歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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カテゴリ:創作趣味 > 漢詩

三浦半島の横須賀市走水は日本神話の舞台です。
走水神社の前の海には、島の様な地形の御所ヵ崎と言う場所が有ります。
これ⤵
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ここは明治に砲台建設で神社が潰されるまで橘樹神社が存在していたのですが、実は西暦2世紀(小生の再計算では西暦280年頃)の冬、倭建(やまとたける)と弟橘媛(おとたちばなひめ)の夫婦神が房総半島に渡海するまでの間、夫婦水入らずで生活していた場所でした。
ですから皇族の居所を示す“御所”の地名が残り“御所”ヵ崎と今でも呼ばれているんですね。
倭建は横浜市神奈川区の六角橋~三浦半島を治めていたらしい大伴久応サンとも大伴黒主サンとも名の伝わる人物に接待され、三浦半島の海産物に舌鼓を打ったそうです。
特に蛤(はまぐり)の鱠(なます)が御気に入りだったと物凄く具体的な伝承まで残っているんですよ!
ちょっとその話は後で紹介するとして、実はこの走水には今でも倭建命もお気に入りだった美味しい海鮮を使った定食屋さんが有るので紹介したいと思います。
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味美食堂
小生は観音崎や走水方面にドライブや走水神社に参拝に行くと、この味美食堂や以前紹介した“かねよ食堂”に良く食事に行きます。ここ、小生が美味しいと思うだけでなく、2016年に友人と猿島に遊びに行った時に横須賀市の史跡ガイドの方達に「美味しい店知りませんか?」と聞いたら推薦されて「あぁ~やっぱ有名な店だったんだ!」と再確認した場所なんです。
店は大きくありません。
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間口もこんな感じです。
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本当に定食屋さん。
小さい御店なんですが、防衛大学生に教えて貰ったんでしょうかね~?前の防衛大臣の小野寺五典さんも防大に用事が有るとここに食事に来ていたみたいです。
神様のヤマトタケルは走水のハマグリが好物だったみたいですが、現代の走水で有名なのは蛸(タコ)と鯵(アジ)でしょうか?
小生は決まってアジフライ定食を注文します。
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だいたい、いつも味噌汁はワカメ(笑)。
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地タコの刺身、そして・・・
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当然ながら鯵の刺身も美味しいですよ!
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このアジフライがフカフカで凄く美味しいんです。
・・・まぁ小生のブログの読者は小生がアジフライ好きなの使ってる人もいると思いますが、神奈川県のアジフライ三本指に勝手に決めている御店の一つが味美食堂だったりします(笑)。
他の二ヵ所はここ⤵

 もし横須賀の観音崎方面に遊びに行く機会有って、食事する場所困ったら人数少ないなら味美食堂のアジフライ、是非食べて見て下さいな~♪
ちょっと触れた“かねよ食堂”は定食とか和食じゃなくて御洒落な料理なので、その日の気分で洋食か和食にするかで味美食堂と合わせて選べるし近いから便利です。

位置関係はこんな感じ!
味美食堂周辺 久良岐のよし
走水神社の目の前の海沿いに味美食堂が在ります。
さてさて・・・
倭建命(やまとたけるのみこと)は蛤の鱠(なます)が好きだった事には少し触れましたよね~?
現代の料理人が鱠(なます)を“野菜を千切りや柵切りした酢漬け”と誤認していますが、これは歴史と古典の知識欠如からくる間違いで、鱠は中国語で日本の“刺身”に相当する魚貝類の生食用に捌(さば)いた料理の事を指します。
唐の時代、日本人の阿倍仲麻呂サンの親友だった大詩人の李白サンがこんな句を読んでいます。
霜落荊門江樹空
布帆無恙挂秋風
此行不為鱸魚鱠
自愛名山入剡中
1400年前の中国では来客が有る際に準備する献立の常連に成る程、当時の漢民族は刺身=鱠を好んで食べてたんですね。因(ちな)みに李白さんの好きな鱸魚は現代の日本人も高級魚として大好きな鱸(すずき)ですね。
その李白さんの漢詩を歴史事実や地理を考慮すると、通説の解釈がおかしいのが解かるので以前解説した記事にした事がありました。
まぁ解釈は置いておいて、昔の中国人は刺身が好きだったんですね。これ⤵
李白さんの生きた唐の時代は日本では飛鳥時代~奈良時代ですから、その少し前の古墳時代の倭建がハマグリの刺身が好きなのは極々自然な事かも知れません。
倭建命と弟橘媛夫妻はハマグリ、李白さんはスズキを喜んで食べていたと考えると、ちょっと歴史偉人や神様に成った古代の皇族にも親近感が湧きますね(笑)。
若い女性に人気の魚料理に特化したユーチューバーの“きまぐれクック”の金子君が古代にいたら、きっと倭建命を大喜びさせる事が出来るでしょうね(笑)。もっとも彼は最近、新妻の専属料理人に成ってしまいましたが(笑)。
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横須賀も有名な長井漁港、走水漁港とブランド漁港を2ヵ所も抱えており、他にも神奈川県は魚のブランド化に成功した漁港も沢山有り海産物の美味しい県です。
気が向いたら是非、足を運んでみて下さい。


味美食堂、おすすめです!
ついでに近くの観光地⤵️


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三浦払暁

雨霏霏流削国土
昨晩奔雷震天地
雷啼猶老百姓怒
不知此聲到上帝
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今自琴音濱望海
朝人少僅有釣客
霖卒晴自海日出
光劈閒雲彩雲現  

