歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

主に歴史旅、ときどきグルメ、けっこう富士山と季節の景色の写真大量のブログ。 中の人はオタク指向、でも2次元よりリアルが好き。   好きな曲はPharrell WilliamsのHAPPY♪

カテゴリ: 城址・要塞・史跡・伝統文化

2年前に京都に転勤してしまった歴史仲間の車懸がゴールデンウイーク中当家へ3泊滞在し、一緒に歴史散策久しぶりにした2日目の6回目の記事。


この⤴前回の続き・・・
01富岡八幡宮(金沢区:源頼朝公開基)
02松方正義邸址(金沢区:第六代総理大臣松方正義公別邸跡)
03慶珊寺(金沢区:戦国期の旧北条家臣豊島氏の江戸初期の菩提寺、孫文先生密航地碑)
04長昌寺(金沢区:旧北条家臣柳下家子孫と近代の文豪、直木三十五先生の菩提寺)
05走水神社(横須賀市:旧名走水権現社、倭建と弟橘姫を祀る神話の聖地)
06走水の古道(横須賀市:走水神社裏に残る国道16号開削前の走水~浦賀を結んでいた古道)
07味美食堂(横須賀市:横須賀市観光ガイド達も推薦の観音崎地区の名店)
08御所ヶ崎走水低砲台(横須賀市:倭建と弟橘姫行在所址、明治時代の近代要塞)
09鴨居八幡宮(横須賀市:平安末期の名将、三浦氏族多々良義春公が開いた八幡宮)
——前回ココ⤴——
車懸とは彼が横浜勤務時代だった頃は一緒に遊ぶと毎回、準備を十分にして史料と地図から効率良く且つ要点を抑えた訪問で、普通の人からしたら考えられない件数を1日で廻ってた。
なので、この日も未紹介部分が大量なのは前回の説明通り。
——今回はココから⤵——
10千代ケ崎砲台(横須賀市:上地市長と横須賀市教育委員会の尽力で整備公開されたばかりの要塞跡)
11塚山公園と三浦按針・お雪サンご夫妻の墓所の安針塚。
12王道之印(磯子区:家系ラーメン創始者吉村社長の片腕の一人だった鶴巻さんの御店)
13仲乃湯(南区:頻繁に映画ドラマのロケ地に選ばれる立派な日本建築の老舗銭湯)
・・・今日は前回の続きで横須賀観光の一部分を書きたいと思います。
先ず今回のシリーズ一覧から・・・  
・・・まぁ上記の5回に分けて書いた通り、車懸来浜2日目は金沢区の史跡~横須賀の走水周辺と歴史散策して廻り、その後で浦賀港に回り今回書く千代ケ崎砲台を訪れた。
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千代ヶ崎砲台
上の写真はメインストリートの様な場所なので、色々と順を追って説明していきたいと思う。
先ず、車懸と小生は神社仏閣城塞が好きな歴史オタクなので、普通だったら車懸が千代ヶ崎砲台の様な場所に来ない訳が無いのだが、彼奴(キャツ)の転勤前には海自の施設として機能してたのが横須賀市の所有に移管されたばかりで未だ一般公開されていなかった。
そこから運よく今現在が上地市長と言う歴史文化財の保護に熱心な市長だったので、前回の記事で紹介された走水低砲台とココ千代ヶ崎砲台が史跡として一般公開する為の再整備が上地市長と横須賀市議の皆さんの御尽力と横須賀市教育委員会の努力によって週末限定だが公開に漕ぎつけた。
ただ、ここはアクセスが悪かった!
千代ヶ崎砲台位置関係
※クリックして拡大して下さい。
現在、元は私営の駐車場だった千代ヶ崎砲台駐車場が直ぐ近くに存在するが、千代ヶ崎砲台の公開開始当初はその駐車場は存在せず、御覧の通り最寄りは徒歩13分かかる燈明堂海岸の駐車場だった。

浦賀駅からバスだと最寄りバス停からも20分以上歩かなければならず、中々、本当の歴史好きでも無いと行く気に成らない立地に所在する。
でも私営の駐車場が開いた後で横須賀市がソコを借り上げてくれたので今では無料で車を直ぐ近くに止める事が出来る様になり自動車での訪問ならアクセスが格段に向上した。
更に開業当初から来客が少ないので(笑)、無料のボランティアガイドさんがマンツーマン状態で詳しい解説や見所を抑えて案内してくれるので非常に有難い。
例え男女2人のデートで行っても、絶対にガイドを付けた方が有意義な時間を過ごせるし思い出に成るので下心は一端押させて(笑)ガイドさんに案内してもらった方が絶対に良い!
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駐車場から坂を上って来ると、この様に土塁(どるい)を切通(きりとおし)した正門が有る。
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其処を入ると城郭で言う所の‟食い違い虎口”の構造に成っており敵兵が直進出来ない構造に成っている。
砲台とは言え、縄張り(なわばり:城の設計)的にも一応陸戦を想定した防衛機能を十分に持たせて作られている。
以前、小生はハツ訪問時にガイドさんに対して、これ等の構造体を見て小生は「戦国時代からの城塞を転用してませんか?」と質問していたのだが、わざわざ防衛省に問い合わせて調べて下さっていたそうで、当時は帝国陸軍に「築城部」と言う部署が有り、明治時代の陸軍は戦国時代の城塞跡を熱心に測量して廻っていた。なので一見すると千代ヶ崎砲台は西欧かぶれの西洋式近代要塞の様でも戦国時代の城の構造がふんだんに流用されており敵軍による砲台占拠に備え籠城戦も想定して戦国時代の城の殺人防衛機構が活用されているらしい。
但し、小生はここも浦賀城と対を為す要塞が平安末期~鎌倉時代~戦国時代を通じて存在していない訳が無いと地形的にも考えているので前身の無名要塞がだったと言う自説を曲げるつもりは毛頭も無いwww。
その証拠にここは幕末にペリー提督が横浜港に来た際に、幕府によって当地防衛担当の藩によって千代ヶ崎台場が築かれている。
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ちなみに正門の正面の虎口の土塁の下に見える井戸は雨水の貯水槽で、ここの建設時に最初に作られた飲用水確保の為の物だったとか。
この幕末の台場建設地はだいたいが平安時代や南北朝時代の戦乱期に要害化されていた場所が多い。
なので、千代ヶ崎台場建設以前に、鎌倉~室町時代にも三浦一族で浦賀城主だった横須賀氏や北条氏康公奏者で西浦賀の領主だった間宮宗甫公辺りによって前身の要塞は築かれていただろうな~と推測している。
その先にボランティアさん待機してる展示室が有って、色々と展示物も無料で見学出来る。
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ここからボランティアのガイドスタッフさんの案内が開始される。
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いや~構造的にも緑に覆われてる部分は本当に戦国時代の城にしか見えないんだわwww。
でも、この直ぐ先から景色が一変する。
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石積みが始まった途端に、もうこれはフランス積みで日本の築城技術ではない。
これは確かに俯瞰した時の縄張りは日本の城に似ているけれど、中に入ると立派な西洋式の要塞でしかも近代の軍事遺跡として保存状態が関東圏で随一の良い状態を保持している事が一目瞭然だ。
車懸もボランティアさんの解説を熱心に聞き入っていたので、京都からわざわざ来てくれて満足して貰えている様で一安心した。
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以前、猿島要塞を休日雑記のカテゴリーでブログに書いて紹介した事が有るのだが、猿島はジブリの天空の城ラピュタでロケハンされた場所とされているのだが、猿島より正直言って千代ケ崎砲台の方がラピュタ感が半端ない!
以前の記事⤵


それも海上自衛隊が近代の要塞を平成期に成っても丁寧に維持しながら利用していてくれていたからに他ならない。
海上自衛隊の皆さんに感謝!
で、どれくらいラピュタ感が有るかと言うと写真見て貰った方が早い(笑)。
下のは雨水を煉瓦の積み方によって集める貯水槽。
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ちなみにこの煉瓦の積み方はイギリス積み。
フランス積みは煉瓦の長辺と短編を一つづつ入れ替えて積み上げる。
対してイギリス積みは一つの段を全て長辺、次の段を短編と言った具合に並べて積み上げる。
どちらが強度的に強いかの議論も有るが、単純に元は徳川幕府に協力していたのがフランス人技師達だった事と、薩長土肥の倒幕派新政府の元勲達が幹部である明治政府は英国と親密だったので、この要塞を作る際に動員された日本人技師達が当時、英仏どちらの技術を学んだ人だったかで「場所により担当した人が異(こと)なるので建築方法も異なっただけ」と言うのが通説だそうだwww。
ところで貯水槽には今でもちゃんと雨水が集まり、澄んだ水を湛(たた)えている。
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結構深いので落ちたら溺れると思う。
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このトンネル状の両脇に兵舎や弾薬庫の機能を持つ部屋が設置されていた。
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こんな⤴感じ。
壁が白いのは湿気対策の漆喰が塗られていたから、ペンキじゃないよ。
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ちょっと特別感もあるでしょ?西洋の御城の中見たい。
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この正面の明かりの灯(とも)った凹みは昔は分厚いガラスがはめ込まれており、手前の広い空間は弾薬庫だった。
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明かり窓は弾薬に引火してはいけないので、わざわざ反対側に通路が作られガラスで遮断された上で裏側から照らす構造に成っていたそうだ。
よく考えられており、横浜に傾くマンション建てるような平成や令和の杜撰な土建屋の仕事より想像力をフル稼働した丁寧さだと思う。
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天井の穴には走水低砲台でも見た様なホイストの滑車が付いていて、ここから弾薬を上部砲台に荷上げしていた。
通路を進み歓談を登ると砲台部分に出る。
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う~ん、良い廃墟感。
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砲台部分の基礎の石がレリーフの様に模様に成っていて綺麗でしょ?
この様な立派な砲台遺構が千代ケ崎砲台には複数個所、良好な状態で現存されている。
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そしてこのラピュタ感。
巨神兵は頭ぶつかって歩けない高さだと思うけどwww。
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普通に近代西洋建築の遺構としても美しく見応えも有る。
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これも滑車のついていた跡かな?
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この煉瓦の色の違いは、強化煉瓦と普通の煉瓦の差で、積み上げた境目が色の違いでクッキリ見えているそうだ。
こんな情報も当時の築城部が経費削減も考えて外に面した部分だけを予算の高い強化煉瓦にしたんだろうとボランティアガイドさんの説明が有り、車懸や小生達には関心を引かれるところでもあった。
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同一丘陵に3門の砲台が有ったので似た様な構造が連続する。
只(ただ)、上部から見ると又少し雰囲気が異なる。
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何か古代神殿の跡みたいで不思議な空間。
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でも私有地化している旧入口の方を見ると明らかに戦国時代の堀底道を兼ねた三日月堀と丸馬出し構造に成っている。
馬出しとか堀切とか土塁とか言われても東日本の戦国時代の御城を知らない人には何の事だかチンプンカンプンだと思うので、御興味有る方は下の解説図付きの用語集を見て見て下さい。


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上の写真の煙突構造物は通気口の跡。
流石に東京湾防衛の拠点だったので眺望も良く房総半島まで見渡せる。
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更に私有地側に通じていた隧道の入口がさ、もう完全に千と千尋の神隠しとかに出てきそうな入ったら変な世界に連れてかれそうな雰囲気で・・・

