歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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カテゴリ:創作趣味 > 漢詩

三浦半島の横須賀市走水は日本神話の舞台です。
走水神社の前の海には、島の様な地形の御所ヵ崎と言う場所が有ります。
これ⤵
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ここは明治に砲台建設で神社が潰されるまで橘樹神社が存在していたのですが、実は西暦2世紀(小生の再計算では西暦280年頃)の冬、倭建(やまとたける)と弟橘媛(おとたちばなひめ)の夫婦神が房総半島に渡海するまでの間、夫婦水入らずで生活していた場所でした。
ですから皇族の居所を示す“御所”の地名が残り“御所”ヵ崎と今でも呼ばれているんですね。
倭建は横浜市神奈川区の六角橋~三浦半島を治めていたらしい大伴久応サンとも大伴黒主サンとも名の伝わる人物に接待され、三浦半島の海産物に舌鼓を打ったそうです。
特に蛤(はまぐり)の鱠(なます)が御気に入りだったと物凄く具体的な伝承まで残っているんですよ!
ちょっとその話は後で紹介するとして、実はこの走水には今でも倭建命もお気に入りだった美味しい海鮮を使った定食屋さんが有るので紹介したいと思います。
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味美食堂
小生は観音崎や走水方面にドライブや走水神社に参拝に行くと、この味美食堂や以前紹介した“かねよ食堂”に良く食事に行きます。ここ、小生が美味しいと思うだけでなく、2016年に友人と猿島に遊びに行った時に横須賀市の史跡ガイドの方達に「美味しい店知りませんか?」と聞いたら推薦されて「あぁ~やっぱ有名な店だったんだ!」と再確認した場所なんです。
店は大きくありません。
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間口もこんな感じです。
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本当に定食屋さん。
小さい御店なんですが、防衛大学生に教えて貰ったんでしょうかね~?前の防衛大臣の小野寺五典さんも防大に用事が有るとここに食事に来ていたみたいです。
神様のヤマトタケルは走水のハマグリが好物だったみたいですが、現代の走水で有名なのは蛸(タコ)と鯵(アジ)でしょうか?
小生は決まってアジフライ定食を注文します。
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だいたい、いつも味噌汁はワカメ(笑)。
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地タコの刺身、そして・・・
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当然ながら鯵の刺身も美味しいですよ!
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このアジフライがフカフカで凄く美味しいんです。
・・・まぁ小生のブログの読者は小生がアジフライ好きなの使ってる人もいると思いますが、神奈川県のアジフライ三本指に勝手に決めている御店の一つが味美食堂だったりします(笑)。
他の二ヵ所はここ⤵

 もし横須賀の観音崎方面に遊びに行く機会有って、食事する場所困ったら人数少ないなら味美食堂のアジフライ、是非食べて見て下さいな~♪
ちょっと触れた“かねよ食堂”は定食とか和食じゃなくて御洒落な料理なので、その日の気分で洋食か和食にするかで味美食堂と合わせて選べるし近いから便利です。

位置関係はこんな感じ!
味美食堂周辺 久良岐のよし
走水神社の目の前の海沿いに味美食堂が在ります。
さてさて・・・
倭建命(やまとたけるのみこと)は蛤の鱠(なます)が好きだった事には少し触れましたよね~?
現代の料理人が鱠(なます)を“野菜を千切りや柵切りした酢漬け”と誤認していますが、これは歴史と古典の知識欠如からくる間違いで、鱠は中国語で日本の“刺身”に相当する魚貝類の生食用に捌(さば)いた料理の事を指します。
唐の時代、日本人の阿倍仲麻呂サンの親友だった大詩人の李白サンがこんな句を読んでいます。
霜落荊門江樹空
布帆無恙挂秋風
此行不為鱸魚鱠
自愛名山入剡中
1400年前の中国では来客が有る際に準備する献立の常連に成る程、当時の漢民族は刺身=鱠を好んで食べてたんですね。因(ちな)みに李白さんの好きな鱸魚は現代の日本人も高級魚として大好きな鱸(すずき)ですね。
その李白さんの漢詩を歴史事実や地理を考慮すると、通説の解釈がおかしいのが解かるので以前解説した記事にした事がありました。
まぁ解釈は置いておいて、昔の中国人は刺身が好きだったんですね。これ⤵
李白さんの生きた唐の時代は日本では飛鳥時代~奈良時代ですから、その少し前の古墳時代の倭建がハマグリの刺身が好きなのは極々自然な事かも知れません。
倭建命と弟橘媛夫妻はハマグリ、李白さんはスズキを喜んで食べていたと考えると、ちょっと歴史偉人や神様に成った古代の皇族にも親近感が湧きますね(笑)。
若い女性に人気の魚料理に特化したユーチューバーの“きまぐれクック”の金子君が古代にいたら、きっと倭建命を大喜びさせる事が出来るでしょうね(笑)。もっとも彼は最近、新妻の専属料理人に成ってしまいましたが(笑)。
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横須賀も有名な長井漁港、走水漁港とブランド漁港を2ヵ所も抱えており、他にも神奈川県は魚のブランド化に成功した漁港も沢山有り海産物の美味しい県です。
気が向いたら是非、足を運んでみて下さい。


味美食堂、おすすめです!
ついでに近くの観光地⤵️


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三浦払暁

雨霏霏流削国土
昨晩奔雷震天地
雷啼猶老百姓怒
不知此聲到上帝
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今自琴音濱望海
朝人少僅有釣客
霖卒晴自海日出
光劈閒雲彩雲現  

是久良岐のよし作此 @三浦海岸琴音浜
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7時までに家に帰宅出来る様に、日の出の時刻に合わせて横浜横須賀道路~三浦半島へ夜明けドライブしてきました。
三浦海岸の中でも小生が好きな琴音浜に行ってきました。
琴音浜は三浦海岸の中でも南北に砂浜の伸びる場所で、浜辺~東京湾~真横に重ねた先の房総半島の山の端(は)から日が昇ります。
今の季節、三浦海岸は04時50分くらいに日の出を迎えます。
いつもですと市営の駐車場に車を止めると正面に朝陽が昇る様子を見る事が出来ます。
今日はファミリーマートで買物をして駐車場に車を停めさせて貰いました。

最近よく三浦半島に行っていたのですが、海の家規制で観光と連動した飲食店で数ヶ月間も客足伸びない様子に色々と考える所が有り漢詩を詠んでみました。

表の文章は最近の災害や見た景色を書いてます。
裏には新型コロナや長過ぎる梅雨で苦労する人達の様子、ピントのズレた政治家達への皮肉、新型肺炎終息後はもう元通りの日本ではないはずで有ろう事も、皆にも後半年が良く成る願い等を漢字の2つの意味に込めてあります。

詳しい解釈は皆さんで自由に想像して見て下さい(笑)。

悲観ばかりしても仕方が無いですし、きっと読者の皆さんは私よりも冷静に強く家族を守りながら一つ一つ出来る事をやり、この苦境を乗り切り来年の今頃には新型肺炎の事も笑い話にして皆で笑ってらっしゃるのではないでしょうか?

今日もこれからも、皆さんと皆さんの家族が新型肺炎にかからず健康に来年を迎え、今年の年末には今より笑ってられます様に~。

その為にも、皆さん三密回避気をつけましょう!
上手く情報収集し分散して観光を楽しみ、物理的対人距離の確保と団体行動の回避、手洗い消毒、繁華街に行く際のマスク着用、可能な限りやって行きましょう~♪
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※昨年書いて未投稿だった記事です。

冬風と題した知人の写真で漢詩一首思い付いた。
でも漢詩特別に勉強した訳じゃなくて独学だから間違ってるかも知れないけど気にしないで(笑)。
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湖畔之冬風

雲満天灰暗
夕陽照湖水
吹寒風清清
飛鳥為誰啼
君今思誰哉

作詩:久良岐のよし

雲満ち天(てん)灰暗(ほのぐら)く
夕陽湖水を照す
寒風清々(せいせい)と吹き
飛鳥(ひちょう)は誰(た)が為に啼(な)く
君は今誰を思う哉(か)

空には雲がいっぱいで薄暗く
夕陽が水面を照らし浮かび上がらせる
そこに寒風が吹きとても清々(すがすが)しく感じられる
鳥は飛びながら誰を思い鳴くのだろう?
君は今誰の事を考えているのかな~?

