歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

熊本地震の義捐金受け入れ窓口 ふるさと納税義捐金公式ホームページ→http://www.satofull.jp/static/oenkifu_kumamoto.php

カテゴリ:景勝地/お祭り/食事/買物 > 海外

中華圏の迷信と事実考証を交えない思い込みの強さと自国文化への理解の低さを露呈する人が結構な割合で中国人にいる・・・

“月子”は正しい産後の民間療法

“冷水”飲んだら腹壊す”

“刺身”を食ったら腹下す

・・・と思い込んでる阿呆。コイツ等は漢族を自称する資格すら無い。

月子は女性が出産直後は一ヶ月間入浴しない方が健康でいられると言う“迷信”だ。
冷水飲んだら腹壊すと思ってる馬鹿も多い。
古来、中国人は日本人同様に魚を生食した上に、来客の際に新鮮な魚介の刺身を振舞う事は最上の接待だったのだ。

“月子”と“冷水”と“魚介類の生食”に関する中国人の思い込みは極めて簡単な言葉で論破できる、迷信だ
これを信じている奴は洗脳され易いか、我彼を比較して戦力分析する人間かどうか、思い込みが強く客観性の無い人間かどうかが中国人・台湾人限定で良く解る。

中国大陸では昔から自然環境を大切にせず森林を切り開き南方では水田を北方では畑と牧草地を無軌道に拡大したせいで緑地水源が無くなり砂州も無く成り浄化作用の無く成った河川と土壌の地下水は汚染されている。

水が汚染され不潔だから煮沸していない生水を飲めないのであって、それが冷水が駄目とすり替わっている。その水質問題は現代でも同じ、寧ろ中国政府のせいで悪化している。
冷たい水が駄目なのに、冷たいアルコールは飲める事の理由を先ず客観的に見ていない。
身体が冷たい飲料や食物を受け入れないから冷たい水が駄目なんじゃない、中国の生水が不潔なんだよ。
そんな生水、つまり当然ながら出産で裂傷の有る“産道”に中国の井戸水や水道水を触れさせれば感染症を起こす訳だな。
だから傷が塞がる間つまり最低1ヵ月間は頭も洗えない、当然入浴もダメ。
皮膚の脂垢と頭垢(ふけ)塗(まみ)れのままでいた方が感染症を起こすリスクより、よっぽど危険度が低かった訳だ(笑)。
これを理由も考えずに正しい民間医療として妄信している奴が未だにいる。 月子なんて日本では関係無い、大丈夫、日本の水道水のシャワー使って平気だよ。他の欧米でも衛生的に安全な国は大丈夫。まぁ、傷に沁みる内は痛いから止めた方が良いかも知れないけれどね。

中国の水が不潔なのは悠久の時間をかけて無軌道伐採で森林を消し清涼な湧水源を消し田畑に変え、川の砂州を無くし自然による水の浄化能力を失わせた歴史に責任が有る訳だし。

「刺身や寿司を食ったら腹を壊す」
「遺伝子的に中国人の体は生食を受け付けない」
こんな事を言う中国人は“根本的に愛国心も足りない”し“中国古来の文化を学んだ事が無い人間”だと断言出来る。

日本で食う刺身は“汚染された中国の河川の淡水魚と違い安全”な事を客観的に理解出来ないで、生食が原因だと考えている訳だ。

だから刺身や冷たい物を食べたら御腹を壊すと発言する中国人の知り合いがいた際に日本人の小生が中国人に教えた漢文が有る。
この漢文の作者は日本人との友情も伝わっている・・・
仙人橋
霜落荊門江樹空

布帆無恙挂秋風

此行不為鱸魚鱠

自愛名山入剡中

※小生個人の解釈で意訳するなら以下の通りだ。

荊門(の土地:湖北省の真ん中辺りの荊門市)に霜が降(お)り、江(川辺)の樹も(葉が落ち)空(むな)しい(様子だ)。

(船の)帆布は恙(つつが)無く秋風にかかげられている

此(これ=今回)は鱸魚(ろぎょ=スズキ)の鱠(なます=刺身)の為に行く訳じゃなくて

名山(廬山の綺麗な風景)が好きだから(ここから)剡中(浙江省紹興市)に向かうんだがな。

・・・この漢詩の題名は“秋下荊門(秋に荊門へ下る)”日本人でも尊敬する人の多い唐の時代の大詩人、李白が詠(うた)った漢詩だな。
だな。
生食が腹下すってのが中国の迷信と言う解説の前に、この漢詩自体と李白の事績の分析をしたいと思う。
荊門山
荊門と言うのは古代の揚子江(長江)と言う中国の大河川の流域の荊州管轄区域の端に在る荊門山と言う河岸に連なる宜昌市の山の事を指していると解釈が一般的だそうだ。
だがこれは間違いかも知れない。
そもそも荊門山は古くから宜都と呼ばれた土地に在る。隋時代には夷陵郡夷道県と呼ばれ唐の時代には夷陵郡が峡州に地名を改められている。いずれにせよ古代の荊州の中には有ったが、唐代の荊州の入口では無いので漢代~唐代まで荊門山の名は無かっただろう。比較的に後から付けられている筈(はず)だ。
※漢代の州区分は“はじめての三国志”さんの解説記事が中国古代史を良く知らない人でも見ると解り易いです。クリックで→初めての三国志ホームページにリンク。
はじめての三国志 公式様より拝借 三国時代の州
荊州と言うと歴史知識の乏しい中国人や台湾人は現在の荊州市の事しか思い浮かばないだろうが、漢代で言う“荊州”は都市名では無く広大な行政区分、文字通りアメリカのケベック州やニューヨーク州の様な州を指した。
後漢当時の州は14州の行政区分を指し、南方や西方に広域の行政区分が多いのは漢帝国(中国)から見た未開の地で漢帝国“自称:漢の征服地だし”で仮設置されている州区分。当然、朝貢しているだけの部族も多くいる。
南蛮扱いされてる古代ベトナムの王:孟獲サンや、胡王(非漢族の未開地の王=ウィグル族)沙摩柯サンなんかがこの部類だな。
漢代に設けられた荊州の行政区分は現代の範囲で言うと河南省南陽市~湖北省~湖南省を全て合わせた地域だ。
荊州7郡
※“もっと知りたい三国志”さんからの拝借地図です~。
ちゃんと史実に基づいて可視化した地図書いてくれている人がいるから助かる(笑)。ネットの情報はゲームの間違った地図転載している人も多いですからね。
そして漢代当時に荊州市は存在せす江陵県と呼ばれた地域の一部であり南郡に属していました。
この後、三国時代には更に南郡の地名は臨江郡に改められ、その2年後に更に宜都郡に改められています。宜都は現在では宜昌市の下部市町村として宜都市が存在し、そこが後漢時代の夷陵県であり、そもそも現代の荊門山の有る場所です。
南郡=臨江郡=宜都郡の下部には“県”単位の行政区が置かれていました。 それは・・・ 中廬県、襄陽県、当陽県、臨沮県、夷陵県、夷道県、江陵県、枝江県、華容県、宜城県、郢県、邔県、編県、秭帰県、州陵県、鄀県、巫県、高成県
・・・漢代の荊門山は宜都郡夷陵県に在り、現在でも宜都市の地名の残る場所に存在しています。漢代の価値観で言えば広い意味で益州(蜀=四川省)との州境ですが、荊門山は荊州の入口と言うにはだいぶ下流の州内部域に位置に在る上に、漢より後の唐の時代ではもはや行政区分的に荊州の入口でもなんでも無い位置に在ります。
はじめての三国志様より拝借 三国時代の勢力
※又々はじめての三国志さんの画像拝借。
三国志で言うと
益州領主の劉備サン(首府は蜀郡成都城=成都市)の義兄弟の関羽サンが治めていた荊州を、揚州領主の孫権サン(首府は呉郡姑蘇城=蘇州市、後に建業城=南京市)が参謀で大都督の呂蒙サンと陸遜サンに攻めさせて関羽サンが殺され、義弟関羽の死に発狂した劉備サンが怒り狂って荊州を取り戻す為に夷陵の戦いを起こした辺りが現在の宜昌市界隈ですね。
はじめての三国志 公式様より拝借 三国時代の州
余談ですが、ちょっと紹介した沙摩柯さんが胡王と記述されているのですが、胡王の“胡”が指す胡族や突厥(とっけつ)と言うのはウィグル族の騎馬民族の事です。
ウィグル族の中で漢や唐や元の圧迫で西に逃げた
現代のトルコ人達と同じ祖先を持つのが胡族です。
なので沙摩柯サンはウィグル人だと思いがちだが、彼は武陵から攻め込んでいるのでチワン()族の系統の王族と考えた方が良いと思う。漢代に壮族と言う部族の区分が存在していなかったのかも知れない。
当時の劉備サンの敵対勢力である魏の曹操(首都:洛陽、首府:許昌)は雍州を抑え西藏(チベット)も同盟勢力だったので、沙摩柯サンが胡族だとしたら雍州経由でもチベット経由でも武陵に辿(たど)り着(つ)く事は不可能なんだな。

