歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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カテゴリ:休日雑記 > 国内

骨折したのも失業したのも良いチャンスなので骨繋がるまで語学資格ステップUPと、補助器具つけたまま筋トレ出来る部分をバッキバキにしてやるわい(笑)。

そして長距離ウォークが無理に成ったけど楽しみも見つけた。
昔のドラマもスマホとPCで見放題!
TVerも無料で見逃した番組スマホでもPCでも見れる。
今日は学習してから休憩に数回に分け・・・
一気見して見終わった⤵️
愛してると言ってくれ。
めちゃくちゃハラハラしたり
いたたまれなく成ったり
ホッコリしたり。
若かった頃のトヨエツ、男から見ても綺麗な顔!
二十代前半の常盤貴子サンも可愛らしいぃ~!
ドラマ見ててスレ違い続きに泣きそうに成ったし、自己中心的な登場人物が1人もいない分、余計にグサグサ見てるコチラの心が抉(えぐ)られる。

次はこれ見る予定⤵️
ドラマ見て~勉強して~又休憩にドラマ見て~みたいな?
背诵教材(語学の教科書暗唱)
息抜きドラマ
背诵教材
息抜きドラマ
・・・みたいな?
面白い ()♪
その次は仕事で使う資格も何かとろかな。 

今回は骨折してたけど御医者サンに・・・
「運が良かったね」
「下手したら死ぬか半身不随」
・・・と言われた。亀裂入っただけで済んだし良かった。
何か左胸も痛いって言ったら御医者サンに左肩動かすの禁止指令出されて今、右手だけで文字を入力中。

で骨折当日、当初は三浦海岸~三崎漁港の海沿い20kmコースを歩こうとして10kmチョイ歩いた剱崎で骨折した所まで休日雑記に書こうと思う。
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スタートは三浦海岸駅から。
三浦海岸駅を降りて直ぐに史跡が有るのを御存知の方は少ないと思う・・・
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この漆喰塀風の建物は三浦市役所の支所なのだが幕末の史跡でもある。
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海防陣屋跡(鎌倉三浦郡役所)
海防陣屋と言って、幕末にペリーさんが来た時に徳川幕府が設けた役所兼駐屯地だったりする。
こんな風に紹介しながら実は小生自身初めての訪問。
普段は三浦海岸は車でパって行っておわりなので先ず立ち寄らない。
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現代では史跡らしい物は何もないが、ここに関わった人物は有名人ばかり。
井伊直弼公に始まり、長州藩士だった頃の桂小五郎サンに伊藤博文元首相等凄まじい。
一応、三浦市の発行している本に縄張り図が掲載されており、市役所に問い合わせるとコピー貰えたりする。
興味の有る人は掘り下げて調べてみたら面白いかも知れない。
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少し歩くと、三浦海岸。
小生はここには泳ぎに来ないが今時分、本来なら海の家が立ち並ぶ。
しかし黒岩知事により完全予約制と業態に合わない規制が命令された事から海の家は営業困難になり、海水浴場設営は見送られた。

性風俗店規制しないで何のつもりだろ?
海の家なんてシャワー付きの居酒屋でしょ。
ベタベタするキャバクラより安全なのにね。
三浦市の観光客相手の飲食店来年まで持つかな?
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海の家が無い分、景色は良い。
散歩にはもってこいだった。
多分、三浦半島で一番長い砂浜はここだろう。
夏に本来の姿が見えるのも新鮮。
三浦海岸沿いを歩き数年前まで大好きで良く散歩に来ていた琴音浜を通過。
琴音浜は海水浴シーズンも海の家が建たないのでユックリ時間を過ごせる。
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先ずは大浦海水浴場を目指して歩く途中で沢山、綺麗な花と地域を守る御地蔵様を見かけた。
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緑に黄色は良く映(は)えるね!
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白い花、最初アロエの花?と思いビックリしたが違ったみたい。
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もう紫陽花(あじさい)の花が綺麗な季節感だね~。
残念ながら今年は鎌倉の明月院は2週間前に電話確認した所、拝観再開未定らしい。
三浦半島を歩いて思ったのは、早くから三浦武士団による開墾が進み昔は南宋から仏像が輸入される等、仏教文化が栄えた地域だからか御地蔵様がとにかく多く市民と観光客を見守って下さっていた。
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比較的新しく作りなおされた様で、コンクリート製の御地蔵様もいゃった。
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コチラは馬頭観音様ぽい。
江戸時代位の作りに見える。
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あと横穴もいくつか見かけた。
付近には横穴式古墳も存在するが矢倉ではなく、大戦中の防空壕ぽい。
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御地蔵様。
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何か解らないけど神様。
この神様の祠(ほこら)を少し過ぎた辺りに金田漁港と言う港が有る。

そこでたまたま木陰で休憩していた御爺ちゃんと打ち解けてアレコレ話す内に、三浦義村公の御廟や史料を管理する方がいる事等を教えて貰い立ち寄る事にした。
因(ちな)みに、この御爺ちゃんが元力士と変わった経歴の人だった。
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金田漁港の直ぐ近くの丘の上に義村公の御廟と三浦氏が崇敬した八坂神社=スサノオノミコト=牛頭天王の御社が存在する。
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階段を登ると右手に説明の看板。
意外かも知れないが、北条家に負けて宗家は滅亡し一族も組下に入れられた三浦家は開墾と善政を行い内政力が高かったらしく、どこに行っても800年経っても、その統治を現代人にも受け継がれ慕われ続け御高齢者から三浦氏賛美の言葉しか聞かない。
特に三浦義村公は武力が高いだけでなく歴代の中でも善政で名を残し今も顕彰されている様だ。
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階段を登ると右手に明らかに鎌倉時代の矢倉の中に良くある立派な墓石があるので、コレが義村公の御廟だと直感で思い御参りした。
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御墓の近くには小さな御社があり萱草(カンゾウ)が咲いていた。
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うん、可愛い!、三浦の初夏の風物詩の仲間♪
三浦の過疎った地域とか、市役所と農協と協力して山百合と野萱草(のかんぞう)を人工栽培して海の近い崖地の風通しの良い御寺とか神社の斜面や耕作放棄地の畑で名物にすれば、鎌倉の明月院や長谷寺の紫陽花、報国寺の竹林、大雄山最乗寺の紅葉に比肩し、尚且つ三浦独自の植生にマッチし東京や県内他都市では真似の出来ないオリジナリティー溢れる名物に成ると思うのだが・・・
今度、三浦市役所と知り合いの御寺に提案だけでもしてみようかな?
以前、城ケ島の野萱草が奇麗なので記事に書いた事も有った。
実はこの記事を書いた時に黄色の野萱草も色違いの山百合だと思って漢詩まで作ってた(笑)。


小さな御社の先に進むと社務所とも倉庫とも見える建物が有り、更に奥に三浦義村公の御高齢と八坂神社が見えた。
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で、「ん?」と成った。
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三浦義村公の廟所
こちらが御廟。
「なら、さっきの供養塔は三浦義村公の物では無いのだろうか?」
と、疑問を持ったが後で金田漁港に戻り元力士の御爺ちゃんに確認した所、実はここ立派な御廟は近年作り直したらしく、やはり小生の直感が当たっていた様だ。
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義村公の御廟と八坂神社さちゃんと御参りしてる人が絶えていないらしく、ちゃんと綺麗にされていた。
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岩浦八坂神社
大きくは無いが地域の人口を考えるとかなり立派!
維持大変だろうと思い頭が下がる。
御参りし終えて右手に廻ると・・・
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鎌倉文化圏らしい左岸をくり抜いた横穴に小さな神様の祠
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それと石仏か供養塔か神様の祠か今では判別不能。
この岩浦八坂神社の近くに三浦義村公の菩提寺があるのだが、電話しても御住職が御不在だった事と、時間的に先を急ぐ必要が有り又、日を改めて参拝する事にした。

今思えば・・・
地元の御爺ちゃんと話して三浦義村公をこうして御参りし、お地蔵さんや神社や見かける度に御参りしたから、この後に高い場所から落ちても擦り傷と亀裂骨折だけで済んだんだと思う。
・・・御医者サンに死ぬか半身不随でもおかしくないとか脅かされたしね。
義村公、素戔嗚尊様、お地蔵様、話してくれた御爺ちゃん、ありがとうございました!
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上宮田金田三崎線を歩き、剣崎砲台跡の近くを通り過ぎる。
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これは去年の写真。
城ケ島や観音崎と違い、保護されず農家のゴミ捨て場に成っているので正直、見に行く事はお勧めしないガッカリな状態。
なので砲台跡をスルーして大浦海水浴場を目指して松輪地区の農道を歩く・・・
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神奈川の景勝50選が沢山ある道なので当然風景は奇麗。KIMG9210
もっとも、この日は剣崎灯台の近くで骨折し、剣崎以外の景勝は見れなく成る事をまだ、この時は知らない(笑)。
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・・・昨年の写真だが、
歩いて大浦海水浴場に行く途中に農道から、房総半島と東京湾を見渡すコンナ奇麗な風景も見れる。
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途中、猿田彦大神を祀る石塔。本当、三浦には日本の風景と文化が良く残る。
そこからちょっと谷を下り大浦海水浴場に到着!
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天気は微妙だけど奇麗。
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大浦海水浴場
人もいなくて静かで、これはこれで良いね♪
因(ちな)みに天気が良いと本当に‼この海は奇麗♪

去年の訪問時の記事⤴
この一帯は民宿も多いので家族連れやカップルにもお勧めだけど、今年は県の要請で海水浴場がやってないので閑散としていた。
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途中奇麗な花。
大浦海水浴場を離れ間口漁港へ・・・
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間口漁港は
地魚を食べれる食堂や船宿も有るが大浦海水浴場の直ぐ近くなので地図リンクは省略する。
間口漁港から劒崎灯台に向かう途中、可愛らしいカフェを見つけた。
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ウェークエンド カフェ フラミンゴ
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残念ながらこの日はやっていなかったが子供が喜びそうな御店。
もしかしたら海水浴場がやってないから御店もやってないのかな?
機会が有ったら又来てみよう。
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農道に戻りしばらく歩くと灯台が見えてくる。
実は明治四年(1871)に建てられた古い灯台なのだが二代目で、初代は徳川幕府時代にアメリカ・イギリス・フランス・オランダの要求によって江戸条約に基づき初代の灯台が建設されたそうだ。
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この奇麗な
風景は灯台に行く途中から見た片谷浜で、ちょうど名物ブランドの松輪鯖と黄金鯵で有名な松輪漁港の裏っ側。
もっと進むと鳶(トンビ)が沢山いて少し怖い。
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その辺りから不思議な建物が見える・・・
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何だろうね、これ?と思いちょっと観光協会とかに聞いたら灯台のレンズ格納庫とか色んな話が有るけど海保の所有物で、剣崎砲台の探照灯の格納庫だったそうだ。
何回も来ていたのに今迄気が付かなかったのは、車でしか来た事が無かったからだろう。
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そこから灯台はすぐそこ。
景色はとにかく奇麗。
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やっぱ暫く後に高い場所から足をとられ落ちても亀裂入った程度の骨折で済んだのは、運が良かったのでは無くて、事前に土地神様の三浦義村公に御参りしたからかな~?
本当に景色が美しいが、この30分後位に自分がここで骨折るとは微塵も思ってない(笑)。
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明治に敷設された石畳が今年は訪問者が少ないから雑草で覆われそうに成っている。
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山百合が奇麗だよね~本当、三浦半島は梅雨入り頃、快晴の日の海が野萱草と山百合が見れてとても奇麗。
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劒崎灯台
天気は微妙、雲が多く成って来ていた。
でもここは灯台と夕陽と一緒の良い写真が撮影出来た。
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灯台が燻銀(いぶしぎん)に鈍く光り格好良い♪
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皇太后殿下もいらっしゃっている様だが、ちょっと石碑の設置年号を見ていないので誰か解らない。KIMG9271
灯台の横から見る間口漁港も良いね~。
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灯台の横の鉄塔は海堡のレーダーらしい。
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良いね~。
そして、この直後に高い場所で転倒し落下(笑)。
折れたと思ってないから掌の擦り傷だけ歩きながら写真撮ってた。
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足の腫れてるのは体毛濃くて見る人を不愉快にしてしまうので掲載控えます(笑)。
足踏とられて前向きにつんのめって倒れ落ちたけど、受身とった御陰で表面的には膝と手の擦り傷くらい。
しかも折れた自覚も無く捻挫程度かと思い、まんま歩ける程度。
折れてると思わんかった(笑)。
歩きながら手と膝の皮剥けた写真撮影してるくらい痛くなかったのよね、歩きにくいだけで。

結局歩く気失せて(当たり前)、予定の半分の11kmしか歩かずバスに乗って三浦海岸駅に帰って終了。
翌日自分で運転して病院行ったら捻挫だと思ったのに折れてるって言われて「まじか~」と思い、車運転してたからギプス巻くのを翌日にして貰い、再度通院。
美人看護婦サン♥️にギプスして貰い・・・
「皆さん美人で優しい看護婦さんばかりでよかったです~(笑)」
・・・とか軽口言ってたら看護婦さん同士で照れてアノ人が美人、貴方の方が美人とかツッコミ役不在で美人の譲り合いに成って面白かった(笑)。
病院から帰って来たら、小さい時から御世話に成ってる近所の叔母チャンに丁度会って・・・
「ちょっと!そんなに成って何笑ってんの!」
・・・て泣く寸前の顔で怒られた(笑)。 叔母チャン、俺が失業したの心配してくれてたし(笑)。
もう1人居合わせた小さい時に遊んで貰った近所の兄ちゃんの叔母サンにも「ムチャすんな」とガチ切れで怒られた。

ゴメンね、叔母ちゃんズ!
昔、畑の大根抜いていたずらしたり、鬼ごっこで押されて畑の有刺鉄線にガンジガラメに成ったりしてたガキンチョだった時みたいに怒ってくれてありがと(笑)。
ちょっと嬉しかったよ。

