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カテゴリ:銭湯・日本建築・西洋建築 > 日本建築

清水湯
鎌倉市街地で現存唯一の日本建築老舗銭湯
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☞銭湯の個性と周辺見所 (・◡・)♫  
 壁の九谷焼の金魚絵が奇麗◎
 浴室の集合蛇口が珍しい◎
 昭和30年2月16日完成の建物◎
 築60年以上なのに建物奇麗◎
 材木座海岸徒歩8分海水浴帰り◎
 近くにオシャレなレストラン◎
 昔ながらの天井の高い銭湯建築◎
☞施設・備品関連 (•ω•)ノ      
【定休日有り】
※月水金が定休日で要注意!
【入浴料】
 大人470円
 子供200円
 幼児100円
【アメニティー】
 シャンプー等は備え付け無し
 使い切りシャンプー類販売有り
 レンタルのハンドタオル有り
 飲料販売有り
【電車】
 JR鎌倉駅~徒歩14分
【  車  】
 3台有り。
 徒歩6分圏内に有料駐車場複数。
――以下 写真と詳細( ՞ਊ՞)ʃ♪だよ⤵――
——外観——
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——玄関——
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——脱衣所——
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——浴室——
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——壁絵——
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鎌倉の観光地化した旧市街地では唯一現存する銭湯。
築60年以上経ち、修繕もされてないのに奇跡の無劣化!
梁も天井も奇麗な状態、天井高くくつろぐ。
定番の富士山や西伊豆の壁画ではなく、涼やかな九谷焼の日本画の金魚が美しい~♪
材木座海岸からも徒歩圏内。
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材木座海岸から徒歩5分のリビエラ逗子マリーナ横に所在する小坪飯島公園から見える由比ヶ浜~稲村ヶ崎~江ノ島~富士山と夕陽は絶景。
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小坪飯島公園
材木座海岸での海水浴や小坪飯島公園で景色を見た帰りに立ち寄っても疲れがとれて最高の休日に成る。
しかも清水湯の直ぐ近くには以前ブログで紹介したオシャレなレストランBAR、ルアーズもある。

この他にも未だ記事にはしてませんが高速参勤交代のモデルに成った内藤家の本家の菩提寺でもありシンゴジラのロケ地の浄土宗大本山の光明寺や・・・
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天照山 蓮華院 光明寺
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ここは奈良か京都か?と思う大寺院がこんな海水浴場の近くに有るのを結構知らない人も多いが、御朱印ファンや歴史好きには超有名な寺院。残念ながら2020年は御本堂は修繕改築中で数年間入れないが、立派な山門や他の建物は見学できるし御朱印も拝受できる。当然、シンゴジラでロケハンされた裏山の展望台からの景色も見れるし、寺務所で御願すると内藤家の殿様達の御廟所に入る為の鍵も貸与して貰える。
・・・材木座海岸や光明寺の直ぐ近所に、とっても日本蕎麦の美味しい“そば処 土手”もある。
周辺の観光と合わせて、〆に清水湯に入って帰ると良い休日を過ごせる。
小生は春の間、しょっちゅう横浜円海山から鎌倉大平山の山中の古道を20km散歩して廻ってましたが、清水湯さんの営業日には毎回入浴してサッパリしてから鎌倉駅から電車で帰り、有意義な時間を過ごさせて貰いました。






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仲乃湯
凄い宮大工が建てた銭湯でドラマやCMのロケ地
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☞銭湯の個性と周辺見所 (・◡・)♫  
 人間国宝の宮大工が手掛けたよ◎
 町の銭湯なのに露天風呂有るよ◎
 外国の温泉ファンにも有名だよ◎
 色んなドラマCMのロケ地だよ◎
 子供客はクイズで景品貰えるよ◎
 芸者の神様の中村八幡宮近く◎
 有名な横浜橋商店街の近くだよ◎
☞施設・備品関連 (•ω•)ノ      
【入浴料】
 大人470円
 子供200円
 幼児100円
【アメニティー】
 シャンプー等は備え付け無し
 使い切りシャンプー類販売有り
 レンタルのハンドタオル有り
 飲料販売有り
【電車】
 市営地下鉄阪東橋駅~徒歩12分
【  車  】
 駐車場無し。
 中村東公園周辺に有料駐車場複数
――以下 写真と詳細( ՞ਊ՞)ʃ♪だよ⤵――
——店構え——
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——入口——
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——番台の彫刻——
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——超かっこ良い天井——
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——更衣室の様子——
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仲乃湯脱衣所 公式から拝借 久良岐のよし
——浴室(内風呂と露天風呂)——
仲乃湯浴室 公式から拝借 久良岐のよし
仲乃湯露天風呂 公式から拝借 久良岐のよし
——昔ながらの瓶入り飲料——
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ここの建築は物凄く見応えが有る。人間国宝に成った宮大工が彫刻を施した番台や巨大寺院の様な天井、ファンから寄贈された扁額が掲げられ、もう超有名な神社に来た様な雰囲気すら有る。
スーパー銭湯しか知らない平成世代は圧倒されるかも知れない。箱根のかなり有名な温泉旅館じゃないと太刀打ち出来ない様な立派な建物。
更に住宅街の銭湯でありながら露天風呂まで有る。なのに昔ながらの銭湯でゴチャゴチャしたスーパー銭湯には無い安らぎと癒しが有る。横浜市内最高の銭湯と言っても過言ではない。
こんな場所をTV業界が放って置く訳も無く、多くのドラマやCMのロケ地に成っている。
【ドラマ】
笑点ドラマスペシャル桂歌丸
・・・泉ピン子、尾上松也さん、水上あさみさん
世界一難しい恋   
・・・嵐の大野君、モデルの波留ちゃん
【TV】
YOUは何しに日本へ
NHK夕時ネットワーク
安らぐ町の銭湯なのにドラマのロケ地として来訪すると非日常感も味わえる。
阪東橋駅から徒歩で10分と交通の便も良く、来る途中には横浜市で一番有名な商店街の横浜橋商店街が有るので、買物の延長で来る事が出来る。
この立派な銭湯が建てられる文化素地が実は周辺には昭和初期まで存在していて、現在の横浜橋商店街一帯は幕末~昭和初期まで発展し続け、その過程で永楽遊郭や真金町遊郭街が形成され立派な日本建築を作る宮大工達と縁の深い土地柄も有りました。実は笑点で司会を務めていた桂歌丸さんが真金町の遊郭の御曹司(おんぞうし)でした。そんな歴史が有るので付近には芸者と御金持の旦那衆が多く参拝し新橋からも芸者衆が来る程の金運と芸事と女性守護の神社として崇敬され第2次世界大戦の横浜大空襲まで巨大な社殿を誇っていた中村八幡宮も存在します。

御朱印収集で参拝に来られた方は是非、昔の中村町~真金町の文化の名残を仲乃湯に求め入浴行ってみて下さい。良い休日に成る事間違い無し!
この中村八幡宮を戦時中迄守っていたのが、旧鎌倉郡~三浦郡の実に六十余の神社の宮司を務めた関家だったのですが、この八幡様は現在でも女性や芸事や商売の守神として崇敬されているので、八幡様は治水と破魔と地鎮の神様ですが、女性には多くの強い御利益が有るかも知れませんね。
さて、仲乃湯が近くに在った芸者が行き交い御金持の旦那衆が訪れた遊郭の歴史や、庶民の生活を支える有名商店街の変遷と文化素地が有って成立した地域の素敵な銭湯だと言う魅力は伝わったでしょうか?


