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カテゴリ: 休日雑記

お盆休み、まだ尊敬する北条綱成公の御墓参りを済ませていなかったので、菩提寺の龍寳寺に御佛前に供えて頂く御菓子を購入して伺った。
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龍寳寺は巨大な玉縄城址城塞郡の一角である鎌倉市植木に“現在の境内”がある。鎌倉市と謂(い)えども略、大船なので小生の自宅からも車で近い。
城跡だから寺の在る谷の山裾は全て裾切りされた城壁石垣より強力な防御壁となる断崖絶壁の切岸に囲まれている。
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元々は山上の栄光学園一帯が旧境内地だったのだが、儒学者で徳川家六代将軍の側用人だった新井白石が玉縄領主に成った際に龍寳寺を現在の谷間に移して今に至る。つまり昔は龍寳寺は山頂にあり非常時には砦の詰所の役割も担っていた訳だ。
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山門横を車で通り過ぎ、庫裏(くり)=現在の僧侶の居住区兼事務所前の駐車場に車を停めて、御本堂の御釈迦様に御参りしてから数年前に御本堂の横に移設された歴代玉縄北条家の御廟を御参りし綱成公達に御盆の御挨拶と近況報告を済ませた。
駐車場前の花園の黄花秋桜(キハナコスモス)がとっても美しかった。
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大将の北条綱成公と副将の間宮康俊公が統率した“玉縄衆”は、軍団の前身が“北条五色備え”の内の“黄備え隊”で、統一された隊旗が朽葉色=黄色地に“八幡大菩薩”の御神名を染め抜いた馬印(うまじるし=部隊識別シンボル)だった。
正にキハナコスモスの色がそれだな。
丸で綱成公や康成公を御盆休みに御迎え見送るのに合わせて咲いている様に感じた。
庫裏に御住職を訪ね御盆の御挨拶をし、御佛前に供えて頂く“葡萄餅”を御預けし少し雑談をしてから車に戻った。
柏尾川沿いの道を栄区方面と反対の江ノ島に向かい下って行った。
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実は今週半ばから酷いギックリ腰で昨日まで立ち上がるのも辛かったのだが、少しだけ足を引き摺(ず)り歩ける位に回復したのと気分が暗かったのも有り、殿様に近況報告してから海にリハビリを兼ねて散歩に行くつもりだった。午前中は背を伸ばして立つ事も困難だったので、まだ整骨院にも行ってない。
午後に調子が良くなり、龍寳寺参り&七里ヶ浜散歩を決めた次第だ。
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夏なので鎌倉の海岸沿いは渋滞激しく流れない。
なので、止まる度にゆっくり風景を見る事が出来た。
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スラムダンクの踏み切りは今日も観光客でいっぱい。
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程なくして七里ヶ浜に到着。
台風で砂浜が又、流出したと聞いて確認を兼ねて気分転換の散歩に来た。
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このMAINと言う御洒落(おしゃれ)なレストランは以前も紹介したが、ロケーション良く窓側の席だと秋冬には江ノ島と夕陽と七里ヶ浜と富士山を一編に眺めながら食事が出来る。
このレストランの横に公共駐車場があり、今日もそこに車を入れた。
関係ないけど、渋滞に巻き込まれ運転時間長引いてる間にギックリ腰が又悪化して、この写真撮影してる頃は既に痛くてマトモに歩けていない(笑)
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思ってたより“砂浜の後退”が激しかった。台風で砂浜が流出し遊歩道の橋脚が露出する事態が発生中。渡れない。
でも、これで小生は文字通り“自然だな”と感じた。
実は1990年代には砂浜は幅はもっともっと有り海水浴場も有ったぐらい。しかし2004年に海水浴場は閉鎖し更に昨日は御覧の通りだ・・・
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・・・遊歩道の橋脚は砂が流出し人が歩けない高さに取り残された状態成っており、砂浜は手前の鎌倉寄りで幅“10m”を残すのみ、奥の江ノ島寄りは“最早、砂浜が消滅”した状態だった。
小生は“これが自然”だと思う。
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稲村ヶ崎は新田義貞が鎌倉幕府攻撃の際に奇襲をしかける突破口に選んだ場所として歴史の授業でも習う。
超有名な観光地。
そこの砂浜が反日バンドと化したサザンオールスターズの“稲村ジェーン”の舞台にも成っていた。
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しかし、この間の台風でゴッソリ砂が持っていかれた訳だ。 
水は海水も地下水も川の流路も、いくら人間が“盛土”したり“掘削”した人工的に改変した地形をコンクリートで固定しようとしても、容赦なく周りの砂や土から抉(えぐ)り取り元に戻ろうとする力を発揮する。
2018年と2002年の衛星写真を比較すると解り易いかも。
下の衛星写真、上段が2018年1月、下段が2002年8月。
七里ヶ浜~稲村ヶ崎2018年
右手鎌倉市側の稲村ヶ崎と、左手江ノ島側の小動(こゆるぎ)の砂の流出が特に顕著だ。
これ比較すると小動側の防波堤の形状も工事で変化が在ったみたいだから、波の影響で破損が酷かったのだろうか?
繰り返すが小生に言わせりゃ・・・
「これで普通」
・・・なんだな。
気象予報士のお姉ちゃんが知ってる自然なんて考古学から見たら短い観測期間しかない。
今の温暖化は普通に元に戻りつつあるだけでしょ?
余り知られてないが室町時代は小氷河期。実は最近まで“地球が冷えてる時期”だったて事だね。
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だから農作物も凶作ばかりなので、料の乏しい冬に成ると上杉謙信や武田信玄は地元の農兵を引き連れて、神奈川県や東京に来ては略奪や婦女子を拉致し奴隷として地元や地方で販売したり鬼畜な事をして越冬していた歴史が有る。
まぁ、生き残るのに人の物を奪いとらなきゃいけない地方が有ったんだ。今の日本は恵まれているね、まだ良くならなきゃいけないけど。
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地球が縄文時代の気候に戻ろうと“二酸化炭素の影響ではなくて”温暖化して行く“自然の力”は凄いね。
もう、こんなに砂浜が減った。考古学的な話をすると、だいたい日本神話の時代と比較して現在の平らな地域の海岸線は少なくとも12km位は後退してるから逆に過去の地震による隆起を考慮してもかなり内陸まで海に戻ってもおかしくないのかな?
由比ヶ浜なんかは15年で50m砂浜が無くなってるから、対応しなければ今後10年で33m海岸線が陸を侵食する。
1000年後は少なくとも3.3km。
それがどれくらいかと言うと・・・
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・・・江ノ島からだと藤沢駅の手前の石上・本鵠沼・柳小路辺りまで海没する計算に成る。無論、微高地は残るだろうね。
小生が思うに七里ヶ浜の砂浜の減少は河川の護岸工事で砂の体積が阻害されてる影響も大きいのだと思う。江ノ島の境川とか、七里ヶ浜の極楽寺川とか音無川とかの上流が住宅街にされてしまい、風化した鎌倉石の地盤から砂が運ばれなく成ってしまったんだろう。
鎌倉も材木座~大町辺りは平安初期にはまだ入江だった。
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それでも約1km程度内陸だっただけ。
つまり15年で50m侵食は比較的早い。人工的な河川工事は海岸部の地形に影響を与えやすいって事かな。
いつまでも自然の摂理で風化した砂が体積するのを阻害する河川の土木工事のままでは内陸まで“元通りの海”に戻るスピードを早くするって事。

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この稲村ヶ崎は数百年後には又、一部だけ海から顔を出す半島か島に成ってるんだろうか。
1000年後には茅ヶ崎市平塚市は大部分が海の底に戻ってんじゃない?
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砂浜は無くとも夕陽と江ノ島と海には癒され、ギックリ腰等で落ちた気分も少し晴れた。
帰り、元来た道を村岡方面~大船に抜け円海山の麓(ふもと)の自宅に戻ろうかと思いながら駐車場に戻る途中目にしたこの光景。
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往路は空いていた江ノ島方面に向かう下り車線が凄まじい渋滞。
鎌倉市街地を抜けて帰る上りルートに変更。
帰路、無性に京都拉麺のチェーン店の魁力屋の“唐揚げ”が食べたくなり、朝比奈方面の上郷側にある魁力屋に遠回りして夕飯を食べた。
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旨いんだよ、この唐揚げ。

ふむ、身体はまだまだ、気持ちも暗かったが、少し殿様と海と夕陽の御影で癒され楽に成った。
ちなみに、この時点で無理して歩いたので、もう腰が痛く高齢のお爺ちゃんみたいにビッコ引いて歩いてる状態(笑)。

夕陽さん、海さん(笑)、御釈迦様、江ノ島の弁天様、綱成公と玉縄北条家御一族の皆様に感謝を感じた午後だったかな?

では、今日の休日雑記はここまで~♪

2019年8月12日、最初は富士山に行こうかと思っていたが生憎(あいにく)と天気が安定せず雨と曇りを繰り返す微妙な天気だった。
国道16号に抜けてから大黒ふ頭に向かう横浜ベイブリッジの下層一般道路で川崎方面に向けて車を走らせ、一緒に山登りしようと計画していた同行者を鶴見まで迎えに行った。
雨の中富士山に行っても楽しくなさそうなので富士山には行かず、まぁ~丁度“灯籠祭り”が大山で開催されているので、昔は‟富士講”の一環で富士山とセットで江戸市民から信仰の対象で観光地としても賑わっていた大山に行き先を切り替えた。つまり大山講に旅を切り替えた。
大山については以前も解説しているので御興味の有る方は以下の過去記事を読んで下さるとどんな場所か少し判ると思う。
これクリック⤵
大山阿夫利神社と灯籠祭りの夜景と参道温泉街
…伊勢原市。

大山は縄文時代から聖地化していて山頂からは古代の祭祀遺跡も発掘されている。今では夏の灯籠祭りの期間の夜景と秋の紅葉が、ハイキングファンと神奈川県民に知られる場所だ。
お盆休みで商務車両が少ないせいか道路はスムーズに流れ、神奈川県伊勢原市の丹沢大山国定公園まで1時間40分程度で到着した。現地に到着すると最初に昼食を食べに行った。
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東学坊
小生のブログを以前から読んで下さっている方々は存じ上げてるが、大山の参道には江戸時代以前からの“先導師(せんどうし)”つまり伊勢神宮で言う所の御師(おし)に対応する神職僧侶兼ツアーコンダクターの様な仕事をやっていた方々の宿坊(神社寺院機能の有る旅館)が昔と比べて相当数軒数は減ったものの現在も営業しており、その何(いず)れも大山の天然水を利用した名産品の“大山豆腐”の豆腐懐石や猪肉料理を提供しており食事や日帰り入浴だけの客にも対応して下さる。
小生や東学坊と元滝と言う二軒を特に好んで利用するのだが、今回は日帰り湯にも入りたかったので東学坊で昼食をとる事にした。
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宿坊だから外観内装は完全に個人経営旅館。
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玄関に入ると池の奥に神棚の備え付けられた部屋が有る。これが普通の旅館では無くて修験道の聖地だった大山の名残り。昭和初期まで大山にはケーブルカーなんて無かった。江戸時代は小田急線伊勢原駅も当然無かったので、登山客は江戸方面からずっと歩いて来るので当然ながら大山の宿坊に1泊する訳だが、神職や僧侶でもある先導師を兼ねる旅館のこの様な部屋で登山の安全祈願をして貰ってから山に入る訳だ。
昼間、この東学坊は収容客数が50人位の広間がレストランとして営業している。
ここの料理は和食でも豆腐が中心になるので、だいたいの外国からの来客でも安心して食べられる料理が多い。
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とにかく、この豆腐がそこら辺の豆腐屋の豆腐とは全く文字通り格別!本当に美味しい!
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注文したのは“香の膳”と言う3680円位のコースで、そこに入浴料金も含まれているので御得。
一人では注文できないので、単独行動大好きな小生も普段からしょっちゅう食べてる訳じゃない(笑)。
ここで提供している超絶美味い豆腐は東学坊の御向かいの豆腐屋さんの商品なので購入する事も出来る。
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これね。
食事を終えてから東学坊の旦那さんに・・・
「今日は今から山に登るので帰りに御風呂入らせて頂いて宜しいでしょうか?」
・・・と一応事前に電話でも伝えていた御願いを再確認し許可を貰い、東学坊を後にした。
そこから徒歩で参道を歩いてケーブルカー駅まで移動。
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東学坊の前の不動明王様を拝んで直ぐ上の有名な御饅頭屋さんに移動。
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大山まん志"う本舗 良辨
この店の由来の良辨(ろうべん)と言うのは大山に深い関わりの有る高僧で、やはり大山一帯のみならず関東一円に影響を与えた行基大僧正の関わり深い東大寺の前身寺院出身の人物だ。
行基大僧正は神仏両方を大切にされ街道整備や修験道の神社や寺院を全国各地に整備し、東大寺大仏の造営を成功させた人物でもある。
この大山まん志"う本舗 良辨が何故に良辨和尚の名前を頂いているかと言うと、少し歩くと解かる。
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大山の緑と沢の御陰で散歩も涼しい。
昭和初期まで徒歩で大山を登って来た大山寺と阿夫利神社に向かう参拝客は宿坊で祈祷を受けてから、先ず、この近所にある良弁の滝で行水(ぎょうずい)つまり禊(みそぎ)をして体を清めてから山に入る。
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良弁滝
まぁ~ここまで歩いて来たら汗だくだし、草鞋(わらじ)なんてビーチサンダルみたいに歩けば足も汚れるしね。
今ではここで滝に打たれる人を見る機会は無いと思うが、皆も大山に登る前にはココに立ち寄って拝むか手を洗う位して昔の人の気分を味わうと良いと思う。
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旧道~ケーブルカー駅迄(まで)を歩き進めると昔の雰囲気を残す街並み。
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途中には土産物屋や宿坊や懐石料理屋が沢山あって旅館街の雰囲気を残す。
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大山観光電鉄株式会社 大山ケーブル駅
今回、大山に予定地を変更したのは“灯籠祭り”に合わせて、この大山ケーブルがPM:20:30まで夜間営業をしているから夜景を見るのも一つの目的な訳だ。もし大山の夜景を見たい人は今年は今月15日まで、後は秋季の夜間ライトアップまで暫くチャンスはなくなるので時間と期間を上の大山ケーブルのホームぺージリンクから確認してから訪れた方が良いと思う。
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ちなみに現在のケーブルカーの車両は2016年に新しく成った物で、風景が見やすい窓が大きくとられた設計に成っている。屋根の方まで見えるので、下りの時に伊勢原~平塚~相模湾の夜景が良く見える。
確か2016年の鉄道のベストデザインかなんかも受賞している。
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大山阿夫利神社下社
先ず到着して御朱印を頂いた。まだ令和元年の大山阿夫利神社の御朱印を頂いていなかったので。
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因みに、この大山阿夫利神社下社の場所は江戸時代までは御寺で、今は山の中腹に移動した大山寺の不動堂の大きな御堂が存在した。そして阿夫利神社は山頂本社の事を指し昔は石山権現大山阿夫利神社と呼ばれていたのが本来の名前だった。大山は湧水の有名な場所なので、古来水辺に祀られた不動明王が鎮座していた訳だ。現在の大山寺は来迎院と言う支院だった。
今回は先ず、大山阿夫利神社まで行き山頂まで登山しようと思っていたのだが、日没時間18時39分に対して、この時既に16時30分、少しゆっくり街並みを見過ぎて山頂まで往復登山すると下山出来ない時間帯に成ってしまった。
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なので先ずは予定変更し見晴台まで行く事にしてハイキングは縮小。
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何故見晴台方面に行ったかと言うと、そこに行く途中に滝が有るから。
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二重滝(ふたえのたき)
この二重の滝も良弁滝と同じく、昔は阿夫利神社の参拝客が禊の滝行を行う場所だった。
二重の滝と日向薬師位置関係 久良岐のよし
衛星写真で位置関係を見ると良く解るが、大山の北東には津久井方面へ抜ける古道が通り、戦国時代には街道を押さえる扇谷上杉家の七沢城が存在した。
ここの街道周辺の山中に洪水の影響を受けない山道の中継拠点として重要な聖地を整備して廻ったのが行基大僧正だった。だから大山も良弁サンが関わってる訳だ。その古代の聖地の大山と行基大僧正が開いた日向薬師を結ぶのが見晴台の山道であり、そこを経由して大山を参詣する人が禊をする場所が二重滝だった訳だ。
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現在二重滝の横には二重社と言う御社が有るが、本来、ここには徳川家光公が建てた同規模の別の名前の神社が存在した。
下は二年前の春に登山した時の写真だが二重社の場所に在った“龍神堂”。
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現在は明治時代に成立した国家神道から自然崇拝や神仏習合の弾圧の対象にされたので破壊を避けて大山寺(来迎院)に避難移築されている。まぁ、そんな歴史も有るが現代では又、神社と御寺がどこでも仲良く江戸時代までの様に平和に共存しているので、敢えて昔の事を書いて説明しておこうかな。
二重滝と二重社から歩いて暫くすると見晴台。
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二重社~見晴台に向かう途中・・・
「パキパキッ!」
・・・と大きい音が移動しながら近づいてくるので・・・
「熊だったら不味いな。同行者いるし。」
・・・と思って目を凝らして見たら鹿軍団の行軍だった(笑)。
鹿サン達と出会ってから数分で見晴台に到着。
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丹沢山系の向こうに旧高座郡の海老名市や大和の町が見えている・・・はず。
見晴台で休憩してから今度は大山阿夫利神社下社に戻り、休憩茶屋の“さくらや”の下の女坂参道を降りて真反対の大山寺まで登山道を降りた。
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途中で大山ケーブルカーとすれ違い。
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残念ながら時間的に御堂の中には入れなかったが、2年振りに参拝出来て良かった。完全な登山も出来なかったが女坂を歩いた事で同行者も大山の雰囲気を知る事が出来たと思う。
そこから大山ケーブルカーの大山寺駅に移動し、ケーブルカーで再び大山阿夫利神社に移動。
丁度、ライトアップが始まる時間帯に合わせて。
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石段を登る。
この両脇にも明治時代に神仏習合文化が弾圧されるまで、沢山の神社や御寺と宿坊が建ち並んでいた。
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日没時間が迫り灯籠が浮かび上がり始める。
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夕方の彩雲と一緒に月と街の灯も浮かび上がり始める。
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う~ん綺麗!
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月も出て良い具合。この夜景を是非とも皆さんにも見て頂きたい。
ブログを書いている本日は2019年08月14日、まだ明日15日までケーブルカー夜間営業と灯籠祭りの開催期間なので、東学坊はじめ参道の豆腐懐石料理店と合わせて行けば、家族連れにもデートにも最適♪
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夜に成り社殿の前の笠も可愛くライトアップされていた。
山を下りて御風呂に入って帰る為にケーブルカーに戻る。
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途中も参道に地元の小学生や中学生が手作りした灯籠が並べられていて綺麗だった。
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そして新ケーブルカーが本領を発揮する。
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上部天井まで切れ込んだガラス窓から望む伊勢原市の町の灯り、そして運転席からは線路沿いもライトアップされていてとても綺麗。
更に参道も綺麗なんだな。
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灯籠祭り期間は参道の道上と各宿坊と御土産物屋サンがそれぞれ絵灯籠を並べていて凄く日本的な風景を演出して下さっている。
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ね、綺麗でしょう?
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途中、御土産に豆腐と対を成す水を利用した名産品の蒟蒻を購入した。
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で、暫くまた参道の風景を楽しむ。
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ここは灯籠祭りの灯籠の展示会をやっているのだが、少し前まで宿坊として営業していたので旅館の風情ある感じが楽しめる。無料で中に入れるので、立ち寄ると良い時間を過ごせる。
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小生達は御風呂入る時間があったので、今回は入口からだけ見学させて頂いた。
東学坊に戻る。もう宿泊客の皆さんは入浴済みの時間帯だったので貸切状態で内風呂に入る事が出来た。
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小生だけだったので写真撮影させて頂いた。
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脱衣所はこんな感じ。
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まぁ、個人経営旅館なの御風呂の規模は大きくはないが、大山の水の沸かし湯でとっても肌に良い。
連れは御湯の質にとても満足してくれた様で良かった。
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連れが出て来るまでサイダー飲みながら玄関で茣蓙(ござ)に座って待つ。
この入口の衝立(ついたて)の裏に江戸期と現代の大山の絵図が掲示して有る。
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江戸期と比較すると明治政府の宗教改革時に大分弾圧されてしまった事が解かる。
源頼朝公が参詣して以来、歴代将軍が大切にして来た場所で江戸時代も徳川家康公や徳川家光公等に大切にされて来た場所なのだけど、明治政府の唯一の失敗である宗教改革で大山は神社も御寺も激減してしまった。
でも今でも宿坊や御土産物屋サンが建ち並び、空気も綺麗で山登り、秋には紅葉狩り散策しても楽しい。また秋に来ようかと話して、車に乗って連れを横浜市の端っこまで送り届けた。
そこから小生の住む円海山への帰路、横浜ベイブリッジと首都高速湾岸線の一部区間の下層部分に一般道路が存在している事を知らない人も多いと思い、Twitterで帰路ドライブの様子を撮影して見た。
栄区・金沢区・磯子区辺りから川崎方面に下道で行く時はこの道を通った方が早い。
川崎大師もこの道で行けば高速使わず行けるので便利。

