歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

主に歴史旅、ときどきグルメ、けっこう富士山と季節の景色の写真大量のブログ。 中の人はオタク指向、でも2次元よりリアルが好き。   好きな曲はPharrell WilliamsのHAPPY♪

カテゴリ:城址・要塞・史跡・伝統文化 > 日本初の西洋文化発祥地

前回の記事⤵

コレ⤴の写真撮影行った時に“田浦引込線横須賀鎮守府十字交差線路”の存在は知らず、普通に引込線を見に行ったんですが、行く際に先入観に囚われない様に先ずは他の人の記事とか全く読まない様にして、田浦駅から引込線が横須賀鎮守府に伸びていた“七釜トンネル”の写真撮って、現地でGoogleMap見ながら・・・
「ん~当時の路線今の地図じゃ解らんな」
・・・と思いながら方角と地形で当り付けて写真撮影してたら色々と発見が有ったんですね。上の十字交差とか。
で、ちゃんと複数人の詳しい人に話しを聞きに行ってから資料集め始めて、当時の組織の後継団体とか会社とか、国の機関とかスンゴイ色んな所の学芸員とかに・・・
「何か記録無いっすか~?」
「史料無いすか~?」
「教えて下せ~!」
・・・とかの基本中の基本の質問から始めて、軍事機密の史料に行き着いたり、付随する情報として横須賀海軍飛行場(現日産自動車追浜工場)とかに話しが波及したり、今回転載許可出なかったんで掲載できないけれど終戦直後の横須賀飛行場で艦上爆撃機“彗星”が武装解除されてプロペラ外された写真が掲載されている書籍とか、空撮で野島公園にある零式艦上戦闘機を空爆から守る格納庫として造られた掩体壕と横須賀飛行場を繋ぐ土橋に彗星が写っている史料とか教えて貰ったりしました。
「掩体壕って何?」

・・・って人は過去記事⤴に少し写真掲載して書いているので興味有る人は読んで下さい。
で、教えて貰った史料を探して、史料見っけて、関係機関に掲載許可取り、その次は史料がデカイからスキャンする為に自動車部品製造業で設計部門にしか無い様な巨大なスキャナー使わして貰える場所探したり、そこまでやってゲンナリwww。
「あ~歴史面倒臭っ!」
・・・って成って記事の続き書くの放置して暇があると逗子とか葉山行って、ずっと森戸神社とか真名瀬の砂浜で宝貝拾って磨いてましたました(笑)。
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これ⤴ね。磨いた中で綺麗なの全部親類の子供達にあげちゃったけど。
因(ちな)みに貝殻拾ってた真名瀬海岸は葉山マリーナも近く綺麗な場所なので、興味が有る人は下の紹介記事を読んで見て下さい。

これ⤴真名瀬海岸の記事ね。
ちゃんと明治の鉄道関連の史跡も行って来ましたよ写真撮影し直しに。
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ここ⤴赤煉瓦倉庫(新港埠頭引込線税関倉庫)とかね。
赤煉瓦倉庫も次回解説する高島線の引込線鉄道史跡の一つだったりします。
今回はコッチ⤵田浦引込線・・・
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では~気まぐれクック風にぃ~1ヵ月半ぶりに歴史解説して行くっ♪

さて、JR田浦駅で皆さん電車を乗降した事はありますか?
多分ほとんどの人が無いですよね~?
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上の写真は今回のJR線ではなく京急田浦駅近くの田浦梅林の写真ですが、ここJR田浦駅を利用する人も地元田浦の人達か、梅の季節に田浦梅林にピクニックに行くハイカーくらい、後は海上自衛官だけですからね~。
で、既に“海上自衛官”と言うワードが出て来るわけですが、田浦駅は明治三十七年(1904年)、国内で早い時期に鉄道省に由(よ)って横須賀駅~逗子駅が開業した際に付属駅として開かれたそうです。
そこら辺は疑問が有ったら小生に聞くより鉄道オタクに聞いた方が早いかも知れません。

この神⤴とかね。
横浜国大留年してまで電車乗りまくってただけでなく、旧中山道をチャリで走破しようとする良い意味で変人要素の強い鉄道古道オタクなハイスペック紳士の動画は“ウメゴールド”さんの動画と双璧を成して歴史オタクの皆さん、街道好きの皆さんにオススメです♪