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常楽湯
100年超の歴史を有する老舗銭湯
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☞銭湯の個性と周辺見所 (・◡・)♫  
 100年以上の歴史が有るよ◎
 貴重な昔ながらの薪の沸かし湯◎
 今では貴重なボットン便所(笑)◎
 壁画は沼津市久連辺りの駿河湾?
 タイルのモザイク壁画も可愛い◎
 大船駅前の商店街が有り面白い◎
 大船フラワーセンター徒歩圏内◎
 大船観音寺の徒歩圏内◎
 北条綱成公開基龍寶寺徒歩圏内◎
☞施設・備品関連 (•ω•)ノ      
【入浴料】
 大人470円
 子供200円
 幼児100円
【アメニティー】
 シャンプー等は備え付け無し
 使い切りシャンプー類販売有り
 レンタルのハンドタオル有り
 飲料販売有り
【電車】
 JR大船駅~徒歩10分
 富士見町駅~徒歩05分
【  車  】
 駐車場無し。
 近所に有料駐車場有り。
――以下 写真と詳細( ՞ਊ՞)ʃ♪だよ⤵――
——店構え——
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——番台と建物——
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——浴室と壁画——
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大船駅から徒歩10分、湘南モノレール富士見町駅から徒歩05分と交通の便が良い。
周辺が田園で湘南モノレールが開業するより遥か以前の100年前には既に開業していた。
常楽湯の建物も昭和初期の建築で現代では見る事が少ない貴重な“ボットン便所”も有る意味見所かも知れない(笑)。
昔ながらの番台が有り、昭和の古き良き銭湯の姿を今に残す。
ここの売りは現在では少なくなった薪を燃やした火力による沸かし湯で、ガスや燃料で沸かす湯と異なるので銭湯ファンに人気。主な入浴客は地元民だが、遠方からも入浴客が来る。
鎌倉の小町通り等は観光地なので閉店時間も夜早く19時頃だが、乗り換え拠点の大船駅周辺は住宅街&昔は松竹撮影所が有った地域密着ながら大きな商店街なので居酒屋も多数、鎌倉観光の帰りに途中下車して大船で飲んで帰ったり、御惣菜を御土産に買って帰るのに丁度よい。
昔は鎌倉駅前にも銭湯が有ったが今では材木座の清水湯のみ、大船駅近くに在る本当に昭和のまま100年の歴史を有する“常楽湯”で鎌倉観光の汗をサッパリ流して帰るのは心地良い。
大船駅構内には昭和の映画スター達が愛した老舗の鎌倉大船名物“鯵の押し寿司”を売る大船軒が今も営業している。
鎌倉観光に遠方より電車で来られている方には旅の御供の駅弁にイチオシ。
大船駅前の商店街には横浜~鎌倉に展開する鶏専門店の“ハマケイ”があり名物の鶏1羽丸揚にした“カブト”等も売っているので良い御惣菜土産にも成る。
又、近くに日比谷花壇大船フラワーセンターや戦国時代南関東最強の武将、北条綱成公の菩提寺た龍寶寺と玉縄城の資料館である玉縄ふるさと館、大船観音で有名な大船観音寺も有る。
大船フラワーセンターで季節の御花を見たりピクニック帰りに立ち寄るにも良い銭湯。

さて・・・
常楽湯の魅力伝わったでしょうか?

今後は銭湯の情報が有る程度集まったら、コレ⤵
この穴場海岸一覧の記事みたいな感じで横浜市と鎌倉市を中心に昔ながらの銭湯一覧に編集したいと思います。
少しづつ書き足しますが、皆さんの旅の助けに成れば幸いです。
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横浜市金沢区の八景島シーパラダイスや鉄腕ダッシュに度々登場する柴漁港の近くには金沢園と言う元料亭が存在します。この金沢園は昭和四年(1929年)に桜木町から移転して来た料亭で、その開業年は何と大正五年(1916年)に遡(さかのぼ)ります。
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その金沢園は昭和~平成を通じてずっと金沢区柴で営業を続け、大正時代に桜木町で建設され昭和四年に現在地に移築された建物は文化財にまで成りました。
そして平成27年、旅館喜多屋としてリニューアルオープンし、料亭時代の厨房を利用してオシャレなcafeとしてもランチタイムやディナータイムに営業を開始しました。
昔は料亭内から海が一望で来た景勝地で、その景勝は鎌倉時代に清朝(満州族=女真族の愛新覚羅家)によって滅ぼされた中国の明帝国から日本に亡命して来た東皐心越によって「金沢八景」と愛称で呼ばれた程の絶景が金沢区柴~乙舳~小泉(釜利谷周辺)~六浦~野島~内川橋~平潟湾の一帯にかけて江戸時代には大変に多くの観光客で賑わいました。
そんな訳で現在、喜多屋と成っても店の建物は文化財として価値が有り美しい造りで宿泊客を持てなし、cafeでの食事を楽しみに来る御客様には昔の薪を焚いて火を起こす窯で調理していた時代の煤(すす)が磨き込まれて黒光りする雰囲気有る旧厨房で食事を楽しむ事が出来る、とてもオシャレな店として復活しました。
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駐車場には昔の料亭時代の名残の池と石橋も有ります。
さて、客は先ず暖簾(のれん)をくぐり下の写真の玄関で靴を脱ぎます。
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靴を脱ぎ振り返ると料亭の頃のとても煌(きら)びやかな掛け軸や壁の欄間が御客様を出迎えてくれます。
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この店は予約無くてもランチを食べる事が出来るので、八景島で遊んだり稱名寺を散歩する際に御薦めです。
玄関から中に入り右手に進むと旧厨房が“cafeぼたん”として営業しています。
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何と目の前で料理をしている所を見ながら食事が出来ます。これは外国人の御客様に好評でしょうね。
日本人でも見ていて楽しいし、料理が好きな御子様なんかを連れて行けば良い影響を受けるんじゃないでしょうか?
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メニューはオシャレだけど価格はとてもリーズナブル、御子様ランチも有るので子連れのママさん達も安心して子連れ友達同士で来る事が出来ます。
まぁ…元料亭、今も旅館のレストランなので「ぎゃーぎゃー」と騒ぐ子等は連れて行くべきでは無いと思うし、逆にママさん達が日本人らしく子供を厳しく躾(しつ)ける良い機会にも成るかと思います。
小生は写真撮影に訪問したこの日は“国産地鶏の幽庵焼きオレンジ風味”の定食にしました。
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料理も和風に洋食のエッセンスを足していて横浜の開港以来の鎌倉武士文化と西洋文化のコラボを楽しむ様(よう)な献立が多いですね。
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この幽庵焼き、とても美味しかったです!
これにデザートのジンジャープリンが付いて1500円はとてもお得。
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食器も料亭金沢園から引き継いでいるそうで、とても美しい鎌倉彫の椀に汁物が入っていました。
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この写真を知り合いの博物館の女性職員達に見せたら「うわ~綺麗♪」と感心していました。
価格の話もしましたが、女性達が魅力を感じる御店としてどうやらコンセプトの確立に成功した様ですね。