まぁ、そんな感じで大山の夏を堪能できた。
では又、次の記事で!

2019年08月03日・・・
午前中ゆっくり色々と用事を済ませてから昼過ぎに夏らしい事をする為(ため)に車に乗り込み自宅を出発した。
本来は同行者がいるはずだったのだが、先月末に別の予定で急遽休みを調整して貰ったので3日は1人行動に成ってしまった。
目的地と言うのは、まぁ海だ。
神奈川県民でも余り知らない場所だが‟知ってる人は知っている”と言う位の知名度だが、とても綺麗な穴場の海水浴場だな。
今迄も過去記事で海水浴スポットをいくつか紹介して来たが小生がゆっくりしたくて泳ぎに行く場所を全部教えたくなかったので(笑)今まで紹介記事を書いてなかった。

そんな訳でとりあえず横浜横須賀道路に乗った。
先ずは何も食べていなかったので腹ごしらえに間食をしようと横須賀PAに立ち寄った。
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横須賀PA(下り)
※東急建設に因(よ)る瀬上沢西側と上郷深田遺跡の破壊開発計画に加担する様なGoogleMapの東急建設への協力ともとれる地図からの上郷深田遺跡や瀬上沢の蛍生息地の地点登録削除事件も有ったが、結局GoogleMapが一番優れているのでブログでは使って行きます。面目ない。
横須賀の銘菓と言えば“ふじみや”の‟梅どら”が真っ先に思い浮かぶのだが、残念ながら販路を拡大していない個人経営の菓子店なのでPAの様な場所では販売していないのだが、横須賀には“よこすか焼き”と言う美味しい“どら焼き”に似た物が有る。とりあえず、それとタコ煎餅を購入しエナジードリンクを飲みながら食べて腹を誤魔化した。
そして再出発。
この時既に14時位。三浦半島の御土産に直売所で西瓜を買うなら直行しないと遊んでからでは間に合わない時間帯だったので、先ずは小生お気に入りの農作物直売所の“ザ作兵衛”に向かう事にした。
ザ作兵衛は三浦縦貫道路を通ると三浦市に着いてから横浜方面に別の道を逆走しないといけないので、先ずは佐原インターで高速を降りてから野比を経由し津久井浜~三浦海岸と海沿いの下道を通らないと辿り着けない。なので佐原で降りてユックリ海岸沿いをドライブしながら三浦に向かった。
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ザ・作兵衛
ザ作兵衛に到着。
ここはもう10年近く通い続けてる石井農園さんの直売所。他にも高梨農園サンでも買う時も有るが、小生は海沿いの道が好きなので作兵衛に来る事が頻度的には多い。
マスコットの様な御祖母ちゃんが看板娘を勤めていたのだが数年前に骨折してから売り子は引退し、今はオカミさんと若奥さんが店番をしている。
小生の事を良く覚えて下さっていて、太ったり痩せたり物凄く体重変動が有るのに毎年色々と雑談したり余ってる野菜をサービスで少し付けて下さったり御世話になっている。
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で、三浦ブランドのシールが貼られている西瓜は御土産としても皆から喜ばれるので1000円の中玉を3つ購入したら今年も「いつもありがとうね~」と言いながら小生の拳よりもデッカイ巨大トマトを3つサービスで頂いてしまった。
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西瓜も丁度、若旦那が持って来た所だったので・・・
「美味しそうなの選んでください~」
・・・と小生が御願いしたら快く、念入りに厳選して選別して下さった。感謝。
後日談だがこの記事を書いている本日4日、姪っ子達と同行予定だった者に1個づつ御裾分けして自宅で1つ自分でも食べて見たが、今年食べた西瓜でやはり一番美味しかった!
石井さん、ありがとう!
そこから目的の“海水浴場”を目指して再出発。
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三浦の農道の風景はいつ見ても綺麗だね~♪飽きないよ。
小生が作家さんとかで場所を問わず仕事出来るなら三浦で生活したい。
農道と畑と森林の先には東京湾と房総半島か、もしくは相模湾と伊豆半島と箱根山系と富士山の風景を楽しむ事が出来る。
この時行く海水浴場は民宿も数軒ある昔ながらの大正昭和の雰囲気を留める良い海水浴場。
位置的には東京湾側なので、この写真の農道の先にも東京湾の海と房総半島の鋸山が見えている。
向かっている海水浴場の名前を明かすと“大浦海水浴場”と言う小さな湾だ。
バスも無い上に農道が入り組んでいて小生みたいに地図丸暗記してる人間でもないとカーナビが無い時代に行くのが難しくて、平成の最初の頃には少し寂れてしまったが最近、又少しづつ旅客が戻りつつ有る場所だ。
ザ作兵衛から暫く車を走らせ15分くらいだろうか?到着。
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駐車場の花壇越しに見る東京湾と鋸山の風景。
うん、夏だね♪
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駐車場から見下(お)ろすと漸く砂浜が現れる。
岸壁に隠れる様に存在する大浦海水浴場の風景はとても美しい。
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大浦海水浴場
・・・と先ずは大浦海水浴場で遊ぶコスト的な事を解説する。
駐車場は1日2000円、横浜中華街とかの駐車場より少し安い位。
駐車場を利用すると海の家の割引券が貰える。
駐車場利用者なら海の家は1人1000円。更衣室やシャワー料金も含まれる。海の家は2軒有るので便利だし、食事も出来る。
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小生は今回は北風丸サン。GoogleMapに登録無いのでリンク貼れないけど、多分、ネット検索すれば出ると思う。
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海の家だから法律の規制で常設不可能、なのでシーズンが終われば解体して保管できる構造に成っている。けど十分くつろげる。
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茣蓙(ござ)に“かき氷”の暖簾(のれん)、砂浜に海に山。なんとも日本の大正昭和の夏っぽい風景が嬉しい。小生は最近、由比ヶ浜や逗子に増えている様な音楽鳴らして騒いでチャラチャラした感じのクラブまがいの海の家を好ましく思わないので、家族連れでも安心してくつろげるような、こんな和な感じの海の家の方が好ましく感じる。無論、それは個人的な感想。
北風丸さんにカバンを預けて、スマホを持って先ずは海岸を散歩した。KIMG1529
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う~ん夏だね~♪

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この砂浜の奥に見えている岬の岩礁の方まで散策して来た。
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途中で木道が敷設(ふせつ)されていてもっと奥まで行けそうだったのだが・・・
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・・・北風丸にクロックスを置いて来て裸足でここまで来てたのでこれ以上先まで行くのは足元険しくなりそうなので引き返した。
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そして昼食をちゃんと食べていなかったので北風丸サンで“まぐろステーキ”を注文した。
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アレだな・・・
ステーキと書いて有るけど焼肉のタレ的な味。これはこれで御酒飲む人には良いツマミに成るだろう。
鮪の肉はとても美味しかったし、多分、三浦野菜のプチトマトがとても美味しかった。
この後、1時間くらい海水の中で泳いだり歩いたり半身浴したりユックリ時間を過ごしてから、この直ぐ近所なのに一回も行った事の無かった“近代要塞遺跡”に移動したのだが、そこに辿り着くのが少し大変だった。
訪問したのは遺跡だが、畑の中に突然現れる円形のコンクリートが砲台の遺構。
下の写真の“剱崎砲台跡”だ。
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剱崎砲台
ここね~、車で来る場所じゃないよ。
事前に地図見て舗装されてる道みたいだから凄くクネクネした農道みたいだけど「問題ないかな?」とか思ったら甘かった。三浦の地形良く知ってるのにナメてた。
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もうね~、そりゃ北条家が新井城に籠もる三浦勢を攻め落とすのに4年かかる地形なんだよね~。
城郭ファンにしか伝わらない表現だと思うけれど断崖と細い尾根と谷が連続する、天然の空堀と曲輪だらけ(笑)。
当然ながら農道も武者走り位細い。
・・・なので小生の車は横幅が狭いのだけど、砲台に辿り着くまで農道脇の枯れ枝でミラー擦るわドアー擦るわ悲惨な状態の上に、対抗からバイクや農業用のトラクターでも来たら完全に詰(つ)む状態だった。すれ違い何か出来ない。もうタイヤ2個分くらいで断崖にゴロゴロ車両もろとも転落して新聞記事に乗る(笑)。だからバイクの人しか来れないんだよな~。
そこに横着して車で入って来た小生は阿呆だな。
幸い、近くの第2砲台も見たら・・・
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・・・その近くに農作業車両の転回場所が有ったのでUターンして戻って来れた。
でも、この時既に日没も迫って薄暗くなり始めていたので戻り道は更に谷に落ちないか緊張感ハンパ無かった(笑)。
無事に?三浦氏の天然要塞(笑)を脱出して現代のアスファルト舗装の道路に復帰して、もう一つの目的地を目指した。1年振りの訪問かな?
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真直ぐ1.5km伸びる農道の先に夕陽が落ちる綺麗な場所。
以前にも紹介した黒崎だな。
以前の紹介記事
神奈川県内屈指の富士山遠望の景勝地・・・
黒崎の鼻は戦時中の要塞跡で米軍飛行場計画跡地

※タイトルクリックすると記事に飛びます。
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黒崎※三崎口駅前に真直ぐ延びる岬の農道
行って見たい人は京急で三崎口駅まで行って徒歩5分くらいで上の写真の道に辿り着くので電車が良いと思う。
黒崎
位置的にはコンナ感じ。
先に紹介した記事でを見て貰えると解るのだけど、ここは本来は冬に来た方が綺麗。
でも夏でも十分綺麗。
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この農道を真っすぐ進むと岬の先端、“黒崎の鼻”に辿(たど)り着くのだが、夏はもう秘密基地の様に藪に行く手を阻まれて入口が普通の人は躊躇してしまう状態。
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こんな感じに成ってる(笑)。
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もうプチ探検隊。
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臆せず進むと冬と違い富士山は見れないけど、夕日の綺麗な丘と相模湾を見る事が出来る。
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こんな感じね。
すっごい綺麗なのさ。この時は一人で来たので少し寂しい感じの夕陽に見えた(笑)。
そこで漢詩が思いついたので一首詠んで見た。
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題名:黒崎から太平洋を眺める

独来三浦俯大海
君不在此風潇潇
有花草香波鼓声
夕陽落岬萌似火
此刻依然午热同
遠望太平養生長

久良岐のよし作る♡
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まぁ2つの意味に成る様に仕込んでみてある。
遠望太平養生長は・・・
遠望太平=平和で有ります様にの願いと、遠く太平洋を望むの2つの意味。
同じ様に養生長には本来は“元気を出す”と言う意味なのだけど、そのまま“健康に長生き出来ます様に”の意味が有る。
冒頭は「一人で来て寂しいなぁ~」って意味だね。
読み下すと・・・

独来三浦俯大海
一人三浦に来たりて大海を俯す。
(一人で三浦半島(の黒崎)に来て海を見下ろしてる)

君不在此風潇潇
此(ここ)に君は在らず風瀟瀟
(一緒に遊ぶはずだった人がいなくて風がサワサワ吹いてるのが寂しく感じる)

有花草香波鼓声
草花の香りと波鼓する声有り
(夏の草いきれと波頭の岩礁に砕ける音が聞こえる)

夕陽落岬萌似火
夕陽岬に落ち火に似たり萌える
(落ちる夕陽に黒崎の岬が染められ燃えている様に鮮やかだな~)

此刻依然午热同
此の刻(とき)依然として午の熱に同じく
(夕方に成ってるのに真昼間みたいに熱いよ~)

遠望太平養生長
太平(洋)を遠く望み成長を養う。
(太平洋を眺めて元気を充電中ぅ~)

・・・みたいな?まぁ、小生別に漢文詳しい訳じゃないから間違ってるかもね(笑)。
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それから黒崎海岸を少し散歩して・・・

気分も落ち着いて「よ~し!」と成り。
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又、入口に戻った。
帰りに又、横浜横須賀道路のPAに立ち寄って夕食食べる事にした。
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横須賀PA(上り)
ここのPAは地味に三浦半島と鎌倉の特産品が揃ってて立ち寄る価値が有る。
この日は食べなかったが、横須賀海軍カレーパンなんか特に美味しい。
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食べたいのはサッパリした物だったので“三浦わかめ蕎麦”&“湘南ゴールドソフト”の神奈川縛りで夕食にした。
ワカメの香りがして美味しかったし、まぁ、そもそも立ち食い蕎麦も、ちゃんとした蕎麦も好きなので好物なのだが。湘南ゴールドソフトの方も果肉がシッカリ入ってて美味しかった。
外に出ると丁度、PAから花火大会の打ち上げ花火が見れた。
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結構大きく見えたのと方角的に横須賀港で花火大会が有ったのかな?
ついでに追加の御土産に鎌倉ハムのポークジャーキーを購入した。
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まぁ、何だかんだ、訪問先は少なかったし一人行動で寂しかったけど、良い息抜きに成ったかな?

