歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

主に歴史旅、ときどきグルメ、けっこう富士山と季節の景色の写真大量のブログ。 中の人はオタク指向、でも2次元よりリアルが好き。   好きな曲はPharrell WilliamsのHAPPY♪

カテゴリ:旅館・飲食店・土産店 > 和食全般・日本旅館

JRと相鉄線に乗って2年ぶりに西区の平沼を散策してきました。
小生は働きながら週末に国家資格取得のために学校に通っているのですが、それと合わせて今回は角平でランチするのと平沼の水天宮を御参りするのが目的でした。
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角平と言うのは横浜市南部の市民の間には有名な日本蕎麦店です。
その角平でのランチに合わせて平沼の水天宮を御参りしたいと思ったのは、7年前に戦国時代の蒔田湾と幕末の横浜開港の頃の歴史を調べていた際に現在の開港資料館に江戸時代末期まで存在した水神様の御社が有ったのを知り、その過程で平沼の水天宮をGoogleMapにチェックしていていつか参拝しに行こうと思ったからでした。
昔は平沼は平沼新田と呼ばれ吉田新田と同じく江戸時代以前には海でした。
江戸時代に先に新田開発されたのが洲乾湊(すがみなと)と呼ばれた砂浜の半島より内側に広がっていた蒔田湾とか考古学では大岡湾と呼ばれた入江でした。
個人的には洲乾湾と呼ぶべきと思うのですが。
幕末に成ると、この洲乾湊の半島の浜辺ににアメリカから来たペリー提督が上陸し、更に後に幕府によって外国人居留地に定められました。
ペリー艦隊の上陸
上のペリーさん上陸の有名な絵の右側の樹が今も開港資料館の中に現存する玉楠の樹の3代前の樹だそうで同じ位置に存在し、そお樹の麓の神社は横浜の水神社として知られた御社です。
また横浜村の有った洲乾浜の半島、その先端には淡水の湧水池が有り弁天様が祀られていました。
それ等は源頼朝公により開かれたそうです。

開港後に外国人居留地に定められた地域は旧半島と埋立地の間に残された海の名残りの運河がそのまま境界線に活用されました。
吉田橋の上に関所が設けられて外国人居留地は関内と呼ばれた事が今のJR関内駅始め関内と広く呼ばれる地域の地名由来に成っています。
関内周辺 久良岐のよし
上の明治時代初期の測量図ではまだ画面左下の平沼が今程には埋め立てられておらず海だった事が解りますね。
この関内の外国人居留地建設で移転した水天宮と現在の横浜市役所新市庁舎の場所に存在した弁天様の両方が源頼朝公が開いた物だと言うのを知った時に水神様の移転先を調べて、南区の河野サンと言う個人の御宅に移転し祀られた後で太田杉山神社に合祀されたのを色んな宮司様達に聞いて廻り辿(たど)り着きました。
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横濱水天宮太田杉山神社
元横浜村の水天宮を合祀した杉山神社
この杉山神社については改めて、今日の記事で書く平沼神社こと平沼水天宮の記事共々独立した紹介記事を書きたいと思います。
さて、この南区の水天宮は元々は杉山神社(ややこしい)で、今の関内地区や山下公園前の横浜村発祥地の砂州(さす)の半島だった洲乾湊(すがみなと)に存在したのですが、それは以前の横浜の戦国武将で江戸時代の本牧奉行や佐渡代官、生野代官、摂津代官、蒲原(駿河)代官を務めた間宮家や鎌倉時代に関西を統治した金澤北条家が支援した真言宗の江戸時代迄大寺院だった南区堀之内の寶生寺や北条政子様の隠居地で間宮忠次公が支援した寺院だった井土ヶ谷の乗蓮寺を紹介した時に少し書いた事も有りますね。


上の過去記事で少し触れた横浜村(関内地区の元町~中華街~日本大通り一帯~弁天町)には頼朝公のゆかりの神社が2つ在り、その内の一つの水天宮が現在の太田杉山神社に合祀されている横濱水天宮な訳ですが、横濱水天宮は外国人居留地に関内地区が成った際に旧家河野家へ引き取られ遷座を余儀なくされ更に現在の杉山神社に合祀されたそうです。
これについては平沼の水天宮の宮司様にも以前、色々と御教授頂いていたのですが実は電話で御話を教えて頂いただけで水天宮平沼神社様には未だ参詣した事が無かったんですね~。
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近くの平沼商店街を道筋に含む横浜道は調べたり散歩したりしたんですが・・・。

この過去記事で紹介した戦争史跡の平沼廃駅の直ぐ隣に西区を代表する日本蕎麦の名店の角平と近代の❝横浜道❞が有り、更にその辺りから徒歩5分程度に平沼神社こと平沼水天宮が鎮座しています。
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水天宮平沼神社
平沼新田鎮守の水神様
この水天宮は天保十年(1839年)、つまり江戸末期に開かれた比較的歴史は浅い神社ですが、それはその通りですね。
なんせここは地名に成った平沼家が埋め立てるまで歌川広重が東海道五十三次の神奈川宿の絵に描いた海だったんですから。
その頃の地形については、神奈川駅近く台町の江戸時代の❝さくら家=明治の田中家❞で働いていた坂本龍馬サンの未亡人お龍サンの記事でも触れた事が有りました。


つまり、お龍サンが神奈川宿に居た頃に漸く埋立地から人が住める状態に成りつつあった程度の人工の土地ですから、神社の歴史も比較的新しくて当たり前な訳です。
今回小生は初参拝だったのですが、開基(かいき:社寺を造営する事)から約200年間、地元の人にとても愛され続けて現在も参詣者が絶えない様で現代的に綺麗に石畳と新しい社殿で整備された、町の神社の境内としても綺麗な神社さんでした。
では神社の大まかな歴史の話はここまでにして、参詣して来た様子を紹介します。
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詳しい歴史については上の社頭掲示写真の内容を拡大して読んでみて下さい。
水天宮様は相鉄線の平沼橋駅から角平に行くために国道1号線に向かう途中に在ります。
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水天宮平沼神社
平沼新田鎮守の水神様
道路から見ても境内が綺麗に整備されている事が分かりますね。
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まぁ、石畳でガチガチに境内を固めるのは現代的な造りで古来の自然信仰とは異なるのですが、小生はこれはこれで綺麗で有りだと思います。

由緒正しい醍醐天皇の律令改正法である延喜式の延喜式神名帳に掲載されている御社(おやしろ)、相模国一之宮の寒川神社でも現代は同じように境内の拝殿周辺を石畳で境内を固めており雨天の参詣もし易くしてあったりするので、小生は自然なままの古来の神社も現代の石畳も両方良いと思います。
さて、平沼の水天宮様は鳥居をくぐって右手に神楽殿があります。
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御神輿の保管所も有りますね。
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神楽殿と名付けれられていますが、3階建てで立派な建物でした。
鳥居をくぐり正面に本殿。
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参拝した昨日土曜日は雨天だったのですが、小生が参詣した時は2組の和装の若夫婦が幼子を連れて御宮参りで祈祷を終えた直後だった様で微笑ましい光景を見る事が出来ました。
後からホームページを拝見したら平沼の水天宮様は子宝の御利益でも有名な様です。
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扁額は大正時代の物ですね。
この神社の社紋が変わっていて初めて見る家紋でした。
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平沼家の家紋なのでしょうか?宮司さんに聞けば良かったな。
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本殿の左手前には水天様、仏教やヒンドゥー教の元に成ったゾロアスター教や古代インド神話での龍神を束ねる神様でした。アスラ族=阿修羅様の部族の最高神として崇拝されていたそうです。
日本の宗教は古墳時代や飛鳥時代~明治初期迄は神仏習合で海外から渡来した神様も仏様や日本古来の神様と一緒に祀られていたので、同じくインド神話の女神様である弁才天=サラスヴァティー神と同じように近世日本では水天様として親しまれ特に武蔵国域では信仰されていた様です。
本殿に向かって右側に色々な境内社が祀られていたので江戸時代に周辺にあった小さな神社が遷宮されているのかも知れません。
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お稲荷様が2座あります。
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その内の1座の前には何か可愛い河童の石像。
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更に奥には小生が日頃崇拝する天神様こと菅原道真公=天満大自在天神様も御社も在りました。
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ふむ、こちらの平沼神社こと水天宮様は本来の治水と地鎮の御利益に加えて子宝と学業上達や就学と芸能上達の御利益が有る事が祀られている神様から解りますね~。
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これだけ御利益が集まっているのですから、そりゃ地域の人に大切にされる訳だ。

ちなみに、少し歩きますが近くには良い昭和の日本建築銭湯が3軒も現存していて、小生はソチラの銭湯も以前入浴に通い詰めて数ヵ所写真を撮影させて貰ってるので、それもいつか紹介記事を書きたいと思います。
その銭湯が有る側の地域にも古い戸部杉山神社が有るのですが頼朝公が開いた杉山神社が横浜市内に数ヵ所有ったので、その内の1つは西区の杉山神社だと思います。
その頼朝公が御分霊を勧進した大元の杉山神社本社は横浜市緑区西八朔に現存しており横浜市唯一の延喜式内社だったりします。

これも以前紹介記事を書いているので御興味が有る方は御覧下さい。
さて、平沼の水天宮平沼神社さんはとても綺麗で気持ちの良い神社でした。
ここから蕎麦を食べに角平に行く途中、平戸橋と言う橋の上から京急が帷子川の上を横切る鉄橋を走る景色を見付けたので撮影してみました。
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きっと鉄道写真撮影が趣味の方なら上手に撮影出来るんでしょうね~。
ここは丁度、水天宮様と角平の中間位の場所ですから、角平に御蕎麦を食べに行ってみたい方はついでに電車の写真を撮影に行っても良いかもしれません。
寒い時期の快晴の日で夕焼か朝焼けの時間帯なら、恐らく帷子川に綺麗に京急が写り込むんじゃないかな?と富士山撮影が趣味の一環の小生は予想します。
さて、そこから徒歩数分で角平に到着。
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この写真の平沼商店街の看板の道が横浜道なのですが、JRと相鉄線が線路を通してしまって踏切化していた横浜道を平成十四年(2002年)に踏切閉鎖してしまった事で、既に貴重な近代街道史跡だった横浜道は通れなくなってしまいました。当然ながら平沼商店街衰退の原因に成った事も先に紹介した平沼廃駅の記事で書いています。