この二人の動画、小生のブログより100倍面白いと思うので時間が有る人は是非視聴して見て下さい(笑)。
小生は鉄道全体は詳しくないので今回は引込線の中の“十字交差線路”が文化財指定するべき場所として紹介する為に解説させて頂きます。
んな訳で田浦駅のプラットホームに戻りましょう~!
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左に見えている途中でブッタ切られてる線路が昔の引込線で、横須賀鎮守府の弾薬庫や水雷艇訓練学校方面へ続いていました。
先ずは全体像を皆さんに見て貰いましょう~♪
横須賀鎮守府 田浦引込線再現 久良岐のよし 
※クリックして拡大して見て下さい。
上の画像のGoogleEarthの画像に小生が調べた全時代の横須賀鎮守府の引込線を時系列無視して黄色い線で全て表示した物です。
複雑に線路が有ったのが良く解りますよね~!
この貨物線用の引込線が廃線に成ったのは平成十八年(2006年)の事でした。個人的にこの決定は海上自衛隊にとっても米海軍第七艦隊にとって後々打撃に成ると思います。何故なら化石燃料を使ったトラック輸送は運用比率が下げざるを得なく成ると思いますからね、物理的にコンテナ輸送の運用方法が昭和初期の頃の方法論に戻さないといけなくなる様な気がします。
リチウム使った燃料電池は仮想敵国が産出国で相手にイニシアティブ握られますからね、かと言って水素エンジンを本気で日本政府がやる覚悟が無いしアメリカも全然水素エンジンに興味が無い。
だから将来的に環境問題でトラック輸送は減らさざるを得なく成り、コンテナ車輛の輸送は鉄道が主流に成り、貨物駅から中型の電気自動車か水素エンジン自動車に荷役業者がパレットで積み替える昔の手法に回帰すると個人的には思うんです。
まぁ、そんな訳で貨物線をバッツバツに廃線にしまくってる連中は「海外の思惑踏まえた長期的な視野有る?」と思う訳です。
継往開来と言う言葉を知らない連中が多いみたいですね、今の地方自治体の役人や経営者。
目先の事しか見ておらず都市計画と兵站をマイナーチェンジじゃなくてデチューンしまくり。
そんな感じで貨物線路が神奈川県内の特に横浜と横須賀で撤去されまくっている中、JR田浦駅から延びていた引込線は廃線に成って20年以上経ちますが“七釜トンネル”は今も健在です。
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七釜トンネルこの3つ並んだトンネルは実は戦争遺産の引込線のトンネルとして文化財として価値が有るだけに留まらず日本でも珍しい明治~大正~昭和と武士の時代が終わり日本が近代化を果たした3つの時代の建築遺産が揃っている場所なんです。
右の赤煉瓦のトンネルが明治時代の建造、真ん中のトンネルが大正時代、左端が昭和初期の建造のトンネルで引込線の為に作られた場所です。
ここでチョット、帝国海軍で軍事機密扱いにされていた当時の地図を見てみましょう~。
長浦①明治三十六年第一回修正
※ここから登場する軍事機密の測量図は各時代の測量図の権利者の後継団体である国土地理院に許可を得て掲載しまています。
ん~データ化してスマホやPCで見ても細かすぎて良く解らんでしょうか(笑)?
田浦明治三十六年
※拡大して見て下さい。
先程、田浦駅は明治三十七年(1904年)の開業と紹介しましたが、上の地図は明治三十六年(1903年)の地図です。確かに田浦駅は未開業の様ですし、引込線も存在しませんよね?
更に言えば先程見たGoogleEarthの地形とも全く異なっていますよね?
横須賀鎮守府 田浦引込線再現 久良岐のよし 
そう!これ海上自衛隊の方々は良く御存知なのですが現在の自衛隊の田浦基地は何と災害に弱い埋立地なんですよ!
岸田総理!海上自衛隊の基地は埋立地に置くのは危険ですよ!
関東大震災が来たら沈下して海没するか津波が来たら東日本大震災の様に地盤が液状化して建物が倒壊する可能性も多いに有ると小生は予測します。
これ海自の基地、嵩上げしちゃいましょう総理。
実は今リニア新幹線のトンネル掘削で排出される土砂の投棄場に困っています。
業務委託された会社が自然豊かな水源地の渓谷に熱海の土石流発生地点みたいに盛土による埋立てを行っており社会問題に成ったりしています。

水源や海の埋立てに関しては嘗て西武グループが三浦市の風光明媚な矢作湾を埋め立てた挙句、景観を破壊しただけで何にも活用せず今も負の遺産に成ってたりもしますよね?
下の古い地図は迅速測図です。
矢作湾 久良岐のよし
※農研機構が“歴史的農業環境閲覧システム”として製作した物で開発者の方から転載の許可を得ています。又、歴史的農業環境閲覧システムは皆さんも農研機構の名前を記載すれば転載して良いとも確認を得ているので是非、明治時代の地形と比較して災害発生予測等に活用して下さい。
そこで提案なのですが、この様に自然地形を埋めて風光明媚な景勝地や豊かな漁場を消滅させたり熱海の様に水害や土砂崩れ等の災害の要因を作り出すのを禁じる為にも埋立技術が未熟だった時代の埋立地である田浦港や横浜の関内地区や鶴見区沿岸部、古文書で海没して海中に消え失せた村が有った事が確認出来る横浜市金沢区並木や幸浦の埋立地を関東大震災に備えて嵩上するのにリニア新幹線と横浜の相鉄線と東横線の直結化と将来のミナト未来線の延伸で発生するトンネル工事の土砂を利用したら良いのでは?
・・・と今回、田浦の地形変遷を調べていて歴史オタクとして思っています。
岸田総理と山口代表、この提案目にしてくれないかな?
で、田浦付近は地形が変わりまくっている訳ですが・・・
ここで又、軍事機密扱いだった測量図を現代まで各時代で比較してみましょう。
明治三十六年(1903年)
長浦①明治三十六年第一回修正
大正十年(1921年)
長浦②大正十年第二回修正測圖
昭和二十五年(1950年)
長浦③(田浦)昭和二十五年第三回修正測量
昭和三十五年(1960年)
長浦④(田浦)昭和三十五年史料修正(行政区画)
うん!やっぱり全体図じゃサッパリ解らん(笑)。
では拡大して迅速測図、軍事機密測量図、国土地理院地図航空写真を比較して時系列で地形の変化を見てみましょう。
これを見ると横須賀線が無かった時代~田浦引込線の延伸~空爆による被害~再建~撤去の過程が有る程度は解ります。
【明治十九年(1886年)】
迅速測図田浦 農研より拝借 久良岐のよし