是久良岐のよし作此 @三浦海岸琴音浜
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7時までに家に帰宅出来る様に、日の出の時刻に合わせて横浜横須賀道路~三浦半島へ夜明けドライブしてきました。
三浦海岸の中でも小生が好きな琴音浜に行ってきました。
琴音浜は三浦海岸の中でも南北に砂浜の伸びる場所で、浜辺~東京湾~真横に重ねた先の房総半島の山の端(は)から日が昇ります。
今の季節、三浦海岸は04時50分くらいに日の出を迎えます。
いつもですと市営の駐車場に車を止めると正面に朝陽が昇る様子を見る事が出来ます。
今日はファミリーマートで買物をして駐車場に車を停めさせて貰いました。

最近よく三浦半島に行っていたのですが、海の家規制で観光と連動した飲食店で数ヶ月間も客足伸びない様子に色々と考える所が有り漢詩を詠んでみました。

表の文章は最近の災害や見た景色を書いてます。
裏には新型コロナや長過ぎる梅雨で苦労する人達の様子、ピントのズレた政治家達への皮肉、新型肺炎終息後はもう元通りの日本ではないはずで有ろう事も、皆にも後半年が良く成る願い等を漢字の2つの意味に込めてあります。

詳しい解釈は皆さんで自由に想像して見て下さい(笑)。

悲観ばかりしても仕方が無いですし、きっと読者の皆さんは私よりも冷静に強く家族を守りながら一つ一つ出来る事をやり、この苦境を乗り切り来年の今頃には新型肺炎の事も笑い話にして皆で笑ってらっしゃるのではないでしょうか?

今日もこれからも、皆さんと皆さんの家族が新型肺炎にかからず健康に来年を迎え、今年の年末には今より笑ってられます様に~。

その為にも、皆さん三密回避気をつけましょう!
上手く情報収集し分散して観光を楽しみ、物理的対人距離の確保と団体行動の回避、手洗い消毒、繁華街に行く際のマスク着用、可能な限りやって行きましょう~♪
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※昨年書いて未投稿だった記事です。

冬風と題した知人の写真で漢詩一首思い付いた。
でも漢詩特別に勉強した訳じゃなくて独学だから間違ってるかも知れないけど気にしないで(笑)。
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湖畔之冬風

雲満天灰暗
夕陽照湖水
吹寒風清清
飛鳥為誰啼
君今思誰哉

作詩:久良岐のよし

雲満ち天(てん)灰暗(ほのぐら)く
夕陽湖水を照す
寒風清々(せいせい)と吹き
飛鳥(ひちょう)は誰(た)が為に啼(な)く
君は今誰を思う哉(か)

空には雲がいっぱいで薄暗く
夕陽が水面を照らし浮かび上がらせる
そこに寒風が吹きとても清々(すがすが)しく感じられる
鳥は飛びながら誰を思い鳴くのだろう?
君は今誰の事を考えているのかな~?

・・・みたいな。
「曇天の夕陽って水面の波形を浮かび上がらせて静かな時間を演出してくれるんだな~?」
・・・と、言う発見で一首詠んで見た。


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山川異域
風月同天
寄諸仏子 
共結来縁

这句是在唐朝时代日本皇室的长屋王寄给中国的行李里有了的袈裟上写了的古诗。
可能这个故事已经许多中国人知道的了。
传说鉴真和尚看了这句古诗决定渡海日本。

对古代人给我们留下的友谊,现在终于再来了我们可以发挥友谊的机会。

日出處天子致書日沒處天子無恙云云
这句话是在隋朝时代大和朝相国聖德太子向隋朝皇帝炀帝写了的外交文章。
这个虽然故意地写有一点不礼貌的表现,可是这句有强调我们大和民族不是野蛮的意思。

看文物可以确认我们日本人最早跟中国交易的是前汉时代,可是不会知道详细情况。

不过到了三国时代,我们就可以确认友谊的历史。从中国曹魏皇帝曹叡与丞相司马懿对古代日本女王卑弥呼开始援助,送给她两把宝剑与200个铜镜,亲魏倭王的金印。

魏志
有关倭国的部分之内一部分

自女王以北特置一大率檢察諸國畏憚之常治伊都國於國中有如刺史王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津捜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯

下戸與大人相逢道路逡巡入草傳辭説事或蹲或跪兩手據地為之恭敬對應聲曰噫比如然諾

見大人所敬但搏手以當跪拝
其人寿考或百年或八九十年

以上的内容还值得证明我们国家的神道神社参拜的礼貌,已经三国时代就有了的
虽然卑弥呼的古代日本邪马台国是被曹叡与司马懿承认了的册封国家,可是日本人从古代一直有亲魏,也可以说是和大陆中华做“平等”的友邦的自豪了。
因为日本有这个历史,聖德太子故意地写了那种文章。
还有我猜日本天皇皇家历代保有的神剑与神镜可能是曹叡送给卑弥呼了的两把宝剑与铜镜之各一个吧。因为天皇家的神剑原来有两个名字,一个名字叫天之叢雲剑,还有一个名字是草薙剑。这就可能表示天皇家原来有了两把宝剑的意思。可是到了现在已经不会确认神剑名字的由来了。

南宋灭亡的时候许多中国高僧亡命到我故乡神奈川县的鎌仓市。
鎌仓武士一直拒绝了元朝要求了的服从。
当时武士的干部都在鎌仓市建长寺(正式名:建长兴国禅寺)跟从中国四川过来的兰溪道隆和尚学了南宋灭亡时候的情况与蒙古人的战法,还学了中文与禅宗的精神。然后开始准备对抗元朝。
虽然对元朝抗战的结果,成功了防卫。可是因为当时日本的国力不大,所以不能对元朝开始反攻,也不能复兴汉人的朝廷了。
决定抗战的武士领导人是北条时宗,鎌仓幕府第八代執权。
他的老师也是从南宋亡命到鎌仓来了的兀庵普宁和尚。兀庵普宁和尚将开战的几年以前回中国温州了。可能他回国以后也为了复兴宋朝偷偷地跟北条时宗保持联络了吧。

