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カテゴリ:近代西洋建築と文化/鉄道/艦船/史跡 > 近代要塞/港/空港

横須賀汐入地区のフェリー乗り場で、横須賀の軍港巡り遊覧船に乗船する事が出来る。
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そのフェリー乗り場の横がヴェルニー公園と言う素敵な庭園。
このヴェルニー公園は薔薇が豊富な海辺の庭園で、梅雨入り前~今の頃が一番綺麗な時期なのだが…
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同じ港の公園でも、横浜の山下公園な港の見える丘公園と一味違う所が、この公園には有る。
目の前が幕末~の造船所❝横須賀製鉄所❞の史跡のドッグであり、東アジアと太平洋の治安維持に活躍して下さっているアメリカ第七艦隊の首府であり海上自衛隊の主要な基地なのだ。
だから海側を見ると、迫力の有る❝モノ❞が停泊して居たりする。
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潜水艦。
潜水艦の後ろが江戸時代末期に、徳川幕臣:小栗上野介(こうずけのすけ)忠順(ただまさ)公の建設した横須賀製鉄(造船所)のドッグだ。現在も現役で使用されている。
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明治時代に東郷平八郎元帥も、旧幕臣として明治新政府に処刑された小栗上野介サンに「貴方の御蔭で日本はロシアの植民地に成らずに済みました。」との主旨の謝意を公然と述べて小栗家の残された家族の名誉回復をしたりしている。
敵味方別れたり勝敗の分かれ目は時の運、これを武士は「武運」と呼び互いに恨みに執着せず、旧敵もリスペクトする如何にも武士らしい価値観だ。
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このヴェルニー公園は本当に設計も薔薇も綺麗な公園で…
とにかく薔薇の種類が豊富。そして全ての種類別に丁寧な解説もされている。
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原産地国なんかでカテゴライズもされている。
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本当…
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花が好きな人も、庭園が好きな人も、海風が好きな人も、横須賀の文化が好きな人も、色んな人が楽しめる素晴らしい公園。
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この公園の海沿い側はウッドデッキに成っていて、またそれが庭園と重厚な軍港の雰囲気を親和性を高める風景の接着剤に成っていて、景勝地としての完成度を高い物に仕上げている。
この公園設計した人は本当に素晴らしい仕事をされた。
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存じ上げなかったが…
日本の皇族の方々の名を冠した薔薇も多い様だ。
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確かに内親王(当時)に相応しい上品さの有る薔薇。

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まぁ~こんな感じでちゃんと説明を全部読んで廻ると、見ていて飽きないし外国の要人の名前がついていたり時間が経つのも早い。
ただ…梅雨の時期に成っちゃって蚊も多いので、虫よけスプレーは必需品。
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本当に薔薇を見ていて飽きない。
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キリが無いので薔薇の紹介はここまでにして、公園の風景に戻る。
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少し奥に行くと、なかなか他の町では見られないイージス艦が3隻(せき)並んでいる。
しかも公園の風景にマッチしているのが不思議だ。
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格好良いなぁ~♪この船達と乗船員達が、中国やロシアの(笑)不審船達から日本国民を守って下さっている訳だ。
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夕暮れにも成ると、又、一味違う雰囲気に成る。
グッと大人っぽい雰囲気に成る。
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これ、横須賀市の町どくとくの光何だろうか?夜空が凄く青い。
横浜の夜空は落ち着かないオレンジ色、商業港湾の灯りの色で。
だから余計に横須賀の町が綺麗に見える。
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夜の薔薇も又、綺麗。
公園自体の紹介はここまで。
ヴェルニー公園の中には素敵なカフェが有る。
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Cafe Restaurant CORSAIRE(コルセール)。
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ここは公園内なので、窓から見える風景が素晴らしい。
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場所的にもJR横須賀駅からも、京急汐入駅からも近い。
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ここの店では、ネイビーバーガーと横須賀海軍カレーも食べられるので、風景重視でランチやディナーをとりたいなら、この店で名物のハンバーガーに舌鼓を打つのも良いと思う。
写真はネイビーバーガーとミニ海軍カレーのセット、1800円位かな?