さて、食事が終わり、館内を従業員の方に案内して頂く事が出来ました・・・
実は小生、この写真撮影の為の訪問に際し、1ヵ月程前に直接御挨拶に訪問し日を改めて館内の見学と写真撮影の申し込み、つまり素人取材の御相談にあがっていました。
・・・なので、今回の訪問で従業員の方に御話を通して頂き、食事後に旅館の客室としてリニューアルした元料亭客室部分で空室チェックイン前の部屋を見学させて頂く事が出来ました。
※見学したい人は訪問前に事前に客室の見学の可否を相談して下さい。小生の場合は事前に交渉しアポをとっています。通例だと思わないで下さいね~。
先ず案内されたのが1Fの客室に通じる廊下。
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ともても風情が有る。
下は金沢区野島の伊藤博文公金沢別邸。
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やはり明治に建てられた同じ金沢区の野島公園にある伊藤博文公の別邸に少し似ている印象を受けた。
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1Fには2人部屋の客室。元々料亭だったので書院造だ。
昔の日本人は男性平均身長も160cm位で体躯も小柄だったし、これで十分に広かったのだろう。
書斎といった印象を受ける。
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通路に戻り奥に進むと厠(かわや)すなわちトイレが有る。
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ここも大正モダンな和風建築がそのまま活用されている。勿論、必要な部分は現代の物に成っている。
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2Fに上る階段の奥にも客室が在る。
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うん、良い感じ。今度関西や台湾の友達が遊びに来たら横浜市内の味気ないホテルじゃなくて、ここの喜多屋か三浦の民宿やペンションか横須賀の米国軍人が宿泊するホテルに泊めてあげよう。
きっと喜多屋に泊めてたら皆、横浜にこんな場所が有るのかと喜んでくれるだろう。
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こちらは少し広めの部屋。3人部屋の様だ。
昔はこの部屋で4~6人位で宴会をやったのだろう。
料亭時代から宿泊も出来た様で、風呂も大正の素敵なタイル貼りの浴室だった。
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まぁ、本格的な旅館では無かったので、2つ有る浴室の内のコチラは大浴場ではない。
窓のガラスは大正時代の色ガラスだそうで、何だか教会のステンドグラスの様で日光を取り込んで素敵な淡い色に光っている。
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コチラも窓のガラスが美しい!
浴室はもう一つ有り、こちらは少し広い。家族4人でも同時に入れそうだ。
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色が暖かい。
大山阿夫利神社の参道に多く有る宿坊も大正時代や昭和初期の再建の場所が多いが浴室はやはりコンナ感じだ。富士山の溶岩で浴槽周辺を装飾されタイル張り。
浴室を出て階段を上る。
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階段の上からは昔は海が見える絶景だった大広間が存在する。
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とっても!立派な部屋。
昭和の映画スターの勝慎太郎さんが良く宴会をしていた京都の老舗すき焼き店の三嶋亭の大広間もこんな感じだった。一昨年三嶋亭で友人と食事をした際に店の御厚意で店内を見学させて頂けたのでたまたま知っている。
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部屋の周りも雰囲気が良い。
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現在では目の前にマンションが建ってしまい、更にアフォの横浜市が景勝地だった海を埋め立ててしまい眺望は失われたが横浜市内に在って豊かな緑が残っている御庭。
これも外国人の観光客には好まれるだろう。
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大広間の書院造りは大名屋敷に負けない程に立派だった。
さて、店の解説はここまでにして、少し周辺の地理の解説をしようと思う。
…と、その前に店の住所と連絡先を紹介して置こう。

この喜多屋の前身の金沢園が料亭として栄えていた頃周辺の風景は景勝地として政治家や財界や多くの文化人に愛され、昭和の初期まで、その景勝は大半が残っていた。
その景観は素晴らしく小生の顕彰する戦国時代の関東最強武将、北条綱成公の家老だった間宮康俊公の親族が代々江島神社奥津宮別当を務めたのだが間宮一族の治めた江の島を愛した与謝野晶子サンや、高浜虚子が歌会を開いたり滞在されたりしていたそうだ。
その当時の金沢区の風景はこんな感じだった…
金沢地形図 久良岐のよし
…戦後の昭和に他府県カッペ移民役人だらけの横浜市に破壊される前の"日本屈指の景勝地"金沢八景の地形。
京都の天橋立(あまのはしだて)に瀬戸内海の風景を足した様な絶景が広がっていました。

残念ながら横浜市は現在の林文子市長を含め日本文化や武士文化や歴史に興味の無い極左派やヤクザの親類と交流に深い人物が市長を務める事が多かったり、県外からの移転者が市の役人として多く採用された弊害で神社仏閣を含めた宗教的な自然の境内地の価値や、鎌倉時代の武士や江戸時代の庶民や外国人から愛された景勝地を、建設利権の為に多く埋立て或(ある)いは破壊してきました。
昔、浮世絵師の歌川広重が乙舳帰帆(おっともきはん)や称名晩鐘(しょうみょうばんしょう)と言う絵で描いた美しい風景が昭和初期まで存在したり、源頼朝公が伊豆(静岡県三島市)の三嶋大社から勧進した御分霊を祀って開かれた瀬戸神社の鎮守の森の山も横浜市役所の役人達によって破壊されてしまいました。
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この風景は日本の名だたる歴史偉人達にも愛され、例えば近くの洲崎地域の龍華寺は前身寺院が六浦地区に在った頃、源頼朝公と文覚上人によってその景勝地を望む丘に御寺が開かれました。
新田義貞の鎌倉乱入等で新田軍等の放火と略奪の戦災に遭い廃寺と成った跡、横浜市と縁の深い菅原道真公の御子孫と関東最強の名軍師太田道灌公によって現在の寺町(洲崎)地区に龍華寺は復興されました。すると、その金沢八景の美しさは日本レベルで有名に成り北条早雲公、徳川家康公等が龍華寺に滞在され金沢八景の景色を楽しまれたそうです。
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鎌倉時代にも喜多屋の近くの金沢山稱名寺が鎌倉幕府の重鎮で執権も輩出した金沢北条家の邸宅に成り、後に邸宅は稱名寺として寺院化され現在に至るのですが、その景色も美しく江戸の市民が観光に訪れる場所の一つでした。そして、それ等の八ヵ所の景勝地として有名に成っていた風景を海の上から見た景色を歌川広重が絵にして“金沢八景”の地名は江戸から昭和初期まで南関東最高の景勝地として多くの人々の知る所と成っていたのですが…
戦後の横浜市役所に他府県出身の役人や、極左翼閥や非保守多国籍ヤクザと結託した役人や左派市長が横浜市を統治する度に不思議と海は埋め立てられ、金沢八景の景観は全滅しました。
そして海の公演も埋め立てられ、金沢園も商売が厳しくなった訳です。
この金沢区の埋め立てによる大景観破壊の被害、海の公園と八景島の建設による景観の悪化で客足も遠のいて、平成25年頃には経営がかなり難しく成っていました。そこを現在の喜多屋の運営会社さんが文化財と歴史を活かしてオシャレな店に復活させるプロフェッショナルな粋な企業だったのですが、その経営によって現在見事に復活した訳です。
同じ様な努力をされている西区の坂本龍馬の奥さんお龍さんが働いていた料亭田中家さんや、南区弘明寺の同じく料亭旅館で建築文化財に成るべき価値の有る中里温泉さんと3すくみで頑張って行って欲しいと思います。

