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カテゴリ: 景勝地/お祭り/食事/買物

浅草と言えば浅草寺と芸人の町として昭和には有名に成り、ビートたけしサン始め多くの話芸の達人を生み出してきました。
そんな浅草の浅草六区と言う町に“ホッピー通り”と言う素敵な飲み屋街が在るのを皆さんは御存知でしょうか?
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写真はホッピー通りの名物、もつ煮込みの店の一つです。こんな感じで道に迫り出す様に屋根とテーブル席が設けられていて、昼も日中から(笑)多くの観光客と地元客が御酒とツマミを楽しんでいる風景を見る事が出来ます。
後で位置関係は地図で説明しますので、先ずはアドレスだけ紹介します。
【ホッピー通り】
小生も余り通っている訳では無いので、その店が特に美味しいと言う記憶が鮮明に有る訳では有りませんが、外国人の友人が東京に来た時に浅草寺を観光案内してからココに連れて来ると大変に喜んでくれます。まぁ~、モツ煮が口に合うかどうかは別にして。
この界隈は浅草六区と言う町な訳ですが、感の良い人は「浅草ロック座」って無かったっけ?と別の店の名前で思い出すかも知れませんね。
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この写真を拡大して頂くと解りますが、六区の街頭には昭和の名俳優と芸人の写真が掲げられています。
浅草六区は芸人の町なので話芸と演芸の芸人を育てる素地が有ります。
浅草ロック座と言うのは浅草六区に在る有名な“ストリップ劇場”の名前です。
小生はヤクザが大嫌いなので、裏社会と繋がりの臭うストリップ劇場はおろか、パチンコの類、キャバクラや性風俗店を保守派として敵視している人間です。ですから小生は一生、浅草ロック座の御世話に成る事は無いでしょう。しかしながら、この店は芸人を育てると言う事に置いて非常に大切な役割を果たして来ています。
昭和の話芸の芸人達は多くが浅草ロック座で司会や前座として話術を磨き、そして芸能界にデビューしています。例えば冒頭で名を挙げたビートたけしサンやアズMAXの御父さんの東八郎サンがロック座から出世して行きました。
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ですから、この界隈は下町の宗教文化の賑わいと、芸人達の下積みの場、そして美味しい御酒の合間った明るく不思議な、そして裏では血の滲む様な泥臭い努力をしている人達が集まる混沌とした魅力溢れる町なんですね。
この場所、行き方が良く解らない人が多いので少し解説しますが、先ずはついでに浅草寺の夜景も紹介したいと思います。
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浅草寺と言えば雷門ですが地下鉄の駅から雷門へ向かう途中、アサヒビールの“金ウンコ(笑)”とスカイツリーが見えたりします。
その近くには立ち食いソバの“富士そば”が在りますが、実は富士そばの隣の甘味処の“西山”は幕末創業160年以上の老舗だったりします。
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この西山は元々は穀類や豆類の問屋から始まっている事も有り、今でも小倉餡や団子は自社で材料の調達から加工、調理提供まで行っています。
すっごく美味しくて、他の店と比較すると味の良さが格段である事が判ります。
位置関係の地図は最後に載せるとして先(ま)ずはアドレスを掲載して置きます。
【甘味処 西山】
さて、西山をもう少し西に歩くと道路を挟んで雷門の正面着きます。
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・・・写真でポーズをとっている人は気にしないで下さい。
この門、現代では“雷門”と言う誤った名称が一般的に観光客には誤認されていますが、本来は風神と雷神を祀る門なので簡略化するのなら“風雷神門”と言う名称が正しい所です。
日が落ちた直後の浅草寺はライトアップされとても綺麗な事を結構、観光客の方は知らないんですね。
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浅草寺界隈ではフザケたTシャツも人気の御土産に成っています。
因(ちな)みに仲見世の通りには江戸時代には塔頭(たっちゅう)寺院と呼ばれる、大きな御寺の支店みたいな小さな御堂が沢山建ち並んでいました。
さて、仲見世を通り過ぎると左手前方に五重塔が見えて来ます。
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ここも昼に見るより夜来た方がとても綺麗なんですね。
実はこの五重塔、現在は浅草寺本堂に正対して左手つまり西側に建っていますが、元々江戸時代には右手東側に建っていました。大火災等を経て、配置も色々と変わっています。
この五重塔の手前左側に行く道の“伝法院通り”が在りますので、そちらに進むと浅草六区の“ホッピー通り”に行くことが出来ます。
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御不動様も夜光に照らされ更に威厳の有る御姿を見せて下さいます。
そして本堂に向かって進むと山門(参門)と呼ばれる内門に当たる宝蔵門が観光客を迎えて下さいます。
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夜の濃紺の空にライトアップされて赤と金に光る宝蔵門はとても映えますね。
浅草寺は元々は天台宗の寺院で現在の東京都内では現存最古の寺院です。戦後に天台宗から分離独立して聖観音宗と言う仏教宗派の総本山に成りました。
実は小生の住む横浜市とは縁が深い御寺です。
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横浜市金沢区には手子神社(旧名:手子明神社/小泉弁才天)と言う神社が存在し、元々は源頼朝公が開いた瀬戸神社と言う神社の大山祇神(おおやまづみのかみ)の御分霊を祀る神社として開かれました。しかし新田義貞の鎌倉乱入の戦火や永享の乱等、周辺は手子神社諸共、度々荒廃していました。
戦国時代に、この手子神社周辺を治めたのが小田原北条家の家臣の三河守(みかわのかみ) 伊丹永親(ながちか)と言う人物です。実はその孫に当たるのが江戸時代初期の浅草寺の高僧、權僧正(ごんのそうじょう)智樂院忠尊和尚様でした。その御縁から智樂院忠尊和尚様は祖父が治めた釜利谷の赤井村、坂本村、宿村の3ヵ村の総鎮守の神社だった手子神社の社殿を江戸時代初期に復興しています。
つまり神仏共に大切にする元は天台宗だった浅草寺の高僧らしい文化的な活動を、智樂院忠尊和尚様は祖先の故地、現在の金沢区釜利谷で行った歴史が有る訳ですね。
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ついでに手子神社境内には瀬戸神社の前に在る源頼朝公と北条政子様御夫妻が御息女の大姫の誕生祝に琵琶湖の竹生島から弁天様の御分霊を勧進して開いた琵琶島弁才天と呼ばれた琵琶島神社から更に御分霊を勧進した小泉弁才天の名で江戸時代に親しまれた弁天社が現存しています。
小泉夜雨 葛飾北斎 
この小泉弁才天は江戸時代に歌川広重によって“金沢八景の一つ、小泉夜雨”として景勝の地として浮世絵に描かれ江戸からの観光客で賑わいました。そんな訳で江戸時代初期には中国の明朝の滅亡時に亡命して来た高僧の東皐心越和尚様等によって紹介され全国的にも景勝地として有名だったので智樂院忠尊和尚様も祖先の治めた土地に誇りを持っていたんでしょう。
さて、そんな訳で浅草寺と横浜はとても偉い神仏共に大切にされた伊丹家出身の智樂院忠尊和尚様の御縁で結ばれているのですが、そんな神仏習合の文化を残す浅草寺宝蔵門の先に進むと、いよいよ浅草寺の本堂です。
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まぁ、ここまで紹介して何なんですが、夜間ライトアップの時間に成ると当然、本堂は閉門しており中に入って参拝は出来ません。
ですから小生の御薦めとしては先に一度、仲見世で御土産の購入を済ませて御本堂を参拝してからホッピー通りに行き夕食をとり、日没してから帰路に着くと夜の浅草寺境内を通って地下鉄の駅まで戻る事が出来て観光するには良いかと思います。
スカイツリーや上野動物園も見学するのであれば、そちらは早い時間に見学してしまう方が良いでしょう。

さて、浅草のホッピー通りと西山、良い御店でしょう?
もし浅草寺界隈に行く機会が有ったら是非!立ち寄って見て下さい。
ホッピー通りと西山と浅草寺界隈 久良岐のよし
最後に位置関係。
☆マークが今回紹介した店や、超有名な料理屋さんです。

では、又、次の解説記事で御会いしましょう。


昨晩、綺麗な夜景を求めていつもと違う磯子界隈を走っていたら綺麗な夜景を見つけたので写真載せるだけの中身の無い記事ですが・・・
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JR磯子駅から徒歩だと少し無理な距離、東京ガス前バス停。そこから見たJXTG根岸製油所プラントの夜景。
夜景探してドライブしてたのにデジカメ不携帯のアホの小生、スマホ撮影。因って画質悪し。
この夜景の綺麗な場所は、東日本大震災発生当時に東北の人々を凍死の危機から救ったJR貨物と日本エネオス根岸製油所(当時)の人達の勤務場所なんだな。つまり現代の無名の英雄達の働く場所。
コレは明治時代の伊藤博文公や、東日本大震災時の根岸で働く無名英雄達の行動を紹介した記事。
  ↓

新磯子周辺 東京ガス前バス停位置 久良岐のよし
位置的にはこんな感じ、地図中央が東京ガス前バス停。
横浜市民にも知っている人は少ないけれど、実は、この先には良い海釣り公園が有ったり、東京ガスのISOGOエネルギープラザってのが有って、日曜日以外に施設が開かれていて火力発電の仕組みやなんかの模型の常設展示が見学出来たり出来るので小学生か中学生位の子供のいる家のパパさんママさんが家族で来ると良い場所だったりする。
そちらは手元に写真が無いので改めて写真撮影に行こうと思う。
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しかし綺麗だ。
昭和後期生まれには伝わると思うけれど“魔晄炉”みたいじゃない(笑)?
では!又、次のブログ記事で!