明朝灭亡之前因为江户幕府大将军德川家康的孙子德川忠长他建议援助明朝的外交政策,可是他不能当大将军了,所以日本又求不了了明朝与国姓爷郑成功的汉人朝廷。
德川忠长他不仅是德川家康的孙子,还有他外祖母是织田信长的亲妹妹织田市妃。所以他的名字里有德川家康的父亲松平广忠的“忠”的字与织田信长的“长”的字。

第二次大战结束后周恩来总理为了中国的现代化与复兴国力而决定了,跟日本政府田中角荣总理洽谈有关国交正常化的事,然后请日本国对改革开放的援助的事情。可是那个时候对中国的援助是还有日中战争的赔偿的意思。
我在中国留学的时候还有许多讨厌日本人的中国人了。因为那个时候还在电视里播放有故意恶意强调地日本鬼子呀什么的抗日电视节目,许多中国人民不知道历代天皇每年八月发表向交战国表示道歉的意思。而且第二次大战的时候原来天皇反对侵略中国了,可是陆军独载政权连天皇要求不开战的圣旨也拒绝了的事。然后海军干部也反对跟美国开战的事。
这些事情,我还在留学时候中国人民一个人也都不知道了。

这次终于到来了日本人真的可以求援中国人的机会。
这次不仅是为了复兴中国人的生活一定要成功防疫,还有我们也要支持遇难的友邦邦民的目的。
一定要复兴包括中国所有日本友邦人民与日本人自己的生活。
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请先看一下如下照片(写真)
※写真は全部ネットからの借り物。
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1,毛主席与日本政治家在和平交涉时
 毛沢東サンと日本の政治家の写真

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2,释月性和尚相像画
 西郷サンの親友だった月性和尚様


西郷隆盛
2015-03-18-23-08-45
3,东京上野公园的西乡隆盛公雕像与他儿子西乡菊次郎
 上野公園の西郷サンの銅像と息子さんの菊次郎さん

我来对中国朋友们介绍一下
毛泽东主席最喜欢的汉诗是一位日本爱国之士的和尚做的。
我只学了一年半的中文,大部分是自学的。如有什么翻译错的部分,请读者各位见谅。
中国の皆さんに毛沢東サンが好きだった漢詩が日本の愛国者の和尚サンが作った物だったって話を紹介します。

将東遊題壁     
釈 月性
(日本江户时代末期净土真宗派和尚)

男児立志出郷関
学若無成死不還
埋骨豈惟墳墓地
人間到処有青山

这首汉诗作者的释月性,他是打到了江户幕府政权的维新志士之内的一位,支持西乡隆盛先生的好友。
この詩の作者の月性サンは江戸幕府を倒した維新志士の一人で、西郷サンを支援した親友でした。

浄土真宗西本愿寺(京都市)派的和尚。
1858年06月21日去世
※跟西乡隆盛一起跳水自杀,可是西乡公失败了。
浄土真宗京都西本願寺派の和尚サンで1858年06月21日に西郷サンと無理心中して亡くなりました。
※西郷サンは失敗。


西乡隆盛先生是打到封建时代的政治,成功日本近代化了的明治维新的立功者。
西郷サンは封建政治を倒し日本の近代化を成功させた明治維新の立役者です。

到了现在还是许多日本人尊敬西乡隆盛先生所发言了的想法。
今でも沢山の日本人が西郷サンの言葉と考え方を尊敬しています。

①对自己(自分に対して)
敬天愛人
尊敬天皇爱老百姓去做事。
※相当于天下为公差不多一样的意思。

世の全ての人から貶されても落ち込まず、
无论是被世上全民看不起也不可以在心里消沉,
全ての人から誉められても自惚れぬな。
无论是被世上全民夸奖了也不可以得意忘形。

我が誠の足らざるを常にたずぬるべし。
经常要考虑自己在心里上哪里有缺点。

過ちを改めるにあたっては、自分から誤ったとさえ思いついたらそれで良い、そのことをさっぱり思いすてて、すぐ一歩前進することだ。
要改善自己的失败的事情的时候,只要自己认识自己失败就行了,要很快忘记那些一切,立刻开始前进新一步。

命も要らず名も要らず官位も金も要らぬ。
不要名誉,不要官位,不要钱。

②对人的态度(人に対して)
己を尽くして人を咎めず。
尽管自己努力下去,绝不批评别人。

我を愛する心を以って人を愛せ。
一定要像自己的事一样爱别人。

自己を許すが如く人を許せ。
自己失败的事情一样,不得责备别人失败的事情。

人を責めるが如く自己を責めよ
像批评别人的时候一样,一定要自己反省。

彼ら貧民の子弟こそ、真の国家の柱石である。
他们穷人的子弟才是真正的国家(将来发展)的柱石(动力)。

③对部下(部下に対して)
思い切ってやりなさい責任は私がとる
将当任务时要下决心干会发生的所有责任,可以我来负责。

功のあった人には禄を与えて、能力のある人には位を与えよ。
一定要对立功者加给薪水,一定要对能干的人给职位。

実はね~毛沢東さん日本リスペクトしてたから日本と中国は毛沢東さん主導で仲直りしたんですよ。でも反日中国人の人等はそれすら知らないですけどね~。
说实话,中国是毛主席的指导下开始和日本和平交涉了的。可是在中国还有一些年轻的抗日主义者之内大部分都不知道这个事情了。

毛沢東さんと、敵ではあるけど日本人にとっては恩人でもある蒋介石さんも日本に留学していたし、毛沢東サンを補佐した周恩来さんも日本に留学していたんだよね。
毛主席的对手蒋介石总统是日本人到了现在还是非常感谢的一位,他是在日本留学过的。还有周恩来首相也在日本留学过的了。

そんでもって、皆がリスペクトしていた孫文先生も横浜中華街に亡命して来てから東京で日本政府の支援を受けて生活していた時期が有る。
还说孙中山先生也是逃到横滨中华街亡命后一段时间受了日本政府的支援在东京生活过的。