思わず音楽付けてインスタにUPしてしまった(笑)
一頻(ひとしき)り見終わりボランティアガイドさん達に御礼を述べて車に戻り、日没前に今度は塚山公園に移動した。
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三浦按針お雪夫妻の御廟所
三浦按針公は戦国時代末期、安土桃山時代~江戸時代初期のイギリス人で本名はウィリアム・アダムスと言い、オランダの商船の航海士だったのが乗船していた船が遭難して日本に漂着した際に徳川家康公に信頼されて外交顧問として登用されて日本に帰化した人物だった。
因みに当時の台湾はオランダ植民地だった。
現在の横須賀市逸見に当たる当時の三浦郡逸見村を領地として与えられたので帰化した際に苗字を三浦にし、アダムスを漢字の当て字で按針にした。
按針は御本人の職業である航海士や貿易船に必需品の方位磁石(コンパス)の意味も込められている。
妻女の日本人のお雪さんを非常に愛してくれて、二人の間には子供も生まれたが徳川家康公程には能力の無かった徳川秀忠公の代に成ると外交的に外国人との交流に対する制限が強い政策が打ち出されて、三浦家(アダムス家)も家系が絶えてしまった。
もし明治時代まで混血のアダムス家が存続していたらきっと新政府の官僚として活躍したでしょうね。
この三浦按針公は英国人で乗艦もオランダ商船なのでキリスト教の英国国教かプロテスタントの信徒でしょうが、日本での宗派は浄土真宗でした。
だから彼は横須賀市逸見に在(あ)る浄土真宗の浄土寺を支援していました。
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涛江山 浄土寺
因(ちな)みに、浄土寺は元々は平安末期~鎌倉時代初期の名将で源頼朝公の忠臣だった畠山重忠公により当初は天台宗の寺院として開かれた歴史が有る寺院です。
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後の室町時代に蓮如上人により浄土真宗に改宗していますが、畠山重忠公の時代からの歴史も大切にしている名古刹なので御朱印も拝受させて頂けます。
未だ浄土寺は詳しく個別解説記事にしてない場所なので、ここもその内に独立記事にしたいと思っていますが、今までの神社仏閣城跡や建築文化財の訪問箇所総計が千単位+写真数万枚+古文書のコピーやら集めたものが大量に有るからいつの事になるやら(汗)。
さて、もし皆さんが浄土寺を訪れるならば、当然ながら塚山公園とセットでの訪問をオススメしますし、春の梅の季節に田浦梅林と合わせて訪問すると尚、良いと思います。
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田浦梅林も景色が良いですしね。

田浦梅林に関しては本当に簡易的な紹介⤴を以前も書いているので御興味有る方は上のリンクから御覧下さい。
話を塚山公園に戻します。
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三浦按針お雪さん御夫妻の御廟所である安針塚の在る塚山公園からは眺望が良く、横須賀の汐入の軍港が良く見えてます。
実はここから見た景色が三浦按針サンの英国の故郷に非常に似ている事を以前小生は気が付いて記事に書いているので興味が有る方は読んでみて下さい。
これ⤵

この三浦按針公は、九州の日本人がキリスト教のカトリック教徒達に奴隷として売買している事を知ると我が事の様に憤慨して日本人を守って下った人物でもあり、更に自身が乗船していた商船から下したキャノン砲を関ヶ原の戦いで小早川秀秋の陣営に向けてブッ放す事を徳川家康公に進言して関ヶ原の勝利を導いた可能性も考えられている人物でもあります。
三浦按針公に関してより史学的にちゃんと知りたい人は以下のリンクから日文研の先生の考察を読んでみると面白いと思います。
ウィリアム・アダムス(三浦按針)は何を成し遂げたのか
日欧交渉史における役割の再検討

 国際日本文化研究センター教授
フレデリック・クレインス
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/wp-content/uploads/50597e70ac9f48e3342eca4516dcd274.pdf
そんな人物なので日本人の歴史家のみならず愛国者からも尊敬されており、三浦按針公の御廟所の入口には立派な顕彰碑も建てられている。
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小生も尊敬しており、浄土寺で色紙に拝受した御朱印を他の歴史偉人が御祭神の神社や菩提寺の御朱印と一緒に壁に仏壇や神棚代わりに張り付けており毎日拝んでいたりする。
金八先生が坂本龍馬を拝んでいた様な感覚ですかね(笑)。
で、安針塚のある塚山公園は軍港が見えるので軍艦マニアの方々が海自の護衛艦や米海軍の空母を見に良く来る場所でもあったりします。

以前、米海軍のカールビンソンが寄港した時も、ここから写真撮影してる先輩方が沢山いました。
小生はカメラの性能が良くないのでアッサリ断念して普通に観音崎に移動して撮影しましたが(笑)。
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春の桜の名所としても神奈川の景勝50選の1つにも選ばれています。
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オススメの場所なので、是非皆さんも春に浄土寺~安針塚~塚山公園の展望所~田浦梅林とハイキングを楽しんでみては如何でしょうか?
実はここも車懸は初訪問だったので、来られて良かったと言っていた。
なかなか神奈川に遊びに簡単に来れる距離ではなくなってしまったし、小生も来年の秋まで資格の履修科目と国家試験の受験で忙しいので色々と時間も作れず、車懸だけでなく色んな友達に会う事も出来ず、今年は昔、天然理心流の稽古に参加させて頂いた際に同行したO型の経営していたカフェに今月学校が終わってから漸く日曜日に行けたのと、車懸がゴールデンウイークに来たのと、その後1回だけ出張で横浜に来た際に港南台のレストランで2時間だけ一緒に食べた以外、昼間仕事+夜オンライン学校+週末対面授業&毎回のテストで誰とも一切遊ぶ時間が無かった。
だから今月の中頃に発狂しそうになって(笑)、今月のテスト3件あった内1日分のテスト日程を来年に先延ばしして貰い、称名寺に突然散歩しにいったりしてた訳だ。

正直睡眠時間も今月今年の学校の授業が終わるまでは毎日4時間寝れるかどうかの生活をしてたので本当にキツかった。
で、ブログの更新も今年は皆さんに御容赦頂いて1ヶ月1回ペースに減らしていた訳です。
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塚山公園での歴史散策も終えて車懸も満足してくれたので、自宅への帰路の途上、吉村屋で修業した弟子の家系ラーメンの店の中でも指折りの名店の1つである王道之印で夕食をとる事にした。
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王道之印(王道横浜)
ここは家系創始者で家系総本山吉村家の吉村社長の下で長年重要な店舗を任せられていた鶴巻さんの御店で、吉村家発祥地杉田の地盤を引き継いだ津村さんの杉田家と吉村家は別格として横浜市内では双璧を為す家系の名店だったりする。
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小生は海苔増し+味玉+まぶし飯を注文、車懸は何か良く分からんがセットを注文してた(笑)。
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本当に杉田家と王道は美味しいので、もし八景島や金沢自然動物公園や横浜ベイサイドマリーナに用事が有って市外や市内でも遠方からくる方は召し上がって欲しい。
車懸は京都人のクセに(笑)豚骨醤油の濃い味も好きなので、ここは以前も一緒に来た事が有る。
食事が終わると、この日はせっかく横浜に来たんだから家風呂じゃツマランだろ!
・・・と言う事で、一度入浴用品を取りに家に戻ってから小生イチオシの名銭湯、南区の仲乃湯に向かった。
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仲乃湯
ここは以前、ちゃんと取材許可を貰って詳しい記事に書いているので、詳細はソチラを読んで貰った方が良いと思う。


この記事⤴は組合公式より写真と解説でより詳しく紹介出来てると思います。
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まぁ、とにかく凄い日本建築なので車懸も連れて行ってみた。
そんな感じで歴史観光2日目は終了し、帰宅して翌日は早朝から山北町河村城~御殿場市深沢城~三島市山中城~箱根神社~大涌谷と箱根の関所~大観山と・・・
・・・山城と神奈川のベタ観光スポット箱根をしたのだが、それは又次の記事で!
次回、車懸攻城用の後ろ姿だけ登場(笑)!
次回記事で紹介する訪問地⤵の写真一部
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では皆さん、次の記事でお会いしましょう~♪

――追記――
2023年中は余り記事を更新する時間も無く、古参の読者の方には申し訳なく思うばかりです。
来年2024年も夏過ぎ迄このペースでの更新を続けさせて頂く事に成るかと思いますが、2023年程仕事と学業の兼業のスケジュールがタイトには成らない可能性も有るので、出来るだけ色んな場所を紹介したいな~と思っています。

しかも今回でゴールデンウイークの記事は書き上げてしまうつもりだったのですが、ちょっと実家の用事で色々と忙しく結局1部しか記事を更新できませんでした。
御正月休み中に、最後の3日目山城巡りの記事を書きあげられたら良いなと思っていますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

では皆さん、現在令和五年(2023年)太陽暦の12月31日22時、太陰暦(農暦)令和五年 癸卯 霜月 十九日(2023年11月19日)、旧暦の農暦では正月は台湾や韓国と同じ春の節句=春節ですのでまだまだ先ですが、西欧化した日本では明日から真冬なのに正月です。
風邪を引かず、インフルとコロナに負けず、良い正月を迎えて皆さんにとって良い1年間に成りますよう、祈願致します。

では、本年もありがとうございました~!
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2年前に京都に転勤してしまった歴史仲間の車懸がゴールデンウイーク中当家へ3泊滞在し、一緒に歴史散策久しぶりにした2日目の4回目の記事。

この⤴前回の続き・・・


01富岡八幡宮(金沢区:源頼朝公開基)
02松方正義邸址(金沢区:第六代総理大臣松方正義公別邸跡)
03慶珊寺(金沢区:戦国期の旧北条家臣豊島氏の江戸初期の菩提寺、孫文先生密航地碑)
04長昌寺(金沢区:旧北条家臣柳下家子孫と近代の文豪、直木三十五先生の菩提寺)
——前回ココ⤴——
車懸とは彼が横浜勤務時代だった頃は一緒に遊ぶと毎回、準備を十分にして史料と地図から効率良く且つ要点を抑えた訪問で、普通の人からしたら考えられない件数を1日で廻ってた。
なので、この日も未紹介部分が大量なのは前回の説明通り。
——今回はココから⤵——
05走水神社(横須賀市:旧名走水権現社、倭建と弟橘姫を祀る神話の聖地)
06走水の古道(横須賀市:走水神社裏に残る国道16号開削前の走水~浦賀を結んでいた古道)
07味美食堂(横須賀市:横須賀市観光ガイド達も推薦の観音崎地区の名店)
——ココまで⤴——
08御所ヶ崎走水低砲台(横須賀市:倭建と弟橘姫行在所址、明治時代の近代要塞)
09鴨居八幡宮(横須賀市:平安末期の名将、三浦氏族多々良義春公が開いた八幡宮)
10千代ケ崎砲台(横須賀市:上地市長と横須賀市教育委員会の尽力で整備公開されたばかりの要塞跡)
11塚山公園と三浦按針・お雪サンご夫妻の墓所の安針塚。
12王道之印(磯子区:家系ラーメン創始者吉村社長の片腕の一人だった鶴巻さんの御店)
13仲乃湯(南区:頻繁に映画ドラマのロケ地に選ばれる立派な日本建築の老舗銭湯)
・・・今日は横須賀観光の一部分をサクッと書きたいと思う。

前回、歴史仲間の車懸を旧北条家臣の柳下家菩提寺である長昌寺と、昭和の海軍飛行隊の拠点建設で同じ富岡の富岡総合公園の反対側から長昌寺に遷座した芋観音を観光した部分を書いて、そこから先に参拝して富岡八幡宮に戻った。