死なずに又、生かされてるんだから人生楽しまないとね~。

報恩
報復
臥薪嘗胆
埋頭苦干
聴其自然
鉄杵磨成針一定能成針
世上無難事只怕有心人

今回は三浦義村公との御縁で偶然大した事ならず骨割れただけで助けられた命。
色んな御縁にも周囲の人にも感謝せねば。
やれる事をやり楽しめる事をやろう♪

骨折したけど、自分には必要で大切な時間になりそうです。
mixiチェック

五月は雨も多いけど抜けるように真っ青な雲の少ない晴天も多く、山も海も散歩するには気持ちの良い季節・・・
今日は小生の様に独り散歩(笑)でも彼氏彼女とのデートでも丁度良い、そんな江ノ島~鎌倉の浜辺歩きながら撮影した写真を紹介したいと思う。
・・・実は湘南モノレール江ノ島駅~江ノ島前の片瀬海岸や腰越海岸に出て、そこから由比ヶ浜の端っこの小坪飯島公園まで散歩し更に鎌倉駅にまで戻ると丁度、徒歩で11kmと程良い歩行距離と奇麗な景色を楽しむ事が出来る。
江ノ島~鎌倉散歩 久良岐のよし
このGoogleEarthの衛星画像をクリックして拡大して見て欲しい。
黄色く表示したのがコース。
赤いグラフがコースの海抜を現した起伏で下の青い字が小生が追記した見物先の地点名。
こうして見ると高低差が余りなく穏やかで歩きやすい事が判ると思う。
この11kmコースは普段の休みに山道を20km歩き回ってる小生には短い様で、実は砂浜を歩くので山道の20kmと遜色ない運動量に成る。
山は山で緑の匂いと風と鳥の囀る声も心地良く感じられるが、海風と波に戯れる人々の微笑ましい快活な様子を見られる風景も又気持ちが良い♪
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この日、小生はいつもと同じく日没の少し前に稲村ケ崎に着く様に逆算して徒歩で出発し大船駅から湘南モノレールに乗車し江ノ島を目指した。
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いつ見てもカッコ良い、線路が無い懸垂式の湘南モノレール!
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う~ん面構えが良い。
先頭車両からの景色はコンナ感じ・・・
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・・・大船駅だね。
途中端折って江ノ島駅に到着。
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そこから江ノ電片瀬江ノ島駅を通過、商店街を抜け江ノ島に向かって歩く。
途中見えるのが・・・
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玉屋のようかん 本店
この玉屋サンは明治四十五年(大正元年)の1912年に開かれた100年企業の老舗で、昔からこの本店と江ノ島島内の支店で羊羹を販売している。余り若い人は羊羹食べないかも知れないが、プレゼントする相手が高齢者(笑)だと玉屋の歴史が100年有る事を説明すると喜んで貰える、良い江ノ島の御土産に成るんだな。
前回も紹介したけど今回もホームページのリンク張って置く(笑)。
もう1軒魅力的な店が有って・・・
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紀伊国屋旅館
紀伊国屋サンて言う老舗の良い旅館、宿泊費も安い!しかも江ノ島の海水浴場まで徒歩5分!
高級なリゾート旅館やホテルじゃなくて、本当に旅館ちっく
でも事実上の停止命令の自粛で今年のONシーズンは宿泊も海の家の営業中止しちゃったんだって。
黒岩知事さぁ、貴方と安倍総理の初動対応の遅れと、その後のクッソ遅い補償と脅迫付き政策のせいで雰囲気良い老舗がバタバタ潰れてくんだわ。
・・・早く何とかしてね。
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江ノ島島外の紀伊国屋サンだけでなく江ノ島島内の旅館の皆さん、三浦半島の民宿や旅館の経営者の皆さん・・・
新型肺炎は感染に注意はしても、もう自粛止めて下さい!
皆、営業再開して生き残りましょう!
・・・中途半端な本来は強制ではないはずの自粛要請でビジネスマンは電車バス通勤して全く三密回避していないし、一番感染リスク高い性風俗店やキャバクラ普通に営業して西村経再大臣も黒岩知事も実名公開で自粛要請も何もしない事実上の黙認。
これで真面目にやってる観光業、旅館業、飲食店が自粛を脅迫されるのは不平等極まりない理不尽ですから、もう営業して自衛して欲しい。
・・・でも、安倍首相の鈍間加減にも、野党の反対しかしない愚鈍さに対しても・・・
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「駄目だこりゃ(笑)!」
「再開(つぎ)行って見よ~ぅ!」
・・・と思った小生の同士(笑)達がシッカリ三密回避しながら江ノ島で家族の安らぎの一時、恋人同士のユックリとした優しい時間を過ごしていました。
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パパが女の子の手をシッカリ繋いであげて渚で遊ぶ様子は見ていて微笑ましく羨ましい(笑)。
皆、観光して神奈川県の商店主達を助けてくれてありがとうねぇ~!
馬鹿な自民党の幹部老害と野党の極左実害政治家達や、鈍間な厚生労働省の国家公務員から我々庶民が個人判断で経済を守りながらお互いの物理的な距離を保ち、シッカリ消毒して日本人の生活と文化を守って行きましょう~♪
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ここから見る近い江ノ島と長い長い浜辺に打ち寄せる波も良いね。
さて、この江ノ島を正面にして左手の海岸を東浜と言うが、ここに元々は橋なんて無かった。
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干潮に成り潮が引くと島と海岸が繋がり徒歩で渡る事が出来る“神秘性”が有る島だったからこそ、欽明天皇や文武天皇が勅願所にした聖地であり、源頼朝公や足利成氏公や北条氏康公が戦勝祈願をして不利な合戦で大勝利を収めた魅力的な観光地として江戸時代の庶民にも愛され、わざわざ当時の人は東京から徒歩で江ノ島を参り、伊勢原の大山を登り、そして富士山を御参りするのが定番コースに成っていた訳だ。
それと後で実際の写真を掲載するが、恐らく江ノ島の橋脚やヨットハーバーの建設が潮の流れの変化を生み七里ヶ浜稲村ケ崎の砂の流出と思われ無関係では無いだろうと思う。
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幸いな事に境川河口に近い東浜~腰越海水浴場はまだ砂浜が残っている。
家族連れで賑わい、恋人同士が仲睦(なかむつ)まじく手をとり散歩するホンワカした風景が広がっている。
まぁ・・・
住宅街と商業街の下流の海だから水質は御世辞にも良くは無いのが江ノ島近辺なんだけど(笑)。
そこから小動の岬に向かって歩く。
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すると小動の岬の側面西側には戦時中に連合軍の上陸迎撃を想定して築かれたトーチカ遺構の入口が現在も残っている。
半島の側面そこかしこに内部の塹壕から狙撃する小窓状の四角い穴も開いている。
この様な遺構は相模湾から三浦半島西岸の崖地に今も多数残っていたりする。
小動岬の上に在る小動神社を目指して歩くと、渋滞に多くの多摩ナンバーや品川ナンバーの車を見かけた。
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いらっしゃい!ようこそ神奈川へ。
お金落としてくれてありがとう♪
本当にクラスタ感染の抑え込みが必要だった2~3月ならいざ知らず、今となっては政府の感染源特定不能が広がった4月以降は中国やイタリアみたいに完全外出禁止命令にしないと全く意味が無い状態だったので誰が来ようが最早関係ない(笑)。
もう感染覚悟で経済回さないと、今はダラダラ政府と黒岩知事の脅迫付き実質営業停止命令の自粛延長のせいで多くの中小企業や飲食店や旅館が潰れ始めている。
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バブル崩壊後、民主党政権の暗黒時代より酷い。
挙句の果てにド田舎39県は自粛解除され、首都圏の商店主や観光業や飲食業は自粛延長で潰れてる。
なのに安倍総理、西村大臣、黒岩知事は一番感染リスク高い性風俗を全く自粛対象にせず、店名名指しのペナルティも課さなかった。
理不尽極まりない。
普通に電車バス通勤を我々現役世代は強いられ、学校が休校中の中高生の子供は集団で遊びまわる、大学生はレンタカー借りて行楽地に行き海で山でBBQ、感染自覚ありながら高速バスで山梨にBBQ行って男とSEXして東京帰って来る女みたいな確信犯の奴等がカオス。
山に川に行くなと言わないし、寧(むし)ろ自然の中で人と物理的距離をとって単独で行動したり友人や恋人とも少し我慢して離れて歩けば全く問題ない。
でもこの女は自覚症状が有りながら彼氏に触れ合って高速バスで帰って来た訳だ。
石田純一並に最悪な行動だろうな。
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武漢市民が武漢市封鎖寸前に多く日本に逃げて来た1月初旬は法律上、彼等を政府が拒否しない限り我々にとって武漢の方々も大切な御客様だった。ならば政府は感染開始の1月~から成田や羽田で感染者特定の体温検査と特定後の隔離を草々に行うべきだった。
つまり1月~2月~3月初頭が水際作戦&クラスター追跡と隔離しながら検査を実施するベストチャンスだった。
台湾の蔡総統の成功例と習主席直接の防疫体制確立指示が出てからの中国の対処を日本は共有されていたから、その時期に同じ事を真似すれば良かっただけなのに、過去の事例と官僚の面子に拘ったせいで2月頭からのアドバンテージは発揮されず、3月中旬には失敗が確定した。
しかも中途半端な自粛で休校中の子供達は自由に遊びまわり、老齢の方々も必ず団体行動で感染リスクを高めた。
若者と老人が感染を恐れず広げ、現役世代は感染リスクに怯えながら1月~2月を過ごし、3月には諦(あきら)めた訳だ。寧ろ4月~5月に成っても政府の公称「自粛」の実質脅迫付き、自粛の損失補償無し「営業停止命令」は続いた。
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東京駅周辺も観光が殺され仮死状態から潰れた店がある。
申請しても直ぐに振り込まれない補償。
最初は家賃補助すら話題にもせず営業自粛“強要”だけ政治家にされて、家賃の支払いも出来ず絶望して店を閉めた店も有るだろう。
小生自身が恐らく失業する。
小生の幼馴染の両親がやっていた店も潰れた。他にも知ってる店が潰れた。
先ず対応遅れた戦犯の加藤厚労相と尾身とか言うジジイが殺意湧く程許せない。
ダラダラ中途半端な自粛をさせる安倍総理と西村大臣も許せない。
・・・とは言っても、人を呪ってもメシは食えない(笑)www
自分の精神衛生上の理由でも海や山を歩き神仏に御参りしストレスを追いやり、高温多湿で安全な各地の銭湯巡り、小さな良さげな店で美味い物を食う!
そして感染しない様に距離を取り、人の密な場所には・・・
元々行かないし、横浜駅界隈や東京の港区みたいなコンクリートの無文化な町(笑)嫌いだしな。
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小動神社小生は3月からはもう、三密リスク回避は自分でしながら通勤可能な外出自粛なんて中途半端で意味の無い事をせず、ガンガン山歩きと浜辺散歩をし、神社を御参りしてストレスを貯めず自分の健康維持に務める事にした。そして神社や御寺を御参りして、世界の新型肺炎終息終息の祈願を神仏に御願いしていた。・・・当然ながら一人行動でね。
小動神社に御参りしたのも、その一環。
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この小動神社は鎌倉時代に源頼朝公の与力の名将、佐々木盛綱公が近江国の八王子神社を勧進して開いたと伝わるが、宗派を超えて歴史を辿ると、どうやら神社が開かれる以前から小動の岬状の地形が典型的な古代の海からのランドマークとして聖地化されていたらしく、今は道路を隔てて反対側にポツンと存在する真言宗の浄泉寺は空海和尚が開いたと伝わる。

そして、この浄泉寺を佐々木盛綱公が船の上から参拝したと伝わっているので、恐らく元々八王子社の前身に成る牛頭天王社か何かを空海和尚が御寺の境内社として開いたんじゃないかと思う。
それを佐々木盛綱公が御参りしたと言う事だと、空海和尚は方々の港や岬に海上交通の守護神として日本神話に則(のっと)って牛頭天王(素戔嗚尊:スサノオノミコト)を御祀りする御堂を建立して回っている歴史事実とも整合性が出る。
そして、恐らく鎌倉時代には既に荒廃していたので改めて佐々木盛綱公が近江国から八王子社の御心霊を勧進したのだろう。八王子神社の御祭神も一般的に牛頭天王とその王子なので矛盾しない。
この神社は佐々木家と関係が深いので佐々木家の隅立て四ツ目結び紋に〇で囲われた社紋が現在でも使われている。
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小動神社は改めて別の独立記事にしたいと思う。
余談だが江ノ島は元々島全体が聖地で洞窟が欽明天皇の勅願所だった。その江ノ島を管理する別当が真言宗系修験の岩本坊で、岩本坊は明治の仏教弾圧に岩本楼と言う旅館に業種替えして現在も存続している。その岩本楼の社長が元々の江ノ島と奥津宮岩屋(洞窟)別当職で僧侶であり侵食だった岩本家で、明治までの本姓は間宮であり、平時は間宮家を公的には家祖である佐々木氏を称した。
つまり江島神社にも佐々木一族が深く関わっていた歴史が有る。

そこら辺は間宮家の簡単な解説を以前書いた時に触れている⤴
江ノ島観光した時の記事にも、もう少し詳しく解説を書いたと思う⤵

ところで小動神社には展望台が有って、そこからの眺望が凄く良いのだが・・・
小動神社展望台
・・・外出自粛で人が少ない17時過ぎに誰も参拝に来ないと思ったのか、三十代くらいのオラ系ファッションの男とギャルっぽいカップルがベンチで“だいしゅきホールド”で抱き合って明らかに♀に入った♂まんま、女の方はまさかの緊張感の眼差しで、小生が“ゆっくり(笑)”淡々と境内で一頻(ひとしき)り参拝をして回る間、ずっと身じろぎもせず男に抱き着いたまま顔はコッチを見ていた(笑)。
下半身は展望台の壁で見えず腰から上しか見えてないから、風景の写真撮るフリして撮影したろか(笑)?と思ったが、せっかく興奮して盛って交尾したのが嫌な思い出に変わったら可哀そうだから、一応見て見ぬふりしてあげていた。
ちなみに“だいしゅきほーるど”てのはコンナ⤵
そしたら後から来た白人カップルの参拝客が空気読まずに展望台に上ろうと近づいて、そんでも男女からまったまんま動けずにいたのが面白かったが、流石に白人も「変だな?アレ~?」と思ったらしく4~5m位手前でUターンして戻って来た(笑)。良かったなバカップル(笑)?
これが小生や優しい白人オジサンじゃなくてヤンキーだったら男はボコボコにされて女は輪姦されたかも知れないな。
SEXするなら神様に迷惑かけない場所でやりましょう(笑)。神罰くらうぞ(笑)。
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アホな男女の怪しいだいしゅきホールドのハプニング発見の後で小動神社を参拝し終えて七里ヶ浜に移動。ここから砂浜づたいに約5km稲村ヶ崎迄を歩く事にした。
・・・と、言うか砂浜を散歩するのがメインの目的だった。
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サーファーも良いねぇ~!

これぞ鎌倉の海!
でも可哀そうなくらい普通の波しか来てなかった(笑)。
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だいぶ歩いてきた。
で、毎回この辺り来ると一応立ち寄る場所・・・

鎌倉高校前駅があり、そこの踏切から海を臨む景色が有名。
スラムダンク鎌倉高校前駅横踏切
スラムダンクの舞台で台湾や中国からの新婚旅行の若夫婦なんかが記念撮影に来る場所。
・・・で砂浜に戻る階段にコレが書いてる。
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タバコボ?
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駐車場の辺りから振り返ると良い感じに夕陽に富士山の影が浮かび上がる時間に成って来た。
あとちょっと歩いたら稲村ケ崎。
砂浜歩くの止めた、と言うか歩けなくなった・・・
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・・・原因は最初の方に江ノ島の腰越海岸の部分で話してた砂の流出な。そもそも歩く砂浜が環境破壊のせいで皆無に成ってしまた。これを行政は温暖化だなんだと責任転嫁するが、実は違う。
潮流が変わる余計な堤防工事や、市街地化した部分の河川の護岸工事で砂が生成されずもう70年以上もまともに相模湾に砂が流れ込まなくなったからだ。
実に昭和の高度経済成長期の土木は無節操で20年前の中国の都市開発並みに稚拙だと思う。
全く自然への影響が考慮されていなかった。
縄文海進 久良岐のよし
縄文時代、東京湾?と言うか関東平野は海で最奥部は群馬県に達していた。東京なんて多摩地区以外は略々(ほぼほぼ)海の底。弥生時代位に段々と気温が下がって北極と南極と山岳の氷塊の体積が爆増し海が引いて行き、それと同時に山野が削られ洪水の度に土砂が堆積して行きやがて沼地となり更に広大な武蔵野平野となり、弥生時代も末期には稲作が普及し古墳時代には更に国家により統制された大規模開拓が全国で行われ、元々海だった平野の野草が生える土地には古墳時代に成ると軍馬の繁殖の場が設けられ房総半島や本牧半島や三浦半島の風通し良くも海が近く密林に成らない一部の地域が名馬の産地と成ったので、古代から存続する武蔵国の一之宮~六之宮の延喜式内社が集結し行う国府祭(こうのまち)神事では今も軍馬を奉納する儀式が継承されている。
川崎市川崎区周辺の海抜0m地帯 久良岐のよし
戦国時代の始まった頃に成っても神奈川県域だと川崎駅前の堀之内、間宮家の河崎城館址の直ぐ近くまで海が広がっていて、太田道灌公が「海が直ぐ近くの河崎って場所に泊まったよ」って書いてたりする。その古文書が証明する通り、標高を色で表示する国土地理院の色別立体図で見ると現在も川崎駅の南部には戦国時代の海の名残の海抜0m地帯の洪水リスク高い地域が広がっている。
言い換えると寒冷期だった戦国時代~平成時代のたかだか500年間でこれだけの範囲の海が土砂の堆積と海の後退で‟一時的”にも出来ていた方が、温暖化で陸地が消失するより驚愕の事実なんじゃないだろうか?
当然ながら昔の高度経済成長期の乱開発が始まる以前の藤沢市や鎌倉市域は森林や田畑が広がっていた、江ノ島の海に注ぐ川の上流域が森林伐採され河川がコンクリで固められ砂が生成されずに、砂そのものの流入が半世紀以上も無くなった事も要因だろう。
上流に当たる藤沢市鵠沼~村岡周辺~鎌倉市手広や深沢や大船~横浜市栄区や戸塚区がその上流に当たる。
写真で比較すると解かり易(やす)い。