本当に、この現在の喜多屋の運営者さんの努力は素晴らしいと思います。
そして料理も美味しい!
是非、この存在を皆さんに知ってもらいたく、お盆休み最後の週末に八景島や海の公園に訪れる人がいたら是非!ここでランチやディナーを召し上がれば良い思い出に成るので推薦させて頂きます。

今回金沢八景の解説で紹介した場所は過去に記事に書いていますので、ブログの「タグ」の一覧から興味の有るタグを選んでクリックして頂ければ関係の記事が出ると思います。

では、今回は喜多屋の解説でしたが、次回は金沢八景の地名の初出典と成った場所、能見堂と青ヶ台城の解説をしたいと思います!
では!又、次のブログ記事で御会いしましょう!
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2016年秋の横浜市中区の三渓園は今が今週(12月第1週~7日位までか?)が紅葉の見頃です。
過去にも解説記事を書いていますので、下に表示される“タグ”の中から“三渓園”をクリックして頂くと昔の記事を見て頂けます。

今回は2016年11月30日に撮影して来た三渓園の写真だけ列挙して置きます。
皆さん、是非、御散歩に出かけてみては如何でしょうか?
【はじめに】
横浜三渓園は、幕末~明治時代に活躍した横浜商人、原家(原財閥の当主)の私邸でした。
原財閥は現在の世界遺産である富岡製糸場、横浜銀行、ニューグランドホテル等の有名企業を運営し、生糸の輸出等を手掛けていた財閥です。
明治時代当時は明治政府唯一の失政、神仏分離令や一村一社政策と廃城令によって日本全国の神社仏閣が荒廃したり廃社や廃寺や御城の建築遺産がが風呂屋に買い取られ薪(まき)にされ、風呂釜の竃(かまど)の中で燃やされ世の中から消えてい行きました。
原財閥の当主達は、その広大な私邸、三渓園に当時、明治政府の宗教政策の失敗によって荒廃した神社仏閣を多く買取り邸内に移築させ保護しました。
近代において文化財保護の概念を理解していた稀有な一族だった訳です。
原三渓の代には住居でありながら市民に公園として自宅庭園を公開した事が三渓園の由来です。
原財閥は関東大震災で横浜市が壊滅した際に、私財を投じて市の復興を成し遂げた(横浜市の復興は国では無く原財閥の献身的自己犠牲による処が大きかった)義商の財閥でした。現代において、その様な商人は日本には皆無と言って良く、現代人にとっても手本とすべき人間像、企業像、商魂と言えます。
これは商人文化の先進地域、近江商人の理念や、日本の海運を支えていた淡路商人の高田谷嘉兵衛さんにも通づるところが有ります。

【以下建物と風景の紹介】
●大池と、旧燈明寺三重塔
燈明寺三重塔は室町時代後期1457年の建築。京都府木津川市の廃寺灯明寺から、大正時代に原財閥によって保護され1914年に三渓園に移築。
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●大池横の椿
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●旧西方寺の御門(山門)の横道の紅葉
西方寺山門は江戸時代中期1708年頃の建築。
西方寺は京都市東山区の寺院。廃仏棄釈で荒廃した際に原家が山門を引き取り移築、保護した。この道の右手に西方寺の山門と、その奥に白雲邸が在る。
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2016年11月30日現在はまだ紅葉は5分色付きと言う所、12月中旬頃まで楽しめそうだ。
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●臨春閣と紅葉
臨春閣は江戸時代初期1649年の建築。
元は紀州徳川家が和歌山県の紀ノ川の河畔に建設した別邸だった。廃藩置県による紀州藩解体による荒廃の危機から原家が買い取り三渓園に移築保護した。元は紀州徳川家の殿様が紀ノ川沿い春の景色を楽しむ場所だったが、三渓園では秋の紅葉の映(は)える場所に成っている。
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●旧天瑞寺寿塔の覆殿(おおいでん)の横の紅葉と臨春閣
天瑞寺寿塔の覆殿は安土桃山時代1591年建築。
天瑞寺は京都市北区に在る臨済宗の大寺院、大徳寺の塔頭寺院。寿塔と覆殿は豊臣秀吉が母の長寿祈願に建設奉納した建物。
明治時代1905年に移築保護。
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下は臨春閣の前から見た天瑞寺寿塔覆殿と横の紅葉。
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●月華殿の下、臨春閣横の橋と紅葉。
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●旧伏見城内御殿、月華殿の前の紅葉。
安土桃山時代後期~江戸時代の変遷期1603年に伏見城内に建築された御殿。
月華殿は徳川期の伏見城内に建築されていた建物で、将軍(徳川家康公や徳川秀忠公)が京都に滞在する際に諸大名に謁見する座敷だった。
大正時代1918年に移築保護。
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月華殿周辺の紅葉以外の広葉樹は枯れてしまったが、紅葉はこれからが見頃。
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●旧廃寺、心平寺 天授院(地蔵堂)
臨済宗南禅寺別格本山鎌倉五山の第一位、北鎌倉建長寺の塔頭寺院、旧心平寺廃寺の地蔵堂で江戸時代初期1651年の建築。
鎌倉五山の寺院は、鎌倉幕府以来、歴代住職の任命権は征夷大将軍のみだった格式を持つ。
現在では心平寺は遺址としてだけ名が残る。
大正時代1616年に移築保護。
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まだまだ、ここの紅葉は楽しめそう。
●旧二条城 聴秋閣
京都市中央区に在る、二条城の御殿の一部だった建築遺産で江戸時代初期1623年の建築。
二条城は徳川将軍家が京都での天皇家への拝謁や将軍宣下等、公式行事の際に滞在する場所として造営された城郭。現在も保存状態が良いものの、徳川幕府解体時に荒廃の危機に在った建築遺産群の内、聴秋閣を原財閥が引き取り保護した。
大正時代1922年の移築保護。
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名の通り秋に映える建物で、この時期だけ背後の丘の林道が通行可能に成る。
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●聴秋閣側の紅葉越しに見た亭榭(ていしゃ)の橋と、旧灯明寺三重塔。
亭榭の建築年代は不詳ながらも、建築様式を見るに安土桃山時代後期~江戸時代初期と思われる。
亭榭の榭(しゃ)は訓読みで榭(ウテナ)と読み、見晴らしの為の台や橋の上に建てられた東屋(あずまや)を指す。
2階建て以上の物を望楼や楼閣と中国語では呼称した。
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●蓮華院横の大銀杏(いちょう)と紅葉。
蓮華院は原三渓設計した茶室で大正時代1917の建築。
この日は幼い子と新米ママさんがイチョウの葉で戯れており、微笑ましい風景写真と成った。
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●大池横の鯖猫ちゃん。
三渓園は猫さんが沢山いて、皆人慣れしていてモフらせてくれるサービス精神旺盛な子達が多い。
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三渓園にはこの他にも沢山の建築遺産が保護されています。
小生の御勧めの場所は白川郷から移築された旧豪農の茅葺屋根の家です。
秋の写真じゃないですが、一応掲載しておきます。
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ここは中に入る事が出来て、当時の豪農達が一族で集団生活をしていた様子が解ります。
午後15時までに行くと、囲炉裏(いろり)に火が入っていて、現代では焚火をする機会の無い子供達にも、煙の良い香りを嗅がせてあげる事も出来たりします。
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この他に鎌倉の尼寺で縁切寺としても有名だった松岡山東慶寺の旧仏殿も在ります。
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東慶寺は昨年2015年公開された映画❝駆け込み女と駆け出し男❞の舞台にも成った場所ですね。
駆け込み女と駆け出し男