神奈川県横浜市金沢区が日本屈指いやいや天橋立以上の世界レベルの景勝地として平安時代末期~江戸時代の間、各時代の日本の文化人や歴史偉人達から愛されていたのを御存知の方は今では余り多くはありません。
かろうじて京浜急行電鉄の金沢八景駅の駅名が、その景勝地の内で特に優れた場所が八ヵ所有った事を今に伝えています。
実はこの金沢八景を開拓し景勝地として世に知らしめたのが鎌倉幕府を開いた源頼朝公と真言宗の超有名な高僧の文覚和尚様で、その景勝地としての価値を文化的に高めたのが鎌倉幕府重鎮の金沢北条実時公、そして観光地としての価値を向上させたのが金沢北条貞顕(さだあき)公や兼好法師の名で知られる吉田兼好でした。
その金沢区の景勝地は江戸時代に成っても有名で、江戸時代初期には満州族の清帝国初代皇帝ヌルハチによって明帝国が滅亡した際に日本に亡命して来た東皐心越(とうこうしんえつ)和尚様によって絶賛され、その称賛の句中で"金沢八景"の地名が名付けられました。
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そして、江戸時代も中頃に成り浮世絵が流行すると歌川広重によって金沢の八景、8つの景勝地が絵に描かれ江戸市民に大流行し、当時の人々が目指した場所が“能見堂”と言う建物でした。
能見堂からは金沢の8ヶ所の景勝が一望出来たそうです。
今では明治時代の廃仏毀釈と言う宗教差別政策と仏教弾圧によって能見堂は荒廃し潰されてしまいましたが、今でもその旧跡は残っています。
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その付近から見る地形は、昭和の戦後に無文化な極左閥の人間が横浜市や神奈川県の教育委員会や土地開発部門に多く入り込んでしまったせいで埋め立て地利権で海は埋め立てられて、関東を代表する景勝地だった金沢八景の眺望は失われてしまいましたが、今でも江戸時代の人々が金沢八景を一望する為に訪れた能見堂緑地からは昔、島だった山々を見渡す事が出来ます。
金沢地形図 久良岐のよし
昔の金沢区はこんな島と半島の素敵な観光地だったんですね。
頼朝公以来約800年も歴代の統治者が守って来た日本屈指の観光産業の資源である景勝の海を埋め立てた戦後の横浜市長って・・・
本当に戦後の横浜市教育委員会や、左派と在日ヤクザ勢力に推薦されて当選した部類の市長は無文化だったんですね。今の市長もアレな人が最大支援者で、その勢力が熱望するカジノを埋め立て地に作ろうとしていますが、日本文化の価値観では死罪に匹敵するのが博打(バクチ)でしたが、本当、ヤクザと関わりの有る勢力の支援受けた市長は神仏の祟りに遭って反省して欲しい。
さて・・・
話は脱線しましたが、能見堂に話を戻します。
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現在では埋め立て地の住宅街に辛うじて取り残された緑地帯の中に能見堂が有りますが、隣接地域の能見台の地名はこの能見堂が存在した事に由来します。CIMG4702
・・・う~ん、この林道から見える平地が全部海だったらどれ程綺麗だった事か。本当に戦後の横浜市外の都市から職員に採用されて役人に成った無文化な連中は大罪を犯したな。
さて、能見堂を訪問する目印としては阿王ヶ台自治会館や能見台南小学校の辺りを起点にすると解り易いかと思います。
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そこから東に尾根に沿って進むと能見堂緑地の林道入口が数本有りますので、現地の人に道を尋ねてみて下さい。
尾根道を進むと下の写真の掘削されて造成された人口削平地形にぶつかります。
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これ、能見台の地名の由来に成った能見堂の跡地なのですが、今回の記事は能見堂を紹介する【前編】記事なので余り触れませんが、ここは現地を歩かずに本を編集した城郭学者も知らない青ヶ台城の残存する曲輪址だと小生は推定しています。
曹洞宗の寺として江戸時代も利用されたのが能見堂なのですが、そもそも地域一体が昔は“青野台”と呼ばれていて現代の間違った地名の“能見台”でもなければ“阿王ヶ台”でもないし、城郭の学者さんが書いた青ヶ台と言う地名でもありませんでした。
ちゃんと江戸時代の地理学者で東大の前身の昌平坂学問所の頭取だった間宮士信公が編纂した“新編武蔵風土記稿”には“青野台”と書かれています。そして旧住所の小名で“赤坂”と呼ばれた谷間の急坂を挟んで西青野、東青野と二つの台地が向き合い、その東西の青野台の連結部分が有った事も書かれています。
では、何で現代に能見堂や能見台は青野から能見と地名が変化したのでしょうか?そして阿王ヶ台自治会館の台地だけに青野台の地名の名残が残ったのでしょうか?
まぁ、ここら辺は【後編】青ヶ台城もとい青野城の記事で説明します。
今回はあくまで能見堂の解説。
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まぁ、能見堂の方の名前の由来は多分中国語に由来します。
元々青野台と呼ばれたこの土地の更に由来で有った能見堂の丘を海から仰ぎ見て呼ばれていた仰台(あおうのだい)の意味の地名を、寧ろ金沢八景を一望できると言う意味で能見台(能Neng見Jian堂Tang)=能(~する事が出来る)見(見る/会う)御堂と命名したのだろうと推察出来ます。
つまり(金沢の八ヵ所の景勝地を)一望出来たので能見堂と名付けたんでしょうね。
では能見堂の命名者ですが・・・
中国の仏僧は寺院の御堂に“堂”の字を使う事は有りません。一般的に広い御堂には“殿”を、神仏習合の場所や高僧や偉人を祀る場所には“廟”を、僧侶の居住区や塔頭には“坊”の字用いるので、“能見堂の命名者のセンス”からして中国から来た江戸時代の東皐心越和尚様でも無いでしょうし、それ以前に金沢北条家と同時代に近くの北鎌倉の建長寺にいた南宋からの亡命者の蘭渓道隆和尚様でも無いみたいです。
仮に御二人が命名するなら中国ネイティブのセンスから望景坊とか閲島坊と閲海坊とか名付けたかも知れませんね。
・・・恐らく、梅花無尽蔵に濃見堂として地名が登場するらしいので、漢文に造詣の深い万里集九と言う太田道灌公や北条早雲公と交流の深かった日本人の禅僧文化人によって日本風漢文で名付けられたんでしょう。この人物は室町時代の高文化な武士達と交流が深く東京都八王子市の高月城や神奈川県伊勢原市等の景勝地を観光して回った記録が有り、特に太田道灌公や鎌倉公方代理を務めた蒔田吉良成高公と親友だったので東京や横浜に所縁の深い人物でした。
そして後世、東青野の丘に能見堂址が有る事の方が有名に成り、現代人によって東青野台の地名が消され能見台とされたと言う訳だな。
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能見堂の近くには、昔の眺望を伝える説明の看板も設置されています。
・・・埋め立てた罪滅ぼしのつもりか?
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アンタ等教育委員会の仕事は破壊を止める事と市長に具申する事だろうが?ある意味三権分立の司法に近い存在で文化財と史跡と自然の景勝地を守るマインドが無いといけない筈なんだがな?
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能見堂の入口の手前には御覧の通り城時代の土塁が残っています。
ここを5m東に進むと、御寺時代の入口の階段が在ります。
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この細い階段を上って下さい。
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平安末期以来の景勝地を守る為に先人が建てた金沢八景根源地能見堂のこの石碑も、戦後の横浜市教育委員会と建設利権アホ左派市長のせいで無駄に成ってしまいましたね。つい最近の無力化。
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他にも先人達が各時代に、この景勝地を守る為に残した石碑が虚(むな)しく現存しています。
この先人達の努力も全て円海山の蛍の広域生息地の瀬上沢を開発利権の為に開発させようと保護を怠ってる林文子市長の様な以前の左派役人の埋め立て事業で無駄に成ってしまった訳です。
同様に最初の景勝破壊をした江戸時代末期の永島泥亀の罪も重いと思いますよ。
本当、戦後の横浜市のアホどもが移民だらけでは無くて金沢八景の景勝が残されていたら、今頃は東京から電車で30分の超絶景勝地として外国人観光客で賑わい、内陸部の六浦や金沢区の町屋や柴辺りや磯子区や港南区や栄区はリゾートホテルが残り栄えたでしょうね。
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まぁ、歴史にifは無い。今残るのは教育委員会の罪滅ぼしの説明看板のみ。
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こんな物でも埋め立てられた後しか知らない我々現代人の現役世代や学生にとっては貴重な情報源。
人間関係に例えるなら腐れ縁みたいな物だろうか。無くては困るけど、意味の無い物。
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この権現堂は多分、青ヶ台城の曲輪の一つだったので取り巻く様に土塁が残っている。
ここが城でなければ兼好法師は上行寺の境内地ではなくて、きっとここに住んでいただろう。
城で金沢北条家の晩年の軍事拠点だったので景勝地好きの兼好法師もここには来られなかった筈だ。
そしして江戸時代に能見堂を寺として支援した六浦藩の大名の米倉家は詰めの城として使う目的で青ヶ台城の土塁を権現堂周辺だけ残して寺院として機能保存したのだろう。
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城だったから飲み水の確保出来る井戸も有ったのだろう。
さて、今回は能見堂としての旧名青野台地区を紹介した。
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この通り本当に仰ぎ見る台地の尾根に能見堂の在って、その周辺が“東青野”と呼ばれた丘だった訳だ。
この界隈は地盤(断層)の動きで海没したり隆起する境目のはずなので、応長の大津波で近所の長浜千軒の港町が一夜で地盤沈下し海没した時の様に、昭和の埋め立て地もいつの時代か地盤が大地震で陥没して海に戻るかも知れない。
そう考えると・・・
失われた景勝が復活せず、多くの人が安寧に過ごせる様に金沢北条貞顕公や東皐心越和尚様の御霊に力を借りて神仏の御加護で次の関東大震災が来ても日本文化を愛する善良な部類の金沢区民の生命と財産を守って頂きたいと願うばかりだ。

後編へ続く→【後半:青ヶ台城編】世界屈指の景勝地だった能見堂と鎌倉幕府重鎮金澤北条家の居城青ヶ台城址・・・金沢区





横浜市金沢区の八景島シーパラダイスや鉄腕ダッシュに度々登場する柴漁港の近くには金沢園と言う元料亭が存在します。この金沢園は昭和四年(1929年)に桜木町から移転して来た料亭で、その開業年は何と大正五年(1916年)に遡(さかのぼ)ります。
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その金沢園は昭和~平成を通じてずっと金沢区柴で営業を続け、大正時代に桜木町で建設され昭和四年に現在地に移築された建物は文化財にまで成りました。
そして平成27年、旅館喜多屋としてリニューアルオープンし、料亭時代の厨房を利用してオシャレなcafeとしてもランチタイムやディナータイムに営業を開始しました。
昔は料亭内から海が一望で来た景勝地で、その景勝は鎌倉時代に清朝(満州族=女真族の愛新覚羅家)によって滅ぼされた中国の明帝国から日本に亡命して来た東皐心越によって「金沢八景」と愛称で呼ばれた程の絶景が金沢区柴~乙舳~小泉(釜利谷周辺)~六浦~野島~内川橋~平潟湾の一帯にかけて江戸時代には大変に多くの観光客で賑わいました。
そんな訳で現在、喜多屋と成っても店の建物は文化財として価値が有り美しい造りで宿泊客を持てなし、cafeでの食事を楽しみに来る御客様には昔の薪を焚いて火を起こす窯で調理していた時代の煤(すす)が磨き込まれて黒光りする雰囲気有る旧厨房で食事を楽しむ事が出来る、とてもオシャレな店として復活しました。
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駐車場には昔の料亭時代の名残の池と石橋も有ります。
さて、客は先ず暖簾(のれん)をくぐり下の写真の玄関で靴を脱ぎます。
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靴を脱ぎ振り返ると料亭の頃のとても煌(きら)びやかな掛け軸や壁の欄間が御客様を出迎えてくれます。
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この店は予約無くてもランチを食べる事が出来るので、八景島で遊んだり稱名寺を散歩する際に御薦めです。
玄関から中に入り右手に進むと旧厨房が“cafeぼたん”として営業しています。
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何と目の前で料理をしている所を見ながら食事が出来ます。これは外国人の御客様に好評でしょうね。
日本人でも見ていて楽しいし、料理が好きな御子様なんかを連れて行けば良い影響を受けるんじゃないでしょうか?
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メニューはオシャレだけど価格はとてもリーズナブル、御子様ランチも有るので子連れのママさん達も安心して子連れ友達同士で来る事が出来ます。
まぁ…元料亭、今も旅館のレストランなので「ぎゃーぎゃー」と騒ぐ子等は連れて行くべきでは無いと思うし、逆にママさん達が日本人らしく子供を厳しく躾(しつ)ける良い機会にも成るかと思います。
小生は写真撮影に訪問したこの日は“国産地鶏の幽庵焼きオレンジ風味”の定食にしました。
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料理も和風に洋食のエッセンスを足していて横浜の開港以来の鎌倉武士文化と西洋文化のコラボを楽しむ様(よう)な献立が多いですね。
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この幽庵焼き、とても美味しかったです!
これにデザートのジンジャープリンが付いて1500円はとてもお得。
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食器も料亭金沢園から引き継いでいるそうで、とても美しい鎌倉彫の椀に汁物が入っていました。
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この写真を知り合いの博物館の女性職員達に見せたら「うわ~綺麗♪」と感心していました。
価格の話もしましたが、女性達が魅力を感じる御店としてどうやらコンセプトの確立に成功した様ですね。