←左が昭和初期の藤沢駅周辺
藤沢駅周辺の古今変化 久良岐のよし
       右が令和現在の藤沢駅周辺→

左側の戦後直ぐ位までは写真の60%を占めていた水田と畑と森林が、右側の写真では完全に全滅している。そしてこの写真に流れる河川の合流地点が旧高座郡を流れる境川、右から流れてくるのが柏尾川で、その柏尾川の源流水源が瀬上沢と鼬川であり、鎌倉市域~横浜市栄区~港南区~金沢区~磯子区の乱開発で消えてしまった森林が水源な訳だ。
円海山の上郷地区は更なる森林と源流瀬上沢の破壊計画があり、港南台地区の大森林は住宅街に変貌して完全消滅した
コンクリートで固めたから都市部の蓄熱率が上がり熱帯夜に成るのだし、地球環境の変化はそもそも戦国時代から寒冷期だったのが現代に至り、縄文時代に回帰する温暖化の“自然なベクトル”に向かってるだけだろう。
自然破壊しまくった欧米が森林伐採を二酸化炭素にすり替えるのは、土建が批判に晒されない為の論点粉飾でしかないだろう。
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海面が高く成れば当然ながら砂や土は瞬く間に削られる。それを遅らせるのが山を削り小川から河川となり河口から供給される砂だった訳だ。その砂が供給されなくなって70年も過ぎれば、当然ながら海が砂浜を侵食して“縄文時代の地形に戻ろう”とする自然のパワーが爆発するわな・・・
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この排水路のだけ海岸に浮いて存在するが、この排水路の高さまでちょっと20年くらい前まで砂で覆われていた訳だ。海水浴で賑わった映画“稲村ジェーン”の舞台の稲村ケ崎~七里ガ浜の海水浴場は既に泥岩の地層が露出し砂浜は完全に消え失せた。
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露出した小川の河口。無残な姿。
この高さでも覆い隠す程の砂の高さが有った訳だ。
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川を跨ぐ遊歩道の橋脚が空洞になってしまっている。
自然活かすのではなく自然に勝とうとする傲慢なコントロールは自然には必ず負ける。
その良い教科書が今の七里ヶ浜の惨状だね。去年の台風後の来訪時より荒れてる。
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辛うじて僅かに残る浜辺。
でも実は寒冷期だった戦国時代~江戸時代~明治大正昭和平成の近代、この場所が砂浜だった事の方が長い歴史で見たら“一時の偶然でしかない”事が判る証拠も露出していた・・・
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砂浜が無くなって露出した元は波打ち際の磯だった時代の泥岩の岩盤。
小さな気持ち悪い穴は実は穿孔貝類、一般的には“磯マテ貝”と呼ばれる種類の貝が堀った巣穴の跡で、地球が温かい時期の七里ヶ浜のあるべき姿の歴史を覆いかくしていた砂浜の消失で再度露出した訳だ。
今は昔の気候に戻りつつあるだけで温暖化は異常気象ではなく“寒冷期に文明を発展させた現代人”にとって不都合なだけと言う歴史事実をまざまざと見せつけてくれている訳だ。
縄文海進 久良岐のよし
こっちが多くの生物にとって繁殖しやすい温暖な気候の地球の本来の姿。
縄文の温かくて海面が高かった時代は高座郡の寒川町~伊勢原市辺りまで入り込んでた名残から神話の時代に当たる弥生時代になっても旧海底部分が湖沼地帯で住居に適さなかった。
だから平安時代以前から存在し弥生時代の古代の聖地が信仰対象化した延喜式内社と式外社も、古墳時代に開かれた平塚八幡宮や前鳥神社を除いては全て古代の海岸線より内側に存在する訳だ。
主な歴史千年以上の古社と古刹と古代の海岸線 久良岐のよし
ギャーギャー騒ぐのがオカシイ。
ツバルなんかも元は人が住んで無かった場所に海洋民族が進出しただけの話し。
ツバルの人を水没後にどこに移住させてあげるかって議論をする方が重要だと個人的には思う。
地球の異変じゃなくて自然の一部なのよ。
でもね、先に話した通り七里ヶ浜が地球の自然な温暖化の海蝕の影響をモロに受けた原因は、昭和の河川の護岸工事と砂防ダム建造に森林伐採、住宅乱開発だろう。
七里ヶ浜に流れ込む極楽寺川・音無川・辻川・行合川これ等の上流に当たる谷戸が全て森と自然の河岸が宅地造成されコンクリートで何でも固める治水の影響で七里ヶ浜東部の海に砂が流れ込まなくなった事の影響が大きい。
更に鎌倉や横浜や藤沢や大和の森林伐採宅地開発と江ノ島のマリーナ建設や境川河口の護岸工事で潮流が変わったり、砂が不自然に流れつかなくなったからだろう。
腰越海岸を辛うじて保つ程度の砂しか入らなく成った訳だ。KIMG8267
上の写真が今回の散歩で撮影したの。
下の写真が以前に冬場に撮影したの。
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やっぱ砂の無い七里ヶ浜も個人的には美しいと思うけど(笑)。
でも夕陽の写真撮影するなら空気が冷たく水蒸気の少ない晩秋~冬~初春がベストだね。
しかし、ここに長大な砂浜が続く江戸時代同様の穏やかな景色も見てみたいなぁ~。
富士三十六景
空き家が増えているのに、このまま無軌道に森林伐採を行い不必要な宅地開発を続ければ、やがて鎌倉~藤沢のみならず茅ヶ崎~大磯~小田原の砂浜の消失も早まるだろうな~。
今でも凄い奇麗だけどね~。
で、稲村ケ崎で写真撮影してたら、絵に成りそうな見知らぬ美人サン発見!
さっそく夕陽に浮かぶシルエットの写真撮影させてもらった。
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この日、最良の一枚に成ったかな?
海と夕陽の写真を撮りに行くと、良く知らない人(笑)に突然声かけてモデルに成ってもらうけど皆優しくて?ん?突然でビックリしてかな(笑)?断られる事は少ない。
数年前に撮影した由比ヶ浜の材木座側での写真も地元の女子高生がモデルに成ってくれた。
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これは結構好きな写真。
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地元の仲良し二人組が肩を並べて富士山と夕陽を眺める青春の一コマ的な。
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今年の初旬だと長者ヶ崎でも地元の御姉さんがモデルに成ってくれた。
女性の後ろ姿と海と夕陽は実に合う。
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この写真が一番綺麗。
黒崎の鼻で撮影したこの写真だけ他人じゃなくて身内だけど。
モデルのいる風景写真撮るのは御願いから始まるから独身男には難しい。
まぁ~そんな訳で七里ヶ浜も凄く夕陽と富士山と江ノ島と海が一編に撮影出来て奇麗な場所なんだな。
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砂は完全に無いけれど(笑)。
もう稲村ヶ崎界隈は七里ヶ浜から七里ヶ磯に改名しないと文字に整合性が無い。
磯にしちゃえば良いんじゃない?
まぁ~、色々と素直に自然の美しさだけを満喫していられないのが現在の七里ヶ浜だったりするんだな。
最終目的地の由比ヶ浜に向かって出発!
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由比ヶ浜の端っこから稲村ケ崎側~極楽寺側の崖を見る。
現在でこそ切通し状の道で稲村ヶ崎~由比ヶ浜は難なく歩いて来れるが昔は切通しが無く、あの崖上に上がる道しか鎌倉市街地と七里ヶ浜のを往来する手段が無かったから大変だった訳だ。
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この断崖絶壁が鎌倉市街中心の防衛網の役割を担っていた鎌倉城の一部で最南端が稲村ヶ崎、こちら側を突破するには極楽寺坂の切通しを攻略する必要が有った。
だから新田義貞公は稲村ヶ崎のヘリに恐らく突貫工事で道を作り、干潮時に海側から一気に大軍を市街地に乱入させた訳だ。
それは以前コレ⤴に解説しているので、御興味有る方は斜め読みしてくれれば成る程ねぇ~?と成ると思う。
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由比ヶ浜の最西端の岸壁からは反対側の三浦半島が奇麗に見える。
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見える煙突は火葬場。あの煙は誰かがこの日、本当の意味で旅立たれた家族と最後の御別れをした証拠。出来ればこの煙のたつ前に家族とちゃんと御別れ出来ています様に・・・
岡江久美子サンや志村けんサンは家族と御別れも出来なかったから。
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由比ヶ浜に到着~!
超~元気なワンちゃんが波にハシャイでて凄く可愛い!
ブラジル人ぽいカップルが犬の散歩していた。
こんな生活本当に良いなぁ~。
でも実際の鎌倉市は現在でもアジサイの季節と夏と秋は人でゴッタがえして大船駅から電車も満車で、江ノ電鎌倉駅なんて駅に入るのが1時間以上待ちとか生活に適さない上に、アホの松尾市長が市外からの車乗り入れ規制を決定していて、そうなれば観光客がバスにも電車にも乗れなくて最早、怒号が飛び交う地獄絵図が展開するのは決定事項。観光客にも不人気な都市に成りそうな気がする。
・・・まぁ~、山の中を往復20km歩いて余裕で鎌倉市街に遊びに行く小生には関係無いけど~(白目)。
でも、就労先も鎌倉中心部で住居も鎌倉なら、本当に生活するには天国だと思う。
本当に本当の教養有る大企業の社長さんとかは鎌倉市内とか京都の左京区の下賀茂神社辺りとか神戸とか横浜の元町の山の上に住んだり昔からすんだよな。
やっぱりちゃんとした人は文化と自然との共生に魅力を感じるんだろう。
最近、IT関連の会社が鎌倉に拠点をどんどん移してきてるのも、彼らは本能より“頭を使う”仕事の人達だから頭を休める場所の大切さを見だすのかもな。
ちょっと道路側に戻ってみる。
稲瀬川と言う川が有る。
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例によって昭和の無文化河川工事でコンクリートの用水路みたいにされてしまっているが、実はここは歴史文化的に大切な場所で昔は和歌が詠まれたり、いわゆる鎌倉時代の市の中心街との境目に成っていた場所で北条政子さんが鎌倉入りする時に、この由比ヶ浜から三浦半島を見渡す風景がいたく気に入ったらしく数日間、川の畔(ほとり)の庶民の民家に滞在させて貰った歴史が有る。
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北条正子さんと言うと怖いイメージが有るかも知れないが・・・
頼朝さん大好きで山野を歩いて韮山の蛭ヶ小島まで愛を遂げに行ったり・・・
農村育ちだから素朴で純粋だったり・・・
神奈川県を頼朝さんと夫婦で一緒に旅行して廻って、色んな神社を一緒に参拝して夫婦らしい子宝祈願したり・・・
義弟義経の愛人の静御前が鶴岡八幡宮の舞台で義経への愛情の和歌を詠(うた)って舞った時に共感して頼朝さんに助命嘆願したり・・・
頼朝さん死んじゃった後で長男頼家公が自分の父親に暗殺されちゃったり、次男実朝公が実兄に殺害されちゃったり(小生は実は実兄の義時公と大江広元公が国外に逃がしたと推測)した後で、家族が誰もいなくなった時に起きた承久の乱て戦争の時に頼って逃げて来たのが、旦那さんと良く御参りに来ていた思い出の弘明寺の山で、その山に立てたのが井土ヶ谷の乗蓮寺だったり・・・
実は夫が凄く出世しちゃっただけで、本人は気が強いけど可愛らしい普通の女性だったと思うよ。
実際、誰も家族がいなくなっちゃって井土ヶ谷に居た時期の乗蓮寺の木像は凄く寂しそうな顔をしてるんだよね。
北条政子様木像画像
写真は横浜市南区井土ヶ谷の元:北条正子様の山荘だった乗蓮寺にある生前に掘られた彫像。
夫が側室持つのが当たり前だった当時、頼朝さんが側室を持つとヤキモチ焼いて文字通り側室の家を武士と一緒に攻撃したりしちゃったから、そんなイメージついたんだろね。
乗蓮寺については以前に解説記事を書いている。

今なら政子さんの感覚は凄く正常だと思う。
自分も奥さん貰うなら、北条政子サンみたいな人が良いな。
ところで稲瀬川の辺りの歩道はデザインが可愛い。
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東西南北の方角+各季節どんなイベントが有るか絵で示してくれているマンホール蓋。
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4月は鶴岡八幡宮の静の舞
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9月は元々畠山重忠公が開基した横浜市金沢区の東光寺と言う御寺の旧所在地だった鎌倉宮の薪能。
鎌倉宮に成る前に東光寺で後醍醐天皇の皇子の護良親王が自害に追い込まれた後、東光寺は金沢区釜利谷に移転させられ鎌倉宮が開かれて護良親王を祀る事に成った。
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8月・・・アホの松尾が中止した由比ヶ浜の花火大会。
鎌倉の松尾と横浜の林文子は本当に無文化極まりない。
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8月の鶴岡八幡宮の雪洞(ぼんぼり)祭り・・・
以前何で八月に雪洞(せつどう)なんだ?
・・・とか思ってたら、実は雪洞(ボンボリ)=行燈(あんどん)の事だと大分後に知った思い出が有る。
始まったのが1930年頃と言うから、夜間ライトアップして御祭りにしたとか、まだイルミネーションが一般的じゃなかった当時の鎌倉の人は本当に昔から風流だったんだねぇ~。
砂浜に戻ったら高校生くらいの男女2組のカップルが海の中で青春を謳歌してた。
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う~ん微笑ましい青春の縮図。
いつまでも仲良し4人組でいて欲しいなぁ~。
社会人に成っても友達でいて欲しいな。
中学高校の友達って余り大人になったら大切な友達でいつづけるケースは実際少ないって統計があるから。でもそうじゃない場合も有る。
この子達がずっと仲良しでいれますよ~に♪
由比ヶ浜をずっと歩いたらスッカリ日没に成ってしまい、若宮大路から鎌倉駅に向かう事にした。
途中には遺構は残らないが史跡が有る・・・
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畠山重保邸址
実は以前も別の記事で紹介した鎌倉時代の武将、畠山重保公の館跡で、室町時代の供養塔も存在する。

新編相模風土記稿は鎌倉の御廟を墓所だろうと言ってるが明らかに間違い。
何故なら、この供養塔は室町時代の建立だから。
合戦は発生したろうが、当日は御父君:畠山重忠公が鎌倉に来る予定だったので大蔵幕府側の畠山邸で送迎の準備をしていたはずだから、由比ヶ浜の館で戦火が上がり事態を把握して、鎌倉に向かっている父親に陰謀を知らせる為に八王子街道を目指し、先ず鎌倉から脱出する為に兵が配置されている巨袋坂切通しと古鎌倉街道中道を避けて、平安時代の古道の天園ハイキングコースの山に逃げて白山古道を通り釜利谷に抜け、六浦道(むつらみち)から鎌倉街道下道から北上し保土ヶ谷区で八王子街道に入る事を目指す以外に選択肢が無い。
そして釜利谷の御廟所一帯は恐らく東光寺が移転した経緯からも、畠山家の所領だったはずだから、そこで追っ手にかかり最後の時を迎えた方が明らかに自然。
まぁ、そんな感じで鎌倉駅に到着した。
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常楽湯
・・・で大船駅まで電車で戻り、銭湯好きの小生は大船駅で下車して大船の常楽湯に入って徒歩で流した汗を流してサッパリしてから帰宅した。
小さいけれど実は約100年の歴史が有る銭湯だったりする。
中のトイレは未だに大正~昭和初期のボットン便所!
常楽湯は最初に訪問した時に御店主の方に許可を頂いて中の写真も撮影させて頂いてるので改めて別記事にしたいと思う。
この日のDoor to Doorの歩行距離は16km、22000歩と山歩きと比較すると歩数も距離も少ないが、砂浜10km位を歩いた疲労感は山道の20kmと同じ位だった(笑)。
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江ノ島~鎌倉散歩 久良岐のよし
江ノ島~由比ヶ浜~鎌倉駅、良い散歩コースだったので、皆さんも天気の良い日、夏に成る前に少しお出かけして見ては如何だろう?