このブログが初見の人の為に念の為解説しておくと、この日は最初の歴史散策に長昌寺の直ぐ側の富岡八幡宮を参詣し、社務所で付近の歴史散策の間、車を駐車させて頂く許可を頂いていた。
富岡八幡宮に戻って車に乗り込むと、三浦半島の横須賀市側、走水へ移動した。
この日は未だ朝食も食べていなかった。
当初は杉田家で朝ラーメンを食べる予定だったのだが営業してなかったので、先に金沢区の歴史散策を済ませて横須賀市に移動してから横須賀市観光協会のボランティアガイドの皆さんも行きつけの“味美食堂”でブランチに海鮮を食べる予定だったからだ。
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走水神社
ここは倭建(ヤマトタケル)と弟橘姫(オトタチバナヒメ)の聖地で、この神社の原型に成った現在では神明社とされている場所に御二人は参詣され、房総半島への渡海の準備を進める間、走水の御所ヶ崎を行在所(あんざいしょ)とされ滞在したそうだ。
そこ等辺の話しは何回も書いてる。

小生は倭建の叔母の倭姫は女王卑弥呼で伊勢神宮の斎王の原型の人物だと思っており、倭建と言うのは古代の大王(おうきみ=大君)の親族であり皇族将軍の総称で複数人の事業が一人の神の称号として混同されていると考えている話はチョクチョク持論を開陳しているので古参の読者の方々は良く知る所だろうか?
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この写真は本殿前から撮影した走水漁港の写真だが、この本殿は建替えの際に伝承通り地下に石棺が安置されている事が確認されている。
神話化された郷土伝承によれば、倭建が滞在中に奉納した冠が御神体として石棺に収められて埋蔵されていると伝わるが、その石棺なのだろう。
本殿裏の山頂には明治の帝国陸軍による御所ヶ崎と旗山崎の砲台建設や元は半島だった吾妻島が海軍に基地化される際に、それぞれの場所に有った神社が廃社にされた。
下の画像は明治時代初期当時の海岸線と現代のGoogleEarth衛星画像とを比較できる農研機構サンがアプリ化した帝国陸軍が明治時代に作図した迅速測図の比較。
位置関係:御所ヶ崎旗山崎走水神社吾妻者千代ケ崎砲台
その画像上にGoogleEarthを使って各所の位置を表示してある。
皆さんも自分の住んでる地域が地盤が弱くないか、元はどんな場所だったか知りたい人は農研機構サンの比較アプリを見てみると面白いかも知れない。

さて、旗山崎、御所ヶ崎、吾妻島に有った神社が帝国陸軍によって廃社にされて要害化された際に、主に海軍の東郷平八郎元帥等が中心に成って遷宮と言う形で走水神社の裏山に作られた御社がある。
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ここ走水神社と奥宮は車懸と初対面の日に歴史散策で遊びに来た場所だった。
初対面が2016年だったと思う。
もうそれから7年の付き合いだ。
一昨年、車懸は京都に転勤で戻り時間的にも距離的にも1年に1回遊べるかどうか、という感じに成っているが、SNSでは話せる時に仕事の話しや最近の近況報告は不定期にお互いに連絡し合ってる。
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車懸と久しぶりの走水神社奥宮の参詣を終えてから、真っ直ぐ現代の参道には下りずに国道16号整備以前に走水から浦賀〜久里浜方面に抜ける古街道として利用されていた山道を下りる事にした。
走水神社奥宮の前に終戦直後まで使われていた古街道が有り、そこから現代では大泉寺の墓地に成った場所に古道の入口が繋がっている。
そこを下りて味美食堂に移動する事にした。
小生達の様に古道を山歩きをする人は歴史ファンには多くいて、その人種は予備知識が無くても地形を見た瞬間に「あぁ~そうね、古道だね」と思うだろう。
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まぁ、ここは恐らく戦国時代に山頂が要害化されていたはずなのだが防大建設や明治の付近の要害化で何も発掘されずに山頂地形は改変されていると思うが、当時は堀底道=切通として防衛の役割も担った道だと思う。
走水の古道
※クリックして拡大して見て下さい。
この道もシッカリ迅速測図に表示されている。現代の衛星写真と比較して、上の迅速測図で大泉寺の裏にS字クランクした黒線で表記されているのが古街道。
走水の古道2
以前、走水神社の現在70代後半の氏子サン達に色々と幼少期の話を教えて頂いた際に走水に学校が無くて、ここを通り山越えで通学していたそうだ。しかも山頂の畑には肥溜めが有って落ちる危険性が有ったと言う話を聞いた上で迅速測図で整合性を確認していた。
山城マニアの車懸もこの道は「戦国時代に要害化されてて空堀なのかな~」と感じていたそうなので、やはり走水は房総半島の里見家の海賊に備えて普通に要害化されていて古街道は防衛の都合も有り切通状を維持されたのだと思う。
一般に山道は人が踏み固めると、そこに雨の水が流れたりしてU字型に変形していき自然に切通化されて行く。
下の写真は横浜市磯子区と金沢区に跨がる観音山の林道。
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典型的な自然の切通と人工的に切通化された両方見れる古街道。
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現在は横浜横須賀道路の釜利谷ICと金沢自然公園に部分的に分断されてしまっているが、この道は鎌倉防衛網であり街道だった金澤道と六浦道の合流地点だった。
過去に観音山とか他の記事にも似た様な古街道の山道を写真で紹介してるので興味がある人はカテゴリーから過去記事を探してみて欲しい。
この切通状の地形が敵兵の侵入数を限定出来て縦列行軍しか出来なくさせる事で崖上の土塁から弓矢で敵兵を射殺しやすく防御力が高い事に武士達が着目した。
その結果、武士達により人工的に切通を掘り下げて造成され防衛施設に用いられたのが、鎌倉七口の切通だったりする。
鎌倉城防衛網
奥宮から古街道を通り大泉寺をサクッと参詣して、味美食堂に移動した。
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味美食堂
ここは小生のブログで何回も書いているので古参読者はアジフライの名店として良く御存知かと思う。
元々は漁師と兼業だった御店主が、余りにも需要が高いので食堂に専念して横須賀名物の鯵や地蛸の料理を提供している小さな名店で、小生は学生時代の京都の友人ITと猿島に行った時にボランティアガイドの方に推薦されて知った御店だった。
小生が好きな現代の政治家の一人なのだが元防衛大臣の小野寺五典サンが味美食堂までアジフライ定食を食べに来ていて店内にサインも有ったりする。
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このボリューム感で1000円。
車懸と小生はそれぞれアジフライ定食を注文、アジフライはサクサクのホクホク、身も甘さを感じて美味しい。
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これと別注で鯵刺し、アナゴ天も単品で注文してシェアした。
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アジフライがフワフワなんだから当然ながらアナゴ天もフワサクっ!として美味い。
小生の中で神奈川県アジフライ四天王の1つ(笑)なだけある。
因みに小生の中で横須賀の味美食堂、横浜野毛町の文次郎(咲良)、横浜洋光台のかつ亭、三浦市の地魚料理松輪、が、アジフライの美味しい店BEST4。

ちなみに「かつ亭」は洋光台駅近くで磯子区だが、実は御店主が走水での釣りが趣味でアジフライは御自身が釣った鯵を提供してるので、いつもアジフライが食べられるとは限らない。
まぁ、そんなコンナで食事していると、どうもトライアスロンが趣味の若い女子大生位の二人と引率の男性(お父さんかな?)も味美食堂で御食事されていて「美味しかったぁ~」と満足されて会計を済まされて店を出て行った。
まぁ、歴史好きな人や、カップルで縁結びの御利益で走水神社を参拝されたい人は是非、味美食堂や以前紹介した近くの「かねよ食堂」で御食事されて帰ると良い思い出に成ると思う。

食事を終えて店を出ると、車懸と次は走水低砲台へ移動した。
ここは車懸が横浜勤務中はまだ近代史跡公園として整備されておらず週末公開開始前だったので車懸には初見だった。
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さて・・・
今日の記事はここまで。
次回は走水低砲台~、浦賀の千代ケ崎砲台の部分を書きたいと思います。

さて、今日は2023年10月29日ですが、最近急に秋めいてきて涼しくなってきましたね。
皆さん風邪をひかない様に気を付けて下さい。

そうそう、11月04日に小机城址竹灯籠まつりが開催されます。
小机城址竹灯籠まつり1
御興味ある方、詳細については下記のリンク記事を御覧下さい。

ついでに、紅葉シーズンなので紅葉の名所纏めと個別の解説もリンク貼っておきます。

上記に書ききれなかった鎌倉市内の紅葉名所も以下の個別解説に数ヵ所紹介してます。 

秋の皆さんの余暇の参考に成れば幸いです。

では、次の記事は又1ヵ月1回ペースの更新に成ってしまうと思いますが、皆さん、味覚の秋おおいに楽しんで下されやぁ~♪

続き⤵
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今日はハマッ子として寺田社長と山中市長への御礼だけ。


日本最大級の規模と、飛鳥時代~平安時代の超長期の活動期間を有する鑪製鉄(たたらせいてつ)史跡の上郷深田遺跡と横浜市南部最大最後の自然森林とホタルの群生地瀬上沢の開発計画を東急建設さんが正式に断念して下さいました。
先ずは東急建設の寺田社長の英断に対して敬意を表します。


そして、これだけの英断を行って下さった東急建設及び母体の東急電鉄に不利益で終わらない様に切に願います。
東急建設と東急電鉄が日本人として日本の歴史文化自然の保護者活用者として正しい道を進む事で
旧佐賀牟国の開拓者達豪族の祖先神を祀る神社や彼等の子孫が崇拝した菩提寺の神仏の恩恵が与えられる様に祈願します。


米軍から返還される瑞穂埠頭や根岸居留地や新山下埠頭辺りの何れかが代替地として等価値交換と言う形で東急建設に提案されて、東急グループにとって不利益に成らない形で決着する様に個人的に願います。
代替地との等価値交換で、なとみらい線の本牧港湾部延伸を行い日本最初のアーク溶接鉄橋の高島線瑞穂埠頭鉄橋を産業遺産登録し引込線を遊歩道化等で活用する等の史跡保護と都市計画を融合した横浜らしい、旧新港埠頭(みなとみらい21地区)の再開発で活躍した頃の東急サンに様に、邪道ではない王道(君子の道理)で改めて活躍の場が多く切り開かれる事を神仏に祈願します。


山中市長、恐らく市長就任後に表ではなく組織内で様々な御尽力を行って下さったと思います。
ありがとうございました。

東急さん将来、本社横浜に移してくれないかな~?
東京の渋谷に居ては、自然や文化や史跡等の日本の良い面が全く見えて来ないし、各都市の個性を活かすと言う観点も生まれないと思います。
東急が東京ではなく神奈川の横浜市や鎌倉市に本社を移し歴史文化史跡自然との共存と完全保護を活用する第一人者として、他の日本文化の破壊者である某ゼネコンと一線を画すSDGs第一人者として、横浜発祥のワシントンの桜並木で活躍した横浜植木やプラント業の日揮や健康食品のファンケルや飛行機の修繕を行う日本飛行機や東急の旧横浜金沢プロパティーズ株式会社の方々等と共に世界に誇る横浜の企業連合体に成って下さったら良いなと個人的に願望を持っています。
横浜の企業ではありませんが海上自衛隊の艦船の建造補修を担うIHI等と一緒に、横浜市に拠点を置く企業同士の連携を活かし、世界の親日友好諸国で多文化共生と史跡文化自然保護と持続可能な社会の実現を担う世界有数の多業種連合体の様な活躍が未来に生まれて欲しいと個人的に妄想しています。