ヴェルニー公園、良い所でしょう?もしドブ板通りに飲みに行ったり猿島や三笠公園に観光に来る方は、行き帰りのどちらかに、こちらを御散歩されても如何でしょうか?

では、又、次の記事で!


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三浦半島、横須賀市、その先端の観音崎には東京湾と太平洋の入口を見渡す絶景の灯台が在ります。
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この灯台は一般公開されていて、誰でも中に入って風景を見る事が出来ます。
開館時間は…
05月~9月:9:00~16:30
10月~4月:9:00~16:00
ただし、開館時間が短い上に天候にも左右されますので事前に横須賀市観光協会とかに問い合わせてみると良いと思います。
又は、以下のリンクの横須賀市観光案内のホームページ
を御参考にされると良いかと思います。
周辺の駐車場も掲載されて有りますしね!
ヨコスカ観光
横須賀市観光情報のページ「ここはヨコスカ 」←クリックするとリンクします!
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この展望台自体は、幕末にイギリス・フランス・アメリカ・オランダの要望を踏まえて国際条約に建設が盛り込まれ、江戸幕府解体後の明治新政府によって建設されました。
…国際条約ってね、国内法より優先するんですよ!知ってましたか?大人は当然知ってて当たり前ですよね?
日本の御隣の国が良く、日本との締結済みの二国間協定をしょっちゅう破りますけれど、あれって国際条約違反でして日本は賠償金請求したり交戦状態に陥っても変じゃない事をされているんですよ~。
まぁ、今回は綺麗な風景と近代要塞史跡と自然の紹介なので、その話は置いておきましょう♪

少し前に、この記事の「前編」で周辺の綺麗な海岸や神社とレストランを紹介したので、その記事も読んで貰うと観音崎の魅力がより伝わると思います。
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※リゾート地としての観音崎を紹介した記事はココ」←クリック!