【明治三十六年(1903年)】
田浦明治三十六年

【大正十年(1921年)】
田浦大正十年

【昭和二十年(1945年)】
田浦港周辺1945年

【昭和二十五年(1950年)】
田浦昭和二十五年

【昭和二十六年(1951年)】
田浦港周辺1961年

【昭和三十五年(1960年)】
田浦昭和三十五年

【昭和五十四年(1979年)】
田浦港周辺1979年

【昭和六十三年(1988年)】
田浦港周辺1988年

【平成十九年(2007年)】
田浦港周辺2007年

【令和元年(2019年)】
田浦港周辺2019年
各写真を拡大して見ながら比較すると引込線の様子が有る程度は見えますよね?
どうやら終戦直前の航空写真では米軍による横須賀空襲で鉄道もバッキバキに破壊されている様です。
田浦港周辺1945年
ところが1970年代には復興された引込線は再大化しています。
田浦港周辺1979年
終戦直後の輸送網の再大戦力が鉄道輸送だったからですね。
でも、その後2007年には画面右側の吾妻島と新井掘割を挟んで対岸の現在の比与宇トンネルを抜けた先、線路が撤去されています。
田浦港周辺2007年
比与宇宇トンネルは鉄道マニアには“スイッチバックする為に作られたトンネル”と言われていますが、この軍事機密の地図と衛星写真から解る通り、田浦駅から引込線は直ぐに更に2本に分岐し比与宇トンネルに向かう線路と直行する線路が存在し、新井掘割で掘り切られて丘に成った比与宇トンネルの山を1周する線路だった事が判ります。
つまり!鉄オタの認識は戦前の歴史を知らない人が流布した戦後の線路の話で、比与宇トンネルがスイッチバックの為に作られたと言うのはデマな事が判りますね。
横須賀鎮守府 田浦引込線再現 久良岐のよし 
小生が引込線の全路線を再現した上の再現図も同時代に全てが有った訳では無さそうです。
ここからは現地を歩いた小生の写真を交えて解説に移ります。
【明治三十六年(1903年)】
田浦明治三十六年
最初に田浦駅引込線が出来た当初は田浦駅も無く横須賀線は横須賀駅に直進しています。

【大正十年(1921年)】
田浦大正十年
大正十年では田浦駅も確認出来ますし引込線が敷設されています。
田浦駅から引込線が分岐して七釜トンネルを抜け、トンネルを抜けた先で小さな鉄橋を渡って真っ直ぐ進み右手の新井掘割水路に向かっています。
CIMG4104
この鉄橋は草にまみれ線路の枕木は朽ちていますが現存しています。
鉄橋へは地図の青い屋根の堀硝子サンの工場と川の間の歩道を奥まで行くと鉄橋の手前まで辿り着けます。
ただ大正十年には比与宇トンネルは未だ無く新井堀割方面でスイッチバックしてこないといけない不便な構造だった様です。
更に時代が下って昭和に成ると戦時中には既に比与宇トンネルが完成しいた事が判ります。
【昭和二十五年(1950年)】
田浦昭和二十五年
終戦直後の昭和二十五年の地図を見ると比与宇トンネルが山を穿(うが)って線路がグルッと1周回る構造に成っていますが、この地図のままだと田浦駅から直進して比与宇トンネルを通過する1周回るルートでしか地図上で“田浦港町”と記載された地区の方へ行けない不便な構造に成っていますが実際は記載されていない分岐点が有ります。
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その場所が写真の曙機械さんの前にV字型の空き地と線路の2021年現在は未撤去部分が残っている場所で、このV字が正に分岐の有る場所でした。
ここで田浦駅から引き込まれた貨物線は2路線に分かれ、一方は比与宇トンネル方面に右折、一方は直進していた訳です。
つまり曙機械さんの前の分岐が有るので新井堀割へ直進せず比与宇トンネルに向かいトンネル内でスイッチバックすれば効率的に深浦船越方面(西側)の引込線に行く事が出来た様です。
最近までこの砂利に切替ポイントの器具が現存していた様です。
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残念ながら名残りは線路の残存部分以外に残っていません。
比与宇トンネルに行く方面は少しだけ線路が残存していました。
曙機械さんの横から鉄橋への線路も現存していましたが藪化が激しく夏時点ではとてもじゃないけど歩ける状態ではありませんでした。
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これが太平洋を守る自衛隊と米国第七艦隊の兵站をささえた線路へ何の感謝も無い酷い仕打ちに感じてしまいます。線路に乗ると枕木も腐って消滅していたり固定も外れてボヨンボヨンしていました。
この分岐点で比与宇トンネルへ行かず直進した線路は比与宇トンネルを1周して帰って来た線路と交差する事に成ります。
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旧海軍横須賀鎮守府 
比与宇トンネル前引込線交差
これが横須賀鎮守府の比与宇トンネル前引込線十字交差です。
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横浜市にはデニーズの第1号店が存在します。
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港南区上大岡のイトーヨーカ堂内に存在する店舗がデニーズの日本1号店なのですが、この事を知っている人は横浜市民でも余りいないと思います。
実は小生は横浜の戦国武将の間宮康俊公と、その御一門の顕彰活動でこの上大岡近辺の鹿島神社や源為朝公の石碑の写真撮影等に来ていたのでこのイトーヨーカ堂上大岡店に車を停めさせて頂いて買物をして帰ったり食事をしたりする事も有りました。
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流通業界もコンビニの台頭でシェアを奪われて、老舗のスーパーも大変な様です。
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多分、上大岡駅周辺の発達とともに開店したであろう店舗なので、40年位の歴史の有る御店なんじゃないかと思います。
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結構広く、品揃えも良いだけに、この店舗が無くなると周辺の人は困るんじゃないかなぁ~と思います。
何よりも、デニーズの1号店が無くなってしまうのは横浜市民として悲しい。
丁度、最近ジムに通い始めた事も有って、室内用の運動靴を改めて購入しようと思い、デニーズで記念の食事も兼ねて、2017年01月28日は上大岡のイトーヨーカ堂を訪れて、閉店し消える店舗の写真も撮影して来ました。
流石に歴史史跡でも宗教施設でも無いので、存続希望活動をする訳にも行かないし、民間企業には健全に成って貰わないと日本の為にも成りませんしね。
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さて、上大岡のデニーズは1号店な訳ですが、間宮家の顕彰活動で知り合った地元の人の話では昔から内装は余り変わらず、写真の様に明るい店舗だったそうです。
昨日、小生はビーフシチューとオニオングラタンスープを頂きました。
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特にオニオングラタンスープが美味しかったです。
店長さん、綺麗な給仕担当のウェイトレスさん、可愛らしい会計担当のウェイトレスさん、本来は花形なのに裏方として店を支え続けた調理担当のスタッフさん、横浜市の誇りであった1号店の運営、今まで頑張って下さってありがとう御座いました。
出来れば、イトーヨーカ堂店舗の跡地に建つ次の建築物に、デニーズ一号店、建て替えと言う名目で再建して営業継続して欲しいなぁ~。
・・・と、思うのは小生だけでしょうか?
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ブログネタ
旅に出よう! に参加中!
神奈川県外の人は余り御存知無いかも知れませんが、横須賀ベースの米兵が集まる飲み屋街として一昔前まで賑わった「ドブ板通り」と言う商店街が有ります。
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米兵が横須賀ベースに駐留する数が減少したり、過去の素行の悪さから横須賀ベースが躍起になって改善させた夜間行動のモラルが向上したのが影響したのかBARも大分と減ってしまいました。
昔、2000年くらいにSEGAから発売されていた羨慕(シェンムー)と言うGAMEで舞台に成ったのも、全盛期、昭和60年代位のドブ板通りでした。
羨慕タイトル
※ゲームのケースのジャケット借用。
少し寂しく成ってはしまいましたが、その代わりに海沿いに地魚や地野菜を販売する大型直売所が出来ました。
流通形態事態が商店街形式から大型店舗形式全盛に変容したので、神奈川県下はどの商店街も厳しいですね。
小生は大型量販店の色気の無さが大っ嫌いなので、商店街や市場、漁港や農家を訪問し直接自分で買い付ける食品を選ぶ方が好きなので良く商店街の名店を応援する記事を書いたりしています。

