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カテゴリ:寺社・仏閣/城址・文化財の解説と紀行文 > 博物館・美術館

皆さんは東京都青梅市に横浜で生まれ、戦時中に青梅市に自宅を写し数々の歴史小説を執筆した吉川英治先生の旧宅の素敵な古民家と日本庭園が博物館として季節限定公開されているのを御存知でしょうか?
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この周辺には観光地として申し分ないスポットも幾つかあり、小生は昨年初めて訪問して再訪したいと思っていたところ、Google mapの情報で今年2019年03月に開館の後、03月20日で運営中止となり完全閉館される事を知りました。
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駐車場も完備されており古民家としてだけでも見物に値し、更に歴史好きや三国志好きならたまらない吉川英治先生の生涯や作品紹介の展示物もある素敵な博物館なんです。
吉川英治記念館だけでは奥多摩まで足を運ぶには小生の様に神奈川県民では距離的に足がなかなか向かない人もいると思いますので、吉川英治記念艦周辺の観光地としての魅力を先ず強調する為に周辺の景勝地を紹介したいと思います・・・
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大悲山 観音寺(通称:塩船観音)
塩船観音は吉川英治記念館から車で30分程度の場所、関東指折りの躑躅の名所の一つで人魚伝説の八百比丘尼が住職を務め、更には天台宗の総本山、比叡山を代表する高僧の一人で天台密教の大家である五大院先徳 阿覚大師 安然和尚様が大寺院に拡張した歴史がある場所です。そのごは坂東平氏三浦一族の金子家が平安時代~鎌倉時代に支援し、戦国時代には三田領を束ねた三田家が支援した御寺で、現在は真言律宗の別格本山であり寺院の奥院が躑躅に囲まれる非常に美しい場所でもあります。
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JR青梅駅周辺❝昭和レトロ商店街❞
青梅市は映画とドラマのロケ地誘致と昭和の街並みの景観保存に力を入れておりJR青梅駅周辺は散歩するだけでも楽しい。❝赤塚不二夫記念館❞や❝昭和幻燈館❞や❝青梅宿津雲邸❞等もあり駅周辺でもかなり時間を割いて散策出来る。
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へそまんじゅう総本舗奥多摩を代表する御土産物屋と言って過言では無く、蒸したてホカホカの名物へそ饅頭を1個売りでも箱でも販売してくれる。小腹が空いたらオヤツにも丁度良い。
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奥多摩釜めし
山深い場所に来た時に関東地方では定番の観光地の食事と言えば釜飯。青梅市の二俣尾でも釜飯の名店❝奥多摩釜めし❞があり、観光気分を満喫しながら食事が楽しめる。吉川英治記念館からも車でそう遠くはない。
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瑞龍山 海禅寺(戦国時代の天皇勅願所寺院)
とても素敵な楼門と、境内に綺麗な躑躅も咲き、春には枝垂れ桜の立派な大樹が見所の御寺。
戦国時代に扇谷上杉家の与力小大名だった三田家が室町時代中期に開いた寺院だが、本来の寺号は❝福禅寺❞と言い恐らく前身寺院は鎌倉亀ヶ谷に存在した修験道の大道場で源頼朝公が崇敬した亀谷山福禅寺が前身。度重なる戦火で福禅寺の権現堂は横浜市港南区に機能移転し、福禅寺は扇谷上杉家によって三田家に青梅市二俣尾の現在地で再興されたと推測出来る。横浜市沿岸部を北条早雲の時代に治めた北条家相模十四騎筆頭の間宮家棟梁、間宮信冬公によって福禅寺の住職が鶴見下末吉に招かれ長谷山 寶泉寺が開かれた。この間宮家は間宮林蔵や杉田玄白の一族祖先であり、又、現在の江の島の江島神社が真言宗系修験道の聖地霊場だった江戸時代までは間宮家が住職である別当を務めた。この間宮家は鎌倉から移転した福禅寺の権現堂を横浜市域で保護しているが、これが鎌倉に在った修験道の福禅寺時代には天皇家御門跡寺院だったので、三田家滅亡後は曹洞宗として間宮家や間宮家の寄親の玉縄北条家一族福島家や同じ北条家臣師岡家や旧三田家臣団によって支援された頃に突如天皇家勅願所に成っているので、間宮家や鎌倉亀谷山福禅寺と青梅市瑞龍山海禅寺の本来の寺号の福禅寺の深い関連が推測出来る。
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吉川英治記念館(2019年03月20日閉館決定)
吉川英治先生の生涯と作品を展示した博物館と、旧宅の古民家と日本庭園を併設した記念館。
風景も庭園もとても美しく、又、古民家好きにとっても素敵な場所。吉川英治三国志や彼の歴史作品を愛読した人ならば閉館前に必ず行きたい所。
3月までは季節柄開館時期では無く03月01日の開館~20日まで営業して終りを迎える。
3月からの開館機関も火曜日は定休日なので訪問日程には注意が必要。
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澤乃井櫛かんざし美術館この美術館と多摩川を挟んで対岸に在(あ)る老舗酒蔵の澤乃井酒造が運営する日本の櫛と簪(かんざし)を大量に収蔵展示した珍しい美術館。ここは風景もとても美しいが収蔵された櫛と簪はどれも綺麗で緻密な細工のされた物ばかりで、江戸時代の御姫様達が用いた物から近代工芸品として発展した物まで多種多様な❝美術工芸品❞としての櫛と簪を見る事が出来る。女性陣は必見!
対岸の澤乃井酒造も吊橋を渡って行けるし、逆に澤乃井酒造側に車を駐車して歩いて来る事も出来る。
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寒山寺(澤乃井酒造創業家小沢家の持仏堂)澤乃井酒造経営者の小沢家が建てた持仏堂で❝澤乃井櫛かんざし美術館❞と澤乃井酒造の土産物売店とレストランが併設された❝澤乃井園❞を繋ぐ多摩川上流にかかる吊橋のたもとに存在する。
美術館と澤乃井園と合わせて見物出来る景勝地。


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澤乃井酒造&澤乃井園江戸時代初期から続く老舗酒蔵の澤乃井酒造の醸造所と、観光客向けに日本酒の飲み比べや土産販売、食事店舗を併設した場所が澤乃井園。奥多摩ながら観光客で日々賑わい、下の多摩川の河原にも降りられるので渓流で沢遊びをする家族にも人気の観光地に成っている。
又、予約すれば酒蔵の方も時間限定で見学する事が出来る。酒を飲まない小生でも力を込めて推薦したい観光地。ここの梅酒は酒嫌いにもとても美味しい!
歴史好きにたまならいガクシャ先生も知らない情報を余談として一つ・・・
澤乃井酒造の小沢家は旧武田家重臣で武田信玄の娘婿だった穴山梅雪の与力武将が御先祖で、武田家滅亡時に復興資金を持って現在地に移転して来て、そのまま武田家は復興されたなかったので林業を営む傍(かたわ)ら酒造業を始めたそうです。社長さんに取材確認済みなので間違いないそうです。
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福島家住宅(江戸時代までの二俣尾村庄屋宅の古民家)

さてさて・・・

吉川英治記念館の周辺、すっごい沢山見所有るでしょ?
この他にも城好きには辛垣山城跡なんかも有りますが、ちょっとした登山に成ってしまうので一般の観光客には不向きと判断し紹介は差し控えました。今回紹介した場所は小生が自分で廻った事のある場所ばかりですが、吉川英治記念館周辺は他にも見どころと成る美術館や観光施設が沢山有ります。
渓流には釣りが出来る場所やキャンプ場も有りますので、アウトドアと合わせて吉川英治記念館の見学に行くのも良いかも知れません。
奥多摩が観光地として魅力的なのは伝わったでしょうか?

・・・では、ここから吉川英治記念館そのものの紹介に戻ります。
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国道411号線から都道41号線に入り西の多摩川上流に向かって車を走らせると、この写真の看板が見えます。駐車場も30台分くらい有るので十分停められると思います。
吉川英治を平成生まれの若い世代は余り知らないのでインスタ映えする古民家が有ってもデートに大挙して来る事もないでしょうから。
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駐車場の脇から住宅道路みたいな田舎道を進むと入口に辿り着きます。DSC_0568
第二次世界大戦中に都会から疎開する為に旧豪農の邸宅を買い取って住んだそうなので、もう長屋門まであって既にこの時点で歴史好き、古民家好き、日本庭園好きにはたまらない雰囲気が漂ってきます。
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中に入ると直ぐ右手に・・・
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物置に使われていた立派な蔵が有ります。凄いよね~。
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御庭とても綺麗。
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住宅部分は玄関の中まで公開されています。
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そして各部屋には生活していた当時の写真が展示されており、今でも往時をありありと想像する事が出来ます。
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御庭に回りましょう。
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こちら側に回ると執筆する書斎として増築された洋館部分の玄関に回る事が出来ます。
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この洋館部分の玄関のタイルが見事でとても綺麗なんです。
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この、こじんまりした洋館の書斎で小説を執筆されていたそうです。
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小生は訪問するまで存じ上げなかったのですが、吉川英治先生は横浜市中区元町の生まれだそうで、生活も吉野町でされたりしたそうです。御先祖は小田原藩士だったとのこと。でも御本人は仕事を色々と変えて数奇な運命を辿っています。今で言うと転職しまくって余り大成しなさそうなかんじなんですけどね~。
そこからどうやって大作家に成ったかとか資料館部分で見る事が出来ます。
洋館から裏庭に回りましょう。
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本当に素敵な庭園なんです。
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まるで横浜三渓園みたい。
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裏庭側から資料館の入口に回れます。
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ここから中は撮影禁止です。
中には吉川英治先生と前妻や後妻さんや家族との年表や詳しい生活の様子、個人的な人生の紆余曲折も解説されていて歴史小説に興味ない主婦の方も昼メロドラマ並みに乱万丈非常に先生の生涯には興味を惹かれると思いますよ(笑)。

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御花もとても素敵な場所です。
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・・・こんな素敵な吉川英治記念館ですが、残念ながら今年2019年3月1日~20までの公開を以て閉館と成ってしまうそうです。残念ですね~。
もし彼女が出来たら一緒に連れて来てあげたい場所の一つだった。
もう彼氏彼女や夫や妻がいる皆さん、どうです?吉川英治記念館と周辺の観光スポット、とっても綺麗でしょ?是非3月の最終公開期間、訪れて見ては如何でしょう?