さて、この観音崎の展望台に行くには、電車&バス か 車の二種類な訳ですが、もし車が有るなら駐車場は5ヵ所有りますので、交通手段と駐車場の場所をまず紹介します。
※駐車場は添付する画像を参考にして下さい!
観音崎周辺交通情報
【電車&バス】
●京浜急行線 浦賀行き  
 浦賀駅  下車→京急バス(浦  3観音崎行)乗車→観音崎バス停 下車→徒歩9分
●JR横須賀線横須賀行き
 横須賀駅下車→京急バス(須24観音崎行)乗車→観音崎バス停 下車→徒歩9分
※多々良浜に行く場合は腰越バス停を利用すると便利!
上記のような感じで交通の便は余り良い場所ではありませんが、その変わり真っ白な砂浜と緑豊かな森の展望台が有り、リゾート地として一昔前まで栄えた美しい場所です。
京急観音崎ホテルも有るので結婚式を挙げるカップルも多いです。
小生は多々良浜の真っ白い砂浜が好きなので、そちら側から灯台まで登る道を紹介して行きたいと思います。
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多々良浜の海岸の前にも県営の駐車場が在るので、車の方はそちらに停めると真っ白な多々良浜で遊んでから灯台に登ったり出来ます。また、観音崎自然博物館やレストラン"マテリア"もそちらが便利です。
反対側の観音崎駐車場側も、近くに観音崎京急ホテルがあり、そちらのレストランも有名です。
前回の記事でも紹介しましたが、小生は観音崎の隣の走水の「かねよ食堂」に好んで行ったりするので、観音崎で食事をした事はありませんが今度、機会を作って食べに行ってみたいと思います。
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この多々良浜の正面には多々良浜緑地公園があり、そこには古墳群も在るのですが現在は古墳は非公開に成っています。
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こちら側から遊歩道を散策すると、花咲く花壇の傍らに地名の由来に成った郷土史の解説がいくつかされた看板が点在しています。
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三浦一族が住み、かつ、地名と多々良氏の苗字の由来に成っている事からも恐らくは平安時代に、この一帯は漁村だけでなく蹈鞴(たたら)製鉄の場として機能していた刀剣や武具の生産拠点だったのかも知れませんね。
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この看板に書かれた領主:多々良義春と言う武将は、鎌倉幕府初代侍所別当を務めた和田義盛公の叔父に当たる方で、苗字は多々良ですが本名は三浦義春です。
昔の武士は、自分が直接支配する為に赴任した土地の名を自らの苗字にしました。
和田義盛公の場合、御父君は杉本義宗と言う武将です。祖父は三浦義明と言う源頼朝公に仕えた名将です。
なぜ孫が「和田」で子が「杉本」で三浦家の一族かと言うのは、正に彼らが治めた場所の城の所在地の地名を名乗ったからですね。
和田義盛公は今の三浦市初声町和田に最初の居館を構えていたから苗字を和田と名乗っています。
杉本義宗公は今の鎌倉市の浄明寺地区、杉本寺の在る山に築かれていた「杉本城」を根拠地にしていたから苗字を杉本にしました。
多々良義春公も、この多々良浜周辺を治めていたので多々良を名乗ったのでしょう。
御三方の族長である三浦義明公の一族は、この三浦半島、旧三浦郡を治めていた「平(たいら)」氏の武将なので三浦を苗字にしました。
三浦義明公のフルネームを書くと、現代人の感覚ではかなり長く感じます…
平(たいらの)朝臣(あそん)三浦大介(みうらのおおすけ=官職名=三浦郡知事)義明…となります。
つまり、現代人の感覚ではありえない事ですが支配する土地の、土地を治める為の官職名が苗字で、氏姓はどの家系の出身かを表すものなんですね。
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さて、公園に話を戻します。
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この金網の奥が古墳なんですが、イタズラするクズがいる為か封鎖されています。
この近くに、展望台に登る階段が在りますが可也(かなり)急です。
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階段を登ると三浦家の本拠地衣笠城と同じく尾根の両端を人工的に削り歩ける範囲を狭隘にした箇所が有ったりして、多々良家の詰めの城だったのかな?と推測させる地形だったりします。
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この道の両脇は人工的に鋭角にされた崖でした。
こんな道ばかりではないのですが、多々良浜側から登るとここを通ります。
しばらく行くと明治時代から作られた要塞の跡らしい地形が見え始めてきます。
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切通しですね。
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海抜の説明が有りますが、背後の切通しの断面は、三浦半島が地震で隆起している事が良く解る地層が露出しています。
関東大震災の時は三浦半島は50cm隆起したそうです。
その名残が解る元々の海底が露出した地形は、三浦半島西側の城ケ島で見る事が出来ます。
※城ケ島の風景の記事は「ココ」←クリック!
この切通しを抜けて暫く行くと、戦時中の輸送船に乗船していて米軍海軍の通商破壊で戦死した方々の慰霊碑の有る見晴らしの良い展望台に出ます。
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今上天皇陛下御夫妻が昨年、こちらを御参りに成られて深い感情があり声を震わせながら鎮魂の慰霊で御来訪された事はTVでも報道されていました。
IMG_1545 ここからは東京湾が遠くまで見渡せます。 

IMG_1543 そして天皇皇后両陛下の御詠みに成られた鎮魂の和歌の石碑があります。
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両陛下は先の戦争で武装もしていない罪無き民草が犠牲に成った事を、深く痛んでらっしゃいました。
IMG_1549 漁村が近いので、そんな事を知らない猫ちゃん達が沢山集まっている癒しの場でもあります(笑)。
IMG_1552 でも、この子達は触らせてくれなかった(泣)!
さてさて、ここからが史跡としての紹介です。
灯台の北側には幾つもの砲台の跡や地下壕に繋がる秘密のトンネルの入り口があります。
(もちろん、トンネルの入口は通用トンネル以外は塞がれて入れませんが。)
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典型的な近代のトンネルの造り。
IMG_1554 ここはまだ照明が生きてますけれど、照明の無いトンネルも有ってクソ怖いですよ~♪
で、第三砲台と言う場所の紹介です。