小生は個人的に行った事無いけど、孫文先生と周恩来先生は実は靖国神社の御祭りが大好きだったって歴史事実も有るんだよね~。
虽然我个人还没去过靖国神社,可是孙文先生跟周恩来首相还在日本的时候喜欢去靖国神社的事是他们亲口说了的历史事实。

歴史って、自分で調べないと時代時代で見方が違ったりするからステレオタイプに成っちゃいけないのよ、日本人も台湾人も中国人も。
历史毕竟是各个时代都有不同的看法的了,所以无论是不是台湾人中国人还是日本人,大家都要注意是不是自己的思维有点靠刻板的思维。

まぁ~、日本・台湾・香港・中国大陸の各地域の人々は、実はお互いの文化をリスペクトし合ってたりするから、隣の某半島の人達みたいに成らないんだよね。
其实日本台湾香港中国大陆人等地方的住民都互相尊敬对方的文化,所以我们从古以来连打战的时候也不会发生像跟半岛邻居之间一样的问题。

日本武士の教養は漢学だったし、近代中国の歴史偉人達は西郷さん達近代日本の歴史偉人に一目置いていた訳だ。
日本武士重视的教育是汉族的文学,而且近代中华历史伟人都对西乡公等日本近代历史人物保有敬意的了。

我想大家都要学每个时代的价值基准不一定是一样的。
小生が思うに皆各時代で価値観が必ずしも同じでは無いと言う事を知って置くべきだと思う。
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2019年08月03日・・・
午前中ゆっくり色々と用事を済ませてから昼過ぎに夏らしい事をする為(ため)に車に乗り込み自宅を出発した。
本来は同行者がいるはずだったのだが、先月末に別の予定で急遽休みを調整して貰ったので3日は1人行動に成ってしまった。
目的地と言うのは、まぁ海だ。
神奈川県民でも余り知らない場所だが‟知ってる人は知っている”と言う位の知名度だが、とても綺麗な穴場の海水浴場だな。
今迄も過去記事で海水浴スポットをいくつか紹介して来たが小生がゆっくりしたくて泳ぎに行く場所を全部教えたくなかったので(笑)今まで紹介記事を書いてなかった。

そんな訳でとりあえず横浜横須賀道路に乗った。
先ずは何も食べていなかったので腹ごしらえに間食をしようと横須賀PAに立ち寄った。
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横須賀PA(下り)
※東急建設に因(よ)る瀬上沢西側と上郷深田遺跡の破壊開発計画に加担する様なGoogleMapの東急建設への協力ともとれる地図からの上郷深田遺跡や瀬上沢の蛍生息地の地点登録削除事件も有ったが、結局GoogleMapが一番優れているのでブログでは使って行きます。面目ない。
横須賀の銘菓と言えば“ふじみや”の‟梅どら”が真っ先に思い浮かぶのだが、残念ながら販路を拡大していない個人経営の菓子店なのでPAの様な場所では販売していないのだが、横須賀には“よこすか焼き”と言う美味しい“どら焼き”に似た物が有る。とりあえず、それとタコ煎餅を購入しエナジードリンクを飲みながら食べて腹を誤魔化した。
そして再出発。
この時既に14時位。三浦半島の御土産に直売所で西瓜を買うなら直行しないと遊んでからでは間に合わない時間帯だったので、先ずは小生お気に入りの農作物直売所の“ザ作兵衛”に向かう事にした。
ザ作兵衛は三浦縦貫道路を通ると三浦市に着いてから横浜方面に別の道を逆走しないといけないので、先ずは佐原インターで高速を降りてから野比を経由し津久井浜~三浦海岸と海沿いの下道を通らないと辿り着けない。なので佐原で降りてユックリ海岸沿いをドライブしながら三浦に向かった。
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ザ・作兵衛
ザ作兵衛に到着。
ここはもう10年近く通い続けてる石井農園さんの直売所。他にも高梨農園サンでも買う時も有るが、小生は海沿いの道が好きなので作兵衛に来る事が頻度的には多い。
マスコットの様な御祖母ちゃんが看板娘を勤めていたのだが数年前に骨折してから売り子は引退し、今はオカミさんと若奥さんが店番をしている。
小生の事を良く覚えて下さっていて、太ったり痩せたり物凄く体重変動が有るのに毎年色々と雑談したり余ってる野菜をサービスで少し付けて下さったり御世話になっている。
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で、三浦ブランドのシールが貼られている西瓜は御土産としても皆から喜ばれるので1000円の中玉を3つ購入したら今年も「いつもありがとうね~」と言いながら小生の拳よりもデッカイ巨大トマトを3つサービスで頂いてしまった。
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西瓜も丁度、若旦那が持って来た所だったので・・・
「美味しそうなの選んでください~」
・・・と小生が御願いしたら快く、念入りに厳選して選別して下さった。感謝。
後日談だがこの記事を書いている本日4日、姪っ子達と同行予定だった者に1個づつ御裾分けして自宅で1つ自分でも食べて見たが、今年食べた西瓜でやはり一番美味しかった!
石井さん、ありがとう!
そこから目的の“海水浴場”を目指して再出発。
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三浦の農道の風景はいつ見ても綺麗だね~♪飽きないよ。
小生が作家さんとかで場所を問わず仕事出来るなら三浦で生活したい。
農道と畑と森林の先には東京湾と房総半島か、もしくは相模湾と伊豆半島と箱根山系と富士山の風景を楽しむ事が出来る。
この時行く海水浴場は民宿も数軒ある昔ながらの大正昭和の雰囲気を留める良い海水浴場。
位置的には東京湾側なので、この写真の農道の先にも東京湾の海と房総半島の鋸山が見えている。
向かっている海水浴場の名前を明かすと“大浦海水浴場”と言う小さな湾だ。
バスも無い上に農道が入り組んでいて小生みたいに地図丸暗記してる人間でもないとカーナビが無い時代に行くのが難しくて、平成の最初の頃には少し寂れてしまったが最近、又少しづつ旅客が戻りつつ有る場所だ。
ザ作兵衛から暫く車を走らせ15分くらいだろうか?到着。
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駐車場の花壇越しに見る東京湾と鋸山の風景。
うん、夏だね♪
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駐車場から見下(お)ろすと漸く砂浜が現れる。
岸壁に隠れる様に存在する大浦海水浴場の風景はとても美しい。
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大浦海水浴場
・・・と先ずは大浦海水浴場で遊ぶコスト的な事を解説する。
駐車場は1日2000円、横浜中華街とかの駐車場より少し安い位。
駐車場を利用すると海の家の割引券が貰える。
駐車場利用者なら海の家は1人1000円。更衣室やシャワー料金も含まれる。海の家は2軒有るので便利だし、食事も出来る。
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小生は今回は北風丸サン。GoogleMapに登録無いのでリンク貼れないけど、多分、ネット検索すれば出ると思う。
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海の家だから法律の規制で常設不可能、なのでシーズンが終われば解体して保管できる構造に成っている。けど十分くつろげる。
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茣蓙(ござ)に“かき氷”の暖簾(のれん)、砂浜に海に山。なんとも日本の大正昭和の夏っぽい風景が嬉しい。小生は最近、由比ヶ浜や逗子に増えている様な音楽鳴らして騒いでチャラチャラした感じのクラブまがいの海の家を好ましく思わないので、家族連れでも安心してくつろげるような、こんな和な感じの海の家の方が好ましく感じる。無論、それは個人的な感想。
北風丸さんにカバンを預けて、スマホを持って先ずは海岸を散歩した。KIMG1529
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う~ん夏だね~♪