相鉄とJRは横浜道である元平沼橋と平沼商店街をアンダーパスか歩道橋で再度繋いで街道を復旧する責任が有りますね。
さもなくば文化と歴史史跡の破壊者でしかない。
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角平 名代 元祖つけ天
文化人も愛するつけ天蕎麦の名店

この角平は有名人も来る御店でランチタイムは遠方から食べに来る御客さんとビジネスマンで常に満員なのですが、この日に小生が訪れた際には待ち時間もほとんどなく入る事が出来ました。
店内はこんな感じ。
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THEそば屋的な昭和の感じ。
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一応、有名人の来てる証拠写真。
まぁ、こんな感じで有名人も食べに来る御店なのです。
メニューは❝つけ天❞が有名。
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小生、かかり付けの病院の美人女医サン(笑)から「ヤックスを食べてみて!」と言われてたので今回はヤックスを注文。
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ヤックスってのは野菜天+海老天のつけ天ザル蕎麦。
メチャ美味っ!
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蕎麦は腰が有って香りも良い。小生、学生時代に蓼科のリゾートホテルに夏冬にバイトに行ったりしてたのですが、信州の蕎麦の有名店と比較しても美味しい。
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海老天も普通にプリプリで美味い。
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この他にミニ・ハイカラ丼を注文した。
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天かすに海苔とネギと天つゆを沢山かけた丼ぶり。
まぁ、これは別に注文しなくてよかった。
食べ過ぎ。
てか隣の人が食べてたカツ丼がメチャクチャ美味そうだったので次回は蕎麦ではなくカツ丼だけでもアリだな!と思いました。
つけ天を美味しく頂いた後、平沼商店街(横浜道)の国道1号を挟み反対側にある老舗和菓子屋に遠回りして立ちよりました。
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寿ゞ㐂家(すずきや)
横浜道を代表する和菓子の名店
すみません、何故かこの店に来る度に写真撮影する前に買ったお菓子食べてしまって写真有りません(笑)。
寿ゞ㐂家は明治三十三年(1900年)創業で2023年時点で既に123年の歴史を有しています。
オススメはドラ焼きと平沼の鈴と言う御菓子と、和菓子屋なのにシナモンドーナッツ(笑)。
もし時間が有って歴史散歩したい方は、このまま道を進んで野毛の伊勢山皇大神宮~成田山~野毛山動物園~野毛商店街へと歩いて飲んで帰っても良いかと思います。

さて、昨日の休日雑記はここまで。
では又、次の記事でお会いしましょう~♪
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三浦半島の横須賀市走水は日本神話の舞台です。
走水神社の前の海には、島の様な地形の御所ヵ崎と言う場所が有ります。
これ⤵
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ここは明治に砲台建設で神社が潰されるまで橘樹神社が存在していたのですが、実は西暦2世紀(小生の再計算では西暦280年頃)の冬、倭建(やまとたける)と弟橘媛(おとたちばなひめ)の夫婦神が房総半島に渡海するまでの間、夫婦水入らずで生活していた場所でした。
ですから皇族の居所を示す“御所”の地名が残り“御所”ヵ崎と今でも呼ばれているんですね。
倭建は横浜市神奈川区の六角橋~三浦半島を治めていたらしい大伴久応サンとも大伴黒主サンとも名の伝わる人物に接待され、三浦半島の海産物に舌鼓を打ったそうです。
特に蛤(はまぐり)の鱠(なます)が御気に入りだったと物凄く具体的な伝承まで残っているんですよ!
ちょっとその話は後で紹介するとして、実はこの走水には今でも倭建命もお気に入りだった美味しい海鮮を使った定食屋さんが有るので紹介したいと思います。
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味美食堂
小生は観音崎や走水方面にドライブや走水神社に参拝に行くと、この味美食堂や以前紹介した“かねよ食堂”に良く食事に行きます。ここ、小生が美味しいと思うだけでなく、2016年に友人と猿島に遊びに行った時に横須賀市の史跡ガイドの方達に「美味しい店知りませんか?」と聞いたら推薦されて「あぁ~やっぱ有名な店だったんだ!」と再確認した場所なんです。
店は大きくありません。
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間口もこんな感じです。
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本当に定食屋さん。
小さい御店なんですが、防衛大学生に教えて貰ったんでしょうかね~?前の防衛大臣の小野寺五典さんも防大に用事が有るとここに食事に来ていたみたいです。
神様のヤマトタケルは走水のハマグリが好物だったみたいですが、現代の走水で有名なのは蛸(タコ)と鯵(アジ)でしょうか?
小生は決まってアジフライ定食を注文します。
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だいたい、いつも味噌汁はワカメ(笑)。
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地タコの刺身、そして・・・
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当然ながら鯵の刺身も美味しいですよ!
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このアジフライがフカフカで凄く美味しいんです。
・・・まぁ小生のブログの読者は小生がアジフライ好きなの使ってる人もいると思いますが、神奈川県のアジフライ三本指に勝手に決めている御店の一つが味美食堂だったりします(笑)。
他の二ヵ所はここ⤵

 もし横須賀の観音崎方面に遊びに行く機会有って、食事する場所困ったら人数少ないなら味美食堂のアジフライ、是非食べて見て下さいな~♪
ちょっと触れた“かねよ食堂”は定食とか和食じゃなくて御洒落な料理なので、その日の気分で洋食か和食にするかで味美食堂と合わせて選べるし近いから便利です。

位置関係はこんな感じ!
味美食堂周辺 久良岐のよし
走水神社の目の前の海沿いに味美食堂が在ります。
さてさて・・・
倭建命(やまとたけるのみこと)は蛤の鱠(なます)が好きだった事には少し触れましたよね~?
現代の料理人が鱠(なます)を“野菜を千切りや柵切りした酢漬け”と誤認していますが、これは歴史と古典の知識欠如からくる間違いで、鱠は中国語で日本の“刺身”に相当する魚貝類の生食用に捌(さば)いた料理の事を指します。
唐の時代、日本人の阿倍仲麻呂サンの親友だった大詩人の李白サンがこんな句を読んでいます。
霜落荊門江樹空
布帆無恙挂秋風
此行不為鱸魚鱠
自愛名山入剡中
1400年前の中国では来客が有る際に準備する献立の常連に成る程、当時の漢民族は刺身=鱠を好んで食べてたんですね。因(ちな)みに李白さんの好きな鱸魚は現代の日本人も高級魚として大好きな鱸(すずき)ですね。
その李白さんの漢詩を歴史事実や地理を考慮すると、通説の解釈がおかしいのが解かるので以前解説した記事にした事がありました。
まぁ解釈は置いておいて、昔の中国人は刺身が好きだったんですね。これ⤵
李白さんの生きた唐の時代は日本では飛鳥時代~奈良時代ですから、その少し前の古墳時代の倭建がハマグリの刺身が好きなのは極々自然な事かも知れません。
倭建命と弟橘媛夫妻はハマグリ、李白さんはスズキを喜んで食べていたと考えると、ちょっと歴史偉人や神様に成った古代の皇族にも親近感が湧きますね(笑)。
若い女性に人気の魚料理に特化したユーチューバーの“きまぐれクック”の金子君が古代にいたら、きっと倭建命を大喜びさせる事が出来るでしょうね(笑)。もっとも彼は最近、新妻の専属料理人に成ってしまいましたが(笑)。
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横須賀も有名な長井漁港、走水漁港とブランド漁港を2ヵ所も抱えており、他にも神奈川県は魚のブランド化に成功した漁港も沢山有り海産物の美味しい県です。
気が向いたら是非、足を運んでみて下さい。


味美食堂、おすすめです!
ついでに近くの観光地⤵️


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みなと湯
現代では希少なビジネス旅館みなと旅館の銭湯
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☞銭湯の個性と周辺見所 (・◡・)♫  
 ビジネス旅館みなと旅館の銭湯。
 共済病院前で御見舞い滞在に便利。
 タイルのモザイク画が可愛い
 鷹取山ハイキングコース近く。
 野島公園BBQキャンプ場近く。
☞施設・備品関連 (•ω•)ノ      
【入浴料】
 大人490円
 子供200円
 幼児100円
【アメニティー】
 シャンプー等浴室に有り
 使い切りシャンプー類販売有り
 レンタルのハンドタオル有り
 飲料販売有り
 ビジネス旅館併設
【電車】
 京浜急行追浜駅~徒歩8分
【  車  】
 駐車場若干有り
 周辺に有料駐車場複数
――以下 写真と詳細( ՞ਊ՞)ʃ♪だよ⤵――
ーー入口~建物の外観ーー
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――番台――
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――更衣室――
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――浴室――
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横浜では少なくなった日本建築のビジネス旅館が運営する銭湯。
外観は日本風だが男湯と女湯でピンクと水色のパステルカラーに分かれていてタイルのモザイク画が可愛い~(笑)。しかし天井は高く昔ながらの風格と威厳有る建築に成っている。
老舗銭湯は据付のシャンプーとボディーソープが無い場所が大半だが、ここはビジネス旅館の運営する銭湯なので購入不要。突然行っても貸しタオルをレンタル出来るので、タオルを2本レンタルすれば持参しなくても大丈夫。
バスタオルは要持参。
立地的に野島公園のBBQ場から徒歩20分ちょと、神武寺~神奈川の景勝50選の一つ鷹取山の鎌倉石採石場跡や磨崖仏のハイキング帰りに立ち寄り入浴してサッパリしてから帰るにも丁度良い。鷹取山からは徒歩25分位。
近代には伊藤博文公が野島と夏島に滞在し大日本帝国憲法の草案を起草した。
実は平成世代には余り知られて無いが釜利谷~能見台~瀬戸神社~琵琶島~須崎や野島~六浦や内川周辺は江戸時代の歌川広重等が愛した景勝地で、見所が8ヵ所有った事から“金沢八景”の駅名由来に成っている。瀬戸神社と琵琶島辯財天は源頼朝公と北条政子様の御夫妻によって伊豆国一之宮三嶋大社と近江国竹生島辯財天が勧進され開かれた由緒ある神社で金沢八景駅前に存在する。
戦国時代にも太田道灌公、北条早雲公、徳川家康公等が町屋町の龍華寺に滞在し周辺を楽しんだ事が現代に伝わり、昔は名将達のリゾート地だった。
その龍華寺の元の境内地が浄願寺跡と伝わった上行寺東側の丘陵の上で鎌倉時代末期には兼好法師の名で有名な吉田兼好も浄願寺に長期滞在した程の景勝地が、みなと旅館周辺の埋め立てられる以前の景色だった。
そんな訳で、現代では埋め立てられて景勝地ではなく成ったが、鷹取山~神武寺ハイク、野島公園BBQ、周辺の歴史散歩で汗をかいた後に立ち寄るにはもってこいの銭湯が、みなと旅館の“みなと湯”だったりする。