では、今日の休日雑記はここまで。
ブランク有ったのに小生のブログ記事を読んで下さっていた皆さん、ありがとう。

では又、少しづつ書いてくのでよろしくお願いします~!





金曜日、この日の当初の予定は小田原市に行き曽我梅林と小田原城を見て廻り、夕方から湯河原町に移動して湯河原梅林の夜間ライトアップを見物する予定だったが、午前中は生憎(あいにく)と観梅には適さない空模様で予定を変えた。
横浜中央図書館に午前中出掛けて、午後の帰路そこから順繰りに梅の名所を幾つか見て廻る事にした。
中央図書館の次は三渓園、環状3号線に出て大船フラワーセンターへと遠回りしてから円海山の麓に戻って来る事にした。
横浜中央図書館の在(あ)る野毛から車で中区本牧半島の三渓園に行こうとすると“平戸桜木道路”を少し南下するルートを通るので、途中で日ノ出町の旧問屋街に乾物問屋や駄菓子問屋が今も少し残る界隈を通る。
ちょっと気に成っていた問屋さんが有ったので立ち寄る事にした。
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佐野屋本店

今では本当に少なくなってしまった玩具や駄菓子の問屋サン。時代の流れで流通形態も変わり町の中の駄菓子屋もコンビニの登場で役目を横取りされ、玩具屋サンも家電量販店に市場を奪われた。
大きな店が各主要駅と幹線道路沿いに出来た代りに、住宅街の身近な子供のコミュニティーは破壊され消え失せてしまった。
たまにブログも自分の部屋以外で書きたくて息抜きに地区センターに行くと、子供達は公園でボール遊びをする事も無く成り夏は横浜市内各区の地区センターのロビーで冷房泥棒しながらゲーム機やカードゲームに興じ、肥満児と眼鏡っ子の割合が異常に高く成っているのが目につく。
・・・日本の子供大丈夫か?とか思うが中国に仕事で行ってた時の事を思い出すと、中国の子供の方が公園すらろくに無いし空気も悪く不健康な環境で育ってるなと、外で遊びたくても遊べない中国の子達と比較してしまった。
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佐野屋サンは駄菓子と玩具の両方を取り扱っている問屋さん。でも昔と違ってプラモデルなんかは家電量販店に市場完全に奪われて現在は本当に玩具と言える玩具しか取り扱ってない。
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「御店主に写真撮って良いですか?」と聞いたら快く許可して頂きました。
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本当、甥っ子とか連れて来たら喜ぶだろうな~珍しい物が沢山有って。
でもウチの妹の所の甥と姪は、甥が私立の小学校に入学決まったし下の姪が今度は小学校受験準備で遊ぶ時間を確保出来ない様だ。
横浜に遊びに来たら連れて行ってあげよう。
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何故かジャニーズのアイドルのポスターも売っていた。需要は有りそう。
佐野屋サンの2Fが駄菓子コーナーなのだが買物に一生懸命に成って写真撮影忘れていた(笑)。
巨大なマシュマロの袋詰めを購入して職場に持って行き主婦連中に差し入れし、山分けして持って帰って貰った。
そこから小生は今度は横浜三渓園に梅を見る為に移動。
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小島屋(雷神堂)
三渓園の手前に小島屋サンと言う巣鴨が本店のフランチャイズ“雷神堂系列”の手焼き煎餅の店が在るのだが、ここの割れ煎餅が美味しくて三渓園に来ると大体いつも購入する。
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でも生憎と寒い金曜日で人手が少なく、この日は販売して無かった。
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国指定景勝 横浜 三渓園(旧:原財閥邸宅)三渓園は以前は入場料金500円だったのだが、横浜市は中田市長以来“緑税”の緑地公園整備費を徴税し始めたのに一昨年から三渓園の入場料を林文子市長が800円に値上げしてしまった。
何でだろうね?税金徴収してるのに300円もの値上げに矛盾を感じる小生。
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ともあれ三渓園はとっても和(なご)むので好き。
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本当に花の綺麗な日本庭園。
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そして重要文化財指定された日本建築が日本各地から移築保護されている。
その建物のどれもが各季節の植物に良く合い四季を通じて散歩と軽食を楽しめる。
三渓園を入口から入って来て右手奥に廻って行くと織田信長公や豊臣秀吉や徳川家康公や織田有楽斎所縁の建築文化財が多く有るエリアが有る。
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臨春閣という建物がこの写真の右側の映ってない所に在るのだが、今年から屋根の吹き替えで向こう三年位は工事中だそうだ。ここは秋の紅葉がとても綺麗なのだが完璧な風景を見るには3年間は我慢が必要らしい。仕方ない。
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そんでも充分に風情を楽しめる。
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2019年03月01日は白梅も綺麗に咲いていました。
三渓園の真ん中の池の畔に戻る。
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旧灯明寺三重塔と梅と松の縁起良い美しいコラボ。後は竹だけ有れば完璧なんだけどね(笑)。
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ここの梅は少しだけピンクがかっていて綺麗だった。
三重塔の山の下、池の畔に小生行きつけの茶屋が在る。
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前回の休日雑記と同じ展開・・・

土曜日早朝、寝ていたら先週に引き続き又も姪っ子に奇襲された。
ガチャガチャガチャ!ガラガラっ!
「お~じチャ~ン!」

今回は何の事前情報も約束も無く母の手引きに因(よ)る姪の奇襲だった。
攻城戦において力攻めをする場合、門の守将を寝返らせて兵を城内に誘引させるのが常套手段なのだが、そもそも小生の家族は何故か皆小生の部屋の鍵を開ける事が出来る。
根(寝)城としても最早機能してると言えるのか解らない幼児が容易に大手門から攻め込める小生の家(笑)。

姪は土曜日午前中は英会話で午後はいつも書道があるのだが午後の書道が休みだそうで、勝手に義妹(弟妻君)と母と姪の3人が小生が土曜日休みなのを良い事に小生に事前相談も無く姪をランチ外食に連れて行かせようと決めていたらしい。
・・・裸で寝ず又、服着て寝てて良かった(笑)。

成人の日の妹と言い、義妹と言い、母と言い、姪も含めて我家の女性陣は小生の予定を無視すると言う迷惑甚だしい技を去年後半から使う様に成ってしまった。
まぁ~、懐(なつ)いてくれる姪が可愛く思うので良いかな(´▽`*)?

でも次に彼女出来たら引っ越して絶対に鍵はやらんからな!

さて、土曜日、当初の予定では前日に天候不順で行けなかった曽我梅林~小田原城天主閣✖センゴク権兵衛のコラボ企画見物~豊臣家の石垣山一夜城再訪~湯河原梅林の夜間ライトアップと見て廻る予定だったのだが、姪の奇襲により脆(もろ)くも、その野望は打ち砕かれる事に成った。
午前中は姪っ子の英会話送り迎えで拘束される事に成ってしまったからだ。しかも姪が英会話やってる10時位~12時迄は小生は“放ったらかし”にされる理不尽!
仕方ないので市内で1~2時間で廻れる観梅の名所に行く事にした。
弟の所の姪は本牧半島の何処かにある英会話教室に通っているので、素早く戻ってこれる範囲となると中区~南区~磯子区~港南区の狭い範囲に限定されてしまう。もうそうすると行ける場所は数少なくて根岸森林公園の梅林、三渓園の梅林、岡村梅林の3箇所しか行ける場所が無い。
実は三渓園は、この前日の03月01日に大船フラワーセンターと合わせて行っていたので後の選択肢は森林公園と岡村公園しかない。三渓園と大船フラワーセンターの梅園は日を前後するが又別に休日雑記に書こうと思う。
そして森林公園1箇所だと流石(さすが)に2時間も時間を潰(つぶ)せないので、今回は久しぶりに“ゆず”の町の岡村町散歩も含めて岡村梅林を見物に行く事にした。
“ゆずの町”散歩をするならJR磯子駅か京急と市営地下鉄の上大岡駅から徒歩20~30分位歩いて来るかバス、もしくは車での移動が選択肢なのだが、小生は車なので先ず岡村公園の駐車場に車を停めた。
岡村公園
岡村公園
ここの広大な公園敷地は元々は鎌倉時代の名将の三浦一族の平子有長公が開いた岡村天満宮と、戦国時代の名将の北条綱成公の開いた龍珠院と言う御寺の境内地だったが第二次世界大戦後に米軍基地として接収されて、その後、何故か神社と御寺ではなく横浜市に土地が返還されてしまい公園として整備されたので駐車場は十分広く駐車料金も安い。
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なので野球場も有ったりする。
この野球場の横の坂道を下って行くと、ここが岡村天満宮の旧参道だった名残が今も有って石の大鳥居が公園の坂道の入口に成っている。
この坂を下り始めると“ゆずファンの聖地”が沢山有って、歌の歌詞にも登場した場所だらけ。
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先ずこの坂道を含めた岡村天満宮~岡村公園の丘が“岡村ブギウギ”の歌詞に成っている場所。
その坂の下の大鳥居の裏側を観察して見る。
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昭和十二年十月建之とあり戦前に建てられているので岡村天満宮の旧境内地がここまで来ていた事が良く解る。
寄贈者の姓が気に成る。次の記事で書く戦国時代の北条家の重臣の一人で横浜~川崎に所領を持つ殿様でもある中田加賀守と同じ中田姓だ。1560年頃までは中田加賀守は港北区日吉に矢上城~川崎市高津区井田に井田城等の城を構え他にも保土ヶ谷区の川島町の地名の残る一帯を支配していた。戸塚区に中田の地名が残るので室町時代中頃か安土桃山時代に中田氏は川崎市西部~横浜市北部~鎌倉市東部の代官を務めた可能性が高いと言うのが小生や菩提寺の御住職や慶應大学で論文を書いている盛本先生等実際に地元を廻っている人間の共通意見だったりするが詳しい文物が既に失われていて状況証拠しかない。
しかし岡村町の岡村天満宮に中田姓の人物が石鳥居を奉納しているのは何ら不思議では無い。
実は岡村町の隣接地区の蒔田町は、室町時代に征夷大将軍の関東に於(お)ける代理を務める鎌倉公方の更に代理を務めた吉良頼康公の居城の蒔田城が存在した。
江戸時代に東京大学の前身と成った昌平坂学問所の地誌編纂部門で出世して頭取と成った間宮士信(ことのぶ)と言う学者が「中田加賀守は蒔田吉良家与力だった」と言う主旨の事を書いていたりするので、1560年代の前か後かは解らないが中田一族が岡村町近郷に所領を得て土着し昭和初期に単独で石の大鳥居を寄贈できる経済力を維持したまま一般人として生活していたと考えると経済力的にも全く不思議では無いし歴史的な状況から整合性も高い訳だ。
室町時代初期に岡村町は吉良家の領地だったのだが、北条綱成公の与力武将の行方(なめかた)家が岡村町を吉良家から買い取っている。恐らく、その後の安土桃山時代に更に中田加賀守の所属した小机衆が再編され中田家は江戸衆となり蒔田吉良家与力に再編され蒔田城付近に所領を与えられたが北条家が滅亡して戦国時代が終焉を迎え江戸幕府が開かると岡村近郷に土着した一族もいたのかも知れない。
詳しい住所は言わないが中田家の本家は今は川島町辺りに住んでいる。
中田加賀守の事は今晩、また菩提寺の紹介記事を書くので其処で紹介したい。
小机城と井田城紹介の過去記事でも触れているので、もし御城や戦国武将に御興味有る方は以下の記事タイトルをクリックして当該記事を読んで頂きたい。

クリックで記事にリンク⤵
川崎市の井田城は小田原北条家の吏僚中田加賀守の城?
 ・・・川崎市高津区蟹ヶ谷~中原区井田。

❝続日本百名城❞の1つ小机城
 城主北条幻庵公と城代笠原信為公が率いた北条家白備え隊後の小机衆の拠点。

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そして、この旧参道の石製の大鳥居を正面から見て左手に“ゆずの聖地”がもう一つ在る。
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モンマルト
モンマルトと言う洋菓子店で交通の便が悪い岡村町に在っても磯子区では元々美味しいスウィーツ店として名が通っていたのだが、“ゆず”の二人が通っていたり北川悠仁君(以下北川君と呼称)のお姉ちゃんが美人で良く買いに来ていたのが有名だったりするんだな。
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正面には恐らく昔は農家だった立派な家が在る。
モンマルトは遠方からも“ゆずファン”が来るのでオーナーパティシエの御店主はとても親切で店内の写真撮影も快(こころよ)く許可して下さった。
・・・何回か来てたのに未(いま)だに写真撮影して無かったからね。
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春らしい装飾が少しされていた。繰り返すが許可貰って写真バシャバシャ撮影してるからね~。
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ゆず来訪時の写真も幾つか有る。
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最近は岡村隆史も一緒に来たらしい。
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美人なお姉ちゃんのエピソードも話題に成ったらしい(笑)。CIMG8268
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ケーキはどれも美味しそうなんだけれど今更ながら御店主に「二人の好物って有るんでしょうか?」と聞いて見たら快く教えて下さった。
大将曰く・・・
「ゆうじん(北川君)はいつもクレープ食べるよ~、こうチャン(岩沢君)はソッチのモンブランが好きだよ~」
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岩沢厚治君(以下岩沢君)が好きなモンブラン。
いつもコレを食べるそうだ。てかモ“ソ”ブランに見える(笑)。
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北川君が好きなクレープ。丸めて有るから素手でも食べれるね~。
で、ゆずファンとしては❝両方食べる❞と言う選択肢一択しかない(笑)ので去年27kgダイエットしたのに現在8kgリバウンド中なのだが“ゆず愛(笑)”から両方購入した。
で御店主に「食べて行く?」と聞かれたので「え?店内で食べていいんですか?」と聞き返してしまった。この御店、テーブルが無くて店内にベンチだけあるのだけど、ゆずファンと言うキーワードを発すると御店主の脳内で❝ゆずファン=遠方からの来客❞と認識が有るようなので一応質問するそうだ。
・・・そう言えば今迄ゆずファンって言う機会無かったな。
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トレーに乗せて提供して下さった。
モンブランは齧(かじ)りついた断面が汚くて、とてもじゃないけど写真を御見せ出来ないけど大粒の栗のグラッセが丸々1つ入っていてケーキの底はクッキー生地に成っており、ファンが来ても手で持って食べれる形状に配慮されて作られていた。味も甘過ぎず大人向きでとても美味しい。
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クレープは変な表現だが苺大福の洋菓子バージョンと言った感じ。こちらも甘さ控えめで美味しい!そして持ち易い(笑)。
御店主に「御馳走様でした~美味しかったです~」と挨拶してトレーを返却したら何とプレゼントを下さった!
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20周年記念の絵ハガキ。

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2枚も下さった!2人分食べたからだろうか(笑)?
御店主ありがとうございました~♪思えばこれが朝御飯だったな。
モンマルトを後にして2年振りに岡村天満宮に移動した。

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大鳥居の坂道を登って行くと左手の途中に今の参道の入口が在る。
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とっても❝神社らしい雰囲気❞の有る赤が基調の神社で、北野天満宮の御分霊と言うより雰囲気は稲荷神社ぽい。
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御花がそこかしこに植えて有るのは多分、境内に保育園が有るからかな?
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料理業組合からも崇敬されている様だが経緯は聞いてないから知らない。
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参道の階段を登りきると天満宮らしい梅が見えて来るが、ここは現代の岡村梅林とは又別。
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この横浜市教育委員会の解説は考察が不親切で、もう少し詳しい事を言うと時期的に岡村天満宮を開いた武将は源頼朝公の随兵=近衛兵を務めた平子有長公だろう。曽我兄弟の敵討ちと言う、源頼朝公暗殺未遂事件で犯人の曽我兄弟と最初に抜刀して切り合い逮捕して源頼朝公を暗殺の危機から救った武勇に優れた武将だった。
そこら辺りは以前、岡村天満宮の紹介記事で書いているので、それを読んで貰うと良いかと思う。
ゆずの地元の岡村天満宮の殿様の平子有長公…源頼朝公の忠臣。
 …横浜市磯子区岡村町

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階段上って現在の境内の削平地に出る社殿が見えて来て何やら賑やかな音楽と女性の声が聞こえて来た。
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丁度、園児達が先生と境内でダンスの練習をしていたんだね。
神様に見守られ、春の日差しと梅の花の下で女性の先生達と子供達が踊りの練習をする姿は何ともホッコリして微笑ましかった。

