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カテゴリ:海と山の景勝地・映画のロケ地・イベント > 春の景勝地

千葉県の玉前神社の記事も今晩にも書く心算ですが、タイムリーな情報なので緊急掲載します!

小田原市の曽我梅林が2020年02月15日時点で最高の見頃(九分咲き~満開)を迎えています。
撮影して来た曽我梅林の写真を掲載し過去記事のリンク交えて今の様子を紹介します。

今年一番の梅花を見たいなら本日16日日曜日~1週間中に訪れないとタイミング逃しますよ!
では先日撮影して来た写真を羅列して貼り付けます。御参考に成れば幸いです。

先ずは写真だけ貼ります。
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どうです?
すっごい綺麗でしょ!
現地には屋台も食堂も特産品の露店も営業していて御土産物も多数販売していますが、小生的に御勧めなのは臨時駐車場入り口に在る“小田原牧場アイス工房”の“梅アイス”が絶品なのでオススメです。
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小田原牧場アイス工房
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大人な梅アイスだけでなく色んな種類有るので御子様連れも安心して美味しく食べられます。
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小生はいつも梅アイスとストロベリー♪
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因(ちな)みに、ここでも色々と御土産販売しています。
小田原城址公園や小田原漁港の観光と合わせて行っても面白い時間を過ごせると思います。
過去に小田原の梅の文化や小田原城の記事も書いた事が有るので以下にリンクを貼って置きます!
興味が有るタイトルをクリックして頂ければ記事をご覧いただけます!
●まだ間に合う梅花鑑賞の名所!
●神奈川と伊豆の梅林文化…美しい梅林と富士山噴火と北条家Part1。
曽我梅林の風景写真…美しい梅林と富士山噴火と北条家Part2。
小田原みやげと言えば?…小田原は美味しい町。
●小田原北条五代祭りと戦国時代の小田原城…防御力実積日本一の名城!
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余談ですが小生、帰路に西湘PAの自販機でまだ2月なのに今年二回目の当たりが出ました。

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今年なかなか運が良い様なので、今年は友人や家族や御世話に成っている神社仏閣の方々と共に発展して神様仏様に沢山御礼が出来たら良いなと思います。
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先ずは西湘の土地神様である松原神社、寒田神社、相模国二之宮川勾神社、相模国総社柳田大明神六所神社、高麗権現高来神社の神様方と大雄山最乗寺の仏様、コーヒーありがとうございました(笑)。
そして早く東アジアで流行している新型肺炎の治療薬が開発され流通するまでに、感染予防にも成功し沈静化します様、日本人と文化的にも友人たる中国香港台湾とアジア諸国民が平穏な日常を取り戻せます様に、御加護御守護下さい。
疫病退散と人間の努力と協力による防疫体制確立の成功、治療薬開発の成功、治療薬と検査キットの大量生産の早期成功の祈願を御願い申し上げます。
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今年も梅が見頃の季節に成りましたので、神奈川県内で綺麗な梅の花の名所を小生の知る場所だけ、一覧として掲載します。
もし他にも県内に素晴らしい梅林を御存じの方は、紹介コメントを残して頂けると幸いです。
※小生が写真未撮影の梅林については公式ホームページの写真を転用し紹介します。
※公式ホームページが有る場所は名前にリンクも貼りますので参考にしてみて下さい。
※梅林の名称をクリックすると、リンク先の公式ホームページを閲覧出来ます。


幕山公園 湯河原梅林 】 
住所:〒259-0313足柄下郡湯河原町鍛冶屋951-1付近
見頃:2月初旬~3月初旬
湯河原梅林様公式 画像拝借1 久良岐のよし 湯河原梅林様公式 画像拝借2 久良岐のよし
※上の画像は公式から拝借 

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イベント
●夜間ライトアップ
※期間については問い合わせ先に電話確認するか、公式ホームページを御覧下さい
湯河原梅林は約4000本の梅を誇る。箱根~小田原~熱海の温泉地や名勝旧跡からも車で1時間以内と近く、周辺には温泉宿も多く有る風光明媚な観光地で泊りがけの梅林鑑賞を楽しめる。期間限定で夜間ライトアップも行っている。
連絡先
湯河原町観光課 TEL 0465-63-2111
アクセス
幕山公園
駐車場…500円~300円(会場との距離で料金が異なる)
JR湯河原駅~バス乗車(約20分に1便間隔)~15分で到着 湯河原梅林 アクセス 久良岐のよし


辻村植物園 】 
住所
:〒250-0042小田原市久野荻久保4381
見頃:2月初旬~3月初旬
辻村植物公園2 小田原市公式様より拝借 久良岐のよし 
辻村植物公園 小田原市公式様より拝借 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
イベント
特に無い。
連絡先
小田原市広報広聴課 TEL 0465-33-1261
アクセス
辻村植物公園
駐車場500円
JR小田原駅西口~バス乗車いこいの森(わんぱくらんど)行き~約10分、辻村植物園で降車
辻村植物公園 アクセス 久良岐のよし 

小田原城 城址公園内梅園
住所:小田原城址公園
見頃:1月末~2月末
小田原城 小田原市公式様より拝借 久良岐のよし
※画像は公式から拝借 
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※2015年02月28日撮影。
この頃が見頃。
イベント
梅まつり
梅林の規模は50本前後と小さいが、御城を見学出来る上に場内でレンタル甲冑で写真撮影等も出来る。
また、辻村植物公園の梅林や曽我梅林や小田原フラワーガーデンと合わせて鑑賞に来れる距離。
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
連絡先
TEL 0465-23-1373
アクセス
JR小田原駅から徒歩10分
公共駐車場無し。周辺に私営駐車場有り。 小田原城アクセス 久良岐のよし

小田原フラワーガーデン
住所
:〒250-0055 神奈川県小田原市久野3798-5
見頃:1月末~2月末
小田原フラワーガーデン 公式様より拝借 久良岐のよし 
小田原フラワーガーデン 公式様より拝借2 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
イベント
渓流の梅林 梅まつり 
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
連絡先
TEL 0465-34-2814
アクセス
JR小田原駅乗り換え~伊豆箱根鉄道大雄山線飯田岡駅~徒歩10分
駐車場(140台)無料
小田原フラワーガーデンアクセス 久良岐のよし 

曽我梅林
住所
:〒250‐0205神奈川県小田原市曽我別所282付近一帯

見頃:1月末~2月末
曽我梅林 久良岐のよし撮影
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曽我別所梅まつり観光協会様公式 拝借1 久良岐のよし
※流鏑馬画像は公式から拝借
イベント
小田原梅まつり 
※曽我梅林は他の梅林とケタ違いの3万本以上の広大な梅林です。
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
連絡先
小田原別所観光協会 TEL 0465-42-1965
アクセス
電車…JR東海道本線国府津駅~御殿場線に乗り換え~下曽我駅~徒歩15分。
バス…小田原駅・国府津駅からバス有り。中里で降車~徒歩20分。
曽我別所梅まつりアクセス 久良岐のよし 

松岡山東慶寺 &
金峯山浄智寺 】 

住所
東慶寺〒247-0062鎌倉市山ノ内1367

浄智寺〒247-0062鎌倉市山ノ内1402
見頃:2月初旬~3月初旬
東慶寺の梅林
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駆け込み女と駆け出し男
※東慶寺は2015年公開の映画❝駆込み女と駆出し男 ❞の舞台です。 
浄智寺の初春
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イベント
特に無し。
東慶寺は約100本以上、浄智寺にも数十本の梅が咲く。
東慶寺と浄智寺は徒歩5分の距離。
浄智寺は鎌倉五山で鎌倉時代以来、歴代征夷大将軍が直接住職を任命する特別な寺の一つだった。 現在は鎌倉江ノ島七福神巡りの一つ。
東慶寺は鎌倉幕府執権北条時宗の妻、覚山尼様の開基。その後は後醍醐天皇の皇女用堂尼様、戦国時代には豊臣秀頼公の御息女の天秀尼様が住職を務めた。映画❝のぼうの城 ❞のヒロインで女傑として有名な成田甲斐姫も天秀尼様の養育係として仕え東慶寺に同行し住したと伝承する。
又、2015年に公開された映画❝駆込み女と駆出し男 ❞の舞台でもある。 

浄智寺は鎌倉五山の一つの各式を持つだけでなく、嘗(かつ)ては広大な敷地と無数の堂塔を有し、鎌倉公方の仮御所に定められる事も度々有り、足利持氏公や足利成氏公が滞在した場所でもある。 
連絡先
東慶寺 TEL 0467-33-5100
浄智寺 TEL 0467-22-3943
アクセス
東慶寺 JR北鎌倉駅~徒歩5分
浄智寺 JR北鎌倉駅~徒歩8分
東慶寺浄智寺アクセス 久良岐のよし 


錦屏山 瑞泉寺荏柄天神社
住所:
瑞泉寺 〒248-0002 鎌倉市二階堂710
荏柄天神社 〒248-0002 鎌倉市二階堂74
見頃:1月中旬3月初旬、黄梅は2月中旬~3月中旬 
瑞泉寺様公式mayumi-katsu様撮影 拝借1 久良岐のよし
※上の画像は瑞泉寺様公式から拝借
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荏柄天神社は日本三古天神社の一つに数えられる天満宮で、境内には数十本の梅が咲く。
イベント:
瑞泉寺
瑞泉寺様公式催事 拝借 久良岐のよし
※画像は瑞泉寺様公式から拝借
季節ごとに、その季節に見頃の花を植樹してある。梅は数百本を数える。
鎌倉時代~江戸時代まで権力者達が心の安らぎを瑞泉寺の花々に求めて訪れ歌会等を催した。
裏山にかつて在った一覧亭と言う建築からの眺望が良く、水戸徳川光圀(黄門様)も訪れた。
近くの荏柄天神社にも数十本の梅が植樹されているので、荏柄天神社と瑞泉寺をセットで見学するのが御薦め。
徒歩に行ける範囲の浄妙寺や鎌倉宮と合わせて見学しても、より鎌倉市街の旧鎌倉幕府拠点地域の原風景を楽しめる。浄明寺では抹茶も飲める。鎌倉宮は桜の名所。
連絡先
瑞泉寺 TEL 0467-22-1191
荏柄天神社 TEL 0467-25-1772
アクセス:
荏柄天神社 鎌倉駅東口~バス(大塔宮行き)乗車10分~天神前で降車
瑞泉寺 鎌倉駅東口~バス(大塔宮行き)乗車15分~終点大塔宮で降車
瑞泉寺荏柄天神社アクセス 久良岐のよし 

日比谷花壇大船フラワーセンター
住所:
〒247-0072 神奈川県鎌倉市岡本1018
見頃:2月初旬~3月初旬
大船フラワーセンター様公式 拝借1 久良岐のよし
※上の画像は大船フラワーセンター様公式から拝借
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※植物園なので梅だけではなく玉縄桜や初春の花が同時に見られます。
イベント:

玉縄桜を楽しもう
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
玉縄桜の❝玉縄❞とは古来より伝わるこの地域の地名で、戦国時代、今の清泉女学院中学校を本丸にした❝玉縄城❞と言う名城が在った。上杉謙信軍10万、武田信玄軍2万6千に攻められても落城しなかった堅城だった。
その歴代城主が小田原北条家親族の玉縄北条家で、玉縄桜はその殿様の居城の名を頂いた由緒正しい桜で、観梅の頃に咲く。近くの龍寶寺は関東最強の武将北条綱成公の菩提寺で歴代城主の御廟所も在る。境内には他に玉縄歴史資料館も有り、玉縄城の復元縄張り模型や出土品が展示されている。
連絡先:
神奈川県立フラワーセンター大船植物園 TEL 0467-46-2188
アクセス:
駐車場109台
電車&徒歩 
大船駅降車 大船駅西口(大船観音側)~徒歩16分
バス 
大船駅西口バスターミナル1番乗り場から❝渡内経由藤沢駅行き❞か❝公会堂経由城廻り中村行き❞に乗車~❝岡本(駅から3番目のバス停)❞で降車~徒歩3分。 
大船フラワーセンターアクセス 久良岐のよし制作 

田浦梅の里
住所:
横須賀市田浦大作町
見頃:2月初旬~3月初旬
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イベント:
梅林まつり 
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
田浦梅林は令和年間の今上(現在の)上皇陛下の御生誕記念に植樹されたのが始まりで現在では梅の本数は2700本を超え、梅の根元には水仙75,000株が植えられている。
田浦の山全体に梅が植林されており、山頂からは梅林越しに懐かしい神奈川の里山の風景を眺める事が出来る。
連絡先:田浦観光協会 TEL 046-961-4181
アクセス:
バスと徒歩…田浦郵便局バス停で降車~山頂まで徒歩20分
電車(JR)と徒歩…JR田浦駅で降車~山頂まで徒歩25分
電車(京急)と徒歩…京急田浦駅で降車~山頂まで徒歩40分
田浦梅林

岡村梅林
住所:
〒235-0021横浜市磯子区岡村6-8-19
見頃:2月初旬~3月初旬
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イベント
夜間ライトアップ
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
梅まつり
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
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岡村梅林は大きくは無いが、150本前後の梅が植林されている。
この岡村梅林は、元々周辺の横浜市立岡村公園(スポーツ公園)と合わせて、近隣の岡村天満宮の社地だった。岡村天満宮の開基は鎌倉御家人三浦家の一族の平子家と伝わり、その人物は平子有長公と推定出来る。有長公は鎌倉御家人で最初の源頼朝公暗殺未遂事件の実行犯を取り押さえた勇敢な武将でもあった。丘の裏手には戦国時代の名将北条氏繁公の開いた龍珠院も在る。
岡村天満宮の社領は第二次世界大戦後に米軍に接収された後、横浜市に返還されたが横浜市が岡村天満宮に返還しなかった為に一度、岡村梅林は消滅したが、岡村天満宮の氏子様の有志達が旧社地の一部を買戻し、現在の岡村梅林部分にも梅を植林し梅林を復興して下さった歴史が有る。
連絡先:岡村公園 TEL 045-751-4375
アクセス:
バス
京急弘明寺駅/市営地下鉄弘明寺駅/蒔田駅/JR磯子駅のいずれかの駅から乗車~天神前バス停か岡村交番前バス停で降車~徒歩5分
駐車場…岡村公園の有料駐車場~徒歩3分
岡村梅林アクセス

根岸森林公園
住所:
〒231-0853 横浜市中区根岸台1-2
見頃:2月初旬~3月初旬
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※上写真は明治時代の旧競馬場一等観覧席(米軍横須賀ベース管理の史跡)DSC_0129ドルフィン外観DSC_0131眺望
イベント:特に無い。
広い芝生の広場と園内に広がる桜林は横浜市民の憩いの場としても有名だが、公園の中央には400本からの梅林も整備されている。
もともとは競馬場だった。
幕末、横浜港が開港され本牧半島が外国人居留地に成った事で、駐在する欧米の外交官や軍人の要望で明治時代に建設された日本最初の競馬場の跡地。
隣接してJRAのポニー広場や競馬関連の博物館も有り、御弁当を持参すれば小さい子供連れの家族でゆっくり時間を過ごせる場所。自然湧水の池では子供がザリガニ捕り等も楽しめるる公園。
又、徒歩すぐの場所にはユーミンが十代の頃、まだ芸名が荒井由実だった時代に❝海を見ていた午後❞と言う曲で歌詞に歌ったレストランの❝ドルフィン❞が有る。
ドルフィンソーダを頼むと、この
「海を見ていた午後」の曲をかけて貰えます。

連絡先:横浜市環境創造局 TEL 045-671-3648
アクセス:
JR根岸駅~徒歩15分
駐車場有り。
根岸森林公園アクセス 久良岐のよし


国指定名勝 三渓園
住所:
231-0824横浜市中区本牧三之谷58‐1
見頃:2月初旬~3月初旬
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イベント:
季節ごとのイベント有り、梅の季節は原家以来の伝統で茶が振る舞われる。
桜の季節には観桜の夕べで桜の夜間ライトアップ有り。
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
明治時代の原財閥の富豪、原三渓が当時、廃仏毀釈で荒廃した全国の仏閣や徳川家所縁の城跡の建築文化財を広大な私邸に移築し保護した。日本で全国に先駆けて私立公園として私邸の建築文化財と日本庭園を広く庶民に公開した。
中には聖武天皇の勅願所だった京都府の灯明寺の旧本堂や三重塔や鎌倉の尼寺東慶寺の仏殿、紀州徳川家の和歌山の別荘や、京都の伏見城等、数え切れない程の建築遺産が移築保護されている。
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現在は原財閥から横浜市が管理を委ねられている。
原三渓の御蔭で破壊を免れた重要文化財や、季節ごとの花の綺麗な広大な日本庭園。
連絡先:045-621-0834
アクセス:
駐車場有り。
桜の季節は駐車場に入るのに1時間以上待つ場合が多々有ります。
電車&バス
JR根岸駅でバス乗車~本牧下車。
JR桜木町駅/横浜駅東口~バス乗車~本牧三渓園バス停降車~徒歩5分。
みなとみらい線元町中華街駅4番出口近く、山下町バス停乗車~本牧三渓園バス停降車~徒歩5分。
三渓園様公式拝借2 久良岐のよし
三渓園アクセス 久良岐のよし

大倉山公園梅林
住所
:〒222-0037 横浜市港北区大倉山2-36-8付近
見頃:2月初旬~3月初旬
大倉山観梅会様公式 拝借2 久良岐のよし
※写真は大倉山観梅会運営様公式から拝借
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イベント
大倉山観梅会
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
大倉山観梅会様公式 拝借1 久良岐のよし
※画像は2016年の広告
大倉山の梅林の隣には、戦国時代の北条家重臣笠原康勝公が開いた竜松院と言う御寺が在る。
その御寺を含む大倉山公園~太尾見晴らしの丘公園にかけて続く鶴見川河畔の丘陵は、笠原家の居城❝大曾根城❞だった。
その城址に小規模な梅林が有り丘一体は大倉山地区の住民の憩いの場だったのを、東急不動産が開発破壊しようとした際に、義挙した住民が一丸と成り東急の城址と自然破壊に反対し、約30年前当時の細郷横浜市長の下で横浜市が買い上げ自然を残した公園として整備し梅林として有名に成った。
初春には周辺地域からも観梅客で賑わう。
連絡先:港北区地域振興課(観梅会実行委員会事務局) TEL 045-540-2235

本沢梅園(ほんざわばいえん)
住所:
相模原市緑区河尻4457‐1
見頃:2月初旬~3月初旬

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イベント:
開園期間
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
※本沢梅園は官営なので管理人が常駐しておらず、開園期間以外は梅園の遊歩道には入れない。
※梅園自体は山腹の斜面に広がっているので、道路沿いからでも十分観梅が楽しめる。
本沢梅園祭り
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
約1000本の梅が植林されている。
昔は谷だったが、近隣の津久井湖建設の残土で谷間を埋めて、そこに梅を植林した。
周辺に歴史史跡も多く、山頂の金刀比羅宮は古来、雨乞いの神事が行われた水の枯れない池が在る。
梅林から尾根伝いの山裾(やますそ)の寶泉寺を囲む山は平安時代末期に長井家によって築城された小松城址でもある。
近くの津久井湖や戦国時代の名城、津久井城址の山のピクニック等と合わせて見学に行くと、1日中自然を満喫出来る良いレクリエーションに成る。
※津久井城址は根古屋地区のパークセンターに無料駐車場有り、鎧や城址復元図等の展示も有る。
連絡先:
相模原市コールセンター TEL 042-770-7777
城山まちづくりセンター TEL 042-783-8115
アクセス:
駐車場…無料130台
バスと徒歩…JR/京王線の橋本駅~バス❝若葉台住宅行き❞に乗車~若葉台住宅で降車~徒歩30分。
本沢梅園アクセス

 

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先月の4月29日、友人と友人の友人の3人で奥多摩観光をして来ました。


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で、今年も青梅市塩船観音寺の❝躑躅祭り❞に行って来ましたが、29日はまだ7分咲きと言った所で綺麗ながらもまだまだ一昨日時点で1週間は山一杯の躑躅を楽しむ事が出来そうな感じでした。
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相変わらずメチャメチャ綺麗でした!
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これ見ないでゴールデンウイーク終わるの損だよ本当!
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塩船観音寺
ここは本当に躑躅の季節に綺麗だし、車でも青梅線でもそう遠くない澤乃井櫛かんざし美術館や澤乃井園、清流の宿おくたま路の日帰り温泉と合わせても楽しい観光が満喫できると思います。
ゴールデンウイークも残す所4日!
皆さん、是非楽しんで下さい。

今回の青梅探訪も休日雑記で書きたいと思います~。
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本当は昨日、北条家臣中田加賀守の記事を書く筈だったのですが忙しくて今日も書けていません(笑)。
でも週末に行った横浜市金沢区の称名寺、金沢文庫駅の名前の由来の御寺サンの参道と境内の桜が丁度、9分咲きで見頃だったので、歴史解説記事代りにその写真を掲載します。

