寒川神社(延喜式内社・相模国一之宮)・・・古代の追儺神事を行う大社
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寒川神社公式より拝借画像 追儺神事 清前
  御祭神・御本尊等:寒川比古命と寒川比女命の夫婦神  
  御利益:八方除け(災厄避け・交通事故除け)・縁結び・夫婦円満・芸事上達・TV視聴率向上
  関係者:
  開基:寒川比古命・寒川比女命
  中興:雄略天皇
     征夷大将軍 源  頼朝 公
     左京大夫  北条 早雲 公・・・以下歴代北条家当主
     大膳太夫  武田 信玄 
  旧郡名:高座郡
  所在地:高座郡寒川町、古代の海岸線沿いの微高地
  ※所在地名をクリックするとGoogle mapの地図上で確認出来ます。
歴史概要】
相模国十三座の内で早々朝廷から官位を与えられた3座の内の1座で、相模国の一之宮の格式を持つ。
追儺祭と言う神事が毎年1月2日に行われるが、現代の神道では仏教の様式の影響を受けた追儺祭を行う場所が多い中で、この寒川神社や京都の上賀茂神社等の生粋の古社は古代からの様式を継承しており境内に在る湧水池の水を夜中に神職が採取して神前に供える事で清前(きよさき=御神水)にした後に、境内の四方八方に清前を撒いて清める。
古代に一之宮にも定められた格式から朝廷や多くの武将に重視され雄略天皇を初め、源頼朝公や北条家歴代当主、武田信玄等から崇敬を集めた。
現代ではTV関係者の崇敬厚く、崇敬すると高視聴率が得られるとされ芸能人も多く信奉している。
又、長い参道は蛇行しており、古代の相模川河畔にそって参道が設置されていた名残と伝承しているが、実は丁度縄文時代の海岸線がこれに当たる。寒川神社が有る場所の目の前の相模川下流域は古代に海だった。一之宮だった歴史と大和朝廷に重視された八方除けの御利益は、日本武尊を幾度も戦場で守った天石楯を御神体として始まった石楯尾神社と並んで神奈川県のみならず日本屈指の災厄事故除けの御利益が期待出来る。
現在の社殿は平成に成って建て替えられた物だが、他の一般的な神社とは比較にならない規模を有している。現代の氏子衆の努力によって供出される資金力も豊富だが、崇敬した歴史偉人達も名将揃い。