では、又、次の歴史解説記事で御会いしましょう~。
・・・津久井城の記事早く書かないとね。神社仏閣一覧も更新しないと。


















横浜市金沢区長濱には長浜ホールと言うコンサートホールと長濱野口記念公園が在ります。
そこには❝旧長濱検疫所の細菌検査室❞が保護維持され無料開放されています。 CIMG6460
長濱野口記念公園内 旧細菌検査室
実はここ・・・
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野口英世記念公園内に保存される明治時代の建築遺産にして医療文化史跡。野口英世先生が検疫所職員時代に日本初❝ペスト❞の患者を臨港検疫で発見し日本へのペスト流入を食い止めた当時正に働いていた場所なんです。
CIMG6461 野口英世先生がここでペストを食い止めていなかったら
現在の日本人の多くは祖先が死んでいて生まれていなかったかも知れない、そんな医療の聖地でもある訳です。
CIMG6462 明治三十九年(1899年)明治政府に因って❝海港検疫法❞が公布されました、すると旧長濱検疫所は横濱海港検疫所として再スタートし、当時は北里研究所の北里柴三郎先生の開いた伝染病研究所で研究助手をしていた野口英世先生に白羽の矢が立って❝海港検疫医官補❞として入所赴任されたそうです。
この頃、野口英世先生は22歳。若い!
CIMG6467 すると横浜港に入港しようとし横濱海港検疫所に停泊していた❝亜米利加(アメリカ)丸❞の清国(中国)人乗船員がペストに感染しているのを野口英世先生が発見、ペストの日本侵入と蔓延を事前に食い止めた。
CIMG6468 その時に活躍の場と成ったのが正に、この❝旧細菌検査室❞であり、当時の横濱海港検疫所として機能し現在はコンサートホールとして改装され再利用されている長濱ホールだった。 CIMG6469 これらの建物はバブル時代に老朽化で破壊されそうに成ったのですが、野口英世先生の出身地の福島県民と横浜市民と北里大学の関係有志が義挙し保存活動に発展、実に18年間に及ぶ保存維持闘争を経た頃に、横浜市長が高秀秀信市長に成ったのが幸運でした・・・
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高秀市長は建築族であると同時に歴史知識と教養の深い人物で、この活動に賛同され保護に踏み切り現在では横浜市民に無料で開放され誰でも医聖:野口英世先生の日本防衛の医療聖地を見学する事が出来る様にして下さいました。 CIMG6459
※現在外装工事中の長浜ホール ・・・余談ですが高秀市長は他にも横浜市中区元町~山手地区の明治~大正~昭和初期の洋館群を横浜市で買い取り保護し、素敵な街づくりと近代西洋文化保護を行い、更には都筑区センター南駅までの茅ヶ崎城址保護整備により茅ヶ崎城址公園を開き日本の戦国時代の文化史跡保護にも活躍されました。
又、茅ヶ崎城から直ぐ近くの大塚歳勝土遺跡を保護し緑地公園と史跡公園として発掘調査させ整備し横浜市立歴史博物館を設立され高秀市長によって保護公園化された大塚歳勝土遺跡は❝国指定史跡❞と成り、素晴らしい商業街造成と史跡文化保護の両立を実現された名市長でもあります。 ●茅ヶ崎城址公園…横浜市内3本指に入る保存状態の城。←クリックすると記事を読めます。
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検疫所の前には澤を利用した水堀が在り、これで検査室と事務所の結界としていた様ですね。
高秀市長はこの様な素晴らしい遺跡や文化史跡や城址や自然を多く保護された上で横浜市の経済発展と両立された偉大な市長だったのですが、2018年現在の林文子市長は❝円海山瀬上池~瀬上沢❞の横浜市最大の❝蛍群生地❞の東急不動産による宅地開発を容認する発言をし高秀市長が自然公園化した現地を一部私有地払下げしたり借地権を放棄し封鎖させ、蛍は絶滅の危機に瀕しています。 同様に❝続日本100名城❞に選ばれた小机城址への横浜市史跡指定化を行わず、建築利権かさせ破壊してしまう可能性が有る。
ついでに関連記事のリンクも以下に貼って置きます。
●茅ヶ崎城址公園…横浜市内3本指に入る保存状態の城。
●円海山と瀬上池の沢…蛍が見れる横浜南部の最後の大森林。
●円海山の蛍が観察出来る季節です。・・・過去記事の転載も。
●❝続日本百名城❞の1つ小机城は城主北条幻庵公と城代笠原信為公が率いた北条家白備え隊後の小机衆の拠点。
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旧細菌検査室は小さな博物館に成っていて、当時の検査機材や書類、歴史解説が無料展示されていて誰でも野口英世先生の足跡を学ぶ事が出来ます。
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建物は高秀市長が保護した頃には放置され老朽化が激しかったのですが、有志の活動と高秀市長と当時の市長を支えた教養と志の有る一部職員によって修繕が段取りされ現在のの残されました。
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部屋は多くは有りませんので、長浜ホールに事前に見学可能か問い合わせし合わせて行くと良いと思います。小生はこの日は旧長濱検疫所の検査室だけを見学しました。
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このデカくて仰々しい物が当時の顕微鏡だそうです。今は大分小さく成りましたね。
医療の進歩は科学の進歩を一緒に進んでいく事を物語っていますね。
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他にも検査器具は野口先生が手で触れたかも知れいない擂鉢やら天秤やらシャーレみたいな物とか?色々有りました。
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これは医療関係者の人が見るべき場所なのだろうなぁと思います。
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何か昔の出入り口は地下室と兼用の地下道のみだったそうで、疫病が万が一蔓延しない様に有事は埋めて封鎖する目的でも有ったのでしょうか?今では別に玄関が付けられています。
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昔の検査風景。
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今も再現され保存されています。
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どうです?
小さいけれど医療関係者のみならず横浜市民も見学する価値は十分に有ると思います。
近くの長浜公園は昔海だった海岸線で干潟が保護されており野鳥の観察も出来て子連れでタコ上げしたりデートで散歩したり、ゆっくり遊べる場所でもあります。
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そうそう、自販機まで野口先生仕様でした(笑)。
さて・・・
林市長が長浜野口記念公園や茅ヶ崎城址公園や山手のエリスマン邸等、多くの市の建築遺産と史跡と自然と宗教の聖地を高秀市長の様に保護され活用される事を期待し、この記事を書きます。
円海山と瀬上沢と小机城址が横浜市指定史跡や自然保護区に成り、東急不動産さんが自然破壊開発を放棄、それ等の場所の保護にスポンサーに成り“浄願寺跡の上行寺東遺跡を破壊した横浜市教育委員会の罪滅ぼし”も兼ねて林市長と横浜市教育委員会と東急グループは自分の会社は文化と自然を保護しながら既存の宅地を有効的に再開発していますと方針転換の宣伝を率先して行って下さるよう、期待します。
●【城郭ファンへ拡散】六浦山上行寺の解説と、間宮家臣荒井家の鎌倉武士時代の幻の城址❝荒尾城❞発見?の報告と協力要請。
よもや、横浜市はこの過ちを繰り返さないよな?
多くの横浜生まれ横浜育ち世代の横浜市民と自然保護活動家、カルトセクトではない正統派の神道と仏教宗派の関係者も情報共有しながら❝円海山を見守っている❞事ですし。 この提案は政治家にも企業イメージ改善にも+に成ると思います、高秀市長時代を模範にしては如何でしょうか?

神奈川県立金沢文庫(博物館)で東京国立博物館に続き鎌倉時代の大仏師“運慶”とその弟子達の作品である仏像御神像が企画展『運慶ー鎌倉幕府と霊験伝説ー』として展示開催中です!
金沢文庫公式 運慶
金沢文庫公式 運慶2
神奈川県立金沢文庫
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この企画展は面白く、個人的には皆さんに時刻方位を表した複数の干支を冠した守護神像に注目して頂きたい所です。
昔も今も見事な仕事をする職人もいれば、適当な仕事をそこそこしてヒューマンスキルだけで出世するカスもいるんだな~(笑)なんて❝昔の僧侶の粗探し❞を出来たりします(笑)。
実は方角と時刻を示す守護神(仏)像、頭に方角と時刻を表す干支が彫られており素晴らしい造作の彫刻で迫力も躍動感も有る製作した仏師の気概と仏様の魂を感じる様な木製彫像なのですが…
この仏像群に相当する方角干支を定めた解説書を描いた昔の僧侶が適当な人物で“仏像のポーズ”だけを適当に見て方角守護仏として確定してしまい、仏像の頭の冠に掘られた動物と方角がアベコベに混乱してしまっていたりします(笑)。
この僧侶に限らず、各時代に適当な役人や僧侶神官と言うのは昔から居た様で、特に教養の低かった徳川家臣団が江戸幕府運営をハチャメチャにしていた江戸初期等は寺領社領の保証の為に発行する朱印で寺社名を誤記したまま朱印状発給してしまったり・・・
江戸後半に編纂された“寛政譜”や“寛政重修諸家譜”等の幕府発行の公文書でも武士の家系図で採用している各時代の武将の名前が誤記だらけだったり、戒名と法名と雅号の区別すら出来てない担当筆者の低教養が現代に晒されていたりします。
まぁ、だから徳川幕府は肝腎な役割は旧北条家臣団や旧武田家臣団じゃないと運営できなかったんですけどね、徳川家ってのは幕府開くまで統治力がとにかく低く領内で内戦と離反ばかり起きていましたから。吉宗の頃までは目安箱すら無く譜代旗本の領地では不正課税が横行したり目茶目茶でした。その幕府も混乱した初期からの脱却は旧北条・武田家臣団に頼り美味い所を搾り取ってポイして、幕末に混乱すると再び旧北条家臣団の子孫達に頼る幕閣ってなんなんでしょうね(笑)。
ついでに言えば昔、❝東の正倉院❞と渾名されたのが、今回の企画展を行っている鎌倉時代から存続する❝金沢文庫❞なのですが、ここから多くの寺宝や古文書を横領した挙句の果てに管理不行き届きで此の世から消失させたのも徳川家でした。
・・・とは言っても戦乱を終わらせて庶民が文化を成熟させる時代を齎した功績は素晴らしく、物事は一つの側面から見える事が全てでは無いと言うのが解るのが徳川家と幕府の歴史と今回の企画展の十二神将なんですね。
今回の企画展『運慶ー鎌倉幕府と霊験伝説ー』は、そう言った風に方角守護仏の冠とイイ加減適当な仕事をした先人に誤確定された方角と仏像の冠の干支の不整合を見て・・・
「あぁ~先人の中にも三井不動産レジデンシャルの傾きマンションや消えた年金問題と同じでイイ加減適当なフザケた仕事する奴がいたんだなぁ~」
・・・と言う目で見学したり・・・
「あ~、昔の本当に魂を込めて仕事をしていた人達は何と素晴らしい事か」
・・・と、一つの物からを二つの視点で見る事が出来たりするとても面白い展示と言うのが個人的な感想です。
金沢山稱名寺
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隣は美しい二重橋のかかる、真言宗律宗別格本山の高い格式を持つ❝金沢山稱名寺❞も在り合わせて散歩すると良いですよ♪
小柴の丼屋
小柴の穴子天丼と小柴の蝦蛄刺身 久良岐のよし
近くには美味しい金沢(かねさわ)名物の穴子を食べれる❝小柴の丼屋❞や・・・
喜多屋
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・・・与謝野晶子達も歌会等を開いた料亭金沢園から旅館&カフェとしてリニューアルした❝喜多屋❞も在ります。
是非、この機に周辺散策と合わせて企画展『運慶ー鎌倉幕府と霊験伝説ー』を見学しては如何でしょうか?