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この砂浜の奥に見えている岬の岩礁の方まで散策して来た。
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途中で木道が敷設(ふせつ)されていてもっと奥まで行けそうだったのだが・・・
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・・・北風丸にクロックスを置いて来て裸足でここまで来てたのでこれ以上先まで行くのは足元険しくなりそうなので引き返した。
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そして昼食をちゃんと食べていなかったので北風丸サンで“まぐろステーキ”を注文した。
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アレだな・・・
ステーキと書いて有るけど焼肉のタレ的な味。これはこれで御酒飲む人には良いツマミに成るだろう。
鮪の肉はとても美味しかったし、多分、三浦野菜のプチトマトがとても美味しかった。
この後、1時間くらい海水の中で泳いだり歩いたり半身浴したりユックリ時間を過ごしてから、この直ぐ近所なのに一回も行った事の無かった“近代要塞遺跡”に移動したのだが、そこに辿り着くのが少し大変だった。
訪問したのは遺跡だが、畑の中に突然現れる円形のコンクリートが砲台の遺構。
下の写真の“剱崎砲台跡”だ。
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剱崎砲台
ここね~、車で来る場所じゃないよ。
事前に地図見て舗装されてる道みたいだから凄くクネクネした農道みたいだけど「問題ないかな?」とか思ったら甘かった。三浦の地形良く知ってるのにナメてた。
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もうね~、そりゃ北条家が新井城に籠もる三浦勢を攻め落とすのに4年かかる地形なんだよね~。
城郭ファンにしか伝わらない表現だと思うけれど断崖と細い尾根と谷が連続する、天然の空堀と曲輪だらけ(笑)。
当然ながら農道も武者走り位細い。
・・・なので小生の車は横幅が狭いのだけど、砲台に辿り着くまで農道脇の枯れ枝でミラー擦るわドアー擦るわ悲惨な状態の上に、対抗からバイクや農業用のトラクターでも来たら完全に詰(つ)む状態だった。すれ違い何か出来ない。もうタイヤ2個分くらいで断崖にゴロゴロ車両もろとも転落して新聞記事に乗る(笑)。だからバイクの人しか来れないんだよな~。
そこに横着して車で入って来た小生は阿呆だな。
幸い、近くの第2砲台も見たら・・・
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・・・その近くに農作業車両の転回場所が有ったのでUターンして戻って来れた。
でも、この時既に日没も迫って薄暗くなり始めていたので戻り道は更に谷に落ちないか緊張感ハンパ無かった(笑)。
無事に?三浦氏の天然要塞(笑)を脱出して現代のアスファルト舗装の道路に復帰して、もう一つの目的地を目指した。1年振りの訪問かな?
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真直ぐ1.5km伸びる農道の先に夕陽が落ちる綺麗な場所。
以前にも紹介した黒崎だな。
以前の紹介記事
神奈川県内屈指の富士山遠望の景勝地・・・
黒崎の鼻は戦時中の要塞跡で米軍飛行場計画跡地

※タイトルクリックすると記事に飛びます。
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黒崎※三崎口駅前に真直ぐ延びる岬の農道
行って見たい人は京急で三崎口駅まで行って徒歩5分くらいで上の写真の道に辿り着くので電車が良いと思う。
黒崎
位置的にはコンナ感じ。
先に紹介した記事でを見て貰えると解るのだけど、ここは本来は冬に来た方が綺麗。
でも夏でも十分綺麗。
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この農道を真っすぐ進むと岬の先端、“黒崎の鼻”に辿(たど)り着くのだが、夏はもう秘密基地の様に藪に行く手を阻まれて入口が普通の人は躊躇してしまう状態。
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こんな感じに成ってる(笑)。
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もうプチ探検隊。
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臆せず進むと冬と違い富士山は見れないけど、夕日の綺麗な丘と相模湾を見る事が出来る。
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こんな感じね。
すっごい綺麗なのさ。この時は一人で来たので少し寂しい感じの夕陽に見えた(笑)。
そこで漢詩が思いついたので一首詠んで見た。
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題名:黒崎から太平洋を眺める