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階段上って左手の稲荷社に先ず御参り。
ここが周辺から商売の神様として御利益で有名だった稲荷社。だから料理業組合もここを崇敬していたのだと思うけど未確認。
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その手前に牛サン。皆に触られてツルっツルで気持ち良い♪
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境内は紅梅が凄く神社の雰囲気に合ってとても綺麗♪
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園児か先生が育ててるのかな?花壇も有る。
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う~ん、子供達と同じく元気に咲いてくれていて何だか見ていて嬉しくなる。
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本殿前で参拝して気が付いたんだけど・・・
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拝殿の扉のガラスが陽光で鏡みたいに成って踊りを一生懸命に練習する園児と女性の先生と梅が映り込んでいる。
本殿から見た神様の視点でこの風景が見えてるんだね~。岡村天満宮、菅原道真公と平子有長公の二人が温かく園児達が健やかに梅と一緒に育つのを見守ってくれている神社みたいに感じたので拝殿に移った境内の風景も写真に撮影して見た。
そう言えば何回か参拝に来たり歴史調べているのに、ここで御朱印頂いた事も無いし御守りも買ってなかったと思い社務所で御朱印と御守りを受領して来た。
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御朱印。それと・・・
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ゆずの町らしい“ゆずの幸せ守り”。ゆずの匂いがする匂い袋に成っているらしいのだけど花粉症で鼻詰まってる小生には何にも感じない(笑)。
まだ我が春は遠いのか?花粉症が治った頃に新しい彼女が出来たりして(笑)?
参道を降りて岡村梅林に移動しようとするとコレが目に入った。
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元々、ゆずの二人は伊勢佐木町に在った松坂屋の前で路上ライブをしてデビューの切っ掛けを掴んだのだが、その事から松坂屋が閉店するまで二人が活動していた証(あか)しとして松坂屋前に作られていた二人のライブ当時をモザイク画にした壁があった。しかし松坂屋が閉店したので、ゆず所縁(ゆかり)の岡村天満宮サンに引き取られて現在も保存展示されているんだな。
ゆずを満喫して、もう一箇所、岡村公園周辺でこの日のメインの岡村梅林に向け移動開始。
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途中、野球場の隣の歩道にこの石畳があるのだが、実は岡村公園のある❝久良岐の丘❞は富士山のビュースポットとしても有名なんだな。ここから空がガスって無ければ富士山が綺麗に見える。
生憎と昨日2019年03月02日は午前中迄雨だったせいで地面から蒸発する水蒸気が濃くて富士山が見えなかった。
この時点で午後に行く曽我梅林も富士山が綺麗な場所だが富士山が見えないだろう事が判った。
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岡村梅林は丁度、満開でとても綺麗だった。数百本なので大規模な梅林では無いが、平安時代の頃から貴族や武士は桜では無くて梅を見て春を感じたそうだ。今もその風流な文化を身近に感じられるのは岡村天満宮の氏子サンと横浜を代表するプラント企業の日揮が一度米軍に伐採されて消滅した岡村梅林を復興して下さったからだな。
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この入口は鎌倉街道側に在る。
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枝垂れも白梅も紅梅も有り、ちょっと散歩するには丁度良い。今の時期に❝ゆず巡り❞をするなら是非岡村梅林もファンの方には散歩して頂きたい。
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うん!梅の花はやはり可愛い♪
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この日は小規模だが茶会も開かれていたのだが、生憎と姪を迎えに行く前にもう1箇所岡村町内で見て置きたい場所が有り時間的な余裕が無かったので、運営者の紳士の方や女性に御誘いを受けたが又の機会に参加させて頂く事にした。
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和むとても良い時間を、岡村天満宮と岡村梅林とモンマルトで過ごす事が出来た。
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又、来年も散歩に来たいな。
そこから駐車場に戻り、車に乗り同じ岡村町内だけど少し離れた笹堀地区の久良岐能舞台に移動した。
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ここの辺りには昔の彼女が住んでいた(笑)ので良く来ていたのだが、昔尼寺が有ったり、水子供養の墓地が有ったらしいのだが風土記を読んでもそれらしい事が書いて無くて良く解らない。
そして小生のハンドルネームの❝久良岐のよし❞の由来と成った旧久良岐郡の地名が残る数少ない場所の一つでもある。
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ここは薪能(たきぎのう)等も行われて、知る人ぞ知る文化的な場所なんだな。なんせ交通の便が悪いので余り知っている人は多くないが、拝観だけなら無料で出来るし❝元御寺❞の境内なので日本庭園の名残も有り落ち着いた時間を過ごす事が出来る。
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久良岐能舞台
まぁ、ここがどうやら尼寺の跡らしい事を昨日まで知らなかったんだけどね。
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元は御寺の境内地で池も有ったり裏手の元本堂跡と思われる削平地には水琴窟も有ったりするが、それが果たして御寺時代の遺物か能楽堂として再スタートしてからの再整備かは職員の人も存じ上げないそうだ。
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まぁこの灯籠は昭和後期の物なので現代の物だけど、良い雰囲気を演出する役目を大いに果たしてくれている。
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実は御寺がここだったらしい事を昨日、訪問して職員さんに色々と質問をしてから周辺の歴史の雑談をしていたら教えて貰えた。
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境内には可愛いヤマアジサイが咲いていた。
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綺麗だね~。小さな提灯みたい。
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能舞台の入口に人懐っこい茶虎の猫チャンがいて沢山モフらせてくれた。
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腹丸出し無警戒ありがとう(笑)
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ちなみにこの温かい飲み物は缶ジュース(笑)だが、中には茶室もあり茶会も開催される。
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緑に囲まれた外で御日様を浴びながら御弁当持参して食べる事も出来る。
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日本家屋の構造体の説明も少しづつ有ったり。
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敷地には人の暮らした名残りの井戸も残っていたりする。
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この入口から入り、もし利用者がいなければ職員さんに御願いすると中の能舞台を見学させて貰える。出来れば事前に電話すると良いと思う。
以前は彼女の家に遊びに来る時に外からだけ見た事も有るのだけど、中を見学させて貰った事が無かったので改めて訪問して見た。
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まぁ由来とか書いて有るけど元々は宮越賢治さんと言う資産家の個人が土地や建物を取得して横浜市に寄贈したんだな。
横浜市の豪商は原三渓サンといい皆文化的な上に公共の利益と福祉に寄与する崇高な志を持つ人が昔は多かった。ぽっと出の成金とは大違い。
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来訪者が少なく利用者もたまたまいなかったので特別に小生一人の為に見物に当たり解説をして頂けた。
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中から見る風景も又良いね。山深い御寺の雰囲気が有る。
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この能舞台は東京芸大が練習用に使用していた物を新調する際にここへ寄贈して下さったそうだ。
そして知らなかったのだが、どこも能舞台の絵は松が定番らしい。
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松は神や仏が降臨する場所と言う考えが有るそうで、その為に能舞台は全て舞の奉納の場所の意味も有り松の絵が描かれるそうだ。
因みにこの松の絵は有名な日本画家の❝平福百穂(ひらふくひゃくすい)❞氏の作画だそうで、いつ文化財指定を受けても可笑しくない価値が有るらしい。
そして結界として舞台の周りは白洲で境目が作られる。例え屋内でも。
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知らなかったな~。
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屋外を想定された物なのでちゃんと屋根が有り、屋根事家屋の中に移築されている。
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檜皮葺で由緒正しい神社と同じ屋根に成っている。
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そして聖なる場所なので必ず白足袋を着用しないと舞台に上がる事は許されないそうだ。
色々と聞いて見ないと知らない事が多い。
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欄間はシンプルな造りだけど、これはこれで良い。
で、資料も見せて下さった。
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能舞台、実は足音が響く構造が地下に有るそうだ。
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昔の人も音響効果を考えていたそうで、能舞台と言うのはどこも音の反響を良くする為に地下に甕(かめ)が埋められているそうで、久良岐能舞台も同じ構造体が有るそうだ。
これも知らなかった。
何でも詳しい人に話をしてみるもんだね、こんなに詳しく色入りと解説して頂けると思わなかった。
これだから教養や何かの経験に優れた人と話すのは楽しい♪
能舞台を見学した後は茶室も案内して頂けた。
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う~ん、茶室狭いけど小生は別に生活空間茶室位綺麗なら四畳半でも嫌じゃないかも・・・
無論、一軒家やマンションに住んでて他にキッチンや風呂が有り自分の部屋の割り当てならの話しね。
・・・そんで奥さんや彼女が10畳の部屋とかに住んでたら、それはそれで不満を感じるのかな(笑)?
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裏庭も散歩したけど、こちらの方がより御寺の跡らしい地形が解かった。
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一段高い削平地。
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谷戸に成っており典型的な寺院跡の地形。
恐らくは禅宗寺院で鎌倉時代末期~室町時代開基の寺院だったんじゃないだろうか?
寺の名前も知らないけど。谷戸地形に寺院を作りたがるのは鎌倉文化圏の武士と禅宗の臨済宗と曹洞宗に多い特徴。
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裏庭の梅の大樹が立派だった。
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ここまでちゃんと見て廻った事無かったからな。
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水琴窟もこの裏庭の削平地に在る。
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見学すればパンフレットも貰えて簡単な説明も有るので、もし❝ゆず観光❞して時間が余るなら上大岡駅から電車に乗って帰る人は徒歩で久良岐能舞台見学してから上大岡駅まで行くのも良いかも知れない。
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丁度、見終わった時間から20分後位が姪っ子の英語の終わる時間なので、姪と母を迎えに行った。
姪と母をピックアップしてから曽我梅林迄、東名高速道路を利用したが事故渋滞で2時間ちょいかかってしまった。
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でも現地についたら丁度見頃!
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紅梅も・・・

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枝垂れ梅も。
母が鍵を用水路に落として紛失すると言うハプニング以外は概ね楽しく見物出来た。
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姪っ子も幼いなりに楽しんでくれたようだ。
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ちっちゃな可愛いワンちゃんとも触れ合えたしね~。
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ここ曽我梅林は❝神奈川の景勝50選❞に選ばれた場所の一つでもある。
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曽我梅林
なので本来は晴天だととっても眺望が良く、広大な梅林の向こうに富士山が見える。
こんな感じ・・・
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昼の梅林と富士山・・・
曽我梅林 久良岐のよし撮影
夕刻の梅林と富士山。
上の2枚の写真は過去の写真。今年はタイミング悪く前日と当日朝まで雨天だったので水蒸気で富士山が見えなかった。
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でも、まぁ午後は晴天にも恵まれて人手も多く賑わっていた。この時点で14:30位に成っていたが事故渋滞と母の鍵用水路で流す事件が発生したせいで、まだ昼食をとっていなかったので屋台と売店の食べ物を購入して昼食にした。
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全部粉物・・・帰宅したら午前中のケーキと水分と粉物で2kg体重が増えていた。
昨年79kgの体脂肪率15%の筋肉量60kgのバキバキ腹筋割れまで身体作ったのに、帰宅したら体重が87.5kgで体脂肪率も25%に成ってしまっていた(笑)。
・・・また、shape-up&Pump₋up始めます。2ヶ月で10㎏痩せる。
とりあえず今月中に5kgは脂肪だけ体重落したい。今日からジムで体組成測定再開して身体改造習慣報告記事を又書きたいと思う。

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まぁハプニングも有ったが梅も見れたので、小田原牧場のアイスを買いに移動した。
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小田原牧場アイス工房
ここのアイスがとても美味しくて、特に梅酒のアイスが御薦め!
最近は有名に成り土日はアイスだけ目的の車が来てしまうせいで、この時期の観梅客用の駐車場に停めようとする阿呆が続発して観光の妨げに成っていたりもする。
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まぁ~何とも言えないけどアイスは美味しい。
そして、この小田原牧場アイス工房側の曽我梅林駐車場から見る景色が綺麗なんだな。
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本来ならここから富士山が良く見える。
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御土産に曽我の梅干しを購入した。
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昔ながらの酸っぱい梅干しで小生の好物。はちみつ漬けは日持ちしないので梅干し本来の役割を果たしていないし、梅干しの本来の調味料としての役割でも使う事が出来ない。だから小生はオーソドックスな酸っぱい梅干しが好き。
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姪は屋台の食事が口に合わなかったらしく余り食べなかったので帰路、中井PAに寄って姪っ子に好きな物を選ばせて、下の姪っ子に車中食べる物と義弟夫婦への御土産を購入した。
ここは新鮮な野菜の直販もやっているので良い。
姪が買った物の写真は撮り忘れたが、まぁ喜んでくれたので良かった。
しかしここから又帰路、事故渋滞に巻き込まれて姪を弟の自宅に送り届けるまで2時間半位かかってしまった。着いた時には名はグッタリしていた。
御疲れ様!午前中の勉強と午後の勉強頑張ったね。

又、叔父ちゃんと遊んでくれると嬉しい。
でもあと10年もすると彼氏出来て遊んでくれないだろうね~(笑)。

今回の休日雑記はここまで。
今晩、中田加賀守の開いた2つの御寺のどちらかの記事を書きます~。












冒頭は昨日書いた姪が遊びに来た内容と同じだけど・・・
2019年02月23日、この日は朝08:30に弟の家の姪っ子が遊びに来た。
・・・小生は起床直後に姪から奇襲を受ける事に成った。
ガチャガチャ!
小生「何だ(ビクビクッ)?」
ガラガラ・・・
「オジちゃ~ん♪‼」
・・・姪っ子の施錠解除からの奇襲攻撃だった。
姪が遊びに来るのは知ってたが、こんな早く来るとも知らんしビックリした。
う~ん・・・いつも素っ裸で寝てるから偶然寒くて服着て寝てて良かった。だらしないオジちゃん見せないで済んだな。
朝食未だだったが、夫婦共働き(弟は自営業)の弟夫婦、弟が大阪出張なので、代りに昼前に姪を英会話教室に送り届ける事に成っていた。10時過ぎで良いって言ってたのに早すぎる!
で、昨日書いたブログの通り、姪と一緒に駄菓子の所にある風船作るオモチャを買いに行って時間潰しに遊ぶ事にした。
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最初は上手く行かなかったけど直ぐに上手に成って風船タワーが出来ました(笑)。
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姪は文房具とか小物とか駄菓子とか雑貨とかが好き(叔父の小生と気が合うのよ)なので、その手の場所に連れて行くととても喜ぶ。小生の両親は自分の考えを押し付ける人だったので、小生は子供にはそうするまいと心に誓っている。
遊びも手本を見せてコツを口で説明して、一緒にやって見せて直接手は出さない。
だから姪と雑貨屋さんとかに保育園~低学年の姪や甥を連れて行っても100円~300円とか渡して自分で好きな物を選ばせて自分で買うか決定させるし、これが良いアレが良いと言う誘導もしない。
買った物も「自分で持てる量だけ買うんだよ~?」と前置きして姪達が買った物は自分達で運ばせる。
ウチの親と伊勢原の義伯父は小生達が子供の頃、ザリガニを獲(と)りたいと言い出し伊勢原市の義伯父宅の近くの田んぼの用水路にザリガニを獲りに行ったら、親達がザリガニ獲りに必死に成り獲ったザリガニを子供に渡して来た・・・そう言う事じゃないし面白くないんだよな、それじゃ。
子供が自分で決めて自分の責任で行動するから、充実感も得られて失敗も成功も経験に成って自尊心も育つんだよ。
小生は親に自尊心を圧し折られる事ばかりされて来たので、絶対にそうしたく無いんだ。
・・・幸い小生の発想は子供に合ってるらしく妹とこも弟とこも子供達が懐いてくれていて嬉しい。
姪を送り届けてから遅い朝食を食べに11時ごろ横浜南部市場に移動した。
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最初、場外市場の御菓子問屋で買物してから場内の‟がってん食堂”に移動した。
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がってん食堂
がってん食堂は市場の食堂らしく安価で新鮮な海鮮と、鳥や豚等出汁(だし)の元に成る材料も調達できるので驚愕の値段で海鮮丼と拉麺のセットや美味しいハヤシライス等、市場の食堂定番メニューを食べる事が出来る。
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昨日は本日の海鮮丼&拉麺750円!
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超新鮮じゃないと食べられない生白魚、鯛(たい)、サヨリ、鱸(スズキ)の海鮮丼と超美味い醤油拉麺。
これで750円て、小生のブログで‟がってん食堂”初見の人はビックリするだろう。
但(ただ)し、横浜市営から外れて独立した南部市場の商店主達を潰したいのか横浜市の再開発(嫌がらせ?)で市場のど真ん中に在(あ)った買出し者用の駐車場が不可解に場外市場と場内市場を視界から寸断する様に工事壁が築かれて、場外~場内に移動し方が解(わ)かり難(にく)く成ってしまっているので小生が衛星写真に順路を書き込んで置こうと思う。
がってん食堂順路
―赤線が‟がってん食堂”の在(あ)る場内市場“水産棟”への順路。
〇青丸がってん食堂一般客用駐車場の位置。
がってん食堂の在る場内市場の水産棟と、対面の青果棟は朝の05:30~06:00くらいに一般客も買物出来るが07:00にはだいたい店は営業終了する。
もう横浜市営じゃないので一般市民も業者用の超絶新鮮な青果も海鮮も場内で買物出来る。