荊州7郡
まぁ、そんな訳で我々現代の読む側は、李白さんの秋下荊門含めて漢詩や和歌が詠(よ)まれた各時代の細かい行政区分の変遷や詩に書かれた季節と各地域の名産品考慮して時代背景や歴史的な内乱の発端と成る異民族や反乱勢力の位置関係も踏まえて、詩の内容を読んで行かないといけないんだな。
・・・しかし中国に関して言えば、これ等の位置関係が現代に成ると中国共産党のせいで更に解りづらくなります。
現在の荊州市は江陵城と呼ばれた城で、荊州市から長江を50km程下った地域のに昔の江陵県の地名がそのまま江陵県として残っていますが、江陵県の中心だった江陵城が荊州市として近年に分離されてしまい歴史を混乱させる要因にも成っています。
まぁ、そんな訳で漢代の荊州と言うのは荊州市(江陵城)の事では無くて古代の漢代の巨大な行政区分の事だった訳ですが小生の住まう横浜にも少し関係が有る人が三国時代に水軍を率いて治めていた場所なんだな。
CIMG2796
三国時代に一騎打ちで無敗の名将軍だった関羽雲長さんの最期の根拠地。
DSC_3615~2
※北京旅行の時に60元で購入した銅像(笑)。部屋で走水神社の御守りの横に陪神として祀ってる(笑)。
関公は曹操によって神格化され協天大帝関聖天君の名で商売の神様として祀れているが、商売の神様に成った理由は生前に塩の行商の商隊をやっていた事、そして一騎打ちに負けない勝負強さから民間信仰の対象に成った訳だ。

そして
実は、この関羽さんの治めた本来の荊州の広大な行政区分は春秋時代の“楚”の領土が元に成っている訳だ。
楚の都を郢(えい)と言ううのですが、漢代の県を含め荊州市荊州区等も古代の楚王国の首都だった場所で、複数個所、遷都する場所に郢の地名が残されました。

さんざん漢代の荊州の話と宜都市の荊門山の話をした上で話題を“秋下荊門”に登場する“荊門”の地名由来に話題に戻すと、荊門の地名は李白の生きた唐代に初登場する地名なんだな。
唐朝の統治下で荊門県と呼ばれた地域だ。
これが❝荊門❞の名の初出だな。それが現在は荊門市と呼ばれる行政区分に成った。
洛陽~荊門~四川省の位置関係 久良岐のよし
李白は実は塔克拉瑪干沙漠(たくまらかん砂漠)の入口に当たる甘粛(かんしゅく)省出身、その後に巴蜀の地、つまり現
在の四川省に移住した。だから四川省から船で
剡中(浙江省紹興市剡県=嵊州市)に向かうなら長江に違いないと思い込んだ歴史音痴中国人や観光振興が横行した結果だろう。
悪いが歴史事実を突きつけると、李白が剡中(紹興市剡県)方面、つまり江南地方に行く用事が有るのは洛陽に住んでいた時代以後の話なんだな。
江西省の廬山に隠棲する時に江南地方へと下って行ってる。
後は罪人と成って貴州から解放された時だが、その頃には安徽省を拠点にしている。
だから少なくとも、
秋下荊門の詩は時期敵に秋に荊門を川下りしているのだから秋下荊門を読んだ時は洛陽を離れ南陽方面から漢水を下っている筈なので宜昌の荊門山ではなく荊門郡(荊門市)の土地を指すと言うのが小生の推測だ。
荊門門市行政区域 久良岐のよし
荊門市は南面に西から流れ込む長江と、北から市域に流れ込み南へと突っ切る漢水の二つの大河が有る。
当時李白の居た唐の都の西安や洛陽から江南地方
剡県(浙江省嵊州市)に向かうには、漢水を利用する。
上流には襄陽市(じょうようし:漢代に荊州で最も栄えた襄陽城)が存在している。
しかし荊門山(湖北省宜昌市)を船からを見るには、わざわざ巴蜀(四川省)方面から長江を下って来なければ成らない。
これは余りに非現実的。しかも李白の生きた唐代の価値観からすれば洛陽から荊門はそのまま荊門県を指し現在の荊門市の事そのものだろう。
それに現在の荊州市の行政区分と都市名は、つい最近の数十年前に中国共産党によって決められたものだ。
荊門山の有る宜昌市が漢代の荊州と言う大きな枠組み以外で荊の名を冠するのは、唐の滅亡後の五代十国時代に荊南に編入されてからだ。唐代に宜昌に荊門山の地名が有ったか誰か確認したのか?
時代的なズレが有る。最初に訳した人間のテンプレートが広まって無いか?
李白は没する直前の晩年に安徽省の宣城市や当塗県辺りを拠点にしているので、やはりこの時期に川下りで荊門を通り
剡県に向かうとは考え難い
若い時に蜀を出てから暫く長江流域を旅したりしているし、罪人に成って貴州に抑留された時期も有るので宜昌市界隈に来た事も有るし山河の風景を詠んだ事も有るだろうが、小生は秋下荊門の漢詩の中の荊門は荊門郡の事だと思う。状況的に。
彼は洛陽に住んでいた頃、日本人の国費留学生で唐の玄宗皇帝に重用されていた阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)や同じ大詩人と成る杜甫(とほ)と友人に成り飲んだくれていたりした。

風流だが豪快で情が厚い人で、結構、言いたい事を言ってしまう人だったらしい(笑)。
こんな逸話が有る。
親友だった阿倍仲麻呂が日本へ帰国する船が難破して生死不明に成った際に「阿倍仲麻呂の帰国船が海難事故に遭って死んだ」と誤報を聞くや(実は漂流してベトナムに到着している)泣いて詠ったとされる詩が残っているのだが・・・

題名:哭晁卿衡(ku chao qing heng=阿倍仲麻呂卿に泣く)
※阿倍仲麻呂公の唐での姓名は姓:晁(chao:ちょう)名:衡(heng:こう)。
※卿(きょう)は官位、帰国前に秘書監、衛尉卿の二つの役職を拝命している。
これは凄まじい事で現代の日本の政権に例えるなら秘書監(内閣官房長官)と
衛尉卿(防衛大臣)を兼務している事に成る。優秀さから如何に玄宗皇帝に重用されていたか解る逸話。
※日本の貴族武士と同じく名を名乗る際は織田上総介信長の様に姓と名の間に官位を置く。

日本晁卿辭帝都

征帆一片遶蓬壺

明月不歸沈碧海

白雲愁色滿蒼梧


※小生の意訳
日本晁卿辭帝都
日本人(親友)で衛尉卿の晁衡が辞職して帝都(洛陽)を離れた

征帆一片遶蓬壺
帆(船)は(親友の晁衡を乗せ、海に浮かぶ)
小さな蓬莱の壺を遶(めぐ=廻)って征(ゆ=行)く
※蓬莱島は不死の妙薬が有るとされた島で、日本や台湾を指す。この場合は日本を指すが、一般的に日本を指す言葉は扶桑(fu sang)を使う。釜山(fu shan)と扶桑(fu sang)の中国語の発音が似ているが、漢帝国に認められて以来~日本が百済を救援して唐朝と対立し白村江の戦が勃発するまで、古代倭人の王権の支配地は本州~四国~九州~朝鮮半島南部に及んでいたので釜山も倭人の国土だった。つまり日本を当てる言葉としては本来は蓬莱島より扶桑の方が適切。
※壺を日本に例えている。