さて、食事が終わり、館内を従業員の方に案内して頂く事が出来ました・・・
実は小生、この写真撮影の為の訪問に際し、1ヵ月程前に直接御挨拶に訪問し日を改めて館内の見学と写真撮影の申し込み、つまり素人取材の御相談にあがっていました。
・・・なので、今回の訪問で従業員の方に御話を通して頂き、食事後に旅館の客室としてリニューアルした元料亭客室部分で空室チェックイン前の部屋を見学させて頂く事が出来ました。
※見学したい人は訪問前に事前に客室の見学の可否を相談して下さい。小生の場合は事前に交渉しアポをとっています。通例だと思わないで下さいね~。
先ず案内されたのが1Fの客室に通じる廊下。
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ともても風情が有る。
下は金沢区野島の伊藤博文公金沢別邸。
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やはり明治に建てられた同じ金沢区の野島公園にある伊藤博文公の別邸に少し似ている印象を受けた。
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1Fには2人部屋の客室。元々料亭だったので書院造だ。
昔の日本人は男性平均身長も160cm位で体躯も小柄だったし、これで十分に広かったのだろう。
書斎といった印象を受ける。
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通路に戻り奥に進むと厠(かわや)すなわちトイレが有る。
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ここも大正モダンな和風建築がそのまま活用されている。勿論、必要な部分は現代の物に成っている。
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2Fに上る階段の奥にも客室が在る。
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うん、良い感じ。今度関西や台湾の友達が遊びに来たら横浜市内の味気ないホテルじゃなくて、ここの喜多屋か三浦の民宿やペンションか横須賀の米国軍人が宿泊するホテルに泊めてあげよう。
きっと喜多屋に泊めてたら皆、横浜にこんな場所が有るのかと喜んでくれるだろう。
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こちらは少し広めの部屋。3人部屋の様だ。
昔はこの部屋で4~6人位で宴会をやったのだろう。
料亭時代から宿泊も出来た様で、風呂も大正の素敵なタイル貼りの浴室だった。
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まぁ、本格的な旅館では無かったので、2つ有る浴室の内のコチラは大浴場ではない。
窓のガラスは大正時代の色ガラスだそうで、何だか教会のステンドグラスの様で日光を取り込んで素敵な淡い色に光っている。
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コチラも窓のガラスが美しい!
浴室はもう一つ有り、こちらは少し広い。家族4人でも同時に入れそうだ。
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色が暖かい。
大山阿夫利神社の参道に多く有る宿坊も大正時代や昭和初期の再建の場所が多いが浴室はやはりコンナ感じだ。富士山の溶岩で浴槽周辺を装飾されタイル張り。
浴室を出て階段を上る。
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階段の上からは昔は海が見える絶景だった大広間が存在する。
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とっても!立派な部屋。
昭和の映画スターの勝慎太郎さんが良く宴会をしていた京都の老舗すき焼き店の三嶋亭の大広間もこんな感じだった。一昨年三嶋亭で友人と食事をした際に店の御厚意で店内を見学させて頂けたのでたまたま知っている。
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部屋の周りも雰囲気が良い。
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現在では目の前にマンションが建ってしまい、更にアフォの横浜市が景勝地だった海を埋め立ててしまい眺望は失われたが横浜市内に在って豊かな緑が残っている御庭。
これも外国人の観光客には好まれるだろう。
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大広間の書院造りは大名屋敷に負けない程に立派だった。
さて、店の解説はここまでにして、少し周辺の地理の解説をしようと思う。
…と、その前に店の住所と連絡先を紹介して置こう。

この喜多屋の前身の金沢園が料亭として栄えていた頃周辺の風景は景勝地として政治家や財界や多くの文化人に愛され、昭和の初期まで、その景勝は大半が残っていた。
その景観は素晴らしく小生の顕彰する戦国時代の関東最強武将、北条綱成公の家老だった間宮康俊公の親族が代々江島神社奥津宮別当を務めたのだが間宮一族の治めた江の島を愛した与謝野晶子サンや、高浜虚子が歌会を開いたり滞在されたりしていたそうだ。
その当時の金沢区の風景はこんな感じだった…
金沢地形図 久良岐のよし
…戦後の昭和に他府県カッペ移民役人だらけの横浜市に破壊される前の"日本屈指の景勝地"金沢八景の地形。
京都の天橋立(あまのはしだて)に瀬戸内海の風景を足した様な絶景が広がっていました。

残念ながら横浜市は現在の林文子市長を含め日本文化や武士文化や歴史に興味の無い極左派やヤクザの親類と交流に深い人物が市長を務める事が多かったり、県外からの移転者が市の役人として多く採用された弊害で神社仏閣を含めた宗教的な自然の境内地の価値や、鎌倉時代の武士や江戸時代の庶民や外国人から愛された景勝地を、建設利権の為に多く埋立て或(ある)いは破壊してきました。
昔、浮世絵師の歌川広重が乙舳帰帆(おっともきはん)や称名晩鐘(しょうみょうばんしょう)と言う絵で描いた美しい風景が昭和初期まで存在したり、源頼朝公が伊豆(静岡県三島市)の三嶋大社から勧進した御分霊を祀って開かれた瀬戸神社の鎮守の森の山も横浜市役所の役人達によって破壊されてしまいました。
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この風景は日本の名だたる歴史偉人達にも愛され、例えば近くの洲崎地域の龍華寺は前身寺院が六浦地区に在った頃、源頼朝公と文覚上人によってその景勝地を望む丘に御寺が開かれました。
新田義貞の鎌倉乱入等で新田軍等の放火と略奪の戦災に遭い廃寺と成った跡、横浜市と縁の深い菅原道真公の御子孫と関東最強の名軍師太田道灌公によって現在の寺町(洲崎)地区に龍華寺は復興されました。すると、その金沢八景の美しさは日本レベルで有名に成り北条早雲公、徳川家康公等が龍華寺に滞在され金沢八景の景色を楽しまれたそうです。
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鎌倉時代にも喜多屋の近くの金沢山稱名寺が鎌倉幕府の重鎮で執権も輩出した金沢北条家の邸宅に成り、後に邸宅は稱名寺として寺院化され現在に至るのですが、その景色も美しく江戸の市民が観光に訪れる場所の一つでした。そして、それ等の八ヵ所の景勝地として有名に成っていた風景を海の上から見た景色を歌川広重が絵にして“金沢八景”の地名は江戸から昭和初期まで南関東最高の景勝地として多くの人々の知る所と成っていたのですが…
戦後の横浜市役所に他府県出身の役人や、極左翼閥や非保守多国籍ヤクザと結託した役人や左派市長が横浜市を統治する度に不思議と海は埋め立てられ、金沢八景の景観は全滅しました。
そして海の公演も埋め立てられ、金沢園も商売が厳しくなった訳です。
この金沢区の埋め立てによる大景観破壊の被害、海の公園と八景島の建設による景観の悪化で客足も遠のいて、平成25年頃には経営がかなり難しく成っていました。そこを現在の喜多屋の運営会社さんが文化財と歴史を活かしてオシャレな店に復活させるプロフェッショナルな粋な企業だったのですが、その経営によって現在見事に復活した訳です。
同じ様な努力をされている西区の坂本龍馬の奥さんお龍さんが働いていた料亭田中家さんや、南区弘明寺の同じく料亭旅館で建築文化財に成るべき価値の有る中里温泉さんと3すくみで頑張って行って欲しいと思います。

本当に、この現在の喜多屋の運営者さんの努力は素晴らしいと思います。
そして料理も美味しい!
是非、この存在を皆さんに知ってもらいたく、お盆休み最後の週末に八景島や海の公園に訪れる人がいたら是非!ここでランチやディナーを召し上がれば良い思い出に成るので推薦させて頂きます。

今回金沢八景の解説で紹介した場所は過去に記事に書いていますので、ブログの「タグ」の一覧から興味の有るタグを選んでクリックして頂ければ関係の記事が出ると思います。

では、今回は喜多屋の解説でしたが、次回は金沢八景の地名の初出典と成った場所、能見堂と青ヶ台城の解説をしたいと思います!
では!又、次のブログ記事で御会いしましょう!