情報拡散が遅く成ってしまって申し訳ないのですが、今、横浜市歴史博物館で凄い企画展をやっています。
2018年01月08日までと、あと1~2日しか開催されないので緊急拡散します。
横浜市歴史博物館公式 群集する古墳 表 久良岐のよし拝借 
横浜市歴史博物館公式 群集する古墳裏 久良岐のよし拝借 
企画展:群集する古墳
学校では教えてくれませんが、神奈川県内は実は古代の佐賀牟(さがむ)国と磯長(しなが/いそなが/いそたける)国と言う二つの大きな豪族割拠時代の国の首府が有りました。それ故(ゆえ)に実は古代に邪馬台国や出雲王権や大和王権の首府だった九州北部・出雲地方・大阪・奈良・京都に次いで“重要な”古墳時代の出土品が多い地域なんですね。
今回の企画展は小生が年末に紹介した延喜式内社で古代からの聖地の比々多神社や源頼朝公が聖地として修験道の僧侶に再整備させた森浅間神社等の旧境内地古墳群からの出土した副葬品で神社の神器として大切にされている鉄剣や勾玉や甲冑が多数展示されています。
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横浜市歴史博物館※8日月曜日には学芸員サンによる企画展解説も有ります!詳しくは横浜市歴史博物館のホームページを確認するか、電話で解説の開始時間を問い合わせしてみて下さい!
今回は無料で立派な解説パンフレットも配付されています。
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今回の企画展で出土品が多く展示されているのですが昔、鎌倉に在った都筑区の名刹:西方寺を始め、“神奈川県内の凄い神社仏閣一覧”で紹介した神社の神器も沢山有りますので、興味の有る人はブログ記事も参考に御覧下さい。
コレ→
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さて、余り横浜市歴博の事を御存知無い人も多いと思いますので、この博物館の凄さを少し解説させて頂きたいと思います。
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先ず、この博物館の立地を御覧下さい。
センター南駅周辺 久良岐のよし
実は横浜市歴史博物館はセンター南とセンター北の宅地開発の際に、古代都築郡の文化に繋がる縄文~弥生~古墳時代の遺跡が多く発掘され、周辺には平安時代~戦国時代を通じて重要視された交通の要所が通る事から茅ヶ崎城や山田城、そして茅ヶ崎城を築城したとされる多田源氏源行綱公が開いた綱崎山長福寺(現:寿福寺)等が存在しています。
茅ヶ崎城の解説記事はコレ→
そして、この地域の開発当時の市長さんが建設族だけれども政治力に加えて高い文化教養と歴史知識を有していた高秀秀信横浜市長だったんですね。
この市長は凄い方で、建設利権と文化歴史保護を両立させた現代の歴史偉人なのですが(今の林文子と前の中田市長は自然と史跡の保護を怠り多くの場所の不保護→消滅を招いた)、横浜市中区の山手地区の洋館を買取り観光の目玉として保護する事に成功したり、センター南駅の目の前に緑地として茅ヶ崎城址公園を整備して保存と都市計画を両立させる事を成功させた政治家でした。
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中でも横浜市歴史博物館の設立の切っ掛けに成ったのが大塚歳勝土(おおつかさいかちど)遺跡の発見で、こちらも緑地として都市計画に組み込み、貴重な弥生時代の文化と城砦村落である環濠の様子や弥生時代の方形周溝墓と言う平たい方墳を発掘し無料で展示しており、芝生が張られ横浜市北部の市民の憩いの場にも成っています。
さて、そんな遺跡の出土物や茅ヶ崎城や横浜市内の貴重な文化財を常設展示したり、今回の企画展の様に周辺自治体の歴史ある神社仏閣や史跡の出土物を借り受けて展示したり、古代人や武士達と現代の我々を結び付けて下さるタイムカプセルとして❝移民だらけ❞で郷土愛も歴史への理解も足りない人が多い横浜市民に、実は凄い場所に住んでいる事を学習できる場所として高秀所長によって開かれたのが、この横浜市歴史博物館です。
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比較的新しい博物館なので当然、館内は綺麗です。
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この博物館の屋上には大塚歳勝土遺跡への連絡協が有ります。
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常設展の他に体験学習室が有り、古墳時代の甲冑や兜や銅鏡のレプリカも展示され、直接触らせて頂けるんですね。
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例えば普通の博物館なら、こうやって綺麗に飾られているだけですが、こちらでは触らせて頂けるので細かい観察をする事も可能に成っています…
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上から近づいて見ると頭頂部には細かい彫刻が有る事が解りますね。
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側面にも彫刻が彫られており、当時の豪(王)族や将軍が身に付けた甲冑が優美だった事を自らの目で見て学ぶ事が出来ます。
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三角縁神獣鏡のレプリカも職員さんに確認をとると触らせて貰えます。
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ちゃんと裏面が鏡に成っている事が解りますねぇ~♪
まぁ、学習室は色んな時代のモノが置いて有るので…
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観察の為に移動させて貰ったら昭和40年代の居間を再現した場所に古墳時代の兜が有る異様な風景になってしましました(笑)。
この他に、触れない常設展示の方も現物やレプリカと供に、映像資料や解説洞がのミニシアターがふんだんに用意されており、とても良い歴史入門に成る博物館です。
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昔の都筑区は緑区・青葉区・旭区の全域と、川崎市麻生区・横浜市保土ヶ谷区・港北区を合わせ都築郡と言う行政区域で、西八朔には平安時代の人がら見ても歴史が古く大切にされた延喜式内社の杉山神社が存在ています。
古代豪族の姫で日本武尊(やまとたけるのみこと)の御妃様だった弟橘姫(おとたちばなひめ)の古墳が有る橘樹神社(川崎市高津区)一帯に存在した橘樹郡衙や、久良岐郡衙が存在したと推定されている横浜市南区の弘明寺から古代の街道が経由している交通の要所だったので、非常に多くの出土物が発掘され展示されています。
色別標高図&Google map&久良岐のよし史跡位置図 センター南駅周辺
上の図は“国土地理院”の色別標高図と言う地形図をGoogle earthに重ね合わせ、小生がGoogle earth上に登録したセンター南駅周辺の史跡を表示させた位置関係図です。
これを見ると一目瞭然ですが、当然ながら都筑区を含むそんな旧都築郡は交通の要所の地域なので武士の時代にも茅ヶ崎城や山田城と言う城塞が築城されて拠点として活用されました。
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なので他にも戦国時代の横浜市の北条家臣団の解説や模型と解説パネルの展示やら・・・
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これは後北条所領役帳と言う1級資料の古文書の複写を元に地図上に北条家臣団の領地を表示した図ですね、しかしこれだと誤解するかも知れませんが、各殿様は別に在地で自分の領地にいた訳ではありません。
例えば玉縄衆や江戸衆や御馬廻り衆と言う1560年頃の後北条所領役帳を元に当時の軍団編成を色分けされてパネルに表示してありますが、その武将達は自らが所属する部隊の拠点となる城に詰めて仕事をしていました。
横浜で特に活躍したのは下記の4家です。
※家名をクリックすると関連記事にリンクします。
●蒔田吉良家
足利一族の蒔田吉良家、室町幕府鎌倉府の鎌倉公方(将軍)代理も務めた家です。高文化な一族で梅花無尽蔵と言う書物や多くの古文書に登場し奥州探題(東北地方長官)も務めた時期も有った名家でした。
里見家や正木家が横浜市沿岸部~三浦半島~鎌倉に乱入し放火略奪して廻った鶴岡八幡宮合戦で鎌倉市街地が鶴岡八幡宮諸共灰燼に帰すと、その再建に必要な材木の運搬を現在の横浜スタジアム~吉野町辺りまで海で入江だった当時の蒔田湾に南関東の材木を集積し、材木奉行北条綱成の家老間宮家の杉田港まで海運で輸送した高い経済力と海運力も有した一族。特に有名なのは奥州探題吉良定家公、戦上手で太田道灌公の親友だった吉良成高公、鶴岡八幡宮再建で活躍した吉良頼康公。
室町時代初期の本拠は東京都世田谷区世田谷城(豪徳寺)、小大名だった戦国時代初期は横浜市南区蒔田城、北条家親族と成り北条家臣化した安土桃山時代は世田谷城。
後北条所領役帳編纂時は未だ北条傘下の小大名として独立を保っていた。
●宅間上杉家
足利尊氏公の従弟(いとこ)の上杉重兼公が初代の一族で、倒幕の綸旨を足利尊氏公に伝えた武将であり鎌倉公方の代りに関東一円の執務を執(と)り仕切る“関東管領”も務めた家柄で、戦国時代突入の契機に成った上杉禅宗の乱や永享の乱では不利な状況でも主君の鎌倉公方足利持氏公に与力し忠義を尽くした名族で、北条家従属後も御家中衆として親族同様の高位の格式で別格の扱いを受けた。
室町時代初期の本拠地は鎌倉市浄明寺地区報国寺の在る宅間谷(たくまがやつ)、室町時代後半に入り横浜市緑区三保舊城寺の在る一帯の宅地全てが城址の榎下城、北条家臣化してからは港南区下永谷の永谷城(伊予殿根城砦)。
後に北条氏規公を筆頭に三崎城(三浦市三崎町)三崎衆が編成されると上杉規富公が付家老として三崎衆に属している。
●笠原家
古代武蔵国の武蔵国造(くにつくりのみやつこ)と言う大和朝廷に従属してた豪族の王の子孫の家系。
豪族笠原家の祖先は信濃国佐久郡出身で、笠原家の内紛で武蔵国造の乱が勃発すると大和朝廷の介入による仲裁後に相模国と武蔵国の国境に位置する久良岐郡・(未成立:都築郡)・橘樹郡・多摩郡・横見郡が朝廷直轄地として没収された。この後に成立する旧都築郡に現存する杉山神社は緑区西八朔(はっさく)に存在するが、古代は八朔とは書かず罰佐久(ばっさく)と書いた事が記録に残る。
笠原一族が戦国時代に北条家臣化して後に北条氏綱公が主君の時代に江戸城攻略の帰路、横浜市北部を中心とした一帯を統治する玉縄城代に任命される。鶴岡八幡宮再建の総奉行として北条家と対立する他大名からの協力も取り付けて5万人の労働者を動員した鎌倉市街と鶴岡八幡宮再建を成功させた笠原信為公や、織田家との外交使者を務めた笠原政尭公を輩出した家系。
本拠は港北区の大曾根城、小机衆拠点の小机城代。
北条幻庵公や氏尭公の付家老として小机衆白備え隊を統率し小机城で執務を執った。
●間宮家
間宮林蔵や杉田玄白の祖先の一族で特殊な学者肌の技能を有する一族でした。祖先が宇多源氏の氏神である滋賀県安土町の延喜式社沙沙貴神社宮司家で、神道・修験道・真言宗との関係が特に深く臨済宗・曹洞宗の禅宗や日蓮宗や浄土真宗との関係も深く神事に精通し、土木築城技術と水軍を率いた水運、更に鷹狩に使う鷹の繁殖に秀でた武勇と建築と神事と鷹に長けた一族でした。
玉縄城主北条綱成公の与力に成り歴代玉縄城主の付家老として活躍した間宮康俊公が特に有名で、鶴岡八幡宮再建の際に北条綱成公が材木奉行に成り材木の買付けや運搬を取り仕切ると、蒔田吉良家と協力して自領の杦田(杉田)港に材木を集積し管理、鎌倉に輸送した。北条一族と重臣しか出来ない鶴岡八幡宮の築地塀の奉納で名を連ねている。鎌倉時代の名将佐々木高綱公の子孫を名乗っていたが実際は近親であり沙沙貴神社宮司家佐々木一族の末裔。天皇家勅願所の江の島の岩屋や江島神社を管理していた岩本坊別当も間宮家だった。
本拠地は初期に川崎駅前の堀之内の要塞(同地は平安時代末の佐々木邸址)、後に横浜市港南区笹下城。