明月不歸沈碧海
明るい月(の様に唐の腐敗の闇を正そうとした阿倍仲麻呂は)碧(あお)い海に沈んでしまい歸(かえ=帰)らない

白雲愁色滿蒼梧
解釈1:白雲は愁(うれ)いの色に染まり蒼(あお)い梧(あおぎり)で満ちている。
解釈2:白雲は愁いの色で満ちる、ベトナムに。
※蒼梧は色と地名二つの意味が有る。
一つは青々とした熱帯植物、若(も)しくはその色。
もう一つは唐代の行政区での蒼梧郡(広西省チワン族自治区~ベトナム)の行政府を示している。
※この詩の蒼梧を色や木として解釈しない場合は、李白が事前に阿倍仲麻呂が日本に帰国せずに当時は唐の領土だったベトナムに赴任する事を知っていた事に成る無事を伝える暗号化された詩に成る。
広西省チワン族自治区
まぁ、こんな風に李白さんは日本人とも仲が良くて友達の死を悲しんだか、対立者による暗殺を恐れて帰国を装って船に乗りベトナムに計画渡航した無事を玄宗皇帝に風流な漢詩で表現したのかも知れない。
まぁ、李白さんは歴史も熟知し詩歌にも通じた大文化人だった訳です。
そして
哭晁卿衡の漢詩はこんな背景がもしかしたら有るかも知れません・・・
当時、玄宗皇帝は傾国の美女として有名な楊貴妃によって政治的に堕落した生活をしていました。
この頃、李白さん始め玄宗皇帝と話す機会の有る人はアノ手コノ手で諫(いさ)めていましたが助言に耳を貸さずに腐敗して行きました。
その楊貴妃の楊一族は、唐朝で外国人部隊を率いる将軍の安禄山の安一族と対立して権力争いをしていましたから、当然ながら玄宗皇帝の側近である阿倍仲麻呂卿も暗殺される可能性が有り都を離れた上で玄宗皇帝の配下で居続ける必要が有ったのでしょう。
阿倍仲麻呂卿は天平勝宝四年(752年)に日本への帰国船に乗船します。
だから予め玄宗皇帝達と画策し都の洛陽から退避し日本帰国船で遭難(を装って?)、唐の支配地のベトナムへ漂着(計画渡航)。ベトナムなら安禄山一族の手は及びませんから。
「船が遭難した」と言う暗号で彼の計画の無事を確認した李白は悲しんだフリしながら安堵した気持ちを玄宗皇帝に伝えたのかも知れませんね。
阿倍仲麻呂卿は唐の朝廷で死んだ事にされていたのかも知れません。
李白によって哭晁卿衡の漢詩が詠まれたのは天平勝宝六年(754年)です、この時期に成っても阿倍仲麻呂卿は死んだ事に成ってる(笑)訳です。当時の中国は駅伝制が確立されており、馬で皇帝の下へ直ぐに情報が伝達される仕組みが有るにも関わらずです。
唐時代の版図 
そして天平勝宝七年(755年)まで洛陽へも長安へも戻りません。
のらりくらい、安全が確保されるのをまっていたのでしょうか?
この間に玄宗皇帝は蜀(四川省)に遷都(都を移す=逃げた)し、モンゴルやウィグルの騎馬民族に援軍要請をし、騎馬民族の軍事介入で安禄山の大軍を撃破しています。阿倍仲麻呂卿は760年まで浪人し無役でいます。
もしかしたら長安にとどまって幕末の桂小五郎さんみたいにスパイをし玄宗皇帝に情報を伝えていたのかも知れませんね。

そして実際に757年に成ると安禄山は自分の息子の安慶緒に暗殺され、更に安慶緒は父安禄山の部下の史思明と対立し759年には更に安氏と史氏の抗争に発展し安氏は滅亡、反乱勢力は一気に自壊して行く事に成りました。
そして天平宝字四年(760年)に阿倍仲麻呂公はタイミング良く復職すると“あの哭晁卿衡”の小生が意訳した解釈2の内容を漢詩を再現するかの様に・・
白雲愁色滿蒼梧
解釈2:白雲は愁いの色で満ちる、ベトナムに。
・・・唐の朝廷に復職しベトナムに赴任、鎮南都護、安南節度使に任命されて三位の官位まで得ています。
鎮南都護は南方方面軍長官
安南節度使は南方統括政府の長官兼財務長官
鎮南都護安南節度使として管轄したベトナムや広州は大切な交易ルートです。
そして、この頃にはメコン川流域は既に大穀倉地帯に成り兵糧補給地としての存在価値も有ったでしょう。
阿倍仲麻呂卿はベトナム赴任の後、最終的には潞州大都督(ろしゅうだいととく)に任命されています。
[画像:d72c085d.png]
唐代の潞州には三国志好きなら聞いた事の有る“壺関(こかん)”と言う洛陽防衛の最終ラインが有り、そこを任され更に大都督(大元帥とか参謀総長に当たる)に任命されている訳です。
これだけの出世をすると成ると、安禄山の乱の鎮定にかなりの功績を残していないと不可能な訳ですね。

さて、李白さんから阿倍仲麻呂さんの話に逸(そ)れてしまいましたが、そんな凄い人とも直接友達だった李白さんですが・・・
洛陽で知り合った阿倍仲麻呂さん達と別れ、一路江南地方に移住する為に南下します。
つまり、この時に漢水を船で下り荊門郡(荊門市)の辺りを通過している訳です。
霜落荊門江樹空
布帆無恙挂秋風
此行不為鱸魚鱠
自愛名山入剡中
だから小生は言う訳です、この詩でも荊門って言ってんだから荊門山じゃなくて荊門郡でしょ?
状況的にも一番自然な解釈でしょってね。

さて、彼の詩で現代中国人で「刺身食うと腹壊す」と言う奴は迷信を信じ客観的に情報を判断しない煽動され易いか自己判断能力の無いか情弱な人間と、最初に小生指摘した根拠と成るのが、この
秋下荊門です。
DSC_3602
秋下荊門の意訳でネタバレしてますが、李白達の時代の中国人も生魚を食べていました。
しかも高級な料理として。
此行不為鱸魚鱠
此(これ)は鱸魚(ろぎょ=スズキ)の鱠(刺身)の為に行く訳じゃない
ばりばり唐代の人等食ってるし(笑)!
つまり、寿司食って腹を下すと言う中国人は自国の本来の文化を全く知らないし、自国の川や海の水が魚が汚染される程に汚い事を理解していないし、水道水や地下水や泥臭いのが異常な事だと認識も出来ていないし、川魚は寄生虫がいるから生食は余り適さないけど海鮮は下処理気をつければ鮮度次第と言う事を知らない訳です。
李白移動箇所 久良岐のよし
さて、そんな訳ですが李白さんが言っていた
剡中(紹興市界隈)の唐代の名物は鱸魚(ろぎょ)=鱸(すずき)ですね。
つまり海の魚です。だから鱠(なます)で食べれるのでしょう。
釣りをやる人は知っているんですが冬季に成るとスズキは寒い外海から湾内や川の汽水域へ移動し越冬します。
唐の時代の海岸線は当然、現代よりも内陸だったろうし、揚子江は内陸まで水深が深いので紹興市界隈のだいぶ内陸辺りまで汽水域が有ったんでしょうか?
因みに日中戦争の時、日本軍は荊州市辺りまで余裕で海から軍艦で川を遡(さかのぼ)って来て、長江沿岸の都市に艦砲射撃を加えている事からも長江の水深の深さが伺えるんじゃないでしょうか。
まぁ・・・孫文先生の樹立した中華民国が袁世凱に乗っ取られたとは言え、その後の蒋介石さんは知日派だったんだから戦争するんじゃなくて英国と一緒に支援するべきだったと小生は個人的には考えています。
まぁ、尼港事件も有りましたから、当時の日本人の感情として袁世凱がいなくなっても中華民国を許せないと言う風潮が有ったのかも知れませんが。
日中戦争のエピソードも水深が深い事を例える素材には成りますね。

もう一つ、李白さんが船の中から見て
霜落荊門江樹空 布帆無恙挂秋風と詠んでいる事も思い出して下さい。
季節は霜が降りる晩秋で鱸魚(スズキ)が湾内や川の汽水域に移動して来る季節位に紹興市方面に向かっている
様子も解りますね。
いずれにせよ、当時の紹興市辺りの名物は鱸の刺身だったし、当時の人々も生魚の刺身を好んで食べていた訳です。そして漢詩の内容の洛陽から南陽郡を通過し襄陽から船で漢水を南下して荊門を通過し江南地方を訪れるタイミングの漢詩と解る訳です。
司馬遼太郎さんも“街道を行く”シリーズの江南地方への旅の中で、この詩を確か紹介していたと思います。こんな解析はしてないですけどね。
案外、日本人の方が普通の中国人より中国文化を大切に思っているかも知れない。

さて、小生は現代の中国人には迷信に振り回されている人間が多いだけでなく、“愛国心を謳いながら自国の文化も歴史も大切にしない奴が多い”と指摘しました・・・
小生が中国蘇州の網師園と言う、とても綺麗な中国古民家を訪れた際こんな事が有りました。
・・・中国には中共以前の中華民国時代から受け継がれている“文物保護単位”と言う文化財があるのですが網師園もその一つで、当然ながら火気厳禁で禁煙な訳で。
しかし静かに見学している小生達日本人の後から中国人の団体客(中国なんだから当たり前かww)が大挙して建物に入って来て、その内の一人が煙草を吸い、その吸殻を中庭の石畳にポイ捨てしました。
それを見た小生は憤慨しその中国人の前に立ってこう言いました・・・
「喂!你是中国人吧?」
(オイ!オマエ中国人だろう?)

「你因该知道这里是保护单位。」
(ここが文化財指定だって知ってんだろうが。)

「你这么做不觉得害羞吗?」
(オマエ、こんな事やって恥ずかしくないの?)

「到底你们在哪里有爱国心?」
(オメ~等愛国心なんて無いだろ?)