海の砂浜侵食にはいろいろと考えさせられる1日だったが、まぁHカップルに遭遇したりハプニングも有ったが、全体的には海風が気持ち良く、良い写真も撮れて充実した1日だった。







mixiチェック

「自粛やぁ~めた!」
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・・・で、車で30分の近くの海に潮風に当たりに行って来た。
三ヶ月前から中国から情報共有されてたし、中国反省してからの対応は参考に成った。中国から3月初旬には大量の検査キットや医療用具の提供も有った。
そもそも武漢肺炎爆発感染開始直後に上海の医療先進チームが100人編成で武漢入りした際の装備の不備で全員感染し壊滅した事実も、外務省から厚生労働省に情報共有されなかったのかダイヤモンドプリンセスの検疫に活かされてもおらず、厚生労働省と政府の相談役の有識者は自分達の方法に拘り全て後手後手に回り、現場の職員は感染リスクにさらされた。
台湾のサーズの経験活かした中国からの感染者流入阻止と感染者隔離と防疫も、1月初頭から良い御手本に成っていたにも関わらず、それも模倣出来なかった。

全て無視して対応が3ヶ月遅れたのは政府の責任。三蜜回避要請も1ヵ月の約束だったはず。
自営業の連中はどんどん倒産してる。

「阿呆(アホ)らしい」

スーパーに親子連れで買物来てて、あれだけ過密してて皆で商品べたべた触って三蜜回避も外出自粛も無ぇ~よな?
伊勢佐木長者町や曙町の性風俗店は普通に営業黙認してるよな?
黒岩神奈川県知事、林文子市長?
なんで真面目な洋食屋さんや居酒屋がダメで、濃厚接触どころか直接粘膜擦れ合う淫靡な接触でヤクザの資金源で最凶最悪の性風俗店が営業してるのを実名公表しないんですかね?

あ~御二人とも性風俗の常連客なんでしょうか?

性風俗に事実上の自粛無用の営業公認する黒岩知事と林市長。
約束守らないし、国民の生活守らないし、日本企業守らない政府。
特によくいる実力不足だけど自己顕示欲が強い“苛めっ子優等生”タイプの西村大臣の大阪府知事に対するマウント。
くだらねぇ~なぁっ、エライさん方!
末端の公務員と県民の事考えてなさそうだ。

「だから自粛やぁ~めた(笑)!」
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うひゃ~♪
人のほとんどいない海って気持ち良ぃ~(笑)!

どこの会社にもいそうな有能な後輩を潰しにかかる無能上司みたいな西村ってオッサンにクサクサしても意味ないし、安倍総理も約束と違う“緊急事態宣言延長”とか言い出したから、もう自分なりにしていた三蜜回避の為の自粛の御願い聞くも止めて飲食店にも行く事にした♪
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うぉ~!焼き鳥美味ぇ~(笑)♪
※店は後で紹介する。もろ三蜜♡で食べる立ち食いの御店!

感染源特定出来ない状況にまで事態が悪化してるのに、外出自由の現状で外出自粛要請は意味が無い。
一番ダメなのは電車バス通勤を禁止しない事。
もう手と手、頭髪と頭髪で間接接触も直接接触もしまくり!

でも庶民の小生がそんな事を考えても政治家じゃないから仕方ないもんね(笑)。
身の回りにいる“男性のバブル世代や団塊世代”に言っても・・・
「政府より偉いと思ってるの?」
「自分が政治家に成れば?」
・・・とか、民主主義の「み」の字も自覚してない自分達が国家運営を委託する人間を決める国家運営に関わってる一員と言う自覚が丸出ない、無責任な発言しか聞かなかった。

てなわけで、なんかクサクサした気分を「パっと!」晴れやかにしたい気分に気持ちの良い青空、三密回避に山歩き行くには雨翌日の泥濘(ぬかるみ)で無理なので海に行ってきた・・・
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浦賀燈明堂(とうみょうどう)
これどこよ?と歴史に興味ない人は思うだろうけど、歴史的に重要な場所で有りメチャメチャ奇麗な場所。
写真の右上を見ると和風の建物が見えるだろうか?それが復元された江戸時代の“灯台”なんだな。
浦賀城周辺 久良岐のよし
実はそこ、江戸時代初期はおろか平安時代から重要視された浦賀港の入り口で、岩礁が有るので慶安元年(1648年)に江戸幕府の命令で築かれた日本最初期の灯台で、近代の明治五年(1872年)まで稼働していた施設なんだな。
そして戦国時代には三浦水軍の重要拠点として浦賀港の入口東側の東叶神社の丘陵が城塞化され、神奈川県では有名な浦賀城が築かれ東京湾防衛を担った。
北条家臣間宮一族で北条氏康公の奏者(秘書)を務めた間宮宗甫公、そして平安以来の三浦郡領主の三浦氏の分家である横須賀氏が在番した水軍拠点の城だった。
城主の横須賀氏は元は鎌倉武士として源頼朝公の最大の協力者だった三浦義澄(よしずみ)公の支配した三浦一族の子孫で、三浦本家が滅亡して分家の佐原三浦家が三浦家の名跡を次いで室町時代に大名に返り咲くと横須賀氏も重要視され、三浦氏の戦国大名として最後の武将と成った新井城主三浦義意(よしおき)公の母君が横須賀秀連公の御息女だったりする。
つまり、この横須賀秀連公が北条氏綱公が相模を統一した頃の横須賀の浦賀城主で、間宮宗甫公は横須賀氏の目付(副将兼監視役)的な意味で配置されたのだろう。
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間宮宗甫公の宗甫は名前では無く入道号であり仏門に出家した法名だ。
1560年迄の領地も“北条所領役帳”に記載が有る。
八貫五百文 神奈川斎藤分
六貫文   鎌倉紺屋分
弐捨貫文  御蔵出し
この鎌倉紺屋分と言うのは鎌倉を支配した本光院殿(北条為昌)の死後に、その遺領が再分配された当時の軍団編成が“本光院殿衆=鎌倉領”だったから所領役帳を写本した人物が誤認して“鎌倉”の注釈を入れたのだろう。
小机領、神奈川領と似た様な編成由来だと思われる。
そもそも現存しない原本には各所領の郡名は書き記してなかった筈で、証拠に別の写本とは郡名の違う場所が有る。
間宮本家の間宮康俊公の所領に富屋とあるが、これの郡名が各写本で異なる。今の坂戸市戸宮としている学者さんもいるが恐らく違う。間宮家所縁の神奈川区に実は富屋は今も存在する。実はJR東神奈川駅一帯がそもそも富屋町で、今はだいぶ狭い範囲になり安土桃山時代か江戸時代には既に神奈川の名の方が有名に成り江戸時代に写本した連中が神奈川区富屋=そもそもの神奈川宿周辺に戦国時代今より大きく広がっていた富屋町を辿る事が出来なかったので、同時期に検地された埼玉県方面の中に戸宮の名を見つけて当て込んでしまったんじゃないだろうか?
学者さんが根拠にしているのは、その検地された時期だけで、同時期に離れた富屋の検地がされていてもおかしくない。寧ろ京急神奈川駅一帯の権現山城の合戦に間宮家が籠城側として参戦してる事も富屋は神奈川区の富屋と考えた方が極々自然だったりする。
権現山合戦を書いた記事⤴️
紺屋の地名で他に間宮家に所縁の有る場所は鎌倉市には無いが旧本光院殿衆の与力所領は三浦には沢山ある。宗甫公は氏康公の直属に成る以前は或いは本光院殿衆だったのかも知れない。
三浦半島の東岸は西浦賀の他にも不入斗一帯が間宮本家の所領で、杉田の間宮家は走水で里見水軍を一網打尽にし里見の軍船を多数滷獲(ろかく:乗っ取る)に成功した際に不運にも間宮常信公が討死にしている。浦賀の紺屋を除いて走水防衛を担う出撃拠点が見当たらない。
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斎藤分町と言うのは六角橋商店街で有名な近所の一帯だな。小生は学生時代に交通違反点数累積の1ヵ月免停で違反者講習を受けに行ったのも六角橋の斎藤分町側だった(笑)。
ところで間宮宗甫の宗甫と言う法名だが・・・
戦国時代の北条家臣団は多くは主家北条家の宗旨が曹洞宗だった事から、一般的に当時は臨済宗と一緒に“禅宗”で一括りにされていた禅宗曹洞派の寺院で学問や禅の精神を学び、入道号に臨済宗大徳寺系の“宗〇”と大徳寺で修業した主家の創始者である北条早雲(実名:伊勢盛時 入道号:宗瑞)に倣(なら)って師僧から“宗”の字を貰って法名を名乗る事が多かった。
当然ながら地元の由緒ある臨済宗の御寺が菩提寺だったり自分の領地内に在ったりすると“道〇”と臨済宗系の法名を貰っている人も多くいた。
それ以外にも千葉家臣団系や武蔵国南部を拠点にした武士は日蓮宗系の“日〇”と名乗る武将も多かった。
面白い事に、北条家臣団は禅宗で学びながらそれぞれの菩提寺の宗旨でも法名を貰っていた様で、戒名には禅宗系と日蓮宗系のMIX戒名(笑)も多く見られる。
例えば間宮宗甫公の一世代後の間宮家の同族でも北条氏康公直臣として横浜市磯子区杉田一帯を治め小田原水尾城代を務めた間宮信繁公の戒名が「法種院殿“道因”“日縁”大居士」と臨済系の道〇と日蓮宗系の日〇の両方が入っている。
これは簡単に説明がつく。
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霊桐山 東漸寺(臨済宗関東十刹の1つ)

寺領の陣屋に臨済宗の関東の十大道場の一つである東漸寺が存在したので、そこで平素は禅の修行をしたから師僧から“道因”の入道号を与えられたのだろう。
そして“日縁”の法名は・・・
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牛頭山 妙法寺
・・・同じ杉田に存在する実家の菩提寺である妙法寺が日蓮宗だったので、亡くなった際に日蓮宗の法名も加えて戒名の法種院殿道因日縁大居士に成っている事が判る。
日蓮宗の多い千葉家臣団の遺臣の末裔である房総半島の武将達も間宮信繁公と同じ様に鎌倉時代以来の日蓮宗系の日〇+臨済宗系の道〇の法名を持つ武将が多いのも同じ理由。

室町時代を通じて北条家は浄土真宗と敵対する足利幕府の方針に従っていたので、足利義明の将軍就任以前は浄土真宗とは敵対していたので、先ず、安土桃山時代になるまで浄土真宗に帰依している武将はいなかった。
間宮家でも豊臣秀吉による北条家改易後に徳川家臣となった間宮綱信公が氷取沢の寶勝寺を禅宗から浄土真宗に復興開基したりしているのは、正にその理由で徳川家康公の重臣である本多正信公が近くの玉縄城主に成り影響を強く受けたからだろう。本多家が没落すると今度は自分の領地の荒寺を徳川家の宗旨の浄土宗に改宗して復興開基した所が多い。

東漸寺と妙法寺の紹介記事は以前書いているので、御興味有る方は御覧下さい。
これ⤵


鎌倉時代に話を戻す。
源頼朝公と文覚上人は真言宗の密教と山岳信仰の修験道としての修行に造詣が深く、伊勢原市の大山や富士山を登って富士山の火口を一周する修行をしたりしている。
現代の様な登山靴も衣類も何にも装備がない時代に・・・
鉄人すぎる。
それ以外に二人は法華経を大切にしていた様で、頼朝公の御廟所も法華堂だったりする。
その後。源頼朝公の死を境に衰退しする。その頃に成ると源頼朝公の忠臣だった熊谷直実公や土肥実平公は法華経と阿弥陀如来を大切にする法然上人に帰依して、二人はそれぞれ浄土宗の僧侶に成ったり浄土宗の寺院に仏像を寄贈したりと支援を行っているが、二人を含めた源家の忠臣は鎌倉幕府を牛耳った北条家に政治的に干される。
恐らく、鎌倉で法然上人と弟子の親鸞上人が北条家から迫害されたのは武士同士の信仰的な結束とか政治的な結び付きが直結したのだと思う。
鎌倉幕府の執権と成っていた北条家が京都の藤原氏と組むと、藤原家が影響を及ぼしていた天台宗系の禅宗臨済宗を北条家が導入し、旧頼朝公の古参遺臣派と親北条派の政治的衝突に巻き込まれ熊谷家や土肥家と関係の深い法然上人の浄土宗の寺院が鎌倉で焼討された時期が有ったのだろう。
その後、執権の北条家が導入した臨済宗に宗旨替えをする武士が多く成り、その武士達が支援した寺院も臨済宗が多く成った。
だから神奈川県域の街道沿いや海沿いの早くから開けた場所だった寺院は臨済宗や元臨済宗が多く、杉田間宮家が支配した屛風ヶ浦辺りにも篁修寺や林光寺と言った臨済宗寺院が残っている。
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鳳林山 篁修寺KIMG6145
晴峯山 林香寺この二ヶ寺は北条家分家の名越北条家の丸に三ッ鱗紋の家紋を今も寺紋として使用しており、東漸寺の末寺として開かれた歴史が有る。
丸に三ツ鱗紋
一帯を鎌倉時代まで支配していた名越北条家の北条宗長公が、天台宗だった東漸寺を建長寺の末寺として再興したので、東漸寺から北条家の三ッ鱗紋を引き継いだ事も解かる。
因みに東漸寺の方はと言うと・・・
CIMG6785徳川葵紋
徳川家から葵の紋の使用を許されているので、現代では名越北条家より権威の有る葵の紋を使用している(笑)。
現代では鎌倉五山の第五位に列せられている東日本で5番目の格式を持つ臨済宗の浄妙寺・・・
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実はここも元は真言宗の大寺院だった。
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浄妙寺は足利家の鎌倉幕府征夷大将軍の家臣時代の居宅地であり鎌倉の菩提寺で、室町幕府初代将軍足利尊氏公の御舎弟(弟)である足利直義公の菩提寺だったりする。