・・・みたいな。
「曇天の夕陽って水面の波形を浮かび上がらせて静かな時間を演出してくれるんだな~?」
・・・と、言う発見で一首詠んで見た。


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2019年08月03日・・・
午前中ゆっくり色々と用事を済ませてから昼過ぎに夏らしい事をする為(ため)に車に乗り込み自宅を出発した。
本来は同行者がいるはずだったのだが、先月末に別の予定で急遽休みを調整して貰ったので3日は1人行動に成ってしまった。
目的地と言うのは、まぁ海だ。
神奈川県民でも余り知らない場所だが‟知ってる人は知っている”と言う位の知名度だが、とても綺麗な穴場の海水浴場だな。
今迄も過去記事で海水浴スポットをいくつか紹介して来たが小生がゆっくりしたくて泳ぎに行く場所を全部教えたくなかったので(笑)今まで紹介記事を書いてなかった。

そんな訳でとりあえず横浜横須賀道路に乗った。
先ずは何も食べていなかったので腹ごしらえに間食をしようと横須賀PAに立ち寄った。
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横須賀PA(下り)
※東急建設に因(よ)る瀬上沢西側と上郷深田遺跡の破壊開発計画に加担する様なGoogleMapの東急建設への協力ともとれる地図からの上郷深田遺跡や瀬上沢の蛍生息地の地点登録削除事件も有ったが、結局GoogleMapが一番優れているのでブログでは使って行きます。面目ない。
横須賀の銘菓と言えば“ふじみや”の‟梅どら”が真っ先に思い浮かぶのだが、残念ながら販路を拡大していない個人経営の菓子店なのでPAの様な場所では販売していないのだが、横須賀には“よこすか焼き”と言う美味しい“どら焼き”に似た物が有る。とりあえず、それとタコ煎餅を購入しエナジードリンクを飲みながら食べて腹を誤魔化した。
そして再出発。
この時既に14時位。三浦半島の御土産に直売所で西瓜を買うなら直行しないと遊んでからでは間に合わない時間帯だったので、先ずは小生お気に入りの農作物直売所の“ザ作兵衛”に向かう事にした。
ザ作兵衛は三浦縦貫道路を通ると三浦市に着いてから横浜方面に別の道を逆走しないといけないので、先ずは佐原インターで高速を降りてから野比を経由し津久井浜~三浦海岸と海沿いの下道を通らないと辿り着けない。なので佐原で降りてユックリ海岸沿いをドライブしながら三浦に向かった。
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ザ・作兵衛
ザ作兵衛に到着。
ここはもう10年近く通い続けてる石井農園さんの直売所。他にも高梨農園サンでも買う時も有るが、小生は海沿いの道が好きなので作兵衛に来る事が頻度的には多い。
マスコットの様な御祖母ちゃんが看板娘を勤めていたのだが数年前に骨折してから売り子は引退し、今はオカミさんと若奥さんが店番をしている。
小生の事を良く覚えて下さっていて、太ったり痩せたり物凄く体重変動が有るのに毎年色々と雑談したり余ってる野菜をサービスで少し付けて下さったり御世話になっている。
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で、三浦ブランドのシールが貼られている西瓜は御土産としても皆から喜ばれるので1000円の中玉を3つ購入したら今年も「いつもありがとうね~」と言いながら小生の拳よりもデッカイ巨大トマトを3つサービスで頂いてしまった。
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西瓜も丁度、若旦那が持って来た所だったので・・・
「美味しそうなの選んでください~」
・・・と小生が御願いしたら快く、念入りに厳選して選別して下さった。感謝。
後日談だがこの記事を書いている本日4日、姪っ子達と同行予定だった者に1個づつ御裾分けして自宅で1つ自分でも食べて見たが、今年食べた西瓜でやはり一番美味しかった!
石井さん、ありがとう!
そこから目的の“海水浴場”を目指して再出発。
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三浦の農道の風景はいつ見ても綺麗だね~♪飽きないよ。
小生が作家さんとかで場所を問わず仕事出来るなら三浦で生活したい。
農道と畑と森林の先には東京湾と房総半島か、もしくは相模湾と伊豆半島と箱根山系と富士山の風景を楽しむ事が出来る。
この時行く海水浴場は民宿も数軒ある昔ながらの大正昭和の雰囲気を留める良い海水浴場。
位置的には東京湾側なので、この写真の農道の先にも東京湾の海と房総半島の鋸山が見えている。
向かっている海水浴場の名前を明かすと“大浦海水浴場”と言う小さな湾だ。
バスも無い上に農道が入り組んでいて小生みたいに地図丸暗記してる人間でもないとカーナビが無い時代に行くのが難しくて、平成の最初の頃には少し寂れてしまったが最近、又少しづつ旅客が戻りつつ有る場所だ。
ザ作兵衛から暫く車を走らせ15分くらいだろうか?到着。
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駐車場の花壇越しに見る東京湾と鋸山の風景。
うん、夏だね♪
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駐車場から見下(お)ろすと漸く砂浜が現れる。
岸壁に隠れる様に存在する大浦海水浴場の風景はとても美しい。
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大浦海水浴場
・・・と先ずは大浦海水浴場で遊ぶコスト的な事を解説する。
駐車場は1日2000円、横浜中華街とかの駐車場より少し安い位。
駐車場を利用すると海の家の割引券が貰える。
駐車場利用者なら海の家は1人1000円。更衣室やシャワー料金も含まれる。海の家は2軒有るので便利だし、食事も出来る。
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小生は今回は北風丸サン。GoogleMapに登録無いのでリンク貼れないけど、多分、ネット検索すれば出ると思う。
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海の家だから法律の規制で常設不可能、なのでシーズンが終われば解体して保管できる構造に成っている。けど十分くつろげる。
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茣蓙(ござ)に“かき氷”の暖簾(のれん)、砂浜に海に山。なんとも日本の大正昭和の夏っぽい風景が嬉しい。小生は最近、由比ヶ浜や逗子に増えている様な音楽鳴らして騒いでチャラチャラした感じのクラブまがいの海の家を好ましく思わないので、家族連れでも安心してくつろげるような、こんな和な感じの海の家の方が好ましく感じる。無論、それは個人的な感想。
北風丸さんにカバンを預けて、スマホを持って先ずは海岸を散歩した。KIMG1529
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う~ん夏だね~♪

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この砂浜の奥に見えている岬の岩礁の方まで散策して来た。
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途中で木道が敷設(ふせつ)されていてもっと奥まで行けそうだったのだが・・・
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・・・北風丸にクロックスを置いて来て裸足でここまで来てたのでこれ以上先まで行くのは足元険しくなりそうなので引き返した。
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そして昼食をちゃんと食べていなかったので北風丸サンで“まぐろステーキ”を注文した。
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アレだな・・・
ステーキと書いて有るけど焼肉のタレ的な味。これはこれで御酒飲む人には良いツマミに成るだろう。
鮪の肉はとても美味しかったし、多分、三浦野菜のプチトマトがとても美味しかった。
この後、1時間くらい海水の中で泳いだり歩いたり半身浴したりユックリ時間を過ごしてから、この直ぐ近所なのに一回も行った事の無かった“近代要塞遺跡”に移動したのだが、そこに辿り着くのが少し大変だった。
訪問したのは遺跡だが、畑の中に突然現れる円形のコンクリートが砲台の遺構。
下の写真の“剱崎砲台跡”だ。
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剱崎砲台
ここね~、車で来る場所じゃないよ。
事前に地図見て舗装されてる道みたいだから凄くクネクネした農道みたいだけど「問題ないかな?」とか思ったら甘かった。三浦の地形良く知ってるのにナメてた。
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もうね~、そりゃ北条家が新井城に籠もる三浦勢を攻め落とすのに4年かかる地形なんだよね~。
城郭ファンにしか伝わらない表現だと思うけれど断崖と細い尾根と谷が連続する、天然の空堀と曲輪だらけ(笑)。
当然ながら農道も武者走り位細い。
・・・なので小生の車は横幅が狭いのだけど、砲台に辿り着くまで農道脇の枯れ枝でミラー擦るわドアー擦るわ悲惨な状態の上に、対抗からバイクや農業用のトラクターでも来たら完全に詰(つ)む状態だった。すれ違い何か出来ない。もうタイヤ2個分くらいで断崖にゴロゴロ車両もろとも転落して新聞記事に乗る(笑)。だからバイクの人しか来れないんだよな~。
そこに横着して車で入って来た小生は阿呆だな。
幸い、近くの第2砲台も見たら・・・
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・・・その近くに農作業車両の転回場所が有ったのでUターンして戻って来れた。
でも、この時既に日没も迫って薄暗くなり始めていたので戻り道は更に谷に落ちないか緊張感ハンパ無かった(笑)。
無事に?三浦氏の天然要塞(笑)を脱出して現代のアスファルト舗装の道路に復帰して、もう一つの目的地を目指した。1年振りの訪問かな?
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真直ぐ1.5km伸びる農道の先に夕陽が落ちる綺麗な場所。
以前にも紹介した黒崎だな。
以前の紹介記事
神奈川県内屈指の富士山遠望の景勝地・・・
黒崎の鼻は戦時中の要塞跡で米軍飛行場計画跡地