みなと旅館の直ぐ目前にはヘルニアの手術やスポーツ選手の機能改善治療で有名な横浜南共済病院が有るので、長期の御見舞いで滞在する場合の宿泊にも便利だったりする。

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最近、神奈川県東部の穴場海岸一覧の記事で浜諸磯と諸磯崎灯台を紹介しましたが・・・

・・・実は、この諸磯には小生推薦、格安なのに料理の美味しい民宿が有ります。
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ここ何が凄いって近くに絶景の浜諸磯と諸磯崎灯台が有るので磯遊びにも適している上に、料理のボリューム凄く三崎漁港や城ケ島よりだいぶ御得なんです!
浜諸磯と諸磯崎灯台と言うのはこんな感じの場所です・・・
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・・・奇麗な場所でしょう?車で来るなら油壺マリンパークも近く、カップルや子連れで来ても良い休日を過ごす事が出来ます。
料理が美味しい上に格安なので例年夏休みシーズンは合宿の大学生の利用も多く人気の宿なので予約は本当に早い者勝ちと言った感じに成ってしまいます。
今年2020年は県の意味不明な新型肺炎対策の海の家規制のせいで三浦半島の観光産業が壊滅していて、“でぐち荘”さんの宿泊客も60%減に成ってしまったせいで幸か不幸か、合宿の宿泊も無く予約しやすく成っています。
ただ交通の便が悪くバスの便数が少ないのですが・・・
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・・・事前に電話で御願すれば1家族の人数位はハイエースで送迎して貰えますよ!
でも大学生くらいの内は友達同士や彼氏彼女と時間を調べてバス旅とか青春ぽい情緒が有って良いかも知れませんね!
付近には釣船の仕立て屋サンも有るので予約して置けば恋人や家族で船釣りを楽しんで良い思い出に成るかも知れません。
さて、ここからは“でぐち荘”さんの料理と施設その物の解説をしたいと思います。
多分、皆さんが一番興味有るのは料理ですよね?
小生が宿泊した時の献立で解説しましょう♪

1泊2日2食付き(夕食は鮪料理メイン)で8000円+鮑の踊り焼き(1000円)=9000円!
それでこのボリュームです🍴🐟⤵
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具体的には・・・

御飯・漬物
寒天(三浦半島は寒天の産地)
椀物・・・暑い日だったので冷たい御蕎麦。
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クラゲの和え物
茶碗蒸し
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サザエの壺焼き
マカロニグラタン
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カサゴの唐揚げ
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御造り(鯛・甘海老・鮪赤身・鮪大トロ)
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鮪頬肉(ほほにく)のユッケ
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鮪のカマの焼き物
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鮑の踊り焼き
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鮪の頬肉のユッケなんて鮪の特産地の三浦市でもないとなかなか食べれないでしょう?
カマ焼きも三崎漁港や三浦の和食料理屋では良く食べれるけど東京横浜の居酒屋程度じゃ余り見ない料理かな?
鮑も柔らかくてとても美味しい!
これで宿泊費+2食で9000円とか驚愕でしょう?
更に5名以上だと“鮪の兜焼き”がメニューでチョイス出来るオプションも付くそうです。
鮑も踊り焼きじゃなくて刺身にして貰う事も可能です。
どうです?魅力的なメニューでしょ?
それと三浦半島名物の大根焼酎も飲酒嫌いの小生が飲んでも美味しいのでお勧めです。
子供には横須賀海軍ラムネも有りますよ!
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宿泊料金が安いので、三浦観光の拠点にして数日間滞在するのにも向いています。
さて、次は私設を説明します。
【アメニティー】
貸しタオルは有りますが、民宿なので基本的にバスタオルも持参した方が良いです。
男性の髭剃りは50円で有料。
浴衣と歯ブラシは部屋に有ります。
部屋に冷蔵庫は無いのですが廊下の共用の冷蔵庫を自由に使えますので、持ち込んだ飲料を冷やして置く事は出来ます。
TVは有りますが少し小さいです。
Wi-Fi環境有り。
部屋はこんな感じ。
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小生は一人での宿泊なので9畳間を広々持て余していました(笑)。
部屋は奇麗です。
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目の前が漁港なので窓を開けていると・・・
「ざざぁ~ん・・・ざざぁ~ん」
・・・と心地良い波の音が聞こえて来て気持ちが涼やかに成ります。
それに窓を開けているだけで可成り夏でも涼しい場所なんですよ~。
民宿ですが各部屋にトイレがちゃんと有るので女性も安心ですね。
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御年寄にも優しいウォシュレット付き♡
風呂は男女別の共同浴場で、1回に4人づつ位が入れる程度。
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夏をリーズナブルに満喫するには本当に良い場所です。
一応、油壷マリンパークのリンクも貼って置きます。

浜諸磯は地元の子供は泳いだりしており水質も良いので、親がちゃんと見てれば磯遊び位には最適です。でぐち荘に宿泊してれば泳いで帰って来て御風呂に入れますしね~♨。
もしちゃんと海の家の有る場所で海水浴をしたいのなら、油壷マリンパーク近くの荒井浜海水浴場がお勧めです。

あと場所は教えませんが(笑)・・・
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・・・全く人の来ない秘密のビーチも近所に有りますよ~♪
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※ヒントはこの地形
地元の人とのコミュニケーションも良いレクリエーションです。
是非!この写真を頼りに御自分達で地元の人に取材して場所を探し当てて見て下さい~♪。
小生流の御楽しみ宿題です(笑)!
だって、何でもカンでも人に教わってコピペする人生って無個性で達成感無いでしょう(笑)?
御主人や奥さん、彼氏や彼女さんと一緒に探検して見つけたらきっと楽しいですよ!

旅行カテの記事として読んで下さる皆さんにも、ちょっと旅行の楽しみを残しておきますね~♪

さて、でぐち荘は安くて美味しくて魅力的な民宿って伝わりましたよね~?
では皆さん、良い夏をお過し下さい~!
















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※2017年迄、佐島に有った海鮮和食の名店の記事です。
 海辺は台風の高波による被害で閉店してしまいましたが名店だったので内容を変えず掲載します。
※天神島臨海自然教育園は再開しており、季節柄子供連れの夫婦やカップルのデートにも向いているので再投稿します。
海辺が閉店した後も周辺にも美味しい和洋両方のレストランが有りますよ!


佐島マリーナの入口には笠島マリーナと言う小さな船着場があります。
そこに「海辺」と言う名前の素敵な海鮮和食のレストランがあります。
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なんと、海に張り出したウッドデッキにテーブル席が並び、目の前には相模湾の澄んだ海と天神島と言う御社がある神秘的な無人島が見える最高のロケーションで食事が出来るんです。
入口は少し判り難い場所です。
 
位置関係はこんな感じ。
入口は↓こんな感じ。
天気が良ければ、さっきの屋外席に通されます。
ここは本当に眺望が最高のレストランです。

料理も最高のレストラン!
高級な寿司屋で食べる刺身くらいの美味しい刺身定食や金目の煮付けが付いた定食が食べれます!
刺身盛合せ、鮪佃煮、切干し大根煮物、お新香、アラ汁、ご飯はお代わりし放題、金目の煮付け…
これで3000円は安い!
金目の煮付け無しの刺身定食は2000円弱。
是非皆さんも御堪能あれ!

さて…
ここ、実は徒歩1〜2分の距離に「天神島臨海自然教育園と言う名前の海浜公園があります。
ですから食事がてら、お子さんのいる御家族は子供に海で水遊びさせたり、海洋動物の自然観察をさせる事も出来ますし、大人の男女カップルで散歩しても良い休日を過ごせる場所です。
この佐島の海は神奈川とは思えない海の透明度の高さでして。

佐島に渡る橋の下は見事に水が無いように見える程透明な事が分かります。
海辺は砂浜ではなく磯です。
近所の子供ものびのび遊んでいました。
ここは自然も豊かで、様々な動植物も観察でき、説明の看板があります。
更に、冒頭で言いましたがロケーションも最高で、海を挟んだ島の風景はとても綺麗です。

浜辺には望遠鏡が置いてあり望遠鏡越しに海に浮かぶ神社をみれますよ〜。
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佐島マリーナホテル横に続く遊歩道からの野莞草(のかんぞう)や山百合と海のコラボした景色も綺麗です。
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素敵な海岸でしょ?
是非、皆さんも行ってみて下さい!