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明治時代に28cm榴弾砲と言う野砲が設置されていた場所ですが、説明書きには「28サンチ」って書いて有るのは誤記ですかね?ミリオタじゃないので、あんまり詳しくなく突っ込めません。
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砲台は塀に囲まれていた構造物でした。
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今では入れませんが、恐らく弾薬庫だった横穴の跡。
IMG_1561 今は梯子(はしご)はかかっていませんが、外の様子を見る為の階段なんかが現存していました。
…ここにいた猫ちゃんは、展望台の猫とちがって人懐っこくモフり放題♡でした。
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「眠いけど、せっかくだから相手してやるニャ~」
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…みたいな?
皆、丸々と太っていて近くの防衛大学の自衛隊の人達が面倒見てるんですかね?
さて、先程は明るいトンネルでしたが…
多々良浜側から行くと絶対に通らないといけない真っ暗なトンネルも有ります。
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…ここね、出口見えてるけれど真ん中くらいまで行くと足元真っ暗で平衡感覚無くなって色々と怖いんですよ。
しかも…
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なんか、鉄格子の秘密の扉とか途中に有るし!
急に扉に「ガシャンがシャン!」ってシガミ付くゾンビとか出てきそうですよね(笑)。
こんな場所の他にも、砲台によっては一部、トンネルが入れる場所も有ります。
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…入る気しなかったけれどね。幽霊とかどうでもいいけれど、それでも入る気しないのさ。
仮に幽霊がいても、明治の軍人さんだから日本を守ってくれた偉人なんで色々取材したいけれど、実際に見たら小便チビルだろうな(笑)。
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そのトンネルの先には、こんな切通しが在り、その更に先に観音崎灯台が在ります。
真っ暗なトンネル通りたく無い人達は、観音崎バス停側から登って来た方が良いと思いますよ~。
砲台は現地の案内地図上に表記されていない物もいくつか有ったので4か所ぐらいだったと思います。
猿島にまで行きたくない人は、ここに来れば明治時代の要塞の構造が解ると思います。
カップルには、観音崎灯台直通の道を御勧めします(笑)。
観音崎灯台直通の道
観音崎駐車場や多々良浜駐車場、どちらから歩いても徒歩8分位かな?

でも、観音崎海水浴場からも、多々良浜海水浴場からも少し離れた場所なんで、二人で手を繋ぎながらトンネル含めて豊かな自然を観察しながらお散歩するのも楽しいかと思いますよ!
様々な植物を見る事が出来る自然公園でもあるので、所々に説明書きも有りました。
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解りやすいですね。
こういうの、ちゃんと読みながら散歩すると本当に面白いですね。 

観音崎、今回の記事は自然公園と合わせて要塞としての側面を紹介しましたが、前回の記事と合わせて周辺が素敵な海岸の、森も豊かなピクニックに最適な場所って少しは伝わったでしょうか? 

近くの走水神社は「日本最強(旦那様が軍神だからね)の縁結びの夫婦の神様」が神話上住んでいた場所のすぐ近くだったりします。
そして、神社自体も社殿の地下には神話の石室が本当に存在していたり、背後の鎮守の山に在る奥宮には古代から日本武尊が信奉した更に古い時代の神様達、天照大神の神明神社や素戔嗚尊や此花咲耶姫命の須賀神社、建御名方神を御祀りする諏訪神社も在ります。
そこは走水神社の元に成った古代の稲荷社の在った聖域だそうで、本殿で日本武尊と弟橘姫様御夫婦神に参拝した後で奥宮を御参りすれば、御利益も深まりそうですね! 


観音崎と合わせて走水神社も観光コースに入れると更に充実した時間が過ごせるかも知れません。
※走水神社の記事は「ココ」←クリック!

では、又、次の記事で御会いしましょう!