東京23区では作られた緑地しかなく住宅街も住む人々の階層や人種も区切られていて、自然林を見る事も否応なしに多文化の日常生活を経験する事も出来ないから日本文化や自然が何かも理解出来ないままでしょう?
東京は必要な時に必要な物や自分の見たい事を見るのには便利ですけどね~。ネット社会と同じで自分の求める事や物以外と多く触れる事が少ない町ですよね。
川崎や横浜や鎌倉や平塚に本拠を移せば我々下々の生活~高所得階層迄、様々な国籍の人のC文化もc文化も求めて無くても体感する事も関わる機会も多く有ります。


神奈川県の中部~東部に東急電鉄の本社移しませんか?
絶対にそっちの方が電鉄業としても不動産業者としても開発業者としても地政的に見える物が多いかと思うんだけどなぁ~・・・と。

明日の夜、また別に普通の記事を書きます。
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横浜市最高峰円海山山系からの富士 
港湾都市の夜景と富士山の遥拝の名峰
と恋は雨上がりのようにロケ地


第三管区海上保安本部関東統制通信事務所側の林道

(富士山を見るのに適した場所)
(横浜の夜景を見るのに適した場所)
恋は雨上がりのようにロケ地
【景色】
富士山の眺望
(第三管区海上保安本部関東統制通信事務所横)
横浜市の夜景
(市民農園のベンチ付近)
【電車】
港南台駅~バス乗車06分~
~港南環境センターバス停~徒歩12分
          ・・・所要時間14分
洋光台駅~バス乗車05分~臼杵バス停
~徒歩10分    ・・・所要時間20分
【 車 】
海上保安本部関東統制通信事務所付近
の坂道の端に路駐可

※但し駐車可能台数05台程度。
ひよどり団地下の坂道に自己責任路駐
※あくまで自己責任。 
※バイクは海保施設駐車場に駐輪可。
☞オススメpoint( •͈ᴗ•͈ )        
横浜市民とハイカーに有名な景勝地◎
鎌倉藤沢の山々の先に丹沢と富士山◎
富士山遥拝の林道は飛鳥時代の古道◎
横浜市沿岸都市部の夜景が綺麗◎
山の下の瀬上沢蛍生息地は横浜市南部
最大最後の自然の蛍の繁殖地

円海山の林道の古道ハイキングコース
を歩いて鎌倉天園ハイキングまで行く
事が出来る有名なトレランコース

恋は雨上がりのようにのロケ地だよ◎
☞注意するpoint(•ω•)         
行く時は歩きやすい靴必須!
車駐車台数少ないので気を付けて!
鎌倉まで歩いて行く人は最低でも日没
時間の3時間前に出発する様に!

トイレは円海山の当該地1個所のみ!
他は鎌倉の天園ハイキングコース上の
天園公衆便所だけ、1時間半の距離!

円海山~天園は毎年遭難者出るよ!
——海上保安庁施設横の富士遠景——
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——市民農園のベンチ付近の眺望——
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——恋は雨上がりの様にロケ地——
恋は雨上がりのように 円海山 久良岐のよし
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【交通】
ー電車ー
最寄り駅はJR港南台駅か洋光台駅で、いずれもバス乗車5分前後+徒歩10分ちょっと。
バス停は港南台駅からなら港南環境センター前。洋光台駅からならう臼杵バス停。
いずれのバス停も直線距離では近いものの、住宅街~円海山の尾根まで直進と言う訳にはいかないので10分ちょっとかかる。

ー車ー
付近に駐車場は一切無いので、尾根の林道手前の海上保安庁施設横の坂道沿いの端に他の車両の交通を阻害しない様に駐車するか、❝恋は雨上がりのように❞のロケ地の坂道に自己責任で路駐して歩いて登って来る必要がある。
昼間は普通に海保施設周辺の道路沿いに駐車出来るスペースが空いてる場合が多い。
ー自転車・バイクー
2輪車なら海保施設の駐車場に駐輪可能。

【見所】
横浜市内から雄大な自然の景色としての富士山を見るのに最適な場所が、ここ円海山。
間違いない!
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手前に連なるのは円海山の山麓、その山裾には日本最大級の規模を誇り飛鳥時代~平安時代の数百年間も稼働し蹈鞴(たたら)製鉄遺跡の上郷深田遺跡・猿田遺跡が現存しています。
また同地の山裾を流れる瀬上沢は横浜市南部最大にして最後の自然林で自然なホタルの広域生息地としてホタル観賞の名所としても有名です。
御興味有る方は下の記事リンクから解説を御覧下さい。

その上郷深田遺跡で生産された鉄を鎌倉郡に陸送で輸送していた道が実は、今回紹介した富士山が見える林道で❝鉄の道❞と呼ばれている古道で今でもハイキングコースとして多くの人に親しまれています。
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この古道は今でも道なりに鎌倉のハイキングコースの名所である天園ハイキングコースに繋がっていて、週末に成ると多くのハイカーやトレラン愛好者が御弁当を持参して鎌倉へ往来しています。
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その古道は自然豊かで無名の切通道も多く残っており鎌倉駅から歩き始めて鶴岡八幡宮を経由して十二所地区の紅葉の名所に獅子舞谷や梅花の名所の瑞泉寺側から天園ハイキングコースに入り、昼過ぎに天園休憩所で食事して円海山を目指しても良いと思います。
天園休憩所は東郷平八郎元帥と親交の有った小川家が海軍向け保養所として私有地に開いたのが始まりの休憩施設で現代でも休憩所として1オーダーで利用出来ます。
天園休憩所で昼食をとり、夕方に終点の円海山の海保施設の横で富士山夕景を見てから横浜港と街灯りの夜景を見て帰ると非常に有意義な休日を楽しむ事が出来ます。
逆に反対に港南台側をスタートにして鎌倉駅に到着するコースでハイキングを楽しんでも良いかも知れませんね。
円海山で富士山を見てから林道に入り鎌倉に向かい、昼過ぎに鎌倉に到着できれば春なら瑞泉寺の梅花も楽しめますし、秋なら獅子舞谷の紅葉も楽しめますね。
円海山↔鎌倉ハイキング参考ルート⤵

獅子舞谷や瑞泉寺の景色は以前紹介した記事が有るので、御興味の有る方は参考にされて見て下さい。


円海山はハイキングコースだけでなく夜景も奇麗なので、是非バイクや車をお持ちの方はカップルで訪れてみても良いでしょう、昼もベンチに座って遠く横浜港を見渡す事が出来ます。
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円海山の様な自然溢れる場所から見る富士山も良いけれど、もし都会の夜景と富士山の景色をもっと見たい!と言う方に是非オススメしたいのが横浜みなと未来21地区と富士山の夕勝の絶景を見る事が出来る大黒埠頭の大黒大橋上からの景色でしょう。
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こちらに関しては記事にして紹介しているので御興味が有る方は以下のリンクをクリックしてみて下さい。

他にも神奈川県内の富士山絶景の景勝地は以下のカテゴリー内に記事を少しづつ書き足しているので、過去分の逗子市、鎌倉市、藤沢市側に興味が有る方は以下から好みの場所を探して見て下さい。

また、この富士山の景勝地の直ぐしたの❝ひよどり団地前の坂道❞は映画版❝恋は雨上がりのように❞のOPのロケ地の1つだったりします。

このPVに登場する映画のOPのロケ地は以前に検証し紹介した記事を書いているので御興味有る方は下記事のリンクから記事を読んでみて下さい。
この記事⤵

ロケ地は港南台の円海山、磯子区の京急杉田駅近くの熊野神社参道前の京急高架線路アンダーパス、氷取沢高校周辺の団地の擁壁、金沢区能見台駅等が有ります。
他は県外の埼玉県や茨城県がロケ地に成っていますが、記事で市内のロケ地だけ纏めてあります。
この他にも円海山の富士山や夜景の景勝地から徒歩で直ぐの距離に江戸時代に島津家の姫様の信仰を集め、古典落語❝峯の灸❞の舞台である円海山護念寺や、浄土宗の総本山である京都の知恩院の四十六世住職を輩出した峰の阿弥陀寺等も近くに有ります。
護念寺の記事⤵

阿弥陀寺の記事⤵

この様に、富士山を見るだけで来ても楽しめるし、1日使ったレクリエーションとしてハイキングコースとしても歴史散策コースとしても映画のロケ地巡りでも楽しめるのが富士山景勝地が、この円海山です。

【名物】
味奈登庵の蕎麦
横浜市発祥の蕎麦チェーンの製麺所が円海山の麓(ふもと)に有り、ランチタイムは多くの人で賑わう。
中区の方のフルサービス店舗では居酒屋の様なメニューや多くの日本酒も楽しむ事が出来る。
港南台店はセルフサービス店舗で丼物とのSETメニュー等が人気。


桃太郎のワンタン
昔懐かしい醤油拉麺の店で、町中華メニューも提供する。中でも現在では提供する店が少なくなったワンタンだけのメニューを山盛り提供する店として栄区民、港南区民には有名。
醬油ベースのラーメンスープの入った拉麺椀に沢山入ったワンタンは食べ応えが有る。


瑠璃庵とブルージュの丘のケーキ
瑠璃庵はフルーツロールとキャラメルロールが円海山の麓に住む地元民の小生のオススメで珈琲を頂きながら店内でカットケーキを頂く事も出来る。

ブルージュの丘は栄区、港南区、磯子区で比較的有名で購入する為に駐車場入庫待ちが土日は発生し警備員が配置される名店。


【歴史】
先述の通り、富士山の景勝地であると同時にこの地域は古墳時代からの先進地域であり旧鎌倉郡と旧久良岐郡をまたいでいる場所で武士文化の反映した地域でもありました。
戦国時代突入する原因と成った永享の乱では、近くの阿弥陀寺は戦火に巻き込まれて現在の境内地に移って来ていたりします。
江戸時代にも島津家の姫様の信仰を集め、古典落語❝峯の灸❞の舞台である円海山護念寺があります。
護念寺の記事⤵

浄土宗の総本山である京都の知恩院の四十六世住職の了鑑大僧正を輩出した峰の阿弥陀寺等も近くに有り、今も了鑑大僧正の実家の御子孫が阿弥陀寺の近くに住んでいたりします。
阿弥陀寺の記事⤵

了鑑大僧正については、阿弥陀寺と護念寺の古文書が現代に残らない事から知恩院では出生地としての記録が確認出来なかった様ですが、知恩院の学芸員サンから色々と文献を頂いて調べられる事は調べて見て記事にしてみました。
円海山に存在する上郷深田遺跡は実は日本最大級であると同時に刀剣正宗の故郷である旧鎌倉郡で唯一の大和朝廷官営の蹈鞴製鉄遺跡であるだけでなく神奈川県で現存唯一の蹈鞴製鉄遺跡です。
上郷深田遺跡
しかも先述の通り日本最大級で有る事が2期に渡る発掘調査結果既に判明しており、その製鉄史跡は未発掘部分に更に広がっている事が明白に成っています。