きっと今週中に見に行けば、まだまだ見頃だと思いますよ♪

御近所は喜多屋と言う明治時代の料亭を旅館&Caféに業種替えしたオシャレな店や、小柴の柴漁港天丼小屋、もう少し歩けば海の公園や八景島シーパラダイスが在り、レジャーやランチのついでに桜散策には持って来いの場所ですよ!
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金澤山 彌勒院 稱名寺・・・真言律宗別格本山
(きんたくさん みろくいん しょうみょうじ)
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とっても春は雰囲気の良い御寺なので、是非足を延ばして見ては如何でしょうか~?
この御寺は鎌倉時代の名将、北条実時公の邸宅跡を寺院化した場所で、真言律宗別格本山の格式を持つ御寺です。北条実時公の金沢北条氏は鎌倉幕府の重鎮で六波羅探題と言って今の関西地方を治める役職を担った家柄でした。
恐らく全時代の武士を通じて屈指の、戦国時代の細川藤孝公以上の文化人だったので北条実時公が収集した経典や花器仏具等は膨大な量に及び、更に後に鎌倉公方とも密接な関係に成った寺院だったので多くの古文書も残る事から歴史学者には「東の正倉院」の異名で呼ばれた場所でした。
御寺の境内の隣の谷に北条実時公が収集した文化財を保管するする称名寺の文庫が有ったので、そこが文庫谷(ぶんこがやつ)と呼ばれる様になり、それが地名と京浜急行金沢文庫駅の駅名由来に成ったんです。

実は今年に入ってから先月迄、国家資格をいっぺんに3つ取得したり、今月から仕事で使えそうな別の資格の勉強も始めるので今週末までちょっと忙しくて、中田加賀守の矢上城の記事を書けるか分かりませんが出来るだけ週末にはUPする様にしますね!余り濃い内容には成らないとは思いますが、久しぶりに地形の解説なんかも入れたいと思っています。

ささ!今年は桜がベストコンディション!
皆さんにも小生にも今年の桜同様に元気いっぱい明るい良い年に成ります様に~♪







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田浦梅の里・・・横須賀市田浦
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国指定名勝 横浜三渓園・・・横浜市中区三之谷
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日比谷花壇 大船フラワーセンター・・・鎌倉市岡本
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岡村天満宮・・・磯子区岡村
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岡村梅林・・・磯子区岡村町
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久良岐能舞台・・・磯子区岡村町
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曽我梅林・・・小田原市曽我別所
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浄智寺・・・北鎌倉(鎌倉市山ノ内)
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東慶寺・・・北鎌倉(鎌倉市山ノ内)
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三月堂花仙(和菓子喫茶店)・・・北鎌倉(鎌倉市山ノ内)
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建長寺と奥院半蔵坊権現・・・北鎌倉巨福呂坂(鎌倉市山ノ内)
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材木座海岸~小坪飯島公園・・・鎌倉市材木座~逗子市小坪
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・・・今年はシーズン中に天候に恵まれた日が少なかったのと、用事が立て込んで例年の様に遠征して一日に何ヶ所も見て廻る事が出来なかったな~。曽我梅林では母も家の鍵を無くしたし。でも姪が叔父ちゃんと一緒に見に行きたい~と言って関心を持ってくれたのは、姪の情操教育の為にも良かったと思う。大人になって物と金と酒と男にしか興味の無い様な無文化な日本人に成って欲しくないから、自分から綺麗な風景に興味を持ってくれるのは良い事だ。将来彼氏が出来た時に叔父ちゃんとお婆ちゃんと一緒に観に行った曽我梅林を思い出してデートに行ったりしてくれると嬉しいなぁ~。




















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2018年以前の曽我梅林風景写真
神奈川県最大の30000本超の梅林
今年も見に行きたい!
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戦国時代、小田原北条家臣団は梅の植林に熱心だった。
特に徳川幕府で初代鷹匠頭に成った間宮信繁公や、生野銀山奉行本牧奉行の間宮直元公が現在の横浜市磯子区~港南区の旧杉田郷に植林した杉田梅林は江戸時代~昭和初期に梅の産地として有名で杉田梅は最高級品種として流通した。しかし杉田梅は杉田梅林共々神奈川県と横浜市の教育委員会が保護を怠り、横浜市から姿を消した。その際に杉田から小田原市曽我別所に移植された杉田梅の梅林が今では広大な曽我梅林の拡張の始まりと成った。
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平安時代の人々は梅の花を見て春の訪れを感じたそうです… 
そんな訳で神奈川県内で綺麗な梅の花の名所を小生の知る場所だけ、一覧として掲載します。
もし他にも県内に素晴らしい梅林を御存じの方は、紹介コメントを残して頂けると幸いです。
※小生がブログ写真の未撮影の梅林については公式ホームページ写真を転用紹介します。
※公式ホームページが有る場所は名前にリンクも貼りますので参考にしてみて下さい。
※梅林の名称をクリックすると、リンク先の公式ホームページを閲覧出来ます。
※過去記事転載でイベント日程が以前のまま記載されている部分が有りますので、詳細は掲載された問い合わせ先にご確認ください!

湯河原梅林
住所〒259-0313足柄下郡湯河原町鍛冶屋951-1付近
見頃:3月初旬
湯河原梅林様公式 画像拝借1 久良岐のよし  
湯河原梅林様公式 画像拝借2 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
イベント
湯河原梅林は約4000本の梅を誇る。箱根~小田原~熱海の温泉地や名勝旧跡からも車で1時間以内と近く、周辺には温泉宿も多く有る風光明媚な観光地で泊りがけの梅林鑑賞を楽しめる夜間ライトアップも行っている。
梅の宴 例ねん02月初旬~03月中旬開催※詳細は御自分で問い合わせして下さい。 
夜間ライトUP 02月末~03月初旬の18:00~20:30の時間 ※詳細は御自分で問い合わせして下さい。 
連絡先
湯河原町観光課 TEL 0465-63-2111
アクセス
幕山公園
駐車場…500円~300円(会場との距離で料金が異なる)
JR湯河原駅~バス乗車(約20分に1便間隔)~15分で到着 湯河原梅林 アクセス 久良岐のよし



【辻村植物公園】
住所
〒250-0042小田原市久野荻久保4381
見頃:2月末~3月初旬
辻村植物公園2 小田原市公式様より拝借 久良岐のよし 
辻村植物公園 小田原市公式様より拝借 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
イベント
特に無い。
連絡先
小田原市広報広聴課 TEL 0465-33-1261
アクセス
辻村植物公園
駐車場500円
JR小田原駅西口~バス乗車いこいの森(わんぱくらんど)行き~約10分、辻村植物園で降車
辻村植物公園 アクセス 久良岐のよし 

小田原城 城址公園内梅園
住所小田原城址公園
見頃:2月中旬~3月初旬
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イベント
梅まつり
※公式ホームページで御確認下さい。
梅林の規模は50本前後と小さいが、御城を見学出来る上に場内でレンタル甲冑で写真撮影等も出来る。
また、辻村植物公園の梅林や曽我梅林や小田原フラワーガーデンと合わせて鑑賞に来れる距離。
連絡先
TEL 0465-23-1373
アクセス
JR小田原駅から徒歩10分
公共駐車場無し。周辺に私営駐車場有り。 小田原城アクセス 久良岐のよし


小田原フラワーガーデン
住所
〒250-0055 神奈川県小田原市久野3798-5
見頃:2月中旬~3月初旬
小田原フラワーガーデン 公式様より拝借 久良岐のよし 
小田原フラワーガーデン 公式様より拝借2 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
イベント
渓流の梅林 梅まつり
※公式ホームページで御確認下さい。
連絡先
TEL 0465-34-2814
アクセス
JR小田原駅乗り換え~伊豆箱根鉄道大雄山線飯田岡駅~徒歩10分
駐車場(140台)無料
小田原フラワーガーデンアクセス 久良岐のよし 


曽我梅林
住所
〒250‐0205神奈川県小田原市曽我別所282付近一帯

見頃:2月初旬~3月初旬
曽我別所梅まつり観光協会様公式 拝借1 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
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イベント
小田原梅まつり
※公式ホームページで御確認下さい。
※曽我梅林は他の梅林とケタ違いの3万本以上の広大な梅林です。
連絡先
小田原別所観光協会 TEL 0465-42-1965
アクセス
電車…JR東海道本線国府津駅~御殿場線に乗り換え~下曽我駅~徒歩15分。
バス…小田原駅・国府津駅からバス有り。中里で降車~徒歩20分。
曽我別所梅まつりアクセス 久良岐のよし 


松岡山東慶寺 金峯山浄智寺
住所
東慶寺〒247‐0062鎌倉市山ノ内1367

浄智寺〒247-0062鎌倉市山ノ内1402
見頃:2月下旬~3月初旬

【東慶寺】

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駆け込み女と駆け出し男
※東慶寺は2015年公開の映画❝駆込み女と駆出し男 ❞の舞台です。 

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【浄智寺】
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浄智寺は鎌倉五山で京都の征夷大将軍が直接住職を任命する特別な寺だった。
現在は鎌倉江ノ島七福神巡りの一つ。 

東慶寺から徒歩5分。
※2015年06月14日に撮影
イベント
特に無し。
東慶寺は約100本以上、浄智寺にも数十本の梅が咲く。
東慶寺と浄智寺は徒歩5分の距離。ともに歴史が深く、東慶寺は鎌倉幕府執権北条時宗の妻、覚山尼様の開基。その後は後醍醐天皇の皇女用堂尼様、戦国時代には豊臣秀頼公の御息女の天秀尼様が住職を務めた。映画❝のぼうの城 ❞のヒロインで女傑として有名な成田甲斐姫も天秀尼様の養育係として仕え東慶寺に同行し住したと伝承する。
浄智寺は鎌倉五山の一つの各式を持つだけでなく、嘗(かつ)ては広大な敷地と無数の堂塔を有し、鎌倉公方の仮御所に定められる事も度々有り、足利持氏公や足利成氏公が滞在した場所でもある。
連絡先
東慶寺 TEL 0467-33-5100
浄智寺 TEL 0467-22-3943
アクセス
東慶寺 JR北鎌倉駅~徒歩5分
浄智寺 JR北鎌倉駅~徒歩8分
東慶寺浄智寺アクセス 久良岐のよし 


錦屏山瑞泉寺 異名:花の寺&荏柄天神社】
住所:
瑞泉寺 〒248-0002 鎌倉市二階堂710
荏柄天神社 〒248-0002 鎌倉市二階堂74
見頃:1月中旬3月初旬、黄梅は2月中旬~3月中旬 
瑞泉寺様公式mayumi-katsu様撮影 拝借1 久良岐のよし
※画像は瑞泉寺様公式から拝借
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荏柄天神社は日本三古天神社の一つに数えられる天満宮で、境内には数十本の梅が咲く。
イベント:
瑞泉寺
瑞泉寺様公式催事 拝借 久良岐のよし
※画像は瑞泉寺様公式から拝借
季節ごとに、その季節に見頃の花を植樹してある。梅は数百本を数える。
鎌倉時代~江戸時代まで権力者達が心の安らぎを瑞泉寺の花々に求めて訪れ歌会等を催した。
裏山にかつて在った一覧亭と言う建築からの眺望が良く、水戸徳川光圀(黄門様)も訪れた。
近くの荏柄天神社にも数十本の梅が植樹されているので、荏柄天神社と瑞泉寺をセットで見学するのが御薦め。
徒歩に行ける範囲の浄妙寺や鎌倉宮と合わせて見学しても、より鎌倉市街の旧鎌倉幕府拠点地域の原風景を楽しめる。浄明寺では抹茶も飲める。鎌倉宮は桜の名所。
連絡先
瑞泉寺 TEL 0467-22-1191
荏柄天神社 TEL 0467-25-1772
アクセス:
荏柄天神社 鎌倉駅東口~バス(大塔宮行き)乗車10分~天神前で降車
瑞泉寺 鎌倉駅東口~バス(大塔宮行き)乗車15分~終点大塔宮で降車
瑞泉寺荏柄天神社アクセス 久良岐のよし 