さて、実は横浜市には戦国時代の上記の家以外にも活躍した殿様達がおりまして、中でも有名なのは富岡~磯子区一帯を鎌倉時代に治めた名越北条氏や、歴史上で武家中1、2に上げれる教養を誇った金沢区の殿様で六波羅探題として京都周辺の支配を任されていた北条実時公、そして三浦一族の平子家と石川家です・・・
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・・・なので久良岐郡禅馬郷(横浜市磯子区岡村~南区堀之内辺り)を所領にしていた平安時代からの武士団で三浦家分流の平子家の解説も有ったりします。
この平子家の平安末期の当主だった平子有長公は“ゆず”の地元の岡村町に岡村天満宮を開いた人物なのですが、曽我兄弟による源頼朝公暗殺を防ぎ逮捕した武勇の士として知られています。
以前、岡村天満宮を紹介する記事も書いて有るので、興味の有る人は参考にして頂ければ幸いです。
コレ→又、平子家の分家の石川家は現在の中区石川町役周辺で江戸時代も庄屋として存続していますが…
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・・・実はペリーさんの来迎時に江戸幕府の命令で接待の一切を任され日米の懸け橋として活躍されました。
まぁ、鎌倉の隣であり古代からの交通の要所だったので重要な武士団が各時代に配置されるのは必然で、当然ながら合戦も度々起きているのが現在の横浜市域です。
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ですから横浜市博物館には横浜市内で勃発した主な合戦の年代と場所の可視化したパネル等も有り、古代の文化だけでなく武士文化が好きな人も興味を惹かれる場所だと思います。

売店も有り御土産や調査報告書も売っています。
小生は2018年正月06の訪問では黒曜石の原石を購入しました。
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歴史以外の趣味で銀細工で指輪作ったり、ブレスレット作るので、黒曜石を♥️型や○型に削り出したら綺麗かなと・・・
銀の指輪とかブレスレットに興味ある人はカテゴリー[造形/工作]の記事もどうぞ。
歴史好きな人って自分で物を作るのも好きな人が多いらしく、結構、小生と趣味が合う人も多いみたいですね。きっと横浜歴博の売店に行くと、完成品の黒曜石の石鏃(せきぞく)を御土産に欲しいと思うより、小生と同じく黒曜石の原石を買って自分で加工したく成る人も多いはず(笑)。

さて、横浜歴博は冒頭で説明した通り、高秀市長が大塚歳勝土遺跡の保護と出土物展示を兼ねて作られた施設です。せっかく見学に来たら屋上から大塚歳勝土遺跡へ移動してお散歩してみましょう。
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屋上の歩道橋から直接行ける目の前の緑地が遺跡です。
大塚・歳勝土遺跡
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ここは朝鮮文化流入以前の、更に古い漢代の中国と日本の関係を示す弥生文化の方形周溝墓が多く発掘され展示してあります。無論、豊富な解説パネルも有りますが、全部が無料で見学出来ます。
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例えば弥生時代に成り“収穫した米”と言う財産が出来ると、人間はソレを守る為に堀と土塁で村を城砦化しはじめた事が解る遺構も発掘復元展示されています。
ここの面白いのは武士の時代の城砦と違って空堀や土塁の設置が反対に成っている所でしょうか?
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[弥生人の環濠要塞集落]
外側←土塁←木柵←空堀→集落
[武士の城の防御構造体]
外側←空堀/水堀←土塁/石垣←木柵/土塀→館

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※箱根山中城
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※小田原城

この様に堀の位置が違う構造に成っていて、正直弥生時代の環濠集落は城マニアでもある小生からすると・・・
「弥生時代の人、順番違くね(笑)?」
・・・と感じたりしますがね(笑)。
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竪穴住居跡も発掘した様子と、復元した住居が両方多く展示されていて自由に中に入る事も出来ます。
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古代の釘を使わない設営の仕方。実は古代から存続する神社は、この弥生時代の建物と同じ技術を伝統として受け継いで作られている場所が結構残っていたりする。
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昨年、国の有形文化財指定を受けた伊勢原市の高部屋神社の社殿とか…
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※上の写真は高部屋神社。
・・・釘が使われていないんだな。
これと同じ茅葺(かやぶ)き屋根や檜皮葺(ひわだぶ)き屋根の古式に則った社殿を持つ神社の内部は、結構こんな古来の伝統が残っていたりする。
高部屋神社の記事→
他にも米を保存する為の高床式倉庫も公園内に復元されています。DSC_0203
この構造物は外観こそ板葺きでは無く草葺きですがデザイン自体は出雲大社の伝承の社殿や伊勢神宮の各境内社社殿の外観に通じる物が有ると思います。小生良く言うのですが、この高倉が神社の社殿の原型で、豪族の王の住居用に作られた高床式建築物が後にそのまま各豪族が氏神様を祀る場所と成り、神社の様式が確立されたと個人的に考えています。
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ですから、現在の相模原市東部、海老名市、寒川町や高座渋谷等、昔は高座郡(こうざぐん)と呼ばれた行政区分の高座(こうざ)を古代は高座(たかくら)と読んだ事実が有るのだと推測しています。
現在では神社を数える単位は“社”だったり神様は“柱”を単位として数えられますが、昔は1座、2座の様に“座(ざ)”を単位として数えられていたのも、高床式の座(くら)が神社の社殿の根本に成っていたからだろうと考えれば、自然で無理が無いですからね。
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さて、大塚歳勝土遺跡の森には沢山のシイの実やドングリが落ちています。
これ、古代人には貴重な栄養と油分を持つ食料だったんですね。

こんな歴史を辿れる大塚歳勝土遺跡と横浜市歴史博物館ですが、本当に今回の企画展示は物量も豊富で見応えが有ります。本日7日と8日の残り2日間と成りましたが、見る価値は非常に有ります。
そして源頼朝公が子宝に授かった御利益の有る比々多神社の埒免古墳等から出土した豪族の王の遺産等は見学し拝めば御利益も有るかも知れませんね!

皆さん、日曜日のレクリエーションが決まっていない人や8日月曜日空いている学生さん等、是非見学されては如何でしょうか?


さて、次回は1月2日の休日雑記の続きの記事を書きます。
では、皆さん、新年皆さんにとって良い1年間に成ります様に~♪

皆さんは鎌倉市の二階堂地区に源頼朝公が建立した壮麗な“永福寺”と言う御寺が曾(かつ)て存在していたのを御存知でしょうか?
その御寺は有名な京都府宇治市の平等院鳳凰堂や奥州藤原氏の拠点平泉の毛越寺と比肩して壮麗と当時は言われた寺院でした。
近年その永福寺跡の発掘調査が進み、この度、鎌倉市によって史跡として整備された記念に鎌倉歴史文化交流館で企画展“甦る永福寺”が12月09日(土)まで開催される運びと成りました。
鎌倉歴史文化交流館 企画展甦る永福寺 
小生は直接知り合いがおり今回の招待券を頂いていたので企画展の見学に行って参りました。
知り合いの職員の方と情報交換も有ったり調べ物を御願いしてあったので丁度良かったんですね。

先ず、鎌倉歴史文化交流館自体が今年開館したばかりの博物館で余り知名度も高くないので全国的には御存知の無い人も多いと思いますが、小生の個人的な感想として・・・
中規模の博物館ながら「恐らく南関東で一番、展示と解説の見せ方が美しく解り易い」美術館の様な素敵な博物館なのです。
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それもそのはず、この場所は旧三菱財閥岩崎家が住んでいた邸宅跡にして鎌倉時代の大寺院、無量寿院の跡地でもあります。建物も岩崎家の後にココに住んだ某出版社社長の巨大な自宅を改装しているので現代建築としても見応えが有りますよ。
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どんな場所かは以前に“今年6月の休日雑記”の中で解説しているので、博物館自体の様子を知りたい人は御参考までに以下の記事タイトルをクリックして記事を御覧下さい。

さて、では今回の解説の本題に戻ります。

この鎌倉歴史文化交流館の素晴らしい所は“館内の展示物の全てが写真撮影OK!”な上に、“触れる為の展示物も存在している”所です。常設展の素晴らしさは休日雑記の中でも紹介して有るので、其方(そちら)を御覧頂ければ良く感じ取って頂けるかと思います。
学芸員さんは歴史の楽しさを伝える為に、来館者と鎌倉時代の人の“歴史の時間を共有して貰いたい”との思いから、今回は発掘された永福寺の瓦2種類を実際に触ったり持ってみたりする事が出来ます。
体験を大切にする素晴らしい学芸員さんの素晴らしいアイディアですね。
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ジムで筋トレしまくってる小生でも「ん?」と感じる程度の重みは有ります。
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これは女性や子供からしたらソコソコ重いんじゃないかと思いました。実際に持つ事で御寺の規模を感じられれば子供にも良い経験に成りますね~♪。学芸員さんGood job👍
他の博物館はショボいレプリカの写真撮影すら拒む場所が殆(ほとん)どですからね~。
企画展で最初にパネルの解説で興味を惹かれたのが源頼朝公の彫像の写真でした。
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色が落ちちゃってますが、造形は良く姿を留めていますね~。
甲斐善光寺に保存されているらしいので、本来は信州の大寺院の善行寺から武田信玄が略奪した彫像の様ですね。武田信玄は信州や関東に来ては略奪と強姦と腐女子の奴隷売買を行った悪逆非道な輩として有名です。まぁ、この頼朝公像も鎌倉時代のまま信州の善光寺に在ったら、武田氏の滅亡で後ろ盾を一時無くした甲斐善光寺に保存されるよりも色彩も状態良く残ったのかも知れませんね。
次に目を引いたのが宇治の平等院鳳凰堂と平泉の毛越寺跡の写真です。
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実はこの両方が鎌倉の永福寺に酷似しているのです。
鎌倉歴史文化交流館 永福寺CG 
それもそのはず、そもそも頼朝公は都の文化が御好きな風流人だったのですが、奥州征伐で藤原氏の拠点の栄え様をまざまざと見せつけられ、そして自分と同じ様に風流を愛した奥州藤原氏の文化をリスペクトし、“平等院と毛越寺の両方の良い所を取り入れて永福寺を造営した”と言うのが通説に成っています。確かに発掘調査後の予想復元CGは両方にソックリですからね。
そんな頼朝公に建てられた永福寺も各時代に火災で再建されたり規模も様子も少しづつ変化した様で、その調査結果も見取り図で解説されていました。
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こんな感じで説明が有るので、素人でも良く理解できます。
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他にも経塚から出土した経筒や龜も展示されています。
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とても美しい水晶と純金製の数珠や・・・
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・・・盒子(ごうす)等も展示されています。
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800年前の人も素敵な装飾品を身につけてらっしゃったんですね~。
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他にも出土した柱や永福寺の瓦を組み上げた展示物が有ります。
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屋根や柱の装飾品も。
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・・・う~ん、全部の写真を掲載してしまうと企画展の面白みが薄れてしまいますので、展示物の写真の掲載はここまでにして置きましょう(笑)。
実は学芸員サンのアイディアと大学生有志ボランティアで今回、この他にも見所が有ります!
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これらの復元CGをバーチャルリアリティーで体験出来るんです!
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台数は3台有り、上映時間は一人につき5分程度、恐らくこの企画展に人が殺到すると混みあうので、まだ博物館の知名度の低い(笑)今の内が、この体験をしに行く絶好のチャンスだと思いますよ~♪
なんせ博物館の中は風雨も寒さも関係無いので、これから秋冬に向けても良いレクリエーションに成ると思います。
今週末、又、天気荒れるらしいですがソレも関係無く楽しめますしね(笑)。

皆さん、どうでしょう?
企画展“甦る永福寺”を見学して見たく成りませんか?小生の様に招待される客で無くても、ここは広く歴史と鎌倉文化を広め様と言う志の高い経営方針の博物館なので一般来場者の入館料も500円と激安です!