・・・結構低い声でユックリだが、まくしたてましたかね。
こう言うと、コチラを相手の低文化な人間も睨んできたが、生憎と小生はガタイが良いので相手は押し黙って動かなく成りました。これが中国人同士か一般的な日本人男性の身長と体格なら殴り合いに成っていただろうなと思います。

相手は外人に片言の中国語で話しかけられた経験も無いだろうし、しかもガタイの良い外国人に片言の怒気を孕んだ中国語で正論を言われて怖かったかも知れないし当惑したでしょうね、なんせ歴史文化礼儀軽視でポイ捨て当たり前の民度の人が多い国ですから(当時、約20年前)。
でもメンツを大切にする中国人だから謝る文化も無いし、人に言われて自分の捨てた吸殻を拾うなんてプライドが許さない訳だ。
小生はソイツにガン飛ばしながら吸殻を拾うとソイツのツアーガイド(中国人女性)に吸殻を渡し、注意し指導する様に言いました。

小生「你为什么让他在这里抽烟呢?你也应该批评他,对不对?」
(アンタなんでアイツにここで煙草吸わせてんの?アンタもアイツを糾弾するべきじゃ無ぇ~のか?)

すると、そのガイド(导游)から怯えた様子で開口一番、先進国では考えられない一言が帰って来た・・・
导游「我不会・・・」((;゚Д゚)できません・・・)

小生「啊?为什么?」(は?何で?)

导游「对不起・・・」(;Д;)

小生「チッ・・・(舌打ちからの無言でガイドの姉ちゃんを侮蔑する)」(-_- ×)ノ

・・・こんなやりとりをした事が有り、中国人の中国伝統文化や文化財や自然に対する保護意識の軽薄さは身に染みている。
このガイドの発言は客を注意する事が批判したと会社に騒がれたらクビに成るとでも思っての事だろう。自己保身だな。
そして中国は簡単に従業員を気分で解雇出来るし、上司が部下を選ぶ事も出来るから日本以上に愛人関連の問題も有る。法律は有るけれど末端と上層部が酷く法治国家として機能はしていない訳だ。
中間層は真面目なのにね。

無論、小生の友人達の様に昔から素養が高く協調性も有り柔和で文化を大切にする人も多い。
反面、自分だけ良ければ良く自国の文化に対して平気で破壊を行う奴も多い。
モラルに置いて全員がそこそこズルくてソコソコ理性を持て振舞う日本人と違って、中国人は良い人は凄く良いが悪い人は何事においても凄く悪い。人の民度の差が激しい。
そして中国の自称愛国者は何故か自国の歴史を知らず文化を愛さ無い人間が多い。
とにかく善悪の差が激しい。

こんな事も有った・・・
大型スーパーの客が「御釣りが1毛(日本人の感覚で1円みたいな)足りない」と騒ぎだし店員のネエチャン殴る。

更にコンナ事も・・・
食堂で客が「他の客より米が少ない」と騒ぎだし店員も店員で喧嘩腰に「んなわきゃ無ぇ」と言い返し、客が配膳台から米を分捕り、怒った店員がその客を突き飛ばし、逆上した客が空の御椀を持って店員を殴りつける。
店員はオデコがパックリ割れて流血。
周りの中国人は誰も止めず俺が暴れてる中国人を後ろからフルネルソンでクラッチして羽交い絞めにしてホールドし周囲で傍観してる薄情な連中にこう叫んだ・・・
「不要打了!」
(止めろ!)
「喂,你们快报警吧!」
(オイ、オメー等(他の客と店員)さっさと通報しろ!)
・・・と言うまで誰も動かない始末。

こんな事も有った。
中国では人力三輪車がタクシー替わりに使われている観光地も多いのだが、仲良く成った現地の女の子と二人で市場に夕食の食材を買い出しに行く途中で三輪車が窪地に嵌(はま)って出れなく成っていた。
それを小生が普通に後ろから持ち上げて穴から出した。
まぁ、日本人ならその三輪車を持ち上げられる力が有るか複数人いれば普通に小生と同じ事をするだろう。
ところが、一緒にいた女の子にコンナ事を言われた・・・
「何で助けたの?」
・・・これは小生は衝撃的だった。当たり前の事をしたのに怪訝そうに眉をひそめて聞かれたのだ。
当然、この女の子みたいなのばかりじゃなくて、小生と同じ事をする中国人もいる。でも、“そうじゃない奴もいる”国民性が有る土地なんだな。

あと中国に出張に行くと気を付けている事が有った。
中国のTAXIは日本より遥かに事故る頻度が高い。
もし事故に巻き込まれたら、さっさと料金を払い車降りないと口論に巻き込まれ警察が来れば更に面倒に成り立ち去れなく成る事が有る。
小生も一度、中国滞在中に乗っていたTAXIが事故に巻き込まれた。上海の環球金融中心と言う日本の森ビルが建設した高層ビルに行く用事が有ったのだが、そのTAXI発着場所の入口近くの交差点で一般車両と右折直進衝突された。
さっさと金払って降りた。

中国人も自国の文化を大切にする人、古典を読み本当に史料を読む程に歴史が好きだったり伝統芸能の評弾を聞きに行く様な若者は寧(むし)ろ日本人に対して偏見の無い人や客観的に物事を判断する人も多い。

逆に中国人なのに自国の文化に左程興味が無い奴程、自国の事も知らないし対外的に無差別に攻撃的だったりする。
そして迷信を信じる奴も、この部類に多い。

まぁ~あれだ。
日本人もそうだが、右翼って無文化な奴が多いし、左翼って文化破壊者が多いし、そのどちらも笑える事に民族主義者と民族逆差別主義者が多い。
万国共通だな。

歴史に興味の無い奴、文化に興味の無い奴、金と利益が絡まない事に対して無関心な奴、どこにもいるけど、中国の場合は特に差が極端。
文化的で良い奴と友達に成れば良いだけだし、日本や先進国での生活の長い中国人に対し素養を見分ける素材が“月子”“冷水”“刺身”の迷信を習慣として海外にいても是とするか非とするかで客観性が有るか順応性が有るか判断も出来るって体験談だな。

中国人はもっと本来の中国である明や唐や宋や漢の文化を大切に、そして政府や人からの情報では無くて自分で活版印刷されて読み易く成っている古文書を読んで、己の文化と現代中国の闇を知るべきだと思う。
これを日本人が好み中国人が忘れた中国の諺で温故知新、継往開来と言う。

中国人の皆さん、もっと自国の本当の文化を自然を大切にして下さい。
私達日本人は和服を来て正月に神社仏閣を参詣したり、書道で書初めをしたりします。
小生は書初めはしませんが、ちゃんと写経もして御寺に奉納しますし神社も氏神様と土地神様と厄除けの神様と知恵の神様と御参りもします。
さて、中国で日常生活の中で唐装いを着て歩く女性がいるでしょうか?
普段から御先祖様が大切にした御神廟や御寺を御参りする若者がどれだけいるでしょうか?
そう言う所から、本当の愛国心に通じる自国文化を大切にする心は育まれるのだと思います。
そう言う所です。
明孝陵に行って中国人の自称愛国者は朱元璋洪武帝に礼拝するでしょうか?
洪武帝はモンゴル元朝を倒して中華を取り戻した大功労者ですよ?
きっと反日=愛国心と思っている人間には洪武帝の明孝陵の存在も知らない阿呆も多い事でしょう。
そして何で“月子”を中国人は行わないといけなくて、何で“生水”を飲んではいけないか理由すら考えた事も無いでしょう。

もっと自国の歴史から古来の文化も学んで下さい。
そして出来れば人民解放軍が行っているプロパガンダと異なり、実際に日本軍と勇敢に戦ったのが中華民国軍とアメリカ義勇軍だった事実も知って下さい。
中国からどれだけ貴重な歴史偉人の陵墓が文化大革命のドサクサに紛れ盗掘破壊され消えたか調べて下さい。

でね、折角日本に来たら御刺身も御寿司も美味しいから試しに食べて見て下さい。
IMG_20160312_173929
2013-02-10-14-51-57
海鮮を生食しても腐って無ければ腹壊しません。
小生は中国人の同僚が帰国する際も来訪する際も、台湾の友人が遊びに来た時も、三崎で鮪を食べさせてあげました。
誰も御腹壊してませんよ。
アノサキス等がいるイカは刺身にする時にちゃんと化粧包丁いれて寄生虫駆除したり湯引きします。
先ずは体験してみて下さい。
中国出張中に買ったペットボトルの水が偽物で腹下したり、屋台の料理で腹下したり、別に小生は中国の不衛生な店も怯まずチャレンジしてますよ~(笑)。

まぁ、自国の物は大丈夫だって思いたいですよね。でも日本にも原産地偽装食品も有りますし、御互い、気を付けないといけないのは変わらないけど、迷信かも知れない通説も信じる前に自分で理由を考えて調べてみたらどうでしょうか?

では、又!




中国の友達からさっき送って来た、昨日の大気汚染写真が驚愕のレベルな件…

中国って目先の利益ばかり追いかけて都合の悪い事は隠蔽するか外国のせいにするだけの政治家と国民だらけだから…
低所得者と田舎者は口では愛国心謳いながら日本企業襲撃する癖に、本当の郷土愛も愛国心も無い奴多過ぎだわ!