【海辺】
横須賀市佐島3-8-2
TEL:046-857-4353

【天神島臨海自然教育園】
横須賀市佐島3-7-2

【交通手段】
JR逗子駅or京急新逗子駅から"佐島マリーナ前行き"バス乗車→終点で降車(約35分)。

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今回は歴史じゃなくて御店の紹介です。
・・・と言うか歴史解説とか書くの今日は面倒臭くて(笑)。
代りに未だ紹介していなかった(紹介したくなかった)小生の行きつけの野毛の美味しい居酒屋サンを紹介したいと思います。
小生のブログを以前から読んで下さっている方は御存知の方も多いのですが“小生は御酒が嫌い”なのでもっぱら食べる派です。
ですから本当に料理が美味しい店にしか定着しません。そして横浜市立中央図書館に調べ物に来る度(たび)に野毛の飲食店を少しづつ開拓しているのですが、見つけてから海外からの友達と行ったりお気に入りに成った御店が今日紹介する“宮崎地鶏料理”の御店です。

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炭火焼げんこつ(宮崎地鶏料理店)
店構えは日本の比較的新しいオシャレな居酒屋風です。
アイドルタイムに行くと満席で入れない事が多いですから、少し早めに行った方が良いかと思います。
写真撮影当日は開店直後一番乗りの日だったので店内の撮影許可を頂けました。
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カウンターの左手にガラスの仕切りが有りますが、これは火で炙る際の火力が強いので御客サンに配慮しての事でしょう。
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日本酒と焼酎、御酒飲まないので良く解らないです(笑)。
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文字通り炭火焼で料理を提供して下さるのですが、焼肉屋みたいに自分で焼く訳ではありませんよ~。

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こんな感じで宮崎地鶏を一口大に切った物を直火で香ばしく炙って提供して下さいます。
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肉がブリブリして味も濃く本当に美味い♪
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タタキも最高に美味いですよ!
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串焼きや炙り系の料理以外に、このモツ煮も日本料理が苦手な外国の御客サンも美味しいと絶賛してましたね。
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日本人の小生が美味いと思うのですが、東アジア諸国の人達の口にも合う様です。
特にこの時には親しい中国の人と行ったのですが、田舎の味に似てるとまで言って喜んでいました。小生的には本当に美味しい“日本のモツ煮”なんですが(笑)。
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他にも鶏卵で鶏繋がりと言う事でチーズオムレツとか・・・
焼き鳥の類も充実してますよ!
あと写真のリザーブがないのですが、この御店のオススメに“レバテキ”が有ります。

本当に美味しい店なので、野毛山動物園デートの帰りとか、みなと未来21地区デートの後の夕食にちょっと足を延ばして来てみるのも良いかと思います♪

では!又、次の記事で御会いしましょう~♪

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前回の❝休日雑記❞これ⤵
【休日雑記】07月11日~14日・・・三浦半島景勝地と聖地の旅(その①小網代海蔵寺~油壷扇谷上杉流三浦家御廟所~荒井浜~弁才天矢倉~ザ作兵衛)。
それ⤴の続き・・・

11日、油壷マリンパークの半島に在った新井城の落城した日、三浦義意公と道寸公の親子の命日に御廟所に御参りした。そこから帰宅し、改めて週末に三浦半島訪問。
この日の午前中は用事が有って中区にお出掛け、午後も良い時間に成り日没の2時間位前を目標に宿泊予定の城ヶ島に到着する様に中区を出発。
横浜横須賀道路で三浦市を目指す。
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夕刻近く、まだ昼食を食べていなかった小生は横浜横須賀道路の横須賀PAで昼食を食べる事にした。
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上下線ともに売っている名物の❝横須賀海軍カレーパン❞を食べたかったので。
本当は午前中に急な用事が入っていなければ、朝から横須賀で軍港ツアーのクルージング観光をしてドブ板通りでネイビーバーガー食べる予定だったが時間無く実行に至らなかったので、せめて横須賀らしい物を食べて置きたかったから。

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葉山みかんサイダーと鮪カツと海軍カレーパンを購入。

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う~ん・・・
個人的な感想としては上り線の売店の海軍カレーパンの方が美味しい様に感じた。まぁ、個人の感想なので皆さんは気にしないで良いと思う(笑)。
食事を終えて、少し休憩してから再出発。

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城ヶ島バス停傍に広がる城ヶ島の御土産物屋の商店街、ここは昭和の趣の中に何だか明治大正の文豪達が歩いた事の雰囲気が残る様な気がするのは小生の思い込みだろうか?
江ノ島の江島神社の参道~奥津宮に続く商店街や鎌倉市長坂の下地区~長谷観音~下馬の商店街に似た雰囲気が有るかな?
城ヶ島の商店街を抜けて直ぐの所に宿泊予約した港屋は在る。

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港屋この港屋、2年前に三崎漁港のサンポート三崎に宿泊した際に早朝城ヶ島散歩に来て・・・
「あ~、風景の良い旅館だな。ここに宿泊して夕焼けを見て、早朝に磯を散歩したらさぞ気持ち良かろう」
・・・と思い、後日、偵察も兼ねて昼食を食べに訪れたらとても美味しくて今度は宿泊しようと決めていた場所だった。
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その日食べた料理の一部、シラス丼と❝あまがに❞の味噌汁。城ヶ島では❝ヤドカリ❞を❝あまがに❞と呼び料理の食材としている。味噌汁も美味しい出汁が出ていた。
その時の思い出は御主人が調理場を切り盛りしておられ、奥様が旅館全体を仕切りながら調理場もフォローしていると言う印象だった。
元々、河内源氏の棟梁で鎌倉幕府初代征夷大将軍と成った源頼朝公の最大の支援者であり平安時代を代表する忠義の名将の三浦義明公や、その孫で実務力と戦略眼に長けた和田義盛公を非常に尊敬している小生、その故地である三浦半島には小生個人的に恩義が有る。
過労で元気が無くなっていた時に休みに三浦半島に来て何もせずに1日海を見て過ごしていると頭真っ白のままでも何となく穏やかな時間が過ぎて行き、又は当時はまだミシェランガイドに掲載されておらず客の少なかった鎌倉の報国寺の竹林で抹茶を飲みながら緑の笹の葉から差す優しい木漏れ陽を見ていると心が落ち着い少しづつ元気に成り本来の行動力と元気を取り戻す事が出来た。
だから三浦半島には恩義が有り、だからこそ年に数回三浦半島の小さな旅館を宿泊して廻っては紹介したり、現代の若い衆が余り知らないインスタ映えする様な景勝地を紹介したりしている。先々出版物で三浦市の観光業の一助に成れば良いなとも・・・
それで今年は港屋に来た。この港屋はとにかく眺望が良い。
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部屋は全室オーシャンビューで目の前は城ヶ島の長津呂と言う景勝地だ。
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この先、港屋は定宿にしたいなと思うし、年に数回三浦半島に泊まるから城ヶ島の他のホテルやペンションにも宿泊して宣伝出来たら良いなと念願している。
少し話は港屋からズレるが、小生は坂東平氏の祖先の平将門公や平良文公を尊敬している。
その板東平氏は、朝廷を簒奪していた藤原一族と宗教的政治的に戦いを繰り返した桓武天皇の皇孫である。
❝遷都❞によって藤原政権と興福寺等の僧兵を切り離し霊的にも天皇と古代豪族中心の社会を取り戻そうとした桓武天皇の皇孫が関東を開拓した。
それが平高望(たいらのたかもち)王とその御子孫である平将門公や鎮守府将軍の平良文(たいらのよしふみ)公だ。
それも有り更に御子孫に当たる三浦家の殿様をリスペクトしている。
だから小生が三浦家と三浦半島に恩返しするのは当たり前なんだな。それは小生に御利益を授けて下さった神社仏閣の神仏に対する恩義と同じ程に感じている。
港屋、宿泊して見たら小生一人にはとても部屋が広かった!
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デッカイ関東の畳で8畳も有った。部屋も綺麗。景色も綺麗。
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御茶菓子、御茶、コーヒーが有った。
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バスタオル、タオル、浴衣。これなら日帰り旅行に来た恋人同士で当日いきなり宿泊したくなっても大丈夫だね。下着はコンビニで売ってるし・・・て城ヶ島コンビニ無いから島外の三崎町で買わないといけないけど。
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部屋風呂は無いものの洗面所含め部屋の施設は綺麗だ。
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トイレもウォシュレット。民宿的な規模の旅館としてはかなり頑張ってる事が解かる。
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館内も白基調で明るい感じ。
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ゴテゴテしてなくて落ち着いていて小生は好きかな。
部屋に荷物を置くと夕日の時間に海を眺めながら夕食をとる予定で散歩に行く事にした。