三浦半島の浦賀湊に話に戻す・・・

源頼朝公御存命の平安末期以来の在地武士は真言系宗派を信仰する一族が多かった。だから三浦一族の拠点には真言宗寺院や元真言宗の御寺が多い。一部、天台宗の寺院も現存したり元は天台宗だった場所も多い。
鎌倉時代の三浦本家の学問所だった大善寺。
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金峯山 不動院 大善寺
ここは奈良時代に行基大僧正によって不動明王と蔵王権現が祀られて寺院の前身が出来て、後に真言宗の寺となり衣笠山が平安末期に三浦一族の居城となり衣笠城内に組み込まれると三浦家の学問所として一時は大いに繁栄したそうだ。戦国時代に三浦半島が小田原城主北条氏綱公の勢力下に入ってからは曹洞宗寺院に改宗したが、曹洞宗に成ってからも護摩壇が御堂に残されており真言宗時代の御不動様の護摩焚きを現在も行っていたりする。
神奈川県域にも弘法大師つまり空海和尚が布教活動に来られていたので比較的天台宗より真言宗が平安時代末期までの関東では勢力が強かったようだ。又、頼朝公の源氏が熱心な密教的要素の強い修験道の信者だった事もあり、真言宗と天台宗が残る原因に成ったのかも知れない。
更に古い時代には関東一円には法相宗の寺院も有った様だ。
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梅花山 成就院(現在の寺号)
(開基当時:曲田山 帶行寺→改宗後:梅花山 南無佛院 成就坊)
又、三浦半島から横浜に話を戻すが、港南区笹下の間宮家の居城笹下城跡に在る成就院は、現在は浄土真宗高田派だが平安時代の早い時代には法相宗だった事が書かれていたりする。そして文覚上人が源頼朝公の戦勝祈願の護摩焚を行ったと新編武蔵風土記稿に書かれている事からも鎌倉時代の頼朝公の時代には文覚上人の真言宗に一時期属していた事が判る。
そして例によって頼朝公が暗殺されて後に荒廃し、後に親鸞上人が笹下に布教に来た時期に浄土真宗に改宗し蓮如上人によって曲田山帶行寺から浄土真宗の御坊(ごぼう)として“成就坊”に改められたと伝わる。

成就院も以前記事を書いているのでコレ⤴御興味有れば御覧ください。

因みに、さんざん登場した文覚上人・・・
源頼朝公と親友だった真言宗系の密教修験道の有名な“御坊様”だった文覚上人が開いたのが浦賀湊(みなと)の入口を守る東と西の叶神社だ。
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叶神社(西)
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叶神社(東)
この2社は実にロマンが有り、2社を隔てる浦賀港の渡船に乗って両方御参りすると縁結び祈願が成就すると言う。因(ちな)みに小生は未だ、船で御参りした事が無い。

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ここが渡船の乗り場で、海に治策見えているのが赤色の船が渡船。
機会が有ったら好きな女性を連れて来て一緒に御参りしようかしら(笑)?
この神社は西が先だ東が先だと下らない事を推論する“御朱印バカ”がいるが、そもそも開いた文覚上人が僧侶で今でこそ神社だがそもそも神社じゃない。
神仏混交の八幡宮として京都石清水八幡宮から勧進された八幡大菩薩=応神天皇=大鞆別命の御神霊を御祀りしている真言密教系修験の聖地だった訳だ。

国土交通省水管理保全局が判りやすいブログを書いてくれているので、それを見ると一目瞭然だと思う。
そもそも石清水八幡宮は湧水の聖地であり、眼下には江戸時代まで巨大な巨椋池と言う湖が広り淀川や宇治川と言う水害を起こす大河川が流れていたので治水の神様として、それらを見下ろす男山に神様が遷宮された訳だ。しかも修験道の聖地として、仏教の僧侶が得た神託によって筥崎宮から遷宮された。
そして古代から存在する神社である延喜式内社の沿岸部における立地はは湾の最深部、湾の入口を守る左右の丘や岬の先端に存在する。
 
それはコレ⤴今年の初春の頃に書いた上総国一之宮の玉前神社の記事を読んで頂ければ納得して貰えると思う。
叶神社の主祭神は石清水神社から勧進された応神天皇=八幡大菩薩で破魔の神様であり水上交通つまり航行と治水の神様であり仏様だ。それらの歴史事実を踏まえて再度、叶神社の位置関係を見ると・・・
浦賀城周辺 久良岐のよし
延喜式内社や本来の神様の役割を熟知されていた御二人らしい叶神社の配置である事が理解できる。
・・・だから叶神社は当初から軍港を鎮護する御神威を期待されて浦賀湊の入口、左右の高台に勧進された事が推測できる。
だから西が先だ東が先だ言ってる輩は、そもそもの‟石清水八幡宮の歴史や地形からして理解していない”訳だ。
どっちが先かと言われたら、恐らく同時に開かれたはずだ。そして東叶神社の方が歴史が浅いと誤認される理由は恐らく、佐原三浦家が室町時代に大名化して鎌倉公方足利持氏公の与力となり房総半島の犬懸上杉家と戦った事や、その後は足利持氏公と大庭城主の扇谷上杉氏定公を裏切って山内上杉家に付いたりと、房総半島方面の勢力に備える為に東叶神社の本殿なり本堂成りが元々在ったであろう裏山の頂上に浦賀城を築いた際に、参道の中腹まで神社が移し降ろされたんじゃなかろうかと小生は個人的に推測している。
それが証拠に城が築城されて北条家の統治下でも城の鎮守として奥院は山頂に祀られたままで現在に成っても頂上に奥院が残っている。
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石段の規模を見るに、もう少し大きい御社が当初は存在したんじゃないかと思う。
ここは東京湾と浦賀港を守る城だっただけあり眺望も良い。
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実はこの写真から見えている対岸の岬の先端の場所が、冒頭の潮風を浴びに行った燈明堂海岸だったりする。この写真を見れば、燈明堂海岸が正に灯台を築く必要性の高い地形だった事が判る。
・・・で、ここで・・・やぁ~っと!普通の休日雑記に戻る(笑)。
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はぁ~♪白い砂浜最高Da~Yo~ねぇ~(笑)!
三蜜?馬鹿じゃないの(笑)?
何で人のいる場所に態々(わざわざ)行くの?
外出自粛?何でスーパーに友達や家族で超濃厚接触しながら行くの?
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電車通勤しちゃダメじゃん!車通勤しなよ!
車通勤させない会社は在宅労働させろよな?従業員が感染したら経営者の責任だからな?
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めちゃくちゃ気持ちいィ~人の略いない海ィ~♡
もう、あとは自分の奥さんと二人だったら最高なのに(未婚)!
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泳いでる人が一人だけいた(笑)。
 
・・・とか思った瞬間に爽やかだけど少し御腹空いてきて移動しおうと思った。

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一応、これが復元された燈明堂。
周りに木が生い茂ってしまったので今は灯台の役割は果たせない。
この海岸の裏山は近代に浦賀造船所と横須賀鎮守府を守る砲台要塞が築かれた場所だったりする。
千代ヶ崎砲台跡 久良岐のよし
千代ヶ崎砲台跡保存状態は極めて良いものの、残念ながら現在は非公開で鉄錠門で封鎖され入れない。でも新型肺炎が終息したら横須賀市役所の公園管理してる部署に問い合わせれば、走水の御所ヶ崎砲台と同じで猿島ボランティアガイドの人が引率するツアーを組んで貰えるはず。
横須賀市長に成った上地雄輔クンの御父上、聞いた話だと浦賀奉行所も史跡として復興して神奈川県域の中高生の歴史教材に活用する計画とか。実に素晴らしい!
頑張ってくだされや~。
ところで小生、この千代ヶ崎砲台の地形を見て・・・
「あ~、これ城跡だわ」
・・・と速攻思いました。浦賀城と左右で港を守る名も無い要塞として戦国時代に整備されたんじゃないかな?と思ったんですが、御城ファンの皆さん、この構造体見てどう思います?
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さて、美しい燈明堂海岸で西村大臣の屑っぷりと加藤厚労大臣の対応遅れまくり無能ぶりにクサクサイライラしてた気持ちも横須賀だけに「スカっ!」と潮風で吹っ飛び(笑)・・・
自民党にはまだ河野防衛大臣や小野寺前防衛大臣やら、最近、総理に痺れを切らしたか覚醒されつつある岸田さん等の逸材がいる事を思い出し、何となく良い気分転換には成った。
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浜辺の草花も奇麗だったしね~♪
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本当、来て良かったよ。
東京も浜離宮恩賜庭園とか国立科学博物館付属自然教育園とか新宿御苑とか、今だからこそ開放して事前申請、2m以上離れて歩く事、ベンチに座らない事、とか規制かけて東京都民にガス抜きさせりゃ~良いんだ。
まぁ~我々庶民の声は自民党のド偉い、大阪府知事にマウントポジションとりたがる様な大臣先生様や10万円欲しい奴はくれてやるから手を挙げろよ的な感覚の富豪先生様には伝わらないだろう。
本当、今回は公明党の山口代表が良くぞガンっと言って下さったと思うよ。
さて、奇麗な海も見たし・・・
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次は浦賀港の対岸、東叶神社に正月以来の御参りに移動。
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東叶神社に到着、先に散々解説はしたからもう書かない(笑)。
本殿前で御参りしてから社務所奥の裏っ側に移動・・・
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実はこの弁天様が凄い厄除けの御利益が有って有名。
小生は毎年、年始の御参りで各神社で厄除けの御願いもするのだけど、今年は去年の受験した資格の合格の御願いばっかりして、余り厄除け熱心にお願いしなかったり、例年みたいに三賀日に沢山の神社仏閣を御参りして廻らなかった・・・
そしてら、1月に交通事故起こしたり、2月に右足首酷い捻挫して靭帯損傷して内出血するわ~、何回も風邪引いたり・・・
ん?あれ、もしかして東京に電車通勤してたから新型肺炎だったんだろうか?
でも一応、医者の言う通り4日間自宅待機して熱計測したら熱下がったし咳も出なかったしとか。
極め付きは今回の新型肺炎のせいで“失業するかも知れない(笑)”ピンチ(笑)!でもダメな時は何をやっても駄目なのよね~ん。
出来る事をやりながら、楽しまないとね♪
そんな訳で厄除けに東叶神社に今年2回目の御参りに来た。社務所で弁天様の厄除けの御守りを購入して、そんなこんな、今年の出来事を奥さんに話したら・・・
「あ~それじゃ是非!弁天様の矢倉の中に入って良いですから中で御参りして行って下さい」
「中に入って写真も撮影して良いですよ!」
「御利益ありますし、白い光も一緒に映るらしいですよ~」
・・・と、とっても親切に優しく明るく対応して下さった(笑)。
既に奥さんの対応が人の不幸にそっと寄り添いピンチを乗り越える為に元気に一歩踏み出す元気を下さる八幡様と弁天様みたいだ(笑)。
そんな訳で中に入らせて頂いて改めて参拝。
弁天信仰の歴史も少し知ってる小生、この頭が女神様胴体が蛇の神様を見てピンと来た・・・
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「あ~正しい弁天信仰の歴史がある」
「頼朝さんの頃から湧水の聖地だったんだな」
「だから、ここに八幡大菩薩が勧進されて今の叶神社が存在するんだな」
・・・実は現在は稲荷神社と呼ばれるところに祀られる神様の宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)が、元はこの女性の顔に蛇の胴体の神様だったんだな。関東での弁天信仰の流行は、欽明天皇の勅願所聖地だった江ノ島の洞窟の中に祀られている宇迦之御魂神に弁天様を同一視して習合し、それまで建物の無かった江ノ島に神社の建物を奉納して八臂弁財天様を御祀りした事で東日本武士文化の弁天信仰が湧水の聖地を守っていたり洞窟の中に祀られたこの蛇の女神様=弁天様=インドのサラスバティ神と同一視されて行った訳だ。
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江ノ島も海の中の島の洞窟に奇跡的に淡水の湧水の池が有る。
この池の御蔭で鎌倉公方足利成氏公が家臣の山内上杉家と扇谷上杉家に謀反され攻められた際に江ノ島を城塞化して相模国と北関東の武将の援軍を得て籠城し、豊富な水と堅固な地形を利用して両上杉家を撃退した歴史が有る。
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正に戦勝祈願の聖地な訳だ。
頼朝公は、この江ノ島の岩屋(洞窟)に籠って戦勝祈願をし、伊勢平氏の平清盛の一族に打ち勝って鎌倉幕府を開いた。
だから今も頼朝公が鎌倉武士団に広めた弁天信仰の聖地の江ノ島の洞窟にも蛇の女神様の石の御神像が有るし、鎌倉扇ヶ谷の海蔵寺の横井戸の中にも蛇の頭の神様が祀られているし・・・
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宇賀福神社

銭洗い辯財天も湧水のある洞窟に祀られ、そもそも神社の名前が宇賀神に由来していたりする。
そんな訳で、浦賀の港を守る東叶神社には海の直ぐ目の前なのに奇跡的に飲用できる井戸水が有ったり、勝海舟さんがその井戸水で断食して体を清めてから咸臨丸に乗ってアメリカに行ったりしてる。
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叶神社の奥さんの御蔭でありがたい弁天様=宇迦之御魂神様に御参りする事が出来た。
残念ながら小生には白いオーブは見えなかったけど。
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でも暗い洞窟から見える入口の光と緑がとても奇麗で気持ちよかった!
弁天様ありがとうございます~♪
東叶神社を後にして、海沿いを走水方面に車を走らせて観音崎の多々良浜にも海を見に行った。
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もう陽が西側に回り三浦半島東岸の海辺には光が届かない時間だったので少し散歩して走水神社にお参りに移動した。
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こちらも御正月から既に今年3回目の参拝だろうか?
一応、怪我したりしても無事に再度御参り来れた事を感謝し、今の世界中で蔓延してる新型肺炎が集束する様に御神威を発揮して頂き日本人と世界の日本の友邦の人々と善良な人々を助けて下さるように御願いして来た。
御腹すいたし、そう言えば暫く横須賀の若松町の激安の焼き鳥屋、相模屋に行ってないなぁ~・・・
と思い、昼食兼夕食を相模屋で焼鳥食いまくりする事にした。

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やきとり相模屋
ここはメチャクチャ安くて何本でも安心して食べられる(笑)!
そしてシステムが面白い。
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店内でも食べられるのだけど地元民は御酒飲まない時は外で食べる。
この写真の焼鳥の調理場が外のテイクアウト窓口として店側面に空いているのだが、その陳列された焼きたてアツウマの焼鳥を立ち食い出来るのだ。
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1本80円均一。食べた櫛を前のカップに入れる。会計の時には櫛を持っていくと本数で勘定してくれるシステム。政府の30万円給付みたいに意味の分からん官僚オナニーなシステムと違い明瞭会計だ!
民を支配する又は国を運営し法律を定め尚且つ民の支持を得る為には法律やスローガンは解り易く実効性の高い物にしないといけないのは、既に紀元前300年頃に漢帝国を打ち立てた劉邦が秦の帝都の咸陽を陥落させた際に証明している事。
そして民草を優先順位で重視しないとイザと言う時に協力してもらえないし、普段から大切にして約束を守っていれば相手が強大な大軍勢でも庶民が殿様を助ける為に武装蜂起して駆け付けてくれるのは、既に500年前に神奈川県小田原城主の北条家が証明した事。

三蜜回避や経済の回し方どうするかは、もう感度も悪いし対応も3ヵ月遅れでしかやらないノロマな政治家に任せないで、我々庶民が自主判断自己責任でやれば良いんじゃないのかな?
ただ、大阪府知事と北海道知事サンの言う事は聞いていて酷い事にはならなそうね。
自民党の中のマトモな議員と吉村知事と鈴木知事等で、頓珍漢な事を安倍首相にさせ続ける奸賊佞臣をブッ潰して欲しいなと思う週半ばの休日でした。





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2月・・・
如月十五夜お月様の事をスノームーンと言うらしい。
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スノームーン🌕のまん丸お月様が余りに綺麗だったので円海山の頂上に写真撮りに行って、ついでに横浜横須賀道路🌉と横浜市街の夜景🌃も撮影して来た。
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街明かり綺麗。スマホだと少し限界有るかな~?
デジカメでも撮影してみた。
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うん!やっぱり綺麗に撮れてるね。
そんな風に歩きながら風景見て・・・
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・・・えっちらおっちら頂上よりも月の写真撮りやすい秘密のポイントに移動。
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途中、横浜横須賀道路の夜景も撮影!
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悪くないね、夜の道路の風景も。
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目的地のとある場所に到着。
誰も🌃夜に人来ないデジカメ持ったまんま仰向けに地面に寝そべってても不審者扱いされたり通報されない場所じゃないとね(笑)。
空向いたまんま両手を固定して撮影出来ないと上手く🌕お月サン撮れないからね~。
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スマホ📱サンだとこんな感じが限界だった。
う~ん・・・
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・・・小っさ(笑)!
デジカメ君出番だぜっ!
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・・・やりよるの~デジカメ君📷✨。
20000円なのに充分頑張ってくれてるね~。ありがとう!
てかさ・・・
「スノームーン🌕て名前なんで?」
・・・とか思ってたら色白美人サンな満月だからなんだね~。
本当に真っ白だった!
比較対照に同じ場所で何年か前に撮影した月蝕の時の満月🌕サン・・・
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漫画のハゲキャラの頭みたいに“きらーん✨”て光ってる(笑)。
何か月って黄色っぽい印象だけど、多分、2月の十五夜の満月は特に真っ白だから“スノームーン”て言うのかな?