このドブ板通りには、米国海軍 太平洋第七艦隊 横須賀ベースの御膝元だけあり、ネイビーバーガーやタコス、ハワイアンパンケーキを出すCafeの名店が数件有ります。…まぁ、観光地価格ですけど。
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以前紹介した⤴(←クリックで記事リンク)もその一軒ですね。
Cafeと言ってもコーヒーを出す店じゃなくてRestaurant-Barの事です。
だから本格的なバーガーだけでなく御酒を飲めます。
当然、在日米海軍の方や、その家族の皆さんも飲みに来ます。
今回は、この界隈で一番有名なCafeを紹介します。
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その御店はHONEY BEEと言う御店です。
もう、入口から一昔前の日本人が想像する通りのアメリカチック(笑)な御店ですが、ここに来ると「横須賀に…来たぁ!」的な雰囲気丸出しです。
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TACO FACTORYと書いて有りますが、これ、店長さんが田戸(たこ)さんだからだと思います。
キャラクターの蜂が可愛いですね~。
…でも、店員さんは男ばっかで全然可愛くないですよ(笑)。
内装はこんな感じ…
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もう…
完全に…
80年代の映画で見たアメリカの世界観丸出しですね~。
ここのハンバーガーはアメリカンスタイルなので、パテに全く繋ぎを使わない牛100%です。
だから食べごたえが有りますね。
小生は、アメリカンスタイルのハンバーガーも好きなので横須賀に来なくても、横浜の大桟橋(国際客船ターミナル)近くのJack Cafeにもハンバーガーを食べに行ったりします。
で、このHoney Beeのバーガーですが…
今回は横須賀を満喫して帰りたかったので名物Navy Burgerを注文しました。
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デカいでしょ?
マスタードとケチャップは御好みでどうぞ。みたいな。
肉の味が濃くて、すげぇ~肉々しくって肉食ってるぞぉ~!って感じです。
ちなみに価格は1200円位。

この御店の情報はこんな感じ
【1人予算】
1000円~3000円
【最寄駅】
横須賀中央駅か汐入駅
【住所】
〒238-0041 横須賀市本町2-1 本町ビル1F
【電話】
046-825-9096

三笠公園に世界三大記念艦の戦艦三笠を見学に来たり、ドブ板通り界隈に来たらハンバーガー食べて帰るのも良い記念に成りますよ!
※戦艦三笠の記事は「前編記事」「後編記事」←クリック!
この店は横須賀海軍カレーも提供しています。
三笠公園周辺~ドブ板通り界隈は横須賀海軍カレーを目玉にしている喫茶店も多いので、そちらも御勧めですよ!

では、又、次の記事で!
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ブログネタ
神社・仏閣 に参加中!
前回、君が代の発祥地である妙香寺さんを紹介する記事を書きましたが、今回はより詳しく説明する為に「テニスの発祥地」でもあり元々は妙香寺さんの寺領だった「山手公園」を紹介したいと思います。
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この建物、何かのオカルト記事とか、都市伝説のTV番組とかで見た事が有りませんか?
実は、この建物は日本で最初に吹奏楽=ブラスバンドのコンサートが行われた場所なんです。
今では山手公園として整備されており、後で説明しますが若かりし頃の今上天皇陛下御夫妻もこちらに来られた事がありました。
そして、この場所は…
フリーメイソンの日本最初のロッジが在った場所でもあるんですね。
今では山手の中の端っこの野原みたいに成っていますが、実は凄い由緒の有る東屋なんです。
最初のコンサートの場所だからでしょうか?ベンチも東屋を取り囲む様に配置されています。
…まさか幕末当時のままの配置ではないでしょうが。

この山手公園は近くに「日本のビールの発祥地」麒麟公園や…
※麒麟公園記事⤵

この山手公園を含む広大な寺院で空海和尚や日蓮和尚と直接の所縁の有る妙香寺サン・・・
※妙香寺の歴史の話しの記事は「ココクリック!
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…から歩いて直ぐの距離に在ります。