そして鶴岡八幡宮の近くの鎌倉国宝館では今年の10月21日時点~12月03日(日)の間、「鎌倉公方足利基氏」企画展も開催されています。永福寺展と合わせて見に行くなら今がチャンス!
・・・まぁ、紅葉の季節に成ってから扇ヵ谷地区の海蔵寺や佐助稲荷神社界隈の紅葉散策や、反対側の浄明寺地区の浄妙寺や報国寺の紅葉散歩と合わせて見学に来るのもアリですね♪
一応、以下に鎌倉歴史文化交流館のアドレスと企画展のホームページ掲載して置きます。
【鎌倉歴史文化交流館】
【CGによって復元された永福寺ホームページ】
http://www.bukenokoto-kamakura.com/yofuku-ji/cg.html

皆さん、そろそろ肌寒さを感じる季節に成りました。風邪等引かれません様に~。

では!又、次のブログ記事で御会いしましょう~♪



















金沢文庫と言っても駅の名前でも土地の名前でも無くて博物館の金沢文庫ですが、そちらで現在、弘明寺と並んで横浜市を代表すると言っても過言では無い名古刹の寶生寺の文化財の数々が特別展示されています。
県立金沢文庫様より拝借 寶生寺特別展ポスター 久良岐のよし
画像は神奈川県立金沢文庫様の公式ホームページより転載させて頂きました。
県立金沢文庫様より拝借 寶生寺特別展ポスター裏面 久良岐のよし
【神奈川県立金沢文庫】 分類:博物館/史料館
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今回、金沢文庫で特別展を行っている寶生寺(ほうしょうじ)の文化財ですが、根本的に横浜には寶生寺と言う御寺が有ると言う事を御存知無い方も多いと思いますので以前書いた解説記事へのリンクを以下に貼って置きます。
リンク→寶生寺・・・横浜市南区に在る鎌倉~江戸時代の名将達が保護した古刹
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上の写真は寶生寺の石段と山門です。
実はこの御寺の文献が横浜の地名の登場する現存最古の古文書なんです。
今回の特別展での展示物は文献と経典がとても多く、通好みの展示と成っています。
特に有名な人物は二人・・・
1人目は太田道灌公。
歴史好事家(オタク)なら誰もが知っている関東最高の合戦無敗の名軍師で築城家。
この太田道灌公が小机城址包囲戦の最中に寶生寺の御住職から陣中見舞いに「山芋」を頂いていた返礼の手紙(笑)とか・・・
2人目は間宮直元公。
江戸時代の横浜市長の前身、初代の本牧奉行。本牧奉行だけでなく但馬奉行と生野(銀山)代官と佐渡(金山)代官を兼任した人物。
徳川家康公の軍師格で本領は1000石ながら多くの奉行職を兼任していたので実際の収入は現代の円に換算すると8億円近く(笑)。更に縁故も実力も凄く、伯母の“於久(おひさ)の方”は徳川家康公の側室に成り姫様を生んでいたので家康公の外戚扱い、経営手腕と実務力も素晴らしく有名な大久保長安が代官だった佐渡金山が経営不振に成ると家康公の命令で生野銀山の部下と工夫を引き連れて瞬く間に業績改善したばかりか、その人生の最後には“大坂城総掘り埋立作戦”を立案し直接家康公に進言した名軍師。
その間宮直元公が寶生寺の御本尊を極彩色に修理した際の修理願文が御本尊の解体修理の際に発見され今回展示されたいます。
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・・・上は今回の展示物一覧です。
すみません家のスキャナー壊れて使えないのでデジカメ写真で失礼。
つまり、横浜市に御縁の有る名将二人の手紙や起請文を始め恐ろしい数の古文書が展示されている訳ですが・・・
県立金沢文庫様より拝借 寶生寺特別展ポスター 久良岐のよし
一緒に今回特別展示されている寶生寺の御本尊が、その間宮直元公が修理させた仏像であり今回の特別展示のポスターのアイコンに成っている訳です。
太田道灌公の小机城攻囲中、今回の展示の寶生寺の高僧だけでなく、他に日蓮宗の寺格の高い御寺等からも高僧が食べ物持って(笑)陣中見舞いに太田道灌公に会いに来ている歴史事実も有るので、今回の寶生寺に対する太田道灌公の文書は、そんな小机城攻囲戦が太田道灌公の才覚によって相当な余裕を持って行われていた事を窺い知る事が出来ます。

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一応、金沢文庫自体を御存知無い方も多いと思いますので御説明致します・・・
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金沢文庫と言うのは元は鎌倉幕府で六波羅探題やブービー賞で執権を務めた日本武士最高の教養を誇った金沢北条家の邸宅の書庫から派生した日本最初の武家私設図書館の事で、金沢北条家の邸宅を寺院化した真言宗の別格本山の金沢山稱名寺(しょうみょうじ)と言う御寺に江戸時代まで管理されて西の正倉院に対して“東の正倉院”の異名で渾名(あだな)された多くの文化財を持つ文庫でした。
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ですから今も金沢文庫(博物館)の横には綺麗な稱名寺の庭園が広がっています。
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春には御覧の通り参道の桜も綺麗な御寺です。
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この稱名寺や金沢文庫の近く、歌川広重が描いた景勝地の“金沢八景の一つ野島”に別宅を構えていたのが明治の元勲伊藤博文公でした。
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野島の金沢別邸に住んでいた伊藤博文公は古来の天皇の価値観を大切にされ神仏共に大切にされた方だったので、明治に森有礼等によって宗教改革が行われ“廃仏毀釈”“神仏分離令”が発布され稱名寺が寺領を失ったり神社を取り壊されたり荒廃し、御寺に因(よ)る文化財売却が横行した際に非常に文化的に危機感を持たれ、金沢文庫の多くの文化財を守る為に稱名寺境内に“金沢文庫”を再建しました。
これが昭和5年に県立化され、更に本来の鎌倉時代の文庫の所在地だった稱名寺と隣の谷の“文庫谷(ぶんこがやつ)”に新築されたのが現在の神奈川県立金沢文庫(博物館)です。

金沢文庫の今回の特別展示は仏教文化的にも戦国好きにも堪らない展示内容と成っています。・・・興味無い人には可也(かなり)地味だけどね(笑)。
特別展示を見るだけでもとても価値が有りますが、隣の稱名寺も綺麗。
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【金沢山稱名寺】そして近くには元料亭の建築文化財の宿、喜多屋も有るのでランチタイムに喜多屋のcafeで食事する事も推薦します!
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もしランチタイムに伺う時に事前に食事を予約して、その際に客室に空室が有るか確認した上で「見学させて頂けませんか?」と御願いすると、客室の状況と従業員の方の状況次第では下の旧料亭部分の宿泊客室も見学させて頂けるかも知れません。
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【喜多屋】

以前喜多屋を紹介した記事リンクはコチラ→

そして、もう一つ・・・
もし皆さんが金沢文庫博物館に訪問するのが金・土・日曜日ならTV鉄腕ダッシュにも度々登場している金沢柴漁港の江戸時代からの名物の小柴の穴子を“小柴のどんぶりや”で天丼に調理して漁協婦人部が提供しているので朝水揚げされた新鮮な穴子天丼を食べる事も出来ます。
小柴のどんぶり屋 久良岐のよし
小柴の穴子天丼と小柴の蝦蛄刺身 久良岐のよし
※朝11時~13時位の間で売り切れますので御注意!
【小柴のどんぶりや】
八景島シーパラダイスも近いので、合わせて訪問すれば子供も楽しめますよ~♪

さて、金沢文庫の特別展示、寶生寺展に歴史好きなら一見の価値が有る事がお判り頂けたでしょうか?
展示解説も時間毎に有るので、訪れる前に事前に金沢文庫へ電話して確認するとより楽しめると思います。
そして周辺には綺麗な稱名寺や美味しい御店が沢山有ります!
是非!週末にでも訪れて見て下さい。

では・・・又、次は解説記事で御会いしましょう~♪















皆さんは公害発生の可能性を断つ日本で最新鋭の火力発電所が横浜市磯子区に存在しているのを御存知でしょうか?名前を東京電力南横浜火力発電所と言います。
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そして、その火力発電所の施設の模型や文字による解説、映像資料等を展示した場所が存在するのを御存知でしょうか?その施設の名前をISOGOエネルギープラザと言います。
実は小生も最近まで知らなかったのですが、この施設が無料で入館出来るのです。車で行けないので少々不便ですが磯子駅からバスで直ぐに来られるので、横浜市民のみならず他都市からも見学に訪れる事が出来ます。
位置的にはこんな感じ・・・
ISOGOエネルギープラザの場所 久良岐のよし
ここの存在を知ったのは2週間くらい前に夜景を探して夜な夜なドライブして来た際にGoogle Mapを見ていて火力発電所の存在を再認識してから、ホームページを検索して情報を入手したからでした。
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その時に撮影したのが09月14日に記事にしたこの風景。
コレ記事リンク→
今回、最初は金沢文庫博物館が展示替えしたので其方に遊びに行く心算(つもり)で何にも準備しておらず、ISOGOエネルギープラザさんの事を思い出して電話連絡してから訪問したのですが、別に電話しなくても日曜日以外は常設展示は直ぐに無料見学出来ます。
しかも!ちゃんと事前に予約すると火力発電所その物も見学させて頂く事も可能だそうです。
残念ながら今回は突然の思い付きの訪問だったので今回の記事は常設展示の紹介だけですが、いずれ火力発電所実物の見学も予約してレポート記事の続きを書こうと思います。