入口はシーサイドライン南部市場を降りて直ぐ目の前、其処(そこ)から入って直ぐ左に御客様駐車場も在る。
駐車場の目の前が場外市場で、こちらは大体、朝07:00から営業開始される店が多く13時位であらかた閉店する。
がってん食堂は朝の7時~12迄営業時間で、プロの仕入れ人だけでなく、近隣のビジネスマンや夫婦で買出しに来ている御客さんも食事に来る。本店が関内のフグ料理屋なので料理の味は本当に美味しい。
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この醤油拉麺も本当に美味い!
そして昨日は新鮮な鯛や白魚やスズキやサヨリの丼・・・
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繰り返すけど、これで750円て凄いでしょう?
腹ごしらえも終わり、会社に用事が有ったので電話で連絡して上司とコンタクトとってから車に乗り込んで田浦梅林に移動した。
この日の南部市場以外の行動予定は当初は曽我梅林&湯河原梅林だったのだが、午前中雨天で午後から晴れたのだが恐らく相模湾~箱根~青木ヶ原樹海は湿度が高くガスって梅林越しに富士山が綺麗に見えないだろうと予定を変更して田浦梅林&鎌倉市歴史文化交流館の企画展の大正時代の関東大震災の被害の展示を見に行く事にした。
南部市場から田浦梅林は車で30分程度。
でも到着したら駐車場が全て何処も満車だらけで、駐車できず先に鎌倉市歴史文化交流館を見に行き、田浦梅林は夕方に人が少なく成ってから再度来る事にして田浦から離れた。
位置関係 久良岐のよし
別に南部市場~横須賀市田浦~鎌倉市扇ヶ谷は車でそれぞれ30分の移動時間で大したロスには成らないし帰路も小生の家は円海山の麓なので六浦経由か大船経由に成るかの差で大して時間をロスする訳では無い。
しいて言えば正三角形に近い移動がS字の往復に変わる位(笑)。
鎌倉市に入り車を御成通りのコインパーキングに駐車、そこから徒歩5分で歴史文化交流館に到着。
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逗子で少し渋滞したので移動時間、だいたい40分くらいだったろうか?
この歴文は今は企画展で関東大震災の被害の様子と復興をテーマに当時の写真をふんだんに見る事が出来る。
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建長寺なんかの大寺院も悉く関東大震災で倒壊して、復興に檀家サン達の支援による相当な資金がかかったらしい。
今は当時と違って寺社建築の部材を作る職人も宮大工其の物も減ってしまったので、あと30年以内に来ると言われる次の関東大震災が発生したら鎌倉市の建築文化財も御神像や仏像等も元通りに修復~復興出来るかはハッキリ言って望みが薄い。
住宅販売業者が海外からプラモデルみたいな住宅キットを輸入して暴利むさぼり、ちゃんとした職人を壊滅の危機に追いやった責任は重い。だからこそ東急不動産のごとき土建屋は文化と自然の保護を重視すべきでトヨタ自動車やDENSOの様に技術継承をちゃんと行う職人育成や、円海山瀬上沢の蛍群生地の保護等に力を注ぐべきなんだな。
さもなくば、文化軽視のアナタ等の父祖の墓、日本文化と自然を大切にしないんだから祖先の墓も要らなかろう?先ずは自分家の墓所を破砕し父祖の遺骨をゴミに入れて捨ててしまえば?と思う。
まぁ辛辣な表現だが土建屋の中の無文化な部類の連中は、そうされても文句を言えない事を自分達がやってる自覚を持った方が良い訳だ。
ゼネコンの中の無文化な連中は本当に悪でしかない。司馬遼太郎先生も敵視してたがな。歴史作家のみならず自然学者や歴史学者以外にも宗教者の中にも、土建屋の無倫理史跡破壊や自然破壊を極左や極右のテロ行為並みに敵視してる人間が多いと言うのも自覚するべきだ。
さて・・・
企画展を見終えて、学芸員さんに幾つか質問をしてから田浦梅林に移動した。

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2019年02月23日時点、今年は冬至~初春が寒かった事もあり開花が遅れていて樹によっては2分咲き~多くても五分咲きと言う所だった。
まぁ~それでも涼しい空気と田浦梅林の今上天皇の生誕記念に1933年に大規模植林された梅林なので、古木も多く成り暖かくならないと咲かない株も多い。
なので見て来た感じとしては3月第一週の土日位が丁度見頃だと思う。
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一部陽当りの良い斜面は見頃に近い。
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紅梅の方が開花が早い様(よう)だ。
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まぁ少し早かったけど、ここは頂上からの眺望が良いので少し咲いた梅と足元の推薦を見ながら頂上展望台に向けて歩を進めた。
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水仙はそろそろ終わりの季節かな?多分、今頃は鎌倉市の稲村ヶ崎公園の水仙が綺麗に咲いているんじゃないかな?
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ここ等辺りはまだこれから、あと2週間は観梅を楽しめそうだ。
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3年前に来た時は、丁度良い満開に鶯(うぐいす)が群がりとても可愛らしく風流で日本らしい季節感を演出してくれていたんだな。
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その時にスマホで撮った写真。
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まぁ、昨日は午前中雨だったので晴天とはいえ空もガスっていて少し暗かったのだが、空気感は清々しくとても良かった。
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この山の向こうに“田浦廃村”と言う再開発計画が頓挫して500戸程の住宅が放置されてたゴーストタウンが在り廃墟マニアには有名だったのだが、今年、再開発計画が再始動して取り壊しが始まってるらしい。一度見て見たかったが、やはり浮浪者が住み着いたり放火されてしてしまうので警察官が頻繁に巡回していると情報があり行かなかった。
まぁ~史跡には興味有るけど廃屋は色々と怖いからいいや・・・と言いながら人が何千人も死んだ古戦場に普通に行くのはやはり趣味趣向の微妙な差の問題(笑)。
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梅って白にピンクがかってとても綺麗だね~。
花の中で一番好きなのが梅、次が山吹かな~。
桜も好きだけどね~。
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そして頂上に到着。
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めちゃ景色良いし、頂上は芝生で気持ち良い。
だからデートに来てるカップルや夫婦や子連れもいて、寒い天気でもホッコリする空気感が流れる場所が田浦梅林なんだな。天皇陛下は今年御退位されて上皇に成られる訳だけど、今上天皇の誕生日に植林開始された梅林が寒空でも天皇陛下の御人柄の様に人々をホッコリ暖かくさせる憩いの場に成っているのは何だか感慨深い。
そして古木も多く成り梅も疲れ始め新しい株の植林も始まっているので、天皇家と同じく田浦の梅林も代替わりが始まっているんだな。
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高速道路、横浜横須賀道路が見える。少しいくと衣笠インターチェンジ、つまり鎌倉武士団で源頼朝公の最大の支援者だった三浦一族の居城、衣笠城がこの先に在る。
少しストレス溜まっていた小生、午前中に姪が遊びに来てくれて、昼に美味しい魚食べて食欲を満たし、久しぶりに歴史欲(笑)を鎌倉歴文の学芸員さんとの情報交換で満たし、田浦梅林で清々しい気分に成り良い一日に成った。
そうそう・・・
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今年も帰りに田浦商店街の“ふじみや”の絶品スイーツ“梅どら”を買った。
田浦 ふじみや 位置 久良岐のよし
ふじみや菓子店
ここは米軍基地の軍人サン達も観梅に来た御土産として人気の店で、本当に和菓子が全て美味しい。
特に田浦梅林の梅で作った爽やかな甘露煮が入ってる“梅どら”が美味しい。
以前は息子さん夫婦が三浦海岸駅の近所で支店をやっていたのだが、そちらは場所柄人口も少なく店を閉店してしまったので今は横須賀市田浦の本店でしか買う事が出来ない。
とにかく美味しいので田浦梅林に観梅に行く予定の在る人は必ず食べて!と強硬に推薦する程に本当に美味しい。
小生は職場の上司と友人と両親への御土産と自分用(笑)に10個買った。
あと横須賀の相模湾側名物の“へらへら団子”もこの店で生産しているので購入する事が出来る。

最後に美味しい梅どらも食べて、良い一日に成った。

そう言えば本日2019年02月23日と来週は岡村梅林でもイベントが有りますよ~♪
2019年岡村梅林の夜間ライトアップ
岡村梅林2019年茶会
小生は仕事で行けませんが、御近所の方は行かれて見ては如何でしょう?
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昼なら車で直ぐの近所には横浜市電保存館もあって子連れでも楽しめると思います。

次は中田加賀守の御城址の御寺と菩提寺のどちらかの記事を書こうと思っています。
・・・では次の記事で御会いしましょう。






姪が英会話教室行く前に遊びに来てくれた。
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英会話教室まで少し時間が有ったから一緒に駄菓子屋行って風船作る玩具を買って来て遊んだ。
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最初は上手く行かなかったけど、準備だけしてあげて手を出さずコツだけ教えてあげたら直ぐに上手に成りましたよ~。
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上手!
叔父ちゃん結婚しなかったから子供好きなのに奥さんも自分の子もいないからね~。
けど弟とこの君や君の妹や、妹とこの甥と姪がいるから癒されるよ~。
遊びに来てくれてありがとうね~。
君達が楽しんでくれると凄く嬉しいんだよ~。

さて!
姪も英会話に送り届けたし天気も良く成ったし、今からジムで汗流してから田浦梅林の山登るか曽我梅林と湯河原梅林どちらか見に行くぞ♪

今晩は梅林見物の記事になるかな?

2018年は小生の人生の中でそこそこハチャメチャな1年間だった。
ハチャメチャの原因は自分の未熟さから対応が上手く行かなかった事ばかりで、今年はそれを変えたいと思った。ソレを改善する為には信頼出来る人の中で自分とは異なる発想をする人から自分に無い価値観や考え方を学ぶ必要が有ると思った。余り会わなかった思考パターン人達の中で安心して学べる人はいないかと考えてみた・・・
そしてとある人の事が思い浮かんだ。
家庭を二度も壊した事で親戚一同から疎遠に成っていた小生が子供の頃に尊敬していた母方の叔父。
・・・その叔父は人を助ける立派な仕事をしていた人で横浜市で最初に❝人を助けるとある資格❞を取得した知勇兼備の仕事をしていた人。頭も良くて体力も優れ話し方も優しく格好良い人。
でも夫としては無責任だったらしい。
家庭を二度も壊した。
大人になってみると叔父さんは男や夫としての責任と言う面において尊敬できないが、人として魅力に溢れ人の気持ちが良く解り優しさが有るのだろうとも思う。
まぁ優しさと、誠実か、真面目かは全て別の問題とも言える典型的な例でもある…

ハッキリ言って小生とは思考のロジックが180°違う人物だが子供心に尊敬しており大好だった。

・・・もう子供の頃から親戚の都合で約20年近く会っていなかったが、小生は2017〜2018年、そして今月前半での全ての反省点を改善する為に自分に男としての責任を果たすだけではなく、人としての優しさや内面を察してあげて心もサポートする能力がほしいと思った時に思い浮かんだのが、この横浜の叔父さんだった。
しかも叔父さんは小生が新たに取得しようと考える資格も持っているので、現実的な資格の相談と、自分の仕事上の同僚との接し方についての相談もしたかった。

そして母親に・・・
「親戚の都合なんて知ったこっちゃない」
「俺は叔父さんに会いたい、子供の頃に尊敬していたし安心して話せる」
「グダグダ言ってないでサッサと連絡先教えて」
・・・と半ば強引に叔父さんの連絡先を聞き出し、コンタクトを取った。
小生が子供の頃から、もうずっと交流が途絶えてたのに叔父さんは快諾してくれた・・・
「よっ君、じゃあ野毛山動物園でも散歩しながら話そうか?」
・・・と。
小生は内心「ん?何で野毛山動物園なんだ?」と感じたが、まぁ確かにユックリと緊張せずに気を紛らわしながら話すにはうってつけの場所だなとも思った。
待ち合わせは13時に日ノ出町駅と決まった。丁度、金曜日は小生は横浜中央図書館に行く予定が有ったので野毛の駐車場に車を停めて待ち合わせ時間まで食事したり都合が良かった。

当日、少し早く12時に着いて叔父が来るまで食事する場所を探す為に野毛界隈をブラブラしていた。
気分的に野毛の商店街で入りたい店がたまたま見つからず駅よりの方に出て来た所、以前から気に成っていた店が視界に入ったのでソコに決めた。
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鴻元食坊(こうげんしょくぼう)
鴻元食坊と言う少し辛い料理の多い中国東北料理の店。ここの店が以前から気になっていた理由はランチが500円と安い上に、横浜中華街でも提供される事の少ない本場中国の庶民料理が沢山メニューに有るからだ。
鴻元食坊に関しては、もう少し詳しく別に独立記事で紹介しようと思うので説明を端折(はしょ)る。
注文したのは酢豚ランチと小生の好物のハチの巣(牛の胃袋)の冷菜
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このランチ+1品でなんと880円!物凄く安いだけでなく味も中国の食堂で食べる中華料理と全く遜色無い。綺麗な店員の女の子と少し雑談をして、今度来たら日本人向けじゃない本場の東北料理の辛さで料理を出してれると言ってくれた。
いつも御店の店員さんとか和尚さんとか宮司さんと打ち解けるのが得意だ。
どの家の子供にも物凄く好かれる。
でも小生は恋愛では上手く行かない事が多い。
好きな人に嫌われ易く、嫌いな人や意中外の人には好かれ易い。
何故だろう?