まっ!色白美人サンな満月も良いね。

ところで円海山の山頂は月もだけど富士山と夜景も綺麗。
日没直後に円海山から西側を見ると富士山の山影・・・
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・・・そして栄区~鎌倉~藤沢~茅ヶ崎~平塚~厚木~伊勢原~秦野~大磯~二宮~小田原~湯河原~箱根の街明かりが見渡せる。
反対の東側も綺麗・・・
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・・・横浜港の夜景が一望出来るのね~♪。
朝の富士山も綺麗。
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夕焼けの富士山も綺麗。
昼間の富士山も綺麗。
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初夏には麓の瀬上沢の蛍も綺麗・・・
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でも、この蛍は東急建設の開発計画で瀬上沢西側の沢ごとえぐりとられ人工貯水地に沈む範囲に組み込まれてしまっている・・・
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・・・林市長、保護してくれないかな?
上郷深田遺跡
東日本最大で日本屈指の奈良~平安時代の歴史的に長い間使われた鑪製鉄の遺跡、上郷深田遺跡も開発で削りとられ破壊される計画に成っている。
東急建設破壊範囲瀬上沢ホタルと上郷深田遺跡
とくに上郷深田遺跡はユネスコに世界文化遺産登録出来る程の価値が有る稼働期間数百年、日本最大規模のタタラ遺跡です。
林市長、月と蛍が良く見える自然の夜の暗さが有る横浜最後の大森林の円海山と上郷深田遺跡守って下さい。
そしたら皆も応援出来ます。
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スマホケースがっ壊れた。
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なので新しい保護ケースに交換するついでに、市販のケースはデザイン全然オシャレじゃないので自分で少しだけ工夫してデザイン変えて、ついで鎌倉で買って来て使ってなかったガラスの蜻蛉玉でストラップ自作してケースに編み込んでしまう事にした。
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この可愛い子達をいかに男性でもおかしくない様なデザインに活用するかを考えたら、やっぱりケースから純和風にしてしまうのが良いだろうと思った。
で、思い出した。そう言えばダイソーで購入して余り使ってなかった千代紙が残っていた。
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これを活用しようと思い立ったので、先ずは女っぽく成らない様に蜻蛉玉に合った友禅千代紙を選んで見る事にした。
ちなみに、もっと拘りたい人には更に良い和紙専門店が鎌倉の小町通にあるのでリンク貼って置きます。
社頭 久良岐のよし
社頭(和紙専門店)
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こんな紙とか売ってます。
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今回はダイソーの市販品。最初に選んだ色はこの2色。
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・・・で、黒と紫のどっちがより華やかながら男性的にも見えるか2つの蜻蛉玉と2枚で見比べてみた。
なんとな~く、左の紫の蜻蛉玉と緑・金色と花柄がマッチングしそうな気がしたので次にケースに編み込むストラップ用の紐の選定。
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この穴にもう直接編み込んでしまう。
そしたら姪っ子達に・・・
「おじちゃ~ん、このストラップ頂戴ぃ~!」
・・・と理不尽な叔父ちゃんの作る綺麗な物は全部頂戴な要求をされてもこう言えるのだ。
「このストラップ外せないから上げられないの。」
「別の作ってあげるね~?」
これしか自衛手段が無いのだ(笑)。
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最初はいつものブレスレット作製につかってるアクリル製の紐から選ぼうとしたのだけれど、何だか今一蜻蛉玉の色に合わない気がした。で、伊勢佐木町の手芸屋さんで買ってた飾り紐が有ったのを思い出して引っ張り出して来た。
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ふむふむ、これならば色も千代紙と同じで紫の蜻蛉玉を引き立たせてくれそうだ。
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肝心の作ってる所を撮影し忘れた(笑)!
簡単にレクチャーしますと、先に一回、自分がケースに入れてデザインにしたい印刷物や小生の様に購入して来た和紙なんかを上下幅だけ裁断してケースの中に入れてしまいます。
更に紙を入れたままスマホも入れてしまいます。
それから先ず、鉛筆でカメラの穴の形を縁取りして紙に書き込んで、書き終わったらスマホと紙をまた取り出します。
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で、取り出したらカメラ窓のだけカッターナイフで上の写真の様に切り取ってしまいます。
この写真は前のスマホケースに入れていた紙ですので、既に上下左右の幅が裁断されていますが、窓枠を開けた時点では、他には上下の幅だけ余分な分を裁断して下さい。
左右の余分な分は後でスマホをハメてから穴位置調整で紙を引っ張る際に使うので残して置いて下さい。

再度、紙とスマホを入れる前にストラップをケースに取り付けましょう。
後から取り付けるのは困難です。
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因みに小生はこの様に絶対に取れない様にストラップ自体を編み込みながら自作してしまいます。

次に紙の上下幅とカメラ穴の裁断が終わりストラップを取り付け終わったら、紙とカメラ穴の位置をだいたいで良いので合わせて入れて、出来るだけズレない様にスマホ本体も入れて下さい。

スマホを入れたら、左右の紙の余った部分を引っ張って改めてカメラ穴位置を正確に調整して下さい。
紙の穴位置調整が終わったらカッターナイフを分解し刃だけを取り出します。

今度はカッターの刃を持たずにスマホの液晶画面に置いて下さい。
内側から画面に滑らせながら紙の余分な部分を裁断します。
自分で刃を持たずに液晶画面上に刃を滑らす事で、余分な紙を綺麗に水平に裁断できます。
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すると、こんな風にちゃんと側面にまで紙が入った状態で裁断できますし、液晶画面の上に余分な紙がはみ出して残ってしまう事も有りません。
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クリアケースを買って来て自分で好きな絵をプリントアウトしたり、小生の様に和紙やデザインされた物を入れると市販品の表面だけキャラクターが書かれた様なケースと違い側面まで綺麗に覆う事が出来て見栄えも良く成ります。
・・・で、完成したのがコレ⤵
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ね、悪く無いでしょ?
普段から工作しない不器用な人でも簡単に出来ます。もし御子様がいらっしゃるママやパパなら、中高生の御子さんと一緒に作って見たり、まだ小学生位の御子サンのいる御家庭なら作って上げると凄く喜んでくれると思いますよ~♪
・・・まぁ、個人的には小学生中学生にスマホを持たせるのは感心しませんが(笑)。でも、もう時代的に必需品かも知れませんし、親御サンとしては悩ましい所ですよね~?

最近忙しくて歴史のブログも書いて無かったんですよね。
また解説はちゃんと書ける時に書くとして、最近いった場所とかは写真だけでもアップロードして見ようかなと思います。

では!又、次の記事で御会いしましょう~♪

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お盆休み、まだ尊敬する北条綱成公の御墓参りを済ませていなかったので、菩提寺の龍寳寺に御佛前に供えて頂く御菓子を購入して伺った。
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龍寳寺は巨大な玉縄城址城塞郡の一角である鎌倉市植木に“現在の境内”がある。鎌倉市と謂(い)えども略、大船なので小生の自宅からも車で近い。
城跡だから寺の在る谷の山裾は全て裾切りされた城壁石垣より強力な防御壁となる断崖絶壁の切岸に囲まれている。
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元々は山上の栄光学園一帯が旧境内地だったのだが、儒学者で徳川家六代将軍の側用人だった新井白石が玉縄領主に成った際に龍寳寺を現在の谷間に移して今に至る。つまり昔は龍寳寺は山頂にあり非常時には砦の詰所の役割も担っていた訳だ。
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山門横を車で通り過ぎ、庫裏(くり)=現在の僧侶の居住区兼事務所前の駐車場に車を停めて、御本堂の御釈迦様に御参りしてから数年前に御本堂の横に移設された歴代玉縄北条家の御廟を御参りし綱成公達に御盆の御挨拶と近況報告を済ませた。
駐車場前の花園の黄花秋桜(キハナコスモス)がとっても美しかった。
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大将の北条綱成公と副将の間宮康俊公が統率した“玉縄衆”は、軍団の前身が“北条五色備え”の内の“黄備え隊”で、統一された隊旗が朽葉色=黄色地に“八幡大菩薩”の御神名を染め抜いた馬印(うまじるし=部隊識別シンボル)だった。
正にキハナコスモスの色がそれだな。
丸で綱成公や康成公を御盆休みに御迎え見送るのに合わせて咲いている様に感じた。
庫裏に御住職を訪ね御盆の御挨拶をし、御佛前に供えて頂く“葡萄餅”を御預けし少し雑談をしてから車に戻った。
柏尾川沿いの道を栄区方面と反対の江ノ島に向かい下って行った。
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実は今週半ばから酷いギックリ腰で昨日まで立ち上がるのも辛かったのだが、少しだけ足を引き摺(ず)り歩ける位に回復したのと気分が暗かったのも有り、殿様に近況報告してから海にリハビリを兼ねて散歩に行くつもりだった。午前中は背を伸ばして立つ事も困難だったので、まだ整骨院にも行ってない。
午後に調子が良くなり、龍寳寺参り&七里ヶ浜散歩を決めた次第だ。
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夏なので鎌倉の海岸沿いは渋滞激しく流れない。
なので、止まる度にゆっくり風景を見る事が出来た。
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スラムダンクの踏み切りは今日も観光客でいっぱい。
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程なくして七里ヶ浜に到着。
台風で砂浜が又、流出したと聞いて確認を兼ねて気分転換の散歩に来た。
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このMAINと言う御洒落(おしゃれ)なレストランは以前も紹介したが、ロケーション良く窓側の席だと秋冬には江ノ島と夕陽と七里ヶ浜と富士山を一編に眺めながら食事が出来る。
このレストランの横に公共駐車場があり、今日もそこに車を入れた。
関係ないけど、渋滞に巻き込まれ運転時間長引いてる間にギックリ腰が又悪化して、この写真撮影してる頃は既に痛くてマトモに歩けていない(笑)
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思ってたより“砂浜の後退”が激しかった。台風で砂浜が流出し遊歩道の橋脚が露出する事態が発生中。渡れない。
でも、これで小生は文字通り“自然だな”と感じた。
実は1990年代には砂浜は幅はもっともっと有り海水浴場も有ったぐらい。しかし2004年に海水浴場は閉鎖し更に昨日は御覧の通りだ・・・
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・・・遊歩道の橋脚は砂が流出し人が歩けない高さに取り残された状態成っており、砂浜は手前の鎌倉寄りで幅“10m”を残すのみ、奥の江ノ島寄りは“最早、砂浜が消滅”した状態だった。
小生は“これが自然”だと思う。
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稲村ヶ崎は新田義貞が鎌倉幕府攻撃の際に奇襲をしかける突破口に選んだ場所として歴史の授業でも習う。
超有名な観光地。
そこの砂浜が反日バンドと化したサザンオールスターズの“稲村ジェーン”の舞台にも成っていた。
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しかし、この間の台風でゴッソリ砂が持っていかれた訳だ。 
水は海水も地下水も川の流路も、いくら人間が“盛土”したり“掘削”した人工的に改変した地形をコンクリートで固定しようとしても、容赦なく周りの砂や土から抉(えぐ)り取り元に戻ろうとする力を発揮する。
2018年と2002年の衛星写真を比較すると解り易いかも。
下の衛星写真、上段が2018年1月、下段が2002年8月。
七里ヶ浜~稲村ヶ崎2018年
右手鎌倉市側の稲村ヶ崎と、左手江ノ島側の小動(こゆるぎ)の砂の流出が特に顕著だ。
これ比較すると小動側の防波堤の形状も工事で変化が在ったみたいだから、波の影響で破損が酷かったのだろうか?
繰り返すが小生に言わせりゃ・・・
「これで普通」
・・・なんだな。
気象予報士のお姉ちゃんが知ってる自然なんて考古学から見たら短い観測期間しかない。
今の温暖化は普通に元に戻りつつあるだけでしょ?
余り知られてないが室町時代は小氷河期。実は最近まで“地球が冷えてる時期”だったて事だね。
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だから農作物も凶作ばかりなので、料の乏しい冬に成ると上杉謙信や武田信玄は地元の農兵を引き連れて、神奈川県や東京に来ては略奪や婦女子を拉致し奴隷として地元や地方で販売したり鬼畜な事をして越冬していた歴史が有る。
まぁ、生き残るのに人の物を奪いとらなきゃいけない地方が有ったんだ。今の日本は恵まれているね、まだ良くならなきゃいけないけど。
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地球が縄文時代の気候に戻ろうと“二酸化炭素の影響ではなくて”温暖化して行く“自然の力”は凄いね。
もう、こんなに砂浜が減った。考古学的な話をすると、だいたい日本神話の時代と比較して現在の平らな地域の海岸線は少なくとも12km位は後退してるから逆に過去の地震による隆起を考慮してもかなり内陸まで海に戻ってもおかしくないのかな?
由比ヶ浜なんかは15年で50m砂浜が無くなってるから、対応しなければ今後10年で33m海岸線が陸を侵食する。
1000年後は少なくとも3.3km。
それがどれくらいかと言うと・・・
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・・・江ノ島からだと藤沢駅の手前の石上・本鵠沼・柳小路辺りまで海没する計算に成る。無論、微高地は残るだろうね。
小生が思うに七里ヶ浜の砂浜の減少は河川の護岸工事で砂の体積が阻害されてる影響も大きいのだと思う。江ノ島の境川とか、七里ヶ浜の極楽寺川とか音無川とかの上流が住宅街にされてしまい、風化した鎌倉石の地盤から砂が運ばれなく成ってしまったんだろう。
鎌倉も材木座~大町辺りは平安初期にはまだ入江だった。
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それでも約1km程度内陸だっただけ。
つまり15年で50m侵食は比較的早い。人工的な河川工事は海岸部の地形に影響を与えやすいって事かな。
いつまでも自然の摂理で風化した砂が体積するのを阻害する河川の土木工事のままでは内陸まで“元通りの海”に戻るスピードを早くするって事。

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この稲村ヶ崎は数百年後には又、一部だけ海から顔を出す半島か島に成ってるんだろうか。
1000年後には茅ヶ崎市平塚市は大部分が海の底に戻ってんじゃない?
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砂浜は無くとも夕陽と江ノ島と海には癒され、ギックリ腰等で落ちた気分も少し晴れた。
帰り、元来た道を村岡方面~大船に抜け円海山の麓(ふもと)の自宅に戻ろうかと思いながら駐車場に戻る途中目にしたこの光景。
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往路は空いていた江ノ島方面に向かう下り車線が凄まじい渋滞。
鎌倉市街地を抜けて帰る上りルートに変更。
帰路、無性に京都拉麺のチェーン店の魁力屋の“唐揚げ”が食べたくなり、朝比奈方面の上郷側にある魁力屋に遠回りして夕飯を食べた。
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旨いんだよ、この唐揚げ。

ふむ、身体はまだまだ、気持ちも暗かったが、少し殿様と海と夕陽の御影で癒され楽に成った。
ちなみに、この時点で無理して歩いたので、もう腰が痛く高齢のお爺ちゃんみたいにビッコ引いて歩いてる状態(笑)。

夕陽さん、海さん(笑)、御釈迦様、江ノ島の弁天様、綱成公と玉縄北条家御一族の皆様に感謝を感じた午後だったかな?