 

ブログネタ
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小生、皆様によく、このブログで御城を紹介しています。 
主に平安時代~戦国時代が多いですが、ちょくちょく近代の要塞も紹介しています。 

前回紹介した近代の要塞は横浜市金沢区野島公園にある、第二次世界大戦末期の要塞でした。 
※この記事です→「ココ 」←クリック! 
現代では映画版「釣りバカ日誌」で浜ちゃんが住んでいる場所ですが… 
今回は外国による日本植民地化侵略に備えていた明治時代の史跡です。

海に浮かぶ城塞史跡が、今でも東京湾に有るのを皆さん御存知でしょうか? 

東京湾第1~3海堡(かいほ)と言う史跡です。
東京湾へ侵攻してくる欧米列強の仮想敵に対して防衛の為(ため)に設置された要塞です。 
攻撃的な防御施設ですので、有る意味、本当の城址と言って良いと思います。 
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衛星写真で御覧頂いた通り、現在は第1~2海堡までしかありません。 
実はこの要塞、造られて間も無く"関東大震災で大破してしまった"為に利用された期間は極短かったんですね。 
しかし第3海堡は地震で消滅した訳でなく、平和的商業的な理由で石原慎太朗氏が都知事だった時代に彼の提案で撤去されたんですね。 

実は東京湾と東京港横浜港は世界でも類(たぐ)い稀(まれ)な暗礁(あんしょう=海中に隠れた浅い岩場)の多い、非常に航行の難しい海域なのです。 
ですから、東京湾に入港する船は、実はその船の船長が操船(そうせん=運転)するのではなくて、専門の操舵(そうだ)師と交代してから入港するんですね。 
そんな訳で、船舶の航路を拡大する為に撤去が必要だったんです… 

新聞やニュースでしか情報を得ない方々には意外でしょうが… 
石原さんも実は平和的な面でも結構、功績を残しておられるのですよ(笑)。 

石原さんのこの実績も、御存知(ごぞんじ)無かった方も多いかと思いますが… 
…これら東京湾海堡の存在自体を知らない方が多いですよね? 

実はこの第3海堡、史跡として解体移設し保護されています。 
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その場所が昔、横須賀鎮守府の海軍飛行場の在(あ)った日産追浜工場の横なんですね。 
住所的には夏島町です。 
この史跡保護事業は、当然!歴史史跡破壊容認が特技の神奈川県教育委員会が行った訳ではありません(笑)。 
民間人有志が費用を負担し移設保護して下さったんですね。 
※詳しくは「アクションおっぱま」と言う民間団体のホームページをご覧下さい。→「ココ 」クリック! 

この東京湾第3海堡の構造がどのような物だったのか、現地案内板に図面が有ります。 
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…すいません、反射と映り込みが激しくて。 

この図面の様に、船が接岸する為に波消しの埠頭が左右に設けられ、無数の砲塔が設置されていました。 
さながら固定された大戦艦と言う所でしょうか? 

この海堡の建設を計画したのは幕末の元長州藩士で維新志士だった、当時の明治政府帝国陸軍の山縣有朋陸軍大将です。 
山縣有朋氏と初代内閣総理大臣伊藤博文先生は、そもそも幕末の欧米人によるアジアの植民地化に抵抗し討幕を目指した後、海外列強との国力軍事力の差を長州vs連合国の戦争で思い知らされた事で政治主張を鎖国政策から180°転換し、近代化を目指す事に成りました。 
まぁ、会津の松平容保公や新選組の近藤勇さんと敵対しましたが、どちらも国の事を考えていた事には変わらないので、明治政府設立までの過程には取りあえず触れません。 

そして、近代化した明治政府は直ぐに、欧米人の侵略を防ぐ為に日本全土の要塞化を進めます。 
…これには江戸幕府側だった勝海舟先生や榎本武明先生も協力したようです。 
勝先生は今の東京のお台場に台場(だいば=砲台)を設計した実績がありましたからね。 
ちなみに"京浜急行神奈川駅前の金港地区~横浜中央市場一帯は勝海舟先生が建設された「神奈川台場」の上にあります。 
あと、お弟子さんの坂本竜馬さんの未亡人「お龍さん」の墓所は横須賀市大津町にあります。 