独来三浦俯大海
君不在此風潇潇
有花草香波鼓声
夕陽落岬萌似火
此刻依然午热同
遠望太平養生長

久良岐のよし作る♡
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まぁ2つの意味に成る様に仕込んでみてある。
遠望太平養生長は・・・
遠望太平=平和で有ります様にの願いと、遠く太平洋を望むの2つの意味。
同じ様に養生長には本来は“元気を出す”と言う意味なのだけど、そのまま“健康に長生き出来ます様に”の意味が有る。
冒頭は「一人で来て寂しいなぁ~」って意味だね。
読み下すと・・・

独来三浦俯大海
一人三浦に来たりて大海を俯す。
(一人で三浦半島(の黒崎)に来て海を見下ろしてる)

君不在此風潇潇
此(ここ)に君は在らず風瀟瀟
(一緒に遊ぶはずだった人がいなくて風がサワサワ吹いてるのが寂しく感じる)

有花草香波鼓声
草花の香りと波鼓する声有り
(夏の草いきれと波頭の岩礁に砕ける音が聞こえる)

夕陽落岬萌似火
夕陽岬に落ち火に似たり萌える
(落ちる夕陽に黒崎の岬が染められ燃えている様に鮮やかだな~)

此刻依然午热同
此の刻(とき)依然として午の熱に同じく
(夕方に成ってるのに真昼間みたいに熱いよ~)

遠望太平養生長
太平(洋)を遠く望み成長を養う。
(太平洋を眺めて元気を充電中ぅ~)

・・・みたいな?まぁ、小生別に漢文詳しい訳じゃないから間違ってるかもね(笑)。
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それから黒崎海岸を少し散歩して・・・

気分も落ち着いて「よ~し!」と成り。
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又、入口に戻った。
帰りに又、横浜横須賀道路のPAに立ち寄って夕食食べる事にした。
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横須賀PA(上り)
ここのPAは地味に三浦半島と鎌倉の特産品が揃ってて立ち寄る価値が有る。
この日は食べなかったが、横須賀海軍カレーパンなんか特に美味しい。
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食べたいのはサッパリした物だったので“三浦わかめ蕎麦”&“湘南ゴールドソフト”の神奈川縛りで夕食にした。
ワカメの香りがして美味しかったし、まぁ、そもそも立ち食い蕎麦も、ちゃんとした蕎麦も好きなので好物なのだが。湘南ゴールドソフトの方も果肉がシッカリ入ってて美味しかった。
外に出ると丁度、PAから花火大会の打ち上げ花火が見れた。
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結構大きく見えたのと方角的に横須賀港で花火大会が有ったのかな?
ついでに追加の御土産に鎌倉ハムのポークジャーキーを購入した。
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まぁ、何だかんだ、訪問先は少なかったし一人行動で寂しかったけど、良い息抜きに成ったかな?

では、今日の休日雑記はここまで。
ブランク有ったのに小生のブログ記事を読んで下さっていた皆さん、ありがとう。

では又、少しづつ書いてくのでよろしくお願いします~!





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七月雨乍晴
举头望天地
阳光穿云中
彩云萌风清
美哉君故郷

作:久良岐のよし
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7月の雨は降ったり止んだりして
頭を上げて見ると
日の光が雲の合間から差し込み
萌えて彩雲となり風も爽やかだ
君のふるさとは綺麗だね~。
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中国の知人の故郷の写真を見て一句詠んでみた。
※現代日本人だし教養無い小生の適当に詠んだ古体漢詩だから色々変でも気にしないでね。

まさかのblog復帰第一弾が自作漢詩でした。しかも朝早いのに寝不足確定。
まぁ~、週末に妹と友達と一緒に遊ぶ予定の時間を妹と友達が好き勝手に時間希望を変えまくり・・・
「何だかなぁ~(´。•ㅅ•。`)
・・・と思ってたら目が冴えて眠れなく成ってしまいました。
知人の故郷の写真が綺麗だったので一句詠んで見た次第。




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午前中に母と二人で義祖母の御墓を掃除してきた。
御正月に会いに行ってあげられなかったからね~。
お婆ちゃん、血が繋がって無いのに本当の孫同然に可愛がってくれて本当にありがとうね~。
家族で一緒に川崎大師に御参りしたり、八幡橋の八幡様御参りしたり、緑区にハマ梨の果樹園に梨狩りに行く時にいつも買ってくれたビスコかコアラのマーチかヨーグル、飽きてたけれど嬉しかったよ~。