2019年に東急建設による開発計画が表面化し地元栄区民12万人に対して開発反対の本郷台駅~港南台駅~周辺住民に対して行われた反対署名が11万人も集まり多くの歴史学者が保存の必要性を訴えました。
が!しかし、横浜市役所は当時の林文子前市長が多くの歴史学者や住民の反対を無視して開発容認ととれる発言をした事で彼女の市長選落選に繋がりました。
元々この地域の淡水棲の古代の貝の化石地層や史跡と自然環境保護に熱心だった横浜市大の教員出身である山中市長になり計画はストップしていますので、是非、遺跡を活用した計画変更と上郷深田遺跡の完全保護からの国指定史跡化とユネスコに世界遺産登録して欲しい所です。
開発計画では瀬上沢の流路を人工的に変更する自然環境破壊に成っていて蛍は住めなくなるでしょう。この計画は中絶して横浜市の保有する本牧ふ頭や米軍からの根岸の返還予定地を代替地として東急に渡し、高秀市長時代の教科書にも掲載される程の遺跡公園として保護された大塚歳勝土遺跡や茅ヶ崎城址公園様に後世に残る市の事業として、市民から徴収している❝緑税❞を活用して自然と史跡の公園にして欲しいと保護署名を行った市民や歴史学者達の願う所。
既に栄区も磯子区も金沢区も空き家が増え続けており、10mも遊水池の谷を盛土でしてまで熱海の盛土傾斜地の崖崩れも有ったのに新たな宅地開発をしたり、日本最大級の蹈鞴製鉄を削り取って消滅させて商業地宅地化する意味が無いと感じる横浜市民ばかり。
是非、このまま富士山の景勝地や手前に広大な森や畑地が有るからこそ綺麗な夜景の名所を残し、日本最大級の蹈鞴製鉄史跡も保護して史跡公園化整備して横浜の里山文化と半分は鎌倉郡に属す横浜市域の武士文化発祥地としても夜景や富士山を眺めながら歴史ロマンも感じる場所としても保護し、未来に日本の刀剣や神奈川県が誇る歴史史跡を残して活用して残して欲しい横浜市最大の自然の景色の中に富士山を見られる名所でもあります。
——他の場所はコチラ⤵️から——

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大黒大橋
富士山とミナト未来の夕景
&大黒海つり公園海の広場
クリスマス~正月の朝陽の名所
大黒大橋
大黒海つり公園
【交通】
ー電車ー
大黒大橋は生麦駅からバスだと最寄り、大黒海つり公園は横浜駅から直通バス停が有る。
両方とも駅からバスの時間帯さえ合えば不便では無い。
ただし大黒大橋は景色の良い位置までバス停から700m近く歩く。
いずれにせよ、両方ともバスの時間は要確認。


ー車ー
大黒大橋は近くの大黒ふ頭中央公園が便利なものの09時~17時の営業なので日没の早い冬季でもマジックアワーのミナト未来と富士山を見る時間的な余裕は無いので、日没前後の景色を見たければ大黒大橋近くで路上駐車可能な場所に自己責任で駐車して1km近く徒歩で歩くしかない。


大黒海つり公園は駐車場がそこそこ充実しているが、大晦日~元日は休業。


【見所】
今回紹介した大黒大橋の景色は恐らく横浜市域で最高の富士山の景勝地であると同時にミナト未来21地区の夜景スポット。純粋に景色を見に行く価値が有るが行くのに難儀な場所でもある。
大黒海釣り公園は2019年の台風でキャンプ場が破損し更にコロナ禍で2022年現在は再開されていない。
いずれにせよ横浜市域最高の景色を見たいなら大黒大橋は行く価値が有るし、秋季~春季の空気がつめたく空が澄んで見える期間は厚着をした富士山撮影愛好家の姿が絶える事が無い。
車ならば横浜中華街もミナト未来21地区も山下公園も首都高速ベイブリッジを通らずとも高速の下を通っている国道ベイブリッジで直ぐに山下埠頭経由で行く事が出来きて近いので、大黒大橋からの昼間の富士山とミナト未来景色や夕景、大黒海釣り公園の広場モニュメントの間に登る朝陽を見て釣りを楽しんでから昼食を取りに横浜市街地に行っても楽しく思い出に残る1日を過ごせるでしょう。
特にクリスマスの12月25日の朝陽が綺麗に大黒海釣り公園の広場に真っ直ぐ登るので、前日のイヴに一緒に過ごした恋人同士でホテルを少し早く出て朝焼けを見るのはオススメ💛(笑)!
【名物】
波止場食堂

大黒ふ頭内各所に有る港湾労働者向けの波止食堂の安く早く美味い朝食は是非食べて置きたい。
【歴史】
大黒ふ頭は歴史は浅く平成二年(1990年)の完成。
隣の扇島~東扇島界隈は嘗ては遠浅で干潮に成ると干潟が現れ潮干狩りで賑わった場所で一帯は豊かな漁場だった。
神奈川沖浪裏
葛飾北斎の神奈川沖浪裏は丁度、本牧埠頭~この辺りと考えられています。これについて千葉県側は富津沖の景色と主張する方がいますが題名から解る通り江戸市民の葛飾北斎からすれば東京湾の中で同じ位置で富士山が見える富津沖でも神奈川沖と題名を付けている事から現在の本牧埠頭~大黒ふ頭辺りの海で有る事は間違いないでしょう。
神奈川沖東京湾 迅速測図
そもそも論で葛飾北斎がこの景色を描いたのは江戸時代当時江戸城の将軍に献上する魚を三浦半島の三崎漁港から届ける定期便に乗船したと考えられており、東京湾の潮流は正午頃から時計回りに流れますから富津側に行く訳が無いんですね、千葉県民の皆さんゴメンナサイ(笑)。
潮流については横浜の倭建伝説が残る杉田妙法寺や白楽の宝秀寺、横須賀の走水の倭建神話を検証した際に走水の漁師さん達や海上保安庁の人の話をヒントに紐解いた際の記事を御覧下さい。



そんな訳で大黒ふ頭は実は葛飾北斎が見た富士山の景色を現在は波越しではなくミナト未来21地区の夕景越しに見る現代の富士山絶景スポットで有り横浜屈指の夜景スポットだったりします。
——他の場所はコチラ⤵️から——
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前回の記事⤴で速報を出した横浜港での護衛艦一般公開ですが、小生も見てきました。
前回の記事に海上自衛隊のイベント公式を貼り付けましたが、11月05日、小生が一番見たかった護衛艦❝くまの❞の一般公開で乗艦するには御前09時から先着順で配布される整理券857名分の内の1枚を受け取った人だけが見られるのですが、先週横須賀で大人気の内に終わった国際観艦式で❝いずも❞に余裕で乗艦出来た体験から当日の朝嘗め腐っていました。
余談ですが小生は減量の為に現在車に乗らず自転車生活をしていまして、06月末から11月06日現在時点で17kgの減量に成功しました。
なので当然ながら昨日11月05日(土)も円海山の麓の自宅から大桟橋は自転車で50分程度の距離の良く週末に走って行ってる場所なので、先週の横須賀の観艦式の体験から09時の整理券配布なら09時チョイに到着すれば良いだろう位に余裕ぶっこいて朝の08時半位に家を出発しました。
そして失敗・・・
なんと見たかった護衛艦くまのの整理券は9時を待たずに自分が出発した朝の08:30には並んだ観覧希望者が定員に成ってしまったので時間を切り上げて配布されてしまったのでした。
09:15分頃に到着したら駐輪場の前で自衛官の方が「整理券配布終了」のプラカードを持っているのに愕然としました。
・・・いや~、横須賀市は人口40万人しかいませんし交通の便が都市部の人には少し遠いので見学者が少なかったんですね。横浜市の桜木町~関内エリアは都心からも来やすいのでベテランファンはそりゃ~横浜港での一般公開を狙いますよね。
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しかし全く見れなかった訳でなく岸壁まで行き近くで撮影して、配布物も貰う事が出来ました。
何故乗艦したいのかと言うと前回も紹介しましたが乗艦すると御朱印ならぬ護朱印を配布して頂けるんですよ。
下は前回の横須賀の国際観艦式での一般公開で拝受した護朱印です。
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余り御朱印や歴史に興味が無い方は御存知無いと思いますが・・・
戦前の戦艦も現代の護衛艦も神社の御分霊を分祀し艦内で祀っています。
護衛艦は鋼鉄の動く神社なんですね。
プリントアウトされた無料で配布される物ですが神道や仏教好きにはちゃんと社寺の御朱印と同じ意味と価値が有る物です。
小生が一番乗艦したかった❝くまの❞は最新鋭のステルス艦です、つまり敵の探知網に引っ掛かり難い護衛艦な訳ですね。なので他の護衛艦と比較して刺激的なスタイルをしています・・・
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・・・ごめんなさい(笑)、これはイベントで展示されている護衛艦くまのの前代大戦中の❝重巡洋艦熊野❞をゲーム❝艦隊これくしょん❞で擬人化された熊野です。ちょっと服装がゲームとは違う様です。
まぁ、ステルス護衛艦に生まれ変わったので服装も変えたのかな(笑)?
実物の❝くまの❞は実際に艦船として変わった形をしています。
小生の撮影した写真で一緒に見て見ましょう。
下の写真は護衛艦しらぬい、一般的な護衛艦はこのしらぬいの様な形をしています。
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では❝くまの❞をみて見てみましょう。
下の写真がくまの、何だか面が少ない様に思いませんか?
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極力、相手のレーダーに反射する面を少なくしている様に見えますよね。あと特徴的なピラミッドの様なフォルムですね~。
本当に特徴的。
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船の番号が❝2❞ですね、これ珍しくてほとんどの艦船は三桁の番号が付けられています。
例えば後で見に行く事に成った❝あたご❞は177番、先日見に行った❝いずも❞は183番です。
ステルス艦が特別な意味を持って建造されている事が解りますね~。
ちなみに、この時に大桟橋の対岸の山下埠頭には❝もがみ❞が停泊していたのですが、ステルス艦の1番艦は❝もがみ❞なので❝1❞の数字が割り当てられています。
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※クリックして拡大して下さい。手前に停泊しているのが❝もがみ❞です。
さて、女性は世界では数量の単位は女性の単位で数えられる物なのでゲーム❝艦隊これくしょん❞でも女性化されています。
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凄い人が並んでますね~。
女性には失礼ですが岸壁を進んでお尻側(笑)を見てみましょう。
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この後ろの格納庫に、哨戒(偵察)用のヘリコプターが格納されているのですが岸壁からでは見えませんでした。
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くまのは空母として運用される事が前提に成ってる❝いずも❞のミサイル迎撃システムが機関砲だったのに対してミサイルポットが装備されており、何だかガンダム臭を感じたのはZZガンダムを見て育った世代の小生だからでしょう(笑)。
1日艦長の内田理央チャン、一緒に写真撮って欲しかったなぁ~(笑)。
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綺麗!
前回のいずもでは1日艦長でウルトラマンZの俳優、平野君に一緒に写真を撮影して貰えたんで、多分、くまのに乗艦出来た人は一緒に撮影出来たんでしょうね。
停泊しているのが大桟橋なので、大桟橋の展望デッキ❝象の背中❞に移動しましょう。
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ここは横浜が一望出来て綺麗です。もし観光で横浜に来られる方が読者にいらっしゃったらここは必見ですよ。
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陸を向いて左手にくまのが停泊していますが、岸壁から見たのとそう違いは有りませんでした。
反対側は米軍から今年返還された瑞穂埠頭です。
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瑞穂埠頭に沢山の護衛艦が停泊しているのが見えました。
その西側には❝ミナト未来21地区❞があり、ハンマーヘッドでは❝しらぬい❞が公開されてました。
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本来は❝くまの❞を見てから赤煉瓦倉庫に行って12時から米軍第七艦隊のブラスバンドの演奏を見物して、その後にしらぬいを見学する予定だったのですが、くまのに乗艦出来なかったので予定を変更し山下埠頭に回って❝くにさき❞と❝あたご❞の2艘にいっぺんに乗艦する作戦に変更。
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山下公園を経由して行く必要が有り徒歩だとちょっと歩きますが、自転車で来ているので大して時間もかからず山下埠頭に到着しました。
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う~ん、ガンダムとイージス艦が一緒に見えるってのも良いですね。
これを見て後から港の見える丘公園に移動すればもっと良い写真が撮れるのでは?と思い、後でソッチに移動しましたが、先ずは あたご と くにさき の話。
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11時半に輸送艦くにさきの受け入れ終了で11時にすんなりと行列に並ぶ事が出来たので又余裕ぶっこいてたらとんでもない事に成りました。
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すげ~並んでる。
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ヤバいよねこれ。
実際ここから1時間以上全く列は動かなくなりました。
そうこうしてる最中に❝くにさき❞の公開受付終了www。
またもや目論見が甘かった(´;ω;`)!
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しかし❝くにさき❞の出航準備を見る事が出来ました。
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そうこうしてる内に❝くにさき❞の公開が終わり、乗艦客が下船すると漸く❝あたご❞の公開待ちの列として小生のいる行列も動き出しました。あたごの乗艦受付の手前に見学したかった❝くにさき❞の艦これのキャラのパネルが展示されていました。
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漸(ようや)く見えた、あたごの御尻。
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乗艦迄まだまだ列が続きますが、受付終了が14:30でこの時点でまだ12時半位だったので、あたごにだけは乗艦出来るのは確定し一安心。
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あたごに乗る寸前に、くにさきが離岸開始。
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離岸する際に押して離岸を誘導する船も寄って来ました。
くにさきの出航はあたごの上から見られると思い、そのまま行列から外れず、あたごに無事乗艦しました。
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格納庫が2つ有り、ヘリコプターを2機搭載しています。
その手前に艦これの重巡洋艦愛宕のキャラのパネルが有りました。
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さて、船尾の方に行くと横浜港が綺麗に見渡せました。
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前に見切れているのがステルス艦もがみです。
ここから離岸せんとする、くにさきも見えました。
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くにさきの出航は未だ暫く先に成りそうだったので、あたご船尾の見学の為に、あたごの中💛に移動してスカートを除きました。
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故意に変態的な表現をしましたが(笑)、スカートと言う装備が艦内に実際に有るんです。
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これなんですが、上の写真はあくまで展示の為に置いて有るのですが海上自衛官の友人に教えて貰った所、これもステルス艦にも備わってるステルス性を高める装置だそうです。
恐らく、一部分しか展示されてないからコレが全てではないでしょうね。
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これは魚雷の発射口の扉か何かだったと思います。
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そこかしこに親切な展示解説が有りました。
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船尾側の甲板に出ると主砲や迎撃ミサイルの発射口が有り、イージス艦の特徴的なレーダー等も見る事が出来ました。
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正面から見るとカッコ良いですよ、イージス艦は。
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実はこの写真を撮影した直後に、第三艦隊の鈴木司令官と御話させて頂き写真を御一緒に撮影して頂く機会が有りました。
芸能人ではないので写真掲載は差し控えます(笑)。
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座らないでね~と言う警告が何か可愛らしい猪なので何でだろうな~と思ったら、後で海自の友達とあたごの護朱印のデザインについて考察した結果、何で猪があたごに使われていたかも解りましたので後で解説します。
下船する際に護朱印を拝受させて頂けました。
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さて、先程話題に取り上げた猪の考察をしてみましょう。
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これ、恐らくですが❝あたご❞は旧重巡洋艦愛宕同様に京都の愛宕山から名前を命名されています。
愛宕山は古くから神仏混交の聖地で愛宕大権現として有名でした。
今回の記事の最初の方でも解説しましたが、護衛艦は戦時中の艦船と同じく神社から各艦毎に守護神の御分霊を勧進しておりミニ神社の様な存在です。
埼玉県飯能市の円泉寺の御住職がブログで愛宕大権現について画像付きで解説されているので、先ずはソチラを御覧下さい。