さて・・・

ISOGOエネルギープラザさんはセキュリティーの守衛さんが立っている正門をくぐって直ぐ右手に建物の入口が在(あ)り、そこがそのまま解説展示施設の入口にも成っています。
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この入口の右手が駐車場なのですが、そこにも機械好きの興味を引く展示物が有りました。
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建替え前の旧火力発電施設時代の低圧タービンとか・・・
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蒸気ドラムとかですね!
・・・もうコレ、戦艦とか工場とか大好きなデカイ機械マニアにはタマらん逸品でしょう(笑)?
そして、この展示物に並行して植えられている桜の木の解説を読むと、この会社の志の高さを知る事が出来ます。
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この会社の初代総裁である高碕達之助翁が生前、旧岐阜県荘川村(現:荘川町)が御母衣ダム建設によって湖底に沈む事が決まった際に、安土桃山時代に植えられたアズマヒガンと言う樹齢400年超の桜の巨木2本を桜博士の笹部新太郎先生の力を借りて荘川村村民の郷土の誇りを失わせない為に古今未曽有の移植事業を行い保護したそうです。
最近はどの企業経営者も従業員を大切にせず、地域貢献や国の発展等に目もくれず目先の金だけを稼ぐ事に執着し天下100年の計も無く世を見通す力も無く、TOSHIBAやSHAAPやSANYOの様に自分達の地位保全だけの為に売国行為に走っていますね。
ところが昔の経営者と言うのは淡路島と函館の街を作った高田屋嘉兵衛さんに始まり、我が郷里横浜市の原三渓さんの原財閥、鉄道敷設と日本の物流発展に寄与した浅野財閥、経済世民を地で体現した渋沢栄一先生、日本近代造船の父であり横浜に深い関わりの有る渡部忠右衛門さん、そして今回訪問した磯子火力発電所を開いた電源開発(J-POWER)の初代総裁の高碕達之助さん達・・・これ等の経営の先人達は皆、国民の生活や自然環境と日本文化の保護や国と地域の発展を考えて私利私欲の前に“公益世務”と言う言葉を体現されて生涯を全うしておられるのです。
そんな事が荘川桜の移植の事からも感じ取れたりするのですが、中の展示を見ると、この高碕翁の理念が体現された施設が現在の磯子火力発電所である事が理解できます。
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先ず中に入ると対象年齢12才前後と思われる内容の映像解説を見る機会が有ります。
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このミニシアターで火力発電の源である石炭が、鉱石としてどうやって地球の悠久の歴史の中で生成されていったか、植物の化石である事から非常に解り易い動画で解説してくれます。
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そして、どの様に人間の文化に利用されていったか等、文化面や工業面で人間の文明を発展させて来た石炭の歴史が解説されます。
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小生は浅学で知らなかったのですが、中国では中華料理に必要な強い火力を得る為に1200年位前には既に石炭が利用されていたそうです。中華料理の炒め物や揚げ物や煮物は強い火力を利用して短時間で作り上げる料理が多いのですが、これはガスの登場以前からの文化だったのですね。
・・・日本人は明朝までの中国には非常に敬意を感じる人も多いと思いますが、中国文化はやはり本来は素晴らしく発展した物だった様ですね。満州族征服王朝である清朝で今の中国共産党みたいに軍拡帝国主義で疲弊し、共産主義の文化大革命で文明後退する以前の中国はやはり素晴らしい文明の国だった訳です。
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そしてイギリスで蒸気機関が発明され産業革命が起きて給食に鉄鋼業等の重工業の発展が齎(もたら)された時期、その蒸気機関に必要不可欠だった物が石炭だと言う解説も有ります。
何故、石炭の解説を動画で行っているかと言うと、実は現代の火力発電所も石炭を燃焼させて発熱しタービンを回して発電するからです。
「え?じゃあ産業革命や日本の高度経済成長期みたいに公害未だに凄いんじゃない?」
・・・と思うでしょう?それが違う。今の磯子火力発電所には高碕達之助翁の理念と魂が吹き込まれており公害の元と成る粉塵や有毒ガスは限り無く0の無公害処理の上で放出されているんです。
有る意味、高リスクで産廃処理不可能な原子力発電より素晴らしい施設ですね。
ミニシアターの他にも面白い物が有りました。
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潜水艦の潜望鏡の様な機材なのですが、実は火力発電所の高さ300mの排煙塔に据え付けられた展望カメラを自由に操作する事が出来ます。
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これで遊ぶのも当然無料。だから子供連れてきたら、きっと喜んで遊ぶので家族連れにピッタリの施設である事が既にこの段階で伝わるんじゃないでしょうか?
文字による解説も充実しています。
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非常に解り易い!まぁ~、館内の模型解説と内容が被ってるんですがね(笑)。
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パンフレットも日本語・英語・中国語で揃っています。これ、公害の凄い中国の政治家に読んで反省して欲しいな。
さて、中に入ると中央に“施設の位置”を解説する為のジオラマが有ります。
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これが又、結構精巧に作られていて面白い。
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タッチパネルを操作すると各施設の役割が理解出来る解説が表示されます。
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こんな感じ。
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そして更に、これとは別に一つ一つの“施設の役割”と“物理的な動き”を解説する模型と映像解説が壁面に細かく細分化されて展示されています。
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最初は文字と写真の資料。
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これをちゃんと読むと一連の火力発電の流れが小生の様な文系人間の歴史マニア馬鹿にも理解できます。
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そして御丁寧に石炭を採掘するところの説明と現物展示から始まり・・・
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採掘後の運搬船と、発電所施設への搬入と管理方法の解説・・・
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模型と光を使って石炭の流れを再現してくれます。
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本当に解り易い。
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石炭なんか、静電気で火災発生したりしたら本当に大惨事だから思ってみれば搬送する所から本当に大変なんだよな~。
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横浜の磯子火力発電所の石炭貯蔵施設は4つクローバーの花の様に並んだサイロなのでクローバー型と呼ばれ有名らしいです。
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どうやって管理されているかも模型で再現されています。
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そして凄いのが施設内でのコンベアによる搬送方法。
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このベルトコンベア、動力が空力で、ベルトを空気圧で浮遊させて石炭を運ぶので騒音が発生させず周辺町村に迷惑をかけずに施設が稼働出来るそうです。
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そして、これも知らなかったのですが昔の蒸気機関や高度経済成長期の発電所と違い、効率よく石炭を燃焼させたり公害を抑える為に先ず、石炭自体を細かい粉末に粉砕してから使うそうです。
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でもね~、これ、凄く技術力と精密な管理がいると思うんです。
石炭なんてただでさえ可燃性なのに、粉末って静電気発生しやすいでしょう?
小麦粉とかのサイロでも静電気で火災が発生する事件って有るんですよね~。
だから本当に、磯子火力発電所はとんでもない最新鋭の管理技術が導入されているのが燃料としての石炭の破砕の項目一つとっても解るんですよね~。
でも高碕翁の理念が現代の従業員にも脈々と活きづいているから、このクオリティーを実現出来るんでしょう。
「おい!横浜市最後の蛍の広域生息地と自然公園の円海山瀬上沢を宅地開発したがってる東急グループと容認派の林文子市長!アンタ等東急創業者の渋沢栄一先生が御祭神として祀られた東横神社の神前で懺悔して来いや!そしてJ-POWERの職員を見習って自然環境保全と日本文化史跡保護の理念再認識しろや!」
・・・と、施設を見学しながら脳裏を過(よぎ)る小生。
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この模型と同じ構造の粉砕機を使って石炭を砕き吸い上げるそうなんだが・・・
本当に良く火事に成らんな。
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何かボイラーの構造も凄くって解説を見る限り、蒸気の再加熱だけでも何重の構造が設けらえていたりするらしい。
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プラスティックの透過性を利用して光を使い上手く炉内の掘能を演出した模型。
これなら子供にも解り易い。妹の所の甥っ子と姪っ子がもう少し大きく成ったら火力発電所見学予約して連れて来てあげたいなぁ~。
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そしてタービンの解説。
なんか横浜のは直列式と言って、効率の良い施設配置に成っているらしく設置コストも抑えられるらしい。
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左側が横浜のが採用している形式、右側が異なる形式。
素人目にも左の方がスッキリしてジェットエンジンのタービンみたいで効率良さげなのが何となく解る。
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写真も有るので実物の規模も解り易い。
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そして最後に送電な訳だが、電気を販売するのは東京電力の仕事で別会社、その東京電力に電気を売るまでがJ-POWERの仕事らしい。
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送電線は銅線だそうだ。
だから良く金属泥棒が送電線盗んだり事件に成るんだな。
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でもこれ、地下トンネルに送電線配置されてる訳だろ?関東大震災来たら水没するだろうし大丈夫なんだろうか?と素人目に一抹の不安も沸いた。
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んで最後に空気の浄化システムの解説とか有って・・・
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てか、静電気で灰塵を選別するとか・・・粉塵と電気の最悪の組み合わせを火災に成らずに使いこなす技術って凄いね。
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乾式排煙脱硫装置と言うらしい。
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この数値が凄まじい。恐らくヨーロッパで未だに酸性雨の被害が凄いのもディーゼル車が主流なせいでは無く原発廃止して火力発電所増やしているのに日本程の技術力が無い旧世代の火力発電技術しかないから窒素酸化物とか硫黄酸化物が略略(ほぼほぼ)垂れ流しなんだろうな。
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何か今回の訪問で知ったのだが、石炭と言うのは産廃に成らず肥料の元と硫酸に成るらしい。
そして肥料の元と硫酸は転売が利くので、それも副産物に成るそうだ。
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クリンカは大きめの石炭の溶解して再結晶した灰。フライアッシュは粉塵のままの灰だそう。
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あと子供が好きそうな火力発電の趣味レーター。
タービンを1つ~3つ、個別に回したり3つ同時に回して発電した場合の電力発生のスピードの差を模擬実験出来る。
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そして通電する物としない物の実験装置。
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自分で電極を持って、実際にヤカンやなんかに触れて確認出来る。
こう言う実験は子供の興味を引くが我々オッサンも楽しい(笑)。
2017年09月27日の小生の来場時間は客が小生一人だったので実験しまくりの上、ゆっくり観覧出来て非常に良かったのだが・・・
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これだけの素晴らしい見学可能な火力発電所と展示館、来客が少ないのは文明向上には損失だと思う。
横浜市民のみならず、もっと多くの子供達や進路に迷っている高校生や大学生に社会科見学や理科の課外学習なんかに来て貰って、色々と高碕翁の偉大な理念や化学系の仕事でも人々の役に立てる事を理系文系問わず考える機会に成れば、何某(なにがし)か人生の選択の助けに成るんじゃなかろうかとも思った。

この施設の直ぐ近くには海づり公園も有ります、小さい子のいる御家庭のパパさんママさん、そして進路に迷う高校生や大学生、一度、ここに散歩に来て施設見学してみては如何(いかが)だろう?

ISOGOエネルギープラザ 営業時間:10:00~16:30 日曜日定休

久しぶりの休日雑記。
繁忙期が過ぎて漸く余裕が出て来た小生なのだが、本日09月19日は風邪でダウン。
午前中は病院に行き、その後さっきまでダウンしてずっと寝ていた。寝疲れ起きたものの今も喉の炎症と咳が酷く痰に血と膿が混ざってしまっている。しかも体も痛い。頭もぼーっとする。
夜に成ると熱も上がり咽頭部が酷く痛むので、読者の皆さんも風邪には気を付けて下さい。
小生は今日、結局仕事を休む羽目に成りました・・・。