そうそう、以前は昼食時の食堂としてもやってらっしゃったのだが現在は宿泊客しか受けないとの事、港屋サンの御飯を食べたいなら宿泊して夕食を食べるしか今は無い。小生は当初は❝朝食のみ❞の単独宿泊9000円のプランで予約して、夕食は三崎漁港に行こうと思って。無論、一人だから割高なだけで二人以上で宿泊ならかなり安い。二人以上で一泊二食付で9000円で泊まれて更に立派な食事が付く訳だ。
小生は独りの一泊朝食付で予約していたのだがチェックインした際に・・・
「あ~、どうせ御金を払うなら城ヶ島で食事をした方が地域の為に成るし、三崎はしょっちゅう行ってるから夕方~日没までゆっくり城ヶ島を満喫して過ごした方が良い。」
・・・と思い直した。
到着して直ぐ女将さんに唐突に・・・
「やっぱり港屋サンの夕食を食べたいと思い直したのですが、急遽何か準備して頂く事は可能でしょうか?」
・・・と御相談差し上げたら「良いですよ、それでしたら3000円のコース等準備できますが如何でしょうか?」と言う趣旨の事をもっと優しい口調で提案して下さったので、それで食事時間を日没の19時に御願いしてプランを変更して頂いた。わがまま言ったのに臨機応変に対応して下さってありがたい。
港家を出て先ず、商店街に戻り御土産物屋サンを物色した。
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うん、この雰囲気大好きだ。まだ夏休み前だし、もう日没も近い時間だったのでバスも少なくなる事も有り観光客は少なく昼の賑やかな感じとは違い❝鄙びた雰囲気❞を醸し出していて、コレも情緒有り良い。
そこから城ヶ島灯台に登って見た。
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ここも夕方来ると雰囲気が違うんだね~!
昼来ると真っ青な空と、周りの海と暑い夏の空気感が凄い場所だけど夕方、何だか泣きそうな位の不思議な懐かしい雰囲気が出迎えてくれた。
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夕日が真っ赤じゃなくて未だ黄金色に光り、翼の様にV字に広がる白色と灰色の雲と相まって、映画の1シーンでも使えそうな感じ。
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灯台から港屋が見える。
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灯台から海岸の法に降りて来ると、2年前と同じ真っ赤な御花が出迎えてくれた。
う~ん・・・今年は梅も桜も躑躅も薔薇も紫陽花も開花が早かったから、名前も知らないこの赤い娘達ももう見頃が少し過ぎた位だった。でも綺麗だね。
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海岸を歩く。
翌朝、改めて山百合を見る散策をする予定は有るが、夕刻の長津呂~馬の背洞門を歩いた事が無かったので散歩して見た。
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夕日がハッキリ見えないけれど、優しい光を感じられる天気だった。
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港屋が見える。港屋の前には長い自然地形の入江が広がる。
この手前の入江が恐らく❝長津呂❞なんだろう。
地名の由来は良く解らないが恐らくこんな感じだろう・・・
長・・・長い。
津・・・港や船溜まりの意味、つまり津波だと港で破壊的な威力に成る波の意味が有る。
呂・・・古来は岩屋(いわや)や岩窟(がんくつ)の意味。
・・・漢字本来の意味のままだろう、この長細い自然の隆起して露出した海底の柔らかい地層が海蝕され出来た入江が昔は漁師の船溜まりとして利用されていたんだろうと推測する。詳しい事を地元の人に聞くのを忘れたので実際の所は未だ解らない。又、改めて聞いてみようと思う。
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馬の背洞門目指して歩くと、自然の岩盤を明らかに四角いプール状にくり抜いた岩場が有った。
何だろう?昔何かに利用する目的が有って削岩された場所なのは間違いない。今では穴が開いて海に繋がっている様で波に合わせて水面が満ち引きしていた。
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磯釣り客がいた。波にさらわれないか見ている方がハラハラする。
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少し東に向けて海辺の磯を歩くと馬の背洞門が見えて来た。
もっと先に進む。
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お!っと思った。今年の城ヶ島も岩場には山百合が沢山!
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うん、綺麗だ!この子達に会いに来たんだ今年も夏の三浦に♪
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でもユックリ鑑賞するのは真っ青な快晴の天気予報の翌朝に、日没も近いので先を急ぐ。
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小生は写真撮影が下手くそだが、今時女子や学生諸君はスマホでももっと上手に撮影出来るだろうねぇ~!絶景!
更に前にズンズン進む。
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・・・と、ここで更に先に進み全部見てしまうと翌朝の楽しみが減るので旅館に戻る事にした。
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戻る時もチラホラ山百合サン達・・・
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う~ん綺麗だ!
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馬の背洞門は城ヶ島の中央南、港屋は西南側に在るので帰路は西を向く事に成る。自然に夕陽に向かって歩みを進める訳だが、陽光を背にした岩礁の景色も美しい。
穏やかさと荒々しさが両立されている余り見られない景色。これも夕陽だから出る雰囲気なのかも知れないと思うとラッキーに感じ散歩していて独りの寂しさも紛れた(笑)。
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港屋の近くに観光案内図も有って参考に成った。
旅館に戻り御風呂をに入った。
風呂は現在は内風呂だけ、以前は露天風呂も利用できたが今は暫時人手不足で利用中止との事。でも内風呂が貸し切りなので満足。
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早い者勝で鍵かけて自由に入浴して良いんだって♪
風呂の場所を聞く時に従業員の方に初めて聞かされた・・・
実は港屋、一昨年の7月小生が食事に訪れた後に大将が亡くなってしまったそうだ。そして暫く営業休止していたのが数ヵ月前から再開したのだが、再開以来、女将さんが一人で頑張って切り盛りし従業員さんと一緒に料理も質を落とさず頑張っている。
・・・こう、頑張ってる人の話を聞くと本当に応援したくなる。泊まる事が出来て良かった。
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御風呂は流石に内風呂とは言え一人では広すぎる位。
これなら家族で来ても子供2人~3人+夫婦で皆一緒に仲良く入っても大丈夫!宿泊していれば目の前の長津呂で海水浴&シュノーケリング楽しんでから海の家代りにも御風呂に入れるね。
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旅館食堂前の風景。露天風呂からもこの風景と夕陽が見えるのだが、今は管理者が女将さん一人なのと人手不足で残念ながら露天風呂は暫時使えないが食事しながら同じ風景が楽しめる。
いつか女将さんを慕う御客サンに港屋再開が更に周知され、そして料理と景色を気に入る若いカップルの宿泊も増えて、更に人を雇える様に成り、そしてこの景色を又露天風呂で楽しめる日が来る事を切に願う。
そう言えば女将さんにチェックインの時に言われた!
「独りはダメですよ~(笑)!」
・・・って、独身の小生に向けて「早く恋人連れてきてください(笑)」ってジョークと合わせた言葉かと思ったけど、もう会えない御主人の為にも頑張って旅館再開した女将さん御自身の事も表した言葉だったんだね。
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食堂からも御覧の景色。
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部屋も別の客とはパンテーションで部屋ごとに仕切られているので家族連れや恋人同士で他を気兼ねせずに食事が楽しめる様に配慮されていた。
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小生は❝アンチ❞アルコール人間なので旅先気分だけ楽しめれば充分、なのでノンアルコールビールを注文した。もしかしたら夜中に車で三崎町に行くかも知れないと思ったしね。
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そしてカンパーイ♪独り旅だけど楽しい。
本当はちゃんと大切にしなきゃいけない伴侶と結ばれて夫として奥さんを週末の小旅行御泊りデートで連れて来て「奥さんが一緒に居てくれたらもっと楽しいだろうな」とも思いながら・・・
料理は3000円のコースだが充分品数が出て来た。
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先ず、自家製イカの塩辛、アカモク、鮪角煮、サラダ。
このイカの塩辛が港屋オリジナルの自家製で絶品!御土産でも販売しているのだが、小生は実は市販のイカの塩辛が生臭く感じ食べられない。しかしコレは一口食べて「うんまぁ~(*´ω`*)♡」と思った。
そして・・・
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バチ鮪、イカの刺身。一人分にしては多くて嬉しい♪当然ながら美味い!
何を隠そう、鮪も獣肉も油の多い部位より赤身が好きな小生、これは本当に御馳走なのだがバチ鮪の赤身として港屋サンの御刺身美味しかった!
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そしてメインディッシュの鮪のカマ焼き!
本当ね、これ全部三崎漁港でアラカルトで頼んだらエライ値段に成るよ。
ほぼ体重80kgの男の小生1人分でも少し多く感じる位の量で色んな種類食べれて3000円なら、一人での宿泊で朝食付き9000円+3000円コース=12000円でも安いよ。
これで普通に2人以上で宿泊すれば更に良い料理で1泊1人9000円でしょ?良心的過ぎる!
御主人亡くなったばかりで大変なのに、料理の内容下げないで頑張ってる女将さんの努力を感じる。
写真撮影し忘れたけど、美味しい味噌汁と御飯も出て来たよ。
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そして食後はココアムース。
これで3000円は凄い!この品数を三崎漁港で一人で食べたら凄く高く成ってしまうし量が多く成り食べきれないだろう。このコースを気転を利かせて提供して下さった女将さんに感謝!
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部屋に戻り陽が沈んで濃紺の宇宙の色に戻りつつある空を眺めた。
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夜、部屋に戻ると持ち込んだPC広げて少し物書きしてからPCは片づけ、TVを付けてから海蔵寺で受け取った写経の台紙と御住職が抜粋した金剛般若波羅蜜経の御手本を広げチャレンジした・・・
ここが前回の休日雑記で行ってた「結論から言うと写経は3枚とも書き損じた(笑)」の部分。
・・・3枚とも書き損じて失敗、それから「まぁ~失敗したら日を改めて納経するか!」と直ぐに思い直し、「どうせなら金剛般若波羅蜜経の全文、自分で読んで見て抜粋じゃなくて全部分写経しよう!」とポジティブな方針転換を決めた。改めてPC開いて未読の金剛般若波羅蜜経を調べると全文が愛知県西尾市の岩瀬文庫サンが画像データ化して公開して下さっていたので、改めて写経する御手本も見つかった。
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この後は御土産物屋で購入していた❞いか太郎❞を食べながら、部屋のTVを見て、暫くすると眠く成ったので就寝した。
実は自宅の自分の部屋で寝るのは落ち着かず寝付き悪い小生、この旅館では本当にグッスリと眠れたのだが、不思議とそれ以後、自宅に戻ってもグッスリ眠れる様に成った!
城ヶ島の風土が小生の不眠症気味に成っていたのを解消してくれた様だ。城ヶ島に感謝!