愛宕はその名前通り愛宕神社から愛宕大権現を守護神として勧進しているので、愛宕大権現で聖獣として扱われている猪はこの艦の守り神の使いと言う事ですね。
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護朱印にも猪や神仏混淆の神様や仏様がデザインにされていました。
中央の楯と剣のデザインに愛宕大権現の脇侍や従者の神仏が表現されています。
楯には上に猪、右に愛宕大権現と同一視されている天狗、左に愛宕大権現が描かれており、愛宕大権現の脇侍の仏様である不動明王様と毘沙門天様が持つ劔が交差してデザインされており、炎のデザインも正に不動明王と毘沙門天が背中に背負っている炎を重ねたデザインに成っているんですね。
これ考えたの自衛官だったら歴史知識も深く美術的なデザイン能力も高い方ですね~。
さて愛宕を下船すると、くにさきが港から出て行く最中でした。
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乗りたかったなぁ~。
まぁ仕方ない。
山下埠頭から見るミナト未来21地区と山下公園の氷川丸は良い景色でしたよ。
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そこから山下公園に秋を感じに移動する途中、横浜名物のガンダムへ駅から直行できる連結バスが停まっていました。
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山下公園の方はと言うと、少し秋模様に色も染まって来ていました。
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昼も過ぎたので中華街に移動して食事をする事に・・・
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・・・横浜名所の1つ山下公園前の銀杏並木は今月中旬ぐらいが見頃ですかね~。
取り敢えず、美味しいけど臭い銀杏、沢山落ちてて酷い臭いだった。
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そしてマックのドナルドが経年劣化で損傷していて・・・
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めちゃ怖ぇ~!マクドナルドさん、色塗り直して補修してあげて~(笑)!
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途中でニューグランドホテルの中庭も久々に見て中華街へ。
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うん、人手が戻って来て嬉しい!
残念ながら横浜聘珍樓本店は100年以上の歴史に幕を閉じて潰れてしまったけど。
https://www.heichin.com/wp-content/uploads/2022/06/20220602.pdf

昨日は小生が学生時代に良く食べた福満園のランチに。
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1000円でメイン、御飯、スープ、ザーサイ、デザートが食べられるんですよ!
入口からは解り難いのですが、中は明るく女性客や家族連れが沢山来店する御店です。
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昨日は小生はエビチリ定食に追加で大根餅を食べました。
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これで1000円て安いでしょ?中華街来てランチ食べずに立ち食いして1000円以上コスパ悪い物食べてる人達を横浜の地元民は「カッペ可哀想ぅ~」と思ってみてたりします、主に中華街詳しい部類の小生とか( ´艸`)。
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この福満園の大根餅は干し海老の旨味が良く出て味と香りが良く、表面はパリパリ中モチモチで本当に美味しい。
オススメです。
食事を終えてガンダムとあたごを撮影する為に港の見える丘公園に移動。
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この公園は景色が良く、周辺に素敵な無料見学出来る洋館が多数有るので横浜観光では是非抑えて置きたい観光スポットの1つです。

以前、映画版L💛DKのロケ地としても紹介していますので、横浜観光にいらっしゃる方は是非、上の記事の洋館を訪れて見て下さい!
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さて、港の見える丘公園の展望所へ移動すると思った通り、あたごとガンダムを一緒に撮影出来ました。
でも、全長165mの❝あたご❞が大きすぎて18mのガンダムはちょっと小さいですね~。
ただ、他にラッキーな物が見れました。
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ハンマーヘッドに停泊してた潜水艦の出航です。
良く見ると見物客の見送りに応えるように潜水艦の上に海自の自衛官の方が立っていらっしゃるんですよ。
さて、そんな訳で朝08:30分から行動してこの時既に16時位だったかな?
帰路、港南台目指して帰る途中に大岡川沿いの橋の上で町の景色が川面に綺麗に映り込むリフレクションの夕焼けを見えました。
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良い休日を海上自衛官の皆様の御蔭で過ごせました、感謝。

来週まだ東京で受付は終了し乗艦は出来ませんが、もがみ と くまの を岸壁から見る事は出来ますよ!
詳しくは以下の公式を御覧下さい。

本日のブログはここまで、では、次の記事で又、御会いしましょう~♪
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時間が無いので速報だけ共有します!
本日、横浜港各所で下記の通り護衛艦の一般公開が行われます!
山下埠頭(山下公園の先、ガンダムの奥)
くにさき
lst4003
あたご
ddg177
もがみ
ffm1

横浜新港埠頭(赤煉瓦倉庫近く)
横浜ハンマーヘッド しらぬい
dd120
潜水艦
ss


国際客船ターミナル
くまの
ffm2

詳しくは下記公式を御覧下さい!

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海上自衛隊の横須賀基地で国際観艦式を開催中です。
昨日に拡散しようと思ったのですが、夜寝てしまって書けませんでした~(笑)!

まだ午後16時までやっており15:30迄は護衛艦に入場可能なので大急ぎで拡散します!
海上自衛隊横須賀総監部はJR横須賀駅を出てすぐ、ヴェルニー公園と接続する場所に在ります。
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海上自衛隊 横須賀地方総監部
ヴェルニー公園側入口

交通については京急汐入駅からも徒歩10分もかからずヴェルニー公園内を通過して辿り着けます。
取り急ぎ時間が無いので昨日、小生が見て来た写真とUPした動画と無料で配布されている護朱印等の写真をメインに紹介します。
ヴェルニー公園から既に下の海自の横須賀地方総監部の前に停泊する❝いずも❞を見られます。
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今回はこの他に❝ひゅうが❞❝あさひ❞も見学できます。
見学とは外から見るだけでなく実際に中に入れますし、記念に船を降りる時に護衛艦乗船記念の御朱印の護朱印を配布して下さいます。
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これは護衛艦ファンのみならず、神社仏閣巡りの御朱印収集が趣味の方々も惹かれると思いますよ。
余談ですが護衛艦には各護衛艦の所属や名前に由来する地名の地方の神社の神様の御分霊が勧進されているので護衛艦も有る意味神社みたいな存在でもあったりします(笑)。
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中に入る通路にも入り色と展示物はあります。
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何かのスクリューとか。
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このゲートを通過するといよいよ本格的に敷地内です。
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これがヴェルニー公園から見える建物、この横に❝いずも❞が接岸しています。
その前には海自の方々が基地内の別区域に移動する際のボートも有りました。
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このボートの少し先のテントでコンサートと同じ程度のコロナ対策のアルコール消毒と検温、それと手荷物検査が行われます。
消毒と手荷物検査が終わると、いよいよ❝いずも❞が間近に見えます。
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この手前いずもに乗船する前のスペースにも海事関連の紹介展示が有ったり記念品や御土産物のブースが大量に出ています。
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乗艦記念の護朱印の他にもパンフレットとかステッカーとか、露店の方で配布してくれます。
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あと自衛官募集のパンフレットも(笑)。
技官だと50歳くらいまで応募出来るのかな?
溶接工や電気工事士とか色々と低賃金でブラックな業界も自衛官だと月給30万円代後半だった様な案内があったと思いますが詳しくは現地で聴いて下さい(笑)。
私は営業職なので残念ながら海自好きだけど力には成れない。
ん?技官に成れる資格は大量に持ってるんですけどね。
で、そのブースの前にトラフィックコーンが整列用に並べられており、先ずは❝いずも❞から見学するのが妥当でしょう。
そんなに並ばずに中に入れますよ。
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この入口を入ると格納庫です。
格納庫の中はこんな感じ・・・
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格納庫から甲板エレベーターで見物客を数十人単位で一気に普段はヘリコプターが並んでいる飛行甲板へ上げてくれます。
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動画もUPしたので、ソチラを見た方が臨場感が有るかと思います。

