神奈川県立金沢文庫で鎌倉時代の三浦一族ゆかりの運慶の仏像を集めた特別展示❝運慶 鎌倉幕府と三浦一族❞を開催中です。
余り歴史に興味が無い人は御存知無いのですが、平安末期~鎌倉時代の三浦一族は仏教と神様を非常に大事にしており、特に京都の朝廷に❝三浦長者(三浦氏の棟梁)❞と認識されていた和田義盛公は運慶と交流が有った様で多くの運慶関連の仏像を持つ御寺を開いています。
展示内容に関しては以下のPDFリンクをクリックして御覧ください。
https://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/exhibition_images/unkeilist.pdf
他にも毎回、歴史好きには燻銀の濃い展示を行う金沢文庫、御興味有る方は下の公式ホームページからチェックして見て下さい。
神奈川県立金沢文庫
鎌倉幕府の重鎮金澤北条家の私設文庫が前身
伊藤博文公が復興した東の正倉院の異名を持つ歴史博物館。
045-701-9069
令和4年10月7日~11月27日
運慶特別展示観覧料金
大人800円(65歳以上200円)
20歳以下と18歳以上の学生600円
高校生以下100円
※ボランティアガイドによる解説も午前中に行われています。
元々は金沢文庫の収蔵品の古文書や仏教関連の文化財を保有していた事で歴史学者には東の正倉院と呼ばれ鎌倉幕府~室町幕府~江戸幕府の歴代将軍に保護された金沢山稱名寺(しょうみょうじ)が現代でも隣接しており、その旧収蔵品を伊藤博文公の命で保管する為に設立されたのが神奈川県立金沢文庫です。
2階建ての展示スペースの1F部分には金澤北条家の事を余り知らない人の為の映像付きの解説も有りますし、金沢文庫の所在地は鎌倉時代から有った事で文庫谷(ぶんこがやつ)の地名で呼ばれる谷で、稱名寺と金沢文庫を隔てる山を貫いた歩道トンネルで繋がっています。
鎌倉時代のトンネルは崩落の危険性が有るので通れませんが現代の歩道用のトンネルを歩いて称名寺にも散策にして行けます。
森林に囲まれ立派な日本庭園を持つ境内で初秋の爽やかな空気を感じながら散歩する事も出来ます。
金澤山 彌勒院 稱名寺
真言律宗別格本山
と~っても景色が良いですよ!
神奈川県立金沢文庫の展示は先程紹介した公式ホームページを御覧頂くとして、小生は稱名寺の景色とついでに行ける距離の周辺の観光地を紹介させて頂きたいと思います。
では稱名寺ですが表の山門から紹介したいと思います。
称名寺の入口は先程紹介した神奈川県立金沢文庫と繋がっているトンネルと別に表門が有ります。
京浜急行電鉄金沢文庫駅やシーサイドライン海の公園口から徒歩で10分程歩いて来ると、この門の前に出ます。
余談ですがこの赤門の前に在る別の御寺の薬王寺は鎌倉殿の13人で活躍した源範頼公の菩提寺の1つでもあります。源範頼公は源範頼公の弟君ですね。
金沢区にはこの他にもう一つ源範頼公の菩提寺があり、ソチラは以前に紹介記事を書いているのでリンクを貼って置きます。
金沢区にはこの他にもう一つ源範頼公の菩提寺があり、ソチラは以前に紹介記事を書いているのでリンクを貼って置きます。
薬王寺サンについては又、改めて紹介記事を書く予定が有るので今回は場所の紹介だけで解説はスルーさせて頂きます。
三療山 医王院 薬王寺
源範頼公菩提寺の移転地の1つ
春の景色については夏の菖蒲の季節の紹介記事と合わせてリンクを貼って置きますので、是非ブログ内の写真を御覧下さい。
この参道は秋や冬は参道が良く見渡せて春とは違い称名寺の規模の大きさを感じる事が出来ます。
立派な仁王門を赤門の場所からも見る事が出来ますよ。
写真の人の大きさと比較すると立派さが良く解りますよね~。
鎌倉の建長寺や光明寺と同規模を誇ります。
仁王門を左手に回ると境内に入りますが、右手に回ると称名寺を開いた金沢北条実時公の墓所へ続く広大な谷間の野原が広がっており周辺住民の憩いの場に成っています。
この先に金澤北条実時公の墓所が有ります。更に進むと称名寺の境内をぐるっと一周取り巻く山に遊歩道が有り、その山は金沢城と言う詰め城として要塞化されていました。
実は称名寺は寺院化される以前には金澤北条家の邸宅だったと伝わります。
北条一族自体は鎌倉の幕府に出仕する為に鎌倉市街地に邸宅を構えて居るか任地に赴くので本宅には帰る事は余り無い訳ですね。
やがて金澤北条家は金沢の本宅の持仏堂を元に邸宅地を寺院化し稱名寺を開きました。
金澤北条実時公が学問に熱心で中国の仏教文化の経典•教本や仏具や文化資料も多く収集し、更に金澤北条家の歴代が六波羅探題と言う関西を治める役目を担い今の京都の八坂神社辺りに赴任し京都から南宋の文化財を収集し続けた結果重要な寺院と成り、鎌倉幕府が滅び金澤北条家が滅亡した後も室町幕府の関東管領や執事で無敗の軍師だった太田道灌公の書状、江戸時代の徳川家からの書状等のとてつもない史料が現在に残る基礎を作りました。
仁王門から見える赤橋は近代には荒廃して失われていましたが現代、発掘調査を行い昔の図面から復興されました。
秋に成り気温が下がると空気が澄んで池の水面にこの赤橋と青空が綺麗に映り込み、美しい景観を見せてくれます。
見事に逆さ二重橋に成っていますね~。
これは2022年10月23日の写真です。
春や夏も綺麗です。
春や夏の景色は先程張り付けたリンクでもっと沢山の写真を御覧下さい。
さて、御朱印を拝受するのが趣味の方もいると思いますが、ここ称名寺でも御朱印を拝受出来ますので金沢文庫の特別展示で運慶の木造仏像のを拝んでから、称名寺を散歩して御朱印を拝受しては如何でしょうか?