→その③港屋~長津呂~馬の背洞門~城ヶ島商店街~楫の三郎山~灘ヵ崎散歩に続く・・・



















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前回
 ↓
【休日雑記】2017年11月22日の訪問先その③源実朝公首塚~金剛寺・・・源氏将軍暗殺ミステリーの史跡と御寺と解説編。
 ↑
コレの続きの記事・・・
22日訪問その③
前回の記事で紹介した金剛寺を出発してから弘法山に向けて暫く車を走らせるとカーナビの「まもなく右折です」のガイドが自分の思ってる道と違って何だか無視したくなり(笑)、そのまま暫く直進してから弘法山方面に行く別の道を進むと偶然とても気に成る店構えの建物と看板が目に入って来た・・・
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強烈に目立つ「ゆばとうふ」&「とうふ」「とうふ」「とうふ」「とうふ」「とうふ」の看板と幟(のぼり)のラッシュ(笑)・・・
これを見た瞬間に妙に印象に残り「そう言えば秋なのに今年は大山阿夫利神社に紅葉見に行ってないし、丹沢山系大山名物の大山豆腐食べてないなぁ」
・・・と今回の小旅行で何にも特産品を食べていない事を思い出し、無性に丹沢山系の美味しい水で作られた名物豆腐を夕食に買って帰りたくなったので店を過ぎてからUターンして(笑)戻って来た。
幸い店の前に駐車場が在った。
店の名前を五右衛門と言うらしい。
(株)五右衛門 本店店の中に入ると意外な光景が小生を待っていた。
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何と只の小売店では無く客の目の前で豆腐や湯葉を生産しているのだ。これは外国人の来客が有った際に弘法山の桜や紅葉見物と合わせて連れてきたら喜びそうだ。
無論、小生も帰宅してから夕飯(減量中)と家族の御土産にする為に❝石臼なまゆば❞・❝石臼とうふ❞・❝生揚げ❞・❝なめらか絹揚げ❞の4品を購入してみた。
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帰宅してから小生は湯葉と豆腐を食べたら当然ながらメチャクチャ美味しかった♪
質問に色々と親切に答えて下さった店員のお姉さん、ありがとう。
遠回りで思わぬ美味しい発見。
五右衛門本店サンから車で僅か10分の距離に弘法山は在る・・・
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弘法山に夕方に差し掛かる15:30頃に到着。当日は天気予報が晴れ後→雨だったので心配していたが、やはり雨が降り始めた。
この弘法山は春が特に綺麗な富士山の景勝地として有名で、天気が良ければハイキングを楽しむ人と多くすれ違う。
因(ちな)みに春の風景はコンナ感じ・・・
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弘法山展望台そう言えば一昨年に弘法山で桜と富士山を見た時も天候が芳(かんば)しく無かったんだ(笑)。
まぁ、あと4ヶ月も過ぎると桜が咲くので、ここは新たに見つけた五右衛門本店サン、そしてこの後で訪問する“鶴巻温泉”と合わせて行くと良い休日に成るだろうと推薦できる場所だな。大山も近いので車での移動の人なら合わせて訪問しても良いかも知れない。
さて、22日に話を戻す。
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天気も悪く日暮れも近いので車を駐車場に停めて展望台まで10分位急いで登ると慌ただしく紅葉の写真を撮り始めた。
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一応、ハイキングコースとして有名で紅葉も楽しめる。
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ここはやはり展望台に登のが御薦めで・・・
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丹沢山系~箱根山系~(晴れてれば富士山)~伊豆半島の山並みの絶景が一望できるんだな。
そして春には手前に桜が、秋には紅が差した山の木々が景色を化粧してくれる。
この日は生憎天気が悪かったが、それでも爽やかな空気と箱根の絶景を楽しめて大満足だった。
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曇りのせいで余計に光を感じれたし、山々に雲が掛かり、これはこれで楽しめた。
まぁ、正直この日の最大の目的は最初の大雄山最乗寺の紅葉(笑)と、弘法山の後に訪問する予定の鶴巻温泉の秦野市市営銭湯“弘法の里湯”だったので、多少天気が悪いのも風情の内と楽しめる余裕が有ったんだな(笑)。
これが一人だから自己責任で良い訳で、外国の友人やらと一緒に来ていたらエスコートする責任から正直、悪天候を楽しめなかったかも知れないな。
弘法山の駐車場に戻り、車に乗るとナビでは弘法の里湯まで15分と出た。
しかし実は小生、以前来た時は弘法の里湯への道が解らず、時間的にも余裕が無かったので小田急鶴巻温泉駅周辺まで来てもスルーしてしまった事が有る。
今回はカーナビ先生に事前に位置登録しておいたのだがこれが実際に車で走ると路地の細い変な道に入られるわ~、温泉街じゃなくて住宅街化していて全然解らん!
仕方ないのでスマホのGoogleMap先生に登場して貰った。
鶴巻温泉周辺 久良岐のよし
あっさり到着(笑)。
小生の車の某自動車メーカー純正カーナビはクソだ(笑)。iPhoneとの接続不良も度々起こすし変な道走らされたり高速の出口を変な場所で降ろされたりするので、基本的に旅に出る前には小生は道順をだいたい地図見て丸暗記する様にしている。でも、こういった住宅街の路地はどうにも成らん!
そこの当たり、スマホの登場でGoogle mapが使える時代に成り非常に重宝する。
行きたい場所を事前にやたらめったら登録して置くと、距離感が解り易くて道路状況に合わせて柔軟に計画の変更も出来るし。
Google先生にガイドを頼んだらアッサリ到着(笑)。
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弘法の里湯何だか思っていたのと違う、銭湯と言うよりスーパー銭湯だな。
でも駅前なのだが駐車場もそれなりに有り交通の利便性は良い。
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綺麗だし。
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秦野市の御土産も売っていた。小生は秦野市と言うと特産品は“煙草の葉”と“美味しい水”のイメージなんだが店員さんに聞いたら落花生も有名だそうだ。
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まぁ当然混浴では無い(笑)。
中は箱根の中堅ホテルの内風呂位の大きさの大浴場と、小さな露天風呂が一つ。
料金は2時間と1日の2種類、曜日によって違う。
平日は2時間800円、1日1000円(秦野市民は800円)。
土日は2時間1000円。
フロントに最初に申し出れば駐車場料金のサービスも受けれる。
弘法の里湯の温泉は横浜・川崎市民や東京都民に馴染み深い黒湯炭酸泉と全く異なり、無色で若干硫黄ぽい匂いがする気がする物だった。何でも世界有数のカルシウム含有量が有る温泉で、擦過傷や打ち身とリウマチの治癒に効果が有るそうだ。昔は湯治場でも有ったので飲湯すると薬代わりとしても持てはやされたそうで胃腸病の回復にも効果が見込めるそうだ。
・・・朝から山を2つ登り、史跡と御寺を廻って書いた汗をゴシゴシ洗い落とし、鶴巻温泉のサッパリした湯で疲れを癒すとリフレッシュし、睡眠不足の帰路の運転に堪えるだけの鋭気を養う事が出来た。
メンバーカードみたいのも頂いたので、又来年の紫陽花の季節に開成町の紫陽花祭りと寒田神社参拝の帰りに寄らせて頂こう。

この日、最終的には真土大塚古墳を訪問して写真を撮影する予定だった。
2017年11月22日訪問予定地
真土大塚古墳は日本に文字を齎(もたら)した神であり大鷦鷯尊(おおささぎのみこと)=仁徳天皇の弟皇子の莵道稚郎子命(うじのわけのいらつこのみこと)の御陵(みささぎ)=古墳の跡で、アホの神奈川県教育委員会が一昔前に保護を怠り事も有ろうに農地改良と称して破壊してしまった歴史がある。
挙句の果てに教育委員会が伝承をナメてたら本当に古代王族と繋がりを示唆する三角縁神獣鏡が出てきてしまったから、さぁ~大変!
はからずも前鳥神社の由緒を証明する事に成り、神奈川県教育委員会は己らの不見識で天皇祖先御一族の皇子の被葬されたまま保存されていた古墳を破壊した訳だからな。
昭和中期から時代が経ち現代、市民が増えて認知度が上がる程に責められる訳だ。だから現代の古墳を復興した。
復興した古墳だが、それでも昔そこに莵道稚郎子命が眠っていた事には変わらない。
学問の神様として崇拝する莵道稚郎子命の復元御陵を改めて参拝し写真撮影したかったのだが、残念ながら弘法山の時点で既に日没を迎えタイムアップだった。
22日訪問その③
それでも帰りの順路に組み込んで横は通って見たが、やっぱり真っ暗で何にも見えなかった(笑)。
正月3賀日のどこかで伊勢原市の比々多神社と平塚八幡宮と前鳥神社も参拝する予定なので、その時に改めて訪問しよう。

さて、今回の旅、やはりハイライトは最初の大雄山だった(笑)。
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まぁでも“なんつっ亭”で久しぶりに美味しい九州風拉麺も食べれたし、出雲大社相模分祠も御参り出来たし、源実朝公にも命日の前日に御挨拶に伺え参拝で来たし、全体的には満足な旅と成った・・・

この後、日にちは前後したが訪問したのが下の記事で紹介した“三渓園”・“山下公園前銀杏並木”・“報国寺”・“鶴岡八幡宮白幡神社”での紅葉見物だったんだな。
コレがその時の記事
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更にその後日、小生が顕彰活動を行っている宅間上杉家の殿様所縁の神社である下永谷の神明社・・・
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そして三浦半島の富士山の絶景スポットにも行って来た。
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又、改めて解説記事で紹介したいと思います。

さて、これから年末年始に向けて、又、神奈川県内の凄い御利益の有る神社仏閣紹介記事をボチボチ更新して行きます。
コレね。
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何とかクリスマス25日の夜には更新完了できる様にしたいと思いますので、興味が有る人は年末年始の神社仏閣参拝の参考に紅白歌合戦でも見ながら片手間で見てやってください。

では!又、その記事で御会いしましょう♪良いお年を!