※タイトルクリックすると記事に飛びます。
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黒崎※三崎口駅前に真直ぐ延びる岬の農道
行って見たい人は京急で三崎口駅まで行って徒歩5分くらいで上の写真の道に辿り着くので電車が良いと思う。
黒崎
位置的にはコンナ感じ。
先に紹介した記事でを見て貰えると解るのだけど、ここは本来は冬に来た方が綺麗。
でも夏でも十分綺麗。
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この農道を真っすぐ進むと岬の先端、“黒崎の鼻”に辿(たど)り着くのだが、夏はもう秘密基地の様に藪に行く手を阻まれて入口が普通の人は躊躇してしまう状態。
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こんな感じに成ってる(笑)。
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もうプチ探検隊。
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臆せず進むと冬と違い富士山は見れないけど、夕日の綺麗な丘と相模湾を見る事が出来る。
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こんな感じね。
すっごい綺麗なのさ。この時は一人で来たので少し寂しい感じの夕陽に見えた(笑)。
そこで漢詩が思いついたので一首詠んで見た。
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題名:黒崎から太平洋を眺める

独来三浦俯大海
君不在此風潇潇
有花草香波鼓声
夕陽落岬萌似火
此刻依然午热同
遠望太平養生長

久良岐のよし作る♡
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まぁ2つの意味に成る様に仕込んでみてある。
遠望太平養生長は・・・
遠望太平=平和で有ります様にの願いと、遠く太平洋を望むの2つの意味。
同じ様に養生長には本来は“元気を出す”と言う意味なのだけど、そのまま“健康に長生き出来ます様に”の意味が有る。
冒頭は「一人で来て寂しいなぁ~」って意味だね。
読み下すと・・・

独来三浦俯大海
一人三浦に来たりて大海を俯す。
(一人で三浦半島(の黒崎)に来て海を見下ろしてる)

君不在此風潇潇
此(ここ)に君は在らず風瀟瀟
(一緒に遊ぶはずだった人がいなくて風がサワサワ吹いてるのが寂しく感じる)

有花草香波鼓声
草花の香りと波鼓する声有り
(夏の草いきれと波頭の岩礁に砕ける音が聞こえる)

夕陽落岬萌似火
夕陽岬に落ち火に似たり萌える
(落ちる夕陽に黒崎の岬が染められ燃えている様に鮮やかだな~)

此刻依然午热同
此の刻(とき)依然として午の熱に同じく
(夕方に成ってるのに真昼間みたいに熱いよ~)

遠望太平養生長
太平(洋)を遠く望み成長を養う。
(太平洋を眺めて元気を充電中ぅ~)

・・・みたいな?まぁ、小生別に漢文詳しい訳じゃないから間違ってるかもね(笑)。
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それから黒崎海岸を少し散歩して・・・

気分も落ち着いて「よ~し!」と成り。
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又、入口に戻った。
帰りに又、横浜横須賀道路のPAに立ち寄って夕食食べる事にした。
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横須賀PA(上り)
ここのPAは地味に三浦半島と鎌倉の特産品が揃ってて立ち寄る価値が有る。
この日は食べなかったが、横須賀海軍カレーパンなんか特に美味しい。
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食べたいのはサッパリした物だったので“三浦わかめ蕎麦”&“湘南ゴールドソフト”の神奈川縛りで夕食にした。
ワカメの香りがして美味しかったし、まぁ、そもそも立ち食い蕎麦も、ちゃんとした蕎麦も好きなので好物なのだが。湘南ゴールドソフトの方も果肉がシッカリ入ってて美味しかった。
外に出ると丁度、PAから花火大会の打ち上げ花火が見れた。
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結構大きく見えたのと方角的に横須賀港で花火大会が有ったのかな?
ついでに追加の御土産に鎌倉ハムのポークジャーキーを購入した。
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まぁ、何だかんだ、訪問先は少なかったし一人行動で寂しかったけど、良い息抜きに成ったかな?

では、今日の休日雑記はここまで。
ブランク有ったのに小生のブログ記事を読んで下さっていた皆さん、ありがとう。

では又、少しづつ書いてくのでよろしくお願いします~!





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七月雨乍晴
举头望天地
阳光穿云中
彩云萌风清
美哉君故郷

作:久良岐のよし
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7月の雨は降ったり止んだりして
頭を上げて見ると
日の光が雲の合間から差し込み
萌えて彩雲となり風も爽やかだ
君のふるさとは綺麗だね~。
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中国の知人の故郷の写真を見て一句詠んでみた。
※現代日本人だし教養無い小生の適当に詠んだ古体漢詩だから色々変でも気にしないでね。

まさかのblog復帰第一弾が自作漢詩でした。しかも朝早いのに寝不足確定。
まぁ~、週末に妹と友達と一緒に遊ぶ予定の時間を妹と友達が好き勝手に時間希望を変えまくり・・・
「何だかなぁ~(´。•ㅅ•。`)
・・・と思ってたら目が冴えて眠れなく成ってしまいました。
知人の故郷の写真が綺麗だったので一句詠んで見た次第。




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午前中に母と二人で義祖母の御墓を掃除してきた。
御正月に会いに行ってあげられなかったからね~。
お婆ちゃん、血が繋がって無いのに本当の孫同然に可愛がってくれて本当にありがとうね~。
家族で一緒に川崎大師に御参りしたり、八幡橋の八幡様御参りしたり、緑区にハマ梨の果樹園に梨狩りに行く時にいつも買ってくれたビスコかコアラのマーチかヨーグル、飽きてたけれど嬉しかったよ~。

昼寝して起きたら夕方に海と夕陽を見たく成った。
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由比ヶ浜、昔は由比ヶ浜だった材木座、その海岸に聳える砦跡だった住吉城塞跡に建つ正覚寺とその城址の寺院の更に奥にひっそりと佇む住吉神社を御参りして海と夕陽と富士山を眺めて来た。
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この風景が見える住吉城址は神奈川県の戦国時代を代表する武将で尊敬する先人でもある北条早雲公こと伊勢盛時公の小田原北条家と三浦義意公の三浦一族の激戦地に成った場所だ。
丁度、鎌倉郡と三浦郡の境目、つまりこの城を起点にして三浦半島に入る。
住吉城址と和賀江島 久良岐のよし
ここを攻め落とされたら三浦家は戦略敵に情況挽回困難に成る場所で、正に海の断崖に聳(そび)え立つ城のまま❝瀬戸際❞の城でもあった。そんな城だから相模の大名、佐原三浦家でも重要な武将、三浦道香公の居城だった。三浦道香公は当主の三浦道寸公の御実弟で小生の尊敬する武将の一人である三浦義意公の叔父上だった。
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しかし伊豆韮山城に隠居した北条早雲公の跡継ぎの小田原城主北条氏綱公は戦国時代初期に置いて攻城戦を得意とする屈指の武将で、この住吉城に至るまで関東最大級の大城郭であり湖沼に浮かぶ丘の城だった伊勢原市平塚市に跨る三浦家の岡崎城攻略を皮切りに、佐原三浦道寸公の実家の扇谷上杉家の大城郭、伊勢原市糟屋舘を攻略。更に糟屋舘や岡崎城や小田原城よりも巨大で堅固な大庭城も攻略し三浦道寸公を三浦家最後の拠点にして絶海の堅城新井城に追い詰めた。そして4年の包囲攻城を経て新井城は落城する。
住吉城の城名恐らく古代から存在したであろう正覚寺裏の住吉神社が存在した事に由来する。
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正覚寺の参道を登る。
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住吉山 悟眞院 正覚寺
ガラス戸で覆われた本堂を参拝し、生け垣の向こうを右手に折れ墓地を抜ける。
すると隠し道の様に住吉神社の参道が現れる。
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人の往来が途絶えた今、映画のロケ地にも使われそうな、神様の式神が帯剣して出迎えて下さりそうな雰囲気の漂う神秘的な神社。誰も参拝に来なく成ってしまったのでひっそりとしている。
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住吉神社(住吉城城名由来の古社)
でもこの神社には最低でも鎌倉時代に人の往来の在った証拠が有る。
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矢倉、納骨穴も確認出来る。
ここに船の往来の安全と土地開拓を見守る住吉神社が開かれたのは目の前が海で古代の街道だったからだろう。
そして城を築くのに相応しかった場所で有る事も湧水が有る事から解る。
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今では大切にはされていない神社だが、ここでは鎌倉時代や室町時代くらいまでは雨乞いの神事も行われたかもしれない。
城を降りて嘗(かつ)ての城壁の役割を果たしていた断崖絶壁を下から仰ぎ見る。
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古代東海道:住吉要害直下の切通し(廃道)
何回かここ住吉城址の❝古代❞の事を記事に書いた事も有るが、この城址下の廃道の切通しが古代東海道と考古学的に考えられていたのだが神奈川県と逗子市が交通封鎖してしまい日本武尊が通ったかも知れない古道はいまでは鬱蒼とした雑草に覆われ往古と同じ人の往来は絶えた。
この雑草の生い茂る廃道の上、崖の壁面にも大潮の日や台風の日も想定された恐ろしく幅の狭いとってもじゃないけど渡る気のしない切通しが2本開削されているのが解かるだろうか?実際に昔の写真にも乗っている道なので、あの崖の細道を人が往来した様だ。
・・・仮に現代、フェンスで通行止めに成っていなくても高所恐怖症気味の小生には無理だ。
そこから小坪飯島公園の海辺に降りて来た。
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小坪飯島公園小坪飯島公園の埋め立て地の突端からは綺麗に相模湾の由比ヶ浜の海~稲村ヶ崎~江ノ島~箱根山系~富士山が見える。
2年前、ここで地元の女子高生2人が夕日と富士山と一緒に写真のモデルに成ってくれたのを思い出した。
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あの子達は元気に大学生に成って頑張ってるだろうか?きっといつまでも親友で交流が続くんだろう。
お互いに子供を産み、御互いに家族で交流する様な、そんな末永い友情を育んで欲しいと思う。
昨日2019年の正月04日は雲は多かったが、それなりに良い写真が撮れた。
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1人は寂しいけれど少し爽やかな気分に成った。
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源実朝公も寧波に渡りたくて和賀江島で船を造船させて度々見に来ていた美しい風景、小生は鎌倉と横浜を行き来して今と過去を行き来しながら生きている・・・
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やっぱり歴史と綺麗な景色が好きだ~。
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冬凪に偉人も眺めし由比の富士
吾今に生き往古を活かす
作:俺氏
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冬望
作:俺氏