このエレベーターに非常にエヴァ感を感じるオタクな小生。
甲板の景色は横須賀港が一望出来て非常に綺麗です。
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ちょっと気持ち悪いけどパノラマだと下みたいな感じ。
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とても観覧客が多く賑やか!
ドブ板通りも近いし知らずに横須賀観光に来てヴェルニー公園歩いてて国際観艦式を知った人はラッキーですね。
ヘリコプター空母型ですが護衛艦なんで当然ながら船首に機関砲も有ります。
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後ろ姿はこんな感じ。
前から見ると何だかFF7のサボテンダーみたい(笑)。
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❝いずも❞には一日艦長のウルトラマンZ主人公役の俳優の平野君がいて、声をかけると気さくに写真撮影に応じてくれるので、お子様連れで訪れても良い思い出に成るかと思います。
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※右半分の小生は削除(笑)。
いずもにはヘリコプターの展示も有ります。
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前に突き出してるの機関砲かと思ったらピトー管(速度計)だそうです。
ヘリコプターも近くで見るの久しぶりだからカッコ良い!
甲板からは対岸の蒼龍型潜水艦も見えますが、これはヴェルニー公園からでも見えるので 別に珍しくはない。
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更に船尾の方に行くと次に見学する❝ひゅうが❞の全容が良く見えて絶景です。
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カッコ良いっすな~♪
しかしメチャ広い。
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実は現代の❝いずも❞は第二次世界大戦中に世界最大級の戦艦だった大和に近い大きさがあります。
戦時中に活躍した空母の蒼龍よりも大きいんですよ。
大和  263m
蒼龍  227m
いずも 248m
恐らく航空機を艦載機として載せる予定が有るので最初から大きく作られたのだと思いますが、いつから航空機が艦載機として実用されるかは❝いずも❞にカタパルト付けたり改修が必要なので解らないですね。この世界情勢で反対する頭の中お花畑の人もいますから。
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船お降りる際に出口で隊員の方が護朱印を手渡して下さいました。
早い時間帯ならパンフレットも配布していた様です。
ところで近くで護衛艦見ると空母クラスでも溶接って細いんですね~。
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太くすりゃ良いってもんじゃないし、当たり前ですが戦艦三笠の時代は鉄板片をリベットで止めていたので根本的に100年前とは造船技術が違うみたいですね。
下はヴェルニー公園からも徒歩で行ける三笠公園。
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三笠公園
世界三大旗艦の1つ戦艦三笠
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これ⤴なんか三笠の副砲ですけど、リベットって言うネジみたいなの鉸(かし)めて鉄板を固定してるのが良く解るでしょ?
今は大きな1枚板の鉄板を製造したり吊り上げたり一気に溶接するロボットも有るから全然作り方が変化したんですね~。
さて、いずも~ひゅうが・あさひへと移動します。
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いずも降りて直ぐ近くに入口があり、ひゅうが と あさひ は入口が隣接しているので時間次第で両方廻れない場合は片方どちらを見たいか良く選択して下さい。
ひゅうが は いずも と略(ほぼ)似た様な形ですが、消防に関する展示などがあります。
あさひ は空母型ではないので小さいですが艦砲や魚雷が沢山有って、それはそれで見ごたえが有ります。
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こちらもスンナリと見学できました。
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ひゅうがの入口には大戦中の先代である航空戦艦の日向を女性化した艦これの絵が飾ってありました。
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解る人には解れば良いのですが、護衛艦は平仮名表記、帝国海軍時代は漢字表記なんですね。
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日向の入口の横断幕は京都府舞鶴市の基地所属だからか気持ち阪神タイガースを彷彿とさせるデザインでした(笑)。
こちらも甲板迄はエレベーターで昇降させて下さいます。
甲板からエレベーター見るとこんな感じ。
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甲板から⤵降下するとこんな感じ。
やはりエヴァ感半端ない(笑)。
もしくはウルトラマンの世界。
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甲板からは横並びに成ってる護衛艦が見渡せて壮観です。
コチラでは消防関連の展示が有ります。
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隊員の方に伺ったらフル装備10kgでヘルメットだけで4.4kgの重量が有るそうですが、実際はこの防護服は汗を吸い込みやすく着ると物凄く暑いので余裕で重さが増してしまい実際には超重量に成るみたいです。
動き難そうですし後々、もっと良い素材の防火装備が出来ると良いですね。
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これは資材の受け渡しの際に甲板からワイヤーを射出する銃?の様な物らしいです。
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後は、いずもと大差有りませんでした。
次に朝陽に乗艦します。
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直ぐ隣の入口なので時間が有れば見て置きたい所ですね。
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この入口の旭日旗と⚓のマーク、実はロープで刺繍してあり見事な物でした。
こちらは船は小さいですが、より昔の駆逐艦や軽巡洋艦ぽさがある装備がふんだんに備わっており見学し応えあります。
小さいですが哨戒ヘリも搭載しているんですね~。
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この艦で凡(おおよ)そ130人くらいが勤務しているそうです。
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艦内を歩くので、又いずも、ひゅうがとは異なる楽しみが有る。
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解り易く装備の説明も設置して下さってました。
詳しく書けない部分はフザケて御茶を濁してます(笑)。
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単装砲ちゃん・・・
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これ明治の戦艦の三笠の主砲と比較して大きくないですが、ぶっ放す時に横にいたら耳潰れるでしょうね。
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さて、この様に色々と艦艇内を見学できますが、露店の他にも横須賀厚生センターと言う自衛官の理髪店やコンビニのヤマザキショップ等が集まってる施設があり、ヤマザキショップでは限定のポテチも購入できます。

この中ヤマザキショップでは2種類の御当地チップが販売されています。
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小生は海自カレーポテトチップスが特に美味しく感じました。
御酒飲む人には良いツマミ、そして御子さんいも良い土産になる事間違いなし!
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港南台から自転車で行ったせいで、自転車の振動で小さく砕けてしまっていましたがwww。
美味しかったですよ!
あと護衛艦KIRISHIMAのTシャツも購入しました。
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これなら普段着ても変じゃない(基準がオカシイ)。
さて、どうでしょうか?
皆さん興味が湧いたら、今急ぎで電車か車で行けば横浜~鎌倉~三浦~藤沢市内位からなら間に合いますから是非訪れて見ては如何でしょうか?

周辺観光地は追記しますが、一旦途中で投稿します!
では皆さん、良い日曜日を~♪
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神奈川県立金沢文庫 運慶展2022
神奈川県立金沢文庫で鎌倉時代の三浦一族ゆかりの運慶の仏像を集めた特別展示❝運慶 鎌倉幕府と三浦一族❞を開催中です。
神奈川県立金沢文庫 運慶展2022-2
余り歴史に興味が無い人は御存知無いのですが、平安末期~鎌倉時代の三浦一族は仏教と神様を非常に大事にしており、特に京都の朝廷に❝三浦長者(三浦氏の棟梁)❞と認識されていた和田義盛公は運慶と交流が有った様で多くの運慶関連の仏像を持つ御寺を開いています。
展示内容に関しては以下のPDFリンクをクリックして御覧ください。
https://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/exhibition_images/unkeilist.pdf
他にも毎回、歴史好きには燻銀の濃い展示を行う金沢文庫、御興味有る方は下の公式ホームページからチェックして見て下さい。


神奈川県立金沢文庫
鎌倉幕府の重鎮金澤北条家の私設文庫が前身
伊藤博文公が復興した東の正倉院の異名を持つ歴史博物館。
開催期間
令和4年10月7日~11月27日
運慶特別展示観覧料金
大人800円(65歳以上200円)
20歳以下と18歳以上の学生600円
高校生以下100円
※ボランティアガイドによる解説も午前中に行われています。
元々は金沢文庫の収蔵品の古文書や仏教関連の文化財を保有していた事で歴史学者には東の正倉院と呼ばれ鎌倉幕府~室町幕府~江戸幕府の歴代将軍に保護された金沢山稱名寺(しょうみょうじ)が現代でも隣接しており、その旧収蔵品を伊藤博文公の命で保管する為に設立されたのが神奈川県立金沢文庫です。
2階建ての展示スペースの1F部分には金澤北条家の事を余り知らない人の為の映像付きの解説も有りますし、金沢文庫の所在地は鎌倉時代から有った事で文庫谷(ぶんこがやつ)の地名で呼ばれる谷で、稱名寺と金沢文庫を隔てる山を貫いた歩道トンネルで繋がっています。
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鎌倉時代のトンネルは崩落の危険性が有るので通れませんが現代の歩道用のトンネルを歩いて称名寺にも散策にして行けます。
森林に囲まれ立派な日本庭園を持つ境内で初秋の爽やかな空気を感じながら散歩する事も出来ます。
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金澤山 彌勒院 稱名寺
真言律宗別格本山
是非、三浦氏と関係の深かった運慶の仏像を御覧に成りたいと思った方は、このトンネルを抜けて稱名寺と稱名寺の裏山の稲荷山~金沢山~日向山を御散歩して見て下さい!
と~っても景色が良いですよ!
神奈川県立金沢文庫の展示は先程紹介した公式ホームページを御覧頂くとして、小生は稱名寺の景色とついでに行ける距離の周辺の観光地を紹介させて頂きたいと思います。
では稱名寺ですが表の山門から紹介したいと思います。

称名寺の入口は先程紹介した神奈川県立金沢文庫と繋がっているトンネルと別に表門が有ります。
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京浜急行電鉄金沢文庫駅やシーサイドライン海の公園口から徒歩で10分程歩いて来ると、この門の前に出ます。
余談ですがこの赤門の前に在る別の御寺の薬王寺は鎌倉殿の13人で活躍した源範頼公の菩提寺の1つでもあります。
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源範頼公は源範頼公の弟君ですね。
金沢区にはこの他にもう一つ源範頼公の菩提寺があり、ソチラは以前に紹介記事を書いているのでリンクを貼って置きます。

薬王寺サンについては又、改めて紹介記事を書く予定が有るので今回は場所の紹介だけで解説はスルーさせて頂きます。
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三療山 医王院 薬王寺 
源範頼公菩提寺の移転地の1つ
さて、先程の称名寺の赤門から山門に続く参道は春にはとても美しい桜並木に成り、以前も紹介させて頂いています。
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春の景色については夏の菖蒲の季節の紹介記事と合わせてリンクを貼って置きますので、是非ブログ内の写真を御覧下さい。

