川勾神社(延喜式内社・相模国二之宮)・・・古代天皇~明治元勲にも大切にされた古社
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  御祭神・御本尊等:大名貴命(おおなむじのみこと)・大物忌命(おおものいみのみこと)・級津彦命(しなつひこのみこと)・級津媛命(しなつひめのみこと)・衣通姫命(そとほりひめのみこと)  
  御利益:安産・地鎮・技術振興・自然災害除け・農業豊穣
  関係者:
  開基:垂仁天皇=活目入彦五十狭茅尊(いくめいりびこいさちのみこと)
     磯長国国宰 阿屋葉造(あやはのみやつこ)・・・垂仁天皇の勅命で社殿造営。
  中興:日本武尊
     依通姫
     磯長国造   大鷲臣命(おおわしのおみ/おおとりのおみのみこと)=和珥(丸邇)氏=丸子氏
     相模国造   穂積忍山宿禰(ほづみおしやまのすくね)=鈴木氏
     鎮守府将軍  源  義家 公
     征夷大将軍  源  頼朝 公
     征夷大将軍  宗尊   親王
     相模守    北条 氏政 公
     征夷大将軍  徳川 家康 公 以下歴代徳川家当主
     初代総理大臣 伊藤 博文 公
  旧郡名:淘綾郡
  所在地:中郡二宮町の内陸部の丘
  ※所在地名をクリックするとGoogle mapの地図上で確認出来ます。
歴史概要】
佐賀牟(さがむ=武蔵国と相模国東部)国が分割されて、磯長(伊豆と相模西部)国も伊豆と相模西部に分割され、相模国東西が合併する際に、新設される国の国府=一之宮の座を佐賀牟国側の寒川神社と磯長国側の川勾神社が争ったと思われる神話が残る。これが神奈川県で行われる国府祭(こうのまち)と言う無形文化財の伝統神事に成っていて、一之宮寒川神社~五之宮平塚八幡宮までが神揃山に集まり論戦をする内容に成っている。
日本武尊を初め多くの古代からの支援者の名が伝わり、依通姫が安産祈願を川勾神社で行った伝承から、現在では広く安産の御利益で知られる神社と成っている。源頼朝公も妻君北条政子の出産の際に安産祈願を行い成就した事から社殿を造営寄進している。
上杉謙信と武田信玄の小田原侵攻時に放火され焼失、武田信玄との三増峠合戦が起きた1569年の翌年、北条氏政公によって社殿が再建された。徳川家康公も名護屋駐留前に祈祷を受けて、朝鮮出兵せずに済んでいる。明治時代には伊藤博文公等の参詣を賜わり直額に揮毫を頂いている。
宮司家は代々二宮家で、二宮一族は旧北条家臣団であり江戸時代の子孫に二宮尊徳もいる。同じく旧北条家臣で黄備え隊玉縄衆副将の間宮康俊を輩出した間宮家は合戦以外に外交・築城・修験道に通じた一族だが室町時代に間宮家から二宮家には養子が入っている事が間宮家関連の文献から辿れる。
歴史事実から厄除け、安産祈願の神社として特に強い御利益が期待出来る。