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浅草と言えば浅草寺と芸人の町として昭和には有名に成り、ビートたけしサン始め多くの話芸の達人を生み出してきました。
そんな浅草の浅草六区と言う町に“ホッピー通り”と言う素敵な飲み屋街が在るのを皆さんは御存知でしょうか?
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写真はホッピー通りの名物、もつ煮込みの店の一つです。こんな感じで道に迫り出す様に屋根とテーブル席が設けられていて、昼も日中から(笑)多くの観光客と地元客が御酒とツマミを楽しんでいる風景を見る事が出来ます。
後で位置関係は地図で説明しますので、先ずはアドレスだけ紹介します。
【ホッピー通り】
小生も余り通っている訳では無いので、その店が特に美味しいと言う記憶が鮮明に有る訳では有りませんが、外国人の友人が東京に来た時に浅草寺を観光案内してからココに連れて来ると大変に喜んでくれます。まぁ~、モツ煮が口に合うかどうかは別にして。
この界隈は浅草六区と言う町な訳ですが、感の良い人は「浅草ロック座」って無かったっけ?と別の店の名前で思い出すかも知れませんね。
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この写真を拡大して頂くと解りますが、六区の街頭には昭和の名俳優と芸人の写真が掲げられています。
浅草六区は芸人の町なので話芸と演芸の芸人を育てる素地が有ります。
浅草ロック座と言うのは浅草六区に在る有名な“ストリップ劇場”の名前です。
小生はヤクザが大嫌いなので、裏社会と繋がりの臭うストリップ劇場はおろか、パチンコの類、キャバクラや性風俗店を保守派として敵視している人間です。ですから小生は一生、浅草ロック座の御世話に成る事は無いでしょう。しかしながら、この店は芸人を育てると言う事に置いて非常に大切な役割を果たして来ています。
昭和の話芸の芸人達は多くが浅草ロック座で司会や前座として話術を磨き、そして芸能界にデビューしています。例えば冒頭で名を挙げたビートたけしサンやアズMAXの御父さんの東八郎サンがロック座から出世して行きました。
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ですから、この界隈は下町の宗教文化の賑わいと、芸人達の下積みの場、そして美味しい御酒の合間った明るく不思議な、そして裏では血の滲む様な泥臭い努力をしている人達が集まる混沌とした魅力溢れる町なんですね。
この場所、行き方が良く解らない人が多いので少し解説しますが、先ずはついでに浅草寺の夜景も紹介したいと思います。
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浅草寺と言えば雷門ですが地下鉄の駅から雷門へ向かう途中、アサヒビールの“金ウンコ(笑)”とスカイツリーが見えたりします。
その近くには立ち食いソバの“富士そば”が在りますが、実は富士そばの隣の甘味処の“西山”は幕末創業160年以上の老舗だったりします。
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この西山は元々は穀類や豆類の問屋から始まっている事も有り、今でも小倉餡や団子は自社で材料の調達から加工、調理提供まで行っています。
すっごく美味しくて、他の店と比較すると味の良さが格段である事が判ります。
位置関係の地図は最後に載せるとして先(ま)ずはアドレスを掲載して置きます。
【甘味処 西山】
さて、西山をもう少し西に歩くと道路を挟んで雷門の正面着きます。
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・・・写真でポーズをとっている人は気にしないで下さい。
この門、現代では“雷門”と言う誤った名称が一般的に観光客には誤認されていますが、本来は風神と雷神を祀る門なので簡略化するのなら“風雷神門”と言う名称が正しい所です。
日が落ちた直後の浅草寺はライトアップされとても綺麗な事を結構、観光客の方は知らないんですね。
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浅草寺界隈ではフザケたTシャツも人気の御土産に成っています。
因(ちな)みに仲見世の通りには江戸時代には塔頭(たっちゅう)寺院と呼ばれる、大きな御寺の支店みたいな小さな御堂が沢山建ち並んでいました。
さて、仲見世を通り過ぎると左手前方に五重塔が見えて来ます。
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ここも昼に見るより夜来た方がとても綺麗なんですね。
実はこの五重塔、現在は浅草寺本堂に正対して左手つまり西側に建っていますが、元々江戸時代には右手東側に建っていました。大火災等を経て、配置も色々と変わっています。
この五重塔の手前左側に行く道の“伝法院通り”が在りますので、そちらに進むと浅草六区の“ホッピー通り”に行くことが出来ます。
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御不動様も夜光に照らされ更に威厳の有る御姿を見せて下さいます。
そして本堂に向かって進むと山門(参門)と呼ばれる内門に当たる宝蔵門が観光客を迎えて下さいます。
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夜の濃紺の空にライトアップされて赤と金に光る宝蔵門はとても映えますね。
浅草寺は元々は天台宗の寺院で現在の東京都内では現存最古の寺院です。戦後に天台宗から分離独立して聖観音宗と言う仏教宗派の総本山に成りました。
実は小生の住む横浜市とは縁が深い御寺です。
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横浜市金沢区には手子神社(旧名:手子明神社/小泉弁才天)と言う神社が存在し、元々は源頼朝公が開いた瀬戸神社と言う神社の大山祇神(おおやまづみのかみ)の御分霊を祀る神社として開かれました。しかし新田義貞の鎌倉乱入の戦火や永享の乱等、鎌倉横浜周辺の神社仏閣は度々荒廃していました。
戦国時代に、この手子神社周辺を治めたのが小田原北条家の家臣の三河守(みかわのかみ) 伊丹永親(ながちか)と言う人物です。実はその孫に当たるのが江戸時代初期の浅草寺の高僧、權僧正(ごんのそうじょう)智樂院忠尊和尚様でした。その御縁から智樂院忠尊和尚様は祖父が治めた釜利谷の赤井村、坂本村、宿村の3ヵ村の総鎮守の神社だった手子神社の社殿を江戸時代初期に造営しています。
つまり神仏共に大切にする元は天台宗だった浅草寺の高僧らしい文化的な活動を、智樂院忠尊和尚様は祖先の故地、現在の金沢区釜利谷で行った歴史が有る訳ですね。
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ついでに手子神社境内には瀬戸神社の前に在る源頼朝公と北条政子様御夫妻が御息女の大姫の誕生祝に琵琶湖の竹生島から弁天様の御分霊を勧進して開いた琵琶島弁才天と呼ばれた琵琶島神社から更に御分霊を勧進した小泉弁才天の名で江戸時代に親しまれた弁天社が現存しています。
小泉夜雨 葛飾北斎 
この小泉弁才天は江戸時代に歌川広重によって“金沢八景の一つ、小泉夜雨”として景勝の地として浮世絵に描かれ江戸からの観光客で賑わいました。そんな訳で江戸時代初期には中国の明朝の滅亡時に亡命して来た高僧の東皐心越和尚様等によって紹介され全国的にも景勝地として有名だったので智樂院忠尊和尚様も祖先の治めた土地に誇りを持っていたんでしょう。
さて、そんな訳で浅草寺と横浜はとても偉い神仏共に大切にされた伊丹家出身の智樂院忠尊和尚様の御縁で結ばれているのですが、そんな神仏習合の文化を残す浅草寺宝蔵門の先に進むと、いよいよ浅草寺の本堂です。
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まぁ、ここまで紹介して何なんですが、夜間ライトアップの時間に成ると当然、本堂は閉門しており中に入って参拝は出来ません。
ですから小生の御薦めとしては先に一度、仲見世で御土産の購入を済ませて御本堂を参拝してからホッピー通りに行き夕食をとり、日没してから帰路に着くと夜の浅草寺境内を通って地下鉄の駅まで戻る事が出来て観光するには良いかと思います。
スカイツリーや上野動物園も見学するのであれば、そちらは早い時間に見学してしまう方が良いでしょう。

さて、浅草のホッピー通りと西山、良い御店でしょう?
もし浅草寺界隈に行く機会が有ったら是非!立ち寄って見て下さい。
ホッピー通りと西山と浅草寺界隈 久良岐のよし
最後に位置関係。
☆マークが今回紹介した店や、超有名な料理屋さんです。