何これ?
何で日本人の小生の方が、これ見て憤慨してしまうんだろう?
怒る俺の感覚がおかしいの?
改善なんか考えない中国人一人一人がおかしいの?
留学中、中国の伝統芸能の評弾や昆曲を御老人方に混じって観賞しに来る若者は、日本人の小生だけだったしな。
そもそも中国人の若者、文化大革命以降、自分の国の文化や自分の地元の自然を大切にしなさ過ぎだわ、マジ糞。
少しは郷里の文化と自然環境を大切にしろよ。

この寒山寺だって、日本国歌の君が代発祥地の横浜妙香寺に眠る渡辺はま子サンや、平原綾香サンが歌った蘇州夜曲の歌詞にも出る有名な観光地なのに、この有り様…

呉王闔閭の古墳の虎丘や、隋の皇帝煬帝が開削した大運河の傍の観光地の山塘街も真っ白!
俺の第二の故郷の蘇州の文化醸成地を中国人は良くも汚染してくれたな、クソが!
呉王の子孫の呉太伯の家系は日本にも移住し、日本人に成り日本の発展にも寄与してくれたのに、中国に残った奴等の子孫はなんなんだ?
利己的過ぎるから、隠蔽と逃避と弾圧ばかりして現実直視せず解決の努力もせず、そんな風に成るんだろうが(怒)!
中国の政治家?
彼奴らにとっての愛国心は結局、国民を扇動して自己利益を追求する道具なんだろうな…
中国大陸から外に逃げる場所を無くしてやらないと改善なんかする気にならないかもな、奴等、国が広いから逃げりゃ良いとしか思ってないだろ?

ブログネタ
今年後半に向けての抱負は? に参加中!

中国株の暴落がいよいよ始まりました。
上海株大暴落中ですね〜。
TBSとTV朝日は相変わらず不都合な報道なのでニュースにしませんね~(笑)。

小生、この数年、この中国と日本の経済が良い人間関係の「リトマス紙」に成りました。

実は中国経済が好調に成れば成る程、中国人の実業家の友人達は小生と疎遠に成りました。
推測ですが、彼等にとって日本人の小生の利用価値が下がり日本国も追い越すとか、そんな視点でしか此方を見ていなかったのでしょう。
昔は頻繁にかけて来たのですが、ここ数年は此方からかけないと連絡来ない奴が何人かいました。
ソイツ等は皆んな情報過疎の中国江蘇省の地方都市の実業家連中(成功者?)です。
日本に遊びに来ても連絡して来ない始末…

それとは反対に富裕層ではない「普通の会社員の友人」は変わらず友好的に手紙をくれたり、電話をくれたり、中国に遊びに行っても皆変わらず親切に接してくれました。

連絡して来なくなったり疎遠に成ったカッペ実業家の「元」友人達、アベノミクスでこのまま日本経済が再び剛健に成れば彼等は連絡をとってくるでしょうね?

…でも、もし連中が電話して着たら電話出て「バイバイ」て言ってガチャ切りしてやります(笑)。

当方、久良岐郡育ちの武蔵国人なので仁義を通さない輩は友人にするには信頼に足らずと断じます。
つまり奴等は既に信頼足らずな存在な訳です。

逆に今も変わらず連絡してくれる友人は、国籍関係無くこれからも友達でいれるでしょう。
いや、寧ろ小生にとってかけがえの無い親友ですね。
だって日本人の「お金」じゃなくて、小生との「友情」を大切にしてくれている訳ですから。


実は昔、前田利家も同じ思いをして小生と全く同じ知人分類の分析をしてますね。
桶狭間の合戦より昔の話です…
451px-Maeda_Toshiie
これ↑前田利家さん。

前田利家は有る時、織田信長公の茶坊主に笄(こうがい=頭を掻いたり髷を結う道具)を盗まれてしまいます。
盗人の茶坊主は織田信長公の御気に入り(ウホっ♂♡?)だったので、信長公の権威を利用してやりたい放題だったんですね。
怒った利家は、その茶坊主を武士の権利で無礼打(ぶれいうち=誅殺)しました。
信長公は御気に入り(ウホっ♂♡?)の茶坊主を斬り殺されて、怒った勢いで前田利家を出仕停止にしてしまいます。
前田利家、それまでは信長公の御気に入り(ウホっ♂♡)だったので色んな意味で可愛がられていたそうで、小姓(こしょう=秘書)として出世街道爆進中だったのですが、一気に出世街道から外れ落ち目に成ってしまいました
すると…

それまで交友していた知人は以下の3タイプに別れたそうです。
出世コースから外れた利家に利用価値が無くなり関わりを持たなくなる薄情で利己的な連中
出世コースから外れた利家を興味本位で様子見に来る無礼な連中
出世コースから外れた利家と以前と変わらずに接して、しょっちゅう気晴らしに遊びに来てくれる親友
bd222ce8
実は③が上の↑木下秀吉のちの豊臣秀吉だったそうです
そして、この信頼関係が秀吉が柴田勝家との天下取りをかけた決戦、賤ヶ岳の戦いでの前田軍の柴田軍団からの離脱行為からの羽柴秀吉への帰順に繋がっていく訳です。

仕事でもプライベートでも、信頼関係や約束を大切にしない人間はダメですね。

小生も当時の前田利家同様に色んな意味でここ数年日本経済同様にドン底でした。
そんな状況でも変わらず接してくれた友人は、小生にとっては前田利家における木下秀吉みたいに信頼の置ける仲間…いや、義兄妹弟ですね。
実際、彼等は日本人も中国人も台湾人も小生を「兄さん」と呼んでくれ昔と同じ様に接してくれます。
これは精神的に非常に有り難い。小生は彼等を稀有な存在だと思っています。

そうそう…
オリンピック終了で中国バブル崩壊すると言われていましたが、当時の政策でバブル崩壊をこれだけ先延ばしに出来た胡錦濤前主席と温家宝前首相は有能でしたね。

対して2007年頃から尖閣に反日漁民を送り込み、日本の政治家や財界とパイプの強い胡錦濤主席=温家宝首相の政治基盤転覆を狙い政権奪還した今の習近平サンは、内政で綱紀粛正には有能な様ですが経済には無能でバブル崩壊をソフトランディングさせれなかったようですね〜(笑)。
image001
実は、2007年前後、日本ではそれ程、対中国感情は悪くなく尖閣諸島に関する報道も無かったのですが、中国国内のニュースでは「頻繁」に「不自然」に「尖閣諸島の問題を取り扱った番組が多く報道されていた」のを、この時期に中国を行ったり来たりしていた小生は日本側報道、中国側報道双方をニュートラルな視点で同時に見る事が出来ていました。
ですから断言できます、尖閣問題は「中国側の政権奪取を試みる政治家が日本と友好的な胡錦濤政権との楔(クサビ)を打ち込む目的で仕掛けた事件」に「日本側の経済政策には有能でも外交音痴な超保守(石原氏)とバカな極左の政治家(菅・仙谷両氏)が踊らされて過剰反応」した結果の現状だと思っています。

周恩来元主席や鄧小平元首席に請われて中国の改革開放に寄与した松下幸之助さんの松下電器産業株式会社(現:Panasonic)sや東芝が中国に進出し、中国の現代化を助けました。
小生が日本神話にも関わりの有る呉太伯の故地蘇州に留学していた十数年前、当時の上海市の財政の内、実に40%が日本企業からの税収だと、聞いた事が有ります。
しかし!
2007年頃から中国側は反日漁民を煽動し尖閣諸島に漁船で侵入を何回もさせようとします…
その挑発に当時アフォの民主党政権の首相だった菅直人(本業:弁理士)がアフォの官房長官仙谷由人(本業:弁護士)等ダメダメコンビが乗ってしまい(中国側は自民党政権時代の通例通り国外退去にすると思い込んでいた予想外の展開)、尖閣に侵入した漁民を逮捕して国際問題にしてしまいました(笑)。
…この流れで超保守の石原新太郎都知事(当時)により都有化論や国有化(そもそも明治時代の世界認識や中華民国の認識で日本領土)が提起されるや、無能民主党政権は慌てふためき尖閣を国有化していまいました。
まんまと中国(当時非主流派の習近平)による胡錦濤=温家宝政権転覆を狙う反日感情を煽る政策に加担する事をしてしまった訳です。

その後どうなったでしょうか?