位置関係を下の衛星写真を御覧下さい。
山手公園位置関係
全て徒歩圏内です。
因みに前回の記事でも少し触れましたが、この妙香寺の丘一帯が幕末時、イギリス軍の駐屯地として利用されていました。
衛星写真の右上、今の港の見える丘公園の辺りはフランス山と呼ばれていますが、そのまんまフランス軍の駐屯地でした。
港の見える丘公園からも近いので、山手の洋館見学がてら散歩に来て歴史に触れるのも悪くない休日を過ごせる事間違い無しですよ!
幕末、この本牧半島には沢山の外国の領事館が在り、軍人も居た訳ですが…
まぁ~、軍と言っても、在日外交官を守ったり移動に利用される軍船の将兵程度で恐ろしい占領軍とかではありませんでした。
…占領されるのは太平洋戦争の敗戦後です。
本題に戻りましょう!
山手公園に行く目印は、住宅街の中に見えるこんもりとした森の麓の下の写真の道標ですかね。
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これならトイレに困ってる人も助かりますが、公園を強調したいのだかトイレを強調したいのかサッパリ解らない(笑)!
因(ちな)みに、この付近には麦田トンネルと言う隧道が在り、明治時代に新橋~横浜(現・桜木町駅)間で開通した蒸気機関車は、その先まで延伸され麦田トンネルを通っていました。
それだけでも想像するだけで大正浪漫を感じるのは小生だけでしょうか(笑)?
小生の横浜の祖母の家は明治~大正時代にシルク商人だったのですが、大正時代まだ女性の学生が珍しかった当時、日本初の女学校「フェリス女学院」に「蒸気バス」で通学したと言っていました。
…英米との戦争さへ起きなければ、日本は和洋折衷の大正文化が花開いた頃の栄華を更に発展させた美しい時代を実現できたんでしょうかね~?

「歴史に「if」は無いし考えるのは無駄」

…と、言うのが持論の小生なので、この話は置いておきましょう(笑)。
フェリスや麦田トンネルも近い山手公園ですが、冒頭で申し上げた通り、「日本の国家」である「君が代」の発祥地であり、吹奏楽の発祥地であり、テニスの発祥地でもあります。
最初に吹奏楽の話をしているので、次は国家君が代の話をしましょう。

今回の記事のタイトルは「歴史を知らないアフォ左翼が発狂しそうな題字」ですが(笑)、実は歴史を知ってるつもりの極右も発狂する歴史事実を説明しないといけない回なんですよ~。
な~んにも知らない人が多いと思いますが…
日本の国家君が代は、天皇陛下礼賛云々以前に、日本人では無くて「イギリス人が作曲した曲」と言う事実を御存知でしたか(笑)?
国旗
国家「君が代」は明治02(西暦1869)年の秋、英国領事館の護衛武官として来日していた英国陸軍常備歩兵隊第10番大隊長付きだったジョン・ウィリアム・フェントン軍楽長により作曲されました。
その後、明治03(西暦1870)年の09月08日今の東京都江東区に当たる江戸時代当時の「越中島公式に御披露目されました
薩英戦争以来、島津家と英国は協力関係に在った関係で、島津家薩摩藩は英国から様々な近代技術と西洋文明を技術供与されていました。明治02(西暦1869)年の戊辰戦争終結後、島津家薩摩藩と毛利家長州藩を中心に樹立された明治新政府は日本の早急な近代国家化を目指す必要が有りました。フェントン軍楽長に近代国家として国歌の必要性を説かれた新政府は、島津忠義公と共に鹿児島を出港した汽船に乗船して横浜に来航した薩摩藩の軍学生を当時の妙香寺に寄宿させ吹奏楽を学ばせました。君が代の歌詞選定は当時の砲兵隊長で後の陸軍大将と成る薩摩藩士の大山巌(いわお)公が中心と成って古今和歌集の賀歌部の中から選定されたんですね。
大山巌↓陸軍大将
大山巌
…だからね、全然、右翼の民族主義の歌でも軍国主義の曲でも無ければ、寧ろ、国際社会から必要性を説かれて後押しを受けて作曲作詞されたのが君が代なんですね。
その後、ドイツの海軍軍楽教師で音楽家のフランツ・エッケルト先生によって現在の曲調の君が代が完成されたそうでう。
…どうです?君が代って超!国際的で平和的で、更に外国人の方々が作曲の中核を担ったのに凄く日本的でしょう?
よく、日本の良さって日本好きの外国人の方が知っていたりしますけれど、それと似た様な感じで本牧半島の海に面した情景を日本らしい感じでフェントンさんやエッケルトさんが表現して下さったんですね♪
フェントン軍楽長とエッケルト先生に感謝!

因みに君が代が御披露目された越中島の地名の由来は、戦国武将で徳川四天王の1人、榊原康政公の兄君である榊原清政公の御孫サンの榊原照清公の屋敷が在った事で、その照清公の官職名の越中守に由来して命名されています。
偶然ですが、照清公は横浜の殿様間宮家と榊原家の血を引いた方でした。
戦国時代~江戸時代のこの横浜市東部を本牧奉行として治めた間宮家の分家、今の横浜市磯子区杉田辺りを領地にしていた杉田間宮家の当主である間宮信繁公の御姫様が榊原清政公の御子息の榊原照久公に御嫁入されていて、その照久公の御子息が榊原照清公でした。
つまり間宮家と榊原家の血を引いた方が江東区に屋敷を構えていたので、横浜市の本牧は江東区越中島と殿様同士の御縁が有ったりします。

薩摩とイギリスに話を戻します。
薩英の結びつきに関しては、薩英戦争で大英帝国様に敗北した薩摩藩が事実上の従属同盟をしていた的な解釈も成り立つので微妙ですが、その後のロシア帝国のアジア植民地化計画を打破した対馬海戦の折りにイギリスが国際社会に日本に協力する様に呼びかけて下さった御蔭で、ロシア帝国のバルチック艦隊は補給を満足に受ける事が出来ず、ヘロヘロな状態で大日本帝国海軍と交戦する状況を演出して下さったり、太平洋戦争で決別するまでは日本と英国は良き師弟の様な協力関係にあった訳で、正に、外交と戦争の良い面と悪い面、必要性と危険性の両方を示した逸話とも言えます。
そこら辺りは以前の記事「横浜開港資料館=元・英国領事館」を紹介した記事で詳しく書いているので、そちらを読んでみて下さい。
※横浜開港資料館の記事⤵