  ↑
以前映画と東慶寺の紹介で書いた記事です。御興味ある方は御覧下さい。




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司馬遼太郎先生も"街道をゆく"シリーズの"三浦半島編"で紹介した横須賀市の料亭、小松が焼失してしまった・・・
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※[ココ]クリックでニュースにリンク

幕末の戊辰戦争~明治に起きた日本最後の内戦西南戦争の動乱と敵味方の確執を越え、明治時代に海軍将校と成って協力した薩摩国島津家臣出身の東郷平八郎元帥や徳川親藩の伊予国久松家松山藩藩士出身の秋山真之参謀、會津藩出身の柴五郎中佐、西郷ドンの御息子の西郷菊次郎台湾宜蘭庁長等、それ等の日本や周辺国をロシア帝国による白人の植民地化から守った偉人達の内、海軍サン達が愛した店だ。
海軍は明治の元勲同様に料亭小松に通った井上成美サン始め諸将が、太平洋戦争開戦や中華民国との戦争にも外務省と連携し慎重だった事でも有名だ。
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もっとも、中華民国自体は尼港事件や三光作戦で日本人を含めた現地ロシア人や中国人を無差別虐殺して自滅する訳だが、それは又、別の話し。
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※写真は臺灣台北市の中正紀記念堂
奇しくも尼港事件でロシア共産主義者とソレに荷担する朝鮮兵と中華民国兵による、ロシア帝国国民と日本人への無差別虐殺を阻止すべく援軍に向かうはずだったのが東郷平八郎元帥が嘗(かつ)て乗艦した、三笠だった。
因(ちな)みに当時の中華民国国民党は既に孫文先生の実権が軍閥の袁世凱に乗っ取られ別物に成っていた。もはや民主化や近代化を目指した孫文先生のソレとは似ても似つかない政権だった訳だ。
中国南京市紫禁山中山陵 久良岐のよし

※写真は南京市に在る孫文先生の御廟所、中山陵
残念ながら三笠は流氷に阻まれ尼港に辿り着けず日本人は全て無惨にロシア共産主義者テロリストと朝鮮兵、中華民国兵に虐殺され、女は犯されてから同じく全て殺された。日本人は文字通り一人も残さず殺され、尼港は町ごと廃墟に成った歴史を知る人は現在では余りいない。
この事件は法治主義教育の大切さや右派左派問わずテロリストはテロリストと学ぶ事例でもある。
孫文先生の理念を引く継ぐ現在の台湾には、小生も多くの友人がいるが袁世凱の中華民国と違い皆さんも御存知の通り親日家が多く日本の漫画や居酒屋が多い。
つまり、人種よりも教育によって人間は残虐にも成ってしまうし逆に文化交流と同じく教育によって親しくも成れると言う事が中華民国の歴史を見ると良く解る。
そして、自国も自己主張をしないと、誤った歴史観を拡散されてしまったり相手の問題点を指摘する事も出来ないと言う日本人と日本政府の問題点も、台湾や幕末の偉人~東郷元帥や明治の元勲の歴史を通して見る事が出来る。
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因みに三笠は現在、アメリカやイギリスの支援も在り世界三大記念艦として、今回火事で消失した料亭小松の近くに在る三笠公園に展示公開されている。

話を小松や、明治~昭和初期の建築遺産の料亭の話題に戻そう・・・
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残る海軍料亭は今回燃えた小松を含め三軒、残る二軒は横浜市神奈川区旧東海道神奈川宿の田中家と横浜市金沢区の金沢園。
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その内、今回の小松と横浜市金沢区の金沢園は建物自体が重文指定するべき程に価値が有るものだった。
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現在の田中家↑と幕末の↓田中家
東海道五十三次 神奈川宿 田中家

※「さくらや」と書いて有る店が田中家の前身の旅籠
田中家は坂本龍馬夫人お龍サンが未亡人に成ってから暫く働いていた店として有名だが、先日ブラタモリで店が紹介された際は、その歴史は紹介されなかった。

今回の小松の火事の事で明治時代の横須賀の歴史がクローズアップされたが、実は、お龍サンの御廟所が横須賀市に有る事を知る人は現代では少ない。
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お龍サンは、横須賀市大津に在る信楽寺(しんぎょうじ)で眠っている。
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お龍サンの亡夫:坂本龍馬サンの祖先は明智光秀の縁者と龍馬サンは自称していたそうだ、だから苗字も琵琶湖の畔(ほとり)に存在した明智家居城の坂本城の地名を冠しているのだろう。
その龍馬先生の妻君、龍子夫人が、明智家所縁の地名近江国の信楽(しがらき)や大津と類似した地名の地横須賀市大津で終焉を迎え現在も眠っているのは、坂本龍馬サンとの因縁を感じられずにはいられない。

右翼は戦史を敗戦の原因までも美化する阿呆が多いが、逆に糞左翼は良い歴史や尊敬すべき先人や歴史文化財までもタリバンがカシミール遺跡を破壊したのと同じ様に敵視し阻害し否定する。

・・・今回の小松の火災が愚かな共産主義者過激派や社会主義のキチガイ、反日朝鮮人過激派や反日中国人過激派による放火が原因で無いと信じたい。

建築文化財も歴史遺産も認識出来ない様な奴は、文化も文治も文民も語る権利は無いと知れ。

料亭小松は、そんな深い日本や周辺国の歴史の明暗や半ばの朝夕の美しさを省みる事の出来る場所であり、建築文化財だった。

再建を祈る。
・・・と、同時に横浜市金沢区の金沢園の重要文化財指定を切に願う。
金沢園も美しい内装の昭和建築遺産だ。
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ブログネタ
「夏の終わり」感じるのはどんなとき? に参加中!
横浜市金沢区の野島公園は、キャンプ場が有り夏はBBQで一家団欒を楽しむ家族連れや、近隣の大学生グループで賑わいます…
眼前には金沢八景島シーパラダイスがあり「海の公園」側やこの野島公園で潮干狩りをする人達も多くいます。
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実はこの野島公園が、江戸時代に徳川家康公の十男で、紀伊徳川家の初代藩主徳川頼宣公の別荘が在った場所だったり…
初代総理大臣の伊藤博文公の別宅があったり…
大日本帝国憲法の草案が纏(まと)められた場所であった事を知る人は今では少なく成ってしまいました。
また、太平洋戦争時の末期には隣接する横須賀市に横須賀鎮守府があった関連で現在の日産自動車工場追浜工場には横須賀海軍飛行場があり、野島には零式艦上戦闘機の防空格納基地が建設されました。

※その辺りの情報は以前の記事で紹介したので以下にリンクを貼ります。
●野島の零戦格納庫の記事は「ココ 」←クリック!