神奈川県の西部に行くと小田原市早川以西~湯河原にかけての海は恐ろしい程透明でとても綺麗な事を知っている人は少なくないと思います。
でも川崎市や横浜市や横須賀市、鎌倉市や厚木市や大和市や相模原市、海老名市や高座郡の人は、その西湘の更に西端に負けない程の良水質の海水浴場が直ぐ近くの三浦半島の西側に幾つか有るのを御存知の方は多くはありません。

中には現代では穴場的に成ってしまった昔の観光スポットの海水浴場も有ります。
さて、そんな訳で今日はお盆休みの為に小生推薦の良水質の場所2つと、水質は普通だけど風景が綺麗でナンパ目的やチャラい騒ぎたいだけのモラルの低い客の少ないデートや家族向けの海水浴場を紹介したいと思います。

以下、現地写真と、現地を訪問した小生の個人的感想で各項目毎に最大☆5つ~最低☆1つで評価していきます。
※水質に関しては海外のリゾート海岸を☆☆☆☆☆とした時の相対評価とします。
(参考例)
横須賀市観音崎☆☆☆←県内では良水質の水準。
逗子海岸☆☆、江ノ島☆☆←泳げる水準。
横浜市金沢区の海の公園☆←泳ぐの避けた方が良い水準、汚い。
※景色は当然個人的な感想。
※飲酒する人向けにアクセスは電車基準。
合わせてGoogle mapからアドレスとアクセスも転載して置きます。


水質個人評価1位の海水浴場…
●和田長浜(わだなはま)海水浴場
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【水質】☆☆☆☆☆…最良
【景色】☆☆☆  …良
【電車】☆☆   …若干不便
【  車  】☆☆☆  …駐車場無料、但し解り難い場所。
【休憩】☆☆☆  …店舗数は少ないが大規模海の家が数軒有り、飲食・トイレに困らない。
ここは平安時代末期~鎌倉時代の名将、和田義盛公が側室の巴御前と住んだ和田城の軍港でもあった砂浜なのですが、とっても神奈川の海水浴場では珍しく海水が完全に透き通っている良い水質を保っています。
海の砂は小粒の砂利なので少し歩き難いが、それをカバーして余り有る水質と景色の良さ。
しかし欠点もあり交通が若干不便で現代では過疎化で最寄りの三崎口駅から直通バスが無くなったので車で来るか最寄りの和田バス停から徒歩16分歩く上に幹線道路から離れた丘の裏側に在(あ)って目立たない。
その分、環境的にも良い事も有り自然の美しさもさる事ながらアホな客が少ない落ち着いた場所な上にちゃんとした大規模な海の家も数軒設営されています。
更に車での移動の人に朗報なのは海の家の真横の県営駐車場が無料で駐車出来ます。
又、三浦海岸や逗子海岸や由比ヶ浜や片瀬江ノ島や鵠沼海岸の様(よう)にアホみたいに人だらけにも成らないしアホみたいな人も集まらない、小さい子のいる家族やカップルが安心して遊べる環境なので昼前に来て夕方までユックリと半日過ごす事が出来ます。
又、和田義盛公と巴御前に縁結びして貰える御利益も有るかも知れませんね♪

●秋谷海岸と立石(神奈川の景勝50選の一つ)
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(立石公園)【水質】☆☆☆☆ …かなり良
【景色】☆☆☆☆☆…最良
【電車】☆☆   …若干不便
【  車  】☆☆☆  …立石公園に公共有料駐車場有り、秋谷海岸も港が有料駐車場に成ります。
【休憩】☆☆☆☆ …この時期は周辺の民家が海の家として営業。周辺には美味しいレストラン多数。
ここの海の特徴は水質の良さと、常に凪(なぎ)で波が静かな時が多い浜辺な事。砂も細かいので歩きやすい。
夕刻には神奈川の景勝50選の一つ、秋谷海岸の立石の向こうに富士山が見え、そこに夕日が落ちる景色も見られる。又、周辺に“DON”(←クリックで紹介記事)をはじめとした数軒の有名なレストランが有り、海を眺めながら美味しい食事を楽しむ事が出来るのでデートに最適!家族連れももちろん楽しめる。
立石公園側は浜辺では無くて磯に成っているので幼稚園や小学校の年齢の小さな子に水生生物を観察させる良い場所にも成る。
とにかくロケーションが良いのだが、自然保護地域の為に鉄道のアクセスが頗(すこぶ)る悪いのは仕方が無い。天皇家の葉山御用邸や葉山マリーナも車ならそう遠くは無いので立ち寄る事も出来る。

●長者ヶ崎海水浴場(神奈川の景勝50選の一つ)と葉山町の海水浴場
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※長者ヶ崎、梅雨時の写真なので見栄え悪いが本当は相当綺麗な風景です。
※周辺に一色海岸海水浴場や森戸海岸海水浴場も有りますので、詳しくは"葉山町の公式サイト(→ここクリック)"も参考にして下さい。【水質】☆☆☆  …良
【景色】☆☆☆☆ …かなり良
【電車】☆☆   …若干不便
【  車  】☆☆☆  …駐車場有。
【休憩】☆☆☆  …夏季は周辺レストランが海の家も営業します。温泉旅館有り。
神奈川の景勝50選の一つ、長者ヶ崎が直ぐ近くの海水浴場。当然風景が良く天気が良いと夕日に萌える富士山も見る事が出来る。なので泳がなくてもドライブに来る価値もある。
近くには葉山マリーナや森戸海岸、一色海岸等の商業施設や別の海水浴場も有るので込み具合で複数視野に入れて海水浴場を選ぶ事が可能な地域。
近くに大海荘と言う昭和的な民宿規模の天然ラドン温泉の風呂を持つ日本旅館が有り、そこも海の家を営業する。又、大海荘は予約すれば宿泊しなくてもBBQだけでの利用も出来る。しかも宿泊費が安い。
※大海荘の紹介過去記事→(ここクリック!)。
※大海荘の公式ホームページ→(ここクリック!)。

●荒井浜海水浴場(神奈川の景勝50選の一つ、油壷湾から徒歩1分の海)
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【水質】☆☆☆☆☆…最良
【景色】☆☆☆  …良
【電車】☆☆   …若干不便
【  車  】☆☆☆☆ …マリンパーク周辺に大駐車場多数有。
【休憩】☆☆☆☆☆…荒井浜にオシャレな海の家多数。周辺はレストラン、ホテルと民宿とペンション多数。更に京急油壺マリンパーク(水族館)も有る。
神奈川の景勝50選の一つ、油津湾と地続きの海水浴場。当然風景は綺麗。水質も良い。そして昭和のリゾート地と発展したが意外に穴場でホテル等の宿泊施設が多数有り、レストランや海鮮料理の食堂も多く有る。
バスの本数が少ないので駅を往復するには若干交通が不便だが、車移動なら何にも問題が無い大駐車場が周辺に幾つも有る。秋篠宮殿下と紀子様達皇族が若いころにデートに良くいらっしゃった油壷マリンパークの水族館はイルカショーも有るので、午前中に水族館を見て昼から海水浴をしたり、ホテルや民宿を予約して宿泊するなら海の家で大いに飲酒も出来る。
又、同地は戦国時代に日本最長の籠城期間を誇った新井城址でもある。その最後の城主の三浦義意公と俗に小桜姫との小説内の仮称で呼ばれる奥方の真里谷武田家姫君の夫妻は縁結びの神様仏様として現代では多くの人に親しまれている縁起の良い海水浴場であり、そして勇敢に戦った名将達の武運にも肖れる神社仏閣も周辺に多数存在する。
三浦義意公と真里谷武田の姫の縁結びの御利益の有る神社や史跡は過去の記事を参考にして下さい→(ここクリック!)。

●多々良浜海水浴場と観音崎灯台(神奈川の景勝50選の一つ)と観音崎要塞。
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昭和にリゾート地域として開発されつつも多くの自然を残す場所。特に多々良浜は余り大きくない海岸だが貝殻で出来た天然の白い砂浜でとても美しい。夏季には海水浴場として海開きされる。
又、周辺には観音崎海水浴場や走水海水浴場も有る上に、ホテルや美術館のレストラン、食博施設もあるので泊りがけでも楽しめる。観音崎京急ホテルのビュッフェ"浜木綿(はまゆう)"も有名。
※観音崎京急ホテルのビュッフェ浜木綿を紹介した過去記事→(ここクリック!)
※公式→http://www.kannon-kqh.co.jp/
特に観音崎灯台は恋人同士で散歩に行くと良い思い出作りにも成るし、御当地の観損崎は明治時代に要塞として利用されていたので赤レンガ造りの砲台跡やトンネルも沢山有り、海で泳がなくても良いピクニックにも成る。
電車でもバスでも帰りに横須賀中央駅や汐入駅で降りればドブ板通り商店街でネイビーバーガーを食べる事が出来るので、観光の幅が広い海水浴場とも言える。
※ドブ板通り周辺のネイビーバーガーの名店を紹介した過去記事→(ここクリック!)
また近隣の走水海岸には日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘姫(おとたちばなひめ)の神様の夫婦の縁結びの御利益の有る“走水神社”や、オシャレな"かねよ食堂"も有る。
※かねよ食堂を紹介した過去記事→かねよ食堂…神話の海岸の素敵な食堂?実際はレストランBar?

●城ヶ島海水浴場(神奈川の景勝50選の一つ、城ヶ島と大橋)と城ヶ島公園の海
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※城ヶ島海水浴場
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※城ヶ島公園の海
【城ヶ島公園】※海水浴場ではありませんが自己責任で泳げます。海の家無し。
【水質】
 海水浴場  ☆☆   …泳げる海だが漁港に面していて透明度は高くない。    
 城ヶ島公園 ☆☆☆☆☆…最高の透明度
【景色】
 海水浴場周辺☆☆☆  …北原白秋も詩を読んでいる。現代では建物も多い。 
 城ヶ島公園 ☆☆☆☆☆…北側は貝殻の砂浜と南側は切り立った崖の2種類の海と富士山も見える。
【電車】   ☆☆   …若干不便
【  車  】   ☆☆☆☆ …周辺に大規模な駐車場多数。
【休憩】   ☆☆☆☆☆…現地や周辺にリゾートホテル、旅館、民宿、レストラン、食堂、すし屋多数有り。但し海の家は未確認。海水浴客は良く見かける。
神奈川の景勝50選の一つ:城ヶ島と大橋、そして神奈川屈指の景勝地の城ヶ島公園を抱える明治時代からのリゾート地。対岸には鮪(まぐろ)の水揚げされる観光漁港として有名な三崎漁港も有り、車で行くならば1日楽しめる。
海水浴場側の海は横浜の海水浴場より綺麗だが、物凄く透明な訳では無い。しかしながら城ヶ島公園の保護された海の透明度は神奈川県内随一の水質の良さを誇っている。
車なら油壷マリンパークも近く、先述の通り三崎漁港も近く、周辺を含めると城ヶ島で1泊2日滞在したい所。とにかく美味しい海鮮料理の店が多いので、食べる事にも比重を置くなら間違いのない観光地。
但し海の家は未確認。海水浴客は良く見かける。多くの海水浴客はペンションや旅館の客と思われる。
BBQも出来る。
三崎漁港の鮪料理の名店
紀の代を紹介した記事はココをクリック!
黒羽亭を紹介した記事はココをクリック!
又、三崎漁港ではユネスコに世界無形文化遺産登録された御祭り「チャッキラコ」も1月に開催される。
チャッキラコを紹介した記事はココをクリック!

この他にも風景と水質の優れた海辺も多数有るのですが、海水浴場では無い泳げない場所や海の家の無い場所、紹介しなくてもメジャー過ぎる場所ばかりなのでここまでにしておきます。

皆さんの夏の参考に成れば幸いです。
では!又、次の記事で御会いしましょう!











日本で初めてラーメンを食べたのは誰なのか 水戸黄門だったという従来説が覆った?