日比谷花壇 大船フラワーセンター
住所:
〒247-0072 神奈川県鎌倉市岡本1018
見頃:2月中旬~3月初旬
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イベント:

※画像は大船フラワーセンター様公式から拝借
玉縄桜を楽しもう
大船フラワーセンター様公式 拝借4 久良岐のよし
※画像は大船フラワーセンター様公式から拝借
玉縄桜の❝玉縄❞とは古来より伝わるこの地域の地名で、戦国時代、今の清泉女学院中学校を本丸にした❝玉縄城❞と言う名城が在った。上杉謙信軍10万、武田信玄軍2万6千に攻められても落城しなかった堅城だった。
その歴代城主が小田原北条家親族の玉縄北条家で、玉縄桜はその殿様の居城の名を頂いた由緒正しい桜で、観梅の頃に咲く。近くの龍寶寺は関東最強の武将北条綱成公の菩提寺で歴代城主の御廟所も在る。境内には他に玉縄歴史資料館も有り、玉縄城の復元縄張り模型や出土品が展示されている。

梅花は本数は大量ではないが、植物園だけあり他所より多くの種類を一度に観られる上に他の花や樹木も楽しめる。
連絡先:
日比谷花壇 大船フラワーセンター TEL 0467-46-2188
アクセス:
駐車場109台
電車&徒歩 
大船駅降車 大船駅西口(大船観音側)~徒歩16分
バス 
大船駅西口バスターミナル1番乗り場から❝渡内経由藤沢駅行き❞か❝公会堂経由城廻り中村行き❞に乗車~❝岡本(駅から3番目のバス停)❞で降車~徒歩3分。 
大船フラワーセンターアクセス 久良岐のよし制作 


田浦梅林の里
住所:
横須賀市田浦大作町
見頃:2月下旬~3月初旬

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※写真は2015年03月07日
イベント:
梅林まつり 2月中旬~3月初旬
田浦梅林は今上(現在の)天皇陛下の御生誕記念に植樹されたのが始まりで、現在では梅の本数は2700本を超え、梅の根元には水仙75,000株が植えられている。
田浦の山全体に梅が植林されており、山頂からは梅林越しに懐かしい神奈川の里山の風景を眺める事が出来る。
連絡先:田浦観光協会 TEL 046-961-4181
アクセス:
バスと徒歩…田浦郵便局バス停で降車~山頂まで徒歩20分
電車(JR)と徒歩…JR田浦駅で降車~山頂まで徒歩25分
電車(京急)と徒歩…京急田浦駅で降車~山頂まで徒歩40分
田浦梅林


岡村梅林
住所:
〒235-0021横浜市磯子区岡村6-8-19
見頃:2月下旬~3月中旬
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イベント
岡村梅林は大きくは無いが、150本前後の梅が植林されている。
夜間ライトアップ
※公式ホームページから御確認下さい。
梅まつり
※公式ホームページから御確認下さい。
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この岡村梅林は、元々周辺の横浜市立岡村公園(スポーツ公園)と合わせて、近隣の岡村天満宮の社地だった。岡村天満宮の開基は鎌倉御家人三浦家の一族の平子家と伝わり、その人物は平子有長公と推定出来る。有長公は鎌倉御家人で最初の源頼朝公暗殺未遂事件の実行犯を取り押さえた勇敢な武将でもあった。丘の裏手には戦国時代の名将北条氏繁公の開いた龍珠院も在る。
岡村天満宮の社領は第二次世界大戦後に米軍に接収された後、横浜市に返還されたが横浜市が岡村天満宮に返還しなかった為に一度、岡村梅林は消滅したが、岡村天満宮の氏子様の有志達が旧社地の一部を買戻し、現在の岡村梅林部分にも梅を植林し梅林を復興して下さった歴史が有る。
連絡先:岡村公園 TEL 045-751-4375
アクセス:
バス
京急弘明寺駅/市営地下鉄弘明寺駅/蒔田駅/JR磯子駅のいずれかの駅から乗車~天神前バス停か岡村交番前バス停で降車~徒歩5分
駐車場…岡村公園の有料駐車場~徒歩3分
岡村梅林アクセス


根岸森林公園
住所:
〒231-0853 横浜市中区根岸台1-2
見頃:2月下旬~3月初旬
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※上写真は明治時代の旧競馬場一等観覧席(米軍横須賀ベース管理の史跡)
※下写真は松任谷由実の歌“海の見えていた午後”の舞台の“ドルフィン”
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イベント:特に無い。
広い芝生の広場と園内に広がる桜林は横浜市民の憩いの場としても有名だが、公園の中央には400本からの梅林も整備されている。
もともとは競馬場だった。
幕末、横浜港が開港され本牧半島が外国人居留地に成った事で、駐在する欧米の外交官や軍人の要望で明治時代に建設された日本最初の競馬場の跡地。
隣接してJRAのポニー広場や競馬関連の博物館も有り、御弁当を持参すれば小さい子供連れの家族でゆっくり時間を過ごせる場所。自然湧水の池では子供がザリガニ捕り等も楽しめるる公園。
又、徒歩すぐの場所にはユーミンが十代の頃、まだ芸名が荒井由実だった時代に❝海を見ていた午後❞と言う曲で歌詞に歌ったレストランの❝ドルフィン❞が有る。
歌の通り、ドルフィンソーダを頼むと、この曲をかけて貰えます。
連絡先:横浜市環境創造局 TEL 045-671-3648
アクセス:
JR根岸駅~徒歩15分
駐車場有り。
根岸森林公園アクセス 久良岐のよし


三渓園
住所:
231-0824横浜市中区本牧三之谷58‐1
見頃:2月下旬~3月中旬
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イベント:
季節ごとのイベント有り。
もうすぐ観桜の夕べで桜の夜間ライトアップ有り。
※イベント一覧は公式ホームページで御確認下さい。
明治時代の原財閥の富豪、原三渓が当時、廃仏毀釈で荒廃した全国の仏閣や徳川家所縁の城跡の建築文化財を広大な私邸に移築し保護した。日本で全国に先駆けて私立公園として私邸の建築文化財と日本庭園を広く庶民に公開した。
中には聖武天皇の勅願所だった京都府の灯明寺の旧本堂や三重塔や鎌倉の尼寺東慶寺の仏殿、紀州徳川家の和歌山の別荘や、京都の伏見城等、数え切れない程の建築遺産が移築保護されている。
現在は原財閥から横浜市が管理を委ねられている。
原三渓の御蔭で破壊を免れた重要文化財や、季節ごとの花の綺麗な広大な日本庭園。
連絡先:045-621-0834
アクセス:
駐車場有り。
桜の季節は駐車場に入るのに1時間以上待つ場合が多々有ります。
電車&バス
JR根岸駅でバス乗車~本牧下車。
JR桜木町駅/横浜駅東口~バス乗車~本牧三渓園バス停降車~徒歩5分。
みなとみらい線元町中華街駅4番出口近く、山下町バス停乗車~本牧三渓園バス停降車~徒歩5分。
三渓園様公式拝借2 久良岐のよし
三渓園アクセス 久良岐のよし


大倉山公園梅林
住所
:〒222-0037 横浜市港北区大倉山2-36-8付近
見頃:2月下旬~3月初旬
大倉山観梅会様公式 拝借2 久良岐のよし
※写真は大倉山観梅会運営様公式から拝借
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イベント
大倉山観梅会
※開催日は公式ホームページで御確認下さい。
大倉山の梅林の隣には、戦国時代の北条家重臣笠原康勝公が開いた竜松院と言う御寺が在る。
その御寺を含む大倉山公園~太尾見晴らしの丘公園にかけて続く鶴見川河畔の丘陵は、笠原家の居城❝大曾根城❞だった。
その城址に小規模な梅林が有り丘一体は大倉山地区の住民の憩いの場だったのを、東急不動産が開発破壊しようとした際に、義挙した住民が一丸と成り東急の城址と自然破壊に反対し、約30年前当時の細郷横浜市長の下で横浜市が買い上げ自然を残した公園として整備し梅林として有名に成った。
初春には周辺地域からも観梅客で賑わう。
連絡先:港北区地域振興課(観梅会実行委員会事務局) TEL 045-540-2235


本沢梅園(ほんざわばいえん)
住所:
相模原市緑区河尻4457‐1
見頃:2月下旬~3月初旬 
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イベント:
本沢梅園祭り
※開園期間はホームページで御確認下さい。
※本沢梅園は官営なので管理人が常駐しておらず、開園期間以外は梅園の遊歩道には入れない。
※梅園自体は山腹の斜面に広がっているので、道路沿いからでも十分観梅が楽しめる。
約1000本の梅が植林されている。
昔は谷だったが、近隣の津久井湖建設の残土で谷間を埋めて、そこに梅を植林した。
周辺に歴史史跡も多く、山頂の金刀比羅宮は古来、雨乞いの神事が行われた水の枯れない池が在る。
梅林から尾根伝いの山裾(やますそ)の寶泉寺を囲む山は平安時代末期に長井家によって築城された小松城址でもある。
近くの津久井湖や戦国時代の名城、津久井城址の山のピクニック等と合わせて見学に行くと、1日中自然を満喫出来る良いレクリエーションに成る。
※津久井城址は根古屋地区のパークセンターに無料駐車場有り、鎧や城址復元図等の展示も有る。
連絡先:
相模原市コールセンター TEL 042-770-7777
城山まちづくりセンター TEL 042-783-8115
アクセス:
駐車場…無料130台
バスと徒歩…JR/京王線の橋本駅~バス❝若葉台住宅行き❞に乗車~若葉台住宅で降車~徒歩30分。
本沢梅園アクセス

 