冬和風度由比濱
故人自此望寧波
海波在夕陽下萌
彩雲散歴歴富士
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ー自作の漢詩意訳するとこんな意味ー
冬望    作:俺氏
(冬に望む)
真意:厳しい時の細やかな望み。

冬和風度由比濱 
(冬、由比ヶ浜に優しい風が吹き渡る)
真意:厳しい情況でも鎌倉に来て景色や文化に触れると落ち着く。

故人自此望寧波 
(昔の人は此処から遠く寧波の海を見た)
※昔の人=源実朝公
真意:源実朝公は家臣達が殺し合い謀略飛び交う政権を嫌い、自ら地位財産名誉を捨て、此所の和賀江島で船を建造し寧波に行き南宋に亡命し個人として健やかに過ごす事を願って度々海を見に来ていた。

海波在夕陽下萌 
(海波は夕陽の下で萌えている)
真意:夕陽に照らされた青い海が緋に染まる様が、自分の落ち込んだ気持ちを明るくしてくれる。

彩雲散歴歴富士 
(彩雲も散り富士山もよく見える)
真意:綺麗な雲に隠れていた富士山も風に雲が散りハッキリと見えて来た様子が、モヤモヤした気持ちを吹き飛ばしてくれる。

源実朝公と自分は同じ鎌倉の文化や風景を見てる時代も立場も感じ方も違うけど、望みはささやかで同じ、二人とも人として健康に幸せに成りたいだけ。
健康で心休まる生活と信頼出来る人と家族が欲しい。
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夕陽を見て少し物悲しくも爽やかな気分を満喫して車に乗り込むと家路に着いたのだが、そう言えば今年は鶴岡八幡宮の源頼朝公や源頼家公の御神霊に新年の御挨拶を申し上げて無い事が気にかかり、大町の辺りで鶴岡八幡宮の前身の元鶴岡八幡宮=由比若宮が有る事を思い出し、ついでに以前から気に成っていたJR横須賀線の踏切近くに在る辻薬師堂にも御参りする事にした。
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辻薬師堂CIMG7904
往古は木食五行上人様も御関わりに成られた場所の様だ。未だ詳しい事は調べていない。
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それなりに大きな寺院が前身寺院だったと言うのは境内の掲示物で判った。
関わった木食上人と言うのは珍しい御方で仏僧でありながら、どの宗派にも属さず、仏像彫刻を極めた事で僧侶として高名に成られた方なので、今でいえば僧侶兼仏師と言った所だろうか?
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色んな神様の石祠も有り、神仏習合の場所として開かれた事が解かる。
この御寺が衰退してしまったのは、逆にどの宗派にも属さなかったせいかも知れない。
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掲示によると元々、この辻薬師堂に祀られている薬師如来様はは源頼朝公の建てた大寺院永福寺の塔頭の様な存在の僧坊に藤原一族の二階堂行光によって造営されたらしい。
現在の辻薬師堂は一見すると真っ暗で何も見えず正直余り期待せずに御参りしたのだが、御賽銭いれたらビビった!
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堂内が点灯し中の立派な薬師如来様と脇侍仏様がライトアップされて参拝者の小生に御姿を見せて下さった。う~ん粋な演出だね~!
一応、これからも辻薬師堂が多くに人に大切にされますように~とお祈りして来た。
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線路を渡り10mもしない所から由比若宮=元鶴岡八幡宮=鶴岡八幡宮元宮に入る参道に辿り着く。
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ここも古来の規模で社殿は大きくは無いが、関西ら八幡様の御分霊を源頼義公が勧進して開いた本当に本当に由緒正しい八幡宮だ。源頼義公の時代は鎌倉市街も材木座上りは海や入江の干潟だったので、鶴岡八幡宮元宮は治水・海の神様として高潮除けに勧進されている事が地理から良く解る。
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正月だったのでいつもやってない社務所が営業していて、販売員のお姉さん方と少し雑談をした。
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由比若宮=元鶴岡八幡宮ここが源氏の征夷大将軍への道の第一歩としても過言では無い由緒正しい神社だったりする。
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手水社は普通。
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でも軍神の異名を持った源頼朝公の四代御先祖に当たる源❝八幡太郎❞義家公が旗を立てた場所でも有ったりする。
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何にせよ由緒正しい場所で、関東地方や東北を含めた東日本全体の八幡信仰の起点はここで、ここから鎌倉武士団によって其々の国へ八幡信仰が拡散された歴史を辿れる場所にも成っている訳だ。
因みに近代、この場所には芥川龍之介の家が有ったそうだ。
だから明治の文豪が好きな人にも大切な場所かも知れない。

今回は訪問件数こそ多く無いが、それなりに充実した時間を過ごせた。


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曽於太白峰前住

数到仙遊寺裏来

黒水澄時潭底出

白雲破処洞門開

林間煖酒焼紅葉

石上題詩掃緑苔

惆悵旧遊復無到

菊花時節羨君廻

白楽天
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例年の秋の三渓園は写真の様に綺麗ですが今年は台風の塩害で紅葉は見応え成さそうですね~。
他はどうでしょうね~?
築地の浜離宮恩賜公園とか・・・
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世田谷の豪徳寺とか・・・
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山下公園前の銀杏並木とか・・・
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鎌倉市鶴岡八幡宮の白幡神社の紅葉とか・・・
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鎌倉市浄妙寺の紅葉とか・・・
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鎌倉市華頂宮邸とか・・・
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伊勢原市大山寺~大山阿夫利神社の紅葉夜間ライトアップとか・・・
大山夜間ライトアップ 公式拝借 久良岐のよし
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秦野市の震生湖とか・・・
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秦野市弘法山とか・・・
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南足柄市の大雄山最乗寺とか・・・
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あと箱根とか・・・
2018年度、どこも神奈川県内は海が近いから例年より紅葉は台風の塩害で厳しいかもな~。
もし、余り影響受けずに見れたら嬉しいな~。
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夏に成ると神奈川県三浦半島は海岸の岩場に群生する山百合があちらコチラで綺麗な橙色の花を咲かせ、爽やかな海風と共にじとっとした熱気も吹き飛ばしてくれます。
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作:俺氏
夏曙三浦半島
岩畔風有清香
山百合色灼灼
宜波尖敲岩聲
似是海客夭夭 

※読み下し
夏は曙(あけぼの)三浦半島

岩畔風有清香
岩の畔(ほとり)に風有りて清香(せいこう)

山百合色灼灼
山百合、色、灼々(しゃくしゃく)とし

宜波尖敲岩聲
波尖(はせん)、岩を敲(たた)く聲(こえ)宜(よろ)し

似是海客夭夭
是(これ)海客(かいきゃく)の夭夭(ようよう)たるに似る
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(意訳)
題:夏曙三浦半島
夏の三浦半島の早朝

岩畔風有清香
磯には風が吹き清らかな潮の香りがし

山百合色灼灼
情熱的に萌える色の山百合が沢山咲く

宜波尖敲岩聲 
それに岩を打つ波の音と良く合い美しい

似是海客夭夭
これが海水浴にビーチに来てる若い衆みたいに見えるんだな~。
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今年の夏は2年ぶりに、この娘達を眺める為に早朝散歩するべく、三浦半島の旅館に宿泊します。
江ノ島は又、日帰り海水浴に通おっかな?