…ここまでハッキリとした歴史事実が伝わってるんですが、何故か極左教師や歴史事実を直視しない左派は「右翼の曲だ」とギャ~ギャ~大変な誤りを騒ぎ立てたり…
…右翼は右翼で「外国人作曲」と言う不都合な歴史は伝えようともしないんですよね(笑)。どっちもどっち。
…横浜生まれ横浜育ち以外のハマっ子でも知っている人間は少ないですが、知っている人は知っている君が代の成り立ちでした。
因みに、小生は「中道寄りの保守派」「法治主義者」だと思っています。
よく中国政府をコケにしながら中国文化好きだったり、矛盾した記事書いてるので皆さん、御存知だと思いますが(笑)。

さて、テニスの話に話題を移します。
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この、元・妙香寺の敷地である山手公園は、テニスの発祥地でもあるので、今でもテニスコートとテニス発祥記念館が在ります。休日は多くの初老の先輩方が男女で半合コンみたいな感じでテニスを楽しんでらっしゃるのを良く御見掛けします…
…小生等、現役世代はテニスしてるオッサン達世代の負の遺産で四苦八苦してるのに何だか不平等だよな…
とか思っちゃいますが、まぁ~、明治大正の先人が残して下さったテニス文化を発祥地で満喫するのは風流だから棺桶に片足突っ込んだ日本工業商業没落の戦犯世代ジジババも風流に免じて見逃してやろう(笑)。
…と、上から見るとイライラしないで済んだりする、心の狭い小生(笑)。
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このテニスコートは、若かりし頃の今上天皇陛下と美智子皇后様からもテニス発祥地として御来訪を賜り、テニスをされた事の有る、なんだかほのぼのとする聖跡でもあります。
あ、聖跡ってのは、皇族が何かした史跡の事ですよ。
東京都多摩市の聖蹟桜ヶ丘も、明治天皇が鷹狩りを楽しまれた場所だから「聖跡」って付くんですよ。
つまり、軽井沢のテニスコートも今上天皇陛下と美智子皇后様が愛を育まれた恋愛の聖跡=パワースポットって事に成りますね~。
…ここでテニスしたら、女の子にモテる様に成るだろうか?
…ここでテニスするのが似合う様な大人に成ってたらオシャレでモテるのか?どっちが先だろう(笑)。
…又、脱線してしまいました。
先程の道標に「テニス発祥記念館」って有りましたよね?
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それが↑コレです。
後ろ姿は全然セクシーじゃない建物。
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ステンドグラスは綺麗でしょ?繰り返しに成るけれど後ろ姿は地味だけれど。
でも前から見ると…

……
………一生の不覚!なんと、正面からの写真を撮り忘れてました!
…今度、近く行く時に撮影してきます。でも、中の写真はちゃんと撮影しているので、見て見ましょう!
このテニス発祥記念館は無料で拝観できます。
中にはテニスの歴史や、当時のテニスの様子や道具が再現されたり保存されています。
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小生、不勉強で知らなかったのですが、テニスは昔は貴族のスポーツでドレスコードだったらしいです!
ドレスなんか着ながらテニスやるとか、御婦人方、オシャレの為に動き難いわ~熱いわ~で大変だったでしょうね。
壁のいたる所にコンナ↓解り易い年表とか資料が展示されています。
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あと、昔のテニスラケットがどんな物だったかとか、道具の発展もよく解る展示物が有ります。
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昔は木製だったんですね~…って当たり前か。
しかし、こんなんでやってたら、今のプロスポーツ化してアホみたいに凄いサーブ打とうとしてもラケットの方が折れちゃうでしょうね?
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それだけ、昔のテニス…と言うか、本来のテニスは上品にゆったりしたラリーを楽しむような大らかなスポーツだったんでしょうかね~。

今回はテニスとブラスバンドと国家の発祥地としての妙香寺=横浜の歴史の御話しでしたが、皆さん如何でしたか?

次は京都とか安土の事を書こうかな~♪
それとも10月末の小机城址竹灯籠祭りの見学報告でも書こうかな~♪
以前の小机城址竹灯篭祭りの記事⤵


では、又、次の記事で御会いしましょう!

前編を読む⤵



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皆さん、日本のビールの発祥地が横浜なのを御存知ですか?
エビスビールの工場が在(あ)った、東京都の恵比寿駅近くが発祥地と思い込んでる人もいますが違いますよ~。
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現在の横浜市中区のキリン公園一帯に在ったスプリング・ブルワリーと言うビール醸造場が、日本のビール事業の創業地とされています。
横浜成立以前の話ですが、幕末、江戸幕府が横浜を米国特使のペリー提督の要求により開港すると、現在の中区、つまり旧久良岐郡の内、本牧半島には多くの外国人が居留する土地が解放され、それによりビール工場も設立されました。
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北方小学校横に在る小さな公園を中心に、北方小学校の敷地と合わせた一帯に作られたのが、スプリングブルワリーで、その事業をジャパンブルワリーとして受け継いだのが、現在の麒麟麦酒株式会社(KIRIN)なんです。
麒麟公園
ね?
隣の北方小学校の地下には当時の貯蔵庫が防災水槽として残っていると、以前、何かで目にした記憶が有ります。
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麒麟公園は本当に規模も普通の公園ですが…
遊具も普通の公園です。
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しかし、ここの直ぐ近くの日蓮宗の本牧山妙香寺の幕末当時の敷地(接収され現在は縮小)に、イギリス軍の駐屯地が有ったので、周辺には色んな「日本初」の史跡が有ります。
麒麟公園周辺位置関係
「吹奏楽」・「テニス」・国家の「君が代」は、この妙香寺さんと、幕末まで妙香寺さんの敷地だった山手公園がその発祥地です。
更に元町や山下公園や中華街一帯を加えると、パンの発祥地の「内木パン」が有ったり、その隣の中華街近くは、「かをり」を紹介した記事でも書いた「電話事業創業地」「ホテル事業創業地」のかをり、「鉄道事業創業地」等々、他にもアイスクリームや西洋野菜等、キリが無い程の「日本初」の発祥地が集まっている訳です。