では、今日の休日雑記はここまで~♪

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2019年8月12日、最初は富士山に行こうかと思っていたが生憎(あいにく)と天気が安定せず雨と曇りを繰り返す微妙な天気だった。
国道16号に抜けてから大黒ふ頭に向かう横浜ベイブリッジの下層一般道路で川崎方面に向けて車を走らせ、一緒に山登りしようと計画していた同行者を鶴見まで迎えに行った。
雨の中富士山に行っても楽しくなさそうなので富士山には行かず、まぁ~丁度“灯籠祭り”が大山で開催されているので、昔は‟富士講”の一環で富士山とセットで江戸市民から信仰の対象で観光地としても賑わっていた大山に行き先を切り替えた。つまり大山講に旅を切り替えた。
大山については以前も解説しているので御興味の有る方は以下の過去記事を読んで下さるとどんな場所か少し判ると思う。
これクリック⤵
大山阿夫利神社と灯籠祭りの夜景と参道温泉街
…伊勢原市。

大山は縄文時代から聖地化していて山頂からは古代の祭祀遺跡も発掘されている。今では夏の灯籠祭りの期間の夜景と秋の紅葉が、ハイキングファンと神奈川県民に知られる場所だ。
お盆休みで商務車両が少ないせいか道路はスムーズに流れ、神奈川県伊勢原市の丹沢大山国定公園まで1時間40分程度で到着した。現地に到着すると最初に昼食を食べに行った。
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東学坊
小生のブログを以前から読んで下さっている方々は存じ上げてるが、大山の参道には江戸時代以前からの“先導師(せんどうし)”つまり伊勢神宮で言う所の御師(おし)に対応する神職僧侶兼ツアーコンダクターの様な仕事をやっていた方々の宿坊(神社寺院機能の有る旅館)が昔と比べて相当数軒数は減ったものの現在も営業しており、その何(いず)れも大山の天然水を利用した名産品の“大山豆腐”の豆腐懐石や猪肉料理を提供しており食事や日帰り入浴だけの客にも対応して下さる。
小生や東学坊と元滝と言う二軒を特に好んで利用するのだが、今回は日帰り湯にも入りたかったので東学坊で昼食をとる事にした。
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宿坊だから外観内装は完全に個人経営旅館。
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玄関に入ると池の奥に神棚の備え付けられた部屋が有る。これが普通の旅館では無くて修験道の聖地だった大山の名残り。昭和初期まで大山にはケーブルカーなんて無かった。江戸時代は小田急線伊勢原駅も当然無かったので、登山客は江戸方面からずっと歩いて来るので当然ながら大山の宿坊に1泊する訳だが、神職や僧侶でもある先導師を兼ねる旅館のこの様な部屋で登山の安全祈願をして貰ってから山に入る訳だ。
昼間、この東学坊は収容客数が50人位の広間がレストランとして営業している。
ここの料理は和食でも豆腐が中心になるので、だいたいの外国からの来客でも安心して食べられる料理が多い。
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とにかく、この豆腐がそこら辺の豆腐屋の豆腐とは全く文字通り格別!本当に美味しい!
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注文したのは“香の膳”と言う3680円位のコースで、そこに入浴料金も含まれているので御得。
一人では注文できないので、単独行動大好きな小生も普段からしょっちゅう食べてる訳じゃない(笑)。
ここで提供している超絶美味い豆腐は東学坊の御向かいの豆腐屋さんの商品なので購入する事も出来る。
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これね。
食事を終えてから東学坊の旦那さんに・・・
「今日は今から山に登るので帰りに御風呂入らせて頂いて宜しいでしょうか?」
・・・と一応事前に電話でも伝えていた御願いを再確認し許可を貰い、東学坊を後にした。
そこから徒歩で参道を歩いてケーブルカー駅まで移動。
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東学坊の前の不動明王様を拝んで直ぐ上の有名な御饅頭屋さんに移動。
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大山まん志"う本舗 良辨
この店の由来の良辨(ろうべん)と言うのは大山に深い関わりの有る高僧で、やはり大山一帯のみならず関東一円に影響を与えた行基大僧正の関わり深い東大寺の前身寺院出身の人物だ。
行基大僧正は神仏両方を大切にされ街道整備や修験道の神社や寺院を全国各地に整備し、東大寺大仏の造営を成功させた人物でもある。
この大山まん志"う本舗 良辨が何故に良辨和尚の名前を頂いているかと言うと、少し歩くと解かる。
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大山の緑と沢の御陰で散歩も涼しい。
昭和初期まで徒歩で大山を登って来た大山寺と阿夫利神社に向かう参拝客は宿坊で祈祷を受けてから、先ず、この近所にある良弁の滝で行水(ぎょうずい)つまり禊(みそぎ)をして体を清めてから山に入る。
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良弁滝
まぁ~ここまで歩いて来たら汗だくだし、草鞋(わらじ)なんてビーチサンダルみたいに歩けば足も汚れるしね。
今ではここで滝に打たれる人を見る機会は無いと思うが、皆も大山に登る前にはココに立ち寄って拝むか手を洗う位して昔の人の気分を味わうと良いと思う。
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旧道~ケーブルカー駅迄(まで)を歩き進めると昔の雰囲気を残す街並み。
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途中には土産物屋や宿坊や懐石料理屋が沢山あって旅館街の雰囲気を残す。
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大山観光電鉄株式会社 大山ケーブル駅
今回、大山に予定地を変更したのは“灯籠祭り”に合わせて、この大山ケーブルがPM:20:30まで夜間営業をしているから夜景を見るのも一つの目的な訳だ。もし大山の夜景を見たい人は今年は今月15日まで、後は秋季の夜間ライトアップまで暫くチャンスはなくなるので時間と期間を上の大山ケーブルのホームぺージリンクから確認してから訪れた方が良いと思う。
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ちなみに現在のケーブルカーの車両は2016年に新しく成った物で、風景が見やすい窓が大きくとられた設計に成っている。屋根の方まで見えるので、下りの時に伊勢原~平塚~相模湾の夜景が良く見える。
確か2016年の鉄道のベストデザインかなんかも受賞している。
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大山阿夫利神社下社
先ず到着して御朱印を頂いた。まだ令和元年の大山阿夫利神社の御朱印を頂いていなかったので。
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因みに、この大山阿夫利神社下社の場所は江戸時代までは御寺で、今は山の中腹に移動した大山寺の不動堂の大きな御堂が存在した。そして阿夫利神社は山頂本社の事を指し昔は石山権現大山阿夫利神社と呼ばれていたのが本来の名前だった。大山は湧水の有名な場所なので、古来水辺に祀られた不動明王が鎮座していた訳だ。現在の大山寺は来迎院と言う支院だった。
今回は先ず、大山阿夫利神社まで行き山頂まで登山しようと思っていたのだが、日没時間18時39分に対して、この時既に16時30分、少しゆっくり街並みを見過ぎて山頂まで往復登山すると下山出来ない時間帯に成ってしまった。
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なので先ずは予定変更し見晴台まで行く事にしてハイキングは縮小。
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何故見晴台方面に行ったかと言うと、そこに行く途中に滝が有るから。
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二重滝(ふたえのたき)
この二重の滝も良弁滝と同じく、昔は阿夫利神社の参拝客が禊の滝行を行う場所だった。
二重の滝と日向薬師位置関係 久良岐のよし
衛星写真で位置関係を見ると良く解るが、大山の北東には津久井方面へ抜ける古道が通り、戦国時代には街道を押さえる扇谷上杉家の七沢城が存在した。
ここの街道周辺の山中に洪水の影響を受けない山道の中継拠点として重要な聖地を整備して廻ったのが行基大僧正だった。だから大山も良弁サンが関わってる訳だ。その古代の聖地の大山と行基大僧正が開いた日向薬師を結ぶのが見晴台の山道であり、そこを経由して大山を参詣する人が禊をする場所が二重滝だった訳だ。
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現在二重滝の横には二重社と言う御社が有るが、本来、ここには徳川家光公が建てた同規模の別の名前の神社が存在した。
下は二年前の春に登山した時の写真だが二重社の場所に在った“龍神堂”。
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現在は明治時代に成立した国家神道から自然崇拝や神仏習合の弾圧の対象にされたので破壊を避けて大山寺(来迎院)に避難移築されている。まぁ、そんな歴史も有るが現代では又、神社と御寺がどこでも仲良く江戸時代までの様に平和に共存しているので、敢えて昔の事を書いて説明しておこうかな。
二重滝と二重社から歩いて暫くすると見晴台。
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二重社~見晴台に向かう途中・・・
「パキパキッ!」
・・・と大きい音が移動しながら近づいてくるので・・・
「熊だったら不味いな。同行者いるし。」
・・・と思って目を凝らして見たら鹿軍団の行軍だった(笑)。
鹿サン達と出会ってから数分で見晴台に到着。
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丹沢山系の向こうに旧高座郡の海老名市や大和の町が見えている・・・はず。
見晴台で休憩してから今度は大山阿夫利神社下社に戻り、休憩茶屋の“さくらや”の下の女坂参道を降りて真反対の大山寺まで登山道を降りた。
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途中で大山ケーブルカーとすれ違い。
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残念ながら時間的に御堂の中には入れなかったが、2年振りに参拝出来て良かった。完全な登山も出来なかったが女坂を歩いた事で同行者も大山の雰囲気を知る事が出来たと思う。
そこから大山ケーブルカーの大山寺駅に移動し、ケーブルカーで再び大山阿夫利神社に移動。
丁度、ライトアップが始まる時間帯に合わせて。
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石段を登る。
この両脇にも明治時代に神仏習合文化が弾圧されるまで、沢山の神社や御寺と宿坊が建ち並んでいた。
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日没時間が迫り灯籠が浮かび上がり始める。
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夕方の彩雲と一緒に月と街の灯も浮かび上がり始める。
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う~ん綺麗!
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月も出て良い具合。この夜景を是非とも皆さんにも見て頂きたい。
ブログを書いている本日は2019年08月14日、まだ明日15日までケーブルカー夜間営業と灯籠祭りの開催期間なので、東学坊はじめ参道の豆腐懐石料理店と合わせて行けば、家族連れにもデートにも最適♪
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夜に成り社殿の前の笠も可愛くライトアップされていた。
山を下りて御風呂に入って帰る為にケーブルカーに戻る。
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途中も参道に地元の小学生や中学生が手作りした灯籠が並べられていて綺麗だった。
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そして新ケーブルカーが本領を発揮する。
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上部天井まで切れ込んだガラス窓から望む伊勢原市の町の灯り、そして運転席からは線路沿いもライトアップされていてとても綺麗。
更に参道も綺麗なんだな。
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灯籠祭り期間は参道の道上と各宿坊と御土産物屋サンがそれぞれ絵灯籠を並べていて凄く日本的な風景を演出して下さっている。
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ね、綺麗でしょう?
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途中、御土産に豆腐と対を成す水を利用した名産品の蒟蒻を購入した。
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で、暫くまた参道の風景を楽しむ。
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ここは灯籠祭りの灯籠の展示会をやっているのだが、少し前まで宿坊として営業していたので旅館の風情ある感じが楽しめる。無料で中に入れるので、立ち寄ると良い時間を過ごせる。
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小生達は御風呂入る時間があったので、今回は入口からだけ見学させて頂いた。
東学坊に戻る。もう宿泊客の皆さんは入浴済みの時間帯だったので貸切状態で内風呂に入る事が出来た。
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小生だけだったので写真撮影させて頂いた。
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脱衣所はこんな感じ。
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まぁ、個人経営旅館なの御風呂の規模は大きくはないが、大山の水の沸かし湯でとっても肌に良い。
連れは御湯の質にとても満足してくれた様で良かった。
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連れが出て来るまでサイダー飲みながら玄関で茣蓙(ござ)に座って待つ。
この入口の衝立(ついたて)の裏に江戸期と現代の大山の絵図が掲示して有る。
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江戸期と比較すると明治政府の宗教改革時に大分弾圧されてしまった事が解かる。
源頼朝公が参詣して以来、歴代将軍が大切にして来た場所で江戸時代も徳川家康公や徳川家光公等に大切にされて来た場所なのだけど、明治政府の唯一の失敗である宗教改革で大山は神社も御寺も激減してしまった。
でも今でも宿坊や御土産物屋サンが建ち並び、空気も綺麗で山登り、秋には紅葉狩り散策しても楽しい。また秋に来ようかと話して、車に乗って連れを横浜市の端っこまで送り届けた。
そこから小生の住む円海山への帰路、横浜ベイブリッジと首都高速湾岸線の一部区間の下層部分に一般道路が存在している事を知らない人も多いと思い、Twitterで帰路ドライブの様子を撮影して見た。
栄区・金沢区・磯子区辺りから川崎方面に下道で行く時はこの道を通った方が早い。
川崎大師もこの道で行けば高速使わず行けるので便利。

まぁ、そんな感じで大山の夏を堪能できた。
では又、次の記事で!
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2019年08月03日・・・
午前中ゆっくり色々と用事を済ませてから昼過ぎに夏らしい事をする為(ため)に車に乗り込み自宅を出発した。
本来は同行者がいるはずだったのだが、先月末に別の予定で急遽休みを調整して貰ったので3日は1人行動に成ってしまった。
目的地と言うのは、まぁ海だ。
神奈川県民でも余り知らない場所だが‟知ってる人は知っている”と言う位の知名度だが、とても綺麗な穴場の海水浴場だな。
今迄も過去記事で海水浴スポットをいくつか紹介して来たが小生がゆっくりしたくて泳ぎに行く場所を全部教えたくなかったので(笑)今まで紹介記事を書いてなかった。