しかし幕末の台場と、東京湾海堡では規模が全く違います。 
お台場をヨットに例えるならば… 
…東京湾海堡はさしずめ現代の戦艦や護衛艦程の体格差があります。 
解りにくいかな(笑)? 
じゃあ、言い換えれば赤ちゃんと大相撲横綱の白鳳関程も規模が異なります。 
なので当然、働く兵士も多く、彼等の居住スペースも確保されていました。 
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この明治時代、要塞だけでなく、今の横浜みなと未来21地区の基礎に成った新港埠頭や山下埠頭も建設されて行きました。 
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日産追浜工場のある夏島町から、三浦半島を望む風景。 

同時期に整備されたのが日本最初の鉄道だった新橋駅~初代横浜駅(現:桜木町駅)で運用されたSL=蒸気機関車でした。 
その汽車道が、今の山下公園~ワールドポーターズへと繋がる遊歩道なんですね。 
この山下公園の汽車道は平成に成ったばかりの頃はまだ、そのまま残っていました。 
その時代の線路の一部は、今でもJR貨物列車の線路として利用されています。 
神奈川臨海鉄道本牧駅には、この路線を走っていたD51蒸気機関車が保存されています。 
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この明治の元勲(げんくん=功績者)達が築いて下さった鉄道輸送網、写真の部分は消失しましたが、実は近年でも大活躍し、大勢の現代の日本国民の命を助けたんですよ。 

すなわち… 
東日本大震災発災中、ライフラインが寸断され、電気ガスが使えなくなり燃料が枯渇した東北地方の人々へ、JR貨物の有志と根岸エネオスの社員が一丸となり、JR京浜東北根岸線根岸駅~福島県内の架線の無い区間をディーゼル機関車を運用し津波の被害の無い日本海沿岸経由~東北の青森県の石油コンビナートへ燃料大量輸送を試みました。

つまり、この明治の元勲達の遺産である鉄道網を活用し被災地へ燃料を送り続けたんです。

この件は、陸上のトラック運送会社がスポンサーのマスコミは一切報道しませんでした。 


※この件に御興味の有る方は、以下に事のあらましを有志がCGドラマ再現した映像と、実写映像のリンクを張るのでクリックして御覧下さい! 
この件を知らない方は出来事の流れを見るにはCG動画を先に見る事をお勧めします。
●CG技術者有志による再現ドラマ

●鉄道マニア有志による記録映像(第1便)
横浜市中区:エネオス根岸製油所~根岸駅到着直後の盛岡行第一便

横浜市中区:桜木町根岸駅通過

東京都府中市:府中本庁駅通過

※磐越西線の無送電区間のみ第一便以外の映像です。
 
秋田県秋田市:秋田貨物駅通過

青森県:弘前駅停車~発車

青森県:津軽平野


JR貨物:高沢司令室長へのインタビュー

もし、明治の元勲達がこの路線を開発して下さっていなかったら、東北地方の住民の多くは燃料補給不可能な事態に陥り救援物資が搬送困難に成り飢えに苦しみ暖房使用不可な状況に陥り、地震と津波に加え更に体力を奪われ東北の初春の冷気で多くの凍死者が数万人単位で発生していた事でしょう。 
そして、この路線を活用して東北の人を助けたのは菅直人や枝野の民主党では無く、民間のJR貨物とエネオス根岸製油所の名も無き英雄達だった訳です。
・・・福島第一原発の吉田所長と同じ民間の英雄です。

現代の民主党は日本をボロボロにしましたし、自民党も腐敗した面も有ります。しかし東日本大震災の東北で人々を助けた磐越西線を築いたのは、明治時代の政治や軍人や旧国鉄の職員だった訳です。
明治の政治は素晴らしかったんです。インフラ整備や国民の事を本当に考えていたんですね。

明治の政治家や軍人と昭和天皇陛下も激怒した昭和初期の暴走した一夕会が権力を独占した軍事政府と区別出来ずに、歴史を知らないアフォな輩は一色単(いっしょくたん)にしますが…。 

しかし、当時の明治政府の政治や軍隊は、元々敵国であった英国や米国からも称賛される程、優秀だったんですよ。 兵站無視して中国大陸で無謀な戦争をした昭和の軍人とは大違い。