つまりビール醸造以外にも、この本牧の丘の周辺だけでも、日本初が多数有る訳です。
その話は、いずれ又、今度紹介します…

話を麒麟公園に戻しますと、普通の公園との違いは公園内には石碑が有ります。
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横浜ペンクラブが、ジャパンブルワリーの創業者、ウィリアム・コープランド先生の偉業を顕彰して建てた石碑です。
横浜市は教育委員会がなかなか史跡を保護しないどころか宅地開発する際に事前調査すら放棄するので、こうやって民間が自主的に動かないと何も残らないんです。
このコープランド先生はノルウェー人で、この地で創業したのが“スプリングバレーブルワリー”なので、この方無くして現在の麒麟麦酒とKIRINホールディングスは存在しなかった訳です。
そして横浜市民にとっても、渡来の西欧料理文化の発展の一助と成ったビール文化を根付かせて下さった大恩人と言うべき方な訳です。

コープランド先生はビール事業売却後、日本文化の紹介を日本製品販売を通じて海外で行って下さいましたが、晩年は事業が立ち行かなくなり余り幸せでは無かったようです。
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上の写真は外人墓地の入口です。
コープランドさんは苦労しながらも日本人の奥さんの梅子さんを大切にして下さったようですが、海外から日本に帰国して直ぐにコープランド先生は没し、今は山手の外人墓地に梅子さんと御夫婦寄り添っている様に御廟所に眠っておられます。
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外人墓地の一覧が刻まれた銘板に記された50番目がコープランドさんが横浜市民を見守ってくれている事を伝えています。
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ニャンコも優しい外国の紳士達が眠る場所で安心して御昼寝してました。
コープランドさんと梅子夫人は親日在日外国人と国際結婚した日本人女性の先駆者であり、我々現代の横浜のハマっ子にとっても日本人としても、感謝しないといけない日本のビール産業の父であり母と言う訳ですね。
もちろん、KIRINサンもコープランドサンの偉業を忘れてはおらず、公式ホームページで顕彰文を掲載しています。
コープランド
KIRIN公式ページ「ビール醸造のパイオニアたち 」←ココをクリックすればリンクします。

さて、麒麟公園には当然、KIRINの皆さんが建てたと思われる巨大な石碑や顕彰碑も有ります。
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それが冒頭に掲載した写真ですね。
その横には御覧の通り、金属製の歴史を説明した顕彰碑も在ります。
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以前も小生の歴史観を書いた事が有りますが…
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今有る我々の生活は、昔の人の多くの苦労とちょっとの成功と幸せの上で成り立ってるんです。
それは正に、幕末の外国人居留地の外国人の為にビール製造を始め、後に日本文化を紹介する事業を展開して下さったコープランド先生の人生が、小生の歴史観念を全て体現している様に思えてなりません。
…晩年、余り経済的に幸せとは言えなかったかも知れませんがコープランド先生!
貴方と貴女の奥方の偉業を小生の様に忘れない日本人が、まだ平成27年に成ってもちゃんと居ますよ!
どうぞ、山手で安らかに眠って下さい。
そしてコープランド先生、御願いです。
また、日本人が幕末や明治のような困難、大正期の大震災の様な苦難に直面する時は、どうぞ、日本人の鎌倉武士の宗教観ではありますが、偉大な先人として神仏として後輩である我々を見守って下さい。
実際にこれから起きる事を解決できるのは、コープランド先生や先人の記録を活用する我々の側ですが、見守って下さっていると思う事で、同じ困難に直面した際の解決方法が思いつくかも知れません。

次回の記事は、この記事の後編としてKIRINグループの創業に関わった歴史偉人の話をしたいと思います。
後編に続く⤵️

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皆さん、横浜市の中区がホテル発祥地って知ってました?
まぁ〜鉄道や水道管やテニス、アイスクリーム、街灯(ガス)、テニス、現在流通している西洋種の野菜の原種の横浜野菜…
横浜が発祥地の文化や物品は数え切れない程有りますが…
中でも外国人居留地だった横浜市中区関内地区がホテル発祥地と言うのは、横浜らしい近代西洋由来の文化だと個人的に思います。

実は昨日、お世話に成っている方にお土産を買いに行ったついでに、周辺の博物館を3箇所観覧して来たのですが…
目的の品を売っているのが「かをり」と言う、昔はフランス料理レストランだったカフェでして、そこが日本におけるホテル発祥地なんですね〜。
お店の目印の看板はこんな感じです。
この「かをり」の店名は古事記を翻訳した江戸時代の学者の本居宣長の和歌から由来しているそうです…
「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」
…風流ですね。
創業者の板倉作次郎さんは、元々、日本郵船の旅客船「龍田丸」の総料理長だった方だそうです。
このかをりの近くには山下公園に日本郵船所属だった太平洋戦争中の輸送艦氷川丸が係留されていたり、日本郵船の旧社屋を利用した博物館もあります。