反日煽動により煽られたアフォな中国無学歴層が、三国時代の「黄巾賊」や「太平天国」や「義和団」の様に愛国心を口にしただけの略奪集団に成ってしまい、「周恩来」サンや「鄧小平」サンが日本の経済界や自民党と築いた絆と工場と店舗を破壊してしまった事により…

結果、中国からの日本企業の大量撤退を招いてしまいましたね。
でも、まぁ~結果的に日本企業の中国依存が解消され、石原サンの御蔭(皮肉+けがの功名的な?)で日本企業の中国離れが成功し、安倍政権のアベノミクスにより少なくとも株価だけは民主党統治時代が嘘の様に改善しました。
あとは日本企業が雇用する従業員を奴隷にするか、松下幸之助さんの様に家族にするかを決めるだけですね~。

小生思います。
そもそも唐の時代から中国と日本は軍事的な利益と商業的な利益がカブってしまっているので、政治的商業的に上手く行く訳が無いんです。
だから、今の「本当の友達同士だけが交流する程度の関係」が一番リアルに平和で良いと思います。

中国とまた商業的に関係が良くなっても、日本国内の経済は衰退してしまいますからね。
本当、信頼関係って大事ですよね?
そして今の政権がやっている政策は世界基準で見て「至極マトモ」だと思いますよ、本当に。
「落ちている物は俺の物」って国の常識相手に、こっちの「落としても誰か善意で届けてくれるって常識」は通用しませんよ?実体験としてね。

そして国としてはやはり、台湾と日本の方が関係は上手く行きます。
国の枠を取り払えば、中国の歴代家系的に高い文化階層の家系や努力して知識階層に成り海外留学を果たしたり積極的に外国人と交流する人物とは、日本人は上手くやっていけると思います。
つまり、中国人でも一部の人とは仲良くなれるって意味ですね。
それに日本人も小生の様に中国文化と歴史が好きな人間は多いですから。

問題は日中の間に利権目的で割って入ってくる中国の政治家とリベラルの振りをしている日本の政商と商奴、それと某朝鮮半島南部の国の煽動なんだと思いますよ、本当。

苦しい時にも変わらず接してくれる友達は大切ですよね…
東日本大震災の時、その国の経済力比率的に日本人に多大な支援と「心」を送って下さった「臺灣」や「モンゴル」や「ブータン」や「トルコ」の様な国は、日本国にも大切ですし、小生がドン底の時に支えてくれた人や変わらず接してくれた友達は前田利家の木下秀吉の様に本当に大切だと思います。

…って、最近の中国経済と小生の実体験と前田利家の逸話がリンクしたので今回の記事にしてしまいましたって御話しです!

今年も残り半年と成りましたが…
残り半年の抱負は、郷土の歴史偉人顕彰活動に御協力下さる皆様に恥をかかせないですむ「外見」にダイエットして戻る事、そして今の活動が将来、地域の役に立つ次の顕彰活動段階の更に大きく広い活動に繋がり、そしてゆくゆくは関係して下さった宮司様や和尚様と氏子様と檀家様に恩返し出来る経済的な収入を共有成し得る仕組みを作り上げて行く礎(いしずえ)を固める事ですね。



では又、次の記事で!

ブログネタ
大富豪になったら何をしたい? に参加中!
昔の人って常に社会貢献を考える人が多く、裕福な人も今の成金と違い、横浜の原三渓さんや淡路島の高田屋嘉兵衛さんみたいな人が多かったみたいです。
まかり間違って自分に纏まった財が転がり込んだら社会貢献したいね…
昔の日本人みたいに。

昔の偉人や台湾の人との交流を垣間見れるKANOと言う良い映画が残念ながら川崎チネチッタでは明後日3月20日で上映打ち切りに成ってしまいました。
※追加朗報!神奈川県内では以下2カ所で上映予定ありです!
厚木市の「アミューあつぎ映画.comシネマ 」←で4/25~5/8 上映
横浜市中区の「シネマジャック/ベティ 」←3/21~4/10 上映

昨年台湾で先行上映された映画で、物語りの舞台は台湾の嘉義市と甲子園球場です。
嘉義市は現在の台湾の台中市と台南市の間、解り易く言うと台湾島の西側の真ん中より少し下くらいに在(あ)る町です。
台湾自体は九州とほぼ同じ大きさです。

小生、このKANOの上映終了を知り慌てて見に行ってきました。

物語りは史実を基に作られているので、創作ドラマより余程泣けます。
映画は台湾の監督により撮影され台湾の高校球児がエキストラや俳優でも沢山出演します。
また、日本の極左傾化したマスコミと異なり、台湾の人々自らの手により作中には台湾統治当時の日本人が台湾の発展に寄与した事が描かれています。

KANOの公式サイトは「ココ」←クリック!

中には小生の尊敬する八田與一先生と言う偉人も登場します。

この方、鳥山頭ダム建設に貢献し、水不足で不毛だった嘉南平野を肥沃な大地に変えた事で、今でも台湾の方々から感謝されているんです。
映画の舞台の嘉義市も関わりが有るので、作中度々登場します。

この八田さんの他にも沢山、台湾の人々に今も愛されている日本人がいます。
西郷ドンと呼ばれ上野の銅像で若い人も知ってる西郷隆盛公…
…の!息子さんの西郷菊次郎さんとか。

菊次郎さんは、父君西郷隆盛公の起こした日本国内最後の内戦である西南戦争に薩軍=西郷隆盛派として参加し負傷、片足を切断し障害を負った珍しい政治家なんです。
日本台湾統治時代の宜蘭庁長を務めた時代に先住民の味方として尊敬され、学校教育を普及させ道路交通網を整備し治水事業に実績を残す八面六臂の活躍をしたので、現地の方に顕彰碑を建てられた程でした。
日本がアメリカに降伏し中華民国統治が始まると、中華民国は現地の方が建てた菊次郎さんの顕彰碑を破壊しようとしましたが、住民の強い反対により今でも現地に碑文が現存しているそうです。

他にも下淡水渓に蒸気鉄道の大鉄橋の架橋に成功し、過労死され亡くなった設計士の飯田豊二さん…

5000円の新渡戸稲造さんも、砂糖製造工場を作り、台湾の砂糖生産の近代化に寄与されたりしました。


北京での清国軍と義和団による欧米大使館襲撃とキリスト教徒無差別襲撃大量虐殺が起きると各国の外交武官と共にキリスト教徒や大使館員を保護し、欧米各国から勲章を送られ尊敬を集めた柴五郎中佐も台湾軍司令官として赴任していました。


日本のマスコミは、とても中道とは言えない極左ばかりで情報操作を好みますが、台湾の方々は、嘗ての日本の悪い面も良い面も平等公平中立に理解して下さっているんですね。

作中に登場する台湾球児達は実在した人物ばかりです。
恥ずかしながら映画を見るまで、この実話を知りませんでした。
しかし、アジア人初、甲子園球場の外野フェンスに打球を当てた蘇正生さんは現在の神奈川大学に留学したり、嘉義農林野球部が甲子園で戦った相手は神奈川県代表で今の県立商工高等学校でした。
ですから、小生の故郷とも嘉農の縁は有るんです。
横浜中華街には中華民国の国父孫文先生が滞在されていた事も有ります。

映画の内容で不覚にも泪を流してしまいましたが…
…台湾と神奈川県の縁、大切にしなきゃいけないなぁ〜、と、しみじみ感じた1日でした。

でさ、又、次ぎのブログで!

ブログネタ
美味しいもの に参加中!
蘇州市と言う町を御存知でしょうか?
若い世代は平原綾香の歌う「蘇州夜曲」を聴いた人もいると思いますが、その歌詞の舞台の風流(だった)町です。

蘇州市は約2500年前に造られた都市ですが、昔の名前の方が日本人には馴染みが有ります…

綺麗でしょ?東洋のベニスと欧州人は呼びます。
でも環境汚染が酷くて、夏に成るとメタンガスがボコボコ湧きます。
しかし平江区や滄浪区、上塘街や同里など、古い町並みが残る地区の風景は本当に綺麗です。
蘇州の古い道を歩けば普通にこんな風景に出くわします。

蘇州の昔の都市名は春秋時代の「呉王国」の首都「呉」ですね。
諺(ことわざ)の呉越同舟や臥薪嘗胆は、この町から産まれた言葉です。
昔は孫子の兵法の名軍師「孫武」が住んでいた町です。孫武が使えた主君の呉王夫差(ふさ)が臥薪嘗胆の故事の由来に成った人物です。
ですから夫差の父君の呉王闔閭(こうりょ)の古墳「虎丘」も現存しています。
司馬遼太郎先生も、「街道を行く」シリーズの取材で、この蘇州を旅しています。

三国時代には呉郡と呼ばれた地域です。
三国志で有名な呉王「孫権」と劉備の後妻「孫尚香」の母親の「呉夫人」の出身地である為(ため)、孫権が母親の呉夫人の菩提を弔う為に建立した北寺塔と呼ばれる廟所の望楼(ぼうろう=展望台)も有ります。
※フィルム写真しか手元になくて掲載出来ません!

そんな町なので、蘇州市の中心部には未(いま)だ当時の呉城域を守っていた水堀に囲まれています。
外堀の形が完全に判(わか)るでしょ?
水堀の幅、最短でも実に30mを軽く超え最大幅50m超有ります。
更にその外堀は二重構造に成っており、侵入経路は陸路の城門と別に水門も設けられていました。
旧城域南東部、相王路と言う道の南端と竹輝路と言う道の交差点にある桂花公園に、当時の船舶用の城水門が復原され拝観無料で公開されています。

この蘇州、明の時代まで「美女の産地」としても有名でした。
現代ではブスも…ゲフンゲフンっ=3
美女もいますよ、そりゃ( ̄д ̄;)。
でも蘇州を含めた江南地方は奥さんは家事をせずお姫様みたいに大切にされる地域性なので、家事は旦那様、育児は祖父母がします。
呉王の家系の姓が「姫」氏だったからカカァ天下なんだろうか(笑)?