あ~そうそう。
中年にさしかかり今更ながら身長が3cmも伸びました、ビックリ!
体脂肪率と体重も下り体重78kg体脂肪率12.7%に成りましたが筋肉量は相変わらず65kg、骨格筋肉量も39.5kgをキープしています。
身長が伸びたのは恐らく脂肪が減り背骨の椎間板に懸かる重量が減り、背筋力腹筋力も強化されたので身体を支える骨格の軟骨の圧縮が軽減されたからなのかな?
他に理由が思い浮かばない。

では、又、ちゃんとしたブログ記事て御会いしましょう♪
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迷信と事実考証を交えない思い込みの強さと自国文化への理解の低さを露呈する人が結構な割合で日本人にも中国人にいる。
例えば中国では・・・

“月子”は正しい産後の民間療法

“冷水”飲んだら腹壊す”

“刺身”を食ったら腹下す

・・・と思い込んでる人等がいる。この人達は本当に“唐人”=漢族を自称する資格すら無い様に感じる。

月子は女性が出産直後は一ヶ月間入浴しない方が健康でいられると言う“迷信”だ。
冷水飲んだら腹壊すと思ってる馬鹿も多い。
古来、中国人は日本人同様に魚を生食した上に、来客の際に新鮮な魚介の刺身を振舞う事は最上の接待だった。

“月子”と“冷水”と“魚介類の生食”に関する中国人の思い込みは極めて簡単な言葉で論破できる、迷信だ
これを信じている奴は洗脳され易いか、我彼を比較して戦力分析する人間かどうか、思い込みが強く客観性の無い人間かどうかが日本で生活する中国文化圏の人限定で良く解る。

中国大陸では昔から自然環境を大切にせず森林を切り開き南方では水田を北方では畑と牧草地を無軌道に拡大したせいで緑地水源が無くなり砂州も無く成り浄化作用の無く成った河川と土壌の地下水は汚染されている。

水が汚染され不潔だから煮沸していない生水を飲めないのであって、それが冷水が駄目とすり替わっている。その水質問題は現代でも同じ、寧ろ現代中国では悪化している。
冷たい水が駄目なのに冷たいアルコールは飲める事の理由を先ず客観的に見ていない。
身体が冷たい飲料や食物を受け入れないから冷たい水が駄目なんじゃない、中国の生水が不潔に成ってしまっているだけ。
そんな生水、つまり当然ながら出産で裂傷の有る“産道”に中国の井戸水や水道水を触れさせれば感染症を起こす訳だな。
だから傷が塞がる間つまり最低1ヵ月間は頭も洗えない、当然入浴もダメ。
皮膚の脂垢と頭垢(ふけ)塗(まみ)れのままでいた方が感染症を起こすリスクより、よっぽど危険度が低かった訳だ。
これを理由も考えずに正しい民間医療として妄信している人が未だにいる。 月子なんて日本では関係無い、大丈夫、日本の水道水のシャワー使って平気だよ。他の欧米でも衛生的に安全な国は大丈夫。まぁ、傷に沁みる内は痛いから止めた方が良いかも知れないけれどね。
当然中国でもミネラルウォーターなら問題無い。

中国の水が不潔なのは悠久の時間をかけて無軌道伐採で森林を消し清涼な湧水源を消し田畑に変え、川の砂州を無くし自然による水の浄化能力を失わせた歴史に責任が有る訳だし。
日本で食う刺身は“汚染された中国の河川の淡水魚と違い安全”な事を客観的に理解出来ないで、生食が原因だと考えている訳だ。
「刺身や寿司を食ったら腹を壊す」
「遺伝子的に中国人の体は生食を受け付けない」
こんな事を言う中国人は李白の詩も読まず“根本的に中国古来の文化を学んだ事が無い人間”で“自国文化に対する愛も足りない”だと思う。

だから刺身や冷たい物を食べたら御腹を壊すと発言する中国人の知り合いがいた際に日本人の小生が中国人に教えた漢文が有る。

この漢文の作者は日本人との友情も伝わっている・・・
仙人橋
霜落荊門江樹空

布帆無恙挂秋風

此行不為鱸魚鱠

自愛名山入剡中

※小生個人の解釈で意訳するなら以下の通りだ。

荊門(の土地:湖北省の真ん中辺りの荊門市)に霜が降(お)り、江(川辺)の樹も(葉が落ち)空(むな)しい(様子だ)。

(船の)帆布は恙(つつが)無く秋風にかかげられている

此(これ=今回)は鱸魚(ろぎょ=スズキ)の鱠(なます=刺身)の為に行く訳じゃなくて

名山(廬山の綺麗な風景)が好きだから(ここから)剡中(浙江省紹興市)に向かうんだがな。

・・・この漢詩の題名は“秋下荊門(秋に荊門へ下る)”日本人でも尊敬する人の多い唐の時代の大詩人、李白が詠(うた)った漢詩だな。
だな。
生食が腹下すってのが中国の迷信と言う解説の前に、この漢詩自体と李白の事績の分析をしたいと思う。
荊門山
荊門と言うのは古代の揚子江(長江)と言う中国の大河川の流域の荊州管轄区域の端に在る荊門山と言う河岸に連なる宜昌市の山の事を指していると解釈が一般的だそうだ。
だがこれは間違いかも知れない。
そもそも荊門山は古くから宜都と呼ばれた土地に在る。隋時代には夷陵郡夷道県と呼ばれ唐の時代には夷陵郡が峡州に地名を改められている。いずれにせよ古代の荊州の中には有ったが、唐代の荊州の入口では無いので漢代~唐代まで荊門山の名は無かっただろう。比較的に後から付けられている筈(はず)だ。
※漢代の州区分は“はじめての三国志”さんの解説記事が中国古代史を良く知らない人でも見ると解り易いです。クリックで→初めての三国志ホームページにリンク。
はじめての三国志 公式様より拝借 三国時代の州
荊州と言うと歴史知識の乏しい中国人や台湾人は現在の荊州市の事しか思い浮かばないだろうが、漢代で言う“荊州”は都市名では無く広大な行政区分、文字通りアメリカのケベック州やニューヨーク州の様な州を指した。
後漢当時の州は14州の行政区分を指し、南方や西方に広域の行政区分が多いのは漢帝国(中国)から見た未開の地で漢帝国“自称:漢の征服地だし”で仮設置されている州区分。当然、朝貢しているだけの部族も多くいる。
南蛮扱いされてる古代ベトナムの王:孟獲サンや、胡王(非漢族の未開地の王=ウィグル族)沙摩柯サンなんかがこの部類だな。
漢代に設けられた荊州の行政区分は現代の範囲で言うと河南省南陽市~湖北省~湖南省を全て合わせた地域だ。
荊州7郡
※“もっと知りたい三国志”さんからの拝借地図です~。
ちゃんと史実に基づいて可視化した地図書いてくれている人がいるから助かる(笑)。
ネットの情報はゲームの間違った地図転載している人も多いからね。
そして漢代当時に荊州市は存在せす江陵県と呼ばれた地域の一部であり南郡に属していた。
この後、三国時代には更に南郡の地名は臨江郡に改められ、その2年後に更に宜都郡に改められている。宜都は現在では宜昌市の下部市町村として宜都市が存在し、そこが後漢時代の夷陵県であり、そもそも現代の荊門山の有る場所。
南郡=臨江郡=宜都郡の下部には“県”単位の行政区が置かれていた。 それは・・・ 中廬県、襄陽県、当陽県、臨沮県、夷陵県、夷道県、江陵県、枝江県、華容県、宜城県、郢県、邔県、編県、秭帰県、州陵県、鄀県、巫県、高成県
・・・漢代の荊門山は宜都郡夷陵県に在り、現在でも宜都市の地名の残る場所に存在している。漢代の価値観で言えば広い意味で益州(蜀=四川省)との州境ですが、荊門山は荊州の入口と言うにはだいぶ下流の州内部域に位置に在る上に、漢より後の唐の時代ではもはや行政区分的に荊州の入口でもなんでも無い位置に在る。
はじめての三国志様より拝借 三国時代の勢力
※又々はじめての三国志さんの画像拝借。
三国志で言うと
益州領主の劉備サン(首府は蜀郡成都城=成都市)の義兄弟の関羽サンが治めていた荊州を、揚州領主の孫権サン(首府は呉郡姑蘇城=蘇州市、後に建業城=南京市)が参謀で大都督の呂蒙サンと陸遜サンに攻めさせて関羽サンが殺され、義弟関羽の死に発狂した劉備サンが怒り狂って荊州を取り戻す為に夷陵の戦いを起こした辺りが現在の宜昌市界隈。
はじめての三国志 公式様より拝借 三国時代の州
余談だが、ちょっと紹介した沙摩柯さんが胡王と記述されているのですが、胡王の“胡”が指す胡族や突厥(とっけつ)と言うのはウィグル族の騎馬民族の事。ウィグル族の中で漢や唐や元の圧迫で西に逃げた現代のトルコ人達と同じ祖先を持つのが胡族だ。
なので沙摩柯サンはウィグル人だと思いがちだが、彼は武陵から攻め込んでいるのでチワン()族の系統の王族と考えた方が良いと思う。漢代に壮族と言う部族の区分が存在していなかったのかも知れない。
当時の劉備サンの敵対勢力である魏の曹操(首都:洛陽、首府:許昌)は雍州を抑え西藏(チベット)も同盟勢力だったので、沙摩柯サンが胡族だとしたら雍州経由でもチベット経由でも武陵に辿(たど)り着(つ)く事は不可能なんだな。