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前回の海禅寺編⤵️
コレ⤴️の続き…
 

海禅寺で御住職への取材と間宮家顕彰文での海禅寺の紹介文の記載の許可を頂いき、三田綱秀公の誠実に生きた生涯について御住職と色々と語り合い、次回の秋の参詣まで暫し御別れの挨拶をして御寺を後にした…
車に乗り込む頃には既に12時を回っており空腹感を強く感じていた。
実は、早朝にセブンイレブンの店員さんから紹介されたドラマ❝相棒のロケ地と成ったカフェ❞や興味の有るレストランが数件有ったのだが、午後13時から車で30分先の阿蘇神社にて熊本復興祈願と被災者生活再建祈願の祈祷をして頂く事に成っていたので 昼食をゆっくり食べる時間は既に無かった。
早朝に海禅寺へ向かって車を走らせている時に気に成った饅頭屋が有ったので、そこで饅頭を買って小腹を満たそうと思い立ち、海禅寺から出発して最初の目的地に 「へそ饅頭本舗」と言う店だ。CIMG3396
御店主に質問した所。この店舗自体は既に65年の歴史が有るそうだ。
青梅市の名物も余り印象が無いので、この御店を見つけた事はとても嬉しい発見だった。
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 この店は箱売りの御土産が店頭に展示してあるが、小売りを注文すると暖かい蒸したての物を提供して下さる。
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 ふわっふわでとても美味しかった!
へそ饅頭の名前の由来は、文字通り❝へそが饅頭に有るから❞みたいだ。
次回、海禅寺の御住職様に会いに行く時は御土産にこれを持参しよう。
車の中でへそ饅頭をパクつき自販機で購入した御茶を飲んで再出発!
隣接市の羽村市、武蔵阿蘇神社を目指した。 
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武蔵阿蘇神社に着くと、平日の水曜日と言う事も有って人は混んでおらず静かな雰囲気だった。
昨年の訪問時はチューリップ祭り開催中の休日だった事、熊本地震で熊本の阿蘇神社の本社が倒壊したが地震での死亡者が極端に少なかった御利益で関東で唯一の羽村市の武蔵阿蘇神社が有名に成り、熊本復興祈願の御参りに来る人やパワースポットとして来る若い参拝客がそれなりに多くいた。
今年は静かで良い(笑)。
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本殿への到着時刻は約束の13時の1分前に到着。あぶねー(笑)。
訪問の目的は熊本で神話の時代から阿蘇神社の大宮司家である阿蘇家の戦国時代の居城、熊本県上益城郡山都(やまと=旧、矢部)町に有った岩尾城に掛かる建築文化財の石橋❝通潤橋❞の名を冠した❝通潤❞と言う御酒を神前に奉納し「阿蘇山の鎮化」「熊本県の復興」「被災者の生活再建」の祈祷をして頂く事だった。
禰宜の宮川さんは小説を読んで小生の到着を待っていて、小生に気が付くと直ぐに拝殿の中に通して下さった。
儀式を一頻(しき)り終えて、御正月に話せなかった禰宜さんから1年ぶりに色々と御話を聞けた。
昨年の熊本地震の後、武蔵阿蘇神社の氏子さんや有志と宮司様禰宜様が復興支援金と阿蘇神社本社の再建資金を熊本に送ったのだが、昨年、熊本の阿蘇神社本社の禰宜さんがわざわざ奥多摩の羽村市武蔵阿蘇神社まで来て下さったそうだ。そして再建の行程が具体化して着手された事や、様々な報告、実際の状況の動画等を見せて下さったそうだ。
羽村市の武蔵阿蘇神社は平安時代に関東で善政を敷いて万民から愛された名将の平将門公が、藤原貴族に讒訴(ざんそ=陰謀で貶められ組織に嘘を報告される事)されて攻め殺されたのだが今でも関東人と生粋の武士の子孫は平将門公を尊敬している。
そんな将門公が結んだ熊本(肥後)と埼玉東京横浜(武蔵国)の縁は今でも深く、こうして武蔵阿蘇神社から義援金が熊本に届けられたりしている訳だ。
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小生も宮川宮司様と禰宜様の義に賛同している者の一人だ。
そんな訳で正月にも参拝に来たのだが、熊本大地震から1年後、又、復興祈願の祈祷を行って頂く為に参上した訳だ。
熊本と多摩郡と小生の住む久良岐郡(横浜)は遠く離れていても、心の距離は平将門公と阿蘇大宮司家が結んで下さった御縁の御蔭で今でも近い。 

さて、上の写真の阿蘇神社の裏手の参道の横には羽根用水と言う灌漑水田への水量管理の機能を有した水路が有る。
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阿蘇神社での用事が終わって先ず見た場所はチューリップ祭りではなくてここだった。
実はこの❝羽根用水は室町時代から存在した用水路の建築遺産❞なのだが、それを知る人は東京都民にも少ない。
玉川上水よりも数百年前から存在している大切な場所だ。 
今年の正月に新年の御挨拶に阿蘇神社を参詣した際、この羽根用水が昨年2016年10月に大雨で多摩川が増水し羽根用水が決壊してしまい、チューリップ祭りが開催される根搦前水田(ねがらみまえすいでん)に供給する水が無くなっていたので非常に心配していたのだが、羽村市役所の方々が努力をされて見事に復旧した様で安心した。 
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 手前の羽根用水が奥多摩から流れ降りて来る多摩川上流の清涼な水を満々と讃えている。用水の向こう側が多摩川だ。
この用水路に沿って歩いていくとチューリップ祭りの会場に辿り着く。
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 このチューリップ祭りの会場は恐らく関東で屈指の広さを誇っている。
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とても綺麗な風景なのだが、実は、この場所も❝途轍(とてつ)もない歴史遺跡❞なのだが、これを知る人も又少ない。
ここは古代から多摩川の自然堤防の内側の湿地帯で、古代から稲作が行われていた場所なのだ。
早ければ❝縄文時代末期から稲作が行われていた可能性の有る場所❞なのだが、これが神奈川県の走水神社の伝承なんかとも合致する。
東京都の多摩地区の教育委員会は文化と歴史遺跡保護に非常に熱心で、文化財保護法の設置を最後まで拒んで多くの文化史跡と歴史史跡を建築利権の為に破壊した神奈川県と横浜市の連中とは大違いで、古い定説に拘らずガンガン発掘調査をするので最先端の意見を持ちガンガン史跡を見つける類の学者さんが多い。
走水神社の伝承では稲作に関わる稲荷神社が既に紀元前から存在しており、自然の湿地帯を利用した稲作が関東では普及していたんじゃないかと氏子さん達に伝承している。そして関東最古の大社格を有する埼玉県久喜市の鷲宮神社でも縄文~弥生時代の遺跡が低湿地に囲まれていた地域と湧水地付近で発掘されている。
神奈川県の博物館の学芸員だけが関東での縄文ないし弥生時代からの稲作の可能性すら否定しているのは「そういう雰囲気が出世と関係ある」のだろうと小生は推測している。
まぁ、そんな訳で、ここは古代の水神としての蛇神信仰から変化し古墳時代位から関東に根付いていた龍神信仰の舞台でもあり、やはり稲作と密接な関係が有ったりする。 
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 だから今も雨乞街道が残っている。根搦前水田の多摩川を挟んだ対岸に昔、丸山と呼ばれた尾根が今もあり、その下には近代の河川改修まで❝淵(ふち=水辺の深み)❞が有ったのだが、そこが龍神信仰と雨乞いの聖地として機能したそうだ。現代では残念ながら治水工事でこの丸山下の淵は消滅した。
延喜式神名帳に載る神奈川県伊勢原市の大山阿夫利神社と別当寺の大山寺の
御祭神も高 (たかおかみ)と言う龍神様が水神として二重の滝と神社の神様として祀(まつ)られている。
そして同じく神奈川県大和市の深見神社も名前からして雨乞いの神様であり、そして御祭神は稲作と関係深い宇迦神(うがじん)=倉稲魂神(うかのみたまのかみ)=御稲荷様だ。
以前ブログでこれらの事は話した事が有るのだが、高尾山も恐らく水神信仰若しくは雨乞いと関係が昔は有った筈だ。
さて、歴史の話はここまでにして、チューリップ祭りの風景に話を戻そう。
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 今年のチューリップ祭りは04月19日に訪問した訳だが、今年の気候のせいか昨年よりも発色が素晴らしかった!
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 どこを見ても何の品種を見ても素晴らしい!
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本当に再訪して良かったと思う。
楽しみもチューリップだけでは無く、屋台が数軒出るので食事も楽しみにしての訪問だった。
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流石奥多摩!屋台に鮎(あゆ)や山女魚(やまめ)の塩焼きも有った。
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しかも鮎は500円、山女魚は600円と安い!もし横浜の懐石料理屋で注文したら1匹1000円以上は確実に取られるだろう。これを見て、川魚とお好み焼きを昼食にする事を即決した。
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鮎も山女魚も皮がパリパリ、炭火でゆっくり焼かれていたので骨までバリバリ食べられた。
美味しかった!尻尾は塩っ辛かったけど(笑)。
お好み焼きは普通の屋台の奴。
でも美味しかった。
チューリップ祭りの行われる根搦前水田には素敵な茶屋も有る。
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今回は訪れなかったが来年また来たい。若しくは秋のあきる野市の秋川渓谷の紅葉と見学と合わせて来ても良いかな?
腹も満足し、チューリップ鑑賞に復帰!
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いや~もう言う事無いでしょ!凄い綺麗!
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来年も又、熊本復興祈願の御参りをチューリップ祭りと合わせて訪問したいなと思う。
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チューリップ祭りの会場を後にして、河川敷の臨時駐車場へ向かう途中、もう一つの重要な史跡を見る事が出来るので写真に収めておいた。
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玉川上水の取水関だ。
実は江戸時代に江戸市民の生活を支えた井戸は全て玉川上水の水だった。
そして全ての水はここから汲み上げられて江戸へ用水路を通じて供給されていた。
この仕組みは戦国時代の関東の覇者だった小田原の北条家が城下町整備の際に作った❝小田原用水❞がモデルに成っていて石工達も小田原から徳川家に雇われて用水路建設に携わった棟梁は小田原の石工として現在もその家が現存している。そして小田原用水は日本史上最初の上水道と言われている。
そして、小生の推測では更に、大河川から用水路を引いて水の内地域へ供給する仕組みは羽村市の羽根用水がモデルに成っているのじゃないかとも推測している。
北条家が用水路を作ったのは北条氏綱公~北条氏康公の頃の話と推測されている。
丁度、その御二人の時期に多摩地方へも北条家が勢力を伸張しているので小生はその様に推測する訳だ。
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伊勢原市の扇谷上杉家の居城、粕屋館周辺にも千石堰用水と言うのが昔から存在するのだが、それは取水口と言う性質の物では無くて小川の流路を限定して流したい方向に水を流すと言った感じで小規模な物だ。
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まぁ、空堀に水を引き込んで湿地にするのが目的なので、大きな水源から水を供給する壮大な設備である必要が伊勢原市の方は無かった訳だ。
そんな訳で羽根用水が室町時代には存在していたのに立派な規模を誇る事は非常に❝凄い❞訳だ。
この歴史を多摩地区の人は玉川上水と一緒に大切にして頂けると後々の財産にも成ると思う。
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可愛い花々を見て、羽村市を後にした。
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あきる野市では先ず最初に「ルピア」と言う商業施設を訪問した。
地元の方から事前に❝ちっとん餅❞と言う御当地スウィーツを教えて貰っていたので、それを購入する為だった。
しかし水曜日は非営業日、あえなく撃沈して大人しく次の目的地へ向かった。
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中村酒造さん。
ここは歴史200年超を誇る酒蔵で、試飲も出来るのだが小生は飲酒の習慣が無く酒其(そ)の物には興味が無いのだが立派な建物や酒造りに興味が有って以前から気に成っていた。
なので、あきる野インターチェンジの近くと言う事も有って帰りに立ち寄った訳だ。

どんな場所かは紹介を別記事に纏めてみた。

コレ⤵️

興味有る方は参考にして貰うと良いと思う。CIMG3472

普段は酒を飲まない小生だが、梅酒だけはたまに飲む。最近は梅の特産地を訪問する度に梅酒を土産に買って帰るのだが中村酒造では変わった梅酒が有り、東京の名酒❝千代鶴❞の原酒に梅を漬け込んだ「梅酒(うめざけ)」なる物を販売していたので、これを母と自分の土産に1本、それと父に清酒千代鶴も購入して帰った。
帰ってから、04月12日に伊勢原市大山で購入した豆腐の味噌漬けと一緒に中村酒造の梅酒を楽しんだ。
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ふむ。
青梅~羽村~あきる野は平将門公や源頼朝公、北条家の武将達と深い関わりの有る土地で歴史散策も楽しく、風景も綺麗で有意義な休日と成った。
平将門公、三田綱秀公、北条氏照公、そして多摩の親切な人々、ありがとうございました!