大きくは無い島で、現在はレジャーの島に成っていますが、こんな狭い面積に沢山の重要な歴史が詰まった場所なんです。
今回は夏も終わりに近づき、御抹茶を頂きながら海辺の夕涼みが出来る場所として、又、日本が法治主義国家を歩みだした、その場所としての伊藤博文公別邸を紹介したいと思います。

小中学生の残り少なく成った夏休みの自由研究宿題のテーマとしても役に立てるかな~と思います。
この施設や野島内の周辺史跡を見学して写真を撮影し、野島の歴史自由研究として時代と説明文を原稿用紙に書き、そこにプリントアウトした写真を貼れば十分、提出に十分足(た)る内容になるんじゃないかと思います。

では…
キャンプ場と反対側に閑静な松林が在ります。
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小生が子供の頃は、まだ眼前の八景島は無く、この豊穣な海では海苔の養殖が盛んに行われ、特産品の海鼠(なまこ)や小柴のシャコが沢山獲れました。
その横、駐車場の目の前の牡丹園と古民家が伊藤博文公の金沢別邸です。
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この伊藤公別邸は無料で拝観できます。
入口の係員の方に、抹茶を飲みたい事を伝えると客間で抹茶を頂けます。
御茶の料金は乾菓子のセットは300円、茶菓子のセットは500円で頂けます。
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小生は、この日は御乾菓子を頂きました。

さて、建物を解説します。
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建物自体は昭和まで良く見かけた、明治~大正期の日本建築で、入口からは解りませんが結構な奥行が有ります。
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この玄関、昭和生まれ世代は結構多くの人が御婆ちゃんの家を思い出すんじゃないでしょうか(笑)。
まぁ、実際、ここには明治~大正時代に伊藤家の御一家や、その後も管理人さんがいらっしゃったから生活感有って当たり前ですよね。
とは言いつつも、ここは一回老朽化で解体修理され復元再建された建築遺産でもあります。

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中には、各部屋や歴史の詳細な説明も個々に展示されています。
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玄関を入ると、純和風の廊下の両脇に、客室用の雪隠(せっちん=トイレ)や炊事場(すいじば=キッチン)が在ります。
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その廊下からは中庭が覗けます。
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素敵な小庭ですね。
昔の少し立派な日本家屋は京都の京町屋と呼ばれる様式でもそうですが、この様な中庭を作る事で風の吹き抜ける通り道を作り、エアコンの無かった時代に自然の力で十分に涼む仕組みが設けられていたんですね。
中庭の右手に見える配管は、浴室から延びる煙突です…
実はこの煙突も明治時代には画期的な仕組みの一部なのですが、その説明は又後で。
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これが炊事場の写真です。
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明治時代の炊事場ですが、江戸時代の炊事場と余り機能的に変わりは無いですね…
まだまだ井戸水を汲み上げて飲料水にし、薪と炭で煮炊きし料理を作っていたようです。
…当時の使用人さん達は大変だったでしょうね~。
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それでも台所の外側の土間(どま=土足で行動出来る部屋)に、この家専用の井戸が有るだけ、別の庶民の家より重宝した事でしょう。

で、反対側の客間用の雪隠(せっちん=トイレ)へ…
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これも又、江戸時代の御城に有るトイレと余り変わらない木製の和式で、この状態からトイレの文化は近代に急速に発展した事が良く解ります。
大(笑)
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小(笑)
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小生、ここに来るまで知らなかったのですが…
トイレは和名では2種類に分類されるそうで、時代劇や老人が雪隠や厠(かわや)と呼ぶのは、実はトイレのタイプによって区別が有るそうです。
こんな感じ…
雪隠(せっちん)…ボットン便所、汲み取り式で人糞を肥料に再利用出来る様にトイレ下に穴が掘られている。
厠(かわや)   …水洗トイレ、川の水流を利用したトイレ。
…川の小屋のトイレだから、略して川の小屋=かわや=厠なんですね。

さて、客間です。
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この写真では余り解りませんが、眼前には海が広がり当時は金沢八景と称され、江戸時代に歌川広重が浮世絵に描いた程の景勝地でした。
水戸徳川家の黄門様こと水戸光圀公が明の禅僧の東皐心越(とうこうしんえつ)和尚を御連れして、この一帯の風景を遊覧された程でした。

この客間の入口からも中庭が見えます。
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反対側から見る中庭はさっきと様子が少し違います。
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さっきの煙突、実は浴室から延びています。
客間からも居間からもすぐに浴室に行ける便利な構造に成っていますね。
そして風呂場が中庭に面していると言う事は、入浴中、涼しい爽やかな風が吹き込んできたんでしょうね~。
流れで浴室を紹介しましょう。
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この浴室の壁は人口の御影石で出来ています。
昭和期まで、日本家屋に多く見かけられた人工石ですね。コンクリートより高級感が有ります。
さて、さっきの煙突の正体ですが…
右側から延びる配管が、浴槽の中に入って行ってますよね?
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実はコレ!明治時代には画期的だった湯沸かし器の構造物なんです!
当時は庶民の家では五右衛門風呂が主流で、直接、竈(かまど)の上にでっかい鍋みたいな風呂を置いて直に火力で御湯を温めましたが、この機能はボイラーの熱を配管で送り浴槽内の御湯を温める仕組みなので、火傷する心配が有りません。
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そして温泉の様に檜風呂で入浴出来る画期的な構造な訳です。
現代のガス式風呂釜湯沸かし器に通じる構造ですね。
この配管を伝う熱源の排煙をするのが、先程の中庭の煙突と言う訳です。

さて、客間に戻ります。
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御茶はこの客間で頂けるのですが、ここからの眺望は凄く素敵で、小生はたまにここにノンビリと頭をリセットしに来させて頂いています。
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繰り返しに成りますが、目の前が海。
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ここで御茶を飲んでゆっくり…いいでしょう?