昼寝して起きたら夕方に海と夕陽を見たく成った。
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由比ヶ浜、昔は由比ヶ浜だった材木座、その海岸に聳える砦跡だった住吉城塞跡に建つ正覚寺とその城址の寺院の更に奥にひっそりと佇む住吉神社を御参りして海と夕陽と富士山を眺めて来た。
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この風景が見える住吉城址は神奈川県の戦国時代を代表する武将で尊敬する先人でもある北条早雲公こと伊勢盛時公の小田原北条家と三浦義意公の三浦一族の激戦地に成った場所だ。
丁度、鎌倉郡と三浦郡の境目、つまりこの城を起点にして三浦半島に入る。
住吉城址と和賀江島 久良岐のよし
ここを攻め落とされたら三浦家は戦略敵に情況挽回困難に成る場所で、正に海の断崖に聳(そび)え立つ城のまま❝瀬戸際❞の城でもあった。そんな城だから相模の大名、佐原三浦家でも重要な武将、三浦道香公の居城だった。三浦道香公は当主の三浦道寸公の御実弟で小生の尊敬する武将の一人である三浦義意公の叔父上だった。
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しかし伊豆韮山城に隠居した北条早雲公の跡継ぎの小田原城主北条氏綱公は戦国時代初期に置いて攻城戦を得意とする屈指の武将で、この住吉城に至るまで関東最大級の大城郭であり湖沼に浮かぶ丘の城だった伊勢原市平塚市に跨る三浦家の岡崎城攻略を皮切りに、佐原三浦道寸公の実家の扇谷上杉家の大城郭、伊勢原市糟屋舘を攻略。更に糟屋舘や岡崎城や小田原城よりも巨大で堅固な大庭城も攻略し三浦道寸公を三浦家最後の拠点にして絶海の堅城新井城に追い詰めた。そして4年の包囲攻城を経て新井城は落城する。
住吉城の城名恐らく古代から存在したであろう正覚寺裏の住吉神社が存在した事に由来する。
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正覚寺の参道を登る。
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住吉山 悟眞院 正覚寺
ガラス戸で覆われた本堂を参拝し、生け垣の向こうを右手に折れ墓地を抜ける。
すると隠し道の様に住吉神社の参道が現れる。
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人の往来が途絶えた今、映画のロケ地にも使われそうな、神様の式神が帯剣して出迎えて下さりそうな雰囲気の漂う神秘的な神社。誰も参拝に来なく成ってしまったのでひっそりとしている。
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住吉神社(住吉城城名由来の古社)
でもこの神社には最低でも鎌倉時代に人の往来の在った証拠が有る。
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矢倉、納骨穴も確認出来る。
ここに船の往来の安全と土地開拓を見守る住吉神社が開かれたのは目の前が海で古代の街道だったからだろう。
そして城を築くのに相応しかった場所で有る事も湧水が有る事から解る。
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今では大切にはされていない神社だが、ここでは鎌倉時代や室町時代くらいまでは雨乞いの神事も行われたかもしれない。
城を降りて嘗(かつ)ての城壁の役割を果たしていた断崖絶壁を下から仰ぎ見る。
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古代東海道:住吉要害直下の切通し(廃道)
何回かここ住吉城址の❝古代❞の事を記事に書いた事も有るが、この城址下の廃道の切通しが古代東海道と考古学的に考えられていたのだが神奈川県と逗子市が交通封鎖してしまい日本武尊が通ったかも知れない古道はいまでは鬱蒼とした雑草に覆われ往古と同じ人の往来は絶えた。
この雑草の生い茂る廃道の上、崖の壁面にも大潮の日や台風の日も想定された恐ろしく幅の狭いとってもじゃないけど渡る気のしない切通しが2本開削されているのが解かるだろうか?実際に昔の写真にも乗っている道なので、あの崖の細道を人が往来した様だ。
・・・仮に現代、フェンスで通行止めに成っていなくても高所恐怖症気味の小生には無理だ。
そこから小坪飯島公園の海辺に降りて来た。
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小坪飯島公園小坪飯島公園の埋め立て地の突端からは綺麗に相模湾の由比ヶ浜の海~稲村ヶ崎~江ノ島~箱根山系~富士山が見える。
2年前、ここで地元の女子高生2人が夕日と富士山と一緒に写真のモデルに成ってくれたのを思い出した。
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あの子達は元気に大学生に成って頑張ってるだろうか?きっといつまでも親友で交流が続くんだろう。
お互いに子供を産み、御互いに家族で交流する様な、そんな末永い友情を育んで欲しいと思う。
昨日2019年の正月04日は雲は多かったが、それなりに良い写真が撮れた。
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1人は寂しいけれど少し爽やかな気分に成った。
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源実朝公も寧波に渡りたくて和賀江島で船を造船させて度々見に来ていた美しい風景、小生は鎌倉と横浜を行き来して今と過去を行き来しながら生きている・・・
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やっぱり歴史と綺麗な景色が好きだ~。
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冬凪に偉人も眺めし由比の富士
吾今に生き往古を活かす
作:俺氏
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冬望
作:俺氏

冬和風度由比濱
故人自此望寧波
海波在夕陽下萌
彩雲散歴歴富士
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ー自作の漢詩意訳するとこんな意味ー
冬望    作:俺氏
(冬に望む)
真意:厳しい時の細やかな望み。

冬和風度由比濱 
(冬、由比ヶ浜に優しい風が吹き渡る)
真意:厳しい情況でも鎌倉に来て景色や文化に触れると落ち着く。

故人自此望寧波 
(昔の人は此処から遠く寧波の海を見た)
※昔の人=源実朝公
真意:源実朝公は家臣達が殺し合い謀略飛び交う政権を嫌い、自ら地位財産名誉を捨て、此所の和賀江島で船を建造し寧波に行き南宋に亡命し個人として健やかに過ごす事を願って度々海を見に来ていた。

海波在夕陽下萌 
(海波は夕陽の下で萌えている)
真意:夕陽に照らされた青い海が緋に染まる様が、自分の落ち込んだ気持ちを明るくしてくれる。

彩雲散歴歴富士 
(彩雲も散り富士山もよく見える)
真意:綺麗な雲に隠れていた富士山も風に雲が散りハッキリと見えて来た様子が、モヤモヤした気持ちを吹き飛ばしてくれる。