さて16日土曜日は京都から友人であり歴史仲間でもあるFSA君が横浜に再び出張に来たので、彼が余り行った事が無いであろう東京の下町に車運転して一緒に行って見た。
6月に別の京都の女友達が子を出産していたのだが御祝いをしていなかった事も有り、丁度良い機会なのでFSA君に付き合って貰って出産祝いの品も購入すると言う目的も有った。
当初、FSA君に行きたい場所をリサーチした際は神奈川県中央部を希望されたのだが、結論から言うと「ガン無視」して自分から「深川に行こう!」と提案をし直した小生・・・
FSA君、付き合ってくれてありがとう。
・・・さて、午前11時頃、横浜市内のとある駅でFSA君をピックアップすると首都高速横羽線で首都高環状線へ向かい、そこから小松川方面へ抜けて最初に腹ごしらえをした。
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何事も腹が減っては活動する気力が起きないからね。
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向かった先は深川釜匠、江戸時代に江戸っ子の腹を満たした深川界隈の名物料理“深川めし”を提供している店だ。
この店の存在を知ったのは昨年の事、小生が顕彰活動をしている横浜の殿様の間宮一族であり江戸幕府の御庭番(公安みたいな?)と地理学者と測量士を兼務した間宮林蔵宋倫公菩提寺の本立院へ参拝した際に、「どうせなら深川らしい物を食べて帰りたい」と地元民にリサーチしてこの店を知り食事をしたのが最初だった。
この店は周囲の店程、店としての内装が完成していない(笑)分、民家を改良して営業しているので料理の価格やボリュームが客にとって御得に成っている。
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今回通されたんは2Fの元は仏間(笑)と思しき部屋だった。
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これはこれで外国人観光客にはウケるだろう。
この日、小生は“深川めし”と“こんにゃく味噌田楽”とデザートに味噌汁と御しんこが付いたセットメニューを注文した。
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このボリュームで1500円は安いでしょう?友人のFSA君は深川セットと言う、深川丼と深川めしの両方を楽しめるセットを選んだ。
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この写真は前回、自分が深川セットを注文した時の写真。これが又、美味しいのだ!
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深川めし=浅蜊(あさり)の釜飯も深川丼=浅利汁の丼飯も、もの凄い大量に浅蜊が入っていて旨味が凄い!
そしてお漬物はセット以外にも柴漬けやラッキョウなんかが食べ放題なんだな。
この店、深川方面、清澄公園や深川江戸資料館に行く予定の有る人には御薦めです。まぁ、他の店でも良いので是非、江戸市民のファーストフード深川丼と深川めしは食べて見て下さい!
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食事を終えると直ぐ隣の深川江戸資料館にFSA君を案内した。
ここは変わった博物館で、江戸時代の庶民の生活を再現したセットが内部に組まれ町を再現しているのだが、そのセットの中に上がり込んで縁側に座ったり写真を撮影して良い博物館なのだ。
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日替わりで色んな演目や文化人の講演も無料で見学出来る。前回は落語を無料で見学出来た。
今回は江戸の物売り大道芸だった。
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江戸三大大相撲が興行されていた相撲の聖地、富岡八幡宮が区内に在るだけ有って昭和の名横綱大鵬さんの展示も有ったりする。
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実物大パネル。
う~ん・・・小生の方が筋肉だけは有りそうな気がするんだよな~。
身長も小生の方が高い。まぁ、格闘技はセンスと技術の鍛錬なので戦闘力は大鵬関が100なら小生は20位だろう(笑)。一般人は5前後かな(笑)?
小生が5人いて初めて現役時代の大鵬関と対等、6人いてリンチ出来る程度だろう(笑)。
んな事ぁ~どうでも良い。
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大鵬関の数々の優勝杯に加え、引退の際の断髪式で裁断された髷(まげ)も展示されている。
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小生が人の遺髪を見たのは世界三大記念艦の戦艦三笠に祀られている東郷平八郎元帥の遺髪と大鵬関の物だけだな。
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深川江戸資料館は余り大きい施設ではないのだけれども江戸時代の生活を追体験出来る貴重な場所で、まぁ見せ方も上手い博物館の一つだと思う。
良く有る公立の博物館は建物デカイだけで古くてショボい展示の仕方な上に、複製品の写真すら撮影させないケチ臭く子供達の歴史に対する興味を殺す意味不明な状態に成っている。
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しかし!ここは違うんだな。めっちゃリアルな展示物。
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店の軒先の再現度の高さ。
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照明で朝昼晩を再現していたり。
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こんな鐘楼も有ったり・・・
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民家に入って台所も見学出来るし。
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本物の骨董家具には本物の神社や御寺の神様が祀られていたり。
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友人も興味を持って見学してくれた様だ。
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この様な軒先と裏庭が民家の裏手にちゃんと有って、お月見の風習が再現されていたり、座ってゆっくり過ごす事も出来る。
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天ぷらの屋台や立ち食い蕎麦の屋台も再現されている。
まぁ、余り大きい博物館では無いので滞在時間は長くて1時間~1時間半が目安に成るだろう。
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江戸時代の飴売りや金魚売りの売り子の実演を見学し、解説展示物の方も見学してから深川江戸資料館を後にした。
ここから近くに間宮林蔵公の御廟所が在り、大正時代の東京府に史跡指定されているので友人を伴って其方(そちら)に移動した。
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茨城県にも墓所は有るのだが、本来の被葬地はここなので茨城の出生地は御分骨を埋葬されているか、墓標なのだろう。
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江戸における菩提寺は本立院と言う日蓮宗の御寺で、間宮家は元来は佐々木一族で有り神社の宮司家出身の一族で真言宗と修験道とも関係が深かったので、状況証拠を見る限り初期は源頼朝公と同じく真言朱を宗旨にしていた様だ。その後、室町幕府鎌倉府の鎌倉公方に仕えると禅宗臨済派(今の臨済宗)と真言宗の両方を大切にしていた。なので、鎌倉公方に仕えていた時代の一族武将には臨済宗の入道号である“道〇”と道の字が付く武将がいる。
そして時代が戦国時代に成ると、鎌倉公方は滅亡し子孫の古河公方足利家は小田原北条家の影響下に置かれたので、間宮家も北条家に仕えた。すると北条家は禅宗の臨済派ではなくて禅宗の曹洞派を大切にした家だったので、間宮家も教養を身に付ける際に曹洞宗寺院で学ぶ事と成り多くの廃寺と成っていた真言宗寺院を曹洞宗寺院として復興開基している。
そして更に小田原の北条家が滅び、間宮家は徳川家康公の直臣となり於久(おひさ)様が家康公の側室と成った縁で事実上の外戚と成ると、当時は安土桃山時代だったので旧主北条家の北条氏規(うじのり)公が豊臣政権下で日蓮宗の影響を受けると間宮家の多くも日蓮宗寺院とも関わる様に成った。しかし、この間ずっと真言宗・修験道・臨済宗・曹洞宗の全ての宗派の寺院を大切に保護している事が新編武蔵風土記稿の神社仏閣の解説や寛政重修諸家譜に掲載された入道号から読み取れる。
菩提への参詣を終えるとFSA君が「本立院の御朱印が欲しい」と言い出したので、御廟所から少し離れた御寺へ移動した。
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元々は隅田川沿いに在ったのだが江戸幕府の都市再開発で現在地に移転された。周辺には多くの日蓮宗寺院や浄土宗寺院、昔は法華宗とカテゴライズされた宗派の御寺さんが同じく移転されて来ている。
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今年は丁度、日蓮上人の出生800周年らしい。
境内にはユーモラスな石像も有る。CIMG5271
そして一応、間宮林蔵公の菩提寺としての石碑も立っている。
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う~ん・・・
揮毫したのが鳩山一郎さん。なんで国を大切にした鳩山一郎さんの身内から鳩山由紀夫みたいな無能な売国奴が誕生したのか理解不能。とか昔は思っていたけれど、只単に鳩山由紀夫は非正妻だった母が反日国籍の半島の出身で妻も本籍は反日半島の人だって後から知って納得した。
だから彼は売国的な行動を好んでするらしい。
もっと対等に仲良くする交流の仕方を模索出来る筈なのに、日米関係を悪化させ、日中関係も悪化させ、日韓関係だけ異常に韓国優位にした行動原理は出生に有るってのは今では多くの人が知っている。
まぁ、不法移民と不法就労者を見逃し続けたら彼みたいな人物が増えるだろう。
しかし、韓国人や北朝鮮人にも日本が大好きで日本の政治と法律と社会の方がマトモと思ってくれいる人も多くいるので、国籍だけで排斥するのは良くない。トランプさんみたいにあくまで不法移民と不法就労者を法律に乗っ取って国外に退去して頂けば、本当に日本人と仲良くしたい在日就労者の人が残って両国間の敵対感情も薄れると思うんだな。
そんな事も、間宮林蔵さんの生涯を辿(たど)る事で終焉の地、深川で学ぶ事も出来たりする。
本立院と御廟所で間宮林蔵公と日蓮上人様にいつも御加護御守護頂いている事の御礼の御参りを済ませると、FSA君と次は昨年開館したばかりの美術館に移動した・・・
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その名も“墨田北斎美術館”だ。
名前の通り、墨田区を代表する文化人で“画工”の葛飾北斎さんの美術品現物とそのリトグラフが多く展示されている美術館で、外国人の観光客も多く来る。
建物も斬新で美しい。
こう言った奇抜な現代建築を批判する人も多いが、これが25年、50年と経(た)つと味の有る建物に見えるから小生は嫌いでは無い。
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例えば最近、ヒ蟻の巣が発見されて大騒ぎに成った横浜市中区の横浜シンボルタワー。この建物も当時は批判されただろうが、今では昭和の高度経済成長期の遺産的なウルトラマンに登場しそうな奇抜なデザインが面白さを醸し出している。
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こちらは他地域の人が余り知らない施設だが、墨田北斎美術館は外国人に対しても日本の窓口的な役割を担っているので小生としては日本現代建築のデザイン美と建築技術を見て貰うにも良い施設だと思っている。
しかもアホの横浜市と違って遺跡破壊して造ってる箱物でもないしね(笑)。
因(ちな)みに下は横浜シンボルタワーを以前紹介した記事。
※コレ→
さて墨田北斎美術館に話を戻すと、この美術館は公園の一角に建っていて、そこからはスカイツリーも見る事が出来る。
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で、スカイツリーの見える方と反対側に美術館が在って、さながらアルファベットのNの字の様な建物の切れ間から中に入る事が出来る。
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これは日本に来た外国人の旅客にも強い印象を与えるのでは無いかと思う。
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中は白を基調にした落ち着いた造りだが、やはりデザイン性に富んでいる。
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建物自体がとても綺麗だね。
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この美術館は志高い高文化な多くの民間企業と個人の支援で成り立っているそうだ。
素晴らしい!
そして、ここの素晴らしい所は深川江戸資料館と同じく、常設展示の美術品の多くは写真撮影して良いと言う事だ。
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どうやら撮影フリーの営業をしている場所は“見せ方の上手い美術館や博物館”に多い様だ。
最近、鎌倉市にオープンした鎌倉歴史文化交流館も展示物全てが撮影OKな上に見せ方が上手い!
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 ※鎌倉歴史文化交流館