昔の家らしく、縁側も有ります。
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平成世代は余り見た事が無いかも知れませんね。
昔の人は、こういう縁側でゆっくりと贅沢な時間を日常的に過ごしたもんなんですよ。

この金沢別邸には伊藤公の私室も当然有ります。
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意外かも知れませんが、居間は広くはなく、普通の家と余り変わらない大きさです。
伊藤公は賭け事が大嫌いな性格だったそうで、個人でいる時は余り華美な生活を好まれなかった様ですね。
公人として西洋式の華やかな生活を送らなければいけないので、普段は落ち着きたかったのかも知れませんね~。
この居間側にも裏口があり、そこからも庭に出られます。
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御庭から見た客間越しの金沢の海。
御庭は牡丹園の名前で同じく無料公開されています。
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牡丹園側から見た、居間の様子。
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庭には綺麗な花が咲いていました。
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こちらの牡丹園側の入口、つまり勝手口が下の写真です。
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意外かも知れませんが実は伊藤博文公、外戚閔妃派と日本政府の関わりで伊藤博文公のイメージを悪く混同されていますが…
韓国初代大統領の李承曉のロビー活動による結果で、悪いイメージを持つ韓国人も多くなっています。
しかし実は朝鮮王室との関係は極めて良好でした
ですので、、朝鮮の最後の皇太子李垠殿下も御滞在された場所でもあります。
李垠殿下も伊藤公の私邸へ度々(たびたび)御宿泊され金沢八景の風景を楽しみ遊覧される程に信頼関係が深かった訳です。
余談ですが、戦時中も日本の太平洋戦争終結後の無条件降伏時も李垠殿下は日本でちゃんと王族として保護されていました。終戦後に奥方と韓国に帰国しようとした所、李垠殿下御夫妻の韓国復帰を阻止したのが、朝鮮王室復興による失脚を恐れた李承晩だった事を多くの韓国人は知りません。
親日派だった朴正煕大統領に成って、漸(ようや)く李垠殿下御夫妻は韓国に帰国出来ました。
つまり、李承晩自身が知日派の李垠殿下に帰国されると非常に困る事情が有った訳ですね。
李承晩がいなければ、併合後に朝鮮王室を李垠殿下が復興し、現在の日本の天皇家と復興した朝鮮王朝で友好的な王室外交が成されていたはずなんです。
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野島の眼前には、野島と同じく伊藤公が大日本帝国憲法草案をまとめた場所の一つである夏島が見えます。
その夏島の前にあるのが、旧海軍飛行場、現在の日産自動車追浜工場です。

ここ野島は日本の近代化や法治主義化の礎と成った舞台でも有り、良くも悪くも、両方の歴史を伝える歴史遺産群が密集した場所でもあるんですね。
先人の苦労と同時に、明治政府樹立による法治主義の開始や鎖国からの脱却の重要性や、防衛戦争の必要性と、戦争の負の側面も考えさせてくれる場所であり、そして又、前政権徳川家の紀州藩別邸跡の有った場所であり徳川家が御参りした野島稲荷神社が現存し…
金沢八景の一つであり文化醸成地だった、横浜市民のみならず日本国民にとっても大切な場所と言えます。

夏も終わりですね…
皆さん、体調を崩されませんように。
では!又、次のブログ記事で御会いしましょう!

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春の花、どの花のどんな姿が好き? に参加中!
先週も三渓園に夜桜見に行きましたが、その時点では、まだ六分咲きでした。
先程、三渓園に満開の夜桜を期待して再度行った所、満開のまま、まだまだ散らずにいてくれていたので速報出します。

明日4月5日も三渓園では満開の夜桜が見れそうですよ!
見逃した人、是非行って見て下さい♪

綺麗だから本当、沢山の人に見てもらいたい。
そして、これらの文化財を現代に遺して下さった先人に興味と敬意を抱く機会に成って欲しいなと…

皆さん、今年も観桜の季節は残り短いですが日本の春を満喫してくださいね〜♪
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風景写真 に参加中!
横浜市は余所(よそ)の地域の人から見ると「みなと未来21地区」や「中華街」や「山下公園」や「外人居留地」のイメージくらいしか無いそうですが…

とんでもない!
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里山に囲まれた素敵な古民家の御庭でしょ?
これ、昔は鎌倉郡だった横浜市栄区の鍛冶ヶ谷と言う地域にある「旧小岩井家住宅」です。
小岩井家は元々は、この地域の庄屋(しょうや=村長)さんだった御宅なので、その邸宅は茅葺屋根の立派な造りの古民家です。

何だか田舎の御婆ちゃん家に来たみたいでしょ?
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…もっとも、貴方(あなたの)の祖父母の住む家がこんなに立派な茅葺屋根の家だったら、そりゃもう大金持ちですね(笑)。
何故なら家の作りの立派さもさることながら…
茅葺(かやぶき)屋根の家は、藁葺(わらぶき)屋根の家と異なり大変に高価なんですよ。
屋根を葺(ふ)き替(か)えるだけで4000万円以上かかると言われています。
更に庄屋様の御宅ともなると平屋の入り母屋(おもや)作りなので、かなり大きな母屋と若夫婦の住む別棟の離れが有ったりします。

この素敵な古民家…
実は無料公開されているばかりか、「本郷ふじやま公園」と言う緑地公園の一部なんです。

ですから…

「あれ?昭和初期に来たのかな?」とタイムスリップをした錯覚さえしそうな風景が庭先には広がっています。
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ヨコハマの子供たちが丸で「カッペ(笑)」の様にのびのび元気に遊んでいます。
横浜市は「里山思想」に基づいた都市計画がなされており、どんなに市街の中心地にいっても必ず、この様な里山が保存されているんですね。
ただし、その里山が必ず文化的に大切な場所とは限りませんが。

ここでは少し昔まで日本中にあった風景を垣間見れます。
昔の家の土間(床が靴履いて歩く屋内)の炊事場(キッチン)とか…
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一般人用の玄関入ってから靴脱ぐ土間とか…
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今じゃ少なくなった縁側とか…。
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本当、懐かしいな~。

離れもあるので、何だか昔の農村を訪ねて来たような雰囲気です。
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立派ですよね~?
お正月はここで餅つき大会も行われますし、春には凄く立派な桜の木に花が咲き誇ります。
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この下の写真は長屋門と言います。
長屋門は江戸時代、ある程度の格式の有る家にしか造る事が認められなかった建物です。

もうこれ、古民家好きにはヨダレだらだら出るくらい堪らないんじゃないかな(笑)?
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御屋敷と呼ぶのが相応(ふさわ)しい外観ですね。
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さて、ここからが歴史的な話題の本題部分です。

以下、文章だらけですが、歴史好きと特に横浜市栄区民にとっては読む意味が有ると思うので、どうぞお付き合いください!

この旧小岩井家が治めた地域は鍛冶ヶ谷村でした。
今のJR京浜東北線本郷台駅から少し離れた鍛冶ヶ谷地区一帯ですね。
その鍛冶ヶ谷を中心としていくつかの村が明治時代に合併され「本郷村」が設置されました。
それが本郷台の地名の由来ですね。

鍛冶ヶ谷はその名の通り、武具製造の鍛冶職人が昔から住む地域でした。
どれくらい昔かと言うと…
恐らくは平安時代中期です。

この鍛冶ヶ谷の付近には古代から武具製造や蹈鞴(タタラ)製鉄に関わる地域が多数有りました
その名残は今も地名に残っています。
…港南区の"日野"→日野=火野…この地域は実際、鎌倉幕府の初代侍所別当和田義盛公が建設した野庭城と言う御城もありましたが、お隣の上郷には平安時代より更に古い奈良時代からのタタラ製鉄の遺跡が発見されています。
そして隣の金沢区にはそのまま金沢の地名と釜利谷と言う地域もあり、いずれも製鉄に関わる地名です。
西暦110年頃には日本武尊が鎌倉の先ある三浦半島に遠征して来ているので、この一帯は早くから開けていたようです。

さて…
鍛冶ヶ谷一帯に話題を戻します。
実はこの鍛冶ヶ谷一帯、小生は関東人が軍神と崇(あが)める平安時代の名将、陸奥守(むつのかみ)鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)を歴任した関東の武士団の棟梁、源朝臣(みなもとのあそん)八幡太郎(はちまんたろう)義家(よしいえ)公の兵站(へいたん=補給基地)だったと推測しています

因みに源義家公は鎌倉幕府初代征夷大将軍源頼朝公の4代前の祖先です。

何故(なぜ)、鍛冶ヶ谷一帯が義家公の兵站だったと推測するかと言うと、旧鎌倉郡村岡郷=現藤沢市村岡の村岡城を拠点にした、鎮守府将軍の平良文公は源苑(みなもとのあつる)と一騎打ちの後に盟友となり共に源氏と平氏は関東の発展に協力し尽力する事を約束しあいました。
※平良文公に関する過去の記事は「ココ 」←クリック!