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まぁ、そんな訳で我々現代の読む側は李白さんの秋下荊門含めて漢詩や和歌が詠(よ)まれた各時代の細かい行政区分の変遷や詩に書かれた季節と各地域の名産品考慮して時代背景や歴史的な内乱の発端と成る異民族や反乱勢力の位置関係も踏まえて、詩の内容を読んで行かないといけないんだな。
・・・しかし中国に関して言えば、これ等の位置関係が現代に成ると更に解りづらく成っている。
現在の荊州市は江陵城と呼ばれた城で、荊州市から長江を50km程下った地域のに昔の江陵県の地名がそのまま江陵県として残っていますが、江陵県の中心だった江陵城が荊州市として近年に分離されてしまい歴史を混乱させる要因にも成っている。
まぁ、そんな訳で漢代の荊州と言うのは荊州市(江陵城)の事では無くて古代の漢代の巨大な行政区分の事だった訳ですが小生の住まう横浜にも少し関係が有る人が三国時代に水軍を率いて治めていた場所なんだな。
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三国時代に一騎打ちで無敗の名将軍だった関羽雲長さんの最期の根拠地。
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※北京旅行の時に60元で購入した銅像(笑)。部屋で走水神社の御守りの横に陪神として祀ってる(笑)。
関公は曹操によって神格化され協天大帝関聖天君の名で商売の神様として祀れているが、商売の神様に成った理由は生前に塩の行商の商隊をやっていた事、そして一騎打ちに負けない勝負強さから民間信仰の対象に成った訳だ。

そして
実は、この関羽さんの治めた本来の荊州の広大な行政区分は春秋時代の“楚”の領土が元に成っている訳だ。
楚の都を郢(えい)と言うのだが、漢代の県を含め荊州市荊州区等も古代の楚王国の首都だった場所で複数個所、遷都する場所に郢の地名が残された。

さんざん漢代の荊州の話と宜都市の荊門山の話をした上で話題を“秋下荊門”に登場する“荊門”の地名由来に話題に戻すと、荊門の地名は李白の生きた唐代に初登場する地名なんだな。
唐朝の統治下で荊門県と呼ばれた地域だ。
これが❝荊門❞の名の初出だな。それが現在は荊門市と呼ばれる行政区分に成った。
洛陽~荊門~四川省の位置関係 久良岐のよし
李白は実は塔克拉瑪干沙漠(たくまらかん砂漠)の入口に当たる甘粛(かんしゅく)省出身、その後に巴蜀の地、つまり現
在の四川省に移住した。だから四川省から船で
剡中(浙江省紹興市剡県=嵊州市)に向かうなら長江に違いないと思い込んだ歴史音痴中国人や観光振興が横行した結果だろう。
悪いが歴史事実を突きつけると、李白が剡中(紹興市剡県)方面、つまり江南地方に行く用事が有るのは洛陽に住んでいた時代以後の話なんだな。
江西省の廬山に隠棲する時に江南地方へと下って行ってる。
後は罪人と成って貴州から解放された時だが、その頃には安徽省を拠点にしている。
だから少なくとも、
秋下荊門の詩は時期敵に秋に荊門を川下りしているのだから秋下荊門を読んだ時は洛陽を離れ南陽方面から漢水を下っている筈なので宜昌の荊門山ではなく荊門郡(荊門市)の土地を指すと言うのが小生の推測だ。
荊門門市行政区域 久良岐のよし
荊門市は南面に西から流れ込む長江と、北から市域に流れ込み南へと突っ切る漢水の二つの大河が有る。
当時李白の居た唐の都の西安や洛陽から江南地方
剡県(浙江省嵊州市)に向かうには、漢水を利用する。
上流には襄陽市(じょうようし:漢代に荊州で最も栄えた襄陽城)が存在している。
しかし荊門山(湖北省宜昌市)を船からを見るには、わざわざ巴蜀(四川省)方面から長江を下って来なければ成らない。
これは余りに非現実的。しかも李白の生きた唐代の価値観からすれば洛陽から荊門はそのまま荊門県を指し現在の荊門市の事そのものだろう。
それに現在の荊州市の行政区分と都市名は、つい最近の数十年前に中国共産党によって決められたものだ。
荊門山の有る宜昌市が漢代の荊州と言う大きな枠組み以外で荊の名を冠するのは、唐の滅亡後の五代十国時代に荊南に編入されてからだ。唐代に宜昌に荊門山の地名が有ったか誰か確認したのか?
時代的なズレが有る。最初に訳した人間のテンプレートが広まって無いか?
李白は没する直前の晩年に安徽省の宣城市や当塗県辺りを拠点にしているので、やはりこの時期に川下りで荊門を通り
剡県に向かうとは考え難い
若い時に蜀を出てから暫く長江流域を旅したりしているし、罪人に成って貴州に抑留された時期も有るので宜昌市界隈に来た事も有るし山河の風景を詠んだ事も有るだろうが、小生は秋下荊門の漢詩の中の荊門は荊門郡の事だと思う。状況的に。
彼は洛陽に住んでいた頃、日本人の国費留学生で唐の玄宗皇帝に重用されていた阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)や同じ大詩人と成る杜甫(とほ)と友人に成り飲んだくれていたりした。

風流だが豪快で情が厚い人で、結構、言いたい事を言ってしまう人だったらしい。個人的に好き(笑)。
こんな逸話が有る。
親友だった阿倍仲麻呂が日本へ帰国する船が難破して生死不明に成った際に「阿倍仲麻呂の帰国船が海難事故に遭って死んだ」と誤報を聞くや(実は漂流してベトナムに到着している)泣いて詠ったとされる詩が残っているのだが・・・

題名:哭晁卿衡(ku chao qing heng=阿倍仲麻呂卿に泣く)
※阿倍仲麻呂公の唐での姓名は姓:晁(chao:ちょう)名:衡(heng:こう)。
※卿(きょう)は官位、帰国前に秘書監、衛尉卿の二つの役職を拝命している。
これは凄まじい事で現代の日本の政権に例えるなら秘書監(内閣官房長官)と
衛尉卿(防衛大臣)を兼務している事に成る。優秀さから如何に玄宗皇帝に重用されていたか解る逸話。
※日本の貴族武士と同じく名を名乗る際は織田上総介信長の様に姓と名の間に官位を置く。

日本晁卿辭帝都

征帆一片遶蓬壺

明月不歸沈碧海

白雲愁色滿蒼梧


※小生の意訳
日本晁卿辭帝都
日本人(親友)で衛尉卿の晁衡が辞職して帝都(洛陽)を離れた

征帆一片遶蓬壺
帆(船)は(親友の晁衡を乗せ、海に浮かぶ)
小さな蓬莱の壺を遶(めぐ=廻)って征(ゆ=行)く
※蓬莱島は不死の妙薬が有るとされた島で、日本や台湾を指す。この場合は日本を指すが、一般的に日本を指す言葉は扶桑(fu sang)を使う。釜山(fu shan)と扶桑(fu sang)の中国語の発音が似ているが、漢帝国に認められて以来~日本が百済を救援して唐朝と対立し白村江の戦が勃発するまで、古代倭人の王権の支配地は本州~四国~九州~朝鮮半島南部に及んでいたので釜山も倭人の国土だった。つまり日本を当てる言葉としては本来は蓬莱島より扶桑の方が適切。
※壺を日本に例えている。