では、又、次の解説記事で御会いしましょう。


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横浜市金沢区の八景島シーパラダイスや鉄腕ダッシュに度々登場する柴漁港の近くには金沢園と言う元料亭が存在します。この金沢園は昭和四年(1929年)に桜木町から移転して来た料亭で、その開業年は何と大正五年(1916年)に遡(さかのぼ)ります。
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その金沢園は昭和~平成を通じてずっと金沢区柴で営業を続け、大正時代に桜木町で建設され昭和四年に現在地に移築された建物は文化財にまで成りました。
そして平成27年、旅館喜多屋としてリニューアルオープンし、料亭時代の厨房を利用してオシャレなcafeとしてもランチタイムやディナータイムに営業を開始しました。
昔は料亭内から海が一望で来た景勝地で、その景勝は鎌倉時代に清朝(満州族=女真族の愛新覚羅家)によって滅ぼされた中国の明帝国から日本に亡命して来た東皐心越によって「金沢八景」と愛称で呼ばれた程の絶景が金沢区柴~乙舳~小泉(釜利谷周辺)~六浦~野島~内川橋~平潟湾の一帯にかけて江戸時代には大変に多くの観光客で賑わいました。
そんな訳で現在、喜多屋と成っても店の建物は文化財として価値が有り美しい造りで宿泊客を持てなし、cafeでの食事を楽しみに来る御客様には昔の薪を焚いて火を起こす窯で調理していた時代の煤(すす)が磨き込まれて黒光りする雰囲気有る旧厨房で食事を楽しむ事が出来る、とてもオシャレな店として復活しました。
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駐車場には昔の料亭時代の名残の池と石橋も有ります。
さて、客は先ず暖簾(のれん)をくぐり下の写真の玄関で靴を脱ぎます。
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靴を脱ぎ振り返ると料亭の頃のとても煌(きら)びやかな掛け軸や壁の欄間が御客様を出迎えてくれます。
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この店は予約無くてもランチを食べる事が出来るので、八景島で遊んだり稱名寺を散歩する際に御薦めです。
玄関から中に入り右手に進むと旧厨房が“cafeぼたん”として営業しています。
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何と目の前で料理をしている所を見ながら食事が出来ます。これは外国人の御客様に好評でしょうね。
日本人でも見ていて楽しいし、料理が好きな御子様なんかを連れて行けば良い影響を受けるんじゃないでしょうか?
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メニューはオシャレだけど価格はとてもリーズナブル、御子様ランチも有るので子連れのママさん達も安心して子連れ友達同士で来る事が出来ます。
まぁ…元料亭、今も旅館のレストランなので「ぎゃーぎゃー」と騒ぐ子等は連れて行くべきでは無いと思うし、逆にママさん達が日本人らしく子供を厳しく躾(しつ)ける良い機会にも成るかと思います。
小生は写真撮影に訪問したこの日は“国産地鶏の幽庵焼きオレンジ風味”の定食にしました。
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料理も和風に洋食のエッセンスを足していて横浜の開港以来の鎌倉武士文化と西洋文化のコラボを楽しむ様(よう)な献立が多いですね。
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この幽庵焼き、とても美味しかったです!
これにデザートのジンジャープリンが付いて1500円はとてもお得。
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食器も料亭金沢園から引き継いでいるそうで、とても美しい鎌倉彫の椀に汁物が入っていました。
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この写真を知り合いの博物館の女性職員達に見せたら「うわ~綺麗♪」と感心していました。
価格の話もしましたが、女性達が魅力を感じる御店としてどうやらコンセプトの確立に成功した様ですね。

さて、食事が終わり、館内を従業員の方に案内して頂く事が出来ました・・・
実は小生、この写真撮影の為の訪問に際し、1ヵ月程前に直接御挨拶に訪問し日を改めて館内の見学と写真撮影の申し込み、つまり素人取材の御相談にあがっていました。
・・・なので、今回の訪問で従業員の方に御話を通して頂き、食事後に旅館の客室としてリニューアルした元料亭客室部分で空室チェックイン前の部屋を見学させて頂く事が出来ました。
※見学したい人は訪問前に事前に客室の見学の可否を相談して下さい。小生の場合は事前に交渉しアポをとっています。通例だと思わないで下さいね~。
先ず案内されたのが1Fの客室に通じる廊下。
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ともても風情が有る。
下は金沢区野島の伊藤博文公金沢別邸。
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やはり明治に建てられた同じ金沢区の野島公園にある伊藤博文公の別邸に少し似ている印象を受けた。
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1Fには2人部屋の客室。元々料亭だったので書院造だ。
昔の日本人は男性平均身長も160cm位で体躯も小柄だったし、これで十分に広かったのだろう。
書斎といった印象を受ける。
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通路に戻り奥に進むと厠(かわや)すなわちトイレが有る。
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ここも大正モダンな和風建築がそのまま活用されている。勿論、必要な部分は現代の物に成っている。
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2Fに上る階段の奥にも客室が在る。
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うん、良い感じ。今度関西や台湾の友達が遊びに来たら横浜市内の味気ないホテルじゃなくて、ここの喜多屋か三浦の民宿やペンションか横須賀の米国軍人が宿泊するホテルに泊めてあげよう。
きっと喜多屋に泊めてたら皆、横浜にこんな場所が有るのかと喜んでくれるだろう。
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こちらは少し広めの部屋。3人部屋の様だ。
昔はこの部屋で4~6人位で宴会をやったのだろう。
料亭時代から宿泊も出来た様で、風呂も大正の素敵なタイル貼りの浴室だった。
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まぁ、本格的な旅館では無かったので、2つ有る浴室の内のコチラは大浴場ではない。
窓のガラスは大正時代の色ガラスだそうで、何だか教会のステンドグラスの様で日光を取り込んで素敵な淡い色に光っている。
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コチラも窓のガラスが美しい!
浴室はもう一つ有り、こちらは少し広い。家族4人でも同時に入れそうだ。
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色が暖かい。
大山阿夫利神社の参道に多く有る宿坊も大正時代や昭和初期の再建の場所が多いが浴室はやはりコンナ感じだ。富士山の溶岩で浴槽周辺を装飾されタイル張り。
浴室を出て階段を上る。
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階段の上からは昔は海が見える絶景だった大広間が存在する。
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とっても!立派な部屋。
昭和の映画スターの勝慎太郎さんが良く宴会をしていた京都の老舗すき焼き店の三嶋亭の大広間もこんな感じだった。一昨年三嶋亭で友人と食事をした際に店の御厚意で店内を見学させて頂けたのでたまたま知っている。
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部屋の周りも雰囲気が良い。
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現在では目の前にマンションが建ってしまい、更にアフォの横浜市が景勝地だった海を埋め立ててしまい眺望は失われたが横浜市内に在って豊かな緑が残っている御庭。
これも外国人の観光客には好まれるだろう。
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大広間の書院造りは大名屋敷に負けない程に立派だった。
さて、店の解説はここまでにして、少し周辺の地理の解説をしようと思う。
…と、その前に店の住所と連絡先を紹介して置こう。

この喜多屋の前身の金沢園が料亭として栄えていた頃周辺の風景は景勝地として政治家や財界や多くの文化人に愛され、昭和の初期まで、その景勝は大半が残っていた。
その景観は素晴らしく小生の顕彰する戦国時代の関東最強武将、北条綱成公の家老だった間宮康俊公の親族が代々江島神社奥津宮別当を務めたのだが間宮一族の治めた江の島を愛した与謝野晶子サンや、高浜虚子が歌会を開いたり滞在されたりしていたそうだ。
その当時の金沢区の風景はこんな感じだった…
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…戦後の昭和に他府県カッペ移民役人だらけの横浜市に破壊される前の"日本屈指の景勝地"金沢八景の地形。
京都の天橋立(あまのはしだて)に瀬戸内海の風景を足した様な絶景が広がっていました。

残念ながら横浜市は現在の林文子市長を含め日本文化や武士文化や歴史に興味の無い極左派やヤクザの親類と交流に深い人物が市長を務める事が多かったり、県外からの移転者が市の役人として多く採用された弊害で神社仏閣を含めた宗教的な自然の境内地の価値や、鎌倉時代の武士や江戸時代の庶民や外国人から愛された景勝地を、建設利権の為に多く埋立て或(ある)いは破壊してきました。
昔、浮世絵師の歌川広重が乙舳帰帆(おっともきはん)や称名晩鐘(しょうみょうばんしょう)と言う絵で描いた美しい風景が昭和初期まで存在したり、源頼朝公が伊豆(静岡県三島市)の三嶋大社から勧進した御分霊を祀って開かれた瀬戸神社の鎮守の森の山も横浜市役所の役人達によって破壊されてしまいました。
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この風景は日本の名だたる歴史偉人達にも愛され、例えば近くの洲崎地域の龍華寺は前身寺院が六浦地区に在った頃、源頼朝公と文覚上人によってその景勝地を望む丘に御寺が開かれました。
新田義貞の鎌倉乱入等で新田軍等の放火と略奪の戦災に遭い廃寺と成った跡、横浜市と縁の深い菅原道真公の御子孫と関東最強の名軍師太田道灌公によって現在の寺町(洲崎)地区に龍華寺は復興されました。すると、その金沢八景の美しさは日本レベルで有名に成り北条早雲公、徳川家康公等が龍華寺に滞在され金沢八景の景色を楽しまれたそうです。
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鎌倉時代にも喜多屋の近くの金沢山稱名寺が鎌倉幕府の重鎮で執権も輩出した金沢北条家の邸宅に成り、後に邸宅は稱名寺として寺院化され現在に至るのですが、その景色も美しく江戸の市民が観光に訪れる場所の一つでした。そして、それ等の八ヵ所の景勝地として有名に成っていた風景を海の上から見た景色を歌川広重が絵にして“金沢八景”の地名は江戸から昭和初期まで南関東最高の景勝地として多くの人々の知る所と成っていたのですが…
戦後の横浜市役所に他府県出身の役人や、極左翼閥や非保守多国籍ヤクザと結託した役人や左派市長が横浜市を統治する度に不思議と海は埋め立てられ、金沢八景の景観は全滅しました。
そして海の公演も埋め立てられ、金沢園も商売が厳しくなった訳です。
この金沢区の埋め立てによる大景観破壊の被害、海の公園と八景島の建設による景観の悪化で客足も遠のいて、平成25年頃には経営がかなり難しく成っていました。そこを現在の喜多屋の運営会社さんが文化財と歴史を活かしてオシャレな店に復活させるプロフェッショナルな粋な企業だったのですが、その経営によって現在見事に復活した訳です。
同じ様な努力をされている西区の坂本龍馬の奥さんお龍さんが働いていた料亭田中家さんや、南区弘明寺の同じく料亭旅館で建築文化財に成るべき価値の有る中里温泉さんと3すくみで頑張って行って欲しいと思います。

本当に、この現在の喜多屋の運営者さんの努力は素晴らしいと思います。
そして料理も美味しい!
是非、この存在を皆さんに知ってもらいたく、お盆休み最後の週末に八景島や海の公園に訪れる人がいたら是非!ここでランチやディナーを召し上がれば良い思い出に成るので推薦させて頂きます。

今回金沢八景の解説で紹介した場所は過去に記事に書いていますので、ブログの「タグ」の一覧から興味の有るタグを選んでクリックして頂ければ関係の記事が出ると思います。

では、今回は喜多屋の解説でしたが、次回は金沢八景の地名の初出典と成った場所、能見堂と青ヶ台城の解説をしたいと思います!
では!又、次のブログ記事で御会いしましょう!
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