そんな訳でとりあえず横浜横須賀道路に乗った。
先ずは何も食べていなかったので腹ごしらえに間食をしようと横須賀PAに立ち寄った。
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横須賀PA(下り)
※東急建設に因(よ)る瀬上沢西側と上郷深田遺跡の破壊開発計画に加担する様なGoogleMapの東急建設への協力ともとれる地図からの上郷深田遺跡や瀬上沢の蛍生息地の地点登録削除事件も有ったが、結局GoogleMapが一番優れているのでブログでは使って行きます。面目ない。
横須賀の銘菓と言えば“ふじみや”の‟梅どら”が真っ先に思い浮かぶのだが、残念ながら販路を拡大していない個人経営の菓子店なのでPAの様な場所では販売していないのだが、横須賀には“よこすか焼き”と言う美味しい“どら焼き”に似た物が有る。とりあえず、それとタコ煎餅を購入しエナジードリンクを飲みながら食べて腹を誤魔化した。
そして再出発。
この時既に14時位。三浦半島の御土産に直売所で西瓜を買うなら直行しないと遊んでからでは間に合わない時間帯だったので、先ずは小生お気に入りの農作物直売所の“ザ作兵衛”に向かう事にした。
ザ作兵衛は三浦縦貫道路を通ると三浦市に着いてから横浜方面に別の道を逆走しないといけないので、先ずは佐原インターで高速を降りてから野比を経由し津久井浜~三浦海岸と海沿いの下道を通らないと辿り着けない。なので佐原で降りてユックリ海岸沿いをドライブしながら三浦に向かった。
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ザ・作兵衛
ザ作兵衛に到着。
ここはもう10年近く通い続けてる石井農園さんの直売所。他にも高梨農園サンでも買う時も有るが、小生は海沿いの道が好きなので作兵衛に来る事が頻度的には多い。
マスコットの様な御祖母ちゃんが看板娘を勤めていたのだが数年前に骨折してから売り子は引退し、今はオカミさんと若奥さんが店番をしている。
小生の事を良く覚えて下さっていて、太ったり痩せたり物凄く体重変動が有るのに毎年色々と雑談したり余ってる野菜をサービスで少し付けて下さったり御世話になっている。
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で、三浦ブランドのシールが貼られている西瓜は御土産としても皆から喜ばれるので1000円の中玉を3つ購入したら今年も「いつもありがとうね~」と言いながら小生の拳よりもデッカイ巨大トマトを3つサービスで頂いてしまった。
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西瓜も丁度、若旦那が持って来た所だったので・・・
「美味しそうなの選んでください~」
・・・と小生が御願いしたら快く、念入りに厳選して選別して下さった。感謝。
後日談だがこの記事を書いている本日4日、姪っ子達と同行予定だった者に1個づつ御裾分けして自宅で1つ自分でも食べて見たが、今年食べた西瓜でやはり一番美味しかった!
石井さん、ありがとう!
そこから目的の“海水浴場”を目指して再出発。
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三浦の農道の風景はいつ見ても綺麗だね~♪飽きないよ。
小生が作家さんとかで場所を問わず仕事出来るなら三浦で生活したい。
農道と畑と森林の先には東京湾と房総半島か、もしくは相模湾と伊豆半島と箱根山系と富士山の風景を楽しむ事が出来る。
この時行く海水浴場は民宿も数軒ある昔ながらの大正昭和の雰囲気を留める良い海水浴場。
位置的には東京湾側なので、この写真の農道の先にも東京湾の海と房総半島の鋸山が見えている。
向かっている海水浴場の名前を明かすと“大浦海水浴場”と言う小さな湾だ。
バスも無い上に農道が入り組んでいて小生みたいに地図丸暗記してる人間でもないとカーナビが無い時代に行くのが難しくて、平成の最初の頃には少し寂れてしまったが最近、又少しづつ旅客が戻りつつ有る場所だ。
ザ作兵衛から暫く車を走らせ15分くらいだろうか?到着。
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駐車場の花壇越しに見る東京湾と鋸山の風景。
うん、夏だね♪
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駐車場から見下(お)ろすと漸く砂浜が現れる。
岸壁に隠れる様に存在する大浦海水浴場の風景はとても美しい。
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大浦海水浴場
・・・と先ずは大浦海水浴場で遊ぶコスト的な事を解説する。
駐車場は1日2000円、横浜中華街とかの駐車場より少し安い位。
駐車場を利用すると海の家の割引券が貰える。
駐車場利用者なら海の家は1人1000円。更衣室やシャワー料金も含まれる。海の家は2軒有るので便利だし、食事も出来る。
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小生は今回は北風丸サン。GoogleMapに登録無いのでリンク貼れないけど、多分、ネット検索すれば出ると思う。
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海の家だから法律の規制で常設不可能、なのでシーズンが終われば解体して保管できる構造に成っている。けど十分くつろげる。
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茣蓙(ござ)に“かき氷”の暖簾(のれん)、砂浜に海に山。なんとも日本の大正昭和の夏っぽい風景が嬉しい。小生は最近、由比ヶ浜や逗子に増えている様な音楽鳴らして騒いでチャラチャラした感じのクラブまがいの海の家を好ましく思わないので、家族連れでも安心してくつろげるような、こんな和な感じの海の家の方が好ましく感じる。無論、それは個人的な感想。
北風丸さんにカバンを預けて、スマホを持って先ずは海岸を散歩した。KIMG1529
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う~ん夏だね~♪

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この砂浜の奥に見えている岬の岩礁の方まで散策して来た。
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途中で木道が敷設(ふせつ)されていてもっと奥まで行けそうだったのだが・・・
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・・・北風丸にクロックスを置いて来て裸足でここまで来てたのでこれ以上先まで行くのは足元険しくなりそうなので引き返した。
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そして昼食をちゃんと食べていなかったので北風丸サンで“まぐろステーキ”を注文した。
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アレだな・・・
ステーキと書いて有るけど焼肉のタレ的な味。これはこれで御酒飲む人には良いツマミに成るだろう。
鮪の肉はとても美味しかったし、多分、三浦野菜のプチトマトがとても美味しかった。
この後、1時間くらい海水の中で泳いだり歩いたり半身浴したりユックリ時間を過ごしてから、この直ぐ近所なのに一回も行った事の無かった“近代要塞遺跡”に移動したのだが、そこに辿り着くのが少し大変だった。
訪問したのは遺跡だが、畑の中に突然現れる円形のコンクリートが砲台の遺構。
下の写真の“剱崎砲台跡”だ。
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剱崎砲台
ここね~、車で来る場所じゃないよ。
事前に地図見て舗装されてる道みたいだから凄くクネクネした農道みたいだけど「問題ないかな?」とか思ったら甘かった。三浦の地形良く知ってるのにナメてた。
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もうね~、そりゃ北条家が新井城に籠もる三浦勢を攻め落とすのに4年かかる地形なんだよね~。
城郭ファンにしか伝わらない表現だと思うけれど断崖と細い尾根と谷が連続する、天然の空堀と曲輪だらけ(笑)。
当然ながら農道も武者走り位細い。
・・・なので小生の車は横幅が狭いのだけど、砲台に辿り着くまで農道脇の枯れ枝でミラー擦るわドアー擦るわ悲惨な状態の上に、対抗からバイクや農業用のトラクターでも来たら完全に詰(つ)む状態だった。すれ違い何か出来ない。もうタイヤ2個分くらいで断崖にゴロゴロ車両もろとも転落して新聞記事に乗る(笑)。だからバイクの人しか来れないんだよな~。
そこに横着して車で入って来た小生は阿呆だな。
幸い、近くの第2砲台も見たら・・・
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・・・その近くに農作業車両の転回場所が有ったのでUターンして戻って来れた。
でも、この時既に日没も迫って薄暗くなり始めていたので戻り道は更に谷に落ちないか緊張感ハンパ無かった(笑)。
無事に?三浦氏の天然要塞(笑)を脱出して現代のアスファルト舗装の道路に復帰して、もう一つの目的地を目指した。1年振りの訪問かな?
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真直ぐ1.5km伸びる農道の先に夕陽が落ちる綺麗な場所。
以前にも紹介した黒崎だな。
以前の紹介記事
神奈川県内屈指の富士山遠望の景勝地・・・
黒崎の鼻は戦時中の要塞跡で米軍飛行場計画跡地

※タイトルクリックすると記事に飛びます。
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黒崎※三崎口駅前に真直ぐ延びる岬の農道
行って見たい人は京急で三崎口駅まで行って徒歩5分くらいで上の写真の道に辿り着くので電車が良いと思う。
黒崎
位置的にはコンナ感じ。
先に紹介した記事でを見て貰えると解るのだけど、ここは本来は冬に来た方が綺麗。
でも夏でも十分綺麗。
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この農道を真っすぐ進むと岬の先端、“黒崎の鼻”に辿(たど)り着くのだが、夏はもう秘密基地の様に藪に行く手を阻まれて入口が普通の人は躊躇してしまう状態。
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こんな感じに成ってる(笑)。
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もうプチ探検隊。
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臆せず進むと冬と違い富士山は見れないけど、夕日の綺麗な丘と相模湾を見る事が出来る。
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こんな感じね。
すっごい綺麗なのさ。この時は一人で来たので少し寂しい感じの夕陽に見えた(笑)。
そこで漢詩が思いついたので一首詠んで見た。
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題名:黒崎から太平洋を眺める

独来三浦俯大海
君不在此風潇潇
有花草香波鼓声
夕陽落岬萌似火
此刻依然午热同
遠望太平養生長

久良岐のよし作る♡
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まぁ2つの意味に成る様に仕込んでみてある。
遠望太平養生長は・・・
遠望太平=平和で有ります様にの願いと、遠く太平洋を望むの2つの意味。
同じ様に養生長には本来は“元気を出す”と言う意味なのだけど、そのまま“健康に長生き出来ます様に”の意味が有る。
冒頭は「一人で来て寂しいなぁ~」って意味だね。
読み下すと・・・

独来三浦俯大海
一人三浦に来たりて大海を俯す。
(一人で三浦半島(の黒崎)に来て海を見下ろしてる)

君不在此風潇潇
此(ここ)に君は在らず風瀟瀟
(一緒に遊ぶはずだった人がいなくて風がサワサワ吹いてるのが寂しく感じる)

有花草香波鼓声
草花の香りと波鼓する声有り
(夏の草いきれと波頭の岩礁に砕ける音が聞こえる)

夕陽落岬萌似火
夕陽岬に落ち火に似たり萌える
(落ちる夕陽に黒崎の岬が染められ燃えている様に鮮やかだな~)

此刻依然午热同
此の刻(とき)依然として午の熱に同じく
(夕方に成ってるのに真昼間みたいに熱いよ~)

遠望太平養生長
太平(洋)を遠く望み成長を養う。
(太平洋を眺めて元気を充電中ぅ~)

・・・みたいな?まぁ、小生別に漢文詳しい訳じゃないから間違ってるかもね(笑)。
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それから黒崎海岸を少し散歩して・・・

気分も落ち着いて「よ~し!」と成り。
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又、入口に戻った。
帰りに又、横浜横須賀道路のPAに立ち寄って夕食食べる事にした。
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横須賀PA(上り)
ここのPAは地味に三浦半島と鎌倉の特産品が揃ってて立ち寄る価値が有る。
この日は食べなかったが、横須賀海軍カレーパンなんか特に美味しい。
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食べたいのはサッパリした物だったので“三浦わかめ蕎麦”&“湘南ゴールドソフト”の神奈川縛りで夕食にした。
ワカメの香りがして美味しかったし、まぁ、そもそも立ち食い蕎麦も、ちゃんとした蕎麦も好きなので好物なのだが。湘南ゴールドソフトの方も果肉がシッカリ入ってて美味しかった。
外に出ると丁度、PAから花火大会の打ち上げ花火が見れた。
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結構大きく見えたのと方角的に横須賀港で花火大会が有ったのかな?
ついでに追加の御土産に鎌倉ハムのポークジャーキーを購入した。
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まぁ、何だかんだ、訪問先は少なかったし一人行動で寂しかったけど、良い息抜きに成ったかな?

では、今日の休日雑記はここまで。
ブランク有ったのに小生のブログ記事を読んで下さっていた皆さん、ありがとう。

では又、少しづつ書いてくのでよろしくお願いします~!





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車の鍵に沢山の御守り付けて直にポッケに入れてたら、摩擦で御守りが傷んで来てしまいました。
尊敬する殿様達が開いた神社や御寺の宮司様や和尚様から頂いた非売品の御守りが幾つか有るので「マズイなぁ~」と思い、御守り保護する為に革でKey caseを作ってみました。
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材料は東急ハンズとユザワヤで革の端切れとかハトメとか必要な物を買い足して来ました。
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まぁ~財布にハトメ打ち込んだり改造したり革の仕事道具に金属パーツ付けて改造したり、革製品を少しいじくる位はしてたけど革から切り出して縫製したのは初めて。
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設計図無しぶっつけ本番(笑)
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なのでミスってやり直したり少しした(笑)。それも楽しい。
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そもそもファスナーの縫い方も知らんから勘でやった(笑)
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まぁ形に何とか成りましたな。
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無事に御守り全部収納できたし。
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これなら御守り沢山持ってても変じゃない(笑)。
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まぁ初回にしては上出来なんだろか?
まぁまぁ楽しかった。
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金曜日、この日の当初の予定は小田原市に行き曽我梅林と小田原城を見て廻り、夕方から湯河原町に移動して湯河原梅林の夜間ライトアップを見物する予定だったが、午前中は生憎(あいにく)と観梅には適さない空模様で予定を変えた。
横浜中央図書館に午前中出掛けて、午後の帰路そこから順繰りに梅の名所を幾つか見て廻る事にした。
中央図書館の次は三渓園、環状3号線に出て大船フラワーセンターへと遠回りしてから円海山の麓に戻って来る事にした。
横浜中央図書館の在(あ)る野毛から車で中区本牧半島の三渓園に行こうとすると“平戸桜木道路”を少し南下するルートを通るので、途中で日ノ出町の旧問屋街に乾物問屋や駄菓子問屋が今も少し残る界隈を通る。
ちょっと気に成っていた問屋さんが有ったので立ち寄る事にした。
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佐野屋本店

今では本当に少なくなってしまった玩具や駄菓子の問屋サン。時代の流れで流通形態も変わり町の中の駄菓子屋もコンビニの登場で役目を横取りされ、玩具屋サンも家電量販店に市場を奪われた。
大きな店が各主要駅と幹線道路沿いに出来た代りに、住宅街の身近な子供のコミュニティーは破壊され消え失せてしまった。
たまにブログも自分の部屋以外で書きたくて息抜きに地区センターに行くと、子供達は公園でボール遊びをする事も無く成り夏は横浜市内各区の地区センターのロビーで冷房泥棒しながらゲーム機やカードゲームに興じ、肥満児と眼鏡っ子の割合が異常に高く成っているのが目につく。
・・・日本の子供大丈夫か?とか思うが中国に仕事で行ってた時の事を思い出すと、中国の子供の方が公園すらろくに無いし空気も悪く不健康な環境で育ってるなと、外で遊びたくても遊べない中国の子達と比較してしまった。
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佐野屋サンは駄菓子と玩具の両方を取り扱っている問屋さん。でも昔と違ってプラモデルなんかは家電量販店に市場完全に奪われて現在は本当に玩具と言える玩具しか取り扱ってない。
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「御店主に写真撮って良いですか?」と聞いたら快く許可して頂きました。
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本当、甥っ子とか連れて来たら喜ぶだろうな~珍しい物が沢山有って。
でもウチの妹の所の甥と姪は、甥が私立の小学校に入学決まったし下の姪が今度は小学校受験準備で遊ぶ時間を確保出来ない様だ。
横浜に遊びに来たら連れて行ってあげよう。
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何故かジャニーズのアイドルのポスターも売っていた。需要は有りそう。
佐野屋サンの2Fが駄菓子コーナーなのだが買物に一生懸命に成って写真撮影忘れていた(笑)。
巨大なマシュマロの袋詰めを購入して職場に持って行き主婦連中に差し入れし、山分けして持って帰って貰った。
そこから小生は今度は横浜三渓園に梅を見る為に移動。
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小島屋(雷神堂)
三渓園の手前に小島屋サンと言う巣鴨が本店のフランチャイズ“雷神堂系列”の手焼き煎餅の店が在るのだが、ここの割れ煎餅が美味しくて三渓園に来ると大体いつも購入する。
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でも生憎と寒い金曜日で人手が少なく、この日は販売して無かった。
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国指定景勝 横浜 三渓園(旧:原財閥邸宅)三渓園は以前は入場料金500円だったのだが、横浜市は中田市長以来“緑税”の緑地公園整備費を徴税し始めたのに一昨年から三渓園の入場料を林文子市長が800円に値上げしてしまった。
何でだろうね?税金徴収してるのに300円もの値上げに矛盾を感じる小生。
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ともあれ三渓園はとっても和(なご)むので好き。
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本当に花の綺麗な日本庭園。
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そして重要文化財指定された日本建築が日本各地から移築保護されている。
その建物のどれもが各季節の植物に良く合い四季を通じて散歩と軽食を楽しめる。
三渓園を入口から入って来て右手奥に廻って行くと織田信長公や豊臣秀吉や徳川家康公や織田有楽斎所縁の建築文化財が多く有るエリアが有る。
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臨春閣という建物がこの写真の右側の映ってない所に在るのだが、今年から屋根の吹き替えで向こう三年位は工事中だそうだ。ここは秋の紅葉がとても綺麗なのだが完璧な風景を見るには3年間は我慢が必要らしい。仕方ない。
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そんでも充分に風情を楽しめる。
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2019年03月01日は白梅も綺麗に咲いていました。
三渓園の真ん中の池の畔に戻る。
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旧灯明寺三重塔と梅と松の縁起良い美しいコラボ。後は竹だけ有れば完璧なんだけどね(笑)。
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ここの梅は少しだけピンクがかっていて綺麗だった。
三重塔の山の下、池の畔に小生行きつけの茶屋が在る。
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