明月不歸沈碧海
明るい月(の様に唐の腐敗の闇を正そうとした阿倍仲麻呂は)碧(あお)い海に沈んでしまい歸(かえ=帰)らない

白雲愁色滿蒼梧
解釈1:白雲は愁(うれ)いの色に染まり蒼(あお)い梧(あおぎり)で満ちている。
解釈2:白雲は愁いの色で満ちる、ベトナムに。
※蒼梧は色と地名二つの意味が有る。
一つは青々とした熱帯植物、若(も)しくはその色。
もう一つは唐代の行政区での蒼梧郡(広西省チワン族自治区~ベトナム)の行政府を示している。
※この詩の蒼梧を色や木として解釈しない場合は、李白が事前に阿倍仲麻呂が日本に帰国せずに当時は唐の領土だったベトナムに赴任する事を知っていた事に成る無事を伝える暗号化された詩に成る。
広西省チワン族自治区
まぁ、こんな風に李白さんは日本人とも仲が良くて友達の死を悲しんだか、対立者による暗殺を恐れて帰国を装って船に乗りベトナムに計画渡航した無事を玄宗皇帝に風流な漢詩で表現したのかも知れない。
まぁ、李白さんは歴史も熟知し詩歌にも通じた大文化人だった訳だ。
そして
哭晁卿衡の漢詩はこんな背景がもしかしたら有るかも知れない・・・
当時、玄宗皇帝は傾国の美女として有名な楊貴妃によって政治的に堕落した生活をしていた。
この頃、李白さん始め玄宗皇帝と話す機会の有る人はアノ手コノ手で諫(いさ)めていましたが助言に耳を貸さずに腐敗して行く。
その楊貴妃の楊一族は、唐朝で外国人部隊を率いる将軍の安禄山の安一族と対立して権力争いをしていましたから、当然ながら玄宗皇帝の側近である阿倍仲麻呂卿も暗殺される可能性が有り都を離れた上で玄宗皇帝の配下で居続ける必要が有ったのだろう。
阿倍仲麻呂卿は天平勝宝四年(752年)に日本への帰国船に乗船する。
だから予め玄宗皇帝達と画策し都の洛陽から退避し日本帰国船で遭難(を装って?)、唐の支配地のベトナムへ漂着(計画渡航)。ベトナムなら安禄山一族の手は及ばないから。
「船が遭難した」と言う暗号で彼の計画の無事を確認した李白は悲しんだフリしながら安堵した気持ちを玄宗皇帝に伝えたのかも知れない。
阿倍仲麻呂卿は唐の朝廷で死んだ事にされていたのかも知れない。
李白によって哭晁卿衡の漢詩が詠まれたのは天平勝宝六年(754年)、この時期に成っても阿倍仲麻呂卿は死んだ事に成ってる(笑)訳だ。当時の中国は駅伝制が確立されており、馬で皇帝の下へ直ぐに情報が伝達される仕組みが有るにも関わらず。
唐時代の版図 
そして天平勝宝七年(755年)まで洛陽へも長安へも戻らない。
のら~りくら~り、安全が確保されるのをまっていたのか?
この間に玄宗皇帝は蜀(四川省)に遷都(都を移す=逃げた)し、モンゴルやウィグルの騎馬民族に援軍要請をし、騎馬民族の軍事介入で安禄山の大軍を撃破している。阿倍仲麻呂卿は760年まで浪人し無役でいた。
もしかしたら長安や洛陽に留まって、幕末の桂小五郎さんみたいにスパイをし玄宗皇帝に情報を伝えていたのか。

そして実際に757年に成ると安禄山は自分の息子の安慶緒に暗殺され、更に安慶緒は父安禄山の部下の史思明と対立し759年には更に安氏と史氏の抗争に発展し安氏は滅亡、反乱勢力は一気に自壊して行く事に成った。
そして天平宝字四年(760年)に阿倍仲麻呂公はタイミング良く復職すると“あの哭晁卿衡”の小生が意訳した解釈2の内容を漢詩を再現するかの様に・・
白雲愁色滿蒼梧
解釈2:白雲は愁いの色で満ちる、ベトナムに。
・・・唐の朝廷に復職しベトナムに赴任、鎮南都護、安南節度使に任命されて三位の官位まで得ている。

鎮南都護は南方方面軍長官
安南節度使は南方統括政府の長官兼財務長官

鎮南都護安南節度使として管轄したベトナムや広州は大切な交易ルートだ。
そして当時はメコン川流域は既に大穀倉地帯に成り兵糧補給地としての存在価値も有っただろう。
阿倍仲麻呂卿はベトナム赴任の後、最終的には潞州大都督(ろしゅうだいととく)に任命されている。
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唐代の潞州には三国志好きなら聞いた事の有る“壺関(こかん)”と言う洛陽防衛の最終ラインが有り、そこを任され更に大都督(大元帥とか参謀総長に当たる)に任命されている訳だな。
これだけの出世をすると成ると、安禄山の乱の鎮定にかなりの功績を残していないと不可能な訳だ。

さて、李白さんから阿倍仲麻呂さんの話に逸(そ)れてしまったが、そんな凄い人とも直接友達だった李白さんが・・・
洛陽で知り合った阿倍仲麻呂さん達と別れ、一路江南地方に移住する為に南下する。
つまり、この時に漢水を船で下り荊門郡(荊門市)の辺りを通過している訳だ。
霜落荊門江樹空
布帆無恙挂秋風
此行不為鱸魚鱠
自愛名山入剡中
だから小生は言う、この詩でも荊門って言ってんだから荊門山じゃなくて荊門郡でしょ?
状況的にも一番自然な解釈でしょってね。

さて、彼の詩で現代中国人で「刺身食うと腹壊す」と言う奴は迷信を信じ客観的に情報を判断しない煽動され易いか自己判断能力の無いか情弱な人間と、最初に小生指摘した根拠と成るのが、この
秋下荊門な訳だ。
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秋下荊門の意訳でネタバレしてますが、李白達の時代の中国人も生魚を食べていた。
しかも高級な料理として。
此行不為鱸魚鱠
此(これ)は鱸魚(ろぎょ=スズキ)の鱠(刺身)の為に行く訳じゃない
ばりばり唐代の人等食ってるし(笑)!
つまり、寿司食って腹を下すと言う中国人は自国の本来の文化を全く知らないし、自国の川や海の水が魚が汚染される程に汚い事を理解していないし、水道水や地下水や泥臭いのが異常な事だと認識も出来ていないし、川魚は寄生虫がいるから生食は余り適さないけど海鮮は下処理気をつければ鮮度次第と言う事を知らないだけ。
食習慣の問題が体質と思い込みに変わってしまっている。日本人の遺伝子も渡来系は中国人と遺伝子共有してるのだから有り得ない。
李白移動箇所 久良岐のよし
さて、そんな訳ですが李白さんが言っていた剡中(紹興市界隈)の唐代の名物は鱸魚(ろぎょ)=鱸(すずき)。つまり海の魚、だから鱠(なます)=刺身で食べれるのでしょう。
釣りをやる人は知っているが冬季に成るとスズキは寒い外海から湾内や川の汽水域へ移動し越冬する。
唐の時代の海岸線は当然、現代よりも内陸だったろうし、揚子江は内陸まで水深が深いので紹興市界隈のだいぶ内陸辺りまで汽水域が有ったんでしょ?

因みに日中戦争の時、日本軍は荊州市辺りまで余裕で海から軍艦で川を遡(さかのぼ)って来て、長江沿岸の都市に艦砲射撃を加えている事からも長江の水深の深さが伺えるでしょう。
まぁ・・・孫文先生の樹立した中華民国が袁世凱に乗っ取られたとは言え、その後の蒋介石さんは知日派だったんだから戦争するんじゃなくて英国と一緒に支援するべきだったと小生は個人的には考えている。
袁世凱がいなければ、中国は分裂せず中国共産党と国民党は中華民国で政党政治を共に行って居たかも知れないし、日本と協力して亜細亜の盟主に成って居たかも知れない。
まぁ、尼港事件も有り当時の日本人の感情として袁世凱がいなくなっても中華民国を許せないと言う風潮が有ったのかも知れないが。
日中戦争のエピソードも水深が深い事を例える素材には成る。

もう一つ、李白さんが船の中から見て
霜落荊門江樹空 布帆無恙挂秋風と詠んでいる事も思い出して欲しい。
季節は霜が降りる晩秋で鱸魚(スズキ)が湾内や川の汽水域に移動して来る季節位に紹興市方面に向かっている
様子も解る。
いずれにせよ、当時の紹興市辺りの名物は鱸の刺身だったし、当時の人々も生魚の刺身を好んで食べていた訳だ。
そして漢詩の内容の洛陽から南陽郡を通過し襄陽から船で漢水を南下して荊門を通過し江南地方を訪れるタイミングの漢詩と解る訳だ。
司馬遼太郎さんも“街道を行く”シリーズの江南地方への旅の中で、この詩を確か紹介していたと思う。こんな解析はしてないけどね。
案外、日本人の方が普通の中国人より中国文化を大切に思っているかも知れない。

さて、小生は現代中国には未だに迷信に振り回されている人間が多いだけでなく、“愛国心を謳いながら自国の文化も歴史も大切にしない人が多い”と指摘しました・・・
小生が中国蘇州の網師園と言う、とても綺麗な中国古民家を訪れた際こんな事が有りました。
・・・中国には中共以前の中華民国時代から受け継がれている“文物保護単位”と言う文化財があるのですが網師園もその一つで、当然ながら火気厳禁で禁煙な訳で。
しかし静かに見学している小生達日本人の後から中国人団体客が大挙して建物に入って来て、その内の一人が煙草を吸い、その吸殻を中庭の石畳にポイ捨てしました。
それを見た小生は憤慨しその中国人の前に立ってこう言いました・・・
「喂!你是中国人吧?」
(オイ!オマエ中国人だろう?)

「你因该知道这里是保护单位。」
(ここが文化財指定だって知ってんだろうが。)

「你这么做不觉得害羞吗?」
(オマエ、こんな事やって恥ずかしくないの?)