この参道は秋や冬は参道が良く見渡せて春とは違い称名寺の規模の大きさを感じる事が出来ます。
立派な仁王門を赤門の場所からも見る事が出来ますよ。
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写真の人の大きさと比較すると立派さが良く解りますよね~。
鎌倉の建長寺や光明寺と同規模を誇ります。
仁王門を左手に回ると境内に入りますが、右手に回ると称名寺を開いた金沢北条実時公の墓所へ続く広大な谷間の野原が広がっており周辺住民の憩いの場に成っています。
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この先に金澤北条実時公の墓所が有ります。更に進むと称名寺の境内をぐるっと一周取り巻く山に遊歩道が有り、その山は金沢城と言う詰め城として要塞化されていました。
実は称名寺は寺院化される以前には金澤北条家の邸宅だったと伝わります。
北条一族自体は鎌倉の幕府に出仕する為に鎌倉市街地に邸宅を構えて居るか任地に赴くので本宅には帰る事は余り無い訳ですね。
やがて金澤北条家は金沢の本宅の持仏堂を元に邸宅地を寺院化し稱名寺を開きました。
金澤北条実時公が学問に熱心で中国の仏教文化の経典•教本や仏具や文化資料も多く収集し、更に金澤北条家の歴代が六波羅探題と言う関西を治める役目を担い今の京都の八坂神社辺りに赴任し京都から南宋の文化財を収集し続けた結果重要な寺院と成り、鎌倉幕府が滅び金澤北条家が滅亡した後も室町幕府の関東管領や執事で無敗の軍師だった太田道灌公の書状、江戸時代の徳川家からの書状等のとてつもない史料が現在に残る基礎を作りました。
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仁王門から見える赤橋は近代には荒廃して失われていましたが現代、発掘調査を行い昔の図面から復興されました。
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秋に成り気温が下がると空気が澄んで池の水面にこの赤橋と青空が綺麗に映り込み、美しい景観を見せてくれます。
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見事に逆さ二重橋に成っていますね~。
これは2022年10月23日の写真です。
春や夏も綺麗です。
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春や夏の景色は先程張り付けたリンクでもっと沢山の写真を御覧下さい。
さて、御朱印を拝受するのが趣味の方もいると思いますが、ここ称名寺でも御朱印を拝受出来ますので金沢文庫の特別展示で運慶の木造仏像のを拝んでから、称名寺を散歩して御朱印を拝受しては如何でしょうか?
上の写真で御寺の背後に見えているのが金澤山で各尾根の頭頂部が削平されている他、腰郭の段地も要所要所にあり、尾根には堀切跡らしき地形と称名寺の周囲を囲む部分は裾切されて崖地化されています。
ただし詰城であり、本格的に城砦化されていたのは釜利谷~能見台地区の都市化で消された青野台(青ヵ台/阿王ヵ台)城だったので、ここはあくまで良く有る平安末期~鎌倉初期の削平地の腰郭と曲輪、堀切と裾切した尾根道だけの簡単な構造で土の城として余り見て廻る施設は元々有りません。
ここは寺院の存在だけでなく野村不動産による背後の山の住宅地化で消された古街道が金沢文庫の前を山を越えて通っていた事が古地図にも描かれており、鎌倉市街に通じる尾根道の交通の海側の入口の1つだったので要塞化されたり金澤北条家が抑え陣地になる様に寺院化された可能性もあります。
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本堂横の寺務所の近くに上の写真の階段があり、数々の仏様を拝みながら進むと山の頂上に出る事が出来ます。
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昭和初期に御遍路の御利益の有る石仏群を設けた様で、城址の林道も有意義な散策路に成りました。
この林道をグルっと1周回ると地形を城好きが注意して見ると平安時代の関東の簡単な構造の出城や要塞の構造が見て取れますが、城に興味の無い人が見ても何も解らないと思います(笑)。
さて、頂上からの眺望は素晴らしいので私が皆さんに是非登って貰いたいと思います。
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まだ夏の名残のある2022年10月23日、手前の雑草が少し邪魔ですが運慶の特別展示の期間の11月末位には雑草が枯れて空気が更に澄み更に眺望が良く成るでしょう。
下の写真みたいにね。
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雑草の背が低く成ると御寺の裏の野原も良く見え、更に埋立地に変わった住宅街に昔の島だった緑の丘が幾つも視界に広がり横須賀の海まで見渡せます。
この御寺の参道の更に先は当時は港だったので、鎌倉幕府にとって六浦の港、材木座の和歌江島と並び非常に重要な房総半島と鎌倉を結ぶ交易拠点だった訳です。
御寺には可愛い人懐っこい猫もおり運が良ければモフらせてくれます。
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さて、この称名寺は昭和まで海が近かったので、埋め立てられた海の公園も歩いて行く事が出来ます。
なので当然、散歩コースとして海まで出るコースを組む事も出来ます。
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八景島シーパラダイスへそのままデートに行く事も出来ますね。
途中には金沢園と言う築100年以上の文化財の料亭を改装して運営してるカフェ金沢園もあり名物のアナゴ料理を食べる事も出来ますし、海の公園柴口駅に近いブレーメンと言う名前のパン屋さんの❝八景アンパン❞は金沢文庫の展示を頻繁に見に行く人には有名な一品です。

上のカフェ金沢園に関しては名前が変わる前に一時旅館として喜多屋の名で運営していた時の様子を紹介しているので、御興味が有る方は過去の記事も御覧下さい。
実は料亭だった頃には与謝野晶子等も来ていたんですよ!

残念ながらコロナ禍で旅館としての運営を終え、本来の料亭機能をフル活用したカフェとして昔の金沢園の名でリニューアルオープンして現在は営業しています。
金沢園とブレーメンは直ぐ近くで、更にパン屋のブレーメンの前には小柴漁港も有りますから漁港の岸壁に座ってパンを頬張ったり、海の公園の砂浜に座ったりしてユックリとした時間を過ごす事も出来ます。
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ブレーメンでオヤツ代わりに菓子パンを買って神奈川県立金沢文庫に行ったり、横浜八景島シーパラダイスに行っても良いかも知れませんね!

さて、今回の記事は歴史解説では無く貴重な鎌倉御家人三浦家所縁の運慶作の仏像を一斉に集めた展覧会の御案内でしたが、せっかく訪れる方々の為に周辺の観光案内もしてみました。

是非、11月27日までの開催中にデートや観光で周辺の散策を兼ねて訪れて見ては如何でしょうか?

この称名寺や金沢文庫だけでなく、きっと皆さんの御宅の御近所の神社や御寺も実は凄い歴史偉人と繋がりが有る場所が沢山有る筈です。
ですから、ちょこっと御近所の城跡の山や緑豊かな御寺や神社を散歩して見ませんか?

では皆さん、今日はここまで!
又、次の記事で御会いしましょう~♪



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披露山公園
神奈川の景勝50選の1つ
逗子一の富士山の景勝地とハイキングコース

―以下は詳細な解説( ゚∀゚) ダョ♪⤵―
【交通】
訪問は若干不便なものの、晴天で海上の空気が澄んでいる季節に成ると、由比ヶ浜~稲村ケ崎~江ノ島の相模湾~箱根山系~富士山を一望できる絶景や夕陽を見る事が出来る。
もしデートで彼氏彼女や夫婦で行くなら電車で訪問し徒歩で逗子駅から近くの逗子海岸を歩き小説不如帰の舞台にも成った浪子不動こと高養寺からハイキングコースを登り披露山公園の展望台まで行くと感動するでしょう。
実際に多くの若い女性同士や御夫婦のハイカーが展望台から富士山と夕陽を眺めて感嘆の声を上げる様子を目にする機会が有りますよ♪
もしトレッキングが目的なら昼過ぎ位に逗子駅を出発し逗子海岸~浪子不動遊歩道~披露山公園で休憩~更に披露山庭園住宅を抜けて~大崎公園や逗子マリーナや材木座から富士山と夕焼けを見て帰るのも良いと思います。
もし歴史に興味が有るのでしたら、逗子駅から程近い六代山不動院も御参りしてから逗子海岸に出ても良いかも知れませんね。
以下が過去に紹介した六代山不動院、大崎公園、逗子マリーナ、材木座の富士山の景勝です。




下の地図に表示されている所では季節で水揚げが有れば御土産用のシラスを購入する事が出来ます。
【歴史】
この披露山公園は実は古墳時代に倭建(ヤマトタケル)命が通った古東海道と考えられています。
下の地図は国土交通省関東地方整備局サンが子供達の為に作っているホームページに公開されているもので略図ですが凡その経路が解り易く表示されています。
古東海道 国土交通省から画像拝借 久良岐のよし
見やすいでしょう?
下にリンクを貼って置きますね!

国土交通省の推測は実は歴史を知っている人からすれば非常に整合性が有ります。
古墳時代以前からの聖地が神社化したとされる平安時代の醍醐天皇が政令で保護対象にした神社が網羅されている延喜式神名帳に掲載されている❝式内社❞と、古代の史跡をGoogleEarth上に表示し更に国土交通省の製作した古東海道図をGoogleEarth上に重ねると見事に整合性が有ります。
昔の海岸線と古道 久良岐のよし
上の地図で住吉城と表示されているのが披露山公園の向かい側の山で、吾妻鏡に登場する畠山重忠公と和田義盛公が開戦した坂道の入口、すなわち名越の坂や古東海道の切通道を眼下に抑えた住吉城址です。この城名由来の神社が住吉神社です。
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住吉神社
住吉城址に在る鎌倉郡総鎮守と伝わる古社
正覚寺の下にある現代廃道にされた切通道が古東海道と伝わります。
ここ等辺りは以前、小坪の歴史を調べ始めた時に少し記事にしましたので御興味有る方は下の記事を御覧下さい。

ところで住吉神社は小坪の郷土史を調べると、逗子市が鎌倉時代以前に旧鎌倉郡で三浦郡では無かった事が解り、更に住吉神社が鎌倉郡の鎮守の神社と元々は社格が高かった事も解ります。
つまり本当に古東海道がここを通過していたので、社格の高い神社や重要な御寺も逗子市には沢山存在したし現存もしているのでしょうね。
正覚寺の下の鎌倉時代の和田義盛公と畠山重忠公の古戦場でもあり、戦国時代の伊勢原市と平塚市に跨る大城郭の岡崎城主で岡崎城三浦道寸公と住吉城主三浦道香公の御兄弟と北条早雲こと伊勢宗瑞公と北条氏綱公親子の名将達が住吉城攻防で三浦家の撤退戦の大激戦地となったのが、この古東海道でした。
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今では放置されて長い時間、草木が生い茂ってしまいましたが路盤は今も残っています。
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逗子マリーナから見上げて段地になってる上のフェンスの中が古東海道、神話の道で名将達の住吉城争奪戦で主戦場と成った当時は写真を撮影してる位置が海で、海の上にそそり立った崖に穿たれた蜀の桟道の様な天下の険でした。
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反対側は海前寺様に繋がっており、御寺が古道の出入口を守る形で存在している事からも正覚寺は江戸時代の記録に戦火に遭ったと記載が有るので戦国時代まで古道の入口の砦として利用されて戦火で廃寺に成り、約1世紀後に浄土宗寺院として再興されているようです。
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海前寺様の墓地にも昔の道が残されています。
この墓地には戦国時代の住吉城址の攻防の将兵を弔う首塚が余り知られていませんが存在します。
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この首塚の場所は元々は矢倉だったみたいですね。
さて、鎌倉時代にここで戦ったのは皆さんも鎌倉殿の13人で既に良く知っているかと思いますが初代鎌倉幕府別当の和田義盛公と畠山重忠公です。
鎌倉殿三浦義村小鎌倉殿三浦義澄鎌倉殿和田義盛
子 ⇔ 親:三浦義明公の子:叔父 ⇔ 甥
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実は三浦義明公の孫
鎌倉殿畠山重忠
この戦いでは畠山重忠公は由比ヵ浜に陣地を置いたとされるので極楽寺坂の下の長谷観音辺りに陣地を置いていたかも知れませんね。
三浦氏は家長の三浦義明公(89歳)の守る三浦半島の中央部の三浦家本拠地衣笠城を防衛する為に畠山重忠公の由比ヶ浜の対岸の披露山公園のある古東海道を守る住吉要害に陣取った和田義盛公と現在の葉山町と逗子市境界にある鐙摺城を三浦義澄公が守りました。
当初三浦義澄公は畠山重忠公は甥っ子に当たる為に開戦する心算は無かったと伝わりますが、源義朝公への忠誠心の高い和田義盛公が畠山重忠公へ宣戦布告をして開戦しました。
但し戦ったのは源頼朝公が鎌倉幕府を開く前の話です。

ちょうど最初の頃にこのシーンが和田義盛公の勘違いで開戦したように描写されていましたね。
さて、そんな訳で披露山は凄い歴史偉人たちが通過した場所なだけでなく、源より朝公が部下達に褒美を与えた宴会を開いた場所としてもしられ、それが披露山の披露の地名の由来と伝わります。
是非、頼朝公も見た景色を皆さんも見て見ませんか?
鎌倉殿源頼朝
「風景良いから皆も遊びにおいで!」
倭建命の聖地巡礼で訪れて古道として散策しても良いかもしれませんね。
三浦半島には披露山を通過して房総半島んいと訪れる前に倭建命と弟橘姫夫妻が滞在した走水の御所ヵ崎と走水神社も有ります。


では、披露山公園の富士山の絶景や周辺に纏わる解説はここまで。
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