次の休日雑記は04月22日の海老名市~綾瀬市~藤沢市訪問時の事を書きます。
では又!






 

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前回の辛垣城址編⤵️

これ⤴️の続き・・・


辛垣(からかい)城址の頂上で海禅寺の御住職に「10時位の到着に成ります」と連絡をして、城山を降りて御寺に向かった。
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海禅寺は現代では参道がJR青梅線に分断されている。
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こう言った事は良く有る事で、鎌倉でも臨済宗鎌倉五山第二位の格式を持つ円覚寺や、坂東平氏の祖先を祀る御霊神社の総本社である鎌倉坂の下の御霊神社も同じ様に江ノ電が参道を横断している。
まぁ御寺や神社の境内地は昔は広大だったので、明治~昭和初期にかけて鉄道開発をする際に線路を敷設しやすかったので政府に土地を接収されてしまう事が多かった様だ。
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だから昔の山門は場所を移して、現在は中央線の踏切に成ってしまった参道の左手に移設して現存している。
「不許葷酒入山門(酒を帯びて境内に入っちゃダメ)」
ふむ、禅宗寺院の昔の厳格さを忍ばせる石碑だ。
まぁ、今は禅宗寺院でも御酒を飲む和尚さんばっかだけどね。
小生は現代人の庶民だが「(酒を)飲む」「(博打を)打つ」「(女を)買う」を一切しないので、ある意味では仏様に好かれるのかも知れない。神様にもいつも礼拝しているし、神様にも好かれると思う。
じゃないと小生の様に仕事徹夜空けで遠征ドライブし山登りまくって、性格も喧嘩っ早いのに無事でいられたり過去8回ひき逃げや交通事故に遭って掠り傷だけで済んだりしないだろう。
でも幼少期にハチャメチャ過ぎて手を2回骨折してるし、医療技術の発達してなかった時代なら障害者に成ってたね。
まぁ~神様や仏様や尊敬する偉人と、幼少期に可愛がってくださった恩人や御先祖、友人達と御医者様に感謝しないといけない。
そもそも、今生きているのも北条綱成公の御蔭だし。
そんな訳で北条綱成公の顕彰活動を始め、家老の間宮家の顕彰活動も始め、その間宮家と関係が深い海禅寺サンに横浜から御参り&御住職様に取材に来た訳だ。
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海禅寺は三田氏の菩提寺とだけ伝わるが、それは曹洞宗の寺院として再興されて以降の歴史しか現代に伝わっていないからだろう。曹洞宗は荒廃したり戦火で消えた御寺を北条家の支援で多く曹洞宗寺院として復興(再開基)しているのだが、何せ一度消えた御寺を復興してる場所だらけで、それ以前の歴史が伝わらない場所は多い。
海禅寺も実際は天正三年(1575年)に天皇家の勅願所に定められている格式の“状況”から言って、昔、荒廃してしまった格式の高い前身寺院が必ず存在していたはずだ。
実はこのヒントが神奈川県横浜市と新編武蔵風土記稿に残されていて、その話も御住職に確認したかった。
例えば、この謎を解く例を挙げると…
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上の写真は神奈川県藤沢市大庭に存在する曹洞宗の宗賢院。
この御寺は詳しい歴史は戦国時代の復興以後の事しか解らない。しかしながら源頼朝公の御父君、源義朝(よしとも)公の重臣だった大庭景義公と弟の大庭景親公の居城だった大庭城址に近在し、更には大庭景親公が陣中で使用していた釜が寺宝として現存する。つまり平安時代末期には前身寺院が存在していたはずだ。
加えて延喜式内社の神社である大庭神社舊(きゅう=旧)跡の熊野神社が近くに存在する事から鎌倉時代は大庭神社別当寺(べっとうじ=神社を守る為の御寺)だった可能性が非常に高い。
この熊野神社が大庭神社の旧址だと言う事は江戸時代の人々にも認識されており、それは相模国五之宮であり古代の一之宮だった有鹿神社と、今の一之宮の寒川神社に証拠が残っている。
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江戸時代の相模国延喜式内社を網羅した掛軸、これは寒川神社の当時の宮司が書いた物だが大庭社熊埜天神と書かれている。熊野神社に成っているのは大庭神社旧跡、菅原道真公を江戸時代に習合しているのが現在の大庭神社本宮、つまり両方の名を合わせた大庭社熊埜天神と記載されている訳だ。
格の高い神社の傍には別当寺が必ず存在しているものなのだが、熊野社に成っている大庭神社旧跡の別当は室町以後~現代でこそ本宮の方と同じ別当寺だが位置的に不自然きわまりない。昔は宗賢院の前身寺院が旧跡の別当だったはずだ。
極め付きは宗賢院の寺紋(じもん=御寺の家紋みたいな物)が太田桔梗、そして山号が蟠龍山である事だ。
昭和初期までの神奈川県民と県役人達の認識でも、伝承や状況証拠でも大庭城は室町時代のある時代、永享の乱の頃まで扇谷上杉家の本拠地だった様だ。
戦国時代の扇谷上杉家は武蔵国に勢力を誇ったが、元々は武蔵国南部は宅間上杉家の支配地だった。
そして扇谷上杉家の家老だったのが太田家だ。
太田家の一番有名な太田道灌公の菩提寺は神奈川県伊勢原市の“蟠龍山”洞昌院公所寺なのだが、山号が同じで、やはり太田家から使用を許された太田家の家紋の太田桔梗を寺紋にしている。
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だから公所寺の本堂にも宗賢院と同じ太田桔梗紋が彫刻されている。
これ等の事は宗賢院が大庭城主扇谷上杉家の家宰(かさい=社長代理みたいなもの)だった太田家と関わりが深かった事を知る十分な状況証拠に成っている。
そもそも曹洞宗が明治政府の神仏分離令まで日本神話や聖地を大切にしていた歴史その物がある訳で宗賢院も曹洞宗な訳だから大庭神社の事も関係が有って当たり前なのだが、残念ながら昔は和尚様達は世襲制では無く宗派の有力寺院から派遣されて来ていたので歴史が全て正確に伝わる訳も無いし、そもそも曹洞宗が復興した場所は全部廃寺に成っていた場所ばかり。
だから以前の事は解らず、曹洞宗に成ってからの記録しか御寺自体には伝わっていない事が多い。
そして海禅寺も開基されて100年足らずで唐突に❝天皇家の勅願寺❞や❝10万石の格式❞に成れる訳が無いので必ず格式高い全身寺院か神道や修験道の聖地が有った筈(はず)なのだ。
まぁ、そんな訳で「グチャグチャ文献だけ読んでても良く解んねぇ~し仕方ねぇ~な(笑)」と言うのが小生のスタンスなので、自分で実際に毎回取材に行く訳だ。
すると神社も御寺も歴史史跡も、文献には載っていない事が多く口伝や証拠が伝わっていたりするんだなコレが。

話を海禅寺に戻す。
海禅寺はそもそも福禅寺と言う名前だった。
江戸幕府の役人がド阿呆で、幕府の寺に対する領地保証書を発行する際に❝海禅寺❞と書き間違えてしまったので、土地の権利を守る為に仕方なく当時の御住職は海禅寺の名に寺名を改めるしか無かった。
役人が別寺院宛ての文書を誤って発給したか、教養が無くて寺名を書いた資料の草書体を読めず間違えて福を海にしたかは今では良く解らない。
実は幕府を開いた直後に三河、遠州から来た徳川家官僚には、この手のミスが多い。
…と言うか、恐らくいつの時代も官僚の中に適当な奴がいる。小生の様に趣味でやってるブログでは無くて仕事なのに校閲もせず適当に仕事をして、色んな文書の元号や武将の名前や法名を書き間違えている事が多い。
しかし被害者が幕府に抗議すれば、それがたちどころに官僚は己のミスを隠して被害者側を❝謀反人❞扱いして武士なら所領、寺なら寺領、神社なら社領を没収されてしまう訳だ。
海禅寺と関わり深かった横浜の間宮家の間宮康俊公も恐らく幕府によって戒名を誤って認識されて、間宮家側が❝忖度(そんたく)❞して家系図を補修しなくてはいけなくなっていたりする。
まぁ、しかし海禅寺自体は格式高いだけでなく、昔から風流な寺として有名だったようだ。
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室町時代から花の寺として有名だった海禅寺、新編武蔵風土記稿の多摩郡三田領二股尾村に掲載されているが、風土記は「歴史の目次」みたいな物なので詳しくは掲載されていない。
こう言った郷土史調査は「他都市からの移住者で“横浜=近代”の先入観しか無い精神的カッぺが職員ばかりの横浜市教育委員会と横浜市歴代市長の中で左派思想の人物は文化財保護法の設置を最後まで拒んでいた建設利権に癒着した無文化で使えない連中」なのだが、他の自治体は郷土の人が職員に成るので青梅市の様に盛んに調査、保護が行われている。
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訪問時は4月下旬で既に桜は散っていたが、辛垣山城址登山前に踏切で小学生の交通整理をしてらっしゃった駐在所の御巡りさんと雑談した所、境内は桜が多く現代でも「花の寺」として有名だそうだ。
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山門も素晴らしい。もしかしたら構造的に仁王門にする心算だったのか?
本当に立派な楼門だ。
丁度、幼稚園の先生と園児達が鬼ごっこをしていて遊んでいた。
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可愛らしい光景に思わず顔がデレてしまった(笑)。
こんな良い環境で育った子供達は、きっと素直で優しい大人に成るんだろうなぁ~。
間違っても小生の様に「史跡不保護無文化市長」とか「無能な横浜市教育委員会」とか事実とは言え悪態を吐く自分の価値を貶める心の狭い発言をする人間には育たないだろう(笑)。
皆すくすく、優しい子に育ってねぇ~♪
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山門の脇には鐘楼が有った。こちらも立派だった。
屋根の構造を見るに昔は茅葺屋根だったんだろうと思う。
茅葺屋根は高級で保持には費用が嵩(かさ)むので、現代では御覧の様に銅葺きや瓦葺きに吹き替えている場所も多い。
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この説明文では三田家の中興と有るが、この規模の寺院は必ず元々は主家であった扇谷上杉家の支援の下で三田家が復興を果たしているはずだ。
そして戦国時代には北条家が必ず復興している筈だ。元:三田家臣何某だけで再興できる規模でも無ければ格の高い住職を招ける訳も無い。
歴史の解説の前に施設の紹介を進めよう。
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境内からの景色は良い。楼門と花々越しに青梅の山脈(やまなみ)が見えた。
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本堂も大きい。
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玉縄北条家の菩提寺龍寶寺や初期の北条家において神奈川領をまとめた間宮家の菩提寺の寶泉寺や宗三寺と同規模を誇っている。
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つまり軍団長レベルの部将でないと建てれない規模の御堂だ。
この規模の堂宇を一、三田家臣が復興出来る訳が無い。絶対に北条家の支援が入っている。
そして、先述の通り、戦国時代に天皇家の勅願所に成る時点で前身寺院が途轍もなく格式が高かった筈だ。これは後で前身寺院の推測を紹介する。
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境内には凄く立派な枝垂れ桜も有った。きっと桜の季節には見事な景色に成るだろう。
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境内の谷戸そこかしこ、本当に花が多かった。
素敵な御寺だ。

