衛拠点築城改修した御城が2城有り、それが住吉城と玉縄城です。
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上の写真に見える断崖絶壁の鉄壁の地形が住吉城です。
鎌倉防衛網の最東端を担っていた要害で昭和までは下のマンションは海で波が岸壁を洗っていた堅城です。
城記号これは城を示す記号。
明治時代の迅速測図でも源氏谷(げんじがやつ)と呼ばれる崖上の谷にこの本丸マークが有るのですが、三菱財閥や大物政治家が別宅を建ててしまったせいで城として発掘されない時代が長く続いて巨大な城郭なのに開発の波にさらされてしまいました。
鎌倉防衛網 住吉城址 久良岐のよし
この通りです。
住吉城址の西に延びる岩の海岸は源実朝公が築いた人工的に造成された築港である“和賀江島(わかえじま)=わかえのしま(若江ノ島)”です。
現在は“ワカエジマ”で呼称が統一されている鎌倉時代に作られた日本初の人工埠頭の跡です。
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城址の前の小坪飯島公園は富士山の眺望が良く、稲村ケ崎と江ノ島と夕陽が一度に見える景勝地としても知られています。
まぁ埋立地なので関東大震災が起きたら津波に飲まれるのでしょうが。
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この写真は光明寺裏の天照山展望台から撮影したもので、神奈川の景勝50選にも選ばれています。
住吉城址の山は浄土宗大本山光明寺の山号に成っている天照山を含みます。
そもそも山の中腹に光明寺の守護神として天照大神を祀った事に山号が由来している訳で、山の名前ではなかったんですね。
鎌倉市街は実は鎌倉時代~室町時代の最後の鎌倉公方足利成氏公の長い時代をかけて所々が要害化されていて、小田原城を遥かに凌駕する広範囲が防衛網に組み込まれていました。
鎌倉防衛網 久良岐のよし
上は鎌倉防衛網をGoogleEarthで再現した画像です。
範囲は凄まじく鎌倉市街を超えて横浜市金沢区~栄区~港南区にかけて尾根道沿いに切通しや要害が築かれていました。
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先日、同じ南朝系の大名の子孫で歴史仲間の人間と、朝の9時に鎌倉駅に集合して鎌倉要害の主要部分を稲村ケ崎からスタートして登りルートでハイキングした際には歩行距離が21kmに及び、住吉城址に到着した時には日没直後の17時半くらい・・・
総合格闘家ばりの肉体を維持している友人はピンピンしていたのに対して柔道体型にリバウンドした小生は脱水症状と自分の体重で足攣(つ)ったりヘトヘトでした。
住吉城は鎌倉市の光明寺~逗子市の住吉神社にかけて広がる台地で伊勢宗瑞公によって改修される以前も古くは平安時代末期に三浦義澄公によて要害として取り立てられて、当時、平清盛の配下だった畠山重忠公率いる2万余りの代軍勢を三浦義澄公と和田義盛公が3千で迎撃した舞台として吾妻鑑に登場します。
・・・この光明寺や住吉神社は住吉城址ですが、もう一つの北条早雲(伊勢宗瑞)公が築城したのが長尾台の城塞と村岡城を取り込んで作った巨大城郭の玉縄城です。
長尾城~玉縄城跡~二伝寺砦~村岡城 久良岐のよし
長尾台と村岡の要害は平安時代の城ですが、それを取り込んで築いたのが玉縄城でした。
久成寺や龍寶寺、村岡の二傳寺や長尾台の古城の丘を取り込み築かれた城ですが、長尾台は由緒正しい場所で実は上杉謙信の御先祖に当たる長尾家本家の歴代の本拠地でした。
そんな地縁も有って、長尾台に日蓮宗徒の檀家さんの多かった久成寺が長尾台に荒れ果てていた長尾家歴代の墓所を引き取り、供養塔を祀ったそうです。
戦と流通経済の天才、上杉謙信こと長尾景虎公の御先祖の長尾定景公の菩提を現代に弔う御寺が、この久成寺な訳です。
更に源頼朝公の御先祖の源義家公に仕えた長尾家の御先祖の鎌倉景正公や更にその御先祖の鎮守府将軍を務めた平良文(たいらのよしふみ)公の本拠地だったのが村岡城で、その城域の一部と考えられており戦国時代の玉縄城の村岡砦としても機能したのが藤沢市域に入りますが、やはり日比谷花壇大船フラワーセンターからそう遠くない浄土宗の法戒山二傳寺(二伝寺)です。

おの御寺の直ぐ近くに村岡城址公園が有り、東郷平八郎元帥の祖先でもある平良文公や鎌倉景正公の居城でした。
ニ傳寺には平良文公達の上杉謙信公の御先祖の供養塔が有り、全部ひっくるめてゆっくり玉縄城巡りなんてしても大船フラワーセンターの満開の玉縄桜と梅と合わせて散策すると歴史好きにはたまらない一時に成るかと思います。

天気が良い日も多い春真っ盛り、皆さん車でも電車でも行ける日比谷花壇大船フラワーセンターにちょこっと桜と梅をいっぺんに見る贅沢な時間を過ごしに訪れて見ては如何でしょうか?

では、また次のブログ記事で御会い所ましょう~♪