橘樹神社(式外社・幕末の山岡鉄舟も参詣した日本武尊と弟橘姫夫婦神最強の縁結び)
子母口富士見台古墳(弟橘姫御陵)
橘樹郡官衙遺跡群
         
2014-10-25-06-32-00
  御祭神・御本尊等:
  弟橘姫と日本武尊の夫婦神
  御利益:縁結び・夫婦円満・交通安全(陸・海)・海外渡航安全・戦勝祈願・立身出世
  関係者:
  開基:弟橘姫(背後の住宅地の丘が弟橘姫の遺品を埋葬した大円墳跡)
  中興:徳川幕府浪士組取締役 山岡鉄舟(本名:鉄太郎)
     ※浪士組は新選組の前身組織。山岡鉄舟は明治政府でも活躍
  旧郡名:橘樹郡
  所在地:橘樹神社・・・川崎市高津区子母口、古代の矢倉沢往還と中原街道が通過する丘
  所在地:弟橘姫御陵と郡衙遺跡・・・橘樹神社真後ろの住宅街の丘北側
  ※所在地名をクリックするとGoogle mapの地図上で確認出来ます。
歴史概要】
日本武尊の軍隊が走水神社の在(あ)る場所から東京湾の海を越えて千葉に渡る際に、海が荒れて航行不能な事態に陥り、その危機を治めるべく弟橘媛様は自ら東京湾に入水する事で人柱になり海を鎮(しず)めた。 
その際に当時は海面が現代より高く、遺品の髪飾りが流れ着いたのが古代海に面していた高津区子母口で、橘樹神社で背後の円い丘の住宅街は弟橘媛様の大規模な円墳の跡。神奈川県教育委員会が保護も開発事前調査も怠った為に大部分が宅地開発されて破壊されてしまった。
因みに弟橘媛様の衣類が流れ着いたのが千葉県袖ヶ浦市や富津市(元は布津と書いた)で、日本武尊が弟橘媛様を思い出し嘆いた場所が君津市(君はもう帰らないんだねと悲しんだ港)。
背後の宅地に弟橘姫様の古墳の頭頂部の一部だけが公園として保存されて現存する。神社は、その古墳の最高部に向かって築かれている。恐らく、古代は背後の古墳そのものが御神体で、神社は遥拝所だったのだろう。弟橘姫の御陵周辺に古代から港を抱え栄えた村が広がっていた。
考古学的に境内地周辺一帯は橘樹郡の郡衙だったと推測されていたが 、2018年度、弟橘姫御陵の北側の橘樹郡官衙遺跡が発掘され川崎市初の国指定史跡と成った。