経帯麺 東洋経済オンライン画像 

この記事読んで正直ラー博にも東洋経済オンラインにも失望した。

記事中、拉麺の起源を室町時代まで遡(さかのぼ)れるとし、その起源を「経帯麺」と解説している。
解説は中村正博さん、恐らく中国に行ってちゃんと食べ歩いた事も無ければ、麺料理のカテゴライズがちゃんと出来ていない程度の知識しかない「ラーメンオタク」であって「拉麺」を食べた事が無いひとなんだろう。

日本人が拉麺(ラーメン)と思っている食べ物は中国語で「湯麺」と呼ばれるスープに入った中華麺の事で文字の誤植だ。
一方、湯麺は何故か個別の中華ソバの料理名として成立してしまった。これは日本の中華屋に如何に本場で学んだ人間が昭和期に少なかったか解る事実だな。

そもそも拉麺と言うのは文字通り拉(la)麺(mian)で、拉の字の意味は「引っ張る」と言う意味だ。
そして拉麺と言うのは古今ずっと中国や新疆ウィグル自治区や台湾では、注文してから作る「小麦の手延べ麺」の事だ。
更に言おう、拉麺の起源は中華料理ですら無い。新疆ウィグル族やトルコ人の祖先達の突厥達騎馬民族の料理文化だ。保存に手間取らず携行出来る小麦粉を生地にして、必要な人数分だけその場で手延べして作る麺料理が拉麺だ。
中国に行けば現代でも拉麺を提供する店は多く有り、拉麺は一貫して手延べ麺の事を指す。そして、その店の多くは新疆ウィグル族の店や、その文化を受け継いでいる事が解る「蘭州拉麺」と看板を出す店が多い。蘭州とは三国時代で言う所の西涼辺り涼州や、唐の時代に栄えた石窟大寺院で有名な敦煌(トルファン)辺りだな。つまりウィグル人由来の料理であり、小麦を使ったナン等も彼等の得意とする料理だったりする。
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例えば台湾に行くと牛肉麺と言う料理を出す店が多い。見た目は完全に日本の拉麺のソレだが、これは拉麺では無い。煮て味付けした牛肉や牛筋の入った麺、そのままの内容を形容した料理だ。
コレが拉麺の麺を使用していれば名前が「牛肉拉麺」に成る訳だが、どうも、そういった基本的な知識が新横浜ラーメン博物館の広報の中村正博さんには足らない様だ。
別に知識が無い、中国や台湾やウィグル自治区で様々な拉麺を食べ歩きした事無いのは恥では無い!職務特権を使い出張出来るなら出張して今からド素人の小生達、中国経験者を超える知識と美味い店を沢山発見して日本で紹介すれば良い。
ラーメンは拉麺で手延べ麺、そして麺の調理法で刀削麺や餃子の様に名前が変わり、今では新疆ウィグル族の住むタクマラカン砂漠~内モンゴル~モンゴル国~中国東北地方(旧:満州)の騎馬民族文化圏のみならず中国大陸北部でも主食として親しまれる様に成った訳だ。
餃子も麺料理と列挙したが、日本人は誤解しているがアレはイタリア料理のペンネの様に麺料理で主食なんだな。だから焼き餃子を食べながら白米を食べる日本人の姿は中国人や台湾人には滑稽に映るし、本来の餃子は水餃子で余った分を翌日に油で煎って食べるので煎餃(jianジェン jiaoジャオ)と言う訳だ。
もっとも点心の発達した広東料理では点心のメニューとして煎餃もラインナップされている事は少なくない。
同じく点心の発達している福建省では、蒸餃(蒸し餃子)が主流だったりする。
拉麺や餃子や刀削麺等は面の打ち方の種別を指す、そして全て主食な訳だ。

だから重ねて言うがラー博の広報の中村正博さんの認識は事実誤認であり経帯麺は拉麺とは別料理!
きっと中村さんの知識では中国料理の湯麺が全てラーメンに脳内変換される程度の知識しかまだ拉麺にかんしては無いのだろう。無論、日本のラーメンに関しては素晴らしい博識でらっしゃるのだろう。

余談だが、弘法大師空海和尚様が持ち帰った品種の小麦の遺伝子はウィグル自治区の物と一致するそうだ。中国の唐朝廷時代に既に首都の長安(現:西安市)で、ウィグル人の麺料理人達が拉麺や饂飩の原型の様々な料理を作って漢族の胃を満たし、商売繁盛大活躍していた事が窺い知れる史実だな。
空海和尚様は僧侶だったので肉を食べる訳にも行かず、ウィグル族の作る麺料理に舌鼓を打って精進料理の代わりに楽しんでおられたのだろう。

皆さん、鎌倉行ったら「しらす丼」とか「あんみつ」とか御昼時に成ると頭をよぎりませんか?
「だって湘南だし~?」とか思います?
まぁ歴史的な話をすると、そもそも鎌倉市や藤沢市の江ノ島界隈は旧鎌倉郡で湘南にはカテゴライズされない地域です。鎌倉の人に対して・・・
「鎌倉は湘南」
 とか
「名物は"しらす"」
 とか
由比ヶ浜の発音を「ゆ↑いがはま」って発音で言ったら
・・・鎌倉の人から「あ~コイツお上りのカッペだわ。」って腹の中で思われて終了(笑)。
鎌倉の方が湘南よりブランド力有りますからね。昔からの武士と文化人の町ですから。
それに湘南は海鮮?いやいや!肉派の人にも葉山牛が食べれる美味しい店が有りますよ!
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今回はステーキの美味しい店を紹介しますが、湘南に触れたので少し先に解説します。
【湘南】
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※写真は大磯町の六所神社、相模国総社で近くの神揃山は聖地。一ノ宮寒川神社~五ノ宮格の鶴峰山(平塚)八幡宮の神様が勢揃いする神話の場所。
本来の湘南と言うのは地域的には現在の大磯町や二宮町の辺り、相模川から向こうの西側です。
その地域が明治時代に元大名家の華族や豪商の三井財閥の別荘が建ち並び日本初の海水浴地として人気に成ったのが始まりで、風景が中国湖南省の湘南地方に似ていたから文化人達から近代に成って渾名(あだな)された地域名です。実際に湘南と言う地域は存在しなかったのですが、昨今では湘南台などと言う地名も登場していますが藤沢市の湘南台は本来の湘南地域ではありません。
本来、湘南には藤沢や鎌倉は含まれませんし、逗子に至っては徳川家達公別邸が在ったりアチラ側とは又違う別荘地として早くから栄えたり旧三浦郡に属し日本武尊(ヤマトタケル)神話と所縁の地域なので、湘南と呼ばれるのは片腹痛い逗子の方がブランド力が有ると言う所な訳です。
【湘南名物】
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相模湾のシラス(鰯の幼魚)の水揚げ漁港は昔は江ノ島周辺で、後は大磯町や小田原市周辺でした。現在では相模湾で獲れるシラスのブランド化に成功した特産地は旧三浦郡の逗子市であり鎌倉名物とは呼べません。まぁ、湘南地区としてカテゴライズ誤認されて鎌倉辺りの名物とぼんやり思われています。
更に言えば、現代では湘南と誤認される江ノ島界隈での昔からの名物は❝サザエ❞です。
今でも昔の名残で❝江ノ島丼❞を提供する飲食店と民宿は多く有りますが、サザエの卵とじがのった丼を指します。
逗子市も湘南に誤認されていますが、逗子市の隣の三浦郡葉山町の葉山牛が相模湾東側の特産品として現代では有名に成っています。
【本来の鎌倉名物】
鎌倉で昔から有名だったのは❝夫婦饅頭❞です。名前の由来は解りません。御霊神社近くの力餅屋が今でも販売していて、司馬遼太郎先生も❝街道を行く❞の❝三浦半島記❞で紹介しています。

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ですから鎌倉の名物は昔は饅頭でした。
後は鯵(あじ)の名産地でもあったので、今でも鎌倉市の鎌倉駅や大船駅に販売店舗に在る❝大船軒❞の❝鯵の押し寿司❞です。
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写真撮影技術がクソで申し訳ない。
この大船軒、松竹大船撮影所が有った時代には多くの映画スター達が好んで食べた名物駅弁でした。
現代の鎌倉市の御土産物屋さんも色々と頑張って更に新しい名物を生み出していますので、シラス等の海鮮も昔からの鯵の押し寿司や夫婦饅頭と一緒に新規開拓して皆さんで世の中に紹介して上げて下さい!
そういえば、鳩サブレや豆やの豆菓子も現代では名物に成っていますね!
【由比ヶ浜の発音】
由比ヶ浜(ゆいがはま)の発音は・・・
由比ヶ浜(ゆ↑いがはま)の様な❝い❞の発音が上がる読み方ではありません。
由比ヶ浜(ゆ↓い❝が❞はま)と❝い❞の発音は下がり❝が❞を強調します。
この発音の原因は、本来は由比(ゆい)と言う地名が有り、そこの浜辺だからです。由比ヶ浜と言う地名では無い訳です。これと同様に宅間谷(たくまがやつ)扇谷(おおぎがやつ)等の鎌倉市内の地名も❝が❞を強く発音し❝が❞の前の音は強調しません。これは有る意味方言の様な物で生粋の地元民や歴史に詳しい人で無いと知らない事でもあります。

さてそんな訳で鎌倉と周辺の湘南のプチ歴史解説はここまでにして、本日お勧めするステーキハウスの話題に移ります。
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鎌倉駅を降りて直ぐ・・・
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上の写真の御成町とは反対側、小町通りにその店は在ります。
因(ちな)みに江ノ電には600円の一日乗り放題乗車券が有るので、鎌倉江ノ島観光をされる方にはおススメです。
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長谷駅で降りて大仏様の高徳院と紫陽花の長谷寺見物してから❝関東の駅100選❞に選ばれた鎌倉高校前駅の七里ヶ浜で綺麗な風景を見て、更に江ノ島に行ったり色々と遊べますね。
今、鎌倉は紫陽花の季節なので今は人でごった返しています。
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小生は昨日17日土曜日、いつもは車で鎌倉に行くのですが江ノ電に久しぶりに乗りたくて大船から横須賀線に乗って鎌倉に行きました。
目的は某文庫で古文書の写しのコピーを頂くついでに長谷寺に紫陽花を見物に行く心算(つもり)でしたが観光客が多すぎて江ノ電鎌倉駅で入場規制が掛かり乗車40分待ち、これでは長谷寺も入場規制が掛かっているのは予想出来たので平日の休みに改めて行く事にして、先に食事をする為に❝MOTHER`S of KAMAKURA❞に向かいました。
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この店。これは前回、入店を断念した際の写真ですが店構え。
今回は観光シーズンと言う事も有るのかランチメニューが普通に15時少し前でもやっていました。
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値段は2500円からと良心的、小生は葉山牛コース食べたかったのですが古文書のコピーと余計な買い物して又もや5000円のランチは断念(泣)。でもステーキコース予算3300円は小遣いで捻出出来るのでテンダーロインのステーキコースを食べる事にしました。
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御店の内装は鉄板焼き屋スタイル、それぞれのテーブルにシェフが付き、お肉や野菜やシーフードを焼いて提供して下さいます。
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小生の写真撮影技術がクソ過ぎて伝わらないかも知れませんが、とても落ち着いたオシャレな店ですが多くのお客様で賑わっています。
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シェフの手捌きがカッコいい!
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お皿も可愛いんですよ(笑)。
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全てのメニューにサラダと食後のコーヒーが付きます。
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あと撮影し忘れましたがお味噌汁も付いてます。
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目の前でプロの手で焼き上げられる❝肉❞、見ていて実は魚派(笑)の小生もウキウキ。
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見た目だけでなく、とても美味しい!肉は柔らかく、味もシッカリしています。
ただ惜しくらむは小生だけステーキコース、周りの御客様は全員葉山牛コース。まぁそうなるな(笑)。
次回は誰か他地域の友達か海外の友達が来たら連れて行ってあげて葉山牛食べようと思います。
さて、こんな素敵な御店のMOTHER`S of KAMAKURA、以下にアクセス等まとめて置きます!
【葉山牛ステーキ MOTHER`S of KAMAKURA】
葉山牛ステーキマザースオブ鎌倉 場所 久良岐のよし
以上がMOTHER`S of KAMAKURAの紹介です。
この他にも肉料理では以前紹介したトルコ料理の店の❝ARKADAS(アルカダッシュ)❞が小町通の入口にも在ります。
【ARKADAS(アルカダッシュ)】
ARKADASの場所 久良岐の良し