明治時代の軍人では柴五郎陸軍中佐は、義和団の乱と言う中国の今の北京で起こった中国人による外国人とキリスト教無差別大量虐殺事件に西太后が便乗し
連合国に戦線布告し戦争に発展した事件で、僅(わず)か日本民間人義勇兵を指揮して世界から義勇兵と共に賞賛されました。

柴中佐は当時日本人が白人に差別されていた中、多くのキリスト教徒中国人や白人を保護し、籠城戦で活躍しやがて周辺の欧米将校や大使から北京籠城の参謀総長に自然に抜擢され、沢山の人の命を守った功績から英国や米国を初め多くの国から勲章を送られ敬愛を込め「コロネル柴」と呼ばれました。 


又、秋山真之海軍中佐は対馬海戦で東郷平八郎元帥の指揮の下(もと)、当時世界最強だったロシア帝国海軍バルチック艦隊が日本を植民地化する為(ため)に日本列島に迫った際、このをバルチック艦隊を撃破する「丁字型戦術」を提案し大勝利に貢献しました。 
この事は世界各国で称賛され様々な国から英雄として歓待されました。 
今でも当時ロシア植民地だったトルコ国民が親日でいてくれるのは、秋山先生の功績も一因です。 
そして、その上官で戊辰戦争で函館五稜郭攻めに加わっていた薩摩の侍出身の東郷平八郎は英国留学時代から一目置かれ、見事に対馬海戦でロシアの日本侵略を阻止し間接的にトルコを開放し孫文先生からも称賛された人物でした。その名残でいまでもトルコ人にトーゴーと言う名付けられた人が今も多く生きていらっしゃるそうです。

この様に、明治の元勲達が幕末の戊辰戦争と言う悲しい内戦を乗り越えて、仇敵味方の関係を乗り越え日本が欧米の植民地化されない様に防いでくれたから現在の我々がいるし… 
昭和の社会主義的な一夕会独裁軍事政府の外交ミスと成った日英間の条約違反の万里の長城を越えた中国侵攻が有ったから盟友の英国との対立を生み出し敗戦を招いた訳です。 

「あの時こうなってれば」と言う歴史の「IF」は有りませんし、考えるのはファンタジー脳なバカです。 
しかし、もし孫文先生が樹立した現在の台湾の元と成った「中華民国」が、日本国と英国の支援を受け、中国の近代化と民主化に成功していたなら… 
…と明治時代の史跡や、孫文先生を保護していた横浜中華街を訪れる度に、小生の脳裏をよぎってしまします。 

…もし中華民国が中国大陸を民主化していたら、今の日本と中国みたいに日本人と中国人は政治的に対立しないで済んだのかな~? 

・・・もし民主党政権時代に菅直人がパフォーマンスで福島第一原子力発電所に行こうとせず無駄な口を挟まず、故:吉田所長が御自身の計画通りベントを決行していたらメルトダウンしなかったかも知れません。

・・・もし民主党政権時代に福島第一原発がメルトダウンした際、放射能が飛散した事を枝野が隠蔽せずに正しく情報展開していたら、福島県の人は適切な対応が出来たかも知れません。

…でも「if」は考えるだけ「無駄」ですね。 

因みに、この東京湾第3海堡が移設され、かつて海軍の飛行場が有った夏島町ですが… 
実は、お隣の野島公園と、この埋立てられる前の夏島には伊藤博文先生の別宅や定宿があり、そこで大日本帝国憲法の草案が作成されたんですね。 
つまり、ここはGT-Rなど世界最高水準の日産車を生産する日産自動車の拠点であると同時に、日本国が法治主義国家の第一歩を踏みしめた日本人にとって大切な場所でもあるんです。

ではでは皆さん、又次のブログ記事で!