・・・今までの恋愛を振り返ると小生を最初から信頼したり頼ってくれる人としか交際してなかった様に思う。
それと、店員さんや和尚さん宮司さん達と仲良く成れるのは何か関係が有るのだろうか?
自分と他人の行動や感情のロジックが解らない。
食事が終わると丁度13時の5分位前だったので日ノ出町駅に移動した。
駅には先に叔父さんが到着していたが、何せ長い間会ってないので面影は有ったが最初は叔父さんと確信が持てず、取りあえず手を振って見たら叔父さんも目を凝らしてコチラを見てから・・・
「よっ君、子供の頃の顔しか解らないからLINEで写真送って貰ってもパッと思い浮かばなかったよ」
「印象変わったなぁ〜」
・・・と言われた。そりゃそうだ。久しく会ってないんだから。叔父は今もスポーツセンターに通っているそうでガッチリと無駄な肉の無い精悍な初老の男性と言う印象だった。
叔父と久しぶりの対面を果たし握手を交わし、ソンナ言葉を数回交わしてから何方(どちら)が言い出すでも無く一緒に野毛山に向かって歩き出した。
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横浜中央図書館の前を過ぎて旧平沼専蔵邸亀甲積み擁壁の前を通り過ぎた時に、この文化財の話を小生が叔父さんに話すと・・・
「そう言えば歴史が好きだってお母さんから聞いてたよ」
とか
「凄く体が(太って)大きくなったって聞いてたよ」
とか
「前の仕事の話も聞いたよ」
・・・とか、実は小生の知らない所で母は叔父と連絡を取り合い、勝手に小生の事をベラベラ話していた事が発覚した。母は総じて小生の汚点だけを強調して親類に話すのだが、叔父には賛否両論評して話していた様だ。まぁ、小生の情報は叔父が2度目の離婚をする前後までの様だったので、それ以後は余り情報も交換していなかった様だ。
暫く歩き進めると動物園の案内板が見えて来た。
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叔父の以前の記憶では、既にここ等辺りから動物の展示が有った様に記憶が有るらしいが、どうやら横浜市によって規模が縮小されている様だった。
小生がここに最後に来たのは弟が生まれる直前の3歳の頃の話しで、父と最後に来た当時の記憶が朧気ながらに残ってる。確か市電が放置されるように置いてあった。余り楽しい場所と言う記憶は残っていないが、大人になってみると無料開放の動物園と言うのは中田市長や現職の林市長以前の歴代市長の果たした史跡保護と教育福祉的な意義を両立させていた偉大さが良く解る。
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史跡保護と言ったが、この野毛山は明治時代には富岡製糸場や第二銀行(横浜銀行)を経営した原財閥の原家や、川崎や鶴見の鉄道網を整備した浅野財閥の浅野家や西武鉄道初代社長の平沼家等の別邸が立ち並ぶ高級住宅街であり、近代日本水道の発祥地でもあった。
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佐久間象山先生が横浜の開港を建議したので、この野毛にはその顕彰碑も有る。
余談だがこの佐久間象山先生を暗殺した人物が・・・
©和月伸宏先生 集英社様 るろうに剣心
緋村剣心です。
・・・嘘です。
るろうに剣心の主人公の緋村剣心のモデルに成った人物、抜刀術の達人だった河上彦斎と言う武士が佐久間象山先生を暗殺した人物でした。
まぁ〜幕末の開港〜明治大正の近代日本発展の礎と成った横浜の昔の中心地の桜木町〜野毛町界隈だから当然ながら幕末〜近代が題材の❝るろうに剣心❞の話しにも繋がるのは必然だな。
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階段を登り進める。
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女性俳人として有名な中村汀女女史の句碑だ。
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横浜を舞台にした俳句を多く読まれた人物なのだが、俳句に詳しくない小生は余り中村汀女女史の事も詳しくは存じ上げない。機会が有れば色々と足跡を辿ってみたいと思う。
又、野毛山の道を歩き進める。
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叔父が右足を少し庇いながら歩いていたので・・・
「叔父さん、右足を庇ってるように見えるけれど股関節が悪いの?」
・・・と問いかけた所、年齢のせいか右足が余り上がらなく成ってきたそうだ。それでも毎日ジムでランニングしているそうだ。「足が悪いならウチの母に見て貰えば良いの」にと思いながら小生も叔父に負担をかけない為に歩くペースを落とした。今にして思えば、疎遠に成っていたので母にも言い出せなかったのだろう。小生との交流再開が切っ掛けに成り叔父も親戚達と又、仲良くなって行って今度こそ過去は過去として、新しい奥さんとの生活も祝福されて幸せにしてあげて欲しいなぁ〜と思う。
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そして出て来た佐久間象山先生の顕彰碑。
先程、中村汀女女史を❝先生❞と呼ばなかったのは日本語における❝先生❞の用法は近代に誤って用いられた漢字の誤植だからだ・・・
❝先生❞とは年長や身分が自分より上の❝男性に対して用いる尊称❞で、教師や技術者や文化人に対する尊称の意味は漢字に含まれていない。
・・・日本語で教師の意味で先生と誤って翻訳された単語は本来は“師”、“老師”や“教師”や“教授”が正しい。つまりドラゴンボールで悟空やクリリンやヤムチャ達が亀仙人に対して用いた尊称を❝武天老師❞とした鳥山先生は正しい漢字の知識が有った訳だ。
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本来の遊歩道を案内板に従って右に逸(そ)れると日本庭園に行き着く。
ここを春に散歩するだけでも良いデートに成るのだろう。子連れには子供が理解できず退屈するかな?
そんな場所を叔父と二人歩く小生(笑)。
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石碑が見えて来た。
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ペリー提督が唯一敬礼した日本人だそうだ。つまり欧米人から見ても博識で欧米の礼儀作法さえ熟知しており敬意を以(もっ)て接する対象だったと言う証明だな。川上彦斎は何をやってんだかな。
一頻(ひとしき)り見終わり遊歩道に復帰し、歩道橋から動物園と反対の左手の高台に進む。
叔父の記憶では其方側も昔は小動物と接する事が出来る動物園の一部分だったそうだが面影は無くなっていた。
歩き進めると何やら近代西洋建築っぽい建物が有ったので写真を撮影してみた。
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実はここは日本最初の水道の配水施設だったそうだ。
何とも横浜らしい史跡だな。この頃の日本の他の都市ではまだ井戸ばっかりだったし、夜は真っ暗だったが横浜の野毛〜桜木町〜関内地区には既に夜道を照らすガス灯が整備されていた。
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先に進むと西洋人の胸像が有った。
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英国人H・S・パーマー先生の胸像。
そして、この説明銅板に刻まれている細郷市長の名!細郷市長と高秀市長は建設族ながら文化的歴史的な教養が現職市長より大変優れていて、都市計画と文化歴史史跡保護を両立させた市長として有名だ。
林文子市長も福祉だけは優秀なのだから、加えて横浜市最大最後の蛍の群生地の自然林と水源地の円海山瀬上沢の保護を歴代市長と同じく行うべきだ。現在の瀬上沢の東急不動産による自然破壊宅地開発計画を撤回させ市が栄区の田谷辺りの遺跡の無い耕作地を買収するなりして代替地を用意するとか、東急不動産に横浜市民反対署名12万人+市の有識者の開発反対票過半数の結果を重く受け止めさせ土地を自然保護区域として寄贈させるとか鎌倉市の鎌倉歴史文化交流館開館の先例を踏まえて東急に対して横浜市民に土地を寄付するように勧告して欲しい。
あと続日本100名城に認定され日本全国の歴史ファン城郭ファンから重要性を認められ日本の都市部屈指の保存状態を誇る港北区の小机城を早く横浜市から文部科学大臣に史跡として推薦して国指定史跡認定を受けるべきだと思っている人は物凄く多い。
この2つを行うだけでも、戦国武将で江戸時代の本牧奉行の間宮家松本城址の桜道の桜の大木の並木道の伐採を行わせた罪や、野毛山動物園の規模を縮小させた罪や、原財閥が公共福祉の理念から無料開放していた原家邸宅の三渓園を寄贈されたのに入園料を値上げした罪の全てを贖罪する事にもなるし、逆に高秀市長や細郷市長に並ぶ歴史文化保護の功績を後々数百年後の横浜市民にまで伝える事が出来るのでは無いかと思う。
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パーマー先生に話を戻す。
この人の作った煉瓦製の水道や下水道は実はつい最近まで横浜市中区の一部区間で現役で活躍していた。当時の下水管や水道管は元町公園階段の壁や関内地区の日本大通り沿いに史跡として展示されている。
日本の近代発展が独力だと思い込んでる日本人は多いが実は英国政府が多額の資金援助をしてくれたり、近代都市整備や要塞や戦艦の建造技術を供与して下さった御蔭で現代の日本が有る事をステレオタイプの右翼や左翼の両極端な連中には微塵も顧(かえり)みない奴が多い。
ハッキリ言って生麦事件や薩英戦争は完全に英国政府の陰謀だし、彼らには日本植民地化の野心さえ有って討幕運動の陰には100%フリーメイソンの関与が有ったと小生は思っているし、それを阻止する為に江戸時代初期に横浜を治めた間宮家の一族の幕末の子孫の間宮一サンが無実の罪を着て井伊家との安土桃山時代からの繋がりで鎌倉事件の犯人として人柱に成り処刑されたと小生は推測しているが、日本人の気質や能力を不幸な軍事外交衝突や民間交流を通じて知った英国だからこそ、後に日本人に多大な投資をしてくれたのだろう。
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例えば薔薇の花とウッドデッキの遊歩道でデートスポットとしても横須賀市民や横浜市民に愛される横須賀のヴェルニー公園だが、ここは江戸幕府の小栗上野介公とフランス人のヴェルニー先生が建設した横須賀製鉄所の造船所を見渡す場所だったりする。日本の明治政府がロシアのバルチック艦隊に勝利出来たのは横須賀製鉄所が有って軍艦を整備出来たからだが、これはやはり、フランス人であるヴェルニー先生の設計と英国政府の製鉄施設に関する支援が有ったからだ。
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今は運が良ければ公園の奥にはイージス艦が停泊してる様子を見る事も出来る。
旧横須賀製鉄所では当時のスチームハンマーもつい最近まで現役で使われていて、それを知った現代の英国政府がビックリしたなんて逸話も有る。
そして日本の都市発展や産業発展の基礎を築く一端を担って下さったのがパーマー先生やコープランド先生達だった訳だな。そこには幕府幹部として明治新政府に処刑された小栗上野介公の活躍も有った訳だが。そしてフリーメイソンが日本と日本人と日本の文化を評価し活かし存続させようとも動いてくれたのだと小生は推測している。
…高須医院長、末期癌らしいけれど出来るだけ長く元気に活躍して頂きたいなぁ〜。
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暫く行くとハナミズキの樹が植樹されている。アメリカのワシントンの桜並木が有名だが、実はあの桜並木は❝シドモア桜❞と呼ばれているのだが横浜から贈られ、その返礼にここにアメリカからハナミズキが贈られて植樹されたのだが…
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・・・その企画を推進したのがE・R・シドモア女史だったので、その名をとってシドモア桜と呼ばれているそうだ。因(ちな)みに、この時に桜を植林しアメリカまでの輸送を成功させた植木会社が今も横浜市に現存している。
横浜植木株式会社様ホームページより拝借 久良岐のよし
https://www.yokohamaueki.co.jp/index.html
横浜植木株式会社と言う企業だ。
この企業が現在も横浜で活躍している事はハマっ子としても日本人としても誇らしく思う。
ハナミズキの前を通り過ぎると横浜を見渡せる丘に近年設置された展望台が在る
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景観を壊さない様に近代西洋建築風に成っていてとても良いと思う。
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野毛山公園展望台
叔父の様に足が少し悪い人でも後期高齢者でも安心して風景を見られるようにバリアフリー化されていてエレベーターが設置されていて、横浜市として良い仕事をしていると思う。素晴らしい。
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現代では高層ビルが増えてしまったので海は見渡せないが、それでもランドマークタワーや観覧車も見えて家族連れで動物園に来たついでに子供に横浜の風景を見せるには良い場所だ。きっと少し大きくなって彼氏や彼女が出来たら親と来た此処(ここ)を思い出してデートに来るかも知れない。ここから見る夜景は特に綺麗だろう。もっとも、夜間はシャッターが降りるような構造が有ったので展望台には入れないかも知れないが、それでも丘から見渡す夜景はきっと綺麗でデートにも適していると思う。
う〜ん・・・
毎回家族連れやカップル向けに情報を提供しているのに小生は独り者なんだよね。
でもソレは小生の趣味が歴史で歴史好きな女性なんて絶滅危惧種だったり、同年代の女性は適齢期で既に結婚してる人が大半だったり、自分の頑固で融通の効かない性格や女性だろうが男性だろうが全く良くも悪くも区別しない言動にも問題が有るのを自覚して改善したいと思ったから叔父サンに話を聞いて貰って色んな事を叔父さんとの交流を通じてこれから学び取って行きたいと思ったんだな。
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そして、ここに来るまでに叔父さんから既に大切なアドバイスを貰った。
「嫌いな人でも相手の身に成って相手の尊敬出来る面を大切にすると良いと思う」
「どんな人も大切に接する事が仲良くなる本質だと思う」と言う事だ。
確かに叔父さんには「家族大切にしてないじゃん?」と夫や父としての責任に於(お)いては一瞬ツッコミ所が有ったし、小生の方が❝責任感❞や❝信義❞と言う点に於いては叔父よりは男として自覚は有るかもしれないが、普段から相手の立場に立つと言う事は小生は軽視しがちに成る。
自分がIQ132な上に危険予測と準備を理詰めで行い、相手の意思を無視して相手のサポートを行ってしまう。小生を依存気味に頼る人や部下達には良いかも知れないが、これは優しさでは無く押しつけに成ると思う。だから叔父にも一瞬で見抜かれた訳だ。
そして叔父の更なる一言・・・
「真面目だよね。考えを通す信念は性格だけど、堅物で押し付けに成るかもしれない」
・・・と歩き始めて30分そこいら、小生も全て自分の失敗も成功も悪い面も良かった事も包み隠さず正直に話したとは言え、的確と思われる事を幾つも言い当てられた。
そんな話をしながら歩くと水道みち「トロッコ」の歴史と言う案内板が有った。
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現代も横浜の水道は津久井の道志川から引かれているのだが、なんと横浜から津久井の道志川(津久井湖)までの水道敷設には野毛〜津久井に至るトロッコが引かれたそうだ。
…大久保利通公や西郷隆盛公が鉄道の基礎を築いて下さったので、トロッコの技術も運用出来る様に成っていたんだね。明治の元勲達に改めて感謝。
横断歩道まで戻り、野毛山動物園の入り口に移動。
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カップルや近所からの散歩客がいるが平日金曜日と言う事もあり人は凄く多くは無く丁度良い。
横浜市営なので無料なのだが、多分、市外地の地方からの移住者は存在すら知らないかも知れない。
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入口の受け付けもパンフレット配布と案内や迷子の放送やをするのが主な仕事。
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市営ながら入って直ぐ右手には売店も有り可愛いヌイグルミも沢山売っているので、今度、妹の所の甥っ子と姪っ子や弟の所の姪っ子達を遊びに連れてきてあげたいなと思う。
・・・本当はね、自分の彼女や奥さんや家族と来るのが一番幸せなんだと思うけれど、好きになる人には悉く嫌われちゃって最後通告されてやりとりも無視されちゃうし、まぁ、そうさせてしまう自分の性格の問題点の改善や足りない物を叔父から学ぶ為に今回来れて本当に良かったと思う。

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野毛山動物園
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子供の頃はゴリラさんやシロクマさんに加えて❝はま子❞ちゃんと言う象サンも飼育されていたのだが、最近の横浜市による自然や公共の福祉の軽視、歴史文化史跡軽視の風潮からか既にいなくなっていた。
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何か飼育に困らない小動物はいるらしい。
叔父と昔の野毛山動物園の記憶を掘り起こしながら歩くととても可愛い子が出迎えてくれた。
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最初は何処(どこ)にいるのか解らなかったけが樹の上で生活する動物だと言う事を知らなかったから見つけられなかったんだな。
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レッサーパンダくん。も〜クソ可愛い(笑)♡
残念なのは独身未婚の小生が一緒に見に来ているのが彼女や奥さんや自分の子供ではなく❝叔父❞と言う一点だな(笑)。
そこから先に進むと3歳の頃の記憶が鮮明に残る物が半ば放置する様に展示され残っていた。
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横浜市電だ。横浜市民から通称チンチン電車の愛称で呼ばれていた路面電車。交通量の増加で消えた。
磯子区滝頭の横浜市電保存館に沢山保存展示されていて、安価な入場料で子連れで遊ぶ事が出来る。
久良岐公園や本牧市民公園にも展示されているかな?
横浜市電保存館に関しては以前紹介記事を書いているので興味の有る人は参考にして貰うと良いと思う。
記事リンク⤵

横浜市伝保存館…格安の鉄道博物館。子供の夏休みの思い出作りにピッタリ!

子供の頃の記憶で間違ってるかも知れないが以前と置いてある場所が違うんじゃないかな〜と思った。
叔父はこの変にキリンが居たんじゃないかと話していたかな。
「そう言えば何で野毛山動物園で会おうと思ったの?」
・・・と叔父に聞いた所、叔父は「よっ君から声かけられて何となく思い浮かんだんだよ」と答えたのだがが、「もしかしたら俺の記憶が子供の頃のままだったからかな?」と再度聞き返すと「そうかもね〜」と言っていた。叔父の中では小生の記憶は子供の頃のまま止まっていたんだな。
会わない時間が長すぎたけど、又、会えて良かった。
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ここはチンパンジーがいるらしいが厩舎の中に引っ込んでいて一頭もいなかった。その代りチンパン先生の凶暴に暴れる❝ドォーン❞❝ドォーン❞と扉かなんかを叩き付ける音がして「キイ〜ッ!」と言う攻撃とも威嚇ともとれる奇声が聞こえてきて動物園なのに平和な感じとは程遠い異様な雰囲気を此処だけ感じた。
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上から見た何だか解らない元は動物がいた空の空間。
下に降りるとコンドルの飼育されている檻(おり)が有った。
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上手く撮影できてないね。
その近くに最近までシロクマが飼われていた❝空の厩舎❞が展示されていた。
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う〜ん…どうなんだコレ?
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まぁ中に入れるのは貴重な体験かも知れないけれど、大型動物を減らし過ぎじゃないのか?
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まぁ子供達が喜んでるなら別に良いのかな?
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しかし、シロクマ飼育するのって命懸けだろうね。シロクマに限らずライオンとかトラとか熊とか飼育員さんが良く殺される事件起きてるもんね。
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そんな危険性が有った事を施設を見学出来る様に開放しているのは苦肉の策とは言え子供の教育にも有意義だと思った。自分の子供いないけど(苦笑)。
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白熊舎を後にすると、次はツキノワグマの檻が近くに在った。
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丁度お食事中の時間帯だったので熊が食事している珍しい光景を見る事が出来た。
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起用に長い舌を使って穴からドングリを取り出して口の中でドングリの皮だけを噛み砕いて吐き出して中身を食べていた。てか、冬でも冬眠するとは限らないんだね。刺激が有ると普通に起きるらしい。
冬だからって安心して山城とか登ってて遭遇したら怖いな。
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銅像と説明板。
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そしてペンギンさん。みんな従姉妹兄弟(いとこ)同士の近親婚らしい。
余談だが天智天皇や天武天皇の頃まで日本の豪族や皇族も兄妹婚とか近親婚は普通の文化だったりしたんだが、現代人の感覚では考えられないね。
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ニューカレドニアかなんかにいるナントカって鳥(笑)。ズングリしてて可愛いかと思いきや神経質でコチラをチラ見しまくり行動が微妙だった。
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ニワトリさん。ここでは小動物と子供達が触れ合う事が出来る。
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ワラビーの飼育されてる場所なんだけど寒くて出てきてなかった(笑)。
叔父と話をしていてスッカリ見るのを忘れていたが、この他にも虎やキリンもいるから、無料で見物出来るし野毛での食事やランドマークタワーやミナト未来21地区にも歩いて行ける距離だから親子連れやカップルでの散歩には持って来いだと思う。
そして叔父に言われた…
「合う女性とは初対面から打ち解けるよ。」
「俺なら無理な努力しないし相手の為にも頑張り過ぎないかな」
…これは色々と受け止めるのが複雑だった。
昨年、好きな人に片思いしながら色々と準備していた一環での新たな資格取得講習で一緒に成った女の子がずっと親切に友好的に小生の近くに居てくれて肯定的に接し続けてくたのに片想いの相手に義理立てし電話番号すら聞かなかった事とか、断ったお寺の跡継ぎの話しとか、断った引き抜きの話しとか色んな事が思い出された。
それでも片想いした女(ひと)の事が好きで、ずっと変わらないと思うんだよね。
相手が何が有っても経済的にも支えられる様に投資の御金取り崩して、資格取得で高収入の年収の確約を貰って転職の準備して、それに向けて学習して、相手に釣り合うように昔の外見に戻る為に27kg痩せて。
色々やったけど相手の為には確かに叔父の言う通り独りよがりに成らず、淡い縁の期待は心の底に残しながら、もう今年は去年みたいに若(も)し小生に好意を持って好意を伝えてくれる人がいたら、そのご縁を無下(むげ)にせず、流れに任せてみようと思う。