上品な店構え。
今はカフェとして営業していますので、カフェ喫茶すれば、立ち寄り購入したお土産食べれます。

先述の通り、ここが日本における西洋ホテル文化発祥地で、お店の方やファンの方々もその事を誇りにされて文化として守り伝えてらっしゃいます。
当時、ホテルやレストラン、Barとしての機能に備えビリヤード場も備えた、外国人や日本人紳士淑女の社交場だったそうです。
近代に開けた元町周辺の横浜らしい話しですね♫
さて、「かをり」の昔から横浜で有名なお土産と言うのは「レーズンサンド」なんです。
これ、後発の他地域のレーズンサンドやスーパーのと違い、レーズン嫌いな小生が美味しいと感じます。
レーズンサンド以外にクランベリーやマロンなんかも有ります。
上品な甘さで、果物の香りが爽やかで、緑茶のお茶菓子にも合うんです。

「かをり」のビル外観全体は↓こんな感じ。
蔦でもじゃもじゃだから分かりやすいでしょ?
老舗の風格有り、上品で良いモジャ具合だ(笑)。

この「かをり」の直ぐ斜向かいにも横浜土産の名店が在ります。
ありあけのハ〜バ〜♫のCMで有名な「ありあけ」さんですね。
現在、NHKの連ドラ「まれ」の舞台が、この「ありあけ」や「かをり」や中華街や元町のある地域設定で…

「ありあけ」さんでは9月まで、「まれ」とコラボした期間限定のブルベリーハーバーを販売しています。

小生、かをりに用事が有ったのに、こちらも自分用に買って帰りました〜。
オーソドックスなダブルマロン味も美味しいですよ〜。

まぁ〜、この関内元町地区は西洋文化の醸成地である外国人居留地だったので、近代西洋建築が群集しており、良くドラマや映画のロケ地に選ばれる素敵な風景が多い場所な訳です。
今、公開中の映画「HERO」のロケ地もこの地域に何箇所か在ります。

また映画のロケ地の西洋建築は次回以降ご紹介しますね♫

因(ちな)みに…
「かをり」や「ありあけ」の数十m先には「日本電話交換(横浜〜東京間)」の発祥地も在ります。
この素敵な建物は旧市外電話局で…
この建物の隣、海側にもう一つ行った所に変な壁画モニュメントがあるビルが在ります。

ここが、日本電話事業の草創の地なんです。

植込みの中やら、よく周辺を見ると説明銘板が設置されているので探してみてください。
この更にすぐ近所に「海岸通り教会」と言う有名な近代西洋建築文化財の教会が現存していて、昼の15時頃まで一般公開されています。
その海岸通り教会の、すぐ隣りの広場もドラマ映画でよく使われるロケ地です。

真ん中の花壇が数年前まで噴水として機能していました。
ここの夜景が綺麗で、篠原涼子さん主演の「アンフェア」や、岡田准一君主演の「SP」でもロケ地に使われていました。
しかし…
今の林市長が意味不明な使えない市長でして「公園の整備費用を中田市長の代から徴収しているのに林市長の代で噴水機能停止してしまいました」ので、現在ロケ地に使われる事は無くなりました
林市長は緑地と公園整備費用を徴収しながらよく文化歴史の史跡破壊の開発を容認したり街路樹の伐採撤去自然公園での土建屋による宅地化破壊を容認をする方で歴代市長と全く異なる政策で、文化軽視の人物の様です。
おかしいですね?
何で中田前市長が設置した緑地と公園整備費用を市民から徴収しながら、矛盾した政策を行なっているんでしょうか?

さて、電話交換局の近くには、外国人居留地時代の防火水槽なんて近代西洋建築史跡も在ります…
このモニュメントの傍に、昔の防火水槽と雨水吸水機構の遺構が展示保存されています。

横浜市は水道管の発祥地でもあるので、この様な水にまつわる近代建築文化財も林市長以前の優秀な歴代市長により沢山残されています。

では今日はここまで!
しばらくは近代西洋文化関連を紹介する記事書きますね〜!
藪蚊も多く城廻り出来ませんし、お盆の祭礼で神社さん御寺さんお忙しくて和尚様や宮司様に色々ご迷惑に成るので地域の歴史を御教授頂きに訪問出来ませんから神社仏閣から離れた記事が増えます。

では、又、次の記事で!
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横濱中華街の中に戦後昭和のアメリカ文化の感じられる雰囲気の良いジャズ・バーが有るのを御存知ですか?
この日(昨日10/25)は土曜日だったので、お客様がだいぶ多かったのですが、全く気に成りません。

何故なら…

実はここ、ジャズが生演奏なので話したい人は話し、しかし演奏で皆んな自分の席の人の声と素敵な音楽しか耳に入ってこないんです。
ミュージックチャージも600円だけ。
凄く安いんです。

居酒屋みたいな場所より、男同士でも彼女とのデートでもユックリ上質な大人の時間を過ごせます。

小生、御寺の庭園や神社の清浄な空気感が大好きで良く鎌倉の報国寺の竹林に抹茶飲んでボぉ〜っとしに行ったり、三浦や湘南の海岸にボぉ〜っとしにドライブ&散歩に行きますが…

Wind-Jammerは又、寺社仏閣の雰囲気の良さとは異なる落ち着いた良い時間が過ごせるので好きでたまに来ます。

この日も中華街に来たのに中華料理食べず、いきなりコッチにきちゃいました(笑)。

お店の外観
本当に中華街の真ん中に在(あ)るんですよ!
石川町駅から歩いてくる途中に有ります。
ここは雰囲気良くジャズ聴(き)けるだけじゃなく御飯も美味しいし、お酒もすすみますよ!
小生、御飯の美味しくない店には行きたくないので、ここが好き(*^^*)。

ついでに中華街の市場通りの写真
この路地の更に脇道が好きなんです。

山下公園や中華街で食事デートや観光してから立ち寄ったり…
元町や港の見える丘公園や洋館街を散歩して回ってから来ても良いかも!

ついでに"横浜最高の夜景"が見える"横浜国際客船ターミナル "を紹介した記事も書いてみました!
中華街や元町に行く方には絶対お勧めの場所ですので是非見て下さい!
※横浜国際客船ターミナル記事はクリック!→ココ
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