紹介記事→
さて、すみだ北斎美術館に話を戻す。
葛飾北斎と言えば、小生達神奈川県民にとっても大切な文化人だったりする。
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彼の代表作の“富嶽三十六景 神奈川沖浪浦”は世界的に有名で世界中の美術家に大きな影響を与えた事が知られており、中でもセザンヌ、ゴッホ、ビクトワール、ドガなんかが有名でゴッホに至っては北斎画の模写も現存していたりするんだな。
小生は幼少期4歳から美術の専門教室に通っていたので油絵は嫌いだけれど、この話は知っていたりする。
因みに、この景色は今のJR神奈川駅~横浜駅辺りが海だった時代、その沖合から見た富士山の風景なので今の大黒ふ頭付近か本牧半島の先端を回る辺りからの風景だろう。
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他にも多くの作品が展示されており自由に写真撮影出来る。
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これは賀奈川(神奈川)沖本杢(本牧)之圖(図)と書いて有る。初期の風景がで、神奈川沖浪浦と同じ辺りからの写生の筈だが浪も迫力が無い。
こう言った事も知る事が出来るので面白い。
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この絵は確か、駿河の海の上から見た富士山だったと思う。間宮家が蒲原代官として奉行を務めた蒲原宿沖合辺りからの眺望だろうか?
葛飾北斎が、こうした迫力の有る絵を描けたのは実は西洋伝来の“望遠鏡”を駆使してUP画像の様な構図を頭に描く事が出来たからと言われている。
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だから、こう言った円弧を意識した構図が発展期~晩年に多く成ったのだろうか?
すみだ北斎美術館には彼の生活の様子を再現したセットも有る・・・
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・・・これが生々しくリアルで気色悪い。しかも体温を感じず魂が入って無いので何だか死体を見ている様な気分に成るんだな(笑)。でも当時の彼の生活の様子を知る事が出来る貴重な展示物だ。
ここには美術品以外にも面白い展示が有った。
葛飾北斎の出生や血縁一族に関する解説なのだが、実は彼は忠臣蔵で有名な吉良上野介の家老、小林家の末裔らしい。
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そして更に面白いのが彼には不詳の孫がいて大層苦労したなんて事も解説されている(笑)。
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どら者(笑)。
今で言ったらニートだな。う~ん、いつの時代もニート問題は有るんだな(笑)。
しかもニートはニートでも、家の金を使い込むタチの悪いタイプだった様だ。
どら息子ってlazy sonって翻訳サイトで出るんだが、prodigalってのは“浪費家”って意味らしい。
つまり北斎爺ちゃんの金を使いまくっていたカスって事か。一族の恥なので系図上の名前も残して貰えなかったんだろう。
まぁ、そんな少し面白い葛飾北斎の歴史も見学し、最後に京都市の友人への出産祝いに江戸切子のグラスを買う為すみだ北斎美術館を後にして、FSA君に“すみだ江戸切子館”へ付き合って貰い移動した。
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残念ながら店内は撮影不許可と言う事なので、外観の写真だけ。
ここは面白い試みもしていて、一般人向けに江戸切子製作体験も出来るそうだ。
しかし、今回は贈答品なのでプロの商品を購入した。
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梱包前に記念撮影。
親子3人分、これで将来、生まれた子が成人式の時とか御酒飲んでくれたら嬉しいな~。
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とっても綺麗だったので、次回は自宅用に購入したいと思う。
買い物も終わり帰り道、首都高で位置を間違えて外環道を走る羽目に成った(笑)。
そして遠回りしてFSA君をJR関内駅近くまで送り届け、解散。
帰宅すると早速、梱包して貰った桐箱を更に段ボール箱に入れて緩衝剤を入れ、段ボールに千代紙を張り付けて注意書きをして郵便局員にも我物在中である事を目立つ様にした。
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後からネットで知ったのだが小生の知る限り神話時代の日本や室町時代以後の武士社会では盃や茶器を贈る事は非常に好まれていたのだが、誰が決めたのか庶民の間でガラスが普及するのは明治~大正時代に成ってからの話なのだが、現代ではいつの間にか「贈答品ガラスNG」としている出典不明のガセネタが流布されている様だ。しかも御笑いなのが、その日本文化にそぐわないルールを紹介しているサイトでは「ワイングラスを贈るのは最高の祝いの意味がある」等と恥ずかしげも無く矛盾した情報を掲載しているので御里が知れる(笑)。
恐らく、こんな下らない新ルールを作りたがる馬鹿は非日本人だろう。

結果的に本日、友人夫妻から御礼のメールと可愛い子供の写真が送られて来た。
〇〇ちゃん!御母さんと御父さんの良い所を受け継いで、賢く理知的で根性も有り日本文化にも精通した大人に成ってね♪

・・・今日のブログ記事はここまで。では、又、次の記事で!













日本で初めてラーメンを食べたのは誰なのか 水戸黄門だったという従来説が覆った?

経帯麺 東洋経済オンライン画像 

この記事読んで正直ラー博にも東洋経済オンラインにも失望した。

記事中、拉麺の起源を室町時代まで遡(さかのぼ)れるとし、その起源を「経帯麺」と解説している。
解説は中村正博さん、恐らく中国に行ってちゃんと食べ歩いた事も無ければ、麺料理のカテゴライズがちゃんと出来ていない程度の知識しかない「ラーメンオタク」であって「拉麺」を食べた事が無いひとなんだろう。

日本人が拉麺(ラーメン)と思っている食べ物は中国語で「湯麺」と呼ばれるスープに入った中華麺の事で文字の誤植だ。
一方、湯麺は何故か個別の中華ソバの料理名として成立してしまった。これは日本の中華屋に如何に本場で学んだ人間が昭和期に少なかったか解る事実だな。

そもそも拉麺と言うのは文字通り拉(la)麺(mian)で、拉の字の意味は「引っ張る」と言う意味だ。
そして拉麺と言うのは古今ずっと中国や新疆ウィグル自治区や台湾では、注文してから作る「小麦の手延べ麺」の事だ。
更に言おう、拉麺の起源は中華料理ですら無い。新疆ウィグル族やトルコ人の祖先達の突厥達騎馬民族の料理文化だ。保存に手間取らず携行出来る小麦粉を生地にして、必要な人数分だけその場で手延べして作る麺料理が拉麺だ。
中国に行けば現代でも拉麺を提供する店は多く有り、拉麺は一貫して手延べ麺の事を指す。そして、その店の多くは新疆ウィグル族の店や、その文化を受け継いでいる事が解る「蘭州拉麺」と看板を出す店が多い。蘭州とは三国時代で言う所の西涼辺り涼州や、唐の時代に栄えた石窟大寺院で有名な敦煌(トルファン)辺りだな。つまりウィグル人由来の料理であり、小麦を使ったナン等も彼等の得意とする料理だったりする。
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例えば台湾に行くと牛肉麺と言う料理を出す店が多い。見た目は完全に日本の拉麺のソレだが、これは拉麺では無い。煮て味付けした牛肉や牛筋の入った麺、そのままの内容を形容した料理だ。
コレが拉麺の麺を使用していれば名前が「牛肉拉麺」に成る訳だが、どうも、そういった基本的な知識が新横浜ラーメン博物館の広報の中村正博さんには足らない様だ。
別に知識が無い、中国や台湾やウィグル自治区で様々な拉麺を食べ歩きした事無いのは恥では無い!職務特権を使い出張出来るなら出張して今からド素人の小生達、中国経験者を超える知識と美味い店を沢山発見して日本で紹介すれば良い。
ラーメンは拉麺で手延べ麺、そして麺の調理法で刀削麺や餃子の様に名前が変わり、今では新疆ウィグル族の住むタクマラカン砂漠~内モンゴル~モンゴル国~中国東北地方(旧:満州)の騎馬民族文化圏のみならず中国大陸北部でも主食として親しまれる様に成った訳だ。
餃子も麺料理と列挙したが、日本人は誤解しているがアレはイタリア料理のペンネの様に麺料理で主食なんだな。だから焼き餃子を食べながら白米を食べる日本人の姿は中国人や台湾人には滑稽に映るし、本来の餃子は水餃子で余った分を翌日に油で煎って食べるので煎餃(jianジェン jiaoジャオ)と言う訳だ。
もっとも点心の発達した広東料理では点心のメニューとして煎餃もラインナップされている事は少なくない。
同じく点心の発達している福建省では、蒸餃(蒸し餃子)が主流だったりする。
拉麺や餃子や刀削麺等は面の打ち方の種別を指す、そして全て主食な訳だ。

だから重ねて言うがラー博の広報の中村正博さんの認識は事実誤認であり経帯麺は拉麺とは別料理!
きっと中村さんの知識では中国料理の湯麺が全てラーメンに脳内変換される程度の知識しかまだ拉麺にかんしては無いのだろう。無論、日本のラーメンに関しては素晴らしい博識でらっしゃるのだろう。

余談だが、弘法大師空海和尚様が持ち帰った品種の小麦の遺伝子はウィグル自治区の物と一致するそうだ。中国の唐朝廷時代に既に首都の長安(現:西安市)で、ウィグル人の麺料理人達が拉麺や饂飩の原型の様々な料理を作って漢族の胃を満たし、商売繁盛大活躍していた事が窺い知れる史実だな。
空海和尚様は僧侶だったので肉を食べる訳にも行かず、ウィグル族の作る麺料理に舌鼓を打って精進料理の代わりに楽しんでおられたのだろう。

金沢文庫博物館が再開され、非売品の配布をしてますよ~!
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しかも金沢文庫は入館料400円と激安の博物館!
拝観すると、こんなポストカードなんかをくれます。今だけ!
桜の名所でもあるので、御花見と合わせて是非!行ってみて下さい!御薦め!
専門書も閲覧出来る図書室も有ったりします。郷土史好きの天国。

金沢文庫って地名じゃないの?
…と、歴史に興味が無い人は思うかも知れないので、一応、説明しておきます。

神奈川県横浜市には金沢区と言う行政区が有りますが、その区名由来に成った金沢文庫と言う鎌倉時代に開かれた武家文化の象徴的な図書館が、現代では博物館と成って運営されています。

下の写真の称名寺と言う御寺が鎌倉時代の武士、金沢北条氏の邸宅跡の大寺院で、その邸宅を守る山に穿(うが)ったトンネルで繋がっていた山向こうの金沢北条氏の私設図書館として始まった文化財の宝庫です。
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この称名寺の西側の山が城壁の役割を担っていました。
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トンネルの金沢文庫側から見るとこんな風景。
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この写真は去年の物ですが、御覧の通り桜の名所でもありますので、今年は4月1日頃には五分~6分咲き位の桜で参道と境内が彩られ初めるでしょう。
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この境内の元に成った邸宅と金沢文庫を造営した偉大な人物は金沢北条実時と言う名将です。
さて、称名寺の話は置いておいて、金沢文庫は鎌倉時代~戦国時代の貴重な文化財書籍を多数管理しており、常設展示でも称名寺の御本尊の完全なレプリカ等の展示が有り、武士文化を知るタイムカプセルの様な場所です。
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こんな風に、鎌倉幕府を掌握していた執権北条家の政治体制や歴史も学べるし…
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鎌倉文化を実際に目で見て体感する事が出来ます。

因(ちな)みに、拝観すると再開記念で現在だけ貰えるグッズとか、改めて紹介。
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普通に入観券
拝観すると貰える物は…
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ポストカード。買ったら1枚200円くらいするよね、記念のポストカードとか。
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古地図
この地域は平安時代~昭和の埋め立てまで「金沢八景」の異名で呼ばれた日本屈指の風光明媚な観光地でした。
その昔の金沢区の様子が解る絵図が表紙、中は金沢文庫称名寺の古地図を現代風に書き起こした解説地図。
これを持って広大な称名寺と裏の稲荷山を散策すると、よいピクニックに成ります。
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ちなみに現在、再開記念で❝金沢百景❞の絵が特別展示されています。
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余談ですが、小田原北条家が豊臣秀吉に攻められた時に、この称名寺は金沢のロリコン変態大名の前田利家にだいぶ略奪されてしまいました。
歴代の日本国の統治者が保護した文化財を私的に略奪し、かってに加賀に持って行き町の名前までパクッて金沢にしちゃったんんだよね。
現在でも金沢市が勝手に市の文化財と言い張ってる文物には、鎌倉時代~江戸時代と通じて金沢文庫の蔵書だった証拠の❝印判❞が押して有ります。
もともと、金沢の地名は❝尾山❞だからな。ついでに前田家は称名寺の赤門も真似して、自分の江戸の前田家江戸屋敷の門を赤門にしてしまった。それが東大の赤門ね。

花見と合わせて是非、拝観して見てね~!
神奈川県と鎌倉武士文化の入口に立てる場所ですよ~♪

次は最近1カ月、訪問再開してる三浦半島~湘南~相模北部の史跡神社仏閣の単体解説記事書きたいなぁ~。
写真が何百枚も溜まってしまった…

では、又、次のブログ記事で御会いしましょう!

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