御住職に面会すると本堂に通され、色々と御寺の歴史にういて御教授頂いたり小生の推論を述べたり、地図を見て周辺を歩き、御近所の旧家についてや地形的な事等々、気に成った事を質問させて頂いたりした。
その御住職様とのやりとりを踏まえて小生の推論と合せて三田家と海禅寺の歴史を紹介しようと思う。

海禅寺はそもそも「福禅寺」と言う名前の寺院だった。
まぁ…既に御寺の旧名自体が前フリでネタバレなんだが。
それは後に説明するとして、御寺の主な檀家は三田家だった。
三田家の治める当時の青梅を含めた多摩地方は扇谷上杉家の与力衆の武将達の土地だった。
しかし天文十五年(1546年)の河越夜戦で三田家の旧主の扇谷上杉家が北条家によって滅亡させられると、その後は暫く八王子の高月城主大石家同様に北条家に臣従していた。
永禄四年(1561年)に杉謙信(当時の名は長尾景虎)の連合軍勢10万が北条攻めを敢行した際に、元々扇谷上杉家臣でもあった事も有り北条家を離脱して上杉謙信に寝返った様だ。なので上杉家与力衆の名を記した“関東幕注文”にも記載されている。
そして上杉謙信が小田原攻めに失敗して北条家の逆襲が始まる。
多くの多摩地方の武将は善政を布(し)く北条家に臣従していたし、一度、上杉謙信の大軍に恐れを成して北条家を裏切った成田家や千葉家の武将達も再び北条家に与力していた。
しかし、三田家の当時の当主の三田綱秀公は義理堅い人物だった様で、一度自分で謙信に付いてからはずっと謙信の援軍到来を信じて北条勢に頑強に抵抗した。
永禄六年(1563年)、とうとう北条家当主の北条氏康公の子で滝山城主の北条氏照公の軍勢が北条家から見て裏切り者の三田綱秀公の居城、勝沼城を攻めた。
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※写真は勝沼城址から見た青梅市の風景。2016年撮影。
すると勝沼城は小規模で鉄砲攻撃を受けた際の防衛にも耐えれないと判断し、辛垣山城へ兵を引いて籠城したそうだ。
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辛垣城は中世的な山城に北条家の築城術が加わっているので、三田家北条家臣時代に北条家による改修が入っていると考えられる。
後で和尚様に小生の推論を述べた時に「その通り」と太鼓判を頂いたのだが、今の登山道の入口辺りで激戦が展開されたそうだ。
しかし敗戦を悟ったのか三田綱秀公は子供の事を家臣団に託して、青梅の伝承では「北条家と一戦する為に埼玉県の岩槻城の太田家を頼って落ち延びて、そこで切腹した」そうだ。
だが、この話は少しおかしい。
1563年当時、太田家は上杉派の太田資正(すけまさ)公は北条派の嫡男の太田氏資公が対立しており頼れる状況ではない。
三田綱秀公は1563年に岩槻城で切腹したとされている。つまり、方針も決まっていない太田家が切腹させた事に成ってしまう。ましてや綱秀公が太田家を頼る筈が無い訳だ。仮に頼ったとしたら死亡年は実際は1564年だった筈だ。そして、家臣団と三田綱秀公の御子息達は開城後も全員生きている。
状況を整理する。
三田綱秀公は上杉謙信の大軍を見て上杉に付いた。しかし上杉謙信は小田原に攻め上がるまで多摩地方を含め東京や神奈川で略奪放火を行い多くの神社仏閣を焼き払い、婦女子を捕まえては上杉の軍兵が犯しまわり奴隷として売買した。常陸国の小田城下で上杉謙信は奴隷公設市場を開いたりしている鬼畜、不義の人だ。北条家でこういった事は無い。
北条家の統治と比べ、そんな上杉軍の無軌道な状況を快(こころよ)く思わない三田家臣団も多かっただろう。
そして己の判断ミスで三田家家臣団や農民達が今度は北条家から逆襲される羽目に遭った。
三田綱秀公は誠実な人柄だった様なので、旧主扇谷上杉の更に主家の上杉家を継いだ上杉謙信に味方した後はずっと上杉家に付いていた。しかし統治能力も無く関東で乱暴狼藉を繰り返した上杉勢にも疑問も感じただろう。結果的に上杉家は関東を支配する事に完全に失敗し瞬く間に北条家の逆襲が始まった訳だ。
三田綱秀公は家臣や兵士として徴用した農民が北条家から殲滅される事を回避しようとしたのだろう。
だから家臣に子を預け、北条家と交渉し、家臣団と兵として徴用した農民達の生命の安全保証の条件として“引き換えに自らの城の退去そして切腹”が北条家と確約されたのではないだろうか。
そして太田家を頼ったのではなく、1563年当時は北条家にも上杉家にも両属していた中途半端な太田家預かりと成り、1564年に第二次国府台合戦で再び太田資正公が北条家に背いて結果的に御子息で親北条派の太田氏資公に追放された時点で正式に切腹をしたのではないだろうかと思う。
同年、三田綱秀公の御子息も全員亡くなっている。恐らく、三田家旧臣領民の生命安堵の条件だった北条家と不戦の約定を太田資正公が破って国府台合戦に参戦したからだろう。
でなければ三田家臣団が悉(ことごと)く生き残り、更には徳川幕府にも仕えた状況は成立しない。
辛垣城開城後、三田家臣団は三田綱秀公の誠実な領主としての対応と引き換えに北条家に属していた筈だ。
そして、御巡りさんや御住職に聞いて回った所、やはり北条家に三田領が属した名残を二俣尾で発見した。
二俣尾には「福島家住宅」と言う江戸時代を通じて名主を務めた家がある。
東京都の有形文化財指定を受けている住宅だ。
福島家住宅 公式様より拝借 久良岐のよし
※画像は公式ホームページより拝借。
この福島と言うのは、武蔵国出身で黄備え隊玉縄衆の軍団長を務めた北条綱成公の旧姓だ。
北条綱成公の弟君は福島弁千代として有名な後の北条綱房公だ。
この北条綱房公の足跡が1549年以後確認できる資料が無いそうだが、北条家では統治が行き届き戦火に巻き込まれなくなった地方の事が文献に登場しない事は良く有る。
例えば神奈川県の伊勢原市周辺もそうで岡崎城や北条一族の神保輝廣公の事、藤沢市の大庭城の事も良く判らなくなる。登場しないだけで、無かった訳では無いのだが学者は記録に残らない事を事実としても書けないので推論も書かない。しかし小生は学者で無くて、たまに学者に論戦で勝つ事も有る只の歴史マニアなので自由に書かせてもらえる。飯のタネじゃないからね、逆に学者さんが言いたくても言えない事も言っちゃう訳だ。
恐らく、北条綱房公は三田領の二俣尾、辛垣城周辺の統治に入っている。
そして北条家滅亡後は福島姓に復帰している。
玉縄北条家は奸臣堀内家により事実上の権力乗っ取りが行われ、江戸い時代には保科家から養子が入り北条綱成公の親族は駆逐されている。その際に福島家は奸臣堀内家の陰謀を逃れて旧知の人の多い二俣尾に逃れて来たのではないだろうか。
実は立川市柴崎町周辺は元々は福島と言う地名だった。つまり、福島姓のルーツのはずだ。
そして福島家は遠州堀内今川家の家来で後に扇谷上杉家を頼っていた一族のはずだ。
実は、那古野城、今の名古屋城は織田家以前は遠州今川家の城だった。織田に城を盗られて今川領に逃げて行ったのだが、その時に福島家も逃げたのだろう。更に堀内今川家は本家の今川義元と対立する。
その際に負けるのだが、福島家は恐らく旧主“遠州”堀内今川家と関係の有る扇谷上杉や北条を頼ったはずだ。だから、今も扇谷上杉家の最後の居城だった川越市には今も福島姓が多い。
実は戦国時代の覇者と成った豊臣秀吉の甥の福島正則公は青年期まで駿河や伊豆の国境の深沢城の城代を務め伊豆と駿河東部の守備を担っていた北条(福島)綱成公を頼って一時的に駿河国に行っていた事が菩提寺の愛知県の菊泉院に伝わっている。
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これも菊泉院の御住職様を訪問し、直接御教授頂いた歴史秘話だ。
秀吉は織田信長公に軍団長に抜擢され信長公の子を養子にとる「家格」が有ったはずだ。
そのヒントが福島正則公の話だろう。
恐らく、木下秀吉の実父は尾張国愛知郡中村の名主と伝わるが旧那古野城主の堀内今川家の旧臣だったんじゃないだろうか。そして福島正則公も。そして北条綱成公の実家の福島家も。
福島を櫛間と書くとか一部の学者は当字の表記に拘るが、実際、武将の名前も音だけ同じで違う文字を当てる事は文書中に良く有るので、そこは幅を持たせておけばいい。
とにかく、秀吉が織田家に仕える以前に今川家重臣松下家に仕える事が出来たり、後に信長公の実子を養子に迎える事が出来たり軍団長に成れるのは実力が有っても絶対に家格がそれなりに無ければ無理。
状況を見れば那古野城主今川家の旧臣、那古野の今川家の没落後に秀吉の実家は帰農、そして秀吉本人は今川家のつてを頼って松下家に仕え、福島正則公は同族で駿河東部の経略を担当していた北条綱成公を頼って駿河に赴き、❝福島伊豆守❞に保護されていた歴史等すべての話は小生の推測通りなら自然に繋がる。
因みに、福島伊豆守は恐らく「伊豆方面に居た北条綱成公の実弟、福島伊賀守勝広」こと北条綱房公の事だろう。