上の写真で御寺の背後に見えているのが金澤山で各尾根の頭頂部が削平されている他、腰郭の段地も要所要所にあり、尾根には堀切跡らしき地形と称名寺の周囲を囲む部分は裾切されて崖地化されています。
ただし詰城であり、本格的に城砦化されていたのは釜利谷~能見台地区の都市化で消された青野台(青ヵ台/阿王ヵ台)城だったので、ここはあくまで良く有る平安末期~鎌倉初期の削平地の腰郭と曲輪、堀切と裾切した尾根道だけの簡単な構造で土の城として余り見て廻る施設は元々有りません。
ここは寺院の存在だけでなく野村不動産による背後の山の住宅地化で消された古街道が金沢文庫の前を山を越えて通っていた事が古地図にも描かれており、鎌倉市街に通じる尾根道の交通の海側の入口の1つだったので要塞化されたり金澤北条家が抑え陣地になる様に寺院化された可能性もあります。
本堂横の寺務所の近くに上の写真の階段があり、数々の仏様を拝みながら進むと山の頂上に出る事が出来ます。
昭和初期に御遍路の御利益の有る石仏群を設けた様で、城址の林道も有意義な散策路に成りました。
この林道をグルっと1周回ると地形を城好きが注意して見ると平安時代の関東の簡単な構造の出城や要塞の構造が見て取れますが、城に興味の無い人が見ても何も解らないと思います(笑)。
さて、頂上からの眺望は素晴らしいので私が皆さんに是非登って貰いたいと思います。
まだ夏の名残のある2022年10月23日、手前の雑草が少し邪魔ですが運慶の特別展示の期間の11月末位には雑草が枯れて空気が更に澄み更に眺望が良く成るでしょう。
下の写真みたいにね。
雑草の背が低く成ると御寺の裏の野原も良く見え、更に埋立地に変わった住宅街に昔の島だった緑の丘が幾つも視界に広がり横須賀の海まで見渡せます。
この御寺の参道の更に先は当時は港だったので、鎌倉幕府にとって六浦の港、材木座の和歌江島と並び非常に重要な房総半島と鎌倉を結ぶ交易拠点だった訳です。
御寺には可愛い人懐っこい猫もおり運が良ければモフらせてくれます。
さて、この称名寺は昭和まで海が近かったので、埋め立てられた海の公園も歩いて行く事が出来ます。
なので当然、散歩コースとして海まで出るコースを組む事も出来ます。
八景島シーパラダイスへそのままデートに行く事も出来ますね。
途中には金沢園と言う築100年以上の文化財の料亭を改装して運営してるカフェ金沢園もあり名物のアナゴ料理を食べる事も出来ますし、海の公園柴口駅に近いブレーメンと言う名前のパン屋さんの❝八景アンパン❞は金沢文庫の展示を頻繁に見に行く人には有名な一品です。
上のカフェ金沢園に関しては名前が変わる前に一時旅館として喜多屋の名で運営していた時の様子を紹介しているので、御興味が有る方は過去の記事も御覧下さい。
実は料亭だった頃には与謝野晶子等も来ていたんですよ!
残念ながらコロナ禍で旅館としての運営を終え、本来の料亭機能をフル活用したカフェとして昔の金沢園の名でリニューアルオープンして現在は営業しています。
金沢園とブレーメンは直ぐ近くで、更にパン屋のブレーメンの前には小柴漁港も有りますから漁港の岸壁に座ってパンを頬張ったり、海の公園の砂浜に座ったりしてユックリとした時間を過ごす事も出来ます。
ブレーメンでオヤツ代わりに菓子パンを買って神奈川県立金沢文庫に行ったり、横浜八景島シーパラダイスに行っても良いかも知れませんね!
さて、今回の記事は歴史解説では無く貴重な鎌倉御家人三浦家所縁の運慶作の仏像を一斉に集めた展覧会の御案内でしたが、せっかく訪れる方々の為に周辺の観光案内もしてみました。
是非、11月27日までの開催中にデートや観光で周辺の散策を兼ねて訪れて見ては如何でしょうか?
この称名寺や金沢文庫だけでなく、きっと皆さんの御宅の御近所の神社や御寺も実は凄い歴史偉人と繋がりが有る場所が沢山有る筈です。
ですから、ちょこっと御近所の城跡の山や緑豊かな御寺や神社を散歩して見ませんか?
では皆さん、今日はここまで!
又、次の記事で御会いしましょう~♪