この町には、漢詩の授業で習う唐の時代の大詩人「李白」が太守(たいしゅ=市長)として赴任していた事もあり、彼が蘇州市園区の金鶏湖に建設した堤(つつみ)は今も現存し「李公堤」と呼ばれる観光名所に成っています。
綺麗な所でしょう?
でも自国文化に興味の無かった中国人、ここや平江区を観光地化再顕彰し始めたのはつい最近です。

この李公堤には、300年以上の歴史の有る蘇州料理の名店「得月楼」の支店が有ります。
店は綺麗だけど…
料理も美味しいけれど…
観光地価格で本店よりクソ高い!
友人と3人で2万円超えた!
本店なら3人で1万円位で良いもの食べれます。
食事するなら余り李公堤はお勧め出来ません!
ちなみに、蘇州料理と杭州料理は合わせて江南料理と呼ばれますが、明帝国初代皇帝の朱元璋がこの地方の建業=南京と言う町を首都にした事から、江南料理が宮廷料理の原型に成ったんだそうです。

もし蘇州で料理食べるなら以下が蘇州名物料理です。
⚫︎松鼠桂魚=白身魚の唐揚げ甘酢餡掛け
⚫︎小籠包
⚫︎茭白肉絲=マコモ茸と豚肉細切り炒め
※マコモ茸が特産品
⚫︎陽澄湖大閘蟹(螃蟹)=陽澄湖産の上海蟹
※上海蟹は蘇州の陽澄湖産が最高級品

で、得月楼の本店が有るのが…
下の写真の観前街。
因(ちな)みに得月楼の他に、観前街には「松鶴楼」など、「老字号」と呼ばれる古い名店がいくつも有ります。
四川料理の「川福楼」も、なかなか美味しいです。

観前街、その町の名前からも何となく解ると思いますが…
中心には仏教と道教の融合した廟所が有ります。
そして、この観前街は位置的にも蘇州市の中心部に在(あ)ります。
この、観前街こそが、小生は位置的にも廟所があり聖地化されている事からも、古代呉王夫差の王宮の所在地だったはずと推測しています。

因みに、この観前街には沢山のチャイナドレスをオーダーメイドしてくれる店が有ります。
シルクが特産品ですからね。
でも!
旗袍(チーパオ)=チャイナドレスは中国文化の衣装ではありません!よ。

セクシーでしょ?チーパオ。
だって、これ、満州族=女真族の庶民の女性が王様を悩殺して妃(きさき)に選ばれる為に作り出した男を口説く為の衣装ですから(笑)。
だから…
ボディコン+深いスリット=悩殺
…のデザインに成ってるんですよ。

この満州族のチャイナドレス、元はこんなエロくはないダボダボの普段着だったらしいです。
それを、清朝の初代皇帝ヌルハチの妃に成った女性が、こんなエロい感じにしたんです。
彼女は庶民だったんですが、ヌルハチの来訪予定をどう知ったかは分かりませんが、このボディコン太もも丸見えドレスを着て、これ見よがしにヌルハチの通り道で労働をしたそうです。
…で、ヌルハチは釣られたと。
この話、聞いた話なので真偽は不明ですが、とりあえずチャイナドレスが華人文化由来で無い事は間違えありません。

でも綺麗ですよね(笑)?
写真はネットからの借用ですが、昔、日本でもデビューしてた中国系アメリカ帰化人で女優の劉亦菲(リウ・イーフェイ)さんです。

チャイナドレスは清楚ってイメージでは無いですね。

本来の華人文化の女性の衣装は、唐装と呼ばれる衣装です。

日本の和服に似てますよね。
でも着こなしが、まだエロいです。
後宮(こうきゅう=皇帝のハーレム)の人達の衣装ですね、この衣装の参考資料。

更に時代を三国時代に遡ってみましょう…


又々、借り物画像で申し訳無いんですが…
写真は三国時代の赤壁の戦いをテーマにした映画「赤壁(レッドクリフ)」で孫権の参謀:周瑜の奥さん「小喬(しょうきょう)」を演じた時の台湾女優の林志玲(リン・ジーリン)さんです。

もう、三国時代に遡るとほぼ和服に近い形状ですよね〜。

日本の時代劇に出て来ても変じゃないレベル。
大和撫子そのもの。
※因みに三国時代の華人は日本文化と同じで椅子を普段使わず床で生活してました。

和服を来ている女性は上品に見えますが…
和服は別の呼び方で「呉服」と言いますよね?

実は日本人が日本独自の文化だと思っている物には、多く中国文化由来の物が有ります。
例えば「琴」ですが…
これは、そのまんま中国の古箏(グージェン=古式の琴)です。
そして神前で奏でられる雅楽の竜笛や笙や太鼓でさえ中国の楽器です。
ですから本当に和楽器と呼べる物の中には実は多くの中国楽器が含まれています。
しかし、日本に残り中国で滅んだ華人文化も多いはずです…
唐装や礼儀や床上での生活様式の様に。
何故ならモンゴルや清朝の様な異民族に支配される度に華人文化は少しづつ放棄され、極め付けは文化大革命で前文化は抑圧されましたから。

和服は中国大陸が漢帝国だった頃の衣装に似ていますが…
実は昔、日本は絹織物を中国大陸生産の輸入品に頼っていたんです。
その輸入品産地が現在の中国江蘇省蘇州市なんです。
…つまり日本は北九州に在った委奴=伊都(いと)国もしくは奴(な)国の王が帥升の頃〜平安時代の初めまで、この蘇州一帯の絹織物を輸入していた訳です。
蘇州は今でも絹織物の産地ですが、日本でも当時〜日本の戦国大名の大内氏による中国交易の中心だった山陰山陽地方を今でも「中国地方」と呼び…
三国時代に呉からの亡命者を受け入れた町が「呉(くれ)市」と、その地名にも歴史背景が滲み出ています。

更に日本神話の天孫降臨の聖地高千穂の在る宮崎県には夫差の子孫と言う呉太伯の墓と呼ばれる場所が有ったり、鹿児島県には呉太伯を祀(まつ)る鹿児島神宮が有ります。
もしかしたら、呉→台湾→日本ルートで来日した呉太伯のモデルがいて、神様の中の1人くらいは夫差の子孫がいて稲作や金属加工を日本に伝えていたかも知れませんね。

ところで、蘇州は独自の文化芸術があります。
昆曲と評弾(ぴんたん)と呼ばれる芸能です。
写真は評弾を演じている所です。
評弾と言うのは日本の落語の様な内容の古典小噺(こばなし)を、楽器を演奏しながら蘇州語で歌う芸術です。
…小生は好きなのですが、中国の若者は口程の愛国心も郷土愛も文化意識もなく、聴きに来るのは地元の御老人ばかりでした。
評弾は観前街や同里、十全街の茶館か、平江区の戯曲博物館で聴く事が出来ます。

本来、蘇州は風流で良い文化が有るのにな〜。
…もったいない。
蘇州・無錫・上海一帯は点心も有名で小籠包も美味しいのにな〜。
餛飩(ホンドゥン=雲呑(ワンタン))も名物。
お勧めの店は「熙盛源」。
十全街と鳳凰街の十字路近くに在ります。
1人500円位で極ウマ小籠包がお腹いっぱい食べれます。
因みに本店は「無錫旅情(むしゃくりょじょう)」と言う曲で、年輩世代は知ってる人も多い蘇州の隣りの無錫市に在ります。

しかし、蘇州文化と風景と食事は日本人に合っていて、経験者として旅行先に推薦できます。
ま〜日中関係クソ悪いし、三国志や華人文化も好きな小生でも中国政府は胸くそ悪いですが…
もし中国旅行に行くなら蘇州は良い所ですよ〜と言う紹介と、日本と関係している文化歴史の紹介でした!
上海からも動車=パクリ新幹線で30分だから上海とセットで旅行出来ますしね〜。

では、又、次のブログ記事でお会いしましょう♫

台湾来てます。
台湾最高!
ビバ台湾!
少しずつ写真掲載します。

北条泰時公が開基された鎌倉市大船の常楽寺と華人僧侶蘭渓道隆和尚に前回のブログ(←クリック)で少し触れましたが、台湾は本来の華人文化を継承した本物の中華民国と日本に近い海洋民族の大らかさが融合した国。
だから日本人にとっては鑑真和尚や蘭渓道隆和尚の御恩を返すべき国とも言えます。

とりあえず…
今日、今の所撮影した写真をば…
台北松山空港↑の写真

モノレール(MRT)の駅には何故か日本人アイドルグループ乃木坂46↓の広告が…

台北の三越百貨店

昼に食べた「胡椒餅(ふーじゃおびん)」と言う、薄い皮の黒コショウ味の焼き肉饅と、ファミマで買った杏仁茶。
胡椒餅美味しいよ!
杏仁茶も甘すぎず美味しい!