日本の義兄弟国トルコ。ARKADASはトルコ(土耳其)料理の店in鎌倉小町通り
上記が以前書いた紹介記事です。
さて、昨日は食事を終えてから鶴岡文庫で小田原所領役帳と言う戦国時代の関東の事を書くのには絶対に必要な文書の一部をコピーさせて頂き帰宅しました。
鶴岡文庫の司書さんは気立ての良い日本美人さんでらっしゃるので鶴岡文庫へ向かう小生の足はいつも軽い(笑)。あと簡単な文献は大体が鎌倉市中央図書館や藤沢文書館に行くと閲覧出来ますよ!
横浜市には余り無いんですよ。金沢文庫博物館にはまだ少し歴史関連の専門書籍が揃っていますが、藤沢文書館か鎌倉幕府関連や室町幕府鎌倉府の事なら鶴岡文庫、鎌倉市中央図書館に行けば郷土史資料も充実しています。
帰宅してからは先週、御朱印帳のページ追加作成用に小町通りに在る和紙専門店の社頭で購入した千代紙と和紙で御朱印帳を改造しました。
こんな感じで裏側の表紙ひっぺがして・・・
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ページ追加して・・・
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ついでに最初のページに千代紙に飾り付けして、参拝した神社の名前を旧国別で書こうと思っています。
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相模国の一部分書いて面倒くさくなりました(笑)。
最終頁に小生の母方祖先の伊予水軍の棟梁達が崇敬していた大山祇大神を祀る、神奈川県伊勢原市の大山阿夫利神社の大山山頂上社と下社の御朱印を貼りました。

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空欄には大宮の氷川神社と熊本の阿蘇神社、そして他の空欄には既に参拝済みだけど、まだ御朱印を拝領していない神奈川県や東京都の延喜式内社と平安時代の坂東武者から崇敬された式外社の御朱印を改めて参拝し頂く心算です。足りなく成ったら又つぎ足す。
ページの追加の工作の仕方は、少し工夫が必要なので改めて工作カテゴリーで記事にしてみます。
さて、鎌倉の御店には葉山の特産の葉山牛のステーキを食べられる場所が有る事も伝わったかな?
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これは一昨年の写真ですが長谷寺の紫陽花も・・・
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・・・そして北鎌倉明月院も紫陽花が見頃を迎えています。
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是非!鎌倉へ紫陽花見物へお出かけ下さい!そして相模湾名物のシラス丼や葉山牛を食べて舌も目も満足な一日を過ごして下さい!
以下紫陽花名所の過去記事リンクです。

  ↑
上の項目をクリックすると記事が読めます。
では!又、次の解説記事でお会いしましょう!

追伸、今月一杯、間宮家と宅間上杉家と蒔田吉良家関連の執筆活動で更新が遅くなると思います。
ジムも行かないといけないんだけど、今週行けてない・・・。

今年も円海山で蛍が見れる季節に成りました。
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今月の写真です。
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観察マナーについても色んな考えも有れば何も考えていない人、自分達のローカルルールをさも当たり前の様に押し付ける人もいて千差万別、これも文末で解説したいと思います。
蛍、小生の小さいころ、ん十年も昔はもっとわさわさ見れたのですが、横浜市教育委員会の怠慢と林文子市長による円海山の開発容認で横浜市最大規模の自然公園ごと絶滅の危機に瀕しています。
瀬上沢蛍の観察可能な場所 久良岐のよし
個体数の激減の原因は過去に開発されてしまった庄戸地区とみどりが丘の宅地化による環境の悪化、それに加えて過去の横浜市による誤った公園整備によって天然のフナが居た瀬上沢が重機で荒らされてしまったり蛍だけでなく生態系も破壊してしまった訳ですが・・・
現在、僅かに生き残った蛍に止めを刺そうとしている組織がいます。
それが東急グループの土地買収による宅地化構想と、歴代市長が守って来た円海山の自然環境保全を事実上放棄して東急に対して土地放棄や買収等の対価を払う等の対案を示さず、それどころか円海山の林道整備すら放棄して丸で段階的に宅地化を容認する構えの様な言動しか現状していない林文子市長と円海山の史跡と自然環境の保護を怠っている横浜市教育委員会です。
過去の記事の転載も交えて説明したいと思います。

先ず、円海山その物を知らない人が多いと思います・・・
円海山は横浜市栄区港南区金沢区磯子区にまたがり鎌倉に続く自然公園です。 
鎌倉横浜に古代文化の基礎を醸成した地域でもあります。
この円海山、実は横浜市で一番標高の高い山で、天気が良いとこの様に頂上近くからは富士山も綺麗に見えます。

実はこの山、歩いて鎌倉まで行ける遊歩道があり、それらは「鎌倉早駆けの道」と言う史跡でもあります。
更に‼︎
蛍(ほたる)の横浜市内での貴重な生息地なんです!
その場所は瀬上池と、その池に注ぐ自然の沢を集めた池から再び流れる貴重な水源地帯の瀬上沢です。
この小川が瀬上沢ですが、こんな不必要な護岸工事が横浜市の建設利権の為か環境整備局の不見識か行われてしまったせいで天然のフナは姿を消しました。
当時、環境整備局の前身組織の負の遺産ですね。挙句の果てに保持が怠られているのが現状です。
歴代市長から保護され多くの市民の憩いの場として解放されてますが、小生も子供の頃よく、ザリガニを採(と)りに来たり野山を駆け巡りに友達と遊びに来ていました。釣りはやりませんでしたが友人達はよくフナを釣りに瀬上池や瀬上沢にも来ていました。
子供が自由に川遊び出来る横浜南部の最後の水源地帯がこの円海山の沢で、特にこの瀬上沢と大岡川源流笹下川上流の金沢区の大谷戸(おおやと)側の沢が状態が良いんです。
写真は円海山大谷戸広場側です。
昔ながらの貴重な里山保存区域です。綺麗な昔ながらの鎌倉近隣の原風景でしょ?
本当、貴重な自然と里山なんです。

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金沢市民の森側、大谷戸広場付近は護岸工事されずに一部上流だけ源流が昔のままの沢の姿を保っています。

写真撮影した季節は冬で川で遊ぶ子供も流石にいませんが…
此処(ここ)瀬上沢には貴重な淡水の貝の化石群の地層が露出した場所があり、更に奈良時代の古代のタタラ製鉄の史跡も出土した場所でもあり…
 
灌漑水田史跡でもあり、重ねて言いますが平安〜室町時代の鎌倉早駆けの道と合わせて非常に貴重な史跡群でもあります。
 
昔の市長達の遺志を踏みにじる東急と林さん。
東急の土地買収で茅が生えて「神社に売るんか(笑)!」ってのが現状です。
以前の市長達により、瀬上池周辺は遊歩道や釣り用の桟橋が設けられていて新春にもなると釣りをする子供や、お弁当作ってピクニックに来た家族連れなんかで、ほのぼのとした空気が感じられる場所です。しかし多くの林道は林市長に成ってから保全されず、通行止めの箇所が異常増加中・・・
今の横浜市長の林文子さんは、どうも保護に熱心ではなく寧ろ開発準備してる側のようですが、昔からの地域のボランティアが自主的に子供の遊び場を守って下さってます。
だから幼稚園小学生くらいのお子さんがいる御家族には暖かく成れば、オススメの自然の中の水遊び場ですよ!
この池が瀬上池。
小生が子供の頃、友人達は釣りが自由に出来るここに来てはフナや鯉なんかを釣っていました。
…小生は、もっぱらザリガニ専門でしたが(笑)。

しかし、最近は今の林横浜市長の施政下で、倒木の処理などが放置され林道が通行止めにされてしまっている所が多くあります。
この下の写真の「尾根道から護念寺への道」も、さも通行出来るような案内板ですが、実際は鉄柵で封鎖され市民が通行出来なくされています。
別に道が崩落している訳ではありません。
横浜市が業者に開発させる前振り?