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(軍神と言われた源義家公)

その平氏と源氏の盟約を体現する様に、後に源義家公が前九年後三年の役に出征すると、坂東平氏はこぞってその幕下(ばくか=組織に入る)に入り協力します。
その時に鎌倉御家人の祖となる二人の名将が参陣しています。
一人目は鎌倉景政公…関東では御霊神社の祭神として信仰されています。
二人目は三浦為継公…御子孫には鎌倉御家人の三浦氏や和田氏、戦国大名芦名氏や正木氏や三浦氏がいます。
※三浦為継公に関する過去記事は「ココ 」←クリック! 

実はこの二人は従弟同士で、更に平良文公の子孫です。
つまり良文公以来の源家との盟約が履行されていた訳です。
この時、平家側は義家公に対し、居住地等を提供しています。
その場所が今の鎌倉市扇谷(おおぎがやつ)地区にある「亀ヶ谷(かめがやつ)にある寿福寺」のある場所
とその一帯なんですね。
亀ヶ谷は狭い地域です。
源頼朝公が鎌倉幕府を開く以前、実はこの父祖の故地(こち=ゆかりの土地)である亀ヶ谷に幕府を開こうとしたのですが、狭すぎて御家人達から反対され、やむを得ず鶴岡八幡宮の東側の大蔵地区に大蔵幕府を開いたなんてエピソードがある位なんです。
ですから鍛冶ヶ谷では軍隊の物資補給や武具補修の職人集団や商人を住ませる町形成はままならないんですね。
その亀ヶ谷から徒歩でも行ける距離には、現在でも源義家公と関連の有る地名や施設名が溢(あふ)れかえっているんですね。

亀ヶ谷の有る場所から現在の北鎌倉は歩いて15分程の距離ですが、その北鎌倉から20分位歩くと鍛冶ヶ谷の最寄駅の本郷台地区に至ります。
この鍛冶ヶ谷を含めた本郷台地区には、「河内」と「公田」と言う地名の場所が有ります。
河内とは大阪市の東部にあった国の名前です。
何故、唐突にこの地名が旧鎌倉郡、現横浜市栄区に出て来るんでしょうか?

実は源義家公以来、関東武家の盟主(めいしゅ=主従ではない協力関係のリーダー)としての立場を築きますが、この義家公の家の「源家」は源家の中でも河内源氏と呼ばれた今の大阪府羽曳野(はびきの)市を本拠地とした一族なんです。
そして、その羽曳野市の有る場所は、昔は「河内国」と国名を呼ばれた地域なんですね。
恐らく、亀ヶ谷に住んで居た義家公の荘園だったから河内の地名が横浜市栄区に残っているんでしょうね。

更に「公田」の意味ですが…
公方(くぼう=将軍)様+田畑…公方様の田畑…公方の田…公田となる
訳です。
この栄区本郷台の「公田地区」と「河内地区」は隣合わせの位置です。
そして更にその隣にあるのが鍛冶ヶ谷です。
つまり、町形成の不可能な亀ヶ谷に住む義家公は、公田一帯に生活用の食糧補給の荘園を坂東平家の武士から提供されており、武器を鍛冶ヶ谷で補給していたのだと考えるのが自然なんです。
港南区の日野や栄区上郷地区のタタラ製鉄所で製造された鉄で、隣村の鍛冶ヶ谷の鍛冶職人が義家公率いる源氏軍の武具補給補修を担っていたんでしょう。

ここから源氏と与力の平氏や菅原氏や橘氏や丸子氏が出撃して清原氏や藤原氏との死闘を演じたんですね…
その前九年後三年の役や関東の武士団の繋がりの話は過去に「永谷天満宮」の記事でも触れていますので、ご興味ああれば御覧下さい。
※永谷天満宮と菅原氏と平氏の関係に関する記事は「ココ 」←クリック!

余談ですが、鎌倉市は現在でも伝わる有名な刀鍛冶のブランドが有ります。
以前の記事で紹介した名刀「正宗」の工房ですね。
※過去の関連記事「ココ 」←クリック!

今回は八幡太郎義家公の話に話題を広げる事で、たまたま大阪府と神奈川県の関連に話が及びましたが、実は神奈川県は古代から大阪府と京都府と御縁があり、御互いの土地は本来は兄弟の様な協力関係にあったんです…
ま、その噺(はなし)は又、気が向いたらします(笑)。

今回も長くなってしまいましたね。
でも今は新興住宅地の本郷台も、鎮守府将軍様の根拠地だったかもしれないと言う、失われた歴史と誇りを皆さんに再認識して頂ければ幸(さいわい)です。

ではでは…又、次の記事でお会いしょましょう!
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風景写真 に参加中!
今年は三渓園の紅葉の色づきが遅れ気味かな…?
先月末に訪れた時は早すぎたので紅葉を再撮影に行ってきました!

今週末なら、まだギリギリ見れますよ多分。

三渓園と何ぞや?
…と言う方は「ココ」←をクリックして三渓園と創始者の原三渓を紹介した記事を御覧下さい!
ある程度詳しく書いてあります。

他にも秋の風景の綺麗な場所のブログ記事リンクを載せますので御興味有る方はどうぞ!

●浜離宮恩賜公園「ココ」←クリック!
  東京都、新橋か汐留が最寄り駅。
●称名寺と金沢文庫「ココ」←クリック!
  横浜市金沢区、金沢文庫駅が最寄り。
●護念寺と円海山の鎌倉古道「ココ」←クリック!
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  横浜市港南区港南台〜磯子区峰〜金沢区氷取沢、港南台駅か洋光台駅が最寄り。

写真は2014年12月月初め時点のものです。
その時点で散り始めた紅葉もありましたが、まだ葉が緑色の樹木も沢山ありました。
多分、今週末12月5日、6日、7日は最後の紅葉にまだ間に合うかも知れませんよ?

もう、ブログ読者の皆様には多くは語らず写真だけ見て頂いた方が良いかな(笑)?
では御覧下さい〜!
今年の三渓園の完全に近い紅葉模様ぅ♪

如何でしたか?
この他にも冒頭で紹介した場所も綺麗な秋の風景が見られますよ。
是非、訪れて見ては如何でしょうか?

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