ただやはり気がかりなのは、小生をガン無視した女(ひと)は、このまま人生1人老人に成った時に寂しい思いをする事に成ってしまうんじゃないか子供も産まず将来を一人で生きなきゃいけないんじゃないか、本当に背中合わせて生きていける信頼に足る男に会えるんだろうか?とずっとソレが喉に引っかかった骨とかみたいに心にチクチク刻まれているんだな。
どうか幸せに成ってくれます様に…

でも叔父さんの言う通り、そうやって決めつけるのを辞めるのと、もう自分の利益も少し優先しても良いのかと思うし、信頼する先輩の言う通り「執着に成るから忘れろ、相手もっと嫌われるかも知れないよ」とまで言われてしまっているし。

此処からは大人としても、相手から近づいてくれない限りは無理をしない様にしようと思う。
そして、もし小生を信頼してくれて小生も相手をリスペクト出来る出会いが有ったら今年は流れに任せて、ご縁を大切にして、全ての可能性を否定せず、男女問わず苦手な人種の人との交流も相手が小生に接して来てくれるなら人として大切にしたいと思う。

叔父さんと日ノ出町駅に向かう別れ際の会話。
叔父「よっ君、お酒好き?」
小生「叔父サン、俺酒凄く強いんだけど営業やってた頃とか父親が酒飲んで暴言吐くのとか嫌な思い出しか無くて大嫌いなんだよ」
小生「だから絶対に誰に飲み会に誘われても行かないんだ、女の子に誘われても」
叔父「そっか、じゃあ次は俺と少し飲もうか?」
小生「(嫌いっていったじゃん)!?え?」
叔父「リハビリだよ(笑)」
小生「う〜ん…叔父さんとなら良いかな?」
…ほんのチョビッと、叔父さんに再開した御蔭で何かが動き出したかも知れません。


…では、又、次の記事でお会いしましょう。











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2019年正月の14日、小生と妹夫婦の共通の来客が中国から有り、東京プリンスホテルの❝ポルト❞と言うビュッフェスタイルのレストランで一緒に食事をする事に成った。
来客と言うのは小生が中国に居た頃に大変お世話に成った人で家族同然に付き合っており「中国のお姉ちゃん」と小生が呼ぶ人で妹夫婦の病院に治療に来たり、日本で買物をするのが非常に好きで服飾関係を目当てにして半年に1回は遊びに来る親日家だ。
当初の予定では中国の姉さんは15日に横浜元町でショッピングをしたいとの事で二人で中華街で待ち合わせして食事をする予定だったが、妹がシャシャリ出て来て小生には何の相談も無く小生の仕事の都合も無視して勝手に日程を14日に変更した挙句、場所まで東京プリンスホテルに変更してしまった・・・
結婚して子供を産んでからの妹が独裁者化していて困惑する事が多い。
・・・兄ちゃんに事前に相談して!
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ホテルの駐車場に車を停めて「何だか人が多いな~」とか思ってたら14日は成人式だったんだな~。
綺麗な呉服で着飾った御嬢サン達、青年達が沢山集まっていたが港区の成人式は東京プリンスホテルでやるらしい。
リッチで横浜市とは大違いだな(笑)。港区だと横浜みたいにリーゼントに下品な紋付き袴を着こんだ様な輩(やから)も見当たらなかった(笑)。
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ポルト(東京プリンスホテル内)
ビュッフェスタイルのレストランだけどプリンスホテルの中だけあってとても綺麗な御店で、しかも高いのかと思いきや2800円と御手頃な値段だったので安心した。しかし、これの為に妹が小生の仕事を無視して勝手に予約してからここに来いと通知して来たのは心中複雑で、前日少し妹と喧嘩っぽく成った(笑)。まぁ、小生の一番の理解者なので小生の扱い方を心得ていて直ぐに建設的な話になるのだけど。
ここは今まで食べたビュッフェの中で1、2の美味しさだと思う。
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ローストビーフも切り分けてくれるのだが肉が柔らかくて美味しかった。
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蟹も手べ放題。
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すげ~食った。他にも肉料理や魚料理も沢山有って、他所のビュッフェが肉関連をランチタイムに出し渋るのとは違ってお得感が有ってとても良かった。
当然ながらスイーツ関連も沢山有り、子供のいる家族連れやカップルのデートや女子会でも使い勝手の良さそうなレストランだと思う。
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小生は甘いのは控えて・・・

代りに懐(なつ)いてくれている甥っ子と姪っ子を❝抱っこし放題(笑)❞ハグしまくって満足して来た(笑)。

・・・まぁ~確かに妹夫婦が中国の姉さんに会うなら病院祭日の成人の日しか無いし、子供連れて一緒に食事するとなるとビュッフェしかないし、❝小生の休暇申請を要する仕事事情無視❞は看過出来ないものの来客で失礼のない場所で御手頃な価格のランチと成ると結果的に妹の判断はベストだと思った。
ふむ、流石、独裁者に成っても我が妹は賢い。良き妹ぞ。
そして義弟君と夫婦に成り可愛い甥っ子と姪っ子を産んでくれて、その二人が❝オジちゃん❞て甘えてくれる至福を兄ちゃんにくれてありがとう~♪
食事が終わり、中国の姉さんは妹と銀座や新宿に買物に行くとの事で、ホテルの車寄せで皆を見送り解散した。
小生はその後で隣の芝増上寺として有名な徳川家の菩提寺、三縁山 広度院 増上寺に参拝に向かった。
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横断歩道を渡り歩道沿いに増上寺に向かって歩くと何やら日本庭園ぽい場所が在(あ)ったので何だろうな~?と思い其方(そちら)側に渡って行って見た。
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どうやら元々芝増上寺の山門の両脇の景色を良くする為に徳川幕府の命令で植林された松林がここに在ったらしい。第二次世界大戦で焼失したのを復元したんだな。流石、日本の国宝保有数最大の東京都、横浜市の史跡や自然破壊大好き現職市長とは大違い。
今の横浜市長なんて北条綱成公や徳川家康公の参謀だった間宮家の松本城址の桜の大木の並木を悉(ことご)く伐採したり、開発反対署名12万人集まり市の有識者も過半数が開発反対している横浜市最大最後の蛍の大生息地円海山瀬上沢の東急不動産による宅地開発計画を容認する様な発言をして大バッシングを受けていたり。
東京都は偉いね。
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戦後復元した松原も大樹に育っている。うん!素晴らしい。
そこを過ぎると増上寺の巨大な山門と東京タワーがコラボした素敵な風景の交差点に行き着いた。
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この写真で見切れている右手に実は歴史的に重要な場所が有る。
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見た目は古い御屋敷、実はこれは元々は増上寺の塔頭(たっちゅう:支院)の一つである広度院で、増上寺山門前のこの前の道の両脇や増上寺周辺芝公園一帯には江戸時代迄沢山の塔頭が建ち並んでいた訳だ。
そして現在、増上寺の院号が広度院と成っているので明治時代の廃仏毀釈で多くの支院が廃寺に成った際に増上寺の運営を担ったのがここの広度院だった事が解かる。
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今では普通の古民家の様な佇まいだが文化的な意味は深い場所。
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だから国の登録有形文化財にも指定され保護されているんだな。
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そこから増上寺の方に少し戻る。
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増上寺前交差点、現在の増上寺の山門=大門。
東京メトロ❝大門駅❞は増上寺の大門の目の前だから、そのまま駅名に成っているのを知らずに地下鉄に乗ってる人もいるんじゃなかろうか?
増上寺周辺 久良岐のよし
実はこの辺、東京都屈指の観光地が集約されており、朝から夕方日没までゆっくり散歩しながらグルメと文化と夜景を満喫出来るんだな~。だからカップルでデートにも、田舎からの来客を観光案内するにも❝使い勝手の良い地域❞なんだな。
例えば・・・
1朝、新橋駅に集合。
2築地場外市場に移動して朝御飯
3浜離宮恩賜庭園を散歩して徳川将軍家の御鷹狩場で甲府徳川家下屋敷でもあった日本庭園を散歩し抹茶で一服
4芝離宮恩賜庭園、徳川幕府老中で我が神奈川県の小田原城主だった大久保忠朝公の上屋敷だった日本庭園を見物
5芝公園方面に移動し東京プリンスホテルで昼食
6増上寺を参詣、徳川家歴代将軍の御廟所や家康公の守り本尊である黒本尊阿弥陀如来様を参拝
7芝東照宮を参拝し芝丸山古墳を見物
8東京タワーを見物、東京の風景を楽しむ
9夕方に霞が関方面に移動、虎ノ門ヒルズを物色
10夜、虎ノ門ヒルズの展望台で東京タワーを含む夜景を堪能。
・・・地図を見ながら無駄なく順路を廻ればこんだけ1日で楽しむ事が出来る。
重要な事は❝小生には一緒に廻ってくれる人がいない❞ので一人でこれやるしか無いんだな(笑)。
実に寂しい。
小生は好きに成る人に悉く嫌われて、好きじゃない人から好かれてしまう行動しか出来ないらしい。
まぁ、秋は芝公園も浜離宮も芝離宮も紅葉が綺麗なので、秋か蚊のいない春に行くのが良いかも知れない。その頃に小生みたいな阿呆と付き合ってくれる奇特な人との御縁が・・・無い(笑)。
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さて、そんな事を大門の前で地図を見てパパっと思い浮かばせながら増上寺を初参拝するべく横断歩道を渡る。
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行くまで知らなかったが、どうやら正月は色々と増上寺で徳川家康公の守り御本尊だった黒本尊様の御開帳とか色々な催事が行われている様だ。
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山門をくぐると広大な境内の御庭と正面に御本堂が目に入った。
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う~ん現代と江戸時代のコラボ!悪くない。
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実は現在の境内でも相当広いのに江戸時代の三分の一以下に規模は縮小されている。
昔はプリンスホテルの辺りも北廟と言って徳川幕府二代征夷大将軍の徳川秀忠公と信長公の姪のお江様御夫妻の御廟所等が有ったんだな。
とは言え今の境内も物凄く広い。
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山門潜って直ぐ目に入った観音様。
何やらその後方にも立派な御堂が見切れている。凄く気に成ったので其方から先に回る事にした。
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観音様の周辺には色んな供養碑とかが有った。
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仏足石とかもね~。
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まぁ、レプリカだけど大きい御寺にたまに有る。
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観音様の反対側には立派な鐘楼も在った。
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火事で一度焼け落ちたけど江戸時代の内に再建されたらしい。徳川家綱公の奥方様の簪(かんざし)まで寄付して鐘の再鋳造と鐘楼再建の費用が捻出された様だ。東日本最大級だってさ!凄い。
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あと催事のポスターとかの掲示板。
どうやら小生が気に成った建物は慈雲閣と言うらしい。
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でもこの建物の垂れ幕を見て小生は不思議だった。普通浄土宗は徳川家に三つ葉葵の徳川家の家紋の使用を寺紋として使用を許されているので三つ葉葵の家紋が垂れ幕に染色してあるものだけれど、この立派な御堂には❝八楊に月星=九楊と月❞紋だった。九楊紋、八楊に月紋、月星紋はいずれも平安時代以来の武家の名門である千葉家一族の用いた家紋だ。
後で若い僧侶に聞いた所、この慈雲閣は増上寺を開いた開山の和尚様を祀る開山堂だそうだ。つまり開山様は千葉家所縁の人間と言う事なのだろうか?詳しい事は調べていないので解らないままの参拝でそんな事を考えていたら予想は的中していた。
増上寺は西暦800年代に今の千代田区麹町辺りに空海和尚の直弟子である宗叡和尚が前身寺院の光明寺を開いたそうだ。当然ながら真言宗寺院だった訳だ。その後、南北朝~室町時代の人で増上寺の中興開基つまり浄土宗に改宗して増上寺と名を改めて御寺をリニューアルオープンしたのが酉誉聖聰和尚で、この人を祀っているのが開山堂である慈雲閣だそうだ。この酉誉聖聰和尚が小生の家紋からの見立て通り房総半島の大名の千葉家出身の人物だそうで、父親は千葉氏胤公、母親は新田義貞の未亡人らしき人物だそうだ。意外な事に酉誉聖聰和尚の甥っ子である馬場重胤公がおり、恐らく武田信玄の家臣で名将の馬場信房が家名を継いだ馬場家の御先祖様に当たるだろう。武田家は房総半島~茨城一帯出身の大名なので実は飯富虎昌公始め房総半島所縁の氏姓を名乗る武将が多かったりする。つまり馬場家の御先祖は千葉家で、増上寺を浄土宗に改めて中興開基した酉誉聖聰和尚様とも親戚だった訳だ。
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犬の散歩禁止。
歴史が好きだと家紋一つで色んな家の御先祖様がアッチ行ったりコッチ行ったりした移住の歴史も辿れたり御寺に関わった人物の出自もこやって推測し当てる事が出来るから面白い!
アッチ行ったりコッチ行ったりした千葉一族の酉誉聖聰和尚を祀る御寺の前だけど犬連れてアッチ行ったりコッチ行ったりするのは禁止(笑)。
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そこから御本堂の方向を見ると東京タワー、御本堂、光摂殿と言う左側の建物を一度に写真に収める事が出来る。小生はこの時に知らずに御参りしなかったのだが、そうやら左側の光摂殿は立派な天井絵が公開されていて見る事が出来るらしい。う~ん、次の参拝の機会に行きたい。
で、御本堂に移動して御本尊様を拝もうと思ったらとんでもない人の行列だった。
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う~ん・・・
別に正面から拝む必要無いよな~と思った小生。横入りもしたくない。
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でも、これ並びたくない。
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なので遠巻きに参拝した(笑)。無論、御賽銭は別の御堂に多めに入れたので大丈夫!
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で、この日、特別公開を意味する御開帳の黒本尊様、つまり東照大権現徳川家康公が戦場にも携行し拝んでいた阿弥陀如来様の黒い仏像を拝むのが徳川家御廟所参詣と同じ主目的の一つだった。
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安國(国)殿と言う御堂。ここに黒本尊様が祀られている。
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丁度多分凄く偉い和尚様が説法をされていて、色々と聞く事が出来て良かった。
黒本尊様は家康公の勝運を頂ける阿弥陀様だそうだ。
確かに家康公は姉川の戦いで浅井朝倉連合軍の猛攻を受けて本隊の織田軍が混乱する中、反攻戦を展開し不利な戦況を覆し織田徳川連合軍を勝利に導き、諸大名による織田包囲網を打開させる糸口を作りだしたり、初陣での大高城兵糧入れ作戦でも500人の小勢を率いて見事に作戦遂行し、更には小牧長久手の戦いでも豊臣(羽柴)秀吉の大軍を痛撃して堀秀政、池田恒興、森可成等の歴戦の勇将率いる軍勢も潰滅させている野戦上手だった。
しかも勝つだけじゃなく武田信玄に負けたり、今川家臣時代の不遇の経験を活かし学習し、そこから成長する人間力も有った人なので今、小生は家康公から多くの事を学ばなければいけないので粘り強くも反省を活かす性格に成る人間力向上の御利益にも預かる必要が有る訳だ。