しかも、此(こ)の道の先は古典落語「強情灸」の舞台になり江戸時代から昭和初期まで、お灸治療の本場峰の灸として観光客と治療客で栄えた竹林の美しい円海山護念寺に通じているので、早く再開通させるべき所なんです。
※円海山護念寺の風景と歴史については「ココ」←クリック!
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ついでに言えば、昔は護念寺の本院だった阿弥陀寺は浄土宗の総本山である知恩院の住職を務められた了鑑大僧正を輩出した名刹だったりもします。最古参の旦那は苅部(かるべ)氏で、元は戦国時代に鎌倉公方代理を務めた蒔田吉良家の吉良頼康公の重臣の子孫に当たります。
蒔田吉良家は戦国時代初期には世田谷を本拠地にした足利家の中で一番格の高い足利家の一族でした。
北条家に従属しながらも吉良様や蒔田御所と敬意を特に払われた高貴な殿様の重臣だったのが苅部家です。
蒔田吉良家は戦国時代末期には横浜市南区の蒔田城を本拠地にして、鎌倉公方代理を務めたので蒔田御所と呼ばれていました。
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上の写真は世田谷豪徳寺の三重塔です。豪徳寺の所在地が蒔田吉良家の初期と終焉の頃の居城の世田谷城址です。
この苅部一族の菩提寺の在る円海山一帯を江戸時代に抑えていたのが氷取沢領主として徳川家康公直属の旗本と成った北条旧臣の間宮綱信公や間宮家本家の笹下間宮の間宮直元公です。
生野代官所位置関係 久良岐のよし
上の画像は朝来市教育委員会様に提供頂いた資料をGoogle earthに張り付けた生野代官所の縄張り図です。
間宮直元公は但馬銀山や金山を含めた但馬国内の江戸幕府直営の施設や領地を治める但馬奉行として生野代官所に居り、同時に現在の横浜市中部沿岸部を治める本牧奉行を務め、徳川家康公からも信任が厚かった人物です。
大久保長安が経営失敗して業績不振だった佐渡金山の業績を好転させるべく、徳川家康公の命令で但馬銀山経営のノウハウを持って佐渡に支援に行き、瞬く間に業績を好転させた事から大久保長安の失脚後は佐渡奉行も兼任した名経営者の御奉行様でした。
更に大坂城の真田丸や総構えの埋め立て作戦を立案し、直接徳川家康公に献策したのも間宮直元公でした。
その菩提寺が円海山山麓、笹下川を挟んで反対に位置する場所に在る妙蓮寺です。
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ここには昭和期まで御神廟に間宮直元公の彫像が祀られていましたが、残念ながら火災で焼失してしましました。
新編武蔵風土記稿 間宮直元公木造 久良岐のよし
新編武蔵風土記稿に掲載されているのが上の写生図。
下は間宮一族の間宮さんが焼失前に撮影した実物の画像です。
間宮直元公木造 妙蓮寺旧蔵も火災で焼失 久良岐のよし
円海山から釜利谷に抜け鎌倉に至る六浦道=金澤道、つまり現代の笹下釜利谷道路と円海山の間道を抑えたのが間宮綱信公です。
間宮綱信公は北条家の外交官として織田信長公にも謁見した人物で、八王子城主で北条家No,2の北条氏照公の付家老(つけがろう=組織上の補佐役だが家臣では無く、主家の家臣のまま出向した家老)を務めた人物です。
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上の写真は八王子城址。現代では日本100名城の一つにも選定されていますが、この城の縄張り、つまり設計を担当したのが間宮綱信公と八王子の現地では伝わっています。
残念ながら八王子城は要害部の完成前に農民と姫様や僅かの守備軍しかいない状況で、豊臣秀吉の配下と成った上杉景勝公、真田昌幸公、前田利家と裏切者の大道寺政繁の大軍勢によって攻め落とされてしまいました。
元は吉良家の北条家臣化後の北条家臣として間宮家の同僚に当たる苅部家、そして北見(喜多見)家、そして北条氏照公与力の重臣として間宮綱信公の格下同僚だった金子家、間宮本家の仕えた玉縄北条家で間宮家の格下同僚だった岡本家等、現在も円海山周辺には多くの旧北条家臣団の苗字が残るのは、江戸時代に間宮家が幕府の奉行職を歴任し、大変栄えたので北条家解体後に元同僚の伝手(つて)で間宮家に与力として仕えた為でしょう。

円海山からは、そんな戦国時代の偉人達の足跡も辿る事が出来ます。
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そして現在では余り知る人も少なくなりましたが古代の神々の参謀を務めた思金神を祀る思金神社も瀬上沢の先に在ります。
この思金神社に合祀された廃社の旧白山社も瀬上沢と山を挟んで反対側、市の教育委員会が自然保護を怠った庄戸地区に在り、その参道の前を流れる鼬川に掛かる橋は昇龍橋と言います。
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横浜市教育委員会では無く神奈川県土木部道路整備課によって神奈川の橋100選に選定されました。
この鼬川周辺も昔は蛍を見る事が出来ましたが、先述の通り自然環境の悪化で今では・・・
思金神社の丁度反対側の辺り、瀬上川の河畔には昔の水田への灌漑施設の隧道が残っています。
 
ここは円海山で貴重な淡水の貝の化石群地層が露出している場所です。
昔の人が、灌漑水田に水を引き入れる為に作った手掘りの隧道(すいどう=トンネル)のある壁面と地続きの山が全て化石群の地層です。
以前は子供も自由に出入りして遊べました。
周辺を東急が宅地開発しようとしはじめた頃に横浜市大が保護を試みましたが、最近は東急が自然環境保全地である事や市民の憩いの場である事を無視し、周辺から市民を締め出し開発準備を始めてしまっています。
昔からの文化醸成地や市民の憩いの場を蹂躙する東急建設と、それを容認する環境整備局そして陳情を見殺しにする現横浜市長の林文子市長の暴挙ですね。
林文子市長は事前の保護も開発阻止も自然環境保護の先手も打たず陳情に対して・・・
「地権者が開発したいんだから邪魔出来ねぇ~し知らね」
・・・と言う事を言っています。
彼等がもし、無碍にこの瀬上沢一帯を開発したら、この自然環境は2度とは戻りません。

庶民に阻止は出来るか微妙ですが、もし開発すれば近隣に留まらず、貴重な自然公園に連なる遊歩道や沢の自然環境を破壊した歴史を事実としてどの政党が支持した、どの市長の時代に、どの土建屋が瀬上沢と遊歩道の自然環境を破壊したか歴史偉人達の遺産を踏みにじったか我々で語り継いで行きますよと。
林市長、東急さん、きっと瀬上沢の重要性再認識してくれると…

皆んなで淡々と事実拡散するしか蛍の住める環境を含めた自然環境を守るには出来ません。
近隣の歴史を語り継いできた寺院や神社の鎮守の森でもありますから。
執政者と開発業者の責任者の名前と経営者の名前を負の歴史として記録して永久に地域で残します。
それが民主主義で出来る事。
陳情に色良いレスポンスないんだから、やったら責任は歴史に刻んで後世に判断して貰いましょう。
この他にも円海山だけでなく横浜市内には腐る程、間宮家関連、蒔田吉良家関連の神社仏閣が有り、円海山の開発が進めが情報も檀家氏子で共有し更に間宮会から世間にも拡散されて行く事に成るでしょう。
この手の自然保護活動と破壊に関心の高い新聞社も間宮家の研究に熱心な某所に出入りしていますし。
東京の蒔田吉良家臣団の御子孫とも連携出来ますしね~。

まぁ、今なら東急さんも林市長も横浜の自然環境を守った偉大な英雄に成れるかも知れないけど。

さて、皆さん、円海山と瀬上沢の自然環境と風景と歴史が非常に貴重で、尚且つ子供が安心して遊べる自然公園である事は御理解頂けましたでしょうか?

瀬上池手前に使われていない畑があります。
あそこを自転車用の駐輪場にし、山頂のスポーツ広場を休日に駐車場として解放し尾根道に歩道を繋げ、昔みたいに家族連れも行きやすい環境を整えて欲しいな〜とか改善案はあるんですがね〜。

円海山は横浜市民や鎌倉市民にとって大切な場所なんですね。

この綺麗な風景と自然と歴史…
我々が先人から受け継いだ様に、何とか次代の更に先の子孫達まで残してあげたいですね。
円海山は文化なんです。

さて蛍が見える場所は横浜市栄区の旧上郷高校、今の栄高校のすぐ下の谷に流れる瀬上沢です。 
瀬上池の位置
今月の写真を交えつつ、観察or鑑賞マナーについて書いてみます。
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先ず、小生の様にフラッシュを焚いた蛍その物の写真を撮影したい方は以下の点に留意するべきです。
●他の鑑賞者のいる時間帯にフラッシュを焚いて撮影しない・・・他の人が蛍の光を見えなく成ります。
※小生は毎回深夜の1時~4時頃、誰もいない中、必要が有れば川に入って撮影しています。
※蛍はフラッシュ焚いて撮影しても、連写しないで数十秒間を置けば光る事を止めません。
●暗がり対策で持参した懐中電灯で照らし続けるのは止めましょう。
※フラッシュより観察や位置確認の為でも懐中電灯で照らし続ける方が蛍が光るのを止めてしまします。
●深夜遅くて暗くて怖かろうが1人で行ってヒッソリと撮影&観察した方が良いでしょう。
※複数人で言って話し声や大勢の気配がすると逃げてしまいますし、何より深夜に御近所に民家も1軒有るので迷惑に成ります。
※先述の通り、小生は必要が有れば川に足つかったりしながら、蛍の見える位置に回り込んで撮影します。蛍を動かしたり捕まえて撮影しない為の行動です。
●深夜に大勢で鑑賞会なんて絶対にするなよ。近所迷惑だから。
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以下当たり前の事。
●円海山は火気厳禁です。タバコはポイ捨て以前に吸うな馬鹿野郎。当然花火も焚火もするな。
●大勢で押しかけるな。家族や少数の友人と行き静かに鑑賞しないと近所住人に迷惑。
●他の鑑賞者がいる状況でフラッシュ撮影するな。先述の通り。
※どうしてもやりたければ、小生の様に深夜に懐中電灯も持たずに一人で行って、時間間隔空けながら撮影しましょう。そうすれば迷惑にも成らないし蛍も光るのを止めません。
●18歳以下の学生は夜間外出を控えましょう、根本的に22時以降に蛍を鑑賞していたら警察に補導されますよ。当該地域周辺は警察官が巡回しています。
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この写真はフラッシュ焚いた数十秒後に再撮影した写真。
あと、蛍が尻の光を点滅すると思ってる人いますけど、蛍って点灯しっぱなしの子もいるんですよ~。
この子は点灯しっぱなしの子でした。

さて、こんなマナーみたいなものを言わなきゃいけない程に蛍が珍奇な存在に成ってしまったのが小生が小さい頃の田舎的な風景や蛍の多さからは想像もつきません。
昔は、多分他府県の人も同じ経験をしていると思いますが・・・
「蛍見に行こう~!」(多人数でわいわい)
「あら危ない懐中電灯もって行きなさい(おばちゃん)」(蛍照らしまくりの観察しまくり)
「蛍綺麗だね~!」(横で花火)
・・・小生の場合、育った年代的にも円海山や上郷の宅地化は進んでいませんでしたし、祖母の住む田舎が有ったり、幼馴染が引っ越した千葉県も自然が豊かだったりで、普通に宅地の傍の農道や自宅の近くの湧水の農業用の池の周りに昔は蛍がいたんです。円海山の瀬上沢も近所だから遊びに良く行きましたしね~。千葉の印旛沼辺りじゃ田圃に農薬撒いた翌日もスンゴイ蛍沢山見れたしね。
きっと学生時代にファミコンで遊んでキン肉マンとかドラゴンボール見てた世代までの人なら同じ経験をして育っている人は多いと思います。