もっとも…この青梅市の福島家の家系図では祖先は鎌倉時代まで遡(さかのぼ)れる生粋の武士で家系は源氏系に成っている。
しかし一般的に学者達の間では三田家と同じ坂東平氏の子孫、若しくは古代に神奈川県中央北部~北東部~東京都多摩地方に戦力を持っていた小野家(小野妹子の子孫)である武蔵七党じゃないかとする説が一般的だ。
青梅市教育委員会様の郷土博物館様にも御教授頂いたのだが、正直、江戸幕府に成ってからも家名を残した三田家ですら祖先の事は時代時代で色々と説が有るし、家紋も時代ごとに使い分けているので良く解らないそうだ。
まぁ、ここら辺りは小生の様な考え方も有るんじゃない?と言う可能性を残す事しか出来ないし学者さんも同じレベルで話してる程度の人が多い。
黒田基樹先生なんかは色々と資料を探し漁っている様だが、やはり完全な証拠は残ってないようだ。

歴史は紙で残っている事だけが全てではない。しかし、学者は仕事なのでそうも行かない。出典を明記しないと他の学者から❝イジメ❞に遭うからだ。
小生はガクシャセンセイでは無いので学者の利権を犯す立場にない。
だから自由に発言を出来るし、本当は学者さんが心の中で思ってる事を聞き出して代わりに言ってあげる事も出来るし、自分で文書に残らない各地の伝承を見たり教えてもらって廻りパズルの様に繋げ合わせて一つにして状況証拠で、こうやってブログに書く事も自由に出来る。
だからこそ利権と関係の無い小生は、金銭と関係なく思いだけで行動しているので色々な御住職様や宮司様達に気に入って頂けて学者も見た事ない文献や宝物を見せて頂いたり話を教えて頂いたける。
これはありがたい事だ。
さて、そんな訳で、恐らく尾張の福島はも北条綱成公の御一族と無関係では無いと思うのだが…
何でこの話をしたかと言えば、武将の話の様に御寺にも他の御寺や神社との❝血縁❞みたいな物が有って、それは必ずしも文章に残っているものだけでなく伝承も拾わないといけないと言う実例を挙げる為だ。
海禅寺は昔は福禅寺と言う名だったが…
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恐らく前身寺院が横浜市森浅間神社と同じだ。
森浅間神社の前身は鎌倉の扇谷に在った修験道の大道場だった❝福禅寺❞権現堂だ。
そして鎌倉時代の歴代の住職は歴代天皇の皇子つまり❝親王殿下❞が務めた訳だ。
恐らく、鎌倉で新田義貞の乱暴狼藉が有って福禅寺が焼けた際に寺の機能は青梅市に移転したのだろう。そして聖地道場としての機能は福禅寺の飛び地境内として存在した権現堂家の管理する浅間権現や天照大神宮で存続した。久良岐郡つまり今の横浜の磯子区森浅間神社や港南区港南に在る天照大神宮の遷座前の場所だ。これらを管理する権現堂松本家は間宮家から下賜された家紋を現在も使用している。
一方、恐らく青梅の福禅寺も前身は修験道福禅寺で永享の乱の頃に廃寺状態に成り後に三田家によって曹洞宗寺院として再興されたはずだ。
そして横浜の間宮家菩提寺と成った鶴見区下末吉の寶泉寺を開く際に、間宮家によって青梅の福禅寺の住職が招かれた記録が残る。だから遠く離れた横浜市の寶泉寺は青梅市の海禅寺の末寺だったりする。
戦国時代、再び三田家と北条家の合戦で再び燃え落ち、恐らく北条家の発願と支援を受けた旧三田家臣団により境内に立派な伽藍堂宇が復興され1575年には天皇勅願所に成る程に勢いを取り戻した。
しかし北条家が豊臣秀吉の小田原攻めで滅亡すると、徳川家のアホ役人が寺の領地の保証書の名前を書き間違えたせいで現在の寺名を使わなければいけなくなってしまったが、10万石格の格式だけは受け継がれた。
森浅間神社地形
この様に状況を纏めると前身寺院は推測だが格式から言って鎌倉の源頼朝公が開いた、その名も「福禅寺」と言う歴代住職を天皇の皇子である親王が勤めた関東の修験道の大本山とも言うべき大道場だ。
しかし、新田義貞の兵火に遭い鎌倉福禅寺は消滅している。
更に室町時代には完全に森浅間神社に機能移転して管理する権現堂松本家だけが横浜市に残った。
恐らく、福禅寺は焼けた際に兵火を逃れて青梅市で扇谷上杉家によって永享の乱以後に復興されたのかもしれない。
そして青梅の海禅寺の隣には…
同じく鎌倉の修験道の大本山だった山崎泉蔵院と同じ寺名の現在は真言宗の泉蔵院も在る。
…この 両方の寺は格の高さに反比例して中興開基より昔の事が戦火と火災や諸般の事情で伝わっていない。
山崎地区
…その鎌倉時代には鎌倉市山崎に有った泉蔵院も、室町時代には久良岐郡森村、今の横浜市磯子区中原に保有していた熊野社の道場に機能移転した。
泉蔵院(熊野神社)の地形 久良岐のよし
そして大霊山泉蔵院桐谷寺と名を一部改めたが、明治時代の神仏分離令廃仏毀釈の仏教弾圧で修験道の大道場だったのを寺院機能を廃止して泉蔵院の名を捨てさせられ、ただの熊野神社に成ってしまった。
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しかし当時の宮司の気転で、神殿の一つとして❝泉蔵社❞として残され、源頼朝公に繋がる歴史が残された。
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まぁ、そんなこんなで青梅の海禅寺や泉蔵院は由緒有る御寺のはずだが、格が高い事は江戸時代の記録でも間違いない。
ただ、その格の高さは小生の説を用いないと説明が出来ない。
参考までに以前、森浅間神社と泉蔵院の解説をした記事リンクを貼っておく。

また、何か解れば追加報告を書きたい。

取り合えず、御住職と面会を果たし色々話を聞けて御礼を申し上げて海禅寺を後にし、次の目的地の阿蘇神社を目指す事にした・・・

③へそ饅頭本舗~阿蘇神社~チューリップ祭り~中村酒造編に続く⤵️


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東京都羽村市で現在、チューリップ祭が開催中です!
現在は6分咲きと言う事で、週末には見頃に成ると思います。
※場所やアクセス情報は文末に掲載します。
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周辺企業が多数スポンサーに成って地域活性化を兼ねた催事なのですが、その規模がとても大きく小生は横浜から今年も見学にいくつもりです。
場所は“根搦前新田”と言う水田で、休耕地を利用して開催されています。
羽村市周辺 久良岐のよし
カーナビでも根搦前水田で検索できると思います。
とにかく広大なチューリップ畑、一見の価値が有ります。
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多摩川から阿蘇神社近くで取水し羽根用水と言う用水路を使って水が引かれているのですが、昨年の大雨による多摩川増水で写真の場所の用水が決壊し、水が引けなくなり一時は開催も危ぶまれましたが、なんとか無事に今年も開催にこぎつけたそうです。
先ずは昨年の写真を添付しますので、どんな感じか御覧下さい。DSC_1113

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 まぁ、とにかく綺麗なんです。屋台も数件出るので子供も楽しめると思います。
そして近くには羽村市郷土博物館が有ります。
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ここは古民家の展示や・・・
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江戸時代~昭和初期まで利用された江戸の玉川上水の取水口だった町で、その仕組みの解説や模型も多数展示されている場所なので、チューリップ祭と合せて見学すると多摩地区が江戸市民の生活を支えていた歴史を学ぶ事が出来ます。
 そして根搦前水田(ねがらみまえすいでん)の直ぐ近くには関東地方で唯一の阿蘇神社が在ります。
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この阿蘇神社は平将門(たいらのまさかど)公が領民の平和を祈願して、肥後国(熊本県)の阿蘇山の神様である阿蘇神社から御分霊を勧進して開いた神社です。今でも宮司様達は肥後阿蘇神社と交流が有ります。
肥後の阿蘇神社と言えば、昨年の熊本地震であれだけの災害規模の震災でありながら、亡くなった犠牲者を100にも満たない最小限にとどめ熊本県民を守った強い御利益を発揮された神社でした。
しかし熊本の阿蘇神社の神様が多くの熊本県民の生命を守る為に、御自分の祀られている阿蘇神社の社殿や国宝の楼門を身代わりしたかの様に、境内の建物は倒壊してしまいました。
この時の御利益の強さと、その建物の立派さが全国に報道された際に、熊本復興義捐金と阿蘇神社再建義捐金を持って、羽村市の武蔵阿蘇神社に訪れた人が多かったそうです。
小生も熊本地震の鎮静と被災地の復興祈願の祈祷を行って頂く為に、昨年、宮司様を尋ねました。
その際に、偶然、チューリップ祭が開催されていて、その素晴らしさに感激して「来年も訪れよう」と決めていたんです。
今年も武蔵阿蘇神社を訪れ、御祭神の建磐龍神様と阿蘇国造様、阿蘇都彦様と阿蘇都媛様の夫婦神、それと宇多天皇の忠臣だった平将門公に熊本地震被災民の生活再建祈願を御願いして来ようと思います。
小生は土曜日に訪れる心算です。
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この阿蘇神社は裏側の参道が多摩川と羽根用水に面していて、風景もとても綺麗です。
チューリップ祭の会場から用水を遡(さかのぼ)って歩いて参拝するのも良いかも知れません。
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さて、熊本地震からも1年が経ちました。
皆さん、自身への備え、忘れていませんか?御油断無き様に。
どうでしょう?
熊本の被災地の復興祈願も兼ねて、羽村市にお出掛けして広大な敷地にチューリップが咲き誇るチューリップ祭りを見学して、ついでに災難除けに強い御利益の有る阿蘇神社様を御参りして御利益に授かり、熊本の被災者の人達の生活再建祈願もしてみませんか?
一応、熊本地震の義捐金募集公式ホームぺージリンク張っておきます→
熊本地震の義捐金受け入れ窓口 ふるさと納税義捐金公式ホームページhttp://www.satofull.jp/static/oenkifu_kumamoto.php

では、最後にチューリップ祭の会場等を張り付けておきます。

はむら花と水のまつり チューリップまつりチューリップ祭り 公式 拝借画像 久良岐のよし

開設期間:4月5日(水曜日)~23日(日曜日) 各日午前9時~午後5時30分

開設場所:宮の下運動公園グランウンド臨時駐車場

※チューリップまつり開催期間中は、環境整備費として1台500円がかかります。
以下のとおり無料臨時駐車場としてご利用できます。

開設期間:4月8日(土曜日)・9日(日曜日)・15日(土曜日)・16日(日曜日) 各日午前10時~午後5時

羽村市観光協会 電話:042-555-9667
羽村市観光協会ホームページ(別のサイトに移ります)

 

 

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