黒本尊様 増上寺公式様より拝借 久良岐のよし
※画像は増上寺様ホームページより拝借。
小生は反骨精神の強すぎる所に難が有り、理不尽な事を言われると我慢せずに論破してしまうし、冗談でも被害を被る事をやられたら冗談では済まさずましてや危害を加える心算で悪意ある事をされると半沢直樹みたいなスマートな「倍返しだ!」じゃなくて自分の大切な人達にも半端ない泥臭く自分も相手も傷つき確実にダメージを残す自爆テロみたいな事をやってしまう悪癖が有る。
これを浄土宗や日蓮宗や曹洞宗を大切にされつつ、身分問わず愛する人や町民を幸せにした信長公や家康公を今こそ歴史好きとして手本にして人を大切にする事を学び取り、現世でも今迄毛嫌いしていた人達からも色んな事を学んでいかなきゃいけない1年だと思う。
だから、実は下らない反骨精神で成人式すらしていない小生が成人の日に妹の気まぐれで東京プリンスホテルに勝手に集合場所を変えられて、奇しくも黒本尊様を拝めたのは家康公の御導きだと思えば、これも一つの小生が❝真実も見ながら人を幸せに出来る人間❞に生まれ変わる第一歩となる遅すぎる❝成人の日❞に成ったのかも知れない。
実は今年の小生の年齢は、母方の祖父が亡くなった年齢でもある。
小生の名前は母方祖父と、父方祖母から同じ字を一字頂いている。
祖父が死んだ年齢で小生が性格から改善し人として発展し人を幸せに出来る器量を持てる様に成るなら、やはり家康公の黒本尊様を拝めたのはターニングポイントだったのかも知れない。
黒本尊様を御参りして今度は徳川家歴代将軍の御廟所を御参りするべく移動開始。
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と、その入口の手前に観音様がいらっしゃった。
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西向観音菩薩様。
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石仏なんだね~。とても大切にされていて拝む小生も嬉しくなる。
さて、拝み終わり徳川家御廟所へ移動。
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立派な金属製の御廟所入り口の門。
鋳抜門(いぬきもん)と言うそうだ。元々は徳川幕府第六代将軍の徳川家宣公の御廟を守っていた門らしい。廃仏毀釈で仏教弾圧され増上寺の境内が縮小したり戦後の規模縮小での歴代将軍の合祀で移築されたそうだ。
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この門は平時は開かないので左手で拝観料を払って壁の横の入口から御廟所を参詣する。
普通小生は歴史偉人の御廟所を写真撮影しないのだが、徳川将軍家に限っては家康公からして東照大権現の神号を授かり、御廟所の日光東照宮が神社に成っているので小生の認識に於(お)いて徳川将軍家の御廟は御神孫と同等であり、その御廟一つ一つが神社と同じ役割とも考えているので今回は写真を撮影してブログに掲載させて頂く事にした。
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そもそも家康公の宗旨である浄土宗の大本山で、この御廟を管理している増上寺が絵葉書にしているのだから罰は当たらないし逆に御利益を授かれると思う。
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先ず御参りしたのが小生が江戸の町の基礎を築いた内政で尊敬する徳川秀忠公と、その妻ので信長公の姪で名将浅井長政公の姫の❝お江❞様御夫妻の御廟。元は別の場所にあり、東照宮みたいに立派な建物に囲まれていたが戦災で焼け落ちてしまった。
この秀忠公は小生の尊敬する北条家臣で名将の間宮康俊公の孫、今の横浜市長の前身にあたる本牧奉行や佐渡金山奉行や生野銀山奉行をしていた間宮直元公と非常に仲が良かった将軍様だ。
二人して御相撲サンを沢山部下に雇っていて、二人で相撲大会を開いて見物して遊んだりしたそうだ。
間宮直元公の伯母で間宮康俊公の姫の於久(おひさ)様が家康公の側室に成っていて駿府城で家康公の姫を産んでいたので間宮家も徳川家の血縁で、徳川秀忠公と間宮直元公は義理の従兄弟同士で同世代だから仲も良かったんだろうね~♪
間宮直元公は大坂城冬の陣で真田丸や大坂城総掘り埋め立て作戦を家康公に進言した名軍師でもあって、残念ながら後に横浜を開港させる井伊直弼公の祖先の井伊直孝公の軍団の与力として在陣したせいで井伊家が真田隊の経略に引っかかって真田丸に突撃して大損害を受けて潰滅した戦いで間宮家も間宮直元公や千葉県八千代市の分家高津間宮家の間宮正秀公を始め戦死者を出してしまってる。井伊直孝隊がアホみたいに真田信繁公の計略に引っかかって突撃せず、間宮直元公の大坂城総掘り埋め立て作戦の献策を徳川家康公が既に採用していたのだから、家康公と間宮家の作戦通り大坂城無力化させてから降伏勧告をしていれば良かっただけなんですがね。
まぁ、井伊家は先代の井伊直政公が名将だったので二代目はプレッシャーが大きく功を焦ったんでしょうね、結果的に徳川軍に大損害を招く失態を犯した訳ですが、まぁそれは今は必要の無い解説かな?
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これが徳川家宣公の御廟所。
本当に無駄な徳川綱吉の生類憐みの令を廃止して改革善政を行おうとした将軍様。
この家宣公の参謀が新井白石で、彼は鎌倉市玉縄の領主だった。間宮家が戦国時代に仕えた北条家の家臣時代は玉縄城主で関東最強の戦国武将だった北条綱成公の付家老(つけがろう:本社から赴任する支店長代理みたいな)が間宮直元公の御爺ちゃんの間宮康俊公だった。
何だかんだ、間宮家と因縁が有る新井白石。
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徳川家継公の御廟。
この人の跡を継いだのが暴れん坊将軍のイメージがTVでついてしまった徳川吉宗公。
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十四代将軍徳川家茂公。天皇の忠臣で、逆賊長州を征伐しようとして多分大阪城で毒盛られて暗殺された人。妻が有名な和宮内親王だった。
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で、奥さんの和宮内親王の御廟所。女性が参拝したら女子力上がりそう。
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第九代将軍の家重公。
物凄い美男子だったけど発達障害が有ってちゃんと言葉が話せなく、子供の頃から大奥に行って女性と淫らな事をしていたって余り良い伝承が残ってない人。
でも息子さんの徳川家治公がとても賢かった上に、父の吉宗公がサポートしたから何とか上手く次世代にバトンを繋げた将軍様。
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第十二代将軍の徳川家慶公。
この人の参謀が水野忠邦公で、有名な天保の改革が失敗しちゃった時の将軍様。
日本文化を守ろうとしたり緊縮財政で財政再建しようとしたんだけれど反発が強くて上手く行かなかった。
駆け込み女と駆け出し男
この時の時代背景を映画にしたのがに大泉洋サンと戸田恵梨香サン主演で2015年に公開された映画の❝駆け込み女と駆け出し男❞なんだな。
映画と舞台の東慶寺の解説を以前に記事に書いているので御興味の有る方は御覧下さい。
記事リンク⤵

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で、最後の御廟は増上寺境内地の縮小で合祀を余儀なくされた将軍様御身内の御廟所。
それでも立派だな~。
そうそう、先に一度出したけど、この御廟所を拝観すると記念品にポストカードが貰える。
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どうです?芝の増上寺、凄く立派で見応え有るし東京タワーやプリンスホテルのランチと合わせても魅力的でしょう?

もし御興味有れば周辺の観光地と合わせてデートに家族のレクリエーションにと訪問して見ては如何でしょうか?

では!又、次の解説記事か休日雑記で御会いしましょう~♪

※追伸
木曜日投稿予告してたのに色々と用事が立て込み土曜日に成っちゃいました(笑)!又、次の記事も土曜日の夜中に書くから読んで下さいね~♪

午前中に母と二人で義祖母の御墓を掃除してきた。
御正月に会いに行ってあげられなかったからね~。
お婆ちゃん、血が繋がって無いのに本当の孫同然に可愛がってくれて本当にありがとうね~。
家族で一緒に川崎大師に御参りしたり、八幡橋の八幡様御参りしたり、緑区にハマ梨の果樹園に梨狩りに行く時にいつも買ってくれたビスコかコアラのマーチかヨーグル、飽きてたけれど嬉しかったよ~。

昼寝して起きたら夕方に海と夕陽を見たく成った。
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由比ヶ浜、昔は由比ヶ浜だった材木座、その海岸に聳える砦跡だった住吉城塞跡に建つ正覚寺とその城址の寺院の更に奥にひっそりと佇む住吉神社を御参りして海と夕陽と富士山を眺めて来た。
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この風景が見える住吉城址は神奈川県の戦国時代を代表する武将で尊敬する先人でもある北条早雲公こと伊勢盛時公の小田原北条家と三浦義意公の三浦一族の激戦地に成った場所だ。
丁度、鎌倉郡と三浦郡の境目、つまりこの城を起点にして三浦半島に入る。
住吉城址と和賀江島 久良岐のよし
ここを攻め落とされたら三浦家は戦略敵に情況挽回困難に成る場所で、正に海の断崖に聳(そび)え立つ城のまま❝瀬戸際❞の城でもあった。そんな城だから相模の大名、佐原三浦家でも重要な武将、三浦道香公の居城だった。三浦道香公は当主の三浦道寸公の御実弟で小生の尊敬する武将の一人である三浦義意公の叔父上だった。
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しかし伊豆韮山城に隠居した北条早雲公の跡継ぎの小田原城主北条氏綱公は戦国時代初期に置いて攻城戦を得意とする屈指の武将で、この住吉城に至るまで関東最大級の大城郭であり湖沼に浮かぶ丘の城だった伊勢原市平塚市に跨る三浦家の岡崎城攻略を皮切りに、佐原三浦道寸公の実家の扇谷上杉家の大城郭、伊勢原市糟屋舘を攻略。更に糟屋舘や岡崎城や小田原城よりも巨大で堅固な大庭城も攻略し三浦道寸公を三浦家最後の拠点にして絶海の堅城新井城に追い詰めた。そして4年の包囲攻城を経て新井城は落城する。
住吉城の城名恐らく古代から存在したであろう正覚寺裏の住吉神社が存在した事に由来する。
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正覚寺の参道を登る。
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住吉山 悟眞院 正覚寺
ガラス戸で覆われた本堂を参拝し、生け垣の向こうを右手に折れ墓地を抜ける。
すると隠し道の様に住吉神社の参道が現れる。
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人の往来が途絶えた今、映画のロケ地にも使われそうな、神様の式神が帯剣して出迎えて下さりそうな雰囲気の漂う神秘的な神社。誰も参拝に来なく成ってしまったのでひっそりとしている。
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住吉神社(住吉城城名由来の古社)
でもこの神社には最低でも鎌倉時代に人の往来の在った証拠が有る。
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矢倉、納骨穴も確認出来る。
ここに船の往来の安全と土地開拓を見守る住吉神社が開かれたのは目の前が海で古代の街道だったからだろう。
そして城を築くのに相応しかった場所で有る事も湧水が有る事から解る。
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今では大切にはされていない神社だが、ここでは鎌倉時代や室町時代くらいまでは雨乞いの神事も行われたかもしれない。
井戸の奥には住吉城址の馬場に通じていた隧道が存在する。
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しかし土建屋がリゾートマンションを建設してしまったので馬場への出口は封鎖されており今では通行できない。
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ここが解放されて又、人が久木方面へ往来する様になれば小坪も栄えるのにと思う。
城を降りて嘗(かつ)ての城壁の役割を果たしていた断崖絶壁を下から仰ぎ見る。
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古代東海道:住吉要害直下の切通し(廃道)
何回かここ住吉城址の❝古代❞の事を記事に書いた事も有るが、この城址下の廃道の切通しが古代東海道と考古学的に考えられていたのだが神奈川県と逗子市が交通封鎖してしまい日本武尊が通ったかも知れない古道はいまでは鬱蒼とした雑草に覆われ往古と同じ人の往来は絶えた。
この雑草の生い茂る廃道の上、崖の壁面にも大潮の日や台風の日も想定された恐ろしく幅の狭いとってもじゃないけど渡る気のしない切通しが2本開削されているのが解かるだろうか?実際に昔の写真にも乗っている道なので、あの崖の細道を人が往来した様だ。
・・・仮に現代、フェンスで通行止めに成っていなくても高所恐怖症気味の小生には無理だ。
そこから小坪飯島公園の海辺に降りて来た。
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小坪飯島公園小坪飯島公園の埋め立て地の突端からは綺麗に相模湾の由比ヶ浜の海~稲村ヶ崎~江ノ島~箱根山系~富士山が見える。
2年前、ここで地元の女子高生2人が夕日と富士山と一緒に写真のモデルに成ってくれたのを思い出した。
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あの子達は元気に大学生に成って頑張ってるだろうか?きっといつまでも親友で交流が続くんだろう。
お互いに子供を産み、御互いに家族で交流する様な、そんな末永い友情を育んで欲しいと思う。
昨日2019年の正月04日は雲は多かったが、それなりに良い写真が撮れた。
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1人は寂しいけれど少し爽やかな気分に成った。
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源実朝公も寧波に渡りたくて和賀江島で船を造船させて度々見に来ていた美しい風景、小生は鎌倉と横浜を行き来して今と過去を行き来しながら生きている・・・
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やっぱり歴史と綺麗な景色が好きだ~。
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冬凪に偉人も眺めし由比の富士
吾今に生き往古を活かす
作:俺氏
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冬望
作:俺氏

冬和風度由比濱
故人自此望寧波
海波在夕陽下萌
彩雲散歴歴富士
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ー自作の漢詩意訳するとこんな意味ー
冬望    作:俺氏
(冬に望む)
真意:厳しい時の細やかな望み。

冬和風度由比濱 
(冬、由比ヶ浜に優しい風が吹き渡る)
真意:厳しい情況でも鎌倉に来て景色や文化に触れると落ち着く。

故人自此望寧波 
(昔の人は此処から遠く寧波の海を見た)
※昔の人=源実朝公
真意:源実朝公は家臣達が殺し合い謀略飛び交う政権を嫌い、自ら地位財産名誉を捨て、此所の和賀江島で船を建造し寧波に行き南宋に亡命し個人として健やかに過ごす事を願って度々海を見に来ていた。

海波在夕陽下萌 
(海波は夕陽の下で萌えている)
真意:夕陽に照らされた青い海が緋に染まる様が、自分の落ち込んだ気持ちを明るくしてくれる。

彩雲散歴歴富士 
(彩雲も散り富士山もよく見える)
真意:綺麗な雲に隠れていた富士山も風に雲が散りハッキリと見えて来た様子が、モヤモヤした気持ちを吹き飛ばしてくれる。

源実朝公と自分は同じ鎌倉の文化や風景を見てる時代も立場も感じ方も違うけど、望みはささやかで同じ、二人とも人として健康に幸せに成りたいだけ。
健康で心休まる生活と信頼出来る人と家族が欲しい。
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夕陽を見て少し物悲しくも爽やかな気分を満喫して車に乗り込むと家路に着いたのだが、そう言えば今年は鶴岡八幡宮の源頼朝公や源頼家公の御神霊に新年の御挨拶を申し上げて無い事が気にかかり、大町の辺りで鶴岡八幡宮の前身の元鶴岡八幡宮=由比若宮が有る事を思い出し、ついでに以前から気に成っていたJR横須賀線の踏切近くに在る辻薬師堂にも御参りする事にした。
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辻薬師堂CIMG7904
往古は木食五行上人様も御関わりに成られた場所の様だ。未だ詳しい事は調べていない。
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それなりに大きな寺院が前身寺院だったと言うのは境内の掲示物で判った。
関わった木食上人と言うのは珍しい御方で仏僧でありながら、どの宗派にも属さず、仏像彫刻を極めた事で僧侶として高名に成られた方なので、今でいえば僧侶兼仏師と言った所だろうか?
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色んな神様の石祠も有り、神仏習合の場所として開かれた事が解かる。
この御寺が衰退してしまったのは、逆にどの宗派にも属さなかったせいかも知れない。
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掲示によると元々、この辻薬師堂に祀られている薬師如来様はは源頼朝公の建てた大寺院永福寺の塔頭の様な存在の僧坊に藤原一族の二階堂行光によって造営されたらしい。
現在の辻薬師堂は一見すると真っ暗で何も見えず正直余り期待せずに御参りしたのだが、御賽銭いれたらビビった!
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堂内が点灯し中の立派な薬師如来様と脇侍仏様がライトアップされて参拝者の小生に御姿を見せて下さった。う~ん粋な演出だね~!
一応、これからも辻薬師堂が多くに人に大切にされますように~とお祈りして来た。
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線路を渡り10mもしない所から由比若宮=元鶴岡八幡宮=鶴岡八幡宮元宮に入る参道に辿り着く。
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ここも古来の規模で社殿は大きくは無いが、関西ら八幡様の御分霊を源頼義公が勧進して開いた本当に本当に由緒正しい八幡宮だ。源頼義公の時代は鎌倉市街も材木座上りは海や入江の干潟だったので、鶴岡八幡宮元宮は治水・海の神様として高潮除けに勧進されている事が地理から良く解る。
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正月だったのでいつもやってない社務所が営業していて、販売員のお姉さん方と少し雑談をした。
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由比若宮=元鶴岡八幡宮ここが源氏の征夷大将軍への道の第一歩としても過言では無い由緒正しい神社だったりする。
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手水社は普通。
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でも軍神の異名を持った源頼朝公の四代御先祖に当たる源❝八幡太郎❞義家公が旗を立てた場所でも有ったりする。
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何にせよ由緒正しい場所で、関東地方や東北を含めた東日本全体の八幡信仰の起点はここで、ここから鎌倉武士団によって其々の国へ八幡信仰が拡散された歴史を辿れる場所にも成っている訳だ。
因みに近代、この場所には芥川龍之介の家が有ったそうだ。
だから明治の文豪が好きな人にも大切な場所かも知れない。

今回は訪問件数こそ多く無いが、それなりに充実した時間を過ごせた。


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