円海山に蛍をわざわざ保護しないといけない環境にしたのは横浜市ですが、その蛍の生息できる環境に止めを刺す開発を行いたいのが東急不動産で、それを容認する発言を回答したのが林文子市長です。
ただ多分、横浜市よりも現状では東急建設に理性が有って踏みとどまってくれて様子を見ているんだと思います。横浜市役所は内部の連携が目茶目茶で林市長が統治出来てるのかも謎。
あと14年で樹齢100年に成る桜並木の街路樹を伐採させたり、調査もせずに城址の空堀を掘削したり盛土して宅地化する案を容認する横浜市歌も歌えない奴が務める横浜市建設指導部と違い、本来は伊勢神宮から天照大神の御分霊を勧進し東横神社を開基し自然や文化の保護に意識が高かった❝昔の東急東横線の五島慶太社長❞始め過去の歴代社長は今の東急建設を見たらどう思いますかね?きっと苦虫を噛み潰したような表情で天罰落としたいと思っている事でしょう。なんせ東横神社は伊勢神宮から勧進した天照大神と合祀された渋沢栄一公が御祭神、自然守護の象徴たるお伊勢様と経済世民と愛国を両立した渋沢栄一サンを東急グループは守護神としている訳だが・・・
この事を恐らく東急建設の現経営陣は知らんだろうな。
これを機に、林市長と横浜市と東急建設に瀬上沢の横浜市による土地買上げと当該地域への広域自然保護区認定を改めて行って貰える様に、皆さんで陳情して頂けると幸いです。
●林文子市長への陳情窓口
林文子事務所 〒231‐0007 横浜市中区弁天通4-53-2 DOMONビル2F
TEL:045‐228‐9780
横浜市教育委員会庶務課
TEL:045-671-3240
●東急建設
http://www.tokyu-cnst.co.jp/company/
〒150-8340 東京都渋谷区渋谷1-16-14 渋谷地下鉄ビル
代表番号 TEL:03-5466-5020
土木本部 TEL:03-5466-5152
建築本部 TEL:03-5466-6186
営業本部 TEL:03-5466-6299
・・・個人的には東急不動産と林市長には横浜市の自然と古来の文化醸成地を守った英雄に成って頂く道を選択して頂き担当者さんや林市長に歴史に良い意味で名を残して頂きたい。
まぁ、庶民に合法的に出来る事は語り伝え記録を残す事と陳情と、次の選挙での投票だけ・・・。


三浦半島の横須賀市長坂には乳牛を飼育してアイスクリーム等の乳製品を直売している関口牧場と言う場所が有ります。
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小さい乳業会社なのですが口コミでアイスクリームが美味しい事が広まって、最近では休日とも成るといつも行列が出来ています。
入口が少し判り難い上に駐車場が少ないのも厄介なのですが、それでも大人気の店なんです。
関口牧場・無量寺・佐島マリーナ・海辺の位置 久良岐のよし
場所は上の地図を参考にして頂けると良いのですが、車で佐島マリーナから10分、衣笠ICから20分程度の距離に位置します。比較的交通は不便な場所ですが、これから夏に向けて佐島や長者ヶ崎や三崎に行く用事が有る人にはおススメのスポットです。
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    ↑
道の入口はこんな感じ。
店は少人数で切り盛りしててコンナ感じ。
    ↓
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お姉さんが1~2人で頑張ってるので、ちゃんと整列して煽らず(笑)出来るだけ運営に協力して上げて下さい。
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この日、小生はココア味とバニラ味のダブルを注文しました。
これ、上下にトッピングされてますがツイストにもして貰えて、子供に選ばせれば喜ぶかも知れませんね!
飯田牧場同様、自然の甘みを重視しており、人工的に脂分の添加をしておらず不自然なクリーミーさは当然有りません。甘いのにサッパリしていて量は多いのですが美味しく平らげる事が出来ます♪
小生は最近、可愛がっている甥っ子(4歳)が総合格闘技の道場でレスリングを習い始めて中々、オジサン(小生)と遊んであげる暇が無くなってしまい(笑)まだ連れて来てあげれておりません。
牧場なのですが、前回紹介した藤沢の飯田牧場と同じで広大な放牧地が有る訳では無さそうです。

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でも牛舎が隣接していて、外から様子を見学できます。
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小さい子を連れてくれば、こうやって❝牛臭い(笑)❞場所で牛乳が生産されてる事を理解させる良い機会に成るかも知れません。
牛さんに感謝する心を教育する場としては良いと思います。
エサやり禁止なので厳守して下さいね~!
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もしかしたら牛舎の背後は放牧スペースかも知れませんが、店員のお姉さんが忙しそうだったので確認していません。
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牛の他にもヤギや鶏もいました。
三浦半島の南側の油壷マリンパークや三崎や城ヶ島、西側の葉山や長者ヶ崎や秋谷の海岸に行く機会が有れば、是非立ち寄って見て下さい!
【関口牧場】
業種:乳業、アイスクリーム製造と直売。
あと、車で10分と直ぐの佐島マリーナの入口に在る❝海辺❞と言う和食海鮮レストランも御薦めです!
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魚も美味しいのですがロケーションが綺麗なので、以下に各周辺観光地の過去記事と合わせてリンク紹介して置きます。
【海辺】
業種:和食海鮮レストラン(海に張り出したロケーションの眺望と新鮮な魚料理が特徴)
タグ:佐島マリーナの記事→一覧はココクリック!
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タグ:城ヶ島の記事 →一覧はココクリック!
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タグ:三崎漁港の記事→一覧はココクリック!
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タグ:油壷マリンパークの記事→一覧はココクリック!
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タグ:長者ヶ崎と葉山の記事に→一覧はココクリック!
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さて、小生のブログは少しは郷土史要素も入れて置きたい・・・

話を関口牧場に戻すと、ここを知った理由は戦国時代の横浜を治めた間宮家の一族の分家で間宮造酒丞(みきのじょう)家の菩提寺であり、鎌倉時代の名将の和田義盛公が開いた御寺だからだ。
信高公の御父君は間宮康俊公、有名な関東最強の武将の北条綱成公の付家老で自身も鶴岡八幡宮再建や山中城で活躍した間宮康俊公の家系図上の御子息だ。信高公は武田家に転仕して武田信玄の水軍大将務めた。武田家滅亡後には徳川水軍の大将格で活躍した人物で所領が関口牧場の所在地の横須賀市長坂、昔の三浦郡長坂村だった訳だ。
だから、その信高公の菩提寺と関口牧場は徒歩数分の御近所さん。
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浄土宗の金剛山無量寺と言う御寺が間宮信高公の菩提寺。
元々は鎌倉幕府で初代の侍所別当(防衛大臣)を務めた和田義盛公が開いた御寺だった。
だから和田義盛公の守り仏が御寺に祀られている。
山号と三浦家初期の宗旨から察するに多分、最初は真言宗の御寺だったはず。
浄土宗に成ったのは間宮信高公が徳川幕臣であり、織田信長公と徳川家康公が熱心な浄土宗信徒だったので徳川家臣に成った時点で自分の所領の無量寺を改宗させた上で土地を寄進して復興させたんじゃないかと思う。
間宮信高公は御妻君が房総半島の小大名だった真里谷武田家の姫君だ。実は戦国時代初期、三浦半島がまだ三浦家と北条家の係争地だった際に三浦家の大将だった三浦義意公の御妻君も真里谷武田家の姫様だった。真里谷武田家は内紛を起こして真里谷武田信隆公が房総半島から逃げて北条家に一時的に亡命している。
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その場所が上の写真の横浜市金沢区に在る稱名寺一帯な訳だ。
なので、その御縁で金沢区の隣接地域の杉田や笹下の現在の港南区~磯子区の殿様だった間宮康俊公の御子息と真里谷武田家の姫君が婚姻を結んだんだろう。
最初に御住職様に御会いしたのは、和田義盛公の顕彰活動で訪問した際だった。
その時は未だ無量寺が間宮信高公の菩提寺とは知らなかった偶然の訪問だった。
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まぁ、御住職と少し御話して和田義盛公の事を聞いたり、特別に御本堂に上げて頂いて色々と見学させて頂いた際に、何を思ったのか突然御住職が「実は間宮家~云々」と小生の顔をマジマジと見ながら話し始めた際は正直、大変に「ドキっ!」としたのを覚えている。
御住職様も何で小生が一言も「間宮」とも発していないのに、その話を始めたか解らないが、今と成っては信高公の御導きだったんだと思う。
この偶然が有ってから、間宮信高公の事を寛政重修諸家譜等から読み調べ始め、そして死地が愛知県海部郡蟹江町に在った蟹江城址と知って現地の教育委員会様に様々な情報提供を頂き、昨年、間宮家の顕彰文に信高公の事を掲載すべく蟹江城址へ写真撮影に行って来た。
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今も運河沿いに酒蔵や米問屋が残り城下町の風情の残る良い処だった。
実は蟹江城は天正年間、つまり間宮信高公が討死にした合戦直後に大地震で崩壊し消滅したのだが本丸の井戸だけが現存しているのだ。
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この井戸の写真撮影に蟹江町を訪問して来た。ついでに甘強酒造と言う昔ながらの武士が高級酒として飲んでいた味醂を製造している酒蔵も訪問して味醂を購入して来た。
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これらの御縁は全て関口牧場と同じ長坂に在る無量寺の御住職と和田義盛公と間宮信高公が導いて下さった地縁だった。御蔭で良い旅行が出来た訳だ。
因(ちな)みに、ウチの母にも土産で甘強酒造の本味醂と津島市の鶴見酒造が作る味醂、神鶴を購入して渡したのだが、両方とも普段使ってる味醂とは全く別物の美味さに驚いて母は自分の友人達にも紹介していた。小生はリキュールとして炭酸割り等にして飲んだが焼酎で作られていて風味良く美味しかった。
織田信長公や徳川家康公も飲んだであろう旧海部郡の味醂を現代に飲めて幸せだった。
まぁ、そんな訳で関口牧場の在る三浦半島の横須賀市長坂地区は昔から水軍を率いた武士の根拠地だった訳だ。そして昔は牛では無くて馬を生産していた牧場も有ったかも知れない。
佐島と長坂の間には❝蘆名(あしな)❞と言う地域が有る。ここは和田義盛公の御子息が治めた土地で蘆名城と言う城が有った。その蘆名家の子孫は東北に移住して奥州探題等を務めた大名と成り名将の蘆名盛氏公を輩出した。蘆名盛氏公と言えば伊達政宗公のライバルだった人物だな。

皆さん、関口牧場や佐島を訪れる機会が有ったなら、是非!和田義盛公や間宮信高と言う名将が昔、長坂に居た事を思い出して見て下さい!

横浜イングリッシュガーデンのバラ園が見頃です!

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綺麗な薔薇のアーチですが、2017年05月20日現在の写真です。
これでも五分咲き。まだまだ花弁の開いていない株も多いので更に綺麗に成るでしょう!
園芸員さんに確認もしてきましたが来月中旬位まで見られるそう、今月一杯は多くのバラが咲き誇り来月に成ると紫陽花と遅咲きの品種のバラとのコラボが見られるそうです!CIMG3826
場所は住宅展示場のTVKハウジングプラザ横浜に併設されていてとても解り易く、車で行っても駐車場が多数有り便利です!
電車で行く場合も相鉄線平沼橋駅から徒歩10分前後と比較的便利な位置に在ります。
園内にはビュッフェスタイルのレストラン、喫茶店、土産物屋、生花の販売ブースも有り、夫婦や女性同士の御友達、恋人同士での散策にもうってつけです。

以下にアクセスと連絡先、参考の写真を纏めて掲載します。

横浜イングリッシュガーデン
横浜イングリッシュガーデン 位置 久良岐のよし
では以下に本日2017年05月20日現在の園内の様子の写真を掲載します。
小生は写真撮影が下手くそなので、きっと皆さんならもっと上手に撮影出来ると思いますよ♪
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以上、久良岐のよし推薦の散歩場所、イングリッシュガーデンの本日の様子でした。
皆さんの参考に成れば幸いです♪

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