宿泊先のビジネスホテル
福泰柑子商務旅館
(ふーたいオレンジ ビジネスホテル)
小さいけど日本の東横インやアパホテルくらい部屋綺麗で、其(そ)れ等より広い間取り。
しかし1人でゴロゴロする為にダブル頼んだのにツインルームに…

意味ないじゃん!
シングルベッド2つじゃ転がれないじゃん!
ちゃんと朝食付き。食べないけどね。

周りにモノレールの駅近いしセブンとファミマと台湾料理の食堂沢山あり便利!

初日の夜は友人と士林夜市の屋台街に御飯食べに行きました〜!

全部安くて美味しかったよ!
夜市全体活気があり楽しかったし。
中国より活気あるね…

10/03
今日は別の友人が朝から故宮博物院に連れて行ってくれました。
個人的に有名な白菜より、七宝焼きと玉石で作った薬の小瓶コレクションの方が素敵だと思いましたよ〜。
あと銅器コレクションの中の越王の銅製佩剣が特に個人的に良かったです。

その後は有名な鼎泰豊に行き色んな小籠包を食べましたが…
上海の支店より台北の本店の方が安かった事に驚き!
当然美味しかったですよ!

その後、中山記念館に移動し衛兵の交代式を見ようと思っていたら…
もうすぐ10/10の台湾国慶節なので、閲兵式の予行演習を見学でき思わず感動してしまいました!
こんな感じのイベントを、日本政府が国立競技場とかで自衛隊にやらせたら左巻きやらが本気で発狂するでしょうね(笑)。

あと、今回の台湾訪問で台湾の皆さんがどれたけ日本大好きか、台湾のTVだけでなく、町を歩くだけで日本語だらけで良く伝わってきました。
日本のTV局が流布している「台湾人が日本に反感持ってる」とかは「完全に捏造された情報」をスポンサーやら在日外国人利権独占の為に台湾潰しでアノ国のマスコミ関係者が故意に流しているのだと痛感したよ。
やはり今回の経験からも日本人が一番に大切にするべき友好国は台湾だと思いますね。

そこから近くの101に移動し少しショッピング…
晩御飯を食べてホテルに帰りました。
フカヒレ
伊勢海老

台湾最高!

ここから先は日を改めて書いてる続きです。
今日は5月5です。
今既に帰国してますが、昨日4日と最終日5日の分を書き上げちゃいます。

最期の2日は日本に居る時みたいな行動ずっとしてました…
つまり
「市場」
   か
「歴史史跡」
   か
「御寺」
   か
「神社?」…台湾だから「御廟」
…ばかり拝観参拝してまわってました。
あと超庶民的な路地ばかり歩き回り、超ジモティしか行かない店で食事して回りました。
台湾は治安良いから日本みたいにフラフラ出来ましたよ。
これ、4日に台北駅前の三越で友人と待ち合わせしてたら走ってた台湾のクロネコヤマトです。
海外でも頑張ってますね!
支店あるからEMSより信頼出来そう…

MRT台北駅でいつもの1日乗り放題チケットを購入。
台湾$150=450円くらいかな?
そこから「双連市場」と言う朝市に移動。
朝市で肉饅の餡(あん)を和菓子の求肥(ぎゅうひ)みたいな物で包んだ点心を買い、市場の公園に座り買い食い!
少し醤油と八角の香りのする甘酸っぱいタレをかけて食べるんです。
変わった食感で美味しかった。
市場には文昌廟と言う学問の神様の御廟があり皆さん御参りしていました。
台湾に行き気が付いたのですが、台湾と大陸人の習慣の違いは、台湾の方は仏教や華人の神様を崇拝す台灣道教や鬼神道と言う日本人の言う所の道教と言う宗教が生活の一部として残っているんですね。
日本人より文化を大切にしてらっしゃいます。
だから皆さん穏やかで、親切なのかも知れません。

その後、「迪化街(ディーホワジエ)」と言う古い町に移動。
この町は少し暗い路地にも素敵なお店が沢山ありました。
オシャレだよね〜?
京都の町屋みたいな間取りの古い建築を改装した雑貨屋とカフェ…
本当、メッチャおしゃれ!
実はこの迪化街には「霞海城隍廟」と言う御廟がありまして、縁結びの神様なんですが…
何かメチャクチャ日本人の女の子が多かったよ。
ま〜あの歌手の「小林幸子」さんが、ここ御参りしたら結婚出来ちゃいましたからね〜。
58歳くらいまで御利益実証済み。
小生も御参りしましたよ〜。

迪化街は清朝時代からの街なんですが、「永楽市場」と言う小さい服飾関連の店舗が沢山集まった問屋街もあります。
小生は銀細工製作や石と組紐のブレスレット作りも趣味なので当然立ち寄りました。
入手した↓ビーズ達
こんな感じの物から皮や織物まで、色んな物がありましたよ〜。

永楽市場を離れ、MRTで龍山寺駅に移動…
龍山寺駅には、その名の通り「龍山寺」と言う神様と仏様の両方が祀られた大寺院があります。
こちらの御寺には、台湾のありとあらゆる神仏が祀られていて、ここに来れば色んな神様に参拝する事が出来ます。
台湾の人もいっぱい!
しかも、線香を立てる場所の煙に身につける指輪をかざして三回回すと御守りになるそうで、小生も自作の指輪に願掛けしてきました。

さて、又MRTで移動。
今度は若者の町、「西門町」に移動。
西門町には家電量販店やカラオケや飲食店が沢山ありまして、昼食に滷肉飯(るーろうふぁん)の有名な店に行きました。

不覚にも写真撮る前に電池切れ。
すみません(笑)。
美味し過ぎて"おかわり"までしてしまいました(笑)。

食事も終わり台湾の友人と別行動になり、とりあえず買った物を置きに台北駅三越近くのホテルに戻ると、午前中御参りした城隍廟の女神様、開臺媽祖天上聖母(かいたいまーずぅてぃえんしゃんしぇんむぅ)=台湾を開いた女神様のお祭りがホテル前の通りで行われていたんです!
台湾中の城隍廟の御本尊と龍舞行列と凄まじい爆竹のパレードを見れました!
これ↓開臺媽祖天上聖母様の"ゆるキャラ"
可愛いですよね〜❤️⁉︎
もう、台湾代表のゆるキャラに成って貰えば良いのに!

ちなみに、この天上聖母媽祖は神奈川県にも関係が深いんです。
浦島太郎の乙姫様のモデルに成った神話の、弟橘媛命(おとたたなばなひめのみこと)と同一視されていて三浦半島の横須賀市走水神社と川崎市の橘樹神社に御祀りされてるんです。

御縁ですね〜。
神奈川から旅行に来た時がたまたま天上聖母媽祖様の誕生日とは…
大変良い経験をしました。

パレード終るまで、ひとしきり見て部屋に戻りシャワーを浴びてから昼寝。
昼寝から起きるとホテルの近くに在る牛肉麺の店がとても人気で気になっていたので、そこに夕食を食べに行きました。
お好みで高菜とお酢を入れて食べます。
美味しかったですよ〜!
腹ごなしに、相方に勧められていた「新北投」の温泉街に夜間散歩しにMRT淡水線に20分くらい乗り行ってきました。
実は台北市内に立派な温泉街が有るんですね。
残念ながら降雨の為に夜市は開いてなかったけど、箱根湯本みたいな雰囲気は何となく感じれましたよ〜。

5日今日帰国前
飛行機が14:20だったので午前中も空港行く前に台湾満喫してきました。

朝食に昨日と違う店の牛肉麺
そこから総督府まで歩いて行く途中、また城隍廟がありました。
本当、台湾の方は自国の文化を大切になさってますね。

総督府
隣の台湾の中央銀行の台湾銀行
更に隣の国史館に行きましたが残念ながら休館でした。

その後、空港に行く為、MRT台北車站に戻る途中、何やらTVのイベントらしきものが開かれてました。
多分↑芸能人?

もうすぐ台湾と暫くさようならと言う時。
少し寂しい。
……しかし!

感傷に浸る暇などなかった小生。
最期の最期に売店で買い物中に売店の店員に「日本語教えてくれ」と言われて1時間くらい捕まってしまった!

と、言うか、教える以上ちゃんと教えたいので…
やっときました。
中国時代に日本語学校で松下電器やコマツの社員に教えてたしね。
もし台北松山空港でお土産買う機会ありましたら、5番搭乗口の前の売店で買ってあげて下さい。

今回の台湾訪問は本当に良かった。
全部台湾の皆のお陰です。
皆、本当にありがとう!

台湾は何処に行っても皆さん親切で、食べ物も美味しく治安良かったですよ。

海外旅行でアジア圏に行きたいなら是非お勧めします!

台湾旅行の記念品
スタバのTumbler
台湾限定と台北限定

↑このページのトップヘ