「到底你们在哪里有爱国心?」
(オメ~等愛国心なんて無いだろ?)

・・・結構低い声でユックリだが、まくしたてましたかね。
こう言うと、コチラを相手の低文化な人間も睨んできたが、生憎と小生はガタイが良いので相手は押し黙って動かなく成りました。これが中国人同士か一般的な日本人男性の身長と体格なら殴り合いに成っていただろうなと思います。

相手は外人に片言の中国語で話しかけられた経験も無いだろうし、しかもガタイの良い外国人に片言の怒気を孕んだ中国語で正論を言われて怖かったかも知れないし当惑したでしょうね、なんせ歴史文化礼儀軽視でポイ捨て当たり前の民度の人が多い国ですから(約20年前)。
でもメンツを大切にするから謝る文化も無いし人に言われて自分の捨てた吸殻を拾うなんてプライドが許さない訳だ。
小生はソイツにガン飛ばしながら吸殻を拾うとソイツのツアーガイド(中国人女性)に吸殻を渡し、注意し指導する様に言った。

小生「你为什么让他在这里抽烟呢?你也应该批评他,对不对?」
(アンタなんでアイツにここで煙草吸わせてんの?アンタもアイツを糾弾するべきじゃ無ぇ~のか?)

すると、そのガイド(导游)から怯えた様子で開口一番、先進国では考えられない一言が帰って来た・・・
导游「我不会・・・」((;゚Д゚)できません・・・)

小生「啊?为什么?」(は?何で?)

导游「对不起・・・」(;Д;)

小生「チッ・・・(舌打ちからの無言でガイドの姉ちゃんを侮蔑する)」(-_- ×)ノ

・・・こんなやりとりをした事が有り、中国人の中国伝統文化や文化財や自然に対する保護意識の軽薄さは身に染みている。
このガイドの発言は客を注意し、客から批判したと会社に騒がれたらクビに成るとでも思っての事だろう。
自己保身だが当時の中国は会社が簡単に従業員を解雇出来るし、上司が部下を選ぶ事も出来るから日本以上に愛人関連の問題も有った。
法律は有るけれど一部には機能はしていない訳だ。
中間層は真面目なのにね。

無論、小生の友人達の様に昔から素養が高く協調性も有り柔和で文化を大切にする人も多い。
反面、自分だけ良ければ良く自国の文化に対して平気で破壊を行う奴も多い。
モラルに置いて全員がそこそこズルくてソコソコ理性を持て振舞う日本人と違って、中国人は良い人は凄く良いが悪い人は何事においても凄く悪い。人の民度の差が激しい。
そして中国の自称愛国者は何故か自国の歴史を知らず文化を愛さ無い人間が多い。
とにかく善悪の差が激しい。

こんな事も有った・・・
大型スーパーの客が「御釣りが1毛(日本人の感覚で1円みたいな)足りない」と騒ぎだし店員のネエチャン殴る。

更にコンナ事も・・・
食堂で客が「他の客より米が少ない」と騒ぎだし店員も店員で喧嘩腰に「んなわきゃ無ぇ」と言い返し、客が配膳台から米を分捕り、怒った店員がその客を突き飛ばし、逆上した客が空の御椀を持って店員を殴りつける。
店員はオデコがパックリ割れて流血。
周りの中国人は誰も止めず俺が暴れてる中国人を後ろからフルネルソンでクラッチして羽交い絞めにしてホールドし周囲で傍観してる薄情な連中にこう叫んだ・・・
「不要打了!」
(止めろ!)
「喂,你们快报警吧!」
(オイ、オメー等(他の客と店員)さっさと通報しろ!)
・・・と言うまで誰も動かない始末。

こんな事も有った。
中国では人力三輪車がタクシー替わりに使われている観光地も多いのだが、仲良く成った現地の女の子と二人で市場に夕食の食材を買い出しに行く途中で三輪車が窪地に嵌(はま)って出れなく成っていた。
それを小生が普通に後ろから持ち上げて穴から出した。
まぁ、日本人ならその三輪車を持ち上げられる力が有るか複数人いれば普通に小生と同じ事をするだろう。
ところが、一緒にいた女の子にコンナ事を言われた・・・
「何で助けたの?」
・・・これは小生は衝撃的だった。当たり前の事をしたのに怪訝そうに眉をひそめて聞かれたのだ。
当然、この女の子みたいなのばかりじゃなくて、小生と同じ事をする中国人もいる。でも、“そうじゃない奴もいる”国民性が有る土地なんだな。

あと中国に出張に行くと気を付けている事が有った。
中国のTAXIは日本より遥かに事故る頻度が高い。
もし事故に巻き込まれたら、さっさと料金を払い車降りないと口論に巻き込まれ警察が来れば更に面倒に成り立ち去れなく成る事が有る。
小生も一度、中国滞在中に乗っていたTAXIが事故に巻き込まれた。上海の環球金融中心と言う日本の森ビルが建設した高層ビルに行く用事が有ったのだが、そのTAXI発着場所の入口近くの交差点で一般車両と右折直進衝突された。
さっさと金払って降りた。

中国人も自国の文化を大切にする人、古典を読み本当に史料を読む程に歴史が好きだったり伝統芸能の評弾を聞きに行く様な若者は寧(むし)ろ日本人に対して偏見の無い人や客観的に物事を判断する人も多い。

逆に中国人なのに自国の文化に左程興味が無い奴程、自国の事も知らないし対外的に無差別に攻撃的だったりする。
そして迷信を信じる奴も、この部類に多い。

まぁ~あれだ。
日本人もそうだが右翼って無文化な奴が多いし、左翼って文化破壊者が多いし、そのどちらも笑える事に民族主義者と民族逆差別主義者が多い。
万国共通だな。

歴史に興味の無い奴、文化に興味の無い奴、金と利益が絡まない事に対して無関心な奴、どこにもいるけど、中国の場合は特に差が極端。
文化的で良い奴と友達に成れば良いだけだし、日本での生活の長い人に対し順応性を見分ける素材が“月子”“冷水”“刺身”の迷信を習慣として海外にいても是とするか非とするかで客観性が有るか順応性が有るか判断も出来るって体験談だな。

中国人はもっと本来の中国である明や唐や宋や漢の文化を大切に、そして政府や人からの情報では無くて自分で活版印刷されて読み易く成っている古文書を読んで、己の文化と現代中国の闇を知るべきだと思う。
これを日本人が好み中国人が忘れた中国の諺で温故知新、継往開来と言う。

私達日本人は和服を来て正月に神社仏閣を参詣したり、書道で書初めをしたりする。
小生は書初めはしないが、ちゃんと写経もして御寺に奉納し神社も氏神様と土地神様と厄除けの神様と知恵の神様と御参りもする。
さて中国で日常生活の中で唐装いを着て歩く女性がいるでしょうか?
普段から御先祖様が大切にした御神廟や御寺を御参りする若者がどれだけいるでしょうか?
そう言う所から、本当の愛国心に通じる自国文化を大切にする心は育まれるのだと思う。
明孝陵に行って中国人の自称愛国者は朱元璋洪武帝に礼拝するだろうか?
昔の人は拝んでいただろう。
洪武帝はモンゴル元朝を倒して中華を取り戻した大功労者だよ?
きっと反日=愛国心と思っている人間には洪武帝の明孝陵の存在も知らない人も多い事でしょう。
そして何で“月子”を中国人は行わないといけなくて、何で“生水”を飲んではいけないか理由すら考えた事も無いでしょう。

もっと自国の歴史から古来の文化も学んで下さい。
そして出来れば人民解放軍が行っているプロパガンダと異なり、実際に日本軍と勇敢に戦ったのが中華民国軍とアメリカ義勇軍だった事実も知って下さい。
中国からどれだけ貴重な歴史偉人の陵墓が文化大革命のドサクサに紛れ盗掘破壊され消えたか調べて下さい。

でね、折角日本に来たら御刺身も御寿司も美味しいから試しに食べて見て下さい。
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海鮮を生食しても腐って無ければ腹壊しません。
小生は中国人の同僚が帰国する際も来訪する際も、台湾の友人が遊びに来た時も、三崎で鮪を食べさせてあげました。
誰も御腹壊してませんよ。
アノサキス等がいるイカは刺身にする時にちゃんと化粧包丁いれて寄生虫駆除したり湯引きします。
先ずは体験してみて下さい。
中国出張中に買ったペットボトルの水が偽物で腹下したり、屋台の料理で腹下したり、別に小生は中国の不衛生な店も怯まずチャレンジしてますよ~(笑)。

まぁ、自国の物は大丈夫だって思いたいですよね。でも日本にも原産地偽装食品も有りますし、御互い、気を付けないといけないのは変わらないけど、迷信かも知れない通説も信じる前に自分で理由を考えて調べてみたらどうでしょうか?

では、又!




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