横浜市金沢区に野島公園と言う市立公園があります。
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場所は金沢八景駅の近く、八景島シーパラダイスの海を挟んだ対岸です。

近くにはシーサイドラインも走り、その風景はよくドラマに登場します。
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この島は江戸時代に周囲が干拓(かんたく=埋め立てられる事)され入江新田や平潟新田や泥亀新田と陸続きになりました。 

今ではキャンプ場とバーベキュー施設のある市民の憩いの場に成っています…
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島内には昔から周辺の漁民や「暴れん坊将軍の吉宗公の祖父の徳川頼宜」から愛された野島稲荷神社があります…
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暴れん坊将軍って、本当にあの暴れん坊将軍ですよ!
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実はこの「島の南端に紀州徳川家の別荘が在(あ)った」んです。
ですからこの神社にも度々、将軍吉宗公の御爺ちゃんが御参りに来ていたんですね。
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その神社の隣が先ほどの写真のキャンプ場スペースなんですが・・・
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その更に先には遊歩道があり、遊歩道越しに掘割り状の海を挟んだ先に日産の追浜工場とテストコースがあります。

何故(なぜ)、こんな場所に日産の工場や走行テストコースが有るのかと言うと・・・
実はここは横浜市内ですが、横須賀市とのすぐ隣の境界地域なので、昭和初期に今の日産の敷地は「海軍の飛行場」だったんです。 
写真では日産の敷地の対岸に八景島も見えていますね…
その更に海の先には石川播磨重工の敷地があり、そこは今でも米軍と自衛隊の「軽空母や護衛艦のドッグ」として整備施設の役割を担っています。

そんな「昭和の横須賀鎮守府」の隣の島だった野島ですから、太平洋戦争中の遺構も当然あります。
実はここ、「零式艦上戦闘機の日本最大の格納庫」の防空壕跡が今でも残っているんです。 IMG_5263


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格納庫には今では入れません。
中を覗(のぞ)くと真っ暗で少々不気味ですが、ここは作られただけで実際に戦火に巻き込まれる事無く終戦を迎えました。

野島はこれよりもっと日本国民にとって大切な史跡としての建築物が残っています。
初代総理大臣の伊藤博文の別宅です。
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今でもちゃんと管理され、誰でも無料で拝観でき、500円で海を眺めながら御抹茶と落雁(らくがん=和菓子)を頂き、ゆっくりのんびりと時間を過ごせます。

野島の先には夏島があります。
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何で野島公園が文化的に大切かと言うと、この伊藤博文の別宅は「大日本帝国憲法の草案が纏(まと)められた場所」だからなんです。
対岸の夏島にも伊藤博文の別荘があり、そちらでも草案を構想していたそうです。

つまり、野島公園は日本人が法治主義による近代民主国家の道を歩み始めた第一歩目の土地なんです。
福沢諭吉先生が唱えた国家体制と役人の腐敗を招く儒教との別離、脱亜入欧を模索し始めた時期ですね。
中国に先立つ事100年前の法治主義国家化です。

その後、明治大正と法治主義と民主主義のまともな時代を迎え、日本帝国の陸海軍人は「あらゆる国際条約」である「万国法」を理解した文武両道の道を進み、欧米諸国から秋山真之さんや柴五郎さんは激賞され勲章を授与されました。
しかし…
昭和に入り社会主義集団の"一夕会"による国会乗っ取りと陸軍の人事権掌握が為されてから、日英同盟日華同盟に有った「万里の長城を越えて中華民国の領土に侵攻せず」と言う条項を陸軍が破ってしまった事で、日英日華同盟は破綻してしまい、アメリカの経済制裁に正当性を与えてしまい日本の苦境が始まる事になります…
この事は昭和天皇も憤慨し陸軍の指揮官を戒告しています。

もし!
中華民国が袁世凱に乗っ取られる事無く、知日派で民主主義者の孫文先生により中国大陸を民主国家化近代化が成功して日本の心強い味方に成っていたら…
社会主義独裁を目指した一夕会の暴走が無かったら…
日本帝国陸軍を暴走させず、共にアジアの発展に平和的民主主義的にアジアを近代化させていたんだろうか?

歴史に「i f」は有りませんから・・・

今、現在を生きる我々が日本の国益と国民生活の向上と親日国との共存共栄と発展を考えていかないといけないですね…




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