源実朝公と自分は同じ鎌倉の文化や風景を見てる時代も立場も感じ方も違うけど、望みはささやかで同じ、二人とも人として健康に幸せに成りたいだけ。
健康で心休まる生活と信頼出来る人と家族が欲しい。
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夕陽を見て少し物悲しくも爽やかな気分を満喫して車に乗り込むと家路に着いたのだが、そう言えば今年は鶴岡八幡宮の源頼朝公や源頼家公の御神霊に新年の御挨拶を申し上げて無い事が気にかかり、大町の辺りで鶴岡八幡宮の前身の元鶴岡八幡宮=由比若宮が有る事を思い出し、ついでに以前から気に成っていたJR横須賀線の踏切近くに在る辻薬師堂にも御参りする事にした。
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辻薬師堂CIMG7904
往古は木食五行上人様も御関わりに成られた場所の様だ。未だ詳しい事は調べていない。
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それなりに大きな寺院が前身寺院だったと言うのは境内の掲示物で判った。
関わった木食上人と言うのは珍しい御方で仏僧でありながら、どの宗派にも属さず、仏像彫刻を極めた事で僧侶として高名に成られた方なので、今でいえば僧侶兼仏師と言った所だろうか?
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色んな神様の石祠も有り、神仏習合の場所として開かれた事が解かる。
この御寺が衰退してしまったのは、逆にどの宗派にも属さなかったせいかも知れない。
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掲示によると元々、この辻薬師堂に祀られている薬師如来様はは源頼朝公の建てた大寺院永福寺の塔頭の様な存在の僧坊に藤原一族の二階堂行光によって造営されたらしい。
現在の辻薬師堂は一見すると真っ暗で何も見えず正直余り期待せずに御参りしたのだが、御賽銭いれたらビビった!
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堂内が点灯し中の立派な薬師如来様と脇侍仏様がライトアップされて参拝者の小生に御姿を見せて下さった。う~ん粋な演出だね~!
一応、これからも辻薬師堂が多くに人に大切にされますように~とお祈りして来た。
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線路を渡り10mもしない所から由比若宮=元鶴岡八幡宮=鶴岡八幡宮元宮に入る参道に辿り着く。
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ここも古来の規模で社殿は大きくは無いが、関西ら八幡様の御分霊を源頼義公が勧進して開いた本当に本当に由緒正しい八幡宮だ。源頼義公の時代は鎌倉市街も材木座上りは海や入江の干潟だったので、鶴岡八幡宮元宮は治水・海の神様として高潮除けに勧進されている事が地理から良く解る。
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正月だったのでいつもやってない社務所が営業していて、販売員のお姉さん方と少し雑談をした。
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由比若宮=元鶴岡八幡宮ここが源氏の征夷大将軍への道の第一歩としても過言では無い由緒正しい神社だったりする。
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手水社は普通。
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でも軍神の異名を持った源頼朝公の四代御先祖に当たる源❝八幡太郎❞義家公が旗を立てた場所でも有ったりする。
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何にせよ由緒正しい場所で、関東地方や東北を含めた東日本全体の八幡信仰の起点はここで、ここから鎌倉武士団によって其々の国へ八幡信仰が拡散された歴史を辿れる場所にも成っている訳だ。
因みに近代、この場所には芥川龍之介の家が有ったそうだ。
だから明治の文豪が好きな人にも大切な場所かも知れない。

今回は訪問件数こそ多く無いが、それなりに充実した時間を過ごせた。


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曽於太白峰前住

数到仙遊寺裏来

黒水澄時潭底出

白雲破処洞門開

林間煖酒焼紅葉

石上題詩掃緑苔

惆悵旧遊復無到

菊花時節羨君廻

白楽天
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例年の秋の三渓園は写真の様に綺麗ですが今年は台風の塩害で紅葉は見応え成さそうですね~。
他はどうでしょうね~?
築地の浜離宮恩賜公園とか・・・
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世田谷の豪徳寺とか・・・
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山下公園前の銀杏並木とか・・・
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鎌倉市鶴岡八幡宮の白幡神社の紅葉とか・・・
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鎌倉市浄妙寺の紅葉とか・・・
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鎌倉市華頂宮邸とか・・・
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伊勢原市大山寺~大山阿夫利神社の紅葉夜間ライトアップとか・・・
大山夜間ライトアップ 公式拝借 久良岐のよし
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秦野市の震生湖とか・・・
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秦野市弘法山とか・・・
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南足柄市の大雄山最乗寺とか・・・
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あと箱根とか・・・
2018年度、どこも神奈川県内は海が近いから例年より紅葉は台風の塩害で厳しいかもな~。
もし、余り影響受けずに見れたら嬉しいな~。
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夏に成ると神奈川県三浦半島は海岸の岩場に群生する山百合があちらコチラで綺麗な橙色の花を咲かせ、爽やかな海風と共にじとっとした熱気も吹き飛ばしてくれます。
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作:俺氏
夏曙三浦半島
岩畔風有清香
山百合色灼灼
宜波尖敲岩聲
似是海客夭夭 

※読み下し
夏は曙(あけぼの)三浦半島

岩畔風有清香
岩の畔(ほとり)に風有りて清香(せいこう)

山百合色灼灼
山百合、色、灼々(しゃくしゃく)とし

宜波尖敲岩聲
波尖(はせん)、岩を敲(たた)く聲(こえ)宜(よろ)し

似是海客夭夭
是(これ)海客(かいきゃく)の夭夭(ようよう)たるに似る
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(意訳)
題:夏曙三浦半島
夏の三浦半島の早朝

岩畔風有清香
磯には風が吹き清らかな潮の香りがし

山百合色灼灼
情熱的に萌える色の山百合が沢山咲く

宜波尖敲岩聲 
それに岩を打つ波の音と良く合い美しい

似是海客夭夭
これが海水浴にビーチに来てる若い衆みたいに見えるんだな~。
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今年の夏は2年ぶりに、この娘達を眺める為に早朝散歩するべく、三浦半島の旅館に宿泊します。
江ノ島は又、日帰り海水浴に通おっかな?

あ~そうそう。
中年にさしかかり今更ながら身長が3cmも伸びました、ビックリ!
体脂肪率と体重も下り体重78kg体脂肪率12.7%に成りましたが筋肉量は相変わらず65kg、骨格筋肉量も39.5kgをキープしています。
身長が伸びたのは恐らく脂肪が減り背骨の椎間板に懸かる重量が減り、背筋力腹筋力も強化されたので身体を支える骨格の軟骨の圧縮が軽減されたからなのかな?
他に理由が思い浮かばない。

では、又、ちゃんとしたブログ記事て御会